妙高戸隠連山

五地蔵山から高妻山

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高速バスで長野駅に、そして古びた車体の路線バスに乗り換えて、戸隠を目指す。此の行程は、昨年の飯縄山を訪れて以来、三度目である。二度目は昨年の十一月初旬のことで、此の時の山行は、結局のところ目的を達せずに撤退した。帰京してから、沈鬱の気分の儘、暫く山から遠ざかった。

戸隠連峰の十一月、私は其の自然の猛威に圧倒されて、目的だった高妻山に登ることができず、翌朝に下山したのだった。

粉雪の舞う戸隠キャンプ場を今回と同時刻の、午後一時半過ぎに出発すると、弥勒尾根の途上で暴風雪になった。其れに抗いながら、積雪を踏んで六弥勒に辿り着いたのは午後五時を過ぎた頃で、稜線上を通り抜ける風はいよいよ強烈になった。下ろしたザックから荷物を取り出し、テントを設営しようとするのだが、儘ならない。テント布に骨組のポールを挿入した時、猛烈な風が起こり、一瞬、テントが手から離れた。木々に引っ掛かって呉れたので、テントが飛んでいってしまい回収できなくなる、と云う最悪の事態は免れたが、私は恐慌に襲われた。覚束ない指先に見切りをつけて、手袋を外した。暴風雪に晒された手の甲に激痛が走り、間も無く指先の感覚が無くなってしまった。

登山道の途上に、決死の思いでテントを設営した。窪んだ雪の道は、風の影響が少なかった。震えの止まらない身体を丸めてシュラフに包まり、ひと晩を過ごした。そうして深夜には風が止み、翌日は嘘のような晴天になった。しかし、私は恐怖の余韻が醒めず、高妻山に登る気力は、完全に無くしてしまった。テントを畳み、弥勒尾根を下山することにした。無我夢中で立てたテントを覆うフライシートの、裏表が逆になっていたから、其の恐慌ぶりが窺える。茫然とした儘、ふたたび六弥勒に立った。朝の陽光に照らされた、白銀の高妻山が、直ぐ其処に聳えていた。

弥勒尾根を下り始めて、直ぐに眺望が開ける。左手の遠くに、妙高から続く火打山と焼山の銀嶺が、神々しい迄に輝いていた。明瞭に続く、真白い尾根道を淡々と下っていく途上で、単独行の女性が登ってくるのと擦れ違った。挨拶を交わし、私は自分の行状を話した。テントで尾根に居たのなら、高妻山に登ればいいのに。そんなことを、妙齢の単独登山女が云った。私は空虚な気持ちになって、其の場を辞した。

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2017/6/13
戸隠キャンプ場(13:40)---弥勒尾根登山口(14:10)---弥勒尾根---六弥勒(16:40)---五地蔵山(16:45)

痛恨の思いの儘、挫折した高妻山登山のことを、心の奥底に閉じ込めておいて、冬が終わり、季節はもう梅雨に入っている。高速バスの格安チケットを入手した私は、ふたたび同じ行程で、高妻山に登ろうと考えた。梅雨の時期であるから、当然降雨に遭う確率も高い。しかし、暴風雪のことを思い出すと、少々の雨のことは、なんとも思わない。余りに酷い雨であれば、昨年と同じように諦め、温泉に浸かって、戸隠蕎麦を食しながら麦酒を飲んで帰ってこればよい。そんなふわふわとした考えで、私は戸隠キャンプ場バス停に降り立った。

弥勒尾根に合流する迄の支尾根を登っていると、霧が徐々に濃くなっていった。そうかと思えば、突然に強い陽差しがスポットライトのように行く手を照らす。支尾根に纏わり付いた霧を抜けると、主尾根に乗った。戸隠牧場方面の景色が樹間に広がる。瑪瑙山と飯縄山が、雲海の上に浮かんでいた。

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五地蔵山と対峙しながら、尾根を着実に登っていく。新緑の山に、未だ立ち枯れの白樺の木々が点在している。標高を稼ぐ程に、ふたたび霧が纏わり付いてきた。幽玄の趣ではあるが、私の心境としては、一刻も早く六弥勒の稜線に到達して、適地にテントを設営したい、其のことで一杯なのであった。

尾根の左方に、遠望が利いてきた。戸隠山の、禍々しい迄にギザギザの山肌が現われる。延々と続いている戸隠連峰の稜線に、私は向かっている。梅雨の時期であるのに、山道は霧に覆われているだけで、時折其の隙間から、穏やかな麓の景色さえ窺える。其の事実の有難味だけを感じながら、私は歩を進めていく。頭の中はぼんやりと白い儘であった。そうして尾根道が細くなり、傾斜が急になると、程無く、登山道、の道標が現われた。六弥勒の祠が鎮座する稜線の小ピークは、静寂に包まれて、一日の終わりを待っているようであった。

安堵の吐息をついて、私は高妻山に背を向け、登山道を南下していく。悪夢の猛吹雪でビバークした箇所を、感慨深い思いで通過し、緩やかな踏路を辿って間も無く、五地蔵山のピークに到達した。眺望は、霧に包まれているので、皆無であった。クレッタルムーセンHuginを下ろして、満悦の気分で紫煙を燻らせた。

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空身になって、登山道に戻り、祠の在る五地蔵の地点を偵察に行った。幕営に何の支障も無い広場であった。瓦礫の山頂は狭いので、どちらにテントを設置するべきか少し迷ったが、矢張り、ザックを置いてきた山頂に張ることにした。五地蔵山に戻り、テントを立てると、霧はいよいよ濃くなっていった。運んできた缶麦酒を取り出して、簡単な食事とともに飲んだ。無事に、此の場所で静かな夜を過ごせる。其の気持ちで胸が一杯になった。霧の中で、私は何時迄も、ぼんやりと煙草を銜えていた。

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2017/6/14
五地蔵山(4:40)---六弥勒(4:45)---七薬師(5:00)---八観音(5:20)---一九勢至(5:35)---一十阿弥陀(6:20)---一高妻山(6:25)---一十一阿閦(6:45)---一高妻山(7:15)---一六弥勒(8:50)---一弥勒尾根---一弥勒尾根登山口(10:20)---戸隠キャンプ場(10:55)

アラームで午前四時に目覚め、テントを這い出ると、既に中空は青味掛かっていた。木々の向こうに、昨夕は濃霧で判らなかったが、高妻山の姿が浮かび上がっている。五地蔵山から眺める高妻山は、直ぐ隣に聳える高山と云う風情であった。私は、好天の予感に逸る気持ちを抑えるかのように、珈琲を淹れて、紫煙を燻らせる。

眼前に広がる東の空に、朝靄が徐々に晴れて、地平線が赤味を帯びていく。そうして、特徴的な妙高の山容がシルエットになって浮かび上がった。気が付くと、其のずっと手前の、直ぐ眼の前に、黒姫山が立っている。雲海を敷き詰めた彼方から、急速に黎明の光が浮かび上がり、其の儘、黒姫山の広い火口を照射して登って来た。五地蔵山の夜明け、其れは思い掛けない程の眼福であった。

すっかり明るくなって、高妻山の全容も判然としてきた。懸念していた残雪も、其れ程でもないようであった。私は漸く、出立の身支度を開始する。全身が、溌剌として軽い。そんな気分だった。

山頂を辞して、六弥勒に戻る。巨大ザックをデポして、サブザックのみの身軽さで、高妻山を目指す。明瞭な踏路を下り、山稜の起伏を次々にパスしていく。七薬師の手前で、北面の山肌に残雪が溜まっていた。慎重に歩を進めると、程無く通常の登山道になった。雪で冷えた空気に、強烈な陽差しが照り付ける。其れに呼応するかのように、霧が立ちこめていった。

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七薬師を通過すると、進路の先に顕著な山容が出現する。尾根が収斂する八観音のピークだった。背景はいよいよ紺碧の空になり、申し分の無い快晴の朝になった。本丸の高妻山を隠すようにして聳える八観音のピークの、西側を捲いて越えていく。間も無く、唐突に全貌を現わした高妻山が、いよいよ間近になって大きい。其の険しい山肌の向こうに雲海が広がっている。其の雲海の彼方に、銀嶺が連なっているのが明瞭になった。雲海に浮かんでいるのは、北アルプス、後立山連峰だった。恍惚となって其れを眺めてから、時刻を確認する。五地蔵山を出発して、一時間が経過していた。

八丁ダルミを通過して九勢至の祠に達すると、眼前の高妻山の他に登るべき小峰は無くなった。笹原の小径に歩を進めて、やがて本丸の勾配に掛かる頃、行く手は頑強な残雪に覆われていった。設置されたロープの助力を借りて、難渋して通過すると、礫岩の急勾配に変わった。そうして見上げると、空が近い。私は、いよいよだぞ、いよいよなんだぞ、と、内心で呟いている。息が荒くなって山頂の肩に登り詰めると、巨岩を光背にしたような十阿弥陀の祠が在った。其の先に、山名標の立つピークを目視して、巨岩の折り重なる山頂の踏路を、静かに辿っていく。

標高2353.0m、高妻山の山頂に達した。磨耗して丸味を帯びた三角点に寄り添うようにして、山名標が立っている。岩畳の上に立ち、改めて後立山連峰を眺めた。昨年登った白馬岳を目印にして、其の山並みを凝視すると、不帰ノ嶮や鹿島槍が明瞭に判別できる。昨年果たせなかった、高妻山の登頂を達成した訳だが、其の見返りは、連綿として消えなかった沈鬱な気分を、一掃して呉れる絶景であった。

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全てが報われたような気持ちになって、安穏とした儘、北の方角を眺める。高妻山の先に延びる尾根の先に、乙妻山が在る。其れが、直ぐ其処に在るように、見下ろせる。私は、キャンプ場の下山予定時刻を逆算して、どうするか迷う。下山して温泉に入り、蕎麦と麦酒。其れは死守するとして、此処迄来たのだからと、乙妻山に向かって左にカーブしながら連なる尾根の道を眺める。そうして、欲張った気持ちを制御する思惟もなく、高妻山を越えて歩き出した。

西側の断崖を舐めるようにして、稜線の淵を辿る道が続いた。振り返って見上げる高妻山の表情は、先程迄とは全く違うものであった。北信州の山の、奥深い処に居るのだなと、再確認できるような、名峰の姿だった。十一阿閦(あしゅく)の祠に達して、其の先に足を踏み出して間も無く、踏路は残雪に覆われるようになった。軽アイゼンを持ってはいたが、私は此の時点で憑き物が落ちたような気持ちになった。そうして、温泉と蕎麦と麦酒に誘われて、引き返すことにした。

登り返してふたたび高妻山の頂に戻り、最後の休憩を取った。眼福の北アルプス、後立山連峰の銀嶺群は、既に雲に隠れてしまって、見えなくなっていた。儚く淡い夢。そんな言葉が浮かぶ。ひとときの僥倖に巡り合うこと。そんな偶発的な感懐を、利己的に受容すること。無為に歩く山の旅をする者が、無意識に求めているものがあるとすれば、そんなことのようにも思える。

山頂に残っている、山桜の細い枝が揺れていた。短くも美しく燃えようと、花は此れから咲こうとしているようであった。其れを名残惜しい気分で眺めてから、私は踵を返すようにして、高妻山からの下山を、開始した。

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追記

六弥勒迄の道程、所要時間が登りと殆ど変わらなかったので、残雪の道に難渋していたと思われた。六弥勒でデポしたザックを回収して直ぐに、ふたり組の高齢男性が到達した。其れだけが山中で会った登山者だった。

快晴の戸隠キャンプ場バス停に到着。バス時刻迄三十分くらいあるので、濡れたフライシートを取り出して路面に広げたら瞬く間に乾いた。

戸隠中社でバスを降りて、恒例の「神告げ温泉」に入浴。浴後、麦酒と蕎麦を食すが、今回は天笊を注文してみた。天麩羅が殆ど山菜だったので少し残念だった。山の中でも天麩羅には海老が入っていてほしかったというのが正直な感想。

飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(後篇)

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岩の上に鎮座している第十三の虚空僧菩薩に拝礼し、展望の開けてきた登山道を登り続けた。白樺の幹が薄日で朱色に染まっている。笹原の向こうに、飯綱高原が薄ぼんやりと広がっている。戸隠神社中社方面から続く登山道との分岐に合流すると、西側の眺望が広がった。戸隠連峰の鋸歯状の連なりが、当たり前のように眼前に在る。連峰の落ちていく先に、特徴的な三角錐の山が美しい。一夜山の由来は、鬼が一晩で造ったと云う伝説が在るそうだが、其れを差し引いても、語感の美しい山名であると思う。飯縄山の主稜に乗ったから、もう頂上は近い。改めてザックを下ろして休憩していると、全くの想定外で、南登山道の下方から、熊鈴が聞こえてきた。此の時刻に、登ってくる人間が居る。私は、全身に緊張が走るような感覚で、立ち尽くしていた。

2016/4/24

飯縄登山口バス停(13:30)---奥宮一ノ鳥居(13:50)---駒繋ぎの場(14:50)---天狗の硯石(15:30)---飯縄神社(16:40)---飯縄山(17:00)---飯縄神社(17:20)

2016/4/25

飯縄神社(8:10)---飯縄山(8:20)---瑪瑙山(9:40)---戸隠スキー場(10:50)---戸隠中社(11:20)---火ノ御子社---戸隠宝光社(14:10)

熊鈴の響きが近づいてきて、ひとりの中年男性が登ってきた。動揺を隠せない儘、挨拶をするが、男性は目を合わせずに、一応は頷いてから、広がる風景に向けて、ひとしきりカメラのファインダーを覗いて、程なく、一足先に山頂に向かって去っていった。愛想の無さはどうでもよくて、私は彼の装備を注視した。男性は幕営をするような装備では無いようだった。夕刻の山頂で、風景写真を撮影する目的で登ってきたのだろうか。

落ち着かない気分の儘、緩やかな傾斜を登りきって、金属製の鳥居と、祠が現われた。双耳峰の一端の飯縄神社は、其処から少し歩いた処に在った。予想通りの平坦地が社殿の上に広がっていて、テントを張ってくださいと云わんばかりの好展望地であった。くだんの無愛想氏の姿は無かったので、三角点の在る山頂に向かったのであろう。私は、巨大ザックを置いて、サブザックを取り出し、軽装で最高点迄を往復することにした。神社のピークから、北東に向かって伸びる登山道の先に、標高差は十メートルも違わない飯縄山のピークが、穏やかな丘陵のように盛り上がっている。陽当たりが悪い訳では無い筈なのに、コルに向かって下る道には、雪が残っていて、アイゼンを履いていない足元は少し覚束ない。

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標高1917.4m、飯縄山の頂上に立った。全方位の眺望が広がるのは知識としては有ったが、ずっと眺めてきた飯綱高原の景色から転じて、戸隠連峰と黒姫、妙高の姿が一望され、胸のすくような景色である。黄昏の逆光の所為で黒い戸隠山と、高妻山の怜悧なシルエットが美しい。北方を向くと、黒姫山の向こうに独特の形状で、妙高山が頭を出している。飯縄山の南側は相変わらずの薄曇なので、夕映えの高峰が連なる北西方面の景色が、不思議なコントラストで浮き上がっている。信濃と越後の境で、ふたつの景色を交互に眺めている。

ところで、問題の無愛想氏だが、戸隠方面に向けて、三脚を立てるでもなく、落ち着きの無い動作でカメラを覗いている。追って登頂してきた私を、完全に黙殺しており、袋菓子をぼりぼりと食べたりしている。人嫌いの単独行者の心境は、多分に理解している積もりである。彼の方こそ、想定外の人間が登ってきて、内心で舌打ちをしているのは想像に難くない。私は、早々に山頂を辞して、飯縄神社のピークに戻ることにした。

気を取り直して、漸く夕暮れに差し掛かろうかと云う時刻に、テントを広げた。飯縄神社の周辺は適度な瓦礫場で、ペグを打たずとも石で代用して張り綱を固定できた。フライシートを被せて張っている最中に、無愛想氏が山頂から戻ってきたようで、私のテントの近くで立ち止まった。目が合ったら声を掛けようかと思ったが、相変わらず、目の前に居る私を黙殺して、カメラを遠景に向けている。仕方なく、フライシートを固定する作業に戻った。そうしているうちに、無愛想氏は去っていった。私は、胸を撫で下ろした。

すじ雲が縦横に流れて、飯縄山の上には青空が残っているが、戸隠連峰の先に、陽が徐々に落ちていく。シルエットが濃厚になると、其の遥か向こうに、壮麗な山脈の壁が出現する。北アルプス、後立山連峰である。戸隠連峰との遠近感を差し引いても、圧倒的に高く聳えている。上には上が居る、そんな感じで、夕映えのシルエットが明瞭になって現われたので、私は茫然と立ち尽くして、其れを眺めた。白馬三山が判別し易い。五竜岳と鹿島槍ヶ岳の稜線の向こうに、剱岳も見えるのだろうか。地図にコンパスを当てて見当を付けるが、其れは不可能であった。

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夕陽が完全に姿を消して、麓は薄暮の気配が瀰漫していくが、山頂の空は未だ明るい。私は、漸く安寧の気持ちで、缶麦酒の栓を開ける。冷たい空気に晒された缶は程よく冷えて、其れをごくごくと飲む。一日を掛けて長野迄やってきて、夕暮れの山頂でひとり、何をやっているのかと、我に返ってしまい、可笑しくなる。飯綱高原に、灯火が疎らに点灯していく。気が付くと、里山の向こうに、光の波が広がっていた。長野市街の夜景は、少し靄が掛かっているのか、低山に隠れて部分的にしか眺めることが出来ない為か、其れ程格別のようには感じられなかった。

四月の信州北部の寒さは見当が付かなかったので、冬の越前岳の時と同様の防寒装備をしてきた。テントの中でウヰスキーを舐めながら、文庫本を読んでいると、忽ち睡魔が襲ってきて、其の儘眠りに落ちた。深夜に目覚めて、どれどれ、と云った感じでテントから這い出て、長野市街の夜景を眺めたが、感懐は同じであった。

ぱたぱたと云う音で覚醒した。フライシートがはためいているので、飯縄山の朝は如何に、とテントの外に出ると、一面の霧の中であった。其れも止むを得ないだろう。私はのんびりとした気分で、湯を沸かして珈琲を飲む。賞味期限の切れそうなカロリーメイトを齧って、其れを朝食にした。今日は飯縄山の北側に続く尾根をぐるりと廻って、戸隠神社に下山するだけである。昼食の戸隠蕎麦を食べるのが、今から待ち遠しい。そんなことを考えていたら、霧の向こうから熊鈴が聞こえてくる。時刻は午前六時台であるが、早速登頂者がやってきたのかと驚いた。霧の中から現われた初老の男性は、巡礼者のように笠帽子を被った風体だった、初老氏は、当然のことながら少し驚いた表情で私を見た。私は必要以上に、快活に挨拶をする。初老氏は、麓の別荘に滞在していて、毎朝飯縄山に登っているのだと云って、山頂に向かっていった。其の儘紫煙を燻らせていると、また登山者の足音が聞こえてきた。今度は中年男性で、泊まったんですかあ、と感心したように云って呉れて、山頂に去っていった。

此れは、余りのんびりしているのも考え物である。私はテントに戻って着換えることにした。身支度が整った頃、テントの外から声を掛けられた。這い出ると、一番手の初老氏が、登頂して、もう下山の途に就くようであった。登山歴四十年、昔は岩登りもやったけど、もう此の辺の山を歩くだけで満足だよ。そんな会話のあと、瑪瑙山に至る道は雪が残っているから気をつけて、と云って、初老氏は去っていった。テントを畳んで、飯縄神社に御礼の参詣をした。社殿の中に登山者ノートが在ったので開いてみた。今日の日付と、几帳面な筆跡で、テント泊一名、と記されていた。飯縄山を見守っている初老氏に、微笑ましいエピソードを提供したような気分になって、私はゆっくりと、山頂に向かって歩き始めた。

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改めて飯縄山の頂上に立った頃、早朝の霧は既に消え失せて、気持ちのよい青空が広がっていた。雲海の向こうに浮かんでいる、台形の上辺が変形して尖っているような形の高妻山が美しい。乙妻山に至る北面の山腹は、未だ雪化粧をしていて、私は、やはり飯縄山に留めておいた計画でよかったのだと首肯した。黒姫山の向こうに聳える妙高山から、火打山、焼山に掛けて、白銀の高峰が連なっているのが見渡せる。私の技量では、飯縄山から、彼の銀嶺を眺めるのが相応である。そうは思いつつも、何をやっているのか、早く登って来い、そんな風に云われているような気分にもなる。厳然として聳える山々に、畏敬の念が劣等意識とともに湧きあがってくるのだが、其れも何故だか心地好い。いつかは登るのだ。いつか、と云う未来に想念を巡らせることができる。其れが心地好い。

飯縄山の北側から西に分岐する尾根を、瑪瑙山を正面に眺めながら雪の傾斜を慎重に下った。思いのほか急激に標高を下げたので、妙高は黒姫山の影に隠れてしまった。明るい鞍部に達すると、最後のひと登りで今回の山歩きも終焉を迎える。瑪瑙(めのう)とは難読山名である。辞書を引いてみると、「紅、緑、白などの美しい色彩模様を持つ宝石」(三省堂国語辞典)と云うことで、そんな鉱物採取の歴史のある山なのだろうか、などと考えながら歩いているうちに登頂した。瑪瑙山の頂上は、戸隠スキー場ゲレンデの最高所となっていて、リフトの乗降所が在り、風情の欠片も無い処だった。

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其れも止むを得まい。私は、整地された裸のゲレンデを下り始める。瑪瑙山を中心に、尾根が馬蹄形に延びて、麓迄続いている。広大な谷のゲレンデ。左手に延びる尾根は途上で新たなピーク、怪無山となって、戸隠神社迄続いている。私は、敢えて右手の尾根を下ることにした。尾根上も滑走コースになっていて、雪の融けた今は、だだっ広い刈り払われた草地である。歩き易いのとは裏腹に、其の人工的な風情には辟易とさせられる。営業していないリフトの索道に併行して歩いているので、好んで徒労を甘受しているような気になるので腹立たしい。そんな道中に食傷気味になりながら歩いていくと、高妻山がいよいよ近くに眺められる。さてさて。何時頃に登ってやろうか。私は、秀峰を見上げて、退屈に抗いながら、歩き続けていた。



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追記

静まり返ったシーズンオフの戸隠スキー場から、車道を下り続けて戸隠神社中社に到着。参詣後、「戸隠神告げ温泉」にて入浴。同施設で風呂上りの麦酒と、ざる蕎麦を食す。「ぼっち盛り」の戸隠蕎麦は美味也。中社の目の前に在る有名店「うずら家」にも梯子しようかと思ったが、既に行列が出来ていて断念す。中社参詣時は開店直後で空いていたので少し後悔す。長野駅から帰途の高速バスは出発時刻が夕刻なので、逆算して時間を潰す為、戸隠五社のうち、火之御子神社、戸隠宝光社の二箇所に参詣す。いにしえの参詣道は気持ちの好い山道で、下り基調なので疲労無く逍遥す。宝光社前から長野駅行きバスに乗り、城山公園で下車。善光寺境内を散策して善光寺下の門前蕎麦屋「大丸」にて、ざる蕎麦と麦酒。徒歩にて長野駅。高速バス発車十分前に乗降所に到着す。帰路の乗客は十数名程度で、ストレス無く帰京。帰京便は到着がバスタ新宿では無く東京駅八重洲口だった。


戸隠神告げ温泉女将 宮沢辰子さん 「戸隠に湧き出た奇跡に泉」

飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(前篇)

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新宿駅南口に出来たばかりの「バスタ新宿」の待合ロビーから、バスが転回してくるロータリーを眺めていた。降り続いている雨が、止む気配は無い。天気予報に拠ると、今日の信州方面は晴れの筈で、其れが俄かに信じられない程、新宿は靄が掛かっていて薄暗い。朝の七時に出発する長野駅行き高速バスの乗車案内が開始されたが、乗客は五人しか居なかった。大型バスのトランクに、私の巨大ザック、クレッタルムーセンHuginだけが収納されている。昼行バスで長野駅に向かう登山者自体が珍しいのだろうが、大荷物の旅行者が他に誰一人居ないと云うのも拍子抜けであった。不思議な心持ちの儘、其れでもバスは何事も無い、と云う感じで発車した。新宿から直ぐに首都高速に乗って、環状線を一ツ橋の方迄迂回して、池袋のサンシャインビルに立ち寄ったので、都内を脱出したのは、約一時間後のことになった。池袋で、ひとりの中年女性が乗車したから、乗客は六人になった。

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2016/4/24

飯縄登山口バス停(13:30)---奥宮一ノ鳥居(13:50)---駒繋ぎの場(14:50)---天狗の硯石(15:30)---飯縄神社(16:40)---飯縄山(17:00)---飯縄神社(17:20)

前回の朝霧高原オートキャンプに於ける自堕落ぶりの反動から、ひとりで山上のテント泊をしようと云う積もりで、計画を開始した。何処に行こうかと思案した挙句に、長野駅行きの高速バスに乗っている。目的地を決める前に、インターネットで高速バスの長野駅往復の格安チケットを発見して、衝動買いしてしまったのが理由である。正午に到着する長野駅から登山を行ない、頂上で幕営する。そんな行程で何処の山に登るのか、と云う思案で、飯縄山に決定したので、計画の手順としては、著しく序列が転倒している。廉価な交通費に釣られて、品性の質が下落の一途を辿っているが、長野迄往復三千二百円は安い。尤も、話は前後するが、翌日の下山後は、戸隠神社で温泉と蕎麦を堪能し、帰途に立ち寄った善光寺の門前でも、蕎麦屋の梯子をしつつ一献を傾けたりしたから、帰京した頃には財布の中身はすっからかん。却って濫費に偏することになってしまった。

飯縄山は長野市郊外のリゾート地、飯綱高原から登り、好展望で知られる山である。気軽に日帰りで登る山、と云う印象だが、東京からやってきて午後から登るとなると少し忙しい。山頂はふたつのピークが在り、其のひとつには飯縄神社が祀られているから、穏やかな平坦地が在ると見込んで、テント泊を目論んでいる。飯縄権現は飯縄大明神の本地垂迹から転じ、天狗信仰から飯縄法と云う呪術信仰も敷衍させた神様で、少し不気味な印象も在るのだが、私は敬虔な気持ちで観念論を受け入れる善良な市民なので、其れ程怖がりはしない。心に引っ掛かりが在るとすれば、わざわざ長野迄遠征するのに、飯縄山に登って下りてくるだけ、と云う呆気ない行程は如何なものか、と云う思惟であった。

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飯綱高原に向かうバスは戸隠キャンプ場行きである。キャンプ場は戸隠山、高妻山への登山口でもある。戸隠キャンプ場に泊まって、翌早朝に出立すれば充分に秀峰を目指すことも出来そうであるが断念した。整備されたキャンプ場ではなく、山頂での幕営を実行すると云う、計画当初の動機が在る。そして、四月の信州北部である。安易に足を踏み入れて、雪山遭難の惨禍に巻き込まれる懸念もある。最も怖れているのは、名にし負う蟻の門渡りの戸隠山で、残雪状況も不明な儘でナイフリッジに突入する勇気は全く無い。山を舐めてはいけない。此処は心静かに、北信五岳の入門篇とも云うべき、飯縄山で一夜を過ごすと云うことで満足しようと思った。

此の想念は、長野駅に到着した時点でも、なかなか自己完結が出来ていなかったようで、五時間の長旅の果て、長野駅前の喫煙所で休憩していたら、タクシー運転手のおじさんに、山の帰りかい、と訊かれた。巨大ザックを背負った儘紫煙を燻らせている私は、此れからです、と、鷹揚な感じで答える。そうしたら、もうひとり、スーツ姿の初老男性が目を輝かせて、何処の山に行くの、と訊いてきた。

私は内心で動揺し、思わず「戸隠…山…です」と答えた。巨大ザックを背負って飯縄山、と云うことが出来ず、思わず見栄を張って虚言を吐いてしまった。スーツ氏が、昔はよく登ったものですよ、と嬉しそうに云う。今年は雪が少ないようだから、まあ大丈夫だな。タクシー氏が私の風体を眺めつつ云う。私の背筋に、冷たい汗が滴ってくる。蟻の門渡りが凍ってると面倒だけどな。タクシー氏も、かなり、やりそうな雰囲気なのであった。私は、今更本当のことも云えず、気が付いたら、高妻山の往復にしてもいい、などと嘘の上塗りを喋っている。自己嫌悪に苛まれつつ、ふたりにエールを送られて、其の場を辞した。嘘は、いけない。近日中に、戸隠、高妻に登りに行かなければならないような気持ちになって、私はバス乗り場に向かって、よろよろと歩いていった。

アルピコ交通の戸隠キャンプ場行き急行バスは、見るからに年代物と云う感じで、古色蒼然としていた。走り出すと、其の振動が余りにも激しくて、私は徐々に気分が悪くなっていった。長野駅構内で食した、ナカジマ会館の天ぷら蕎麦は、立ち食い蕎麦に対する観点からすると、目から鱗が落ちるほど旨かったが、其れも逆効果に作用してしまいそうな程であった。善光寺の表参道を丹念に停車して客を拾い、郊外に抜けると、ロートルバスは一気に急行になって勾配の国道を、絶叫しているような音を立てて走り続ける。浅川ループラインを旋回して勾配を稼ぎ、スキー場の麓に出ると、飯縄山が明瞭に聳え立っていた。東京の雨が長野市街では晴れに転じたが、飯綱高原は薄曇りの曖昧な明るさで静まり返っている。目の前に、直ぐに登れそうな程、飯縄山は近いのだが、バスは折角登り詰めた国道を下り始める。大座法師池の畔に在る、飯綱高原バス停に到着すると、周囲はドライブで訪れる客で賑わう、観光地然とした雰囲気になった。

白樺の立ち並ぶ高原の道を、バスが右方向に舵を切って走り続け、ふたたび樹林の合間に、飯縄山の姿が近づいてきた。長野カントリークラブの敷地が左車窓に現われて、車内アナウンスが飯縄山登山口の到着を告げる。登山口と云うよりも、ゴルフ場入口とでも云った方が適切なようなバス停に下りたのは、私ひとりだけであった。

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サンダルを登山靴に履き替えて、別荘地の中を真直ぐに伸びる舗装路を歩き始めた。飯縄山への主要登山道は、此の南登山道の他に、戸隠神社中社から続く西登山道も在るのだが、明日は中社の近くに在る温泉に入ろうと考えているので、復路に辿ろうかと考えている。飯綱高原の別荘地は、未だ冬枯れの木立の中で静まり返っていて、人の気配は窺えない。日曜日の曇天の午後、リゾート地に誰も居ないのは、少し不気味な雰囲気のように思えた。

別荘の建造物が尽きて、石の鳥居が現われる。広場には十台以上の車が駐車されているので、大勢の登山者が下山してくるのと擦れ違うことになる。鳥居の、飯縄大明神の文字に少し慄きながら、結界の中に入っていく。其れで登山道が始まった。暫く歩くと、木製の奥宮一ノ鳥居が現われる。直ぐに「第一、不動明王」の立て札と小さな石仏が在り、看板には、「十三仏縁起」の文が記されている。第一の不動明王から、第十三の虚空僧菩薩迄、道標の代わりとして建立されたのが文化十三年。長い年月なのでいろいろ有ったか、破損、消失の惨状が常態となり、昭和四十六年に補填再建したと有る。南登山道が堂々たる表参道であることが窺える。以後、各所の石仏を拝みながら登っていった。小さいが、何れも光背等に意匠を凝らした石仏であった。傍らに、丁寧に標高が記されているので、道標の役割も頷ける。

登り始めてから間もなく、早速ハイカーたちが頻繁に下山してきた。挨拶は交わすものの、巨大ザックを背負う単独行者が、妙な時刻に登り始めているから、殆どの下山者は胡散臭そうに私を見ているような気がする。長野市の郊外の山である。私は余所者の自覚を失ってはいない。其の後も極力、朗らかに挨拶をしつつ、擦れ違い続けた。上に泊まるんですか。唯一、子供連れの中年男性が、感心したような感じで声を掛けてくれたので、少し穏やかな気持ちになった。

実直に北進する尾根の上を、淡々と登り続ける。白樺が点在する自然林の左手に、併行して延びる尾根が在り、其の先がこんもりと盛り上がるピークになっている。麓から明瞭に見上げることのできる笠山である。三角点の在る1409.1mピークは、笠山の南側に、尾根が分岐する小ピークになって付随しているのだろう。第六番の弥勒菩薩には、1409mの標柱が在るから、現在位置の見当が付き易い。笠山と南登山道に挟まれる谷が狭まってきて、笠山が随分近づいてきたので、道程は後半に入りつつある。

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第七の薬師如来が1430m、第八は観音菩薩で1452m、標高は小刻みに加算されていく。既に地蔵菩薩も弥勒菩薩も登場しているから、次は阿弥陀か大日如来か、そんなことが気になりながら登り一辺倒の道を辿っていく。踏路の途上に露岩があり、其の上に載せられた恰好で、第九の勢至菩薩が在った。第十が阿弥陀如来の1508m。笠山の標高に近接してきた。十三仏も残り少ないが、阿弥陀の次に現われた1522mは、ナンバリングが施されていない馬頭観音だった。其れに対する意味を神妙になって思案しつつ、すっかり人影の無くなった登山道を登り、程なく広い平坦地に到達した。ガイドブックの地図に記されている駒繋ぎの場である。ザックを下ろして休憩する。馬頭観音の近くに駒繋ぎで、意味を汲み取れそうに思うが、此処には第十一の阿閦如来(あしゅくにょらい)が鎮座している。憤怒の相は神妙な表情にアレンジされているようにも見える。

時刻は午後三時になろうとしているから、此処迄、エアリアマップのコースタイムよりも時間が掛かっている。其れは織り込み済みで、山上ビバークの身上では、急いで登頂する必要が無いから、ゆっくりと歩いてきた。標高も上がってきたので、もう下山者は居ないのかな、と思って休憩していると、女性がひとり、通り過ぎて行った。あと、どれくらい、飯縄山に人が残っているだろうか。日曜の夕刻なので、其れ程のんびりしている者は少ないだろう。駒繋ぎの場から、登山道は尾根の東側にトラバースして、緩やかに勾配を上げていく。相変わらずの曇天だが、東南方向の眺望が開けてきた。俯瞰して眺める大座法師池は、存外に大きく見える。

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山腹のトラバースから、尾根を跨ぐ九十九折の踏路になり、水場も現われた頃、第十二の大日如来が現われた。其の後は巨岩に鎖が設置された箇所を越えて、登山道は痩せ細っていく。樹木は疎らになって、主尾根が近づいている気配である、と思った途端、子供の嬌声が聞こえてきた。未だ居たのか、とは内心の呟きであるが、子供連れで遅い下山は、自分にとっては気が知れない。折角、大荷物を担いで登っている飯縄山が、家族連れの呑気さで、緊迫感が無くなる。自分の山行が、なんだか矮小化されているような気になると云う、恣意的で捻じ曲がりの想念である。そんな気分で登攀の詰めに掛かって、休憩ポイントである、天狗の硯石に到着した。フラットな巨岩の硯石には若いカップルが並んで座っているから、私は失望の色を隠せない儘、挨拶の声を掛ける。其れで異変を感じ取ったか、若い男女はそそくさと立ち上がり、去っていった。舌打ちするような気分で、其れでも静かになった天狗の硯石に腰掛けて、私は飯綱高原を眺める。紫煙が、薄曇の空に吸い込まれていく。

時刻は、未だ午後三時台であった。登頂して、テントを張るには未だ早いだろう。私はザックを枕にして、硯石に寝転がった。耳を澄まして、人の気配を探ってみる。鳥の声が控え目に聞こえてくるだけである。もういい加減、誰も居ないかも知れない。そうひとりごちて目を閉じると、控え目だった筈の鳥の声が混淆しながら、躍動感を伴って聞こえてくる。山の夕暮れに鶯の声が聞こえる。もう、春なのだと云う、あたり前のことを、反芻するようにして、私は新しい煙草に、火を点けた。
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