上州・谷川連峰

武尊神社から武尊山(後篇)

薄暗い北尾根から漸く稜線に出て、武尊連峰の一角を担う剣ヶ峰山に立った我々は、最高峰、沖武尊へと続く稜線に戻って、好天の登山道を歩き続けた。紅葉の断片が、夏山の緑と混淆しながら、秋の彩りに染めていこうとしている。しかし、陽差しを受けて歩き続けていると、徐々に暑さで疲労していき、絶景の稜線散歩と云う気分は、途中に在る鞍部を越えて、1975mのピークに達する頃には徐々に霧消していった。未だ着かないのか。そんな風情で眼前に聳える沖武尊を見上げている無言の友人、磨都井君の様子を、私は慎重に窺っていた。

此の儘稜線を進んだ先の、沖武尊山頂直下は急坂だと、ガイドブックには明記してある。そして、1975mピークから、其の急登の取り付き迄、延々と降りていかなければならない。沖武尊から須原尾根に下る途中の鎖場を怖れる余り、此の稜線をふたたび引き返し下山しようと云う友人の意思が、何処で揺らいでくるのか。其れは間もなくやってきそうな気配を感じる。折角の稜線歩きの途上なのに、同行者の機嫌を伺いながら奸佞の算段をしているようで気が退けるが、止むを得ない。


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2016/9/25
武尊神社(7:10)---林道終点駐車場(7:35)---武尊沢渡渉地点(8:50)---剣ヶ峰山(10:55)---武尊山(12:25)---手小屋沢避難小屋分岐(15:05)---林道終点駐車場(16:20)---武尊神社(16:55)

急斜面のジグザクの道に貼り付き、沖武尊の直截的な登りが始まる。踏路は砂礫になって、時折ずるりと滑るから、淡々と歩くと云う訳にもいかない。下山者が、及び腰で向かってくるのを避けてやり過ごしながら、息つく暇の無い急登を続けた。前武尊へと続く山並みが、低潅木に隠れていく。振り返ると、剣ヶ峰山が怜悧な姿で尖っている。圧倒的に広大な武尊連峰の懐で、自分が藻掻きながら壁を攀じ登っている蟻のように思えてくる。

砂礫の道が落ち着いて、進路は徐々に東面に向かい、尾根が合流した。中ノ岳方面からの登山道に、ハイカーが行き交っている。山頂の方向に、空が広がっている。ひと登りで、武尊山の最高峰、沖武尊の山頂に到達した。立派な風景指示盤が設置された頂上広場に、多くの登山者たちが食事を摂って休憩している。やれやれと云う気分でザックを下ろし、低潅木の向こうに広がる北側の風景を眺めた。日光白根山から皇海山迄、国境の山脈が連なっている。そして、此の武尊山を眺めて詠嘆した至仏山と、ひと目で判る燧ケ岳の、尾瀬の山々が遠くに浮かんでいた。

磨都井君が腰を下ろすこともせず、立った儘パンを齧っている。私は、殊更にのんびりとジェットボイルを取り出して、湯を沸かし始めた。カップ麺に湯を注いでから、出来上がりの間に煙草に火を点ける。いつか登った至仏山のことなどを話題にするが、友人は生返事である。私は此処で、下山はどうするか、と云うようなことを、努めてどうでもいいような口調で訊いた。内心では、此処迄来ても、彼が鎖、梯子を忌避して引き返すと云ったら、別行動を提案する積もりであった。

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結局は、剣ヶ峰山からの稜線アップダウンの疲弊が余程堪えたのか、磨都井君は須原尾根で下山することに同意した。其れで私は漸く安堵して、カップ麺を食した。午後一時を廻って、山頂のハイカーたちが次々に下山の途に就いていった。みんなあっちに下山していく。友人が不安そうに云う。あっち、とは、我々が向かう須原尾根とは反対側のことである。武尊山登山のマジョリティ・ルートは川場村方向なので当然と云えば当然なのだが、友人の狼狽ぶりは鬱陶しい限りで、仕方が無いので其の儘黙殺することにした。誰も居なくなった山頂から、改めて川場谷を挟んで広がる武尊連峰の眺めを堪能する。山々の遠い彼方に、関東平野が広がっている。武尊沢の奥深い谷底から登ってきた身にとって、其の山頂からの風景は、余りにも穏やかで、漠々たるものであった。

西側に延びる尾根に歩を進めて、緩やかな傾斜を軽快に下る。振り返ると、沖武尊の山肌に、紅葉が纏わりつくようにして色づいている。円盤が縦に突き刺さったように思えた剣ヶ峰山も、此処から眺めると綺麗な曲線の頂点が、人工的なまでに尖っていて美しい。風景に見惚れながら平坦になった踏路を進むと、やがて尾根の分岐に掛かるピークに達した。藤原武尊の名が付いている標高2040m圏峰を過ぎると、右手に急降下する岩礫のルートに入った。
下降していく尾根道の途中で傾斜が穏やかになり、左手に開けた箇所から、藤原武尊の断崖を横から眺める。暫く歩いていくと、正面に深い森の風景が広がった。須原尾根の連なる彼方に、峻険な山塊が鎮座している。白毛門から続く馬蹄形の山並みを前衛にして、谷川岳の奇怪な山容が広がっていた。展望所のようになっている断崖の上は、武尊山の高みから風景を眺める最後のポイントで、私は名残惜しい気分で紫煙を燻らせ、佇んでいた。すると、先に行ってる、と、落ち着かない様子で友人が云った。

展望所の右手から、岩混じりの道になり、程無く崖状になって、鎖が設置されていた。危険印がいよいよ始まった訳だが、臆していた筈の磨都井君は、率先して鎖を掴んで降下していった。見おろすと垂直の崖のようにも見える巨岩の割れ目を、慎重に下る。鎖が堅牢なので足場を確認しながら、ゆっくりと降りていった。いよいよ垂直になる箇所で、梯子が立て掛けられていて、其処に移動するのだが、此れが見るからに朽ち果てそうな古びた梯子で、却って肝を冷やした。

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其の後は四箇所の鎖場が在り、いずれも露岩を無理矢理に降下していく難所であったが、最初の古びた梯子が最も怖かった、と云うのが後になっての印象である。意外なことに、危険印にあれだけ腰が引けていた磨都井君だったが、腹を括ったようで、何事も無く難所をクリアしていった。

「怖がっていた割には、随分あっさりと下っていったね」
「崖の上にひとりで残ると、怖いからな」

判らないでもないが、やっぱりよく判らない。とにかく、無事に鎖場が終わったことで、奸佞を弄して此処迄彼を誘導してきた私としては、云いようの無い安堵感を覚える。岩礫の道はいつしか樹林帯の尾根道に変わり、須原尾根は緩やかに高度を下げながら続いていた。尾根上の標高は、まだ1800mもあるのだが、沢の音が随分近くに聞こえる。其れは不思議な感覚だった。尾根の分岐するピークを越えて、沢音は徐々に高まっていく。手小屋沢避難小屋を下に見る箇所に達すると、手小屋沢が直ぐ其処にあるのだな、と判った。

尾根から沢に、其の繰り返しを九十九折になって、須原尾根から武尊川へと下っていく。急速に傾いていく陽差しを浴びて、今朝通過した分岐点に戻った。獅子ヶ鼻山から延びる、対岸の尾根に、黄昏の余韻も無く、陽は隠れていこうとしている。我々は、往路に歩いた林道を歩き始めた。朝は車で埋め尽くされていた最奥の駐車場は、空っぽになっていた。

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其処から、ふたたび長い林道歩きになったが、友人の足取りが極端に遅くなった。とうとう持病の足裏痛がぶり返したようであった。愛車をダートに入れたくないと云って、最奥の駐車場迄を歩くことにしたのは彼の決断なので、此れも止むを得ない。私は、不機嫌になっていく友人の気配を感じながら、歩調を合わせるのに苦労しながら、ゆっくりと暮れていく林道を、歩き続けていた。

武尊神社から武尊山(前篇)

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上州の武尊山を初めて意識したのは、尾瀬の至仏山に登り、小至仏山に向かう途上の、心地好い稜線を歩いた時だった。笠ヶ岳に連なる山々の向こうに、ひと際目立つ鋸歯状の巨大な山塊が聳え立っている。 燧ケ岳を背景とする尾瀬の風景に傾倒していた意識が、唐突に現われた嶮岨な八ツ峰に惹きつけられた。八と云うのは多数を想起させる誇大表現ではない。最高峰の沖武尊を筆頭に、本当に八つの尖った峰が連なって屹立している塊りである。武尊と書いて、ほたか、と読ませる。武尊山は日本武尊伝説を恣意的に敷衍させようとしている、プロパガンダのような山名のように思われ、私にとっては余り好い印象を受けない山であった。其れが眼前に遠く聳える実物を眺めて、其の陰翳に満ちた峻険な姿に、見惚れた。

其れが二年前のことで、そんなに感嘆したのならば登ろうと思いそうなものだが、其の儘になって現在に至っている。スキーシーズンに活況を呈する川場村、片品村、共に武尊山登山への表玄関ではあるが、シーズンオフの公共交通機関でのアクセスは存外に不便で、裏口である、みなかみ町に分け入るのは殊更に困難である。其のうちに武尊山のことは徐々に忘却していった。

其れが突如、望外の山行となった。友人、磨都井君の登場である。自家用車を駆って遠出をしたいだけの彼の希望は、二年ぶりの尾瀬周遊であった。尾瀬沼にテントを張って酒盛りをしたいと云う彼の要望に渋々と応え、尾瀬沼ヒュッテの幕場に予約を入れようとしたら(尾瀬沼ヒュッテのテント場は完全予約制である)、九月の週末は全て満員の札止めとなっていた。尾瀬の木道に沿って散策するだけでは詰まらない。そう思っていた私は内心ほっとした。初秋の尾瀬は随分混んでいるようだと磨都井君に伝え、代替案を待つが明確な返事が無い。

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其の過程で、私は漸く上州武尊山のことを思い出した。尾瀬に行ったような気分になって、鳩待峠の分岐から県道水上片品線、別名奥利根湯けむり街道をドライブすれば、秘湯の湯ノ小屋温泉に入って近隣のキャンプ場で酒宴を開催できる。翌日は早朝から、みなかみ町側の武尊神社から、武尊山登山を敢行できるではないか。私は毎度御馴染みの深謀遠慮で、友人に代替案を伝えた。奥利根湯けむり街道、ドライブ、秘湯、のキーワードは存外に効力を発揮して、呆気なく武尊山登山実行の運びとなった。

2016/9/25
武尊神社(7:10)---林道終点駐車場(7:35)---武尊沢渡渉地点(8:50)---剣ヶ峰山(10:55)---武尊山(12:25)---手小屋沢避難小屋分岐(15:05)---林道終点駐車場(16:20)---武尊神社(16:55)

宝台樹のキャンプ場はお誂え向きのロケーションで、登山口に程近い武尊神社迄は車で数分であった。神社の先は幅の狭い砂利道の林道になっていて、車で進入すれば歩行時間を随分短縮できる筈であるが、愛車をダートに入れたくない友人は、其れを決然と拒否した。しかし、其れもまあ止むを得ない。雨上がりの晴天で清々しい武尊神社で参拝を済ませて、我々は林道を歩き始めた。

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武尊山藤原口のコースは、武尊川の源頭、沖武尊迄を遡るように続く谷筋を歩いていく。剣ヶ峰山から獅子ヶ鼻山に続く尾根と、沖武尊から西北に延びる須原尾根に挟まれた沢沿いのコースを、途中で渡渉して、厳しい勾配を剣ヶ峰山迄登り続ける。剣ヶ峰山からは稜線上を歩いて頂点の沖武尊に達する。帰途は須原尾根を下り、手小屋沢避難小屋の分岐点から尾根を外れて元の谷筋に、武尊神社に程近い位置に下山する。

合理的な周回コースである。其れを、時計回りにするか反時計回りにするか。昨晩のキャンプ場で、ほろ酔い加減で友人に伝えると、どういうわけだか冴えない顔色で、剣ヶ峰山から沖武尊のピストンだろうと云う。呆気に取られて何故かと訊くと、登山地図に記された、須原尾根の沖武尊直下の鎖、梯子の危険印が怖いと云う。厄介な問題が発生したな、と、私は内心で呟く。しかし、言下に其れを否定する愚は避けて、其の儘問題は棚上げにすることにした。渓沿いコースの往復は、途方も無い時間が掛かると云う認識の無い磨都井君も、実際に剣ヶ峰山迄歩けば実感も湧くだろう。

自家用車がたくさん駐車してある最奥の駐車場に、三十分の林道歩きで到達した。踏路が少し傾斜になって、程無く剣ヶ峰山と手小屋沢避難小屋方面の分岐点に着いた。少し休憩をしているうちに、後続の若者グループが到着し、我々と同じ沢沿いコースに向かっていった。其れから高齢者グループがやってきて、手小屋沢避難小屋、詰まり須原尾根の危険印方面に進路を取って去っていった。注目すべきは、続いてやってきた西欧諸国からと思しき外国人の夫婦と、おそらく小学生にもならない子供の三人連れであった。彼等は迷うことなく危険印方面に向かった。子供はヘルメットを被っていて、何事もないように淡々と歩いていった。私は磨都井君の表情を窺ったが、彼は無言の儘であった。

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武尊川に沿って山腹に刻まれた登山道は平穏で、アップダウンも無いので順調に歩を進めていく。雨降りが続いていた所為で、細い沢の抉れたところからも、勢いよく水が流れている。本流の武尊沢の渡渉を待つことなく、二箇所の渡渉があったが、踏路自体は淡々と続いている。地形図を眺めながら歩いていると、本来の渡渉点が近づいてくるのが判る。登山道は徐々に下り勾配になって、濠音が大きくなっていった。

分岐点から一時間で、武尊沢を渡渉した。疲労感も無く、あとは実直に尾根を登るだけである。そんな風に思いながら、取り付きからの急登も気にせずに、ひたすらに登り続けた。雨後の所為か、岩混じりの道は苔むしている。陽当たりの無い北尾根の底に、鬱蒼とした樹林帯が、山腹の傾斜に張り付くように展開していた。腐った倒木に苔が纏わりついている。其れ等が縦横に、踏路を塞ぐようにして倒れていた。気が付くと磨都井君が蹲って呻き声を上げている。どうしたのかと訊くと、倒木から突き出た細枝が、頭部に突き刺さったと云った。帽子の庇で、倒木が視界に入らなかったようである。其れを契機に、友人は不機嫌になった。

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湿った急勾配の道が続き、唐突に視界が開ける地点に到達した。青空を背景に、断崖の尾根を従えた沖武尊の、北側の尾根が屹立していた。武尊沢を挟んで、其れは直ぐ眼の前に聳えている。渡渉してから一時間弱のことであったので、急勾配を登り続けた成果だと云えた。眺望を得て、気分は爽快になったが、其れからが大変だった。登山道は崩壊した薙ぎを縫うように、岩場をトラバースしては登り返す、と云うような様相になった。抉れた泥濘の崖に、湿った木の根が剥き出しになっている。其れを掴んで、無理矢理に攀じ登っていく。

徐々に、時計回りコースで周回してきた、下山の徒が現われるようになった。殆どが単独行者で、精悍な顔付きの男性である。其のうちのひとりに、挨拶の序でに此の先の状況を尋ねた。精悍氏は、同じような難所が続いている、此のルートは登りが正解ですね、と云った。私は、須原尾根の鎖場のことを尋ねた。鎖はしっかりしていて問題無い。其の答えに、私は内心で、友人への説得のタイミングを図ることにした。

剥き出しの岩や、木の根に足の置き所を探りながら、不快な登攀が続いた。崖状の尾根を回り込むように辿る状況の中で、此れは下りでは危険ではないか、鎖のような人工物が在る方が却って安全ではないか、などと、私は磨都井君に話し掛ける。友人は、聞こえない振りでもしているかのように、無言だった。頭に枝が刺さっても懲りてないのかな、などと思いながら、私も仕方なく無言の登攀に戻った。

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初めて視界が開けた地点から、一時間近くが経過した。ふたたび明るい場所に達すると、武尊川を挟んで連なる尾根を見おろすように景色が広がっていた。地平線に、越後の山々が浮かんでいる。視線を左に転じると、険しい山腹の陰惨な山塊が見える。谷川岳だ、と、磨都井君が声を上げる。前回、白毛門から至近距離で対峙した険阻な姿は、遠目に眺めても、やはり異彩を放っていた。

岳樺の白い幹と、紅葉が点在するようになって、稜線が直ぐ其処に窺える。沖武尊に背を向けて、稜線に近づいていくと、やがて剣ヶ峰山に至る分岐点に達した。麓への指標は武尊神社ではなく、何故か宝台樹キャンプ場となっている。尖峰のような姿の剣ヶ峰山迄、あと僅かだが、既に頂上直下に居るので、全容が判らない。其の儘、痩せたリッジの上を登っていくと、呆気なく頂上の標柱が立っているのが見える。標高2020m、剣ヶ峰山のピークは、踏路の途中のような場所に在った。円盤を縦にして突き立てたような山である。這松の生垣から、全方位の眺望を享受する。赤城山の広い裾野から、沼田市街と、人工的なグリーンが広がっている。カルデラを取り囲む山々がひとつの集合体になって、其の向こうには空が広がるばかりであった。

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武尊山の八ツ峰、其のひとつの山頂から、鋸歯状に見えた山の連なりを眺める。沖武尊は壁のように立ちはだかり聳えていて、其処から右手に特徴的なピークが連なる。中ノ岳、家ノ串、そしてもうひとつの剣ヶ峰。前武尊は黒ずんでいて、トップが鑿の歯のような形をしている。そう思うと、此の武尊山の全体が、尖った瘤を幾つも隆起させた刃物のようにも見える。

苦難の登攀を終えて、磨都井君と健闘を称え合う。友人の素振りから、此れから更に高峰を登ると云うことに就いての思惟は読み取れない。沖武尊は泰然として、静かに、目前に聳えている。目的地迄の道程で、ラウンド・トリップを敢行する道筋を付けるにはどうしたらいいのか。私は内心で、そんなことばかりを、考えていた。

白毛門

暗がりの中を延々と続く階段を登り続ける。背後にざわめきを感じながら、逸る心を抑えながら、淡々と歩を進める。三番手をキープして登っていたが、終盤にトレラン然とした恰好の若者に追い越され、続いて単独行の女性ハイカーに追いつかれる。昨年の同じ頃に訪れた時は、上越線の電車から降り立って、久しぶりのトンネル駅が懐かしくてうろうろしたが、今日は一目散に階段に取り付いた。五番手で462段の階段を登り終え、地上の改札口に到達すると、人が随分居るので少し驚いた。自家用車でやってきた観光客が、駅を見物するために立ち寄っているのだろうか。快晴の空を見上げながら、一年前の曇天だった駅前の風景を思い出す。途中で降雨に遭い、登頂することなく引き返した白毛門。去年の秋は、其の挫折感で気持ちが沈んだ儘、山に行く気力が逓減していった。そう云う訳で、落し物を拾いに行くような気持ちで、ふたたび土合駅にやってきた。

2016/9/10
土合駅(10:20)---松ノ木沢ノ頭(12:20)---白毛門(13:10)---土合駅(15:30)


Shiragamon

思い返すと、途中で挫折した動機には、上越線の電車に間に合うかどうか、と云う焦燥感も大きく作用していた。東京から普通電車で土合駅に到達できるのが午前十時。帰途に就く為の午後に発車する電車の時刻は午後三時台と六時台の二本だけである。併行する国道に、路線バスが走っているのは承知しているけれど、午後三時過ぎに戻ってきたいと云う気持ちが逸り、去年は途中の松ノ木沢ノ頭で引き返してきてしまった。

今日はなんとしても白毛門に登頂して、予定通りの電車で帰る。其れが至上の命題のような気持ちになっている。降車して直ぐに、土合駅の階段を一心不乱に登り続けたのも、其のような気持ちに端を発していた。上厠を無事に済ませ、身支度えを整えて、軽快に歩き出した。国道が線路を跨いで下り勾配になり、程無く土合橋のバス停に着く。砂利の駐車場の奥から登山道になる。大多数の人が谷川岳に向かうので、白毛門への山道は程よく空いている。ふた組のハイカーを追い越し、東黒沢を渡渉し、登攀の速度を速めること脱兎のごとしで、少し喘ぐような息遣いで、其れでも意欲的に登り続けた。白毛門に登頂しないと、心の奥底に在る澱のようなものが払拭できない。私は、そんな想念だけで脚を繰り出していた。

南北を一直線に貫く尾根、地図の上では、土合から白毛門への道は単純に其れを辿っている。登山口から尾根登りを始めて、暫くは樹林帯の急登が続く。其れも前回の記憶に留まっている。急傾斜が極端になると折り返しの道になり、或る地点で唐突に眺望が開ける。直ぐ眼の前に、沢の詰まった断崖の壁が、凄惨な表情をしている谷川岳の威容が聳えている。昨年訪れた時には一度も見ることの出来なかった光景に、私の溜飲が、いよいよ下がっていく。首肯しながら尾根の直登を続けて、朽ち果てそうな桧のウロを過ぎると、漸く尾根の分岐する平坦地に立った。

標高1154m地点を通過して、東側の眺望が開けてくる。広がる谷を、森林の尾根が取り囲んでいる。微かに聞こえてくる瀬音は、白毛門沢のものだろうか。行く先に向かって延びている東の尾根は、目指す白毛門に収斂されている。其れだけを確認して、私は休憩することもなく歩き続ける。

下山の徒が少しずつ増えてきた。自家用車で早朝に登山を開始した人々であろうと思われる。単独行の白髪の男性と擦れ違い、挨拶を交わした。白毛門ですか、と訊いてみる。
「齢をとると、段々遠くなるよ。頂上がね」精悍な顔付きの白髪氏が云った。
彼が松ノ木沢ノ頭で折り返したと知って、私は云いようの無い安堵感を覚えた。

直截的に尾根を辿り、相変わらずの樹林帯が続いて、遂に彼方が明るくなる。岩襖の折り重なる鎖場を越えると、前回の終点、松ノ木沢ノ頭であった。眼前の谷川岳が明瞭に全貌を表出している。一ノ倉沢と幽ノ沢の断崖と、青空の背景が、奇妙なコントラストになっている。私は、漸く人心地が着いた気分になり、ザックを下ろして紫煙を燻らせた。続いて登って来た壮年夫妻の旦那の方が、もう此処で諦めるか、と妻に云っている。私は内心で首肯している。

白毛門は、尾根の続く先に在るのだが、此処から眺めると、別個に在る山のようである。私も、未だあんなに遠いのか、と思う。繰り返してばかりいるが、昨年の苦い思い出を反芻する。あの時は、霧で白毛門は見えなかった。此処で引き返したのは、全く合理的な判断であったのだと思った。自己肯定の言葉を刻んで、私は自身を鼓舞していく。

標高1484mの松ノ木沢ノ頭は、等高線の閉じたピークであった。必然的に鞍部に下降していく。一旦姿を消した、ふたつの突起を持つ山容が、ふたたび全容を現わした。白毛門の東面には、出来物のような奇岩が固着している。ジジ岩とババ岩と呼ばれる其の形状に就いて、此の時点では合点がいかなかったが、登頂の直前に横顔を見て首肯できた。踏路は岩場に変わり、山腹から急激に攀じ登る形で尾根上に辿り着く。細い稜線の上に出ると、最後の鎖場が現われ、いよいよ白毛門の上に乗る。ひとつ目の突起を越えて、少し歩くと、銀色の山名標が在る狭いピークだった。云いようの無い達成感が、身体に染み渡っていくような気持ちだった。

土合から直截的に登ってきて、白毛門の頂上に立って、ひと回り大きいようにも見える笠ヶ岳の姿を眺める。湯檜曽川を挟んで対峙する谷川岳から、三国峠の国境稜線を経由して、朝日岳、笠ヶ岳とUターンして白毛門に至る、所謂馬蹄形の縦走路が続いている。いつか、テントを担いで馬蹄形縦走を、此の半時計回りで実行してみたいと考えていたが、実際の笠ヶ岳を眼の前にすると、一体何処迄大荷物を背負って歩けるのか、そんな気持ちになった。

ひと足先に登頂していた中年男性と、土合から此処迄の厳しい道程に就いて話をする。此の男性も、前回登った時は、松ノ木沢ノ頭で敗退したと云った。私の、心の奥底に在った澱のようなものは、其れを聞いて霧消していった。自己弁護の為の登山を行なっているような、不思議な気分なのだが、其れは実際の心裡のことなので、止むを得ない。

中年氏は先に下山して行った。私も、帰りの電車の時刻を逆算して、山頂でのんびりしてはいられないことを薄々感じている。対岸の谷川岳を眺めながら、未練がましく、新しい煙草に火を点けた。いつの間にか谷川岳に、灰色の霧が湧き出して、山頂部を覆い始めた。周囲の全ての山々が陽光に照らされて泰然としているのに、断崖で険悪な容貌の谷川岳は、ひとりだけ薄暗いヴェールを纏って、独立した人格を持った山のようになった。魔の山と呼ばれる所以には、此のようなヴィジョンの要素もあるのだろうか。其の姿は、特別としか、云いようの無いものであった。
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