秩父・北武蔵・秩父鉄道沿線

弟富士山、明ヶ指の卵水、清雲寺の枝垂桜。(後篇)

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荒川に注ぐ立派な支流である安谷(あんや)川が、山深い渓谷を縫うようにして流れている。我々は弟富士山から車道を歩き続け、十二天神社から分岐した山道を下り、存外に立派な木橋が架かっていたので、無難に安谷川を渡った。

対岸の斜面を登ると、集落の集会所のような建物の側を通り、日野渓谷キャンプ場に至る林道に合流した。周囲は多彩な花が咲き乱れ、陽光に光り輝いている。長閑さを画に描いたような風景で、ぼんやりとした空気に包まれた儘、自分が何故こんな処を歩いているのか、だんだん判らなくなる。

人の気配の無いキャンプ場の敷地を通過すると、建造物の群れが、樹林の奥に窺えるようになって、明ヶ指の卵水が在る筈の、別荘地の敷地内に入った。

Tamagomizu

2017/4/13
武州日野駅(8:20)---虚空蔵岩---弟富士山(9:00)---浅間神社---明ヶ指の卵水(10:10)---事上沢左岸尾根上の新秩父線72号送電鉄塔(10:50)---事上沢左岸尾根の極細尾根往復---事上沢---事上沢右岸尾根上の新秩父線71号送電鉄塔直下伐採地(12:25)---事上沢右岸尾根---千手観音堂(14:35)---清雲寺---武州中川駅(16:20)

舗装の尽きた林道になり、奥に進んでいくと、私有地につき迷惑にならないように、と云う注意書きの看板が現われる。卵水の湧水は、山林所有者に釘を刺されながら見物に訪れなければならないようで、途端に興味が逓減していくような気分になった。

高揚しない気持ちの儘に歩いていくと、ふたたび安谷川の畔に行き着いた。古びた標柱に、明ヶ指の卵水、の文字が寂れている。周囲を見渡しても、単なる渓谷の川岸の風景で、何のことか判らない。

ふと下方を見る。円柱形の小さなドラム缶に、パイプから水が注がれている。なるほどと思い、見た目にも判然とする透明な水を掬って口に含んだ。含んでから、猛烈な硫黄の匂いに驚く。卵水の名の所以であり、鉱泉の湯治場でも在れば風情も出そうだが、其れも昔の話のようであった。

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来た道を引き返し、別荘地を通過して進路を東に取り、やがて沢沿いの作業道に出る。此の沢は矢岳から流れ出る持小屋沢で、先程の安谷川に至る。

さて、此処からの道中を、文章で表現するのが難しい、と云うよりも面倒で煩雑である。眼前の持小屋沢を渡渉して対岸の尾根に登りつめ、更に其れを下降して、もうひとつの沢を渡渉し、更に向こうの尾根に登っていく。顕著な山に向かって登っていくと云う趣向では無い。

対岸の尾根上に、送電鉄塔が在り、付近に572mと云う標高点のピークが在る。其の辺りを目指すのだが、地形図の等高線を眺めても、私にはどうやって登っていけばいいのか判らない。此の先の進行はkz氏の独壇場となり、作業道の尽きる処で朽ち掛けた木橋を渡渉する。

なあんだ、巡視路が在るじゃないか。kz氏が云った。黄色の送電鉄塔巡視路を示す標柱が立っている。其れに準じて、明瞭な踏路がジグザグに、尾根上に向かって続いていた。首肯して感心しながら、私は嬉嬉として登り始める。漠然とした儘歩き続けてきた、落ち着かない気持ちが、明確な進路を指し示されて、能動的になっていく。

植林帯の九十九折の道を一心不乱に登り続けて、見上げると明るさが増してきている。尾根上に間も無く到達しようかと云う頃、後方を振り返る。踏路が折り返す度に、其の都度メモ帖に歩行状況を記録しているkz氏が、随分遅れて登ってくるのが窺えた。

送電鉄塔新秩父線72号に到達したkz氏が、息の上がった声で、随分引き離されたから焦って登ってきたよ、と云った。そして、鉄塔の向こうに開けた眺望を見て、おお、と歓声を上げる。送電線が連なる向こうに、両神山が明瞭に浮かんでいる良景であった。

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標高560m圏の送電鉄塔から、572mピークに続く尾根は、明瞭に歩き易そうな道が続いている。いつか再訪することがあるだろうかと考え、先ず無いだろうと思いながら後ろ髪を引かれつつ、我々は南南東に向かって尾根を一旦下り始めた。此処から、更に谷へ降りて隣の尾根に向かうことになる。尾根を横断して越えて、目的地に向かうと云うのは、凡そ道楽の山登りと云う雰囲気では無いが、誰に頼まれた訳でも無い物好きな道中である。

程無く鞍部に立ち、相変わらずの巡視路標柱が左方を示している。送電線の作業道は実直に、そして合理的に次の鉄塔に向かって設えてあった。尾根を降りる前に、我々はザックをデポして、此処から空身で、尾根の行き着く先を視察することにした。

現在我々が立っている尾根は、大反山から矢岳に至る尾根に収斂されていくが、地形図で表現される其の形態は、極端にか細い。尾根が上昇するに連れて、其の幅は広がっていくのが自然なのに、此の尾根は左の事上沢、右の持小屋沢から派生する沢の両方に侵食されるようにして、狭まっていく。奇異な形状の尾根の上はどんな光景なのか、其れはkz氏と私の共通する興味であった。

鞍部から登り返すと、程無く平坦な踏路が続いて、尾根が分かれる瘤の上は樹林に囲まれ、鬱蒼としている。右手を窺うと、植林帯の向こうに支尾根が下っている。巡視路が無ければ、恐らく此の尾根を登っていた筈だが、藪を掻き分けて此処に達したとすれば、随分疲弊したのではないかと思われた。

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いよいよ尾根が痩せていき、kz氏は右側の踏路を進んでいく。枯葉の敷き詰められた尾根の端の下は断崖である。私は崖淵を歩くのが怖いので、岩稜の上を難渋しながら歩くことにした。やがて、kz氏の嬌声のような叫び声が聞こえてきた。何事かと岩の上から覗くと、祠の残骸だ、とkz氏が云う。恐る恐る尾根のエッジに降りていくと、なるほど小さな祠の屋根と思しき建材が打ち捨てられている。

此の、険阻な細尾根の上にも、いにしえの人々に拠る足跡が在ったと云うことで、kz氏は興奮気味であった。修験道は、こんなにも厳しい処迄やってくるのかと思うと、感慨を禁じ得ない。

やがて、尺取虫が屈伸しているような、細長い尾根が極まる地点に近づいてきた。崖下を流れる沢が、尾根の両側に纏わりつくようにして接近してくる。右手の持小屋沢支流と、左手の事上沢の瀬音が、それぞれ違う響きで聞こえてくる。渓流の形状が異なるので、せせらぎのトーンも違うのであろうか。両側から異なる急流の音が聞こえてくるので、ステレオのようだと云うと、kz氏が尤もだと共感して呉れた。

括れた尾根は、標高600m地点の手前で落ち着き、急勾配の山肌を眼前にする。事上沢の側に小平地が広がっているので、其処に足を踏み入れた。事上沢の流れが垣間見えるのを確認して、今度は尾根の反対側を見下ろすと、持小屋沢の支流は、直ぐ其処を流れている。此処にテントを張って、沢音を聴いたら楽しいだろうな。kz氏が云った。

此の儘、尾根が極限に括れた箇所が崩落してしまうと、どうなるのであろうかと想像してみる。送電鉄塔付近の572mピークを中心にした、独立した島のような峰になるのだろうか、などと考えたが、尾根は尾根で、変わることは無いのだろうと思惟を着地させた。

ザックを回収し、巡視路の標柱に従って、鞍部から急斜面を蛇行しながら下った。事上沢に近づき、踏路は徐々に不明瞭になる。人為的に造られた、朽ち果てそうな木橋を渡渉すると、荒々しく切れ込んだ谷間が在り、両側に尾根が在る。どちらを進んでいくべきか迷うが、頼りの黄色標柱の姿が無い。と、思って周囲を見渡すと、倒れて埋没しそうな送電線巡視路の標柱を発見した。

進路の目途は判然としたが、何処を登ってよいのか、踏み跡が見当たらない。先行する私は、傾斜の加減を見て登り始めたが、kz氏は違う角度から登ってきて、其れが微かに残存する腐った木段の設置された巡視路だった。kz氏にルートファインディング能力を誇示されて、私はどっと疲れを感じつつ、ふたたび合理的に辿る巡視路の、ジグザグ道を登り続けた。

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ふたつ目の尾根の上に乗ると、其処は伐採された傾斜地で、送電鉄塔は尾根の先を見上げるような地点に立っている。切り株に事欠かないので、適当な処に腰を落ち着けて、昼食の休憩にする。恒例のカップ麺を作るが、何の気なしに購入してきた唐辛子の粉末で辛味を調節する激辛麺は、辛すぎて難渋した。

山と谷をふたつずつ越えて、此の山行も終盤に入りたい。そんな気持ちがお互いに湧出したか、見上げる勾配の先の送電新秩父線71号鉄塔迄、登るのが億劫になり、其の儘標高700mくらいの地点から、山肌をトラバースして、隣の尾根に移動することになった。

辿り着いた尾根は、前回も下山に使った事上沢右岸尾根である。勝手知ったる要領で、快速で下り続け、標高550m付近で顕著に分岐する尾根を、今回は右に進路を取った。最後の目的地、枝垂桜の清雲寺の方角に舵を切った積もりであった。

麓の気配を間近に感じる標高430m地点で、唐突に急傾斜となり、右手の様子を窺うと、露岩が突き出る崖になっている。ふたりで逡巡した後、意を決して、岩場では無い方の急勾配を、下ることにした。腐葉土のような柔らかい土で、踏み出した足が意に反してずぶずぶに埋もれていく。難渋して勾配の落ち着いた地点に右往左往しながら下るうちに、とうとう両足の制御が利かなくなって、私は四つん這いになりながら土砂に流されて数メートル下降した。

見上げるとkz氏の姿は無い。振り返って下方を見れば、もう直ぐ傾斜は緩くなることが窺えたので、私は足首迄埋もれた下肢に気力を集中させ、ジグザグに進路を取りながら、徐々に下降していった。踏路の無い急傾斜を、登ることは儘有るが、下るのは滅多に無いことであった。薄氷を踏むような気持ちで下り続けて、漸く麓の沢の畔に辿り着いた。kz氏も、随分時間を掛けて、降りてきた。

尾根と沢を横断する、不思議な山歩きが漸く終わった。下山した場所には、鹿柵が延々と張り巡らされて、車道に復帰するのに難渋した。微かに下方に隙間の在る箇所を発見し、ザックを柵の上から放り投げ、人体は腹這いになって、匍匐前進しながら柵の下に潜らせていく。文字通りの、ほうほうの態になって、漸く脱出した。

長閑な田園地帯に帰還して、強い陽差しを浴びながら、車道を辿る。千手観音堂で休憩し、約一ヶ月ぶりの若御子神社に到着すると、今日は観光客で賑わっている。清雲寺の枝垂桜は絶頂かと思いきや、少し盛りを過ぎたか、若芽混じりの満開だった。しかし、枯木の境内を眺めた先月のことを回想すると、目を見張るような見事な光景である。樹齢六百年のエドヒガンザクラは、老木らしく突っ支い棒に支えられながら、独特の形状で花を咲かせていた。

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心地好い疲労感の儘、花見を終えて、武州中川駅迄歩いていく。秩父鉄道の電車は先程出てしまったばかりなので、駅付近の酒屋で私は缶麦酒を買い求め、kz氏は珍しく缶チューハイを購入して、駅に戻った。

武州中川駅前の自転車置場にも桜並木が在り、ソメイヨシノは見事な満開であった。御誂え向きに設置されたベンチに座って、ささやかな乾杯をする。陽光が逆光になり、見上げる桜の花が眩しい。都心に居ても、こんな花見は味わうことが出来ない。長閑さに浸って、其の儘沈み込んでしまうような、弛緩した気分で、私は至福の紫煙を燻らせる。程よい待ち時間が過ぎて、遠くで踏切の音が聞こえる。やがて、ローカル線が茫洋とした雰囲気で到着し、今日の山歩きが、ゆっくりと終わった。

弟富士山、明ヶ指の卵水、清雲寺の枝垂桜。(前篇)

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富士山と名づける御当地の山は幾多も在るが、弟富士山と云うのは珍しい。弟とは謙虚な響きにも感じられるが、二番手を主張する頑なさのようにも聞こえる。読み方は「おとふじやま」で、山麓には勿論、浅間神社が在る。標高は386mで、秩父鉄道、武州日野駅の直ぐ南側に、寄り添うように盛り上がっている。標高290m前後の武州日野駅から眺めると、余りにも近い所為か全容は判らず、雑木林のようにしか見えない。

前回の秩父行からひと月近く経って、kz氏とふたたび再訪することになった。前回の山行の途上で見た、「明ヶ指の卵水」の道標が気になると云うkz氏。地図で確認すると、安谷川に沿って山深く入ったキャンプ場付近に、其れは在るようだが、山道を行く訳では無い。

弟富士山に登り、卵水を視察してから、尾根を二つ横断して、若御子神社の隣に在る、清雲寺の枝垂桜の見物に行こう、と云う、少々風変わりな本日の行程である。四月に入ってから雨が続き、春寒は大袈裟だが、少々冷え込んだ。四月も第二週になって、都心の桜は新緑になってしまったが、秩父の桜は未だ見頃ではないか、と云う目論見でもある。


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2017/4/13
武州日野駅(8:20)---虚空蔵岩---弟富士山(9:00)---浅間神社---明ヶ指の卵水(10:10)---事上沢左岸尾根上の新秩父線72号送電鉄塔(10:50)---事上沢左岸尾根の極細尾根往復---事上沢---事上沢右岸尾根上の新秩父線71号送電鉄塔直下伐採地(12:25)---事上沢右岸尾根---千手観音堂(14:35)---清雲寺---武州中川駅(16:20)

御花畑駅を出た秩父鉄道の電車に、小学生が数人乗車して、何処かの駅で一斉に下車していった。其れで、平日の朝なのだな、と思い返した。陽光が注いで明るい、古びた武州日野の駅前に出ると、満開の桜が立ち並んでいたので、目論見は早速成就した模様である。武州中川方面に少し戻ってから踏切を渡ると、既に弟富士山の裾を歩いている。浅間神社とは逆の方角に遊歩道が設置されていて、カタクリ自生地の標識が在る。kz氏の提案で、取り敢えず見物していくことになった。

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武州日野駅の歩廊からも確認できる、連続する赤い鳥居をくぐって、歩を進めていく。風穴稲荷の小さい社が在り、何処迄も富士山を意識させるが、風穴らしきものは見当たらない。遊歩道が下ると、左側に緩やかな斜面が広がる。北面の朝なので薄暗い片栗の自生地には、一見して何も見当たらない。もう終わっちゃったのかなあ、と嘆息気味にkz氏が呟く。其れでも、少し先に進んでいくと、萎れかけた片栗の花が散見されるようになってきた。しかし、花を愛でる感覚の無い私は、kz氏のガイドに、曖昧に頷くだけであった。

弟富士山の北側の裾を捲いて歩き、武州日野駅のプラットホームも途切れて、左手に虚空蔵大菩薩と銘打たれた社が現われる。弟富士山と云うこんもりと立っている山肌に、稲荷神や虚空蔵菩薩が、張り付くようにして祀られている。富士山の代替品である富士塚の、少し大掛かりなものだろうかと云う、弟富士山に就いての考えが、少し揺らいでくる。

其れにしても、北面の裾は余りにも薄暗い。陽の当たる線路沿いの桜を遠目に見ながら、何とも云えない燻ったような気分である。朽ち掛けた道標に、弟富士山の記載を認めて、どうやら浅間神社に戻らなくても、登山道が整備されているようだった。民家の脇を縫うようにして小径が続き、左に旋回して勾配になった。虚空蔵大菩薩の裏手に廻って、山道が続いている。丸太を模した人工のステップが、枯葉に埋もれている。勾配が上がるに連れて、徐々に北面の鬱蒼とした雰囲気が和らいでくる。其の所為か、此の周囲の斜面に咲く片栗の花は、少しだけ精気を感じさせる。

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陽の当たる尾根上に立って、漸く開放感に満ちた気分になった。雑木林は未だ枯木で、春浅い山の風景である。十数分しか歩いていないのに、麓の桜並木の風景とは一線を画しているのが、とても不思議な気がする。尾根に合流した処には石標が在り、五合目と刻まれている。一合目は何処だったんだろう。kz氏が云った。

尾根道を東に向かって歩くと、間も無く二手に別れる分岐点が在り、弟富士山と虚空蔵岩が記されている。左廻りの虚空蔵岩方面に入ると、ふたたび北面の斜面を、か細いトラバース道が刻んでいる。程無く、弟富士山北尾根とでも云うべき尾根に乗り上げると、明るい広場に小さな祠が鎮座している。其の先を北に下ると、一気に眺望が広がり、造形的な巨岩が屹立していて、其れが虚空蔵岩だった。

全く期待していなかったので、此の眺望は胸のすくような気分になった。眼下に広がる盆地に、ローカル線の鉄路が、桜花に沿って続いている。小学校の校庭が、桜に埋もれている。虚空蔵岩に凭れて、広大な秩父盆地を見下ろしながら、紫煙を燻らせる。雑木林のような、とか、富士塚の少し大袈裟なもの、などと軽視していた弟富士山に、余り莫迦にするものではないよと、嗤われているような気がした。

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尾根を引き返し、改めて弟富士山の頂上に向かって歩く。小さな祠の広場から、一分足らずで、浅間神社奥ノ院が在る頂上に達した。周囲は潅木で何も見渡すことは出来ないが、虚空蔵岩の眺めに圧倒された私は、社殿に参拝し、内心で非礼を詫びる。

其の昔、敬虔な富士信仰の徒が、此の山に氏神様を祀った。そして、六月の在る日に雪が降り積もる、と云う天変地異的な現象が起こり、以来「弟富士山」と称して神域となった、と云うのが山名の謂れであると云う。

練馬区の江古田駅から程近い浅間神社内に、江古田の富士塚、通称江古田富士が在る。突然話が江古田になってしまうが、私は学生時代に、小竹町に下宿していたことがある。銭湯に行く道すがら、浅間神社の前を通るので思い出した。改めて富士塚の江古田を調べると、此の神社の所有権を争っていた小竹町と江古田町が、夏に降雪が起こると云う天変地異に驚いて争議を中止し、共有することになったと云う伝説があることを知った。なんだか此の話、富士塚と較べる非礼を詫びた後で恐縮だが、弟富士山の話と、よく似ている。富士山信仰が、自然の計り知れない驚異、と云うような教訓が加味されて、長く敷衍してきたとすれば、伝説の類似にも頷くことが出来る。

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通例の登山道と云える、東側の浅間神社に至るコースで、下山を開始した。東北東に真直ぐ続いている尾根を下り、北面の山肌に進路を変えると、あっと云う間に、浅間神社に降り立った。虚空蔵大菩薩から登り始めて、途中でゆっくり休憩もしたが、此の間の所要時間は約40分程度であった。休まずに踏破すると、其の半分くらいで済んでしまうかもしれない。そんな山ではあったのだが、其れでも何故か、異界から帰ってきたような、時間の概念を忘れさせるような気持ちになったのは、霊山の効果であろうか。

車道に出ると、人の気配の無い農村風景である。暖かい陽が射し、微風が満開の桜を揺らせている。時刻は、朝の九時を過ぎたばかりである。此れで山は登ったね、kz氏が山行の区切りを確認して、満足気に云った。そうして、弟富士山の南側に沿った長閑な舗道を、ふたりで歩き始めた。

若御子山・大反山

西武秩父の駅前で、朝陽の斜光を浴びて聳える武甲山を眺めながら、紫煙を燻らせていた。気持ちのよい好天である。今日も秩父鉄道に乗車するために、西武線の果て迄やってきた。ハイキングの為に秩父鉄道に乗り換えるなど、今迄は思いつきもしなかった行程だが、前回の釜伏山で憑き物が落ちたような気分になり、もう何と云うことも無い。徒歩で移動した御花畑の駅に、立ち食い蕎麦屋が二軒も営業しているので少し驚く。乗り換え時間に余裕があるので、掛け蕎麦を食す。濃厚で少し甘い蕎麦つゆの味に、何故か、遠く迄来たのだと云うような感慨が湧いてくる。

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2017/3/19
武州中川駅(8:05)---若御子神社(8:25)---国見の広場(9:50)---若御子山(10:55)---大反山(11:35)---クタシノクビレ(11:50)---捲き道途上の伐採地で休憩---事上沢右岸尾根---昌福寺---武州日野駅(14:10)

ローカル線のイメージとは程遠い、ステンレス製の電車に揺られる。武甲山が右から左へと車窓を移動して、浦山口駅に停車すると、少なかったハイカーの徒が下車していった。武甲山に登るのは、こっちが楽だからなあ、と、kz氏が呟く。浦山ダムの壁を見上げながら、電車はゆっくりと右にカーブして、武州中川駅に停車した。我々は下車すると、島式ホームの先端から線路を横断して、人の気配の無い駅舎に向かって歩いていった。

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休暇中のkz氏を誘って、前回に続いて秩父の何処かに行こうと云うことになり、明確な目的地が浮かばない儘、私は秩父さくら湖の畔に在る尾根の、若御子山に行こうと思い立った。麓の若御子神社は、釜山神社同様、御眷属としてオオカミの狛犬が居ると云う。其れを見物して、昭文社の登山地図にはルートが記されていない若御子山に登る。kz氏も未訪の地と云うことなので、好都合である。

早春の田園地帯をのんびりと歩き、住宅が散見する小径で、高齢の男性に声を掛けられた。秩父札所巡りの途中で、道が判らなくなったと云う。力添えが出来なくて申し訳なかったが、改めて、秩父に居るのだな、と思う。程無く若御子神社に到着し、素朴な風貌の御眷属の像を眺め、境内に入った。

隣接する枝垂桜の名所である清雲寺に、若御子山遊歩道案内図と云う、官製の案内板が在った。若御子山に至る尾根の途上、国見の広場と名づけられた606mピーク迄、此の若御子神社から遊歩道が続くと示されていた。其れに従って、神社から始まる登山道を探した。此のルートが登山地図に載っていないのは何故なんだろう、そんなことを呟く。断層洞とか神社とか、記載するものが多くて、ルートを書くスペースが無かったんじゃないかなあ。kz氏が素朴な見解を述べた。

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境内の脇から木段が始まり、盆地を二分する断層で構成されていると云う山肌を、立派な手摺りと木段が、延々とジグザグに登るように続いている。途中の若御子断層洞を見物して、整備された歩道は終わるのかと思いきや、案内図の通りに、其の儘国見の広場迄続いていた。ふらりと訪れた観光客にとっては、過酷な傾斜と長さである。

標高606m、国見の広場には櫓の展望所迄設置されているが、樹林に阻まれて眺望は無い。何にも見えないじゃないかと、笑いながらkz氏が云った。植林の都合とは云え、国見の広場と命名しているのに此の有様は御粗末で、此処を目的に登って来た観光客は失望するだろう。小休止の後、我々は南へ続く尾根の上を歩き始めた。

途上に在る標高600m圏のピークを捲いて、最初の鞍部に踏路が交差していた。若御子峠と記されている場所である筈だが、道標がぽつんと立っているだけで、峠の表記は無い。此処から南へ直進する尾根上の道が、若御子山に向かうルートであるが、登山地図には記されていない。手製と思しき錆び掛かった鉄板が木に括られていて、矢印と、若みこ山、と書いてあり、小さい文字で落書きのように、行くな、と付け足してあった。kz氏が大袈裟に、何だ此れは、と声を上げた。

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尾根上を進んでいくと、平坦地に建物の基礎部分のような遺跡があり、此処が遷座される前の若御子神社ではないか、とkz氏が云った。西側に自然林が立ち並び、樹林越しに広がる谷間を眺めながら先に進むと、間も無く崩壊した木造の社が出現した。先程の基礎部分跡と程近いので、此の周辺が旧若御子神社だったと云える。

若御子神社の創始は神武天皇を祀ったとされ、若御子の名は、神武天皇の別呼称、「若御毛沼命」の若御毛に因むと説明されている。由来が伝説上の人物であるので信憑性に難は有るが、歴史が古いことは確かで、奈良時代の話である。そして、先程参詣した若御子神社の本殿は、大正五年に移転された場所であり、其の前は、山上の地に在ったと説明されている。若御子神社は戦勝と武運長久を、名のある武将たちが祈願したと云うことで霊験あらたかと云うことになったようで、其の反動で攻撃されることも多く、遷座の繰り返しを経て、若御子十二社権現宮と称され本宮を設置した場所が若御子山と呼ばれるようになった、と云う説明になっている。此れが室町時代のことである。

現在の登山地図に記されている若御子山に、未だ到達していない筈だが、社殿の残骸が在る此の場所が、若御子山と呼ばれていた箇所なのだろうか。尤も、今歩いている尾根は延々と南方に続き、標高を上げ続けている。若御子山、と云う実体が何処なのかと云うことにこだわること自体、少し無理があるのかもしれない。

遺跡の在る平坦地から、更に歩いていくと、人為的に造られたようにも見える掘割状の窪地が在り、其れを越えて、傾斜の途中に赤い鳥居が現われた。トタン屋根の下に、小さな木祠が三つ並んでいる。ささやかな風情だが鳥居は立派である。此処も若御子神社だったのだろうかと考え込んでしまうが、よく判らない。鳥居の先は険しい岩の山であるから、此処から若御子山と云う神域に入るのかな、などとも感じる。取り敢えず参拝して出発すると、いよいよ尾根は急勾配になっていった。

此の辺りの地形図を見ると、若御子山に延びる尾根の、秩父さくら湖側に、険悪な崖の印が在る。頂上直下はどのようになっているのかと、不安も感じていたが、其処に行き着く前に唐突に、行く手を遮るようにして、巨岩が鎮座しているように屹立していた。踏路は岩の右手に在るのだが、とにかく大きい岩である。

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ザックを下ろして休憩し、試しに巨岩の左手から空身で登ってみることにした。足掛かりが確保できて登れるのかと思ったら、あと少しの処で立ち行かなくなった。と、思ったら岩の向こうから、反対側から楽に登れるよ、と云うkz氏の声が聞こえてくる。首肯して引き返し、改めて巨岩の南側から登る。尖塔の上に立つと、地形図の示す通りの崩壊した岩尾根が東に向かって延びているのが伺えた。しかし、秩父さくら湖の湖面を望むことは出来なかった。

ふたりで巨岩の上で休憩し、爽快感に浸っていると、人の声が近づいてきたので驚いた。行くな、の警告は其れ程大袈裟とは思えない瓦礫場であった。近づいてくるのはベテランのハイカーなのかと思ったが、現われたのは軽装の男女ふたり組であったので更に驚いた。若御子山から下山の途上と思しきふたり組は、岩の上の我々を黙殺して去って行った。

瓦礫場はピンク色のテープが散見されて、踏路を誘っているが、足元は砂礫で滑りやすく、やや難渋するが、私は忠実にテープの方角を目指して登っていった。振り返ってkz氏を確認すると、瓦礫場を直登せずに右手にトラバースしていくのが伺えた。岩の連続から急傾斜の直登になり、ロープが渡されている手前でkz氏と合流し、あとは斜面をひたすらに登り続けた。急勾配の厳しい登りだった。そして、登りきった処が標高730m圏、山名標に記載されているのは735mの、若御子山であった。

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山頂は植林に囲まれた薄暗い処だったが、北面に開けた箇所が在り、秩父さくら湖と、武甲山の姿を眺望できる。其の前景には、地形図の崖印の通り、見事に崩壊した岩尾根が横たわっていた。若御子山が何処であったのか、諸説あるようだが、此の山名標の在る、尾根の肩のような地点に立ってみると、遥か昔は、周囲を睥睨するかのように、見晴らしの利く、要害の山だったのではないかとも想像できる。

主題であった若御子山に達したが、植林に覆われた薄暗い尾根筋を歩き始める。麓から延びる尾根が合流していく先に在る大反山を目指してから、帰途に就く予定である。麓の千手観音堂付近から続いている、登山地図に記載されたルートは、標高684m点を経て尾根を登っていく。我々の歩いている、若御子山からの尾根が、徐々に其れに合流しようとする頃、急勾配の様相になってきた踏路が、次第に尾根の左側を捲いていくようになった。捲きながらも苦しい登りが暫く続いて、漸く尾根上に乗ると視界が開ける。尾根の合流点は茫洋として広く、登山道が合流するような道標も無かった。

其処から緩やかに登っていくと、全方位を植林で囲まれた、何の変哲も無いピークに達して、其処が大反山であった。何の眺望も無いのは事前に確認済みなので承知していたが、標高853.7mの、三角点が在るピークである。測量されていた頃は自然林に囲まれて、見晴らしの良い山だったのだろうか。麓から眺めると、武甲山から連なる山々の中に、顕著なピークとして大反山を確認できる。其の頂点に立ったことに満足することにして、我々は下山の徒に就く。

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大反山から南側に下った鞍部が、クタシノクビレ、と云う奇妙な名前が付いているので、其れを確認しようと云うことになった。「動詞クタツ(降・斜)の連用形でクタシとなったものと思われ、意味は傾斜地」(kz氏のブログより)と云うことのようだが、鞍部は傾斜している訳でも無く、何処がクビレているのかも不明であった。

大反山の西側に在るトラバース道を経由し、唐突に広大な伐採地が現われて、送電鉄塔が立っていた。麓の方から微かに、正午を知らせるメロディが聞こえてくる。お誂え向きの休憩場所に、丁度良いお昼時であったので、其処で大休憩となった。

春浅い山懐の風は、未だ冷たさを残しているが、遮るものの無い伐採地に居ると、降り注ぐ陽光を浴びているので暖かい。食事を摂りながら、今日の行程を反芻して、kz氏と語り合う。そしていつしか四方山話になって、のんびりとした儘、心地好い時間が過ぎていった。

7

追記

下山ルートは登山地図記載の尾根と云う漠然とした予定だったが、大反山西側を捲いて、其の儘分岐する事上沢右岸の尾根を下っていくことになった。登山道や道標の無いバリエーションルートである。西北西に延びる顕著な尾根は、右手に自然林が立ち並ぶ好展望の道で、存外に快適な山歩きとなった。次第に支尾根が派生するが、正確に進路を取り、下降地点の昌福寺に至る。墓地との境界には鹿柵が在り、結局境内には入れず、其の儘鹿柵に沿って、最後は林道に飛び降りた。のどかな田園地帯の舗装路を歩き、武州日野駅迄歩く。駅に着いた時、重厚な汽笛が聞こえて、丁度「SLパレオエクスプレス」のC58が通過する処だったので僥倖だった。



付記

若御子山について。
kz氏のルポ。若御子山、若御子峠に就いての考察。

皇鈴山・釜山神社・釜伏山(後篇)

A


埼玉県東秩父村と皆野町の境界線を、標高六百メートル程度の山々が縦断している。奥武蔵の山と同じように、此処北武蔵も山上に舗装路が整備されているので、自然の奥深い処に居ると云う感興は無い。皇鈴山から緩やかな起伏を繰り返して登山道を歩いていくと、県道361号が程無く合流した。尾根筋に盛り上がりが見えると、県道が左に、そして林道が右に、ふた手に別れて逸れていく。真ん中の道を登っていくと、左手に電波塔が現われて、程無く小高い山の頂上を判別できるような空が広がっていた。標高668mの登谷山である。

県道に沿ったハイキングコースを歩いてきて、通過点のひとつである此の山には、全く期待することなど無かったのだが、頂上広場に立つと、其の眺望は素晴らしかった。北東方面に広がる関東平野の彼方に、赤城山から日光連山が連なっている。北関東の風景を、文字通りに一望できる。自家用車で簡便に登ってこられる山だと侮っていたので、望外の景色に絶句した。

Kamayama_map

2017/2/26
打出バス停(8:40)---二本木峠(10:05)---愛宕山(10:30)---皇鈴山(11:00)---登谷山(12:10)---釜伏峠---釜山神社---釜伏山(14:15)---日本水---塞神峠---仙元峠---植平峠---金ヶ嶽(15:50)---野上駅(16:40)

登谷山から尾根伝いに歩いて、三角点の在る657.7m峰に向かうのも一興だが、登谷山から確認すると、其処は電波塔のようなものが立っているピークで、植林に囲まれ鬱蒼としているようにも見えた。其れで整備された木段を下り、境界の尾根から外れることにして、県道に合流した。廃業した登谷高原牧場の敷地には、ソーラーパネルが埋め尽くされている。其れを右手に見ながら車道を歩いていくと、左手に眺望が開けて、遠く彼方に、忽然と浅間山が浮かんでいる。突出して聳える銀嶺が出現し、kz氏と私は思わず立ち止まり、其れを眺めた。

さて、懸案の釜山神社に到達する迄、随分時間が掛かってしまった。登谷山からの絶景は見事であったが、此れは余禄に過ぎない。天候は安定しているが、徐々に薄曇に転じようとしている。ハイキングの気分が、徐々にミステリアスなオオカミ信仰の聖地を訪問する、という心境に変化していく。県道の舗装路を下っていくと、車道が交錯する地点に到達し、其処が釜山峠であった。神木に覆われた薄暗い処に参道が在り、奥へと続いている。

参道の途上に、狛犬のオオカミが、灯篭のように幾つも対峙するように配置されていた。岩に手を掛けて、睥睨する姿勢のオオカミ像は、何れも肋骨を表現する彫刻が施されている。顔付きは多様で、目が攣り上がったもの、驚いたように丸い目をしたもの、耳が折れている草臥れた犬のようなものも居る。ETV特集「見狼記 ~神獣ニホンオオカミ~」では、雨が降る山奥の社殿に、祝詞を唱える宮司の声が響き、オオカミ狛犬の顔が断続的に挿入されると云う、神秘的な雰囲気で映像化されていた釜山神社だが、実際に踏み入ってみると、其のような厳かな感じでは無い。テレビの演出と云えば其れ迄であるが、本殿の建物も想像していたよりも小さくて、こんなものか、と思ってしまったのも事実である。

C

御眷属と云う神の使いから転じて神格化されたオオカミは、お犬様、大口真神などと呼ばれる。其の信仰儀式が、御炊き上げである。お犬様に捧げる御飯の入った米櫃を、宮司が背負って奥宮に登る。奥宮は、釜伏山の山頂である。登山口は社殿の左手に在り、尾根の勾配に道が続いていた。私は気持ちを鎮めて、厳かに登り始める。直ぐに尾根が平坦になって、木立の向こうに、こんもりと丸い山が聳えている。名前の通り、御釜を伏せたような山容であった。

岩の急勾配も直ぐに終わり、釜伏山に呆気なく登りついた。山頂には石の祠が鎮座して、其の前に結界のしめ縄が渡っている。天然の苔蒸した岩に、オオカミ像が一対、祠の前に相対している。奥宮のオオカミは、丸みを帯びた体躯に、顔は平面に書かれたかのような、シンプルな造形であった。其れ故に、いろんな解釈が出来るような表情にも見える。

E

石祠の在る山頂からは、全く眺望が利かないが、参詣を終えて、釜伏山の北端に出ると、寄居方面の眺めが広がっていた。鬱蒼とした神域では、天候は崩れていくのかと思う程だったが、此処から眺める景色は、穏やかな青空の下に、風布(ふっぷ)地域を構成する里山が横たわっている。其れ等の山々自体が、現世を表現する市街地と、いにしえの風習を包容する釜山神社とを隔絶する、結界のようなものにも思えてくる。しかし、釜伏山の尾根は北東へ、緩やかに続いているが、興醒めなことに、此の尾根の下には、「秩父やまなみ街道」と云う有料道路がトンネルで貫かれており、尾根が落ちていく処には寄居風布と云うインターチェンジも在る。お世辞にも、ニホンオオカミが御炊き上げの御飯を食べに来る、と云うような雰囲気では無い。

我々は、北面を下降して、ふたたび釜伏山の山腹を捲いて、西側に在る隣の尾根に移る予定である。途中で、日本(やまと)水と云う湧水地を通る筈である。改めて、kz氏が退屈していないかと、少々気詰まりだったが、釜伏山北面の登山道は、急峻の岩場にロープが設置されていて、其れが楽しいと云って呉れた。

釜伏山周辺は、地形図や登山地図を眺めても、特に感興の湧かないような場所に見えたが、kz氏が愉しんで呉れたので安堵した。そして、念願の釜山神社に参詣できて満悦であった。岩場をジグザグに辿る急坂の途中で、釜伏山を振り返ると、こんな処であったかと思う程、険しい岩山であった。

F


追記

釜伏山の北面を降りて、鞍部に降りると、日本水の水源地への分岐点が在った。岩盤崩落の危険性を考慮し通行止め、と書いてある看板が立っている。目を見合わせてどうするかと逡巡する我々であったが、今降りてきた急崖を戻るのも億劫であるので、取り敢えず様子を見に行くことにした。道中は山腹のトラバース道で、特に踏路が崩壊している訳では無かった。程無く断崖の下に在る日本水の水源地に着いてしまった。岩盤を見上げると、成る程縦に大きな亀裂が入っていて、長居の出来ない恐怖を感じた。のんびりとペットボトルに日本水を入れている私を見て、焦燥気味の表情でkz氏が、早く行こう、と云った。

随分回り道をしてから県道361に戻り、塞神峠から寄居町と長瀞町の境界尾根の山道に入る。ピークを捲いて植平峠に至り、西に方向転換して尾根に沿って下っていく。途上に在る金ヶ嶽に春日神社の奥宮が在るのだが、想像以上に大きな建造物なのが意外だった。其の後の下山路は倒木が頻発し、沢を渡渉して難渋しながら歩いた。

下山した処には立派な春日神社の鳥居と、金ヶ嶽の謂れが記して在る看板が在った。秩父鉄道の野上駅に到達した頃は、既に夕刻の陽の傾きだった。野上駅から正面に金ヶ嶽が端整な姿で聳えているのが眺められる。武蔵七党のひとつ、丹党の根拠地であった可能性を、春日神社の看板に記してあったが、さもありなんと云える雄姿だった。



付記

皇鈴山・釜山神社・釜伏山(前篇)

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土曜日の朝である。つい先程まで夜だった街の余韻が、払拭されない儘の気怠さに覆われているような雰囲気の、池袋駅西口は閑散と云うのとは少し違う、不思議な静けさを醸しだしていた。東武東上線の改札口に近い駅前の路上で、私は紫煙を燻らせている。自分がこれから山登りに行くと云うのが、とても不自然なことのように思えてくる。七時丁度の発車である、快速急行小川町行きに乗車すると、弛緩した空気の車内は、部活に勤しむ高校生と、巨大なゴルフバッグを抱えた中高年の紳士が散見される程度であった。ハイカー姿の徒は、全く見受けられない。

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2017/2/26

打出バス停(8:40)---二本木峠(10:05)---愛宕山(10:30)---皇鈴山(11:00)---登谷山(12:10)---釜伏峠---釜山神社---釜伏山(14:15)---日本水---塞神峠---仙元峠---植平峠---金ヶ嶽(15:50)---野上駅(16:40)

数年前に観た、NHKのETV特集「見狼記 ~神獣ニホンオオカミ~」の印象は鮮烈だった。秩父山中で遭遇した謎の野生動物は、絶滅した筈のニホンオオカミではなかったか。其れを証明する為、狼発見に奔走する人物が主軸となったドキュメント番組であった。尤も、ニホンオオカミは生存するのか、と云うような、謎めいたことに、興味を持った訳では無い。

秩父三峯神社を筆頭に、御眷属、神の使いとして信仰の対象となっている「お犬様」は、ニホンオオカミのことであると云う。番組の中で、埼玉県の住宅街に在る、村落の時代から続く数世帯の集落で行なわれている「お犬様」への供物を捧げる「御炊き上げ」の場面があった。共同体の人々の中からは、時代に合わないからやめようか、と云う提案もあったが、「やめたらどんなことが起こるか判らないから」と云う理由で継続されていると云う。

人間には計り知れない、自然の恐ろしさ。東日本大震災で圧倒された、そんな畏怖の境地は、時間の経過とともに、ふたたび忘却されつつあるように感じられる。私が惹かれるのは現世利益とは程遠い、畏怖の念で信仰されるオオカミと云う御眷属の神聖さ、崇高さである。オオカミ信仰の精神性は、日々を無為に生きる自分に対する戒めのようにも思える。

そんな思いを馳せつつ、番組の中で、クローズアップされた場所のひとつである、オオカミ信仰の聖地、釜山神社を、ずっと訪れてみたいと思っていたが、今日迄実行することが無かった。

北武蔵と称されるエリアは、都心から行こうとすると随分遠い。周辺を巡る公共交通機関は、秩父鉄道とJR八高線であり、いずれも都心に直結しない路線である。小川町、寄居に向かう東武東上線を利用することになるが、登山、ハイキングの為に池袋から乗車すると云う発想が、先ず浮かんでこなかった。

更に、目的の釜山神社と、宮司が毎月敢行している儀式「御炊き上げ」の舞台であると云う、奥ノ院が在る釜伏山は、何れの駅からも歩いて行くには随分遠い。勿論、歩くのが嫌だと云うことでは無く、其処に至る迄の歩行ルートを検討すれば、如何様にも計画は出来る筈であった。しかし、山登りの為に東上線に乗ると云う発想が無かった為に、釜山神社に行くと云う発想も、出てこなかったのである。いつか、誰かと自動車に乗って訪れることもあるんじゃないか。そんな茫漠とした思惟の儘になって、其の儘になっていると云うことである。

釜伏山を目的地にすると、寄居駅からの車道歩きはコースタイムで三時間掛かる。此れは論外である。秩父鉄道に乗り換えて波久礼、野上の両駅から歩くと云うことも考え得るが、余り食指が動かない。小川町や寄居くんだりまで来て、更にローカル私鉄に乗り換えると云うのが、億劫と云うよりも、其の遠さが想像されてきて、面倒になる。其処迄手間を掛けて行った先に在るのは、せいぜい標高が500mくらいの山々であるから、気持ちが高揚してこない。

1

長期の休暇中であると云うkz氏と、久しぶりに山歩きをすることになった。何処かに行きましょうと云うお誘いを掛けてから、何処に行くのかを考えると云う順序である。暫く思案してから、釜山神社のことを思い出した。いいですよ、行きましょう。kz氏の簡便な返事は、行程を任せると云う意味なので、私は具体的なコースを考えることになる。北武蔵迄行くのは億劫。そんな気持ちが、kzを誘うことにより、兎に角行くのだと云う意思に転化していった。東上線で小川町迄行き、其処からバスに乗って、一旦北武蔵エリアを南下し、釜山神社を目指して北上していく。そんな行程を選ぶことにした。

閑散とした車内に、陽光が差し込んで暖かい。都幾川を渡る鉄橋の音で目を覚ますと、車窓に山並みが遠望された。東松山に到着する頃合なので、随分眠ったようである。快速急行は此処から各駅停車となり、丁度一時間を掛けて小川町に到着した。新宿から青梅や上野原に行く所要時間と同じであるのに、随分遠く感じる。駅前に出ると、早めに到着していたと思しきkz氏が居て、バスはもう来てるよ、と云った。

小型車両のイーグルバスに乗ると、間も無く発車した。廃れた往年の商業地の街並みを抜けて、山里を淡々と走るバスが東秩父村に入った。内手(打手)と記されたバス停で下車する。車道の向こうに田畑が広がっている。其の向こうに見える里山に向かって、農道を歩き始める。釜山神社に至る行程は、「外秩父七峰縦走ハイキングコース」の途上にある、二本木峠を目指して登っていくことになった。外秩父七峰を踏破する行程はフルマラソンと同じような距離であると云う。二本木峠は、其の終盤に掛かるような地点である。

2

蛇行する車道をショートカットして、畑地の脇に設えられた道を歩いていく。kz氏が立ち止まり、おお、福寿草の群落、と云った。路傍に咲く小さな黄色い花は、花弁が開いたものやそうでないものなどが雑然と並んでいた。車道と離れたり出会ったりが繰り返されて、漸く植林帯の山道になる。面白味の無い登りが続いたが、顕著な尾根が合流してくる辺りで、自然林の枯木が周囲を支配するようになった。登山道の尾根が明るくなり、踏路は勾配を緩やかに蛇行しながら続いている。

雑木林の尾根の右側に登山道が沿っていくようになり、やがて拓かれた草地が現われる。昔は牧場だったんじゃないかな。kz氏が云った。遠くに微かな物音がする。車道が近くなってきているようである。牧場跡を過ぎて、尾根を跨いでトラバースしていくと、電波塔が唐突に現われる。車道が交差する地点が、二本木峠だった。

実家が東武東上線の沿線に在ると云うkz氏は、山登りを始めた頃、頻繁に北武蔵周辺の山を訪れたと云うことである。二本木峠は、無為にやってきた自家用車連中が行き交うような処で、彼にとっては食傷気味の山行になってしまったかなと内心で気を揉むが、此処迄来てしまってからではどうしようもない。山躑躅が綺麗だと二本木峠の看板には記してあるが、冬枯れの季節には関係が無い。此れから登る、三角点の愛宕山から、山稜となって連なる皇鈴(みすず)山、登谷(とや)山に向かうが、概念図を見ての通り、県道361号が尾根上を併行して走っているような山々である。私の目的である釜山神社の方角に連なっている、都合の良い尾根なのだが、こんな車道混じりの山道に、つき合わせてしまって悪いな、などと思いながら、ふたりで整備された木段を登っていった。

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程無く標高654.8mの愛宕山に登頂した。三角点と、関東ふれあいの道の石標が在るだけの狭い山頂であった。冬木立のおかげで、なんとか鞘越しに遠くの山々が望まれるが、明瞭ではない。ザックも下ろさずに、我々は北に向かって遊歩道のようなコースを下っていった。

鞍部を二本杉峠からの車道が貫いており、東秩父村と皆野町の境界になっていた。車の往来は殆ど無い静かな峠で、其の代わりに、サイクリングの徒が、喘ぎながら登ってくる。其れを見送ってから車道を跨いで、皇鈴山への登りになる。緩やかに続く尾根は、其れ程整地されている風でも無く、自然林が立ち並び、笹が足元に茂る道が続いていた。

殆ど期待していなかった山域なので、皇鈴山の頂上広場に到達して、其の眺望には驚いた。秩父市街を遮るようにして、蓑山が模型のように、こんもりと盛り上がっている。其の彼方に、久しぶりに眺める、両神山の鋸歯状の佇まいが美しい。奥武蔵の山々をkz氏と一緒に登った数年前を思い出しながら、私は紫煙を燻らせて奥秩父の遠望を堪能した。

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此処で少し早い昼食を摂った。次の登谷山迄のコースタイムが一時間程になっているが、実情は三十分の大休憩を含んでいる。人の声が向こうから聞こえるので、其の方角に歩いていく。皇鈴山の東側は、林道の終点となっている広場が在り、関東平野を見渡す展望所になっていた。遮るものの無い山頂広場には、アマチュア無線の徒が幾人も腰を据えて、何やら交信している。折角の展望が、其れで台無しになり、我々は早々に其の場を立ち去った。



付記


外秩父七峰縦走ハイキングコース


晴れのち山…時々妄想…「金ヶ嶽」
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