妙高戸隠連山

飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(後篇)

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岩の上に鎮座している第十三の虚空僧菩薩に拝礼し、展望の開けてきた登山道を登り続けた。白樺の幹が薄日で朱色に染まっている。笹原の向こうに、飯綱高原が薄ぼんやりと広がっている。戸隠神社中社方面から続く登山道との分岐に合流すると、西側の眺望が広がった。戸隠連峰の鋸歯状の連なりが、当たり前のように眼前に在る。連峰の落ちていく先に、特徴的な三角錐の山が美しい。一夜山の由来は、鬼が一晩で造ったと云う伝説が在るそうだが、其れを差し引いても、語感の美しい山名であると思う。飯縄山の主稜に乗ったから、もう頂上は近い。改めてザックを下ろして休憩していると、全くの想定外で、南登山道の下方から、熊鈴が聞こえてきた。此の時刻に、登ってくる人間が居る。私は、全身に緊張が走るような感覚で、立ち尽くしていた。

2016/4/24

飯縄登山口バス停(13:30)---奥宮一ノ鳥居(13:50)---駒繋ぎの場(14:50)---天狗の硯石(15:30)---飯縄神社(16:40)---飯縄山(17:00)---飯縄神社(17:20)

2016/4/25

飯縄神社(8:10)---飯縄山(8:20)---瑪瑙山(9:40)---戸隠スキー場(10:50)---戸隠中社(11:20)---火ノ御子社---戸隠宝光社(14:10)

熊鈴の響きが近づいてきて、ひとりの中年男性が登ってきた。動揺を隠せない儘、挨拶をするが、男性は目を合わせずに、一応は頷いてから、広がる風景に向けて、ひとしきりカメラのファインダーを覗いて、程なく、一足先に山頂に向かって去っていった。愛想の無さはどうでもよくて、私は彼の装備を注視した。男性は幕営をするような装備では無いようだった。夕刻の山頂で、風景写真を撮影する目的で登ってきたのだろうか。

落ち着かない気分の儘、緩やかな傾斜を登りきって、金属製の鳥居と、祠が現われた。双耳峰の一端の飯縄神社は、其処から少し歩いた処に在った。予想通りの平坦地が社殿の上に広がっていて、テントを張ってくださいと云わんばかりの好展望地であった。くだんの無愛想氏の姿は無かったので、三角点の在る山頂に向かったのであろう。私は、巨大ザックを置いて、サブザックを取り出し、軽装で最高点迄を往復することにした。神社のピークから、北東に向かって伸びる登山道の先に、標高差は十メートルも違わない飯縄山のピークが、穏やかな丘陵のように盛り上がっている。陽当たりが悪い訳では無い筈なのに、コルに向かって下る道には、雪が残っていて、アイゼンを履いていない足元は少し覚束ない。

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標高1917.4m、飯縄山の頂上に立った。全方位の眺望が広がるのは知識としては有ったが、ずっと眺めてきた飯綱高原の景色から転じて、戸隠連峰と黒姫、妙高の姿が一望され、胸のすくような景色である。黄昏の逆光の所為で黒い戸隠山と、高妻山の怜悧なシルエットが美しい。北方を向くと、黒姫山の向こうに独特の形状で、妙高山が頭を出している。飯縄山の南側は相変わらずの薄曇なので、夕映えの高峰が連なる北西方面の景色が、不思議なコントラストで浮き上がっている。信濃と越後の境で、ふたつの景色を交互に眺めている。

ところで、問題の無愛想氏だが、戸隠方面に向けて、三脚を立てるでもなく、落ち着きの無い動作でカメラを覗いている。追って登頂してきた私を、完全に黙殺しており、袋菓子をぼりぼりと食べたりしている。人嫌いの単独行者の心境は、多分に理解している積もりである。彼の方こそ、想定外の人間が登ってきて、内心で舌打ちをしているのは想像に難くない。私は、早々に山頂を辞して、飯縄神社のピークに戻ることにした。

気を取り直して、漸く夕暮れに差し掛かろうかと云う時刻に、テントを広げた。飯縄神社の周辺は適度な瓦礫場で、ペグを打たずとも石で代用して張り綱を固定できた。フライシートを被せて張っている最中に、無愛想氏が山頂から戻ってきたようで、私のテントの近くで立ち止まった。目が合ったら声を掛けようかと思ったが、相変わらず、目の前に居る私を黙殺して、カメラを遠景に向けている。仕方なく、フライシートを固定する作業に戻った。そうしているうちに、無愛想氏は去っていった。私は、胸を撫で下ろした。

すじ雲が縦横に流れて、飯縄山の上には青空が残っているが、戸隠連峰の先に、陽が徐々に落ちていく。シルエットが濃厚になると、其の遥か向こうに、壮麗な山脈の壁が出現する。北アルプス、後立山連峰である。戸隠連峰との遠近感を差し引いても、圧倒的に高く聳えている。上には上が居る、そんな感じで、夕映えのシルエットが明瞭になって現われたので、私は茫然と立ち尽くして、其れを眺めた。白馬三山が判別し易い。五竜岳と鹿島槍ヶ岳の稜線の向こうに、剱岳も見えるのだろうか。地図にコンパスを当てて見当を付けるが、其れは不可能であった。

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夕陽が完全に姿を消して、麓は薄暮の気配が瀰漫していくが、山頂の空は未だ明るい。私は、漸く安寧の気持ちで、缶麦酒の栓を開ける。冷たい空気に晒された缶は程よく冷えて、其れをごくごくと飲む。一日を掛けて長野迄やってきて、夕暮れの山頂でひとり、何をやっているのかと、我に返ってしまい、可笑しくなる。飯綱高原に、灯火が疎らに点灯していく。気が付くと、里山の向こうに、光の波が広がっていた。長野市街の夜景は、少し靄が掛かっているのか、低山に隠れて部分的にしか眺めることが出来ない為か、其れ程格別のようには感じられなかった。

四月の信州北部の寒さは見当が付かなかったので、冬の越前岳の時と同様の防寒装備をしてきた。テントの中でウヰスキーを舐めながら、文庫本を読んでいると、忽ち睡魔が襲ってきて、其の儘眠りに落ちた。深夜に目覚めて、どれどれ、と云った感じでテントから這い出て、長野市街の夜景を眺めたが、感懐は同じであった。

ぱたぱたと云う音で覚醒した。フライシートがはためいているので、飯縄山の朝は如何に、とテントの外に出ると、一面の霧の中であった。其れも止むを得ないだろう。私はのんびりとした気分で、湯を沸かして珈琲を飲む。賞味期限の切れそうなカロリーメイトを齧って、其れを朝食にした。今日は飯縄山の北側に続く尾根をぐるりと廻って、戸隠神社に下山するだけである。昼食の戸隠蕎麦を食べるのが、今から待ち遠しい。そんなことを考えていたら、霧の向こうから熊鈴が聞こえてくる。時刻は午前六時台であるが、早速登頂者がやってきたのかと驚いた。霧の中から現われた初老の男性は、巡礼者のように笠帽子を被った風体だった、初老氏は、当然のことながら少し驚いた表情で私を見た。私は必要以上に、快活に挨拶をする。初老氏は、麓の別荘に滞在していて、毎朝飯縄山に登っているのだと云って、山頂に向かっていった。其の儘紫煙を燻らせていると、また登山者の足音が聞こえてきた。今度は中年男性で、泊まったんですかあ、と感心したように云って呉れて、山頂に去っていった。

此れは、余りのんびりしているのも考え物である。私はテントに戻って着換えることにした。身支度が整った頃、テントの外から声を掛けられた。這い出ると、一番手の初老氏が、登頂して、もう下山の途に就くようであった。登山歴四十年、昔は岩登りもやったけど、もう此の辺の山を歩くだけで満足だよ。そんな会話のあと、瑪瑙山に至る道は雪が残っているから気をつけて、と云って、初老氏は去っていった。テントを畳んで、飯縄神社に御礼の参詣をした。社殿の中に登山者ノートが在ったので開いてみた。今日の日付と、几帳面な筆跡で、テント泊一名、と記されていた。飯縄山を見守っている初老氏に、微笑ましいエピソードを提供したような気分になって、私はゆっくりと、山頂に向かって歩き始めた。

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改めて飯縄山の頂上に立った頃、早朝の霧は既に消え失せて、気持ちのよい青空が広がっていた。雲海の向こうに浮かんでいる、台形の上辺が変形して尖っているような形の高妻山が美しい。乙妻山に至る北面の山腹は、未だ雪化粧をしていて、私は、やはり飯縄山に留めておいた計画でよかったのだと首肯した。黒姫山の向こうに聳える妙高山から、火打山、焼山に掛けて、白銀の高峰が連なっているのが見渡せる。私の技量では、飯縄山から、彼の銀嶺を眺めるのが相応である。そうは思いつつも、何をやっているのか、早く登って来い、そんな風に云われているような気分にもなる。厳然として聳える山々に、畏敬の念が劣等意識とともに湧きあがってくるのだが、其れも何故だか心地好い。いつかは登るのだ。いつか、と云う未来に想念を巡らせることができる。其れが心地好い。

飯縄山の北側から西に分岐する尾根を、瑪瑙山を正面に眺めながら雪の傾斜を慎重に下った。思いのほか急激に標高を下げたので、妙高は黒姫山の影に隠れてしまった。明るい鞍部に達すると、最後のひと登りで今回の山歩きも終焉を迎える。瑪瑙(めのう)とは難読山名である。辞書を引いてみると、「紅、緑、白などの美しい色彩模様を持つ宝石」(三省堂国語辞典)と云うことで、そんな鉱物採取の歴史のある山なのだろうか、などと考えながら歩いているうちに登頂した。瑪瑙山の頂上は、戸隠スキー場ゲレンデの最高所となっていて、リフトの乗降所が在り、風情の欠片も無い処だった。

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其れも止むを得まい。私は、整地された裸のゲレンデを下り始める。瑪瑙山を中心に、尾根が馬蹄形に延びて、麓迄続いている。広大な谷のゲレンデ。左手に延びる尾根は途上で新たなピーク、怪無山となって、戸隠神社迄続いている。私は、敢えて右手の尾根を下ることにした。尾根上も滑走コースになっていて、雪の融けた今は、だだっ広い刈り払われた草地である。歩き易いのとは裏腹に、其の人工的な風情には辟易とさせられる。営業していないリフトの索道に併行して歩いているので、好んで徒労を甘受しているような気になるので腹立たしい。そんな道中に食傷気味になりながら歩いていくと、高妻山がいよいよ近くに眺められる。さてさて。何時頃に登ってやろうか。私は、秀峰を見上げて、退屈に抗いながら、歩き続けていた。



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追記

静まり返ったシーズンオフの戸隠スキー場から、車道を下り続けて戸隠神社中社に到着。参詣後、「戸隠神告げ温泉」にて入浴。同施設で風呂上りの麦酒と、ざる蕎麦を食す。「ぼっち盛り」の戸隠蕎麦は美味也。中社の目の前に在る有名店「うずら家」にも梯子しようかと思ったが、既に行列が出来ていて断念す。中社参詣時は開店直後で空いていたので少し後悔す。長野駅から帰途の高速バスは出発時刻が夕刻なので、逆算して時間を潰す為、戸隠五社のうち、火之御子神社、戸隠宝光社の二箇所に参詣す。いにしえの参詣道は気持ちの好い山道で、下り基調なので疲労無く逍遥す。宝光社前から長野駅行きバスに乗り、城山公園で下車。善光寺境内を散策して善光寺下の門前蕎麦屋「大丸」にて、ざる蕎麦と麦酒。徒歩にて長野駅。高速バス発車十分前に乗降所に到着す。帰路の乗客は十数名程度で、ストレス無く帰京。帰京便は到着がバスタ新宿では無く東京駅八重洲口だった。


戸隠神告げ温泉女将 宮沢辰子さん 「戸隠に湧き出た奇跡に泉」

飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(前篇)

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新宿駅南口に出来たばかりの「バスタ新宿」の待合ロビーから、バスが転回してくるロータリーを眺めていた。降り続いている雨が、止む気配は無い。天気予報に拠ると、今日の信州方面は晴れの筈で、其れが俄かに信じられない程、新宿は靄が掛かっていて薄暗い。朝の七時に出発する長野駅行き高速バスの乗車案内が開始されたが、乗客は五人しか居なかった。大型バスのトランクに、私の巨大ザック、クレッタルムーセンHuginだけが収納されている。昼行バスで長野駅に向かう登山者自体が珍しいのだろうが、大荷物の旅行者が他に誰一人居ないと云うのも拍子抜けであった。不思議な心持ちの儘、其れでもバスは何事も無い、と云う感じで発車した。新宿から直ぐに首都高速に乗って、環状線を一ツ橋の方迄迂回して、池袋のサンシャインビルに立ち寄ったので、都内を脱出したのは、約一時間後のことになった。池袋で、ひとりの中年女性が乗車したから、乗客は六人になった。

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2016/4/24

飯縄登山口バス停(13:30)---奥宮一ノ鳥居(13:50)---駒繋ぎの場(14:50)---天狗の硯石(15:30)---飯縄神社(16:40)---飯縄山(17:00)---飯縄神社(17:20)

前回の朝霧高原オートキャンプに於ける自堕落ぶりの反動から、ひとりで山上のテント泊をしようと云う積もりで、計画を開始した。何処に行こうかと思案した挙句に、長野駅行きの高速バスに乗っている。目的地を決める前に、インターネットで高速バスの長野駅往復の格安チケットを発見して、衝動買いしてしまったのが理由である。正午に到着する長野駅から登山を行ない、頂上で幕営する。そんな行程で何処の山に登るのか、と云う思案で、飯縄山に決定したので、計画の手順としては、著しく序列が転倒している。廉価な交通費に釣られて、品性の質が下落の一途を辿っているが、長野迄往復三千二百円は安い。尤も、話は前後するが、翌日の下山後は、戸隠神社で温泉と蕎麦を堪能し、帰途に立ち寄った善光寺の門前でも、蕎麦屋の梯子をしつつ一献を傾けたりしたから、帰京した頃には財布の中身はすっからかん。却って濫費に偏することになってしまった。

飯縄山は長野市郊外のリゾート地、飯綱高原から登り、好展望で知られる山である。気軽に日帰りで登る山、と云う印象だが、東京からやってきて午後から登るとなると少し忙しい。山頂はふたつのピークが在り、其のひとつには飯縄神社が祀られているから、穏やかな平坦地が在ると見込んで、テント泊を目論んでいる。飯縄権現は飯縄大明神の本地垂迹から転じ、天狗信仰から飯縄法と云う呪術信仰も敷衍させた神様で、少し不気味な印象も在るのだが、私は敬虔な気持ちで観念論を受け入れる善良な市民なので、其れ程怖がりはしない。心に引っ掛かりが在るとすれば、わざわざ長野迄遠征するのに、飯縄山に登って下りてくるだけ、と云う呆気ない行程は如何なものか、と云う思惟であった。

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飯綱高原に向かうバスは戸隠キャンプ場行きである。キャンプ場は戸隠山、高妻山への登山口でもある。戸隠キャンプ場に泊まって、翌早朝に出立すれば充分に秀峰を目指すことも出来そうであるが断念した。整備されたキャンプ場ではなく、山頂での幕営を実行すると云う、計画当初の動機が在る。そして、四月の信州北部である。安易に足を踏み入れて、雪山遭難の惨禍に巻き込まれる懸念もある。最も怖れているのは、名にし負う蟻の門渡りの戸隠山で、残雪状況も不明な儘でナイフリッジに突入する勇気は全く無い。山を舐めてはいけない。此処は心静かに、北信五岳の入門篇とも云うべき、飯縄山で一夜を過ごすと云うことで満足しようと思った。

此の想念は、長野駅に到着した時点でも、なかなか自己完結が出来ていなかったようで、五時間の長旅の果て、長野駅前の喫煙所で休憩していたら、タクシー運転手のおじさんに、山の帰りかい、と訊かれた。巨大ザックを背負った儘紫煙を燻らせている私は、此れからです、と、鷹揚な感じで答える。そうしたら、もうひとり、スーツ姿の初老男性が目を輝かせて、何処の山に行くの、と訊いてきた。

私は内心で動揺し、思わず「戸隠…山…です」と答えた。巨大ザックを背負って飯縄山、と云うことが出来ず、思わず見栄を張って虚言を吐いてしまった。スーツ氏が、昔はよく登ったものですよ、と嬉しそうに云う。今年は雪が少ないようだから、まあ大丈夫だな。タクシー氏が私の風体を眺めつつ云う。私の背筋に、冷たい汗が滴ってくる。蟻の門渡りが凍ってると面倒だけどな。タクシー氏も、かなり、やりそうな雰囲気なのであった。私は、今更本当のことも云えず、気が付いたら、高妻山の往復にしてもいい、などと嘘の上塗りを喋っている。自己嫌悪に苛まれつつ、ふたりにエールを送られて、其の場を辞した。嘘は、いけない。近日中に、戸隠、高妻に登りに行かなければならないような気持ちになって、私はバス乗り場に向かって、よろよろと歩いていった。

アルピコ交通の戸隠キャンプ場行き急行バスは、見るからに年代物と云う感じで、古色蒼然としていた。走り出すと、其の振動が余りにも激しくて、私は徐々に気分が悪くなっていった。長野駅構内で食した、ナカジマ会館の天ぷら蕎麦は、立ち食い蕎麦に対する観点からすると、目から鱗が落ちるほど旨かったが、其れも逆効果に作用してしまいそうな程であった。善光寺の表参道を丹念に停車して客を拾い、郊外に抜けると、ロートルバスは一気に急行になって勾配の国道を、絶叫しているような音を立てて走り続ける。浅川ループラインを旋回して勾配を稼ぎ、スキー場の麓に出ると、飯縄山が明瞭に聳え立っていた。東京の雨が長野市街では晴れに転じたが、飯綱高原は薄曇りの曖昧な明るさで静まり返っている。目の前に、直ぐに登れそうな程、飯縄山は近いのだが、バスは折角登り詰めた国道を下り始める。大座法師池の畔に在る、飯綱高原バス停に到着すると、周囲はドライブで訪れる客で賑わう、観光地然とした雰囲気になった。

白樺の立ち並ぶ高原の道を、バスが右方向に舵を切って走り続け、ふたたび樹林の合間に、飯縄山の姿が近づいてきた。長野カントリークラブの敷地が左車窓に現われて、車内アナウンスが飯縄山登山口の到着を告げる。登山口と云うよりも、ゴルフ場入口とでも云った方が適切なようなバス停に下りたのは、私ひとりだけであった。

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サンダルを登山靴に履き替えて、別荘地の中を真直ぐに伸びる舗装路を歩き始めた。飯縄山への主要登山道は、此の南登山道の他に、戸隠神社中社から続く西登山道も在るのだが、明日は中社の近くに在る温泉に入ろうと考えているので、復路に辿ろうかと考えている。飯綱高原の別荘地は、未だ冬枯れの木立の中で静まり返っていて、人の気配は窺えない。日曜日の曇天の午後、リゾート地に誰も居ないのは、少し不気味な雰囲気のように思えた。

別荘の建造物が尽きて、石の鳥居が現われる。広場には十台以上の車が駐車されているので、大勢の登山者が下山してくるのと擦れ違うことになる。鳥居の、飯縄大明神の文字に少し慄きながら、結界の中に入っていく。其れで登山道が始まった。暫く歩くと、木製の奥宮一ノ鳥居が現われる。直ぐに「第一、不動明王」の立て札と小さな石仏が在り、看板には、「十三仏縁起」の文が記されている。第一の不動明王から、第十三の虚空僧菩薩迄、道標の代わりとして建立されたのが文化十三年。長い年月なのでいろいろ有ったか、破損、消失の惨状が常態となり、昭和四十六年に補填再建したと有る。南登山道が堂々たる表参道であることが窺える。以後、各所の石仏を拝みながら登っていった。小さいが、何れも光背等に意匠を凝らした石仏であった。傍らに、丁寧に標高が記されているので、道標の役割も頷ける。

登り始めてから間もなく、早速ハイカーたちが頻繁に下山してきた。挨拶は交わすものの、巨大ザックを背負う単独行者が、妙な時刻に登り始めているから、殆どの下山者は胡散臭そうに私を見ているような気がする。長野市の郊外の山である。私は余所者の自覚を失ってはいない。其の後も極力、朗らかに挨拶をしつつ、擦れ違い続けた。上に泊まるんですか。唯一、子供連れの中年男性が、感心したような感じで声を掛けてくれたので、少し穏やかな気持ちになった。

実直に北進する尾根の上を、淡々と登り続ける。白樺が点在する自然林の左手に、併行して延びる尾根が在り、其の先がこんもりと盛り上がるピークになっている。麓から明瞭に見上げることのできる笠山である。三角点の在る1409.1mピークは、笠山の南側に、尾根が分岐する小ピークになって付随しているのだろう。第六番の弥勒菩薩には、1409mの標柱が在るから、現在位置の見当が付き易い。笠山と南登山道に挟まれる谷が狭まってきて、笠山が随分近づいてきたので、道程は後半に入りつつある。

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第七の薬師如来が1430m、第八は観音菩薩で1452m、標高は小刻みに加算されていく。既に地蔵菩薩も弥勒菩薩も登場しているから、次は阿弥陀か大日如来か、そんなことが気になりながら登り一辺倒の道を辿っていく。踏路の途上に露岩があり、其の上に載せられた恰好で、第九の勢至菩薩が在った。第十が阿弥陀如来の1508m。笠山の標高に近接してきた。十三仏も残り少ないが、阿弥陀の次に現われた1522mは、ナンバリングが施されていない馬頭観音だった。其れに対する意味を神妙になって思案しつつ、すっかり人影の無くなった登山道を登り、程なく広い平坦地に到達した。ガイドブックの地図に記されている駒繋ぎの場である。ザックを下ろして休憩する。馬頭観音の近くに駒繋ぎで、意味を汲み取れそうに思うが、此処には第十一の阿閦如来(あしゅくにょらい)が鎮座している。憤怒の相は神妙な表情にアレンジされているようにも見える。

時刻は午後三時になろうとしているから、此処迄、エアリアマップのコースタイムよりも時間が掛かっている。其れは織り込み済みで、山上ビバークの身上では、急いで登頂する必要が無いから、ゆっくりと歩いてきた。標高も上がってきたので、もう下山者は居ないのかな、と思って休憩していると、女性がひとり、通り過ぎて行った。あと、どれくらい、飯縄山に人が残っているだろうか。日曜の夕刻なので、其れ程のんびりしている者は少ないだろう。駒繋ぎの場から、登山道は尾根の東側にトラバースして、緩やかに勾配を上げていく。相変わらずの曇天だが、東南方向の眺望が開けてきた。俯瞰して眺める大座法師池は、存外に大きく見える。

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山腹のトラバースから、尾根を跨ぐ九十九折の踏路になり、水場も現われた頃、第十二の大日如来が現われた。其の後は巨岩に鎖が設置された箇所を越えて、登山道は痩せ細っていく。樹木は疎らになって、主尾根が近づいている気配である、と思った途端、子供の嬌声が聞こえてきた。未だ居たのか、とは内心の呟きであるが、子供連れで遅い下山は、自分にとっては気が知れない。折角、大荷物を担いで登っている飯縄山が、家族連れの呑気さで、緊迫感が無くなる。自分の山行が、なんだか矮小化されているような気になると云う、恣意的で捻じ曲がりの想念である。そんな気分で登攀の詰めに掛かって、休憩ポイントである、天狗の硯石に到着した。フラットな巨岩の硯石には若いカップルが並んで座っているから、私は失望の色を隠せない儘、挨拶の声を掛ける。其れで異変を感じ取ったか、若い男女はそそくさと立ち上がり、去っていった。舌打ちするような気分で、其れでも静かになった天狗の硯石に腰掛けて、私は飯綱高原を眺める。紫煙が、薄曇の空に吸い込まれていく。

時刻は、未だ午後三時台であった。登頂して、テントを張るには未だ早いだろう。私はザックを枕にして、硯石に寝転がった。耳を澄まして、人の気配を探ってみる。鳥の声が控え目に聞こえてくるだけである。もういい加減、誰も居ないかも知れない。そうひとりごちて目を閉じると、控え目だった筈の鳥の声が混淆しながら、躍動感を伴って聞こえてくる。山の夕暮れに鶯の声が聞こえる。もう、春なのだと云う、あたり前のことを、反芻するようにして、私は新しい煙草に、火を点けた。
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