八ヶ岳

東天狗・初めての厳冬期八ヶ岳登山(後篇)

アイゼンを外して二重の扉を経て、黒百合ヒュッテの屋内に入ると、眼鏡が瞬時に曇って何も見えなくなった。土間の左手に在る休憩場所の小上がりは、隙間無く人々が蠢いている。ストーブの暖気と人いきれで、小屋の中は熱気に溢れていた。眼鏡を拭き直して前方を確認し、難渋しながら靴を脱いで、二階に上がると、薄っぺらい布団が敷き詰められている大広間に出た。

黒百合ヒュッテは、夕刻になってから宿泊客に布団の割り当てが行なわれるので、其れ迄は二階に上がることが出来ないと云う規則になっているが、我々は大広間の奥にある個室に入って、荷を下ろした。布団部屋のような狭い空間に、七人が泊まることになるが、此れで心おきなく仲間だけで酒宴を開催することが出来る。一人当たり千円の追加料金で個室を確保出来たのは幸運であった。

未だ時刻は午後三時だが、早速一献を傾ける。大勢居るので、持参された酒も潤沢にあり、随分飲んだ。随分飲んで酒肴も食したが、午後六時から開始された小屋の晩飯もたらふくに食した。初めての小屋泊は、グループ登山のおかげで愉しく過ごすことができた。そして改めて思うのは、単独行の場合では、やっぱり小屋には泊まらないだろうと云うことであった。

Yatsugatake

2018/2/11
黒百合ヒュッテ---中山峠---東天狗---黒百合ヒュッテ---渋の湯

個室に七人が隙間無く寝床を作ったので、室内は存外に暖かく、快適に眠ることが出来た。未明の四時には目覚めてしまい、玄関先に出て紫煙を燻らせる。ひと晩で積雪は増していて、降雪は続いている。其れでも、敷地内には、多くのテントが設営されていた。暖かい小屋に居ると、テント泊の人々が気の毒に思えてくるが、其れは相対的な思惟であることも承知している。

時間に余裕を持って、荷造りを行なう。今日の行程は、未だ正式には世話人氏から発せられていない。登山隊のリーダーは、登頂の可能性を推し量りながら、決断を遷延しているのだろうと察せられた。夜が明けても、鉛色の空から微弱な降雪は続いている。私は、天狗岳登山は、やはり諦めなければならないのだろうと思った。しかし、午前中に天候が回復するだろうと云う予断で、結局は登頂を目指すことに決まった。其れで小屋の朝食の席に付いた。食欲は旺盛で、我ながら不思議になる程、体調は万全だった。およそ九時間も熟睡したので、然もありなんである。

ふたたび中山峠に向けて歩き出したのは、午前八時に近い時刻だった。夏道の所要時間が約一時間半の、東天狗岳への行程である。程無く稜線上の峠に達して、南に進路を変える。樹林に囲まれた勾配の向こうに、白い空間が広がっている。少しの勾配を経て、積雪の岩稜帯に飛び出した。明瞭だったトレースが、風雪によって曖昧になっていった。私は、前を歩く人に、唯々諾々と追随するように歩いていた。

風が強くなり、雪の粒がアウターシェルを叩く。ゴーグルの向こうに見る光景は、右も左も判らなくなるくらいに茫漠としていた。雪塊から突き出ている巨岩、風雪に塗れながら眺める其の佇まいは、不気味だった。先行するパーティが道を失ったらしく、支尾根に入り込んだ。そして、我々も其れに釣られてしまいそうになったりした。そんな出来事に接すると、もしも単独行だったならば、と云うようなことを考えて、空恐ろしくなった。視界の儘ならない、荒天の雪山を歩くと云う難しさを、実感できたような気がした。

Htg2

黒百合平の南側に連なる支尾根が、もう直ぐ合流しようかと云う地点で、徐々に前方から歩いてくる登山者たちと擦れ違うようになった。標高2455mに登る勾配に突き当たった時点で、撤退を決めた人々だった。天候が穏やかに転ずる徴候は、未だに窺うことができないが、我々は、黙々と歩を進めた。やがて東天狗の前衛峰に登る傾斜が現われる。下山してくる人は散見できたが、我々の後続には、人影が無くなってしまった。

時間は然程掛かっていない筈なのに、前衛ピークを越えて、左方に急峻な断崖を認めながら稜線を辿る過程は、非常に長く感じられた。いよいよ山頂直下に掛かる岩礫の高みを確認する箇所で、世話人氏の細君氏が、撤退を表明した。MD氏も疲労の表情を隠せないでいるようであったので、私は此処で全員が撤退するのかと思った。其れも止むを得ないだろう、そんな気持ちになるような強風の稜線の上に、我々は居た。

細君氏とHSさんの女性ふたりが下山すると云うことになって、男性五人が東天狗への登頂を目指すことが決まった。付き添いはHSさんに拠る配慮であった。世話人氏は、折角なので登頂を、と云うメンバーに対する気遣いから、登山を続行する決断をしたものと察せられた。再出発したが、NZ、KR両氏と私は、体力的に問題が無いようだったが、MD氏が遅れ始めた。東天狗岳北面の岩稜下で、とうとうMD氏が、此処で待っている、と云った。岩稜帯の小鞍部の、吹き曝しで、ひとりを残すことは出来ない。そう世話人氏が伝えて、MD氏はアタックを再開することになった。

Htg1

東天狗岳に至る岩稜帯のルートが、夏はどうなっているのかは知らないが、我々はピークの西側を捲くようにして、徐々に岩礫の雪道を登り続けた。そうして、標高約2640m、厳冬期の北八ヶ岳、東天狗岳に登頂した。吹雪と形容してよいような強風の中で、我々は防寒姿で握手を交わした。周囲がどうなっているのか、全く判別出来ない荒天の中の登頂であった。西天狗岳と根石岳、夏沢峠を示す標柱が、凍てついた儘立っている。茫然としながら其れに触れて、一応は目的を果たしたのだ、と云う感慨が自分の心裡に湧きあがるのを待った。しかし、感慨に耽ると云うような気持ちの余裕が全く無い、と云うことだけが実感できただけであった。

登ってきた行程を引き返し、頂上直下の岩稜帯をトラバースして、断崖の淵の稜線に達した処で、HSさんと細君氏が待っていたので驚いた。一旦は下山に掛かったが、トレースが不明瞭になったので、無理をしないで待つことにしたと云うHSさんの判断であった。雪山登山に於ける慎重を期した行動に、私はふたたび感じ入った。

Htg3

黒百合ヒュッテに帰還したのは、正午に近い頃だった。私は腕時計の類を持たないので、登山中の時刻の確認は、デジタルカメラの液晶画面で行なっている。今回、行動の時刻が曖昧なのは、カメラを取り出して写真を撮ると云う行為が全く出来なかった為である。黒百合平から東天狗の往復で、約四時間が経過していたことになるので、其の厳しい道程が判然としてくる。小屋の中に入り、漸く息を返したような思いになって、長い休憩を取った。二月の厳冬期だが、日曜日の正午の黒百合ヒュッテは、多くの利用客で賑わっていた。

渋の湯に引き返す行程は、およそ一時間半のコースタイムであったが、一時間程で到達した。硫黄の香漂う渋川の畔に出て、雪山登山が終了した。吹雪の稜線に居たのが信じられない程に、麓に戻ると天候が回復していて、青空が広がっていた。

初めての雪山の登山を顧みる。自分の意識は、めくるめく、と云う表現しか出来ない程に、混沌としていた。眼前の積雪の傾斜を、一歩ずつ辿っていくことしか、考えることが出来なかった。其れは、出発前にあれこれと想像していた、畏怖の念のようなものに、十分に合致した経験であった。私は其れで、すべてを納得したような気持ちになり、同時に、雪山の恐ろしさを、いつかふたたび経験するのだろうか、そんな未知の不安を考えたりしながら、皆と帰途に就いた。

東天狗・初めての厳冬期八ヶ岳登山(中篇)

Tengu1

渋の湯行きのバスは二台の増便になり、全乗客を着席させて、快晴の茅野駅を発車した。乗客は当然のことながら、冬期登山の装備と恰好の者ばかりである。ザックに括られたピッケルの先端が乱立している。其れは自分も同様なのだけれど、禍々しい光景に見えるので落ち着かない。縄文遺跡の尖石から県道渋の湯掘線に入り、銀嶺の八ヶ岳と、純白の蓼科山が交互に車窓に現われる。今迄は遠く眺めていただけの雪山であったが、今日は其れに登る。しかし未だ実感は湧いてこない。今日の午後から天候は悪化し、降雪となる気象予報であったが、今のところそのような兆候は全く感じられない。

Yatsugatake

2018/2/10
渋の湯---黒百合ヒュッテ---中山峠---黒百合ヒュッテ

県道が湯みち街道の名に変わり、勾配を蛇行しながらバスは雪道を着実に走行している。終点の渋の湯の標高が1800m程であるから、茅野駅から約千メートルの標高差を運んで呉れることになる。約一時間の乗車で、奥蓼科温泉郷の辺境地、渋の湯に到着した。二軒しか無い温泉宿の前に登山客が散開し、それぞれが準備を行なおうとした途端、宿のおばさんが飛び出してきて、玄関前に留まるなと喚き叫ぶので驚いた。其れで、登山者たちが蜘蛛の子を散らすようにして其の場から消え去った。

硫黄の香が漂う渋川の畔に移動して、いよいよ身支度を整える。オーバーパンツを穿き、ゴローの靴紐を締め直してからスパッツを装着した。登山詳細図の皆は着々と準備が整うが、私は動作が覚束ない。冬用手袋の裏地が本来の指先部分から外れてしまい、装着できなくなり焦った。世話人氏に直して貰い、漸く出発の列に並ぶことができた。平常心からは遠く掛け離れた気分で、指示された順位に並んだ。登山道は渋川を渡った処から、直ぐに始まった。

渋の湯から黒百合ヒュッテ迄、其れは八ヶ岳の稜線に至る行程の中でも簡便なルートであり、人気のコースである。夏山の所要時間で凡そ二時間半である。山麓から中山峠に至る長大な尾根の、標高2000mの圏内に向かって、渋の湯からの登山道は支尾根に沿って辿っていた。サブリーダーHSさんを先頭にして、登山隊は樹林帯の雪道を、粛々と登り続ける。多数の登山者が歩いているので、完全にトレースが出来上がっているから、歩行には何の支障も無い。アイゼンの必要性も余り感じることができないが、其れは軽忽な思惟なのかもしれない。

分岐を合わせる地点の道標を過ぎると、空の色がどんよりとしてきたのが、樹間から察せられるようになった。支尾根の勾配が、やや急になり、雪中行軍の隊列の間隔が乱れていく。HSさんの歩調は淡々としているが、ペースは速いようであった。今年は余り積もってないね、と云うような会話を世話人氏とMD氏が交わしている。雪化粧した潅木が周囲を覆っている登山道を見渡しても、積雪量の相対的な評価を下すことが出来ない私は、黙々と歩を進めるばかりであった。眼鏡の上に慣れないサングラスを掛けているのが気になって、時折位置を調整する。曇天だが、雪だらけの中では、サングラスを掛けている方が気分が落ち着くのが不思議であった。

パノラマコースと云う名のある尾根に合流する道標地点に到達して、多くの登山者たちが休憩していた。其れを横目に、我々は歩行を続行する。眺望の利かない樹林の中を、緩やかな勾配のトレースを歩き続けた。雪山装備の恰好で、地図を確認したり、カメラを取り出して写真を撮る余裕は、私には無かった。次第に雪が深くなり、急傾斜の踏路を終えると、視界が開けた平坦地が、黒百合平のようであった。

Tengu2

山小屋の向こうに広がる広場に、想像していた以上にたくさんのテントが設営されていた。今夜は黒百合ヒュッテに投宿するが、小屋の中に入る為にはアイゼンを外さなければならないので、取り敢えず此の儘中山峠迄歩こうと云うことになった。好天の場合は、初日に天狗岳に登頂する予定であったが、其れは既に中止の決定が下されていた。天候は予報の通りで、曇天の空に雪が舞っている。

テントサイトの中を通過して、いよいよ雪深い樹林帯に入り、間も無く強風の中山峠に到着した。東側が鋭く切れ落ちている、八ヶ岳の稜線に達した訳だが、余り其のような感興が湧いてこない。北方に足を伸ばして、眺望の開ける処迄歩く。風と霧が混淆して、何処にいるのか判らないような天候だが、此処で西天狗と、東天狗の前衛のピークが並んでいる光景を眺めることができた。東面の山麓風景が、遠くの奥秩父の山々を背景にして、広がっていた。視界の左端に、凍りついたように白い、特異な形状のテーブルマウンテンが、静かに横たわっている。あれが荒船山ですね。世話人氏が指し示した。

風はいよいよ強くなっていき、我々は黒百合ヒュッテに向けて踵を返した。初日、或いは翌日の午前中の何れかに好天に恵まれれば、天狗岳に登頂すると云う計画であった。恐らく、今日登れなかったら明日は無理だろう。スーパーあずさの車中で、HSさんが云ったことを思い出しながら、私は黒百合平への隊列に居た。悪天候は自然の摂理であるので、悄然として歩いている訳ではなかった。慣れないグループ登山、そして冬山の行程に、未だ内心が落ち着かない儘、私は積雪の樹林帯を歩いていたのだった。

東天狗・初めての厳冬期八ヶ岳登山(前篇・雪山装備の調達に懊悩する)

冬山の経験が殆ど無いに等しい私が、厳冬の二月に北八ヶ岳、天狗岳登山を敢行することになった。勿論自分の発想では無く、「登山詳細図」踏査隊のメンバーによる山行計画に参加させて貰うことになった所以である。リーダーである世話人氏に誘われて、その気になったのはいいが、其れからは、雪山装備の準備に就いて、頭を悩ませる日々が続いた。
登山計画書と共に送られてきた必携装備一覧によると、

登山靴(冬季用)、スパッツ、アイゼン十本爪以上、ストック、ピッケル、サングラス、ゴーグル、目出帽、冬季用手袋、ヤッケ(シェル)上下、防寒具、ニット帽、行動食、非常食、ツエルト、日焼け止め、地形図、登山地図、コンパス、GPS、ワカン(スノーシュー)

となっている。私が所有していないものを数えてみると、十三項目にも及んでいる。どうしたらいいのか。動悸、息切れ、そして眩暈を感じつつ、私は装備の調達に就いて悩み続ける。ひとつひとつ、克服していかねばならない。

登山靴は最も重要なところで、踏査隊の皆に聞いてみると、イタリアのスカルパ製のものがよいと云って勧められた。其れで山道具の店に行き、現物を確認した。申し分の無いもののように見えたが、高額の割りに、購買意欲が湧かない。合理的な材質と形状の重登山靴の佇まいに、魅力が感じられない。其れで、以前から欲しいと思っていた「ゴロー」の革靴のことを思い出した。受注生産のゴローは、足型を測って貰ってから製作するので時間が掛かるので、決行一ヶ月前の今からでは間に合わない。そう思っていたのだが、既に出来上がったものが自分の足にフィットすれば其れを購入できると知り、あわよくばの思いで、巣鴨の店舗に行ってみた。

Goro_arata

狭い店内に入ると、店主然としたおじさんが、一心不乱にソールの張替え作業に没頭しているところだった。客が入店しても作業を止めない店主に、ある種の畏怖を感じつつ、作業がひと段落する迄、私は其れを眺めていた。漸く、ソールがべりべりと剥がれていく。なかなか剥がれないんだよこれが。顔を上げたおじさんは私に云った。

初めての雪山、二月の天狗岳に登ることになった。私は、救急患者のような心境になって、買える靴が有るのかを相談した。其れで、足型を計って貰った。其れ程極端な足の形では無い、と云うことで、棚に陳列してあった靴を試し履きしてみる。私は、厳冬期の八ヶ岳なので、買うのであれば、ハイエンドモデルの「エグリー」であろうと考えていたのだが、「エグリーはちょいと大袈裟かなあ」と店主が云った。

其れで勧められた靴を履くと、問題無くフィットした。商品名が記された札に「アラタ」とある。「ゴロー」のホームページには掲載されていない靴だったので不安になるが、「未だ(HPに)載ってないんだよ。去年の12月から売りだしたから」とのことであった。価格は中敷きを入れて五万円弱であった。私は其れを購入した。雪山用重登山靴をさんざん物色して、凡その相場を認識していたので、其れ程高額だとは感じない。

「此れで四足目だ。売れたの」そんな店主氏の言葉に一抹の不安を覚えながらも、私はゴローの靴を入手できたことに安堵した。しかし、其れからが大変であった。重厚で硬い登山靴に慣れる為に、とにかく履いて歩かねばならない。翌日に、中央本線梁川駅から倉岳山に登った。急登や岩崖の点在する、北東尾根を果敢に登攀した。そして、平坦地では快適だった足取りが、急登になって異変が起きた。踵が痛い。登山靴を履いて、登りに掛かって足が痛くなると云う不条理に驚愕し、落胆した。早まってしまったのか。動悸が激しくなってくる。

Kuratake

ゴローの靴を買って、同様の痛みに遭い、其の後の経緯を記したインターネットの記事を探して読み漁った。殆どの書き手が、履き慣れる迄に一年以上を要して、やがて快適な履き心地になったと語っている。ゴローの利用者は、自分の足が靴に慣れる迄、辛抱強く履き慣らしていることが窺えた。最初の試運転を終えて、私はピンポイントで痛い踵痛に対する対応策を考える。踵にガーゼを当て、サージカルテープで固定し、厚手の靴下を二重に履いた。

倉岳山から四日後、今度は青梅線川井駅から沼沢尾根経由で高水三山の岩茸石山に登った。此処も主尾根に到達する迄に、楽では無い急登がある。靴下とガーゼの対策は効果的であった。帰宅してから布で靴を磨いて、防水ワックスを丁寧に塗り込むと、日が経つに連れて、なんとも云えない柔らかさの質感が増してくる。雪山登山の為に止むを得ず購入した靴のことなのに、ゴローの靴、其のマチエール自体に、すっかり魅了されてしまった。履き心地に進展があると、ますます愛着が湧いてくる。

今年になってから日本海側では、大雪に拠る激甚災害が頻発したが、1月22日に、関東地方にも大量の降雪があった。此れは、ゴローの靴を履いて雪を歩けと云う啓示かもしれない。私は翌日の正午近くに、のんびりと出発した。登山口に立つ時刻が遅いので、ふたたび梁川駅から、眼前に聳える斧窪御前山に登った。短い行程だが急登である。積雪は足首が埋まる程度で、勾配の積雪をキックステップで登り続ける。雪中歩きでも、足が冷えてくることは無く、踵もテーピングで大丈夫であった。私は満悦の境地で下山した。

Onokubo

初めての厳冬期八ヶ岳登山の話が、なかなか始まらない。懸案の靴が準備できたので、装備を急がねばならない。ハードシェルウェアの上下と、頑強なスパッツ、そしてオーバーグローブを購入して、出費金額が次第に激甚なものになっていった。雪山登山装備の要点は、天候が荒れた場合に於ける身体防護の為に他ならず、生命の危機に瀕する問題であるので止むを得ない。それにしてもお金が掛かるので、ゴーグルとサングラスは、ネット通販で廉価なものを、息切れしそうになりながら購入した。

雪山登山装備の最も象徴的な存在である、ピッケルとアイゼンも買わねばならない。私は眩暈を起こしそうになる。此処で、救世主が登場する。登山詳細図踏査隊随一の山道具愛好家、KR氏である。と云っても、実は靴を購入する前から依頼していたことで、ピッケルと十本爪アイゼンを貸与して貰うことになっていた。KR氏には此の間も、ゴローの靴に関してメールで相談に乗って頂き、初雪山の前に動揺、昂奮している私を鎮静して下さっている。

出立の一週間前、参加者有志の会合を新宿の中華料理店で開催することになり、其の場で私は無事、雪山装備のツートップ的存在であるアイゼンとピッケルを手にしたのであった。そしてあろうことか、ピッケルは其の儘、使っていいよとKR氏が云う。呉れると云うので驚愕し、恐縮するが、結局、戴くことになってしまった。そして此れは、無事、北八ヶ岳から下山中の時に話が飛んでしまうが、アイゼンの調子が頗る良かったとKR氏に感想を述べると、其れでは、此れも進呈しよう、と宣り給はれた。文字通りの恐悦至極の儘、ブラックダイヤモンド製レイブンプロと、コントクトストラップが、下賜されることになった。御下賜品である。勿体無いことである。

厳冬期の北八ヶ岳、天狗岳登山の出発日が近づいてきた。一泊二日、宿泊は黒百合ヒュッテである。山小屋に宿泊するのも、実は初めてのことである。初体験であるが、グループ登山なので不安は無い。ザックは存外に使用頻度の少ない、クレッタルムーセンGungner40を出動させることにした。テント装備では40リッターの出番が無いので、小屋泊まりの今回は丁度良いと考えた。

通常の山歩きの恰好の上にモンベル製オーバーパンツを穿き、上半身はメリノウールの肌着にフランネルシャツ、そして厚手のフリースジャケットを追加し、新調したアウターシェルのミレーで、万全と見た。下山後に渋の湯に浸かると云うので、若干の着替え、山小屋滞在用のダウンパンツ等をスタッフバッグに詰めて、Gungnerに収納すると、丁度良い容量であった。しかし、実際の行程では、フリースジャケットを使用したのは稜線上だけで、歩行中の殆どはザックの中に居たので、存外にクレッタルムーセンは膨れてしまった。

雪山登山の装備は、とりあえず終了した。漸く出発である。出発当日の朝、全ての準備を整えて、新宿駅に向かった。行動食や手袋類をハードシェルジャケットのポケットに詰め込んでいるので、上半身が膨れている。満を持して、スーパーあずさ1号の停車しているプラットホームに上がると、「箱根登山詳細図」のMD氏にいきなり出くわした。使い込んだ風合いのザックに、木柄のピッケルと、木製の輪カンジキが括り付けられている。其れを見て、私は動揺した。挨拶もそこそこに、車内に入ると、今回のサブリーダーである、女性隊員のHSさんが間も無く合流した。HSさんの装備は、コンパクトなザックに、ピッケルとアルミ製ワカンが綺麗に収まっていた。想像を絶するくらいに軽装に見える。私は動揺した。

KR氏とNZ氏が乗車して、新型E353系のスーパーあずさ1号が新宿を出発した。雪山行きの車内で、MD氏は届いたばかりと云う「箱根登山詳細図」の校正紙を広げ、皆と其れに就いて語り合っている。私は、隣席のHSさんに、其のコンパクトな装備に就いて質問したり、真冬の北八ヶ岳の経験談に聞き入ったりしていた。立川駅で、世話人氏夫妻が乗り込み、登山隊は全員が集合した。スーパーあずさは、瞬く間に山梨県に突入し、車窓に山岳風景が展開していく。私の動揺が収まらない儘、列車は茅野を目指して、快走していった。

初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。

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阿弥陀岳から眺めた黒雲は荒天に転ずることも無く、行者小屋での幕営は平和裏に終わった。することもないので十九時には寝入ってしまった。案の定、深夜に目覚めてしまい、テントから這い出て、小屋の前のベンチで紫煙を燻らせた。圧倒的な星空を、久しぶりに眺めたような気がする。真夏の夜の行者小屋は、適度な気温で快適であったから、スキットルに入れたウヰスキーを飲みながら、何時迄もぼんやりとして過ごした。其の所為かもしれないが、翌朝は寝坊してしまった。予定していた起床時刻から一時間過ぎてから覚醒した。周囲のテントは畳まれる気配は無いが、出立の準備をする人々で、幕営場はざわめいていた。行者小屋から赤岳に登る大抵の人々は空身で、ふたたびテントに戻ってくるようである。私は、此れから赤岳を越えて清里に下山するから、すべての荷物を背負わなければならない。合理的ではない計画のような気がするが、止むを得ない。珈琲とパンの朝食を摂って、大荷物とともに立ち上がった頃、阿弥陀岳の頭に朝陽が照らされた。其れで、八ヶ岳の二日目が始まった。

2015/8/16

行者小屋(6:00)---文三郎尾根---赤岳(8:00)---県界尾根---大天狗(10:00)---小天狗(11:05)---清里ハイランドパーク(12:30)

Map2

中岳と赤岳のコルを目指して、阿弥陀岳の分岐から、今度は左手の尾根に向かう。赤岳直下の崖印が散見する険しい文三郎尾根に、延々と階段が設えてある。だからジグザグに登る必要は無い。階段の直登である。此のようなルートは冗漫な気分に陥り、却って苦痛になりそうに思えるが、高度が上がるに連れて、朝陽に照らされた阿弥陀岳の美しい姿が披露されてゆく其の景観に心を奪われるから、退屈するようなことは無かった。御来光の為に早出する者が多いからなのか、中途半端な時刻の文三郎尾根は、其れ程混雑していない。私は、巨大ザックを背負いながらも、順調に階段を登っていった。

行者小屋を下方に望み、視線を北八ヶ岳の方に向けると、御猪口を逆さにしたような蓼科山が頭を出した。八ヶ岳のカテゴリに入る北端の山を具体的に見知って、いつか登ってみたいと云う希望が湧いてくる。其れは自分の裡に消えかけていた想念だったことに、ふと気づいた。意欲が磨滅しつつある自分に、少しだけ希望のようなものが湧いてきている。


延々と続く階段を登っていると、思惟が混濁して、理屈が組み立たない。自分の、どのような意欲が消えかかっていると云うのか。其れを追求することは、怖いので考えない。

稜線に夥しい登山者たちのシルエットが続いている。赤砂礫のコルに立つと、反対側の権現岳の彼方の雲の上に、南アルプスの山々が浮かんでいた。其の連なりの中で、顕著に佇立しているのが北岳であろう。富士山の次に高い山は、なんとなく同じ高みから眺めているようにも感じられる。八ヶ岳も、相当に高いのだなと、実感できるのである。阿弥陀南稜の彼方に、昨日の昼光では判らなかった威厳のある山容が窺える。木曽御嶽山が、何者も寄せ付けないで、雲に浮かんでいた。

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絶景の鞍部に腰を下ろして休んでいるうちに、多くの登山者が赤岳に向かって出発していった。殆どの人々が文三郎尾根から登ってくるが、中岳からも疎らだが人がやってくる。健脚なものだと思って女性ふたり組みに挨拶をすると、アジア系のツーリストだった。彼女等が去って、私も漸く腰を上げた。赤岳は、もう目と鼻の先である。しかし、急峻の岩場を実直に登っていくから、予断を許せない。登山地図のコースタイムは四十分となっている。

砂礫をジグザグに登り続け、登路はやがて岩襖の重なる壁に沿っていくようになる。キレット方面の稜線が近づいてきて、視界は徐々に狭まり、南アルプスの風景は額縁に囲まれているように見える。八ヶ岳の稜線に、霧が覆い被さるように蔓延し始めて、其れが私の行く手の先に漂い始めた。ロープを掴んで岩場を伝っていく道が続き、登山者たちの縦列は徐々に渋滞していった。此処迄来れば慌てる必要も無い。皆が、もう直ぐ出会う筈の絶景のピークに、期待を膨らませながら、先行者が安全に登っていくのを待っていた。

Akadake2

キレット分岐に合流して、最後の岩壁を伝って登りきり、山梨県側の空が広がった。八ヶ岳の東側は、白い雲が足元まで到達しそうなくらいに湧きあがってきていた。雲海から霧が立ち上り、少しだけ上部を見せていた富士山が、アッと云う間に姿を消した。茫然としながら其れを見届けて、赤岳の頂上の方に視線を移すと、眩しいほどの青空であった。三角点のピーク、赤岳の南峰の祠には、大勢の登山者が纏わりつくように集まっている。私は、一瞬だけ三角点に触れてから、頂上小屋のある北峰を見下ろす処に移動してザックを下ろした。

八ヶ岳の最高峰に、呆気なく登頂してしまったと云う感懐。なんだか達成感が薄いような気もするが、阿弥陀岳を少し見下ろす角度で眺めると、やはり最上のピークに立ったのだと云う実感が湧いてきた。地平線の彼方に、すべてのアルプスが浮かんでいるのが見渡せる。自分が、唐突に天空に担ぎ上げられたような、そんな気分だった。赤岳の南北の峰を繋ぐ途上で紫煙を燻らせていたら、昨日擦れ違った山岳部の青年たちが現われて会釈した。

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北峰に移動して、横岳に至る急峻断崖の稜線を眺める。鞍部に建っている赤岳展望荘は存外に大きな建物だった。硫黄額、横岳、いつか縦走する時が来るのだろう。北アルプスに傾倒していた自分の心裡に、八ヶ岳が余禄を持ちながら楔を打ちこんでいく。そんな想像をした。心地好く圧倒された気持ちの儘、断崖の淵にやっと建っているような、赤岳頂上小屋の脇を通って、県界尾根を下ることにした。横岳に連なる縦走路の賑わいとは裏腹に、誰も居ない急峻の岩崖を、及び腰になりながら降下していった。

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這松の覆う急峻に、ひと筋の踏路が刻まれている。其の勾配は徐々に尋常ではない角度になって、やがて鎖が延々と連なる箇所に行き着いた。展望荘からの道に合流する迄、息つく暇も無い鎖場が連続していた。漸く分岐に達して、北面の稜線を見る。赤岳展望荘は、もう見上げるような位置に在った。赤岳の頂上の方を見返すと、緑に覆われた尖峰が削り取られたように天を衝くように聳えている。甲州側の急峻の途上は霧に包まれてしまいそうであるが、相変わらず、信州側の空だけが青い。県界尾根は南北に国境を分けているが、八ヶ岳、其れ自体が、風土を分化して、あるいは遮断しているかのように存在していた。

険しい鎖場は尚も続き、其れが漸く落ち着いて樅や松の樹林帯に入り込んだ。東に向かって、ひたすらに伸びている尾根を下り続けた。重いザックのことは、全く顧みることができないくらいの険しい行程で、尾根が緩やかになった頃、漸く隣の真境寺尾根を眺めながら歩き続けた。登ってくる単独行の人と擦れ違うようになり、苔むした巨岩の在る瘤が大天狗で、ふたつの尾根が分岐する地点であった。此処で壮年夫妻が休憩していた。其の隣で、私も大荷物を下ろした。

此の夫妻は麓に自家用車を置いて、県界尾根から赤岳に登頂後、真境寺尾根を下ると云う。甲州側から日帰りの赤岳である。其れはハードな行程ですね、と云ったら、まあ、そうね、と夫人が満更でも無い口調で応えた。主人の方が学生時代の山岳部時代に、何度も縦走した話を聞かせて呉れた。私は初めての八ヶ岳であるから、いちいち首肯して拝聴する。そして私も自分の山行歴などを話す訳だが、婦人が怪訝そうに、東京に住んでいて八ヶ岳が初めてとはどういうことか、と云った。北アに傾倒していた自分の説明を云うと、夫人は、近いんだから八ヶ岳をしっかり登らなきゃ駄目よ、と、冗談では無さそうな表情で云った。私は別段悪い気分にもならず、夫人の云うことを受け入れた。夫人は、もっと昔の話を続けたそうな主人を急き立てて、ふたりは出発していった。

県界尾根は徐々に進路を東南に向きを変えて、緩やかに続いていた。高度が下がるに連れて、清里の穏やかな丘陵地帯が見渡せるようになっていく。天候はすっかり好転して、陽光が眩しい。下界に戻ったのだな、と思った。小天狗を過ぎて少し先に、県界から外れて下山する道が分岐している。其れに沿って進路を南に九十度変更した。無理矢理下降する登山道は直ぐに終わって、堰堤の在る大門川の上流に到達した。川に沿って延々と歩き続けて、やがて車道になってからは、清里高原らしい白樺林の中を徒歩で移動していく。

遠くからレジャー施設のアナウンスの声が、風に運ばれて聞こえてくる。時刻は正午を過ぎる頃だった。今朝眺めた赤岳からの絶景のことが、白日夢のように現実感と乖離していく。長い車道歩きの所為だろうか。私は、虚ろな気分で、舗装路を歩き続けていた。

行者小屋から阿弥陀岳

Yatsu1

人気のある山域なので、混雑するのだろうと思い、なんとなく敬遠していた八ヶ岳に向かうことにした。青春18切符を消化しなくてはならないと云う、期限付きの制約もある。前回同様、北アルプス方面に向かう積もりであったのが、出立の数日前に気が変わった。遠く迄出掛けるのは構わない。しかし、帰途の長いのが億劫に感じるようになってきた。美濃戸口に向かうバスは中央本線の茅野駅から発車する。茅野迄鈍行に揺られるのも長いが、往路の長いのは気にならないし、乗車区間が長くなるのは此の場合得策に適う。八ヶ岳初訪問で信州側から最高峰の赤岳に登り、其の儘山梨県側に下山して、小海線経由で小淵沢から中央本線の電車に乗れば、簡単に帰京することができると考えた。山に登るのに、億劫な感懐を既に覚えていると云うのが、随分倒錯した心理である。面倒ならば出掛けなければいいのにと思うが、八ヶ岳に登ると云う計画が浮かんでからは気持ちは幾分高揚してきた。そう云う訳で、始発電車に乗車し、茅野駅前からバスに揺られた。乗客は十人にも満たない程空いていた。

2015/8/15

美濃戸口(9:20)---美濃戸山荘(10:20)---行者小屋(13:00)---中岳のコル(14:30)---阿弥陀岳 (15:05)---行者小屋(16:50)


Map

高原野菜の畑が広がる風景の中を、バスが徐々に高度を上げていく。八ヶ岳の姿は随分遠くに連なっている。やがて原村の別荘地に入り、樹林帯に囲まれて何処に居るのか判らない儘バスが走るようになった。周囲が明るく開けた処が終点の美濃戸口で、八ヶ岳山荘の駐車場に自家用車の群れが広がっている。其れで路線バスの車中の閑散ぶりが首肯できた。そうして山荘の軒先で身支度を整え、落ち着かない気分の儘歩き出した。此処から柳川に沿って、林道を一時間程歩かなければならない。晴天の陽射しは木立に遮られ、涼しげな砂利道の森の中を歩き続けると、やがて柳川を渡って対岸の尾根に傾斜を上げていく。時折自家用車がゲートのある美濃戸山荘に向かって走り去るのを、忌々しい思いで見送る。歩いているハイカーは数える程である。一体、八ヶ岳に向かう皆は何処から湧き出てくるのか。そんなことをぼんやりと思いながら単調な林道を歩いていた。

強烈な日差しに照らされて、砂利道の先が白く眩しくなってきた。やまのこ村の建物の周辺には、夥しい数の自家用車が駐車していた。此処迄の林道を振り返ると、此れ程の車が通ってきたようには思えない静かな道だと思っていたが、大多数の観光客は、バスなどを使わずに美濃戸にやってきていると云うことを知った。テント装備のクレッタルムーセンHuginが、徐々に重量感を増して肩に食い込んでくるような気がした。私は、俯き加減になって重いザックを背負い、喧騒の中を通過していった。木立の中を少し歩いて、やがて美濃戸山荘に到着した。

ところで私は、八ヶ岳のことを漠然としか知ってはいない。南北に連なる高峰の、夏沢峠を境にして北八ヶ岳、南八ヶ岳と分けて呼ばれていること。天を突くような砂礫と岩稜の峻険な山々は、最高峰の赤岳を含めて南八ヶ岳に集まっていると云うこと。北八ヶ岳は対照的に、麦草峠は国道が横断し、北横岳の方にはロープウェイがあり、観光地然とした開発が為されていると云うこと。登山の八ヶ岳としての核心部は、昭文社の地図に拠ると、天狗岳から南端の編笠山に至る部分であると云うこと。そんな程度の認識である。美濃戸から赤岳鉱泉を経て硫黄岳に登り、赤岳を目指して縦走するのが定石のコースと思われるが、私は赤岳への最短ルートを登り、其の儘反対側の清里に下山する。十分な時間が無いことが絶対的な理由だが、初めての八ヶ岳で、核心部をひと通り歩いてしまうのも性急で情緒が乏しいような気がする。

赤岳鉱泉に向かう北沢と、行者小屋に向かう南沢の二股になっている美濃戸山荘で暫く休憩した。お盆休みの夏休みである。八ヶ岳に多数の人間が集まることは想像に難くない。沢沿いの整備された登山道を歩き続ければ、もう赤岳の裾に到達できるのである。その利便を、私もまた享受している。靄靄とした考えを振り払い、川瀬の音を聞きながら、私は紫煙を燻らせていた。

Yatsu2

南沢の右岸を、整備された登山道が辿り、緩やかに勾配を上げていった。美濃戸中山から落ちてくる尾根を、丹念にトラバースしながら、苔蒸した岩が点在する木漏れ日の山道を歩き続ける。眺望の無い谷筋の登りを繰り返しているうちに、瀬音は全く聞こえなくなった。時折下山者と擦れ違うので安堵するが、行者小屋の方角に向かって歩いている気がしない。漸く心細い程の谷を渡渉して、暫く尾根に沿って歩くと、道が唐突に砂礫状になって、青空が広がった。南沢の流れが見えない儘、川原の道を歩き続けていくと、正面の彼方に、奇怪な山容が屹立しているのが見えた。横岳が見えると記されている登山地図のポイントに到達したことを知って、私は漸く安堵した。

等高線の間隔が広がっている地図の通りに、其処からは広い河原のそぞろ歩きとなった。視界は徐々に広がって、硫黄岳から連なる南八ヶ岳の衝立が聳えている。右手に樹林帯が遠ざかっていって、彼方に阿弥陀岳の頭部が覗いている。黙々と渓を歩いて、知らぬ間に八ヶ岳の懐深い処に辿り着いていたと云う感覚であった。河原の道が右に進路を変えて、遠くの森の向こうに喧騒の様子が窺えた。美濃戸山荘から二時間半を歩いて、行者小屋に到着したのだった。小屋の前のテーブルに、幾多の登山者たちが寛いで騒いでいる。幕場は広いが、既にたくさんのテントが張られていた。

Yatsu3

愛想の無い小屋の従業員に手続きをして貰い、小高い位置にある場所にテントを張った。周囲の賑わいを他所に、黙々と作業をする。今年初めての幕営である。前回のテント泊は何時だったか。昨年九月の至仏山以来、およそ一年ぶりの幕営なのだと云うことを回想しながら、粛然とした心裡でテントを張った。時計を確認して、改めて眼前に聳える阿弥陀岳を見上げる。標高2800mを超える八ヶ岳の高峰のひとつに、行者小屋から一時間強で登頂できるのである。午後一時を記す時計を再度確認して、私は軽装になって出発した。

Yatsu4

南沢が行き着く先に沿って、樹林帯の道に入る。喧騒が遠のいていくのに安堵した頃に、阿弥陀岳と赤岳の分岐点に到達した。両雄の狭間に立つ中岳の西側に向かって進路を変えていく。勾配が急激に厳しくなって、登山道はジグザグに登るようになっていった。中岳沢を越えて阿弥陀の尾根に張り付くと、岳樺の森を見下ろすようにして眺望が広がった。八ヶ岳の稜線上に、建造物と人影が見える。赤岳展望荘から視線を転じると、最高峰の赤岳が直ぐ眼の前に聳えている。

携行用ザックの身軽さで、足取りは軽い。足元が岩礫になってロープの垂れる箇所をパスして、背後を振り返ると、硫黄岳迄見渡せる眺望になっている。中岳と阿弥陀岳の鞍部には、数人のハイカーが佇んでいたが、私が到達すると、散り散りに去っていった。阿弥陀岳の頂点に向かって、稜線は急激な傾斜となって続いていた。先行者は軽装だがヘルメットを装着していた。其の先を見上げると、巨岩が折り重なっている。私は其れを見て怖気づいたが、此処迄着てしまっては仕方が無い。暫く休憩してから、無為な心裡の儘、急峻に向かって足を踏み出した。

Yatsu5

鎖場が現われて直ぐに、大勢の下山者が降りてきた。若い男女が十名程で、女性の一部が随分梃子摺りながら降りている。其の間隙を衝いて登ることにした。彼奴等のような集団が登っていけるのならば、まあ大丈夫だろう。そんな感懐を抱きながら、其れでも気の抜けない三点支持で、岩礫の登路を登り続けた。阿弥陀の岩礫の途上から、南に広がる連嶺を眺める。赤岳から南下していくキレットの向こう側から、霧が湧き出している。稜線の彼方に、権現岳と編笠山が綺麗に並んでいる。

阿弥陀南稜の奇怪な岩尾根が見渡せるようになった頃、大学の山岳部名が記されたシャツを揃いで着ている、三名の若者が下山するのと擦れ違った。嫌な雲が出てきました。リーダー然としたひとりが云った。振り返ると、赤岳の背景は黒い雲で覆われ始めていた。中岳の稜線が、斑になった陽射しと陰の模様になっている。不気味な色彩に変わっていく周囲を眺めながら、其れでも仕方が無い、私は誰彼ともなく呟いて、山岳部諸君と別れた。

Yatsu6

這松に覆われた巨岩の淵を、赤茶けた岩礫がレンガのように折り重なっている。其れを慎重に踏んで、最後の砂礫を登りきって、阿弥陀岳に登頂した。山頂は広くも狭くもないが、赤岳以外に遮るものが無い全方位の眺望だった。赤岳は薄暗い雲を背景にして不気味に佇んでいるが、反対側には遥か遠くに諏訪湖を囲むようにして盆地が広がり、真夏の陽射しが照りつけている。もうひとり居た登山者が去り、山頂は私ひとりになった。明るい南稜を見下ろす場所に座って、茫洋とした気分の儘、紫煙を燻らせた。八月十五日。真夏の午後三時。静かな阿弥陀岳の頂上で、私は何時までも、風景を眺めていた。霧ケ峰の車山が、徐々に雲に覆われて、見えなくなっていった。
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