八ヶ岳

初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。

Akadake0

阿弥陀岳から眺めた黒雲は荒天に転ずることも無く、行者小屋での幕営は平和裏に終わった。することもないので十九時には寝入ってしまった。案の定、深夜に目覚めてしまい、テントから這い出て、小屋の前のベンチで紫煙を燻らせた。圧倒的な星空を、久しぶりに眺めたような気がする。真夏の夜の行者小屋は、適度な気温で快適であったから、スキットルに入れたウヰスキーを飲みながら、何時迄もぼんやりとして過ごした。其の所為かもしれないが、翌朝は寝坊してしまった。予定していた起床時刻から一時間過ぎてから覚醒した。周囲のテントは畳まれる気配は無いが、出立の準備をする人々で、幕営場はざわめいていた。行者小屋から赤岳に登る大抵の人々は空身で、ふたたびテントに戻ってくるようである。私は、此れから赤岳を越えて清里に下山するから、すべての荷物を背負わなければならない。合理的ではない計画のような気がするが、止むを得ない。珈琲とパンの朝食を摂って、大荷物とともに立ち上がった頃、阿弥陀岳の頭に朝陽が照らされた。其れで、八ヶ岳の二日目が始まった。

2015/8/16

行者小屋(6:00)---文三郎尾根---赤岳(8:00)---県界尾根---大天狗(10:00)---小天狗(11:05)---清里ハイランドパーク(12:30)

Map2

中岳と赤岳のコルを目指して、阿弥陀岳の分岐から、今度は左手の尾根に向かう。赤岳直下の崖印が散見する険しい文三郎尾根に、延々と階段が設えてある。だからジグザグに登る必要は無い。階段の直登である。此のようなルートは冗漫な気分に陥り、却って苦痛になりそうに思えるが、高度が上がるに連れて、朝陽に照らされた阿弥陀岳の美しい姿が披露されてゆく其の景観に心を奪われるから、退屈するようなことは無かった。御来光の為に早出する者が多いからなのか、中途半端な時刻の文三郎尾根は、其れ程混雑していない。私は、巨大ザックを背負いながらも、順調に階段を登っていった。

行者小屋を下方に望み、視線を北八ヶ岳の方に向けると、御猪口を逆さにしたような蓼科山が頭を出した。八ヶ岳のカテゴリに入る北端の山を具体的に見知って、いつか登ってみたいと云う希望が湧いてくる。其れは自分の裡に消えかけていた想念だったことに、ふと気づいた。意欲が磨滅しつつある自分に、少しだけ希望のようなものが湧いてきている。


延々と続く階段を登っていると、思惟が混濁して、理屈が組み立たない。自分の、どのような意欲が消えかかっていると云うのか。其れを追求することは、怖いので考えない。

稜線に夥しい登山者たちのシルエットが続いている。赤砂礫のコルに立つと、反対側の権現岳の彼方の雲の上に、南アルプスの山々が浮かんでいた。其の連なりの中で、顕著に佇立しているのが北岳であろう。富士山の次に高い山は、なんとなく同じ高みから眺めているようにも感じられる。八ヶ岳も、相当に高いのだなと、実感できるのである。阿弥陀南稜の彼方に、昨日の昼光では判らなかった威厳のある山容が窺える。木曽御嶽山が、何者も寄せ付けないで、雲に浮かんでいた。

Akadake1

絶景の鞍部に腰を下ろして休んでいるうちに、多くの登山者が赤岳に向かって出発していった。殆どの人々が文三郎尾根から登ってくるが、中岳からも疎らだが人がやってくる。健脚なものだと思って女性ふたり組みに挨拶をすると、アジア系のツーリストだった。彼女等が去って、私も漸く腰を上げた。赤岳は、もう目と鼻の先である。しかし、急峻の岩場を実直に登っていくから、予断を許せない。登山地図のコースタイムは四十分となっている。

砂礫をジグザグに登り続け、登路はやがて岩襖の重なる壁に沿っていくようになる。キレット方面の稜線が近づいてきて、視界は徐々に狭まり、南アルプスの風景は額縁に囲まれているように見える。八ヶ岳の稜線に、霧が覆い被さるように蔓延し始めて、其れが私の行く手の先に漂い始めた。ロープを掴んで岩場を伝っていく道が続き、登山者たちの縦列は徐々に渋滞していった。此処迄来れば慌てる必要も無い。皆が、もう直ぐ出会う筈の絶景のピークに、期待を膨らませながら、先行者が安全に登っていくのを待っていた。

Akadake2

キレット分岐に合流して、最後の岩壁を伝って登りきり、山梨県側の空が広がった。八ヶ岳の東側は、白い雲が足元まで到達しそうなくらいに湧きあがってきていた。雲海から霧が立ち上り、少しだけ上部を見せていた富士山が、アッと云う間に姿を消した。茫然としながら其れを見届けて、赤岳の頂上の方に視線を移すと、眩しいほどの青空であった。三角点のピーク、赤岳の南峰の祠には、大勢の登山者が纏わりつくように集まっている。私は、一瞬だけ三角点に触れてから、頂上小屋のある北峰を見下ろす処に移動してザックを下ろした。

八ヶ岳の最高峰に、呆気なく登頂してしまったと云う感懐。なんだか達成感が薄いような気もするが、阿弥陀岳を少し見下ろす角度で眺めると、やはり最上のピークに立ったのだと云う実感が湧いてきた。地平線の彼方に、すべてのアルプスが浮かんでいるのが見渡せる。自分が、唐突に天空に担ぎ上げられたような、そんな気分だった。赤岳の南北の峰を繋ぐ途上で紫煙を燻らせていたら、昨日擦れ違った山岳部の青年たちが現われて会釈した。

Akadake3

北峰に移動して、横岳に至る急峻断崖の稜線を眺める。鞍部に建っている赤岳展望荘は存外に大きな建物だった。硫黄額、横岳、いつか縦走する時が来るのだろう。北アルプスに傾倒していた自分の心裡に、八ヶ岳が余禄を持ちながら楔を打ちこんでいく。そんな想像をした。心地好く圧倒された気持ちの儘、断崖の淵にやっと建っているような、赤岳頂上小屋の脇を通って、県界尾根を下ることにした。横岳に連なる縦走路の賑わいとは裏腹に、誰も居ない急峻の岩崖を、及び腰になりながら降下していった。

Akadake5

這松の覆う急峻に、ひと筋の踏路が刻まれている。其の勾配は徐々に尋常ではない角度になって、やがて鎖が延々と連なる箇所に行き着いた。展望荘からの道に合流する迄、息つく暇も無い鎖場が連続していた。漸く分岐に達して、北面の稜線を見る。赤岳展望荘は、もう見上げるような位置に在った。赤岳の頂上の方を見返すと、緑に覆われた尖峰が削り取られたように天を衝くように聳えている。甲州側の急峻の途上は霧に包まれてしまいそうであるが、相変わらず、信州側の空だけが青い。県界尾根は南北に国境を分けているが、八ヶ岳、其れ自体が、風土を分化して、あるいは遮断しているかのように存在していた。

険しい鎖場は尚も続き、其れが漸く落ち着いて樅や松の樹林帯に入り込んだ。東に向かって、ひたすらに伸びている尾根を下り続けた。重いザックのことは、全く顧みることができないくらいの険しい行程で、尾根が緩やかになった頃、漸く隣の真境寺尾根を眺めながら歩き続けた。登ってくる単独行の人と擦れ違うようになり、苔むした巨岩の在る瘤が大天狗で、ふたつの尾根が分岐する地点であった。此処で壮年夫妻が休憩していた。其の隣で、私も大荷物を下ろした。

此の夫妻は麓に自家用車を置いて、県界尾根から赤岳に登頂後、真境寺尾根を下ると云う。甲州側から日帰りの赤岳である。其れはハードな行程ですね、と云ったら、まあ、そうね、と夫人が満更でも無い口調で応えた。主人の方が学生時代の山岳部時代に、何度も縦走した話を聞かせて呉れた。私は初めての八ヶ岳であるから、いちいち首肯して拝聴する。そして私も自分の山行歴などを話す訳だが、婦人が怪訝そうに、東京に住んでいて八ヶ岳が初めてとはどういうことか、と云った。北アに傾倒していた自分の説明を云うと、夫人は、近いんだから八ヶ岳をしっかり登らなきゃ駄目よ、と、冗談では無さそうな表情で云った。私は別段悪い気分にもならず、夫人の云うことを受け入れた。夫人は、もっと昔の話を続けたそうな主人を急き立てて、ふたりは出発していった。

県界尾根は徐々に進路を東南に向きを変えて、緩やかに続いていた。高度が下がるに連れて、清里の穏やかな丘陵地帯が見渡せるようになっていく。天候はすっかり好転して、陽光が眩しい。下界に戻ったのだな、と思った。小天狗を過ぎて少し先に、県界から外れて下山する道が分岐している。其れに沿って進路を南に九十度変更した。無理矢理下降する登山道は直ぐに終わって、堰堤の在る大門川の上流に到達した。川に沿って延々と歩き続けて、やがて車道になってからは、清里高原らしい白樺林の中を徒歩で移動していく。

遠くからレジャー施設のアナウンスの声が、風に運ばれて聞こえてくる。時刻は正午を過ぎる頃だった。今朝眺めた赤岳からの絶景のことが、白日夢のように現実感と乖離していく。長い車道歩きの所為だろうか。私は、虚ろな気分で、舗装路を歩き続けていた。

行者小屋から阿弥陀岳

Yatsu1

人気のある山域なので、混雑するのだろうと思い、なんとなく敬遠していた八ヶ岳に向かうことにした。青春18切符を消化しなくてはならないと云う、期限付きの制約もある。前回同様、北アルプス方面に向かう積もりであったのが、出立の数日前に気が変わった。遠く迄出掛けるのは構わない。しかし、帰途の長いのが億劫に感じるようになってきた。美濃戸口に向かうバスは中央本線の茅野駅から発車する。茅野迄鈍行に揺られるのも長いが、往路の長いのは気にならないし、乗車区間が長くなるのは此の場合得策に適う。八ヶ岳初訪問で信州側から最高峰の赤岳に登り、其の儘山梨県側に下山して、小海線経由で小淵沢から中央本線の電車に乗れば、簡単に帰京することができると考えた。山に登るのに、億劫な感懐を既に覚えていると云うのが、随分倒錯した心理である。面倒ならば出掛けなければいいのにと思うが、八ヶ岳に登ると云う計画が浮かんでからは気持ちは幾分高揚してきた。そう云う訳で、始発電車に乗車し、茅野駅前からバスに揺られた。乗客は十人にも満たない程空いていた。

2015/8/15

美濃戸口(9:20)---美濃戸山荘(10:20)---行者小屋(13:00)---中岳のコル(14:30)---阿弥陀岳 (15:05)---行者小屋(16:50)


Map

高原野菜の畑が広がる風景の中を、バスが徐々に高度を上げていく。八ヶ岳の姿は随分遠くに連なっている。やがて原村の別荘地に入り、樹林帯に囲まれて何処に居るのか判らない儘バスが走るようになった。周囲が明るく開けた処が終点の美濃戸口で、八ヶ岳山荘の駐車場に自家用車の群れが広がっている。其れで路線バスの車中の閑散ぶりが首肯できた。そうして山荘の軒先で身支度を整え、落ち着かない気分の儘歩き出した。此処から柳川に沿って、林道を一時間程歩かなければならない。晴天の陽射しは木立に遮られ、涼しげな砂利道の森の中を歩き続けると、やがて柳川を渡って対岸の尾根に傾斜を上げていく。時折自家用車がゲートのある美濃戸山荘に向かって走り去るのを、忌々しい思いで見送る。歩いているハイカーは数える程である。一体、八ヶ岳に向かう皆は何処から湧き出てくるのか。そんなことをぼんやりと思いながら単調な林道を歩いていた。

強烈な日差しに照らされて、砂利道の先が白く眩しくなってきた。やまのこ村の建物の周辺には、夥しい数の自家用車が駐車していた。此処迄の林道を振り返ると、此れ程の車が通ってきたようには思えない静かな道だと思っていたが、大多数の観光客は、バスなどを使わずに美濃戸にやってきていると云うことを知った。テント装備のクレッタルムーセンHuginが、徐々に重量感を増して肩に食い込んでくるような気がした。私は、俯き加減になって重いザックを背負い、喧騒の中を通過していった。木立の中を少し歩いて、やがて美濃戸山荘に到着した。

ところで私は、八ヶ岳のことを漠然としか知ってはいない。南北に連なる高峰の、夏沢峠を境にして北八ヶ岳、南八ヶ岳と分けて呼ばれていること。天を突くような砂礫と岩稜の峻険な山々は、最高峰の赤岳を含めて南八ヶ岳に集まっていると云うこと。北八ヶ岳は対照的に、麦草峠は国道が横断し、北横岳の方にはロープウェイがあり、観光地然とした開発が為されていると云うこと。登山の八ヶ岳としての核心部は、昭文社の地図に拠ると、天狗岳から南端の編笠山に至る部分であると云うこと。そんな程度の認識である。美濃戸から赤岳鉱泉を経て硫黄岳に登り、赤岳を目指して縦走するのが定石のコースと思われるが、私は赤岳への最短ルートを登り、其の儘反対側の清里に下山する。十分な時間が無いことが絶対的な理由だが、初めての八ヶ岳で、核心部をひと通り歩いてしまうのも性急で情緒が乏しいような気がする。

赤岳鉱泉に向かう北沢と、行者小屋に向かう南沢の二股になっている美濃戸山荘で暫く休憩した。お盆休みの夏休みである。八ヶ岳に多数の人間が集まることは想像に難くない。沢沿いの整備された登山道を歩き続ければ、もう赤岳の裾に到達できるのである。その利便を、私もまた享受している。靄靄とした考えを振り払い、川瀬の音を聞きながら、私は紫煙を燻らせていた。

Yatsu2

南沢の右岸を、整備された登山道が辿り、緩やかに勾配を上げていった。美濃戸中山から落ちてくる尾根を、丹念にトラバースしながら、苔蒸した岩が点在する木漏れ日の山道を歩き続ける。眺望の無い谷筋の登りを繰り返しているうちに、瀬音は全く聞こえなくなった。時折下山者と擦れ違うので安堵するが、行者小屋の方角に向かって歩いている気がしない。漸く心細い程の谷を渡渉して、暫く尾根に沿って歩くと、道が唐突に砂礫状になって、青空が広がった。南沢の流れが見えない儘、川原の道を歩き続けていくと、正面の彼方に、奇怪な山容が屹立しているのが見えた。横岳が見えると記されている登山地図のポイントに到達したことを知って、私は漸く安堵した。

等高線の間隔が広がっている地図の通りに、其処からは広い河原のそぞろ歩きとなった。視界は徐々に広がって、硫黄岳から連なる南八ヶ岳の衝立が聳えている。右手に樹林帯が遠ざかっていって、彼方に阿弥陀岳の頭部が覗いている。黙々と渓を歩いて、知らぬ間に八ヶ岳の懐深い処に辿り着いていたと云う感覚であった。河原の道が右に進路を変えて、遠くの森の向こうに喧騒の様子が窺えた。美濃戸山荘から二時間半を歩いて、行者小屋に到着したのだった。小屋の前のテーブルに、幾多の登山者たちが寛いで騒いでいる。幕場は広いが、既にたくさんのテントが張られていた。

Yatsu3

愛想の無い小屋の従業員に手続きをして貰い、小高い位置にある場所にテントを張った。周囲の賑わいを他所に、黙々と作業をする。今年初めての幕営である。前回のテント泊は何時だったか。昨年九月の至仏山以来、およそ一年ぶりの幕営なのだと云うことを回想しながら、粛然とした心裡でテントを張った。時計を確認して、改めて眼前に聳える阿弥陀岳を見上げる。標高2800mを超える八ヶ岳の高峰のひとつに、行者小屋から一時間強で登頂できるのである。午後一時を記す時計を再度確認して、私は軽装になって出発した。

Yatsu4

南沢が行き着く先に沿って、樹林帯の道に入る。喧騒が遠のいていくのに安堵した頃に、阿弥陀岳と赤岳の分岐点に到達した。両雄の狭間に立つ中岳の西側に向かって進路を変えていく。勾配が急激に厳しくなって、登山道はジグザグに登るようになっていった。中岳沢を越えて阿弥陀の尾根に張り付くと、岳樺の森を見下ろすようにして眺望が広がった。八ヶ岳の稜線上に、建造物と人影が見える。赤岳展望荘から視線を転じると、最高峰の赤岳が直ぐ眼の前に聳えている。

携行用ザックの身軽さで、足取りは軽い。足元が岩礫になってロープの垂れる箇所をパスして、背後を振り返ると、硫黄岳迄見渡せる眺望になっている。中岳と阿弥陀岳の鞍部には、数人のハイカーが佇んでいたが、私が到達すると、散り散りに去っていった。阿弥陀岳の頂点に向かって、稜線は急激な傾斜となって続いていた。先行者は軽装だがヘルメットを装着していた。其の先を見上げると、巨岩が折り重なっている。私は其れを見て怖気づいたが、此処迄着てしまっては仕方が無い。暫く休憩してから、無為な心裡の儘、急峻に向かって足を踏み出した。

Yatsu5

鎖場が現われて直ぐに、大勢の下山者が降りてきた。若い男女が十名程で、女性の一部が随分梃子摺りながら降りている。其の間隙を衝いて登ることにした。彼奴等のような集団が登っていけるのならば、まあ大丈夫だろう。そんな感懐を抱きながら、其れでも気の抜けない三点支持で、岩礫の登路を登り続けた。阿弥陀の岩礫の途上から、南に広がる連嶺を眺める。赤岳から南下していくキレットの向こう側から、霧が湧き出している。稜線の彼方に、権現岳と編笠山が綺麗に並んでいる。

阿弥陀南稜の奇怪な岩尾根が見渡せるようになった頃、大学の山岳部名が記されたシャツを揃いで着ている、三名の若者が下山するのと擦れ違った。嫌な雲が出てきました。リーダー然としたひとりが云った。振り返ると、赤岳の背景は黒い雲で覆われ始めていた。中岳の稜線が、斑になった陽射しと陰の模様になっている。不気味な色彩に変わっていく周囲を眺めながら、其れでも仕方が無い、私は誰彼ともなく呟いて、山岳部諸君と別れた。

Yatsu6

這松に覆われた巨岩の淵を、赤茶けた岩礫がレンガのように折り重なっている。其れを慎重に踏んで、最後の砂礫を登りきって、阿弥陀岳に登頂した。山頂は広くも狭くもないが、赤岳以外に遮るものが無い全方位の眺望だった。赤岳は薄暗い雲を背景にして不気味に佇んでいるが、反対側には遥か遠くに諏訪湖を囲むようにして盆地が広がり、真夏の陽射しが照りつけている。もうひとり居た登山者が去り、山頂は私ひとりになった。明るい南稜を見下ろす場所に座って、茫洋とした気分の儘、紫煙を燻らせた。八月十五日。真夏の午後三時。静かな阿弥陀岳の頂上で、私は何時までも、風景を眺めていた。霧ケ峰の車山が、徐々に雲に覆われて、見えなくなっていった。
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック