日光

霧降高原から女峰山(後篇)

Krfr12


午前四時にテントから這い出ると、空は薄っすらと青味掛かった程度だったが、珈琲を沸かして飲んでいるうちに、あっという間に夜が明けた。昨日は間断無く流れる雲間から、時折覗いていた女峰山であったが、今朝は明瞭に、眼前に佇んでいる。 


此処、一里ヶ曽根独標から北西に迂回する尾根が、北側の尾根を収斂して、女峰山に連なっている。晴天の順光で眺める女峰山は、直ぐ其処に在るような気がする。私は、心静かにテントの撤収を終え、整地した場所に岩礫を戻して、小さな祠に手を合わせた。女峰山登頂の朝は、此れ以上に無い好天のようであった。

Krfr13

2017/5/29
一里ヶ曽根独標(5:30)---女峰山(7:05)(8:00)---唐沢避難小屋(8:40)---竜巻山(9:30)---黒岩(10:30)---稚児ヶ墓(11:50)---行者堂(12:30)---日光東照宮(12:45)---東武日光駅(13:25)

鞍部に下り、雪解けの水場を確認しつつ、ふたたび尾根に登り返していく。目的地を谷を挟んだ向こうに確認しながら、細くなっていく岩尾根を辿る。迂回していくように辿る尾根道の、北西の端に至ると、女峰山から西に連なる、日光連山の様子が明瞭になっていく。顕著な突起がふたつ在り、どちらかが帝釈山だろうと思うが判別はできない。何れにしても、徐々に、女峰山の登頂が近づいているようである。

細尾根が、やがて険阻の壁に突き当たると、いよいよ岩礫の急勾配となった。思った以上に険しい登りで、注視していないと足元が覚束ない。其の途上でふと気が付くと、尾根の西側には風景が広がっている。遠くに、尾瀬の燧ヶ岳らしき特徴的な山容、其の向こうに、長大に連なる銀嶺が輝いている。岩崖の途中で恍惚となるが、かぶりを振ってから我に返り、慎重に登りを再開した。

昨夜の幕営地、一里ヶ曽根独標のことが脳裏に浮かんだ。当初の漠然とした計画では、女峰山に至る途上の何処かで、テント泊をすると云うことになっていた。一里ヶ曽根から先の候補地としては、標高点2318m付近の、等高線が細長い平坦地と、女峰山直前の、三角点2463.7mのピークの、其のどちらかであった。前者は踏路だけが辿る細い尾根だったので、テントを広げるような場所は無く、後者の場合は、辿り着く前に、此の厳しい岩崖登りが阻むように聳えている。改めて、昨日の幕営地決定が正しかったのだと、反芻するように思い返していた。

険しい崖を登り、細い岩尾根に這松が並んでいる。もう直ぐ登頂かと思いきや、這松のプロムナードが尽きると、ふたたびの崖の斜面が待っていた。立ち並ぶ枯木が散見される岩場を登り詰めても、更に山塊は見上げるようにして聳えている。気持ちの昂りを諌められているかのように、登山道は続いていた。其れで無心になって砂礫の傾斜を登り、ふたたび尾根の肩に乗ると、此れ迄見えていなかった南側の景色が開けた。

Krfr14

細長い頂上付近の尾根道に、三角点2463.7mのピークが在った。這松に囲まれた狭い空間に在る、瓦礫が散在する平坦地には、確かに三角点の標石が在った。テントがひと張り程しか設営できない広さではあるが、直ぐ其処に、女峰山の頂上に山名標が立っているのを確認できる良景であった。つい先程迄、一里ヶ曽根独標の幕営を自画自賛していたが、此処で張っていれば格別の風景を享受できただろうなと、少し後悔した。

女峰神社の社で唐沢避難小屋からの登山道が合流して、岩の塊りが盛り上がったように聳える、何処か人工的にも見えるピークに登り詰めた。午前七時の女峰山頂上は、すっかり朝の気配を無くしていたが、快晴の陽光が心地好く、穏やかな気候であった。

Krfr15a

順調に行程を終えて登頂し、やれやれと云うような気持ちだったが、誰も居ないものと思っていた頂上の瓦礫場に、ひとりの男性が膝を抱えて蹲るようにして座っていたので、吃驚した。動揺を隠しながら声を掛けて挨拶すると、振り返って挨拶を返してきたのは、随分若い男性だった。印象からすると高校生のような顔つきであるが、暫くの会話の後、地元栃木県の大学生であると云うことを知った。

平日月曜日の午前七時、女峰山の頂上で人と遭遇するとは、と内心で落胆してしまうが、此れもお互いが思うことである。止むを得ない。私はクレッタルムーセンの巨大ザックを傍らに置いた。大学生は見たところ何の荷物も持っていないようであった。避難小屋泊りですか、と訊ねてみると、昨夜から登ってきて、先程着いたと云う、意外な答えが返ってきた。

薄手のウィンドブレーカーを着ているだけの彼は、靴こそ登山用のものだが、一見すると街中を歩いている若者のような恰好であった。そんな彼が、昨夜から、東照宮から派生する、寂光滝の登山道を発ち、夜通しを歩いて女峰山に登ってきたと云う。そして、途中で笹が深い処に当たってしまい、道に迷ったので随分時間が掛かってしまった、などと云っている。

私は、南九州、霧島の韓国岳の時に出会った、軽装氏を思い出した。弱くない降雨の中、雨具も無く、ショルダーバックとビニール傘だけの装備で高千穂峰に登った彼は、稜線でビニール傘を飛ばされて、ずぶ濡れになって下山した。当たり前である。

短パンに穿き替えて、寒さに耐えている様子の軽装氏に、余計なこととは承知しつつも、随分無理をしますね、と、やんわりと云った。軽装氏は、無謀なだけです、無謀なことが好きなんです、と云った。

そんなことを思い返し、改めて日光夜歩き青年を眺める。彼は此れ迄も同じような夜歩きを敢行していて、女峰山は二度目だと云う。そして、そう云うことが好きなのだと、呟いた。云う迄も無く、無謀であるが、何の荷物も持っていないと云うのに驚く。若者特有の、鬱屈した思惟を抱えた果ての行為なのだろうか。そんなことを思うが、当の本人は、寡黙な訳でも無く、淡々と自分のことを喋っている。霧島の無謀軽装氏も、そう云えば雄弁だったな、と思い出す。

Krfr15

快晴の女峰山は、遮るものの無い全方位の眺望であった。おっ、富士山。私が声を上げると、夜歩き青年も、彼方に浮かぶ小さな左右対称の台形を見る。

「此れも朝の僥倖、昼には見えなくなるかもね」私が云う。
「えっ、其れは何故ですか」夜歩き青年が云うので、私は少し狼狽する。

「何故って……富士山は頻繁に、雲が纏わりつくから……かな」

富士山から視線を逸らせて、遥か北方、越後三山方面を眺める。さすがに関東地方の最高峰、日光白根山から連綿と続く、此処女峰山からは、何処迄も見渡すことができる眺望である。越後の山並みの向こうに、空と地平線の境界が、曖昧に融合して混濁しているように見える。

「あれは、水平線じゃないかな。日本海が見えているのかも」ふたたび私が呟く。
「えっ、そうなんですか?」

夜歩き青年がふたたび懐疑的なニュアンスで云う。其れは確かなのか、と云う風に聞こえてくる。山では、根拠も無く、何事かに関して断言している親爺連中をよく見掛ける。そんな時、私は内心で、本当かなあ、と云うようなことを呟く。もしかして、そんな風に思われているのだろうか。其れで私は寡黙になって、妙な気分で、絶景を眺め続けていた。

未だ済ませていない朝食は、山頂でインスタント麺を作ることにした。夜歩き青年は山名標の反対側で、最初と同じような恰好で、膝を抱えて座っている。飲料や食糧はあるのだろうか、そんなことを考えながら、少々落ち着かない気持ちでラーメンをずるずると食す。折角の登頂の感慨が、奇妙な人事と遭遇したことで、思惟が落ち着かなくなっていた。そうして、一時間近くを山頂で過ごし、私は荷物を整えて下山の途に就くことにした。最後に改めて、夜歩き青年に声を掛ける。

黒岩経由で日光東照宮に下山すると云うことを告げると、夜歩き青年はふたたび雄弁になって、途中の様子を説明して呉れた。彼の説明は、当然のことながら夜通しで登った経緯に拠る、深夜の光景であるから、其れを、どのように想像すればよいのか、私にはよく判らない。

彼の帰途は、私が歩いてきた赤薙山経由の霧降高原だと云う。霧降高原は初めて行くのですが、バスは頻繁に走っているのですか、と訊いてくるので、私は理由も無く狼狽する。スマートフォンで調べるとよいのでは、と告げると、そうですね、そうします、と云った。

夜歩き青年は、もう暫く山頂に居るようである。独りで山頂を満喫していたのを、私が邪魔をしに来たような構図になってしまったようで、何処か釈然としないような気持ちになるが、其れは私の異常な思考であることは、自覚している積もりである。

山頂を辞して、避難小屋方面の踏路に入ると、急激な勾配を下り始める。山頂の人影は、瞬く間に私の視界から消えた。其れでなんとなく安堵して、傾斜の緩んだ処に立ち止まり、煙草に火を点けた。木立の向こうに、男体山が泰然として、佇んでいた。


Krfr16


追記

唐沢避難小屋から崩壊気味の薙ぎを横断して、前女峰の尾根の腹を辿る登山道を下り続けた。箱石金剛の祠の在る処の、尾根上に少し上がって行くと竜巻山の標柱が在った。登山道には其処に誘う道標が無いので、危うく通り過ぎてしまいそうである。

竜巻山から急激に下降するようになり、標高2000mの圏内を、尾根の崖淵を窺いながら蛇行して下る。ヤマザクラの咲き残りが谷底を窺うように佇立していた。黒岩、遥拝石の広場は、幕営に打ってつけの平坦地であった。巻き道を離れて、断崖の淵の尾根上を登り、黒岩、の山名標の在る処迄登る。格別のピークと云う雰囲気では無かったが、霧混じりの谷底の向こうは、昨日歩き続けた一里ヶ曽根の断崖であり、感慨深い。

黒岩から瓦礫場を下降して、雲竜渓谷の余韻が無くなり、広大な落葉松の樹林の道を、延々と歩き続けるようになった。山と高原地図に記されている「高原情緒」に誇張は無く、広々とした樹林の美しい道が続くが、飽きる程に長く続いた。登りの行程だと、どんな気分になるのかと思う。

修験道の開祖、役小角を祀る行者堂に至ると、観光客が賑わう日光の風景に戻った。二荒山神社で目の前に停まっていたバスが間一髪で発車してしまい、女峰山から五時間近い歩行時間の草臥れた身体で、東照宮の境内を歩き続ける。其の儘何の観光もせずに、東武日光駅迄歩いた。

霧降高原から女峰山(中篇)

いよいよ一里ヶ曽根の山稜に差し掛かると云う鞍部で、残雪が現われた。五月の日光連山を甘く見ていた訳では無いが、私は軽アイゼンを携行してこなかったことを思い出し、内心で少し不安になった。残雪は登山道の周囲を覆っているだけで、踏路は明瞭に土の道が続いている。私は進路を真北に、眼前に聳える標高2209mの、尾根の突端に向かって登り詰めていった。樹木は閑散となり、巨岩の点在する稜線に出ると、先程迄の青空と陽光はすっかり影を潜めて、周囲はふたたび、鉛色の霧の道に戻ってしまった。

Krfr8

ヤハズと記された古い木標を通過する。鋭利な山容を形容する矢筈の意なのかは定かではないが、ヤハズを過ぎて間も無く、湧きあがる霧の中から、峻険な双頭の山が出現した。女峰山と前女峰の間に切れ込んだ谷は、雪に埋もれているようであった。徐々に雲は流れ、ふたたび青空が広がる。一里ヶ曽根は雲上の道となり、左右に切れ落ちる断崖の気配を窺いながら、岩稜の上を歩いていく。やがて勾配が緩やかに上がり始めると、潅木に囲まれた道になり、残雪で周囲が真白になった。

Kirifuri_nyoho

2017/5/28
霧降高原バス停(10:05)---小丸山(10:50)---赤薙山(12:10)(13:00)---赤薙奥社跡(13:55)---一里ヶ曽根独標(15:15)

目的の女峰山が視界に入ってきて、私は改めて、自分が日光連山の屋根の上を歩いているのだ、と云う実感に包まれていた。そして、目まぐるしく変化する空の色に、云いようの無い不安を感じてもいた。ふたたび、幕営地がどうなるのか、そんな気持ちで、私は歩き続けていた。

潅木に囲まれた斜面が緩やかになり、時折山道の傍に平坦な場所を確認すると、もしもの時は此処に戻ればいい、そんな風に内心で呟いて、自分の気持ちを慰撫する。そんな未踏の尾根を歩き続ける不安とは対照的に、空はいよいよ青くなり、見上げると未だ冬枯れの樹木が、シルエットになって聳えていた。

Krfr9

樹林帯を抜けると岩礫の斜面になり、気が付くと周囲の光景が雲の上に広がっている。振り返ると、歩いてきた岩尾根の先に、赤薙奥社跡のピークが明瞭に屹立していた。そうして辿り着いた、這松に囲われている瓦礫場の平坦地には、一里ヶ曽根と記した道標が立っている。巨大ザックを下ろして、私は茫然と周囲を眺める。一里ヶ曽根は、此の岩の山稜を示す尾根の名前だと察せられるが、此の場所が其のピークである、独標のようであった。

岩礫の点在する平坦地を眺めて、何処にテントを張ろうかと考えながら、私は荷物を広げない儘、暫く岩に腰掛けて紫煙を燻らせる。時刻は午後三時を廻った頃で、最後の下山者を見送るには、未だ少し早い時刻である。日帰りの登山者が通過する顕著なピークに、誰彼構わずにテントを張ると云うことが、私には出来ない。そして此処は、名にし負う日光女峰山の周辺である。予断は許せない。予定通りの行程を終えて安堵しているのに、テントを張る迄の妙な緊張感が心中に漂う。其れも止むを得ない。

Krfr10

日曜日の午後三時台、女峰山から下山してくる者は存外に少なかった。老夫妻がひと組、そして妙齢女性のふたり組が、鞍部を越えて一里ヶ曽根に登って来た。ふたり組の装着しているスパッツは泥に塗れていたので、挨拶を交わし、女峰山直下の路面状況を尋ねた。そうして、彼女たちは怪訝さを隠すようにして私の荷物を見ているので、此処で泊まると云うことを伝えると、率直な驚きの言葉を云った。ひとりで怖くないんですか、其れが彼女たちの感想だった。

独標にふたたび静けさが戻り、私はフラットな場所に見当を付けて、瓦礫を除去する作業に没頭した。大きな石を周辺に移動させて、細かいザレになった地面を、足で整地していくと、程よいテントサイトが出来上がった。時刻は午後四時に近い。私は、深い安堵感を味わうようにして、煙草に火を点ける。いつしか雲が流れて、北面の眺望が開けるようになり、県境の山々の向こうに広がる、東北地方の景色を眺める。日曜日の夕刻である。下山者が未だ居るとは思えなかったが、単独行の男性が鞍部を登って来るのを見た時は、未だ居たのかと落胆した。

一里ヶ曽根独標に達した中年男性が、挨拶を交わした私が喫烟しているのを認めて、煙草を取り出した。那須の山ばかり登っていたので、たまには日光に登ろうと思って、と語る中年男性は、単独行者らしい穏やかな訥弁さであり、好感の持てる人物だった。其れで今日は此処でビバークするのだと伝えると、やはり驚きを禁じえないようであった。

彼は、未だ女峰山に登頂して、避難小屋迄歩ける時間ではないかと云う趣旨のことを云ったが、其の口調には、非難の色は感じられなかったので、私は、こういう場所で泊まるのが好きなんです、と率直に云った。訥弁氏は、ひとりで泊まるのは怖くないかと、くだんの女性たちと同じことを云った。

煙草が好きな様子の訥弁氏と、思いの外のんびりと会話をした。テントはずっと以前に使っていたが、随分御無沙汰になっている、と語る訥弁氏は、今のテントは性能がいいんでしょうね、と云った。そして、私が整地したテント泊予定地を見て、きっと星空がすごいんだろうな、と云い、また始めてみるかなあ、と、ひとりごちた。私は、奇妙な満足感で、其の言葉を聞いた。

Krfr11

時刻を再確認して、こりゃあ、階段からはヘッドランプだなあ、と云って、訥弁氏は去って行った。午後五時に近い岩峰の上で、アライテントの橙色のフライシートに、陽光が降り注ぐ。新たに谷底から湧きあがってきた雲が、周囲を包み込むように、空中に敷き詰められたようにして、浮かんでいる。微かな暮色が滲む雲の塊りの上は、相変わらず青空の儘であった。

私は、今度こそ安寧の気分となり、持参してきた缶麦酒を飲む。全身が弛緩したようになって、茫然とした儘、雲海の向こうに広がる風景を眺める。日陰になって薄暗くなった一里ヶ曽根独標の頂上から、紅く染まった雲海が果てしなく広がる。私は麦酒と煙草で朦朧となりながら、出掛ける前に思案した幕営行の選択が、出来過ぎなくらいの成果を獲得した結果に、満悦していた。雲海の彼方に黄昏が消えていく迄、ぼんやりと眺め続けて、静かに夜が訪れた。

霧降高原から女峰山(前篇)

Krfr1


蛇行しながら標高を上げていく山行きのバスの車窓が、緩やかに鉛色へと、彩度を落としていった。霧降高原キスゲ平のバス停で、少なかった全ての乗客が下車した。文字通りの霧の中である。天空回廊と名づけられた、延々と続く階段は、其の儘小丸山に登頂し、其の先には、日光連山、女峰山へと続く登山道に接続している。私は、相変わらずの幕営行の為の巨大ザックを背負い、時折小雨が降る観光用ハイキングコースの階段を登り続けた。1445段の階段は歩幅に丁度良い間隔で段が続いている。ニッコウキスゲの群落を眺めるには未だ早い時期であり、行楽日和とは云い難い天候にもかかわらず、大勢の観光客が、尾根を直登する階段を、往来していた。

Kirifuri_nyoho

2017/5/28
霧降高原バス停(10:05)---小丸山(10:50)---赤薙山(12:10)(13:00)---赤薙奥社跡(13:55)---一里ヶ曽根独標(15:15)

連休が終わった五月下旬に、今度は何処かの山で幕営しようかと、行く先に関して思案を続けた。ふと、昨年のことを思い返してみる。四月は信州北部の飯縄山に、五月は西上州の荒船山に、そして六月中旬には奥多摩、七ツ石山に隣接する千本ツツジにテントを張って一夜を過ごした。そうして、奥多摩で、とうとうマダニの被害に遭った。小満、芒種、恵みの雨の季節に、低山をうろうろしているとこんなことになる。そんな実感であった。

今年の春先に秩父に通い、此れ迄足が向かなかった両神山が身近に感じられてきたので、山腹の避難小屋周辺に幕営して、両神山に登頂しようかなどと考えてみたが、昨年のマダニ禍を思い出して、内心で身じろぎをした。もうすぐ六月になる。幕営は森林限界の、風通しのよい場所でなければならない。しかし、雪山でビバークできるような技量も無い。漸く選んだ山は、比較的高緯度にある日光の、標高2000メートルを越える、女峰山であった。幕営は、その周辺とすることにして、行程を考えた。

日光の登山と云えば、此れ迄判を押したように、友人の車に同乗し、いろは坂を登って男体山や奥白根を目指しただけの経験であるから、電車とバスを乗り継いで女峰山を目指すと考えた時、どのような手順を踏むべきか迷った。日光連山の全体像は、地図を眺めれば一目瞭然ではあるのだけれど、登山に関して考えると、どうしても標高1200メートルの中禅寺湖を基点にして思案を開始してしまう。

女峰の莫迦尾根、とも呼ばれる、日光東照宮から延々と続く、由緒ある修験道でもある黒岩尾根にも惹かれるが、公共交通機関で日光駅に到達できるのは午前九時頃であるので、驚愕の標高差、1800メートルを登るのは困難である。テント泊の大荷物を背負い、遅い時間に出発し、頃合の時刻に幕営適地へ到達できるのは、霧降高原からの女峰山登山であると云う結論に達する迄、其れ程時間は掛からなかった。

Krfr2

そう云う訳で、私は観光客と併走するように、小丸山の終点迄、階段を登り続けた。時折振り返ると、霧で真白だった下界の彼方が、少しだけ垣間見えるようになった。昨日迄降り続いた雨が上がり、高原を包んでいた水蒸気は、刻々と流動を始めるのかもしれない。天空回廊が終わり、小丸山の展望台には人が鈴なりになっている。其れを傍目に、漸く静かになった登山道を歩くと、鹿柵ゲートの回転扉が現われる。右手にこんもりと聳える丸山が、うっすらと姿を現わした。そして丸山への分岐点の在る処に、小丸山の山名標が在った。明瞭なピークでは無い小丸山でザックを下ろして、紫煙を燻らせながら改めて下界を眺める。雨はもう降ってこないだろう。そんな気がした。

赤薙山と云う名の通り、行く手の先に聳える山稜の突端から、荒々しく崩落している赤土の薙の山腹を左手に見ながら、茫洋とした笹の尾根を登り続けた。其の途上で、早朝に出発して女峰山を往復してきたと思しき、ハイカーの集団が下山してくるのと擦れ違うようになる。尾根が収斂されて、いよいよ急勾配の樹林帯に差し掛かると、霧降高原のバス停で、軽快に出発していった妙齢の女性が、早速下山してくるのと擦れ違った。ピークの手前で、山頂を巻くルートが右手に分かれていくが、当然ながら、山頂への直登コースを選ぶ。踏路は殆ど不明瞭になり、急登の樹林帯の向こうに、頂上の雰囲気が窺える。人の声が近づいてきて、ピークに立った処が、古びた鳥居の在る、赤薙山であった。

Krfr5

賑やかだった集団が立ち去り、独りになったので、此処で昼食の休憩を摂ることにした。湯を沸かしてインスタント麺を作る。出発して丁度二時間が経って、正午を廻った頃であった。雨は降らないが、女峰山に至る東の尾根は、相変わらずの霧の中だった。日光連山の東端に在る、標高2010mの山に登頂しているが、茫洋と白い周囲の光景は、自分が何処迄歩いてきているのか、判然としない。

今日の幕営地の目途は明確に立っている訳では無いが、女峰山に至る途上に、適地が在るものと推察している。赤薙山から女峰山迄、尾根は西に向かって単純に延びている訳では無い。尾根の南面は、先程から眺めているような、激しく崩壊した薙が随処に展開する崖地である。其処に雲竜渓谷が壮絶に食い込んでいるので、女峰山からの尾根は、雄大に北側に湾曲して連なっている。岩の山稜が標高2200メートル前後の高さの儘に続いている、一里ヶ曽根の何処かで、テントを張るのに適した平坦地があるだろうと、私は地図を見て推察し、考えていた。今日の歩行時間は、あと三時間も無いだろうと思うと、昼食の休憩ものんびりとしてくる。

Krfr4

結局、一時間近くも休息し、ふたたび歩き始めた。ピークを越えて、周囲の様相は断崖に挟まれた痩せ尾根となった。天候は好転するものと思っていたが、険阻の谷から湧きあがる霧は却って濃厚になり、白樺の裸木が踏路の先を誘うように点在している。五万分の一縮尺の「山と高原地図・日光」の2013年版を再確認すると、標高二千メートル以上を示す朱色に染まった尾根の行程には、「起伏多い」と記されている。北東からの六方沢と、南東からの雲竜渓谷が詰め上がる峻険な尾根は、濃霧に包まれ寂然とした儘、アップダウンを繰り返しながら標高を上げていった。

険しかった尾根がひとつのピークに向かって、勾配を形成し始めた。相変わらずの霧の中で、足元がふかふかとして柔らかい土になり、其の儘ひたすらに登り続ける道になった。静謐な空気を呼吸して、頭の中まで真白になっていくような気持ちになりながら、一心不乱に登り続ける。其の道程が終わりを告げ、気が付くと狭いピークの上に立っていた。

Krfr6

キスゲ平、女峰山を示す道標の上に、奥社跡と記された木片が掲げられている。其の根元に石積みが在り、熊野修験道、那智山の青岸渡寺と署名の有る祈祷の木札が立て掛けられていた。鋸歯状の険しい尾根の果てに辿り着く、標高2203mの頂上は、如何にも修行の場に相応しい、そんな風情だった。

赤薙神社の奥社が在った場所であるから当然なのだが、祈祷木札の周辺は、整地されたように平坦であった。潅木で眺望は利かないが、幕営適地である。時刻を確認すると、午後二時だった。未だ、早いかな、と内心で呟く。疲労感は其れ程でもないが、今夜のテント場がどうなるのか、其れは最も気掛かりな問題である。お誂え向きの場所だが、此れから下山者をやりすごして二時間以上も滞留する、と云うのも退屈であった。そして、女峰山に登頂する迄、コースタイム二時間の行程を残して幕営する、と云うのも、間尺に合わないような気がする。

そうは云っても、此れから二時間を歩いて、今日のうちに女峰山に登ると云う気力も無かった。鬱然として変わらない霧中の行程が、早く幕営適地を見つけて落ち着きたい、と云う漠然とした想念を湧き上がらせている、そんな気がした。

Krfr7

どうするのか決められない儘、茫然と喫烟していると、思いがけない強風が頬を打ってきた。やがて、風は緩やかに勢いを弱めると、周囲が途端に明るさを増してきた。見上げると、霧が徐々に晴れて、青空が雲の流れの合間に覗いている。やがて陽光が降り注ぎ、鉛色の光景であった奥社跡が、安穏とした山上の風景に変わった。

生き返ったような気持ちになり、山頂の南側に在る、少しだけ展望の開ける場所に立って、眺めた。雲竜渓谷を挟んだ対岸に並んでいる筈の黒岩尾根は、流れる白い雲で覆われて、何も見えない。其れが却って、自分が、空の中に浮かんでいるような錯覚にさせる。随分高い処に、自分が立っているのだと、改めて気付かされるのであった。

クレッタルムーセンの巨大ザックを、今日初めて背負うような気持ちになって、担ぎ上げる。女峰山の道標が指し示す方角に、霧を纏って横たわっている壮大な尾根が、判然としてきた。あの、一里ヶ曽根と呼ばれる長い尾根に、一夜を過ごす場所が在る筈である。私は内心で呟き、鞍部に向かって登山道を、下り始めた。

日光白根山(後篇)

部分的にササが深く、足元よくない。赤い文字でそう記してある登山地図の知識で、国境平から中ツ曽根と呼ばれる支尾根を下っていった。湯元温泉に向かって細く伸びる一本道の尾根である。急な傾斜に刻まれた、樹林帯の道のそこかしこに、びっしりと熊笹が生い茂っている。時折、左手の視界が開けて、金精山からの尾根の向こう、奥鬼怒の山々が遠望できる。広がる谷間に落ちていく山肌に、樅や松の木が西陽を浴びている。景色を眺めると気分は晴れるが、笹の繁茂した登山道は足元が不明瞭なので、緊張は持続させていなければならない。

10

2015/7/11

日光湯元キャンプ場(6:30)---外山鞍部 (8:40)---前白根山 (10:00)---五色沼避難小屋 (10:50)---奥白根山 (12:20)---五色沼避難小屋 ---五色沼---五色山 (15:00)---国境平---中ツ曽根---湯元温泉(18:00)

笹藪は、下っていくに従って濃密に生い茂る様相を呈していた。歩かれていない実線ルートなのだろうか。あとは下るだけ、そんな弛緩していた気分が急激に萎んでいった。それは友人的異君も同じと見えて、彼の後姿から其のようなオーラが満ち満ちているような気がした。傾斜が唐突に緩やかになり、樹林が途切れた明るい場所に出た。笹藪も陽当たりのよい場所では随分生育が良いようで、腰の高さくらいにに繁茂している。其処に峠を出て以来の道標が立っていたので漸く安堵した。穏やかな白い空が広がっている。それを見上げて、日の入り迄はまだ随分時間があるのだと、自分に言い聞かせていた。

ところが、ふたたび歩き出すと、平坦な尾根の踏跡が急激に落差を激しくしていった。笹薮は、いつの間にか身の丈に迫る勢いで進路を遮るようになっていった。私は其の時点で既に、周囲を眺めやる余裕を失っていたようであった。踏跡は笹薮を、文字通りに踏み倒すようにして進路を示しているに過ぎない程度になっていた。足元がふっと軽くなったような気がした途端、上体が傾いて倒れそうになった。頑強に生い茂る熊笹を掴んで、漸くバランスを回復した。斜面に這うようにして、背後を振り返ると、友人が二の足を踏んでいる様子と、小高い丘のように尾根が彼方に去ろうとしている様相が、笹薮の向こうに窺えた。

尾根から外れて斜面を下っている。笹薮の滑り台の途上で、やっと其の事実に気づいた。間違えた。戻ろう。そう叫ぶと、的異君が驚いたような顔で頷いた。息急き切って斜面を登り返して、踏み倒された笹から、明瞭な踏跡に戻った。落ち着け、と、内心で呟き、改めて進行方向に向き直って周囲を見渡した。左手に、尾根が連なっている。踏跡は、尾根から右に逸れて刻まれていた。そして、笹藪の壁で尽きていた。

私は、冷静にはなれなかったようであった。進路は尾根の上である。しかし、道標から続く登山道は尾根から外れていたので、どうなっているのか判断が下せなかった。其れで、とりあえず道標迄戻ることにした。其の途中で、下山してくる単独の中年男性に出会った。登山道は途中で尽きて、谷の方に向かっていると伝えると、中年氏は信じ難いと云う顔をした。誰も居ない尾根で漸く人と出会い、私は再確認の意味で、彼とともに問題箇所迄引き返すことにした。繁茂した笹薮が踏み倒されて続く斜面を見て、中年氏は他に道が無いことを認識した。其れで、三人で道標迄引き返した。尾根に通じる踏跡を探しながら歩いたが、なにも発見できなかった。無理矢理尾根に復帰すると云う手段もあるが、今歩いている登山道があまりにも明瞭な為に、ルートを自主的に外すと云う決心が、つかない。

平坦な尾根に戻り呆然としていると、熊鈴の音が近づいてきた。もうひとり、下山者が現われたのである。ダブルストックで淡々と歩いてきた男性に、私は状況を説明した。精悍な顔つきのダブルストック氏は、道は合っていると思いますけどねえ、と云って、歩き始めた。我々も後を追った。実は怪我をしまして、慣らしながら歩いているのでペースは遅いですが、と云うダブルストック氏に、我々は徐々に離されていった。的異君は気力の所為なのか、遅々として歩いている。私と中年氏は、慌ててダブルストック氏の後を追った。

問題箇所に到達した時、ダブルストック氏は既に其の付近から藪に分け入り、尾根に復帰しようと歩いているところだった。やはり其れしか方法は無かったかと思いつつ、彼の後に続いて笹薮に侵入した。意外なことに、進入して直ぐに、足元は微かな踏跡を形成していた。此れが正規のルートのようであった。尾根の上に林立する樹木を指して、あの印を辿っていけば、登山道と云うことですから、とダブルストック氏が云った。二分割されて、赤と黄色で塗り分けられている正方形の鉄板は、前白根に至る登山道でも見続けていたが、此れが登山道の印だと云う知識が、私には無かった。忸怩たる思いで、私はダブルストック氏に謝意を表した。颯爽と去っていく彼を見送り、振り返って藪道を登ってくる中年氏と友人を見下ろした。

なあんだ、ちゃんと印がありましたね。的異君が中年氏にそう云ってるのを聞いて私は憤然とした。正方形の鉄板の意味を知っているのであれば、問題箇所から尾根を見上げた時に探せばよいではないか。ダブルストック氏が印を指しているのを遠目に見て、あたかも知っていたかのように振舞っているのではないか。いやそうに違いない。登山道に復帰できた安堵感が霧消して、私は友人に呆れ返り、疲労感がどっと押し寄せてきたような気がして、ザックを置いて座り込んだ。中年氏を見送り、煙草に火をつけた。

ふたたび歩き出した中ツ曽根の登山道は、微妙に蛇行しながら尾根上を辿っているが、唐突に塹壕のように深く抉られているのを、四苦八苦しながら降りていく。そんな箇所が何度も繰り返された。抉られている処は湿った土で滑りやすく、疲弊は急激に下半身に押し寄せてきた。私は憤怒で、友人は何を考えているか不明だが、不快な踏路の連続で無言であった。途上で野猿が横切って驚いた。私は、大声で猿を威嚇した。的異君が、脅かしたら可哀相だろうと云った。其れにも腹を立てて、私はますます不機嫌になった。

高度が下がる程に、白根沢の対岸の尾根が垣間見えるようになってきた。雪渓が、黄昏の山肌に刻まれている。今朝登ったばかりの、前白根に至る支尾根が正面に在った。対峙して眺めると、随分急な傾斜であったことが分かる。陽射しは、もう直ぐ五色山の衝立の陰に隠れてしまいそうな位置にあった。私は、なかなか終わらない中ツ曽根の下山に、徐々に焦燥を感じ始めていた。其れでも、漸く尾根から北に外れて、ジグザグに下っていく地点に到達した。友人がザックを下ろして腰掛けたので、私は苛々して、もう直ぐ陽が暮れてしまうが、と云った。的異君が憮然として、疲れたから休む、と云った。

12

金精沢が広がる北東方面に、中ツ曽根末端から登山道が急降下していく。実際は日の入り迄随分あるのだろうが、周囲は薄暮のように、陰々滅々とした風情だった。登山地図には、きつい急登、と記されている箇所である。湿った土が時折抉られて、倒木に半ばぶらさがりながら降りていく箇所なども現われた。急激に標高を下げている感触だが、ジグザグ道はまったく終わる気配を見せなかった。我々は先ほどから全く言葉を交わしていない。私は、先ほどの自分の言動を後悔していた。漸く最後の下山が始まる処で、焦る必要も無いのに、無用な思惟で感情を乱していた。謝りたいが、「きつい急登」の下りは、単純に無駄口を叩けるような余裕が無い状況であった。

急降下がひと段落して、山肌をトラバースしていく緩やかな傾斜になった。其の途上にベンチが設えてあり、ひとりの男性が座っているなと思ったら、道迷い現場で一緒だった中年氏だった。靴を脱いで呆然としているのでどうしたのかと訊いてみると、靴擦れだと云った。悪路が断続する此処迄の経路を思うと、其れも在り得る事態だと思った。酷い道でしたね、と私が云うと、もう二度と来たくないよ、中年氏が云った。

鬱蒼とした広い森に降り立った。尾根下りは終わったようで、遠くに勢いのある沢音が聞こえてくる。五色沢に合流すれば、もう湯元温泉が近い。我々は、すっかり薄暗くなった平坦な道を歩き続けた。気まずい雰囲気に足取りが重くなってきて、私は少し遅れながら歩いていた。煙草に火をつけて、歩きながら紫煙を燻らせた。川の流れが直ぐ其処にあるような音が聞こえてくるが、五色沢の姿はまったく見えない。金精沢が合流してくる筈だが、いつ渡渉したのかも判らない。

13

私有地の柵に行き当たり、左へと曲がっていく道を辿ると、砂利道に出た。白根山登山口、の道標は、特に古びている訳ではないが、どこか悄然とした風情だった。我々は、疲れきった表情の儘、握手を交わした。其れで、私は堰を切ったようになって、自分の非礼を謝罪した。友人は、何でもないと云う素振りで、許してくれたようだった。舗装路に入り、鉛のようになった足でのんびりと歩く。夕陽は山陰に隠れ、薄暮の温泉街は此れから活況を呈し始めるのだろう。湯元本通に入り、大きい駐車場で、誰かが手を振っている。窮地に現われたダブルストック氏が、無事の下山を称えて呉れた。我々は漸く多弁になり、温泉と麦酒を求めて、歩き続けた。

日光白根山(中篇)

五色沼を眼下に、其の周囲を山稜が覆っている。緩やかに続く登山道が右手に分岐して、一旦尾根から外れて下っていく。天上の散策から樹林帯に突入するのは後ろ髪を引かれる思いだが、核心部の奥白根に辿り着く為には止むを得ない。五色沼避難小屋から暫くは、陽射しを遮る樹林も無い火口の底を歩くが、其れも程無く終わる。右に急旋回して、いよいよ奥白根の山肌に取り付いていった。

4


2015/7/11

日光湯元キャンプ場(6:30)---外山鞍部 (8:40)---前白根山 (10:00)---五色沼避難小屋 (10:50)---奥白根山 (12:20)---五色沼避難小屋 ---五色沼---五色山 (15:00)---国境平---中ツ曽根---湯元温泉(18:00)

樹林帯を突き抜けて、唐突に風景が広がる。先程歩いていた前白根から続いていた稜線を、今度は奥白根の山肌から眺めている。白根隠山から白桧岳が連なり、白錫尾根が彼方に延びている。登山地図に登山道の軌跡は記されていないが、随分心地よさそうな山上の道のように思えた。そんな良景を背に、最早不毛の地面と化した山肌に刻まれている登山道を、ジグザグに登り続けた。

前白根からの登山者は、其れ程多いような気がしなかったが、下山の徒が大勢擦れ違うようになって、奥白根の登山道は賑やかになった。灼熱の陽射しを浴びながら、関東以北最高峰の溶岩ドーム、奥白根山の頂を目指して登り続ける。苦悶の思いで歩き続けるが、頂上ななかなかやって来ない。私は、御殿場ルートから登った富士山のことを思い出した。

空が目の前に広がった。夥しい人が跋扈している其の先に、鳥居が立っている。此れで登頂かと思ったら、其の先に岩山が盛り上がっていて、其の突端には人間が蟻のように数珠繋ぎに這い上がっている様相であった。ピークの岩場を登山道から外れて、漸く山名標の在る突端に登り詰めた。人だかりの中で的異君と握手を交わす。全方位の眺望は筆舌に尽くし難いものがあるのだが、余りにも人が多すぎる。グループ登山の徒が記念撮影に余念が無く、撮影者がカメラを覗きながら後ずさりしてぶつかってくるから、危険なことこの上ない状況である。辟易しながら、登ってきたばかりの岩場を引き返した。

6

土曜日の日光白根山の喧騒を背後に感じながら、私は自分を呪った。自分の状況が変わって、今年になってから思うように平日に山行が出来ない。名声の誉れ高い日光白根山。とっておきの関東最高峰の頂は、絶景の感動に浸ることすら不可能な混雑ぶりだった。労苦の果てに辿りついて、湧き上がってくるのは虚脱感だけであった。此の状況を如何に改善すべきなのか。私は煩雑な日常の中に突如として引き戻されたような錯覚に陥りながら、油断のできない岩場を下っていった。

さて、我々の行程は五色山を経由して中ツ曽根を下ると云う予定である。弥陀ヶ池を経由して大火口を周回するのが常套のような気もするが、ずっと眺め下ろしてきた五色沼の畔にも立ってみたい。此れは私の内なる希望なのだが、的異君に意見を伺う余地も在る。しかし、彼に何らかの要望が在るようには見えない。しかし、訊いてみれば何か云うかも知れない。私は少しの間逡巡してみたが、とりあえず、では五色沼を通って帰りましょう、とだけ云った。友人は格別の様子も見せなかったので、其の儘登ってきた登山道を下ることにした。

荒れた山肌を軽快に下り、樹林帯に戻り、心持ち急ぎ足で避難小屋を目指した。小屋の分岐では休憩を取らずに、其の儘左方向に進路を変える。緩やかな谷筋の道を歩き続けて、空気の匂いが少し変わってきたような気がした。五色沼のことを、私は火口底のように記しているが、正式には白根山、五色山、前白根山に囲まれた窪地に在る堰止湖、と云う説明がなされている。其の、標高約2100mに在る湖が、樹林の向こうに姿を現わした。湖畔から見上げると、奥白根の威容が断崖の塊のようにして聳えている。此処はやはり火口底なのだと、私は実感していた。

8

奥白根の喧騒に辟易して、昼食を摂っていなかったので、湖畔の木陰で大休憩となった。強い陽射しが相変わらず降り注ぐ五色沼の湖面は、同じレベルで見渡すと、高彩度の実感が湧かない。山に囲まれた静かな湖の趣であるが、此処から脱出するには、囲まれた火口の周縁に登り、越えていかなければならない。半時後、荷物を背負いなおして、五色沼を時計回りの方角に歩き出す。やがて道が左に逸れていく処に、弥陀ヶ池と五色山の分岐を示す道標が在った。ではもう一度登りますか、と友人に云うと、驚いた顔で絶句した。至極当然の状況に絶句する的異君は、全く地形を把握しないで歩いていたようであった。

急登が続く登路なので、高度は瞬く間に上がっていった。五色沼がふたたびジオラマのような風情に戻っていくのを見下ろしながら登り続けた。程無く稜線に合流し、右に旋回して堰止湖を右に見下ろし、尾瀬や越後の山々が連なる光景を左に眺める登山道になった。熊笹が覆う明るい山上に、一本の道が続いている。其れをゆっくりと登っていった。燧ケ岳の鋭利な山容が、遠くに浮かんでいた。晩秋の閑散とした季節に訪れた尾瀬の情景が、懐かしさとともに脳裏に浮かんでくる。

登りついた五色山から、見納めとなる五色沼を前景に、逆光で黒くなった奥白根を望む。前白根山から続いてきた稜線が、此処から北に延びて、金精山へと連なっている。帰途の中ツ曽根が分岐する国境平に向けて歩き出した途端、右手に箱庭のような風情の、奥日光湯元温泉郷の風景が開けた。背景には、男体山、女峰山、太郎山が揃って聳えていた。思いがけぬ絶景に、私と的異君は揃って立ち止まった。帰還する場所が直ぐ其処に見えているので安堵してしまいそうになるが、左手に長大な尾根が緩やかに湯元へと続いているのを確認すると、疲労感が身に染みてくるような気がした。我々は、眼で合図をして、歩き出した。

9

登山道は西側に転じて、樹林帯を明るく照らす陽光の中を辿って、鞍部へと下り続けた。樹間から遠くに、ふたたび燧ケ岳の姿を見た。軽快に明瞭な道を歩き続けて、鞍部を越えて緩い登りが続き、標高2303mピークを捲きながら、やがて熊笹の広がる気持ちのよい踏路になった。正面に、断崖の岩肌を剥き出しにした山容が鎮座していて、其れが金精山のようであった。

一本道を緩やかに下るようになって、道標が現われる。国境平に到達して、我々は荷を下ろして休憩した。あとは下るだけである。長い一日が漸く終わりつつある。私も友人も、そう信じて疑わなかった。国境平から分岐する中ツ曽根への道は、小ピークを捲くようにして、緩やかな上り坂になっている。其れを越えれば、あとは下るだけなのだ。単独行の男性が国境平に到着したが、我々に気兼ねしたのか、其の儘通り過ぎて、中ツ曽根の方向に去っていった。私と友人は、其れをのんびりと、見送った。

日光白根山(前篇)

修験道の険しい山道を攀じ登った男体山。其の労苦が染み入るように、疲労感が全身を覆った日光の思い出からひと月が経って、また性懲りも無く友人の的異君と早朝の中禅寺湖畔にやってきた。今度はさらに高度を上げて、目的は日光白根山である。私を登山の虜にさせてくれたそもそものきっかけは、此の友人が山に誘って呉れたことであった。しかし、健脚だった友人も、自家用車を買って乗り回しているうちに、すっかり堕落の一途を辿っていて、また日光へ行こうかと誘う彼の口ぶりには、高原をドライブして温泉に浸かればまあよろしいと、そんな本心が透けて見えるようでもある。そんな彼に私は、日本百名山の白根山に登るためには、此の車で移動するのが好都合である、と云うような、微妙に友人の愛車を持ち上げてご機嫌を伺うような提言をする。白根山の登り口には湯元温泉があり、キャンプ場と日帰り温泉施設があるから、百名山のひとつを制覇してから温泉に浸かり、麦酒で乾杯しようではないか。友人は上機嫌で快諾した。

0


2015/7/11

日光湯元キャンプ場(6:30)---外山鞍部 (8:40)---前白根山 (10:00)---五色沼避難小屋 (10:50)---奥白根山 (12:20)---五色沼避難小屋 ---五色沼---五色山 (15:00)---国境平---中ツ曽根---湯元温泉(18:00)

Photo

私の本心としては、山に登るのに自家用車があろうがなかろうが、其れは然程重要なことではないと云う思惟がある。日光湯元温泉は麓の日光駅からバスで移動できる位置にある。友人をおだてて車を出させるのは、私の奸佞によるものではなく、必要以上に車で出掛けたがる友人への優しさと云っても過言ではないと思っている。しかし、自家用車の利点も当然ながら在って、早朝に湯元温泉へ到着できるおかげで、前白根から奥白根、そして五色山を経由するラウンド・トリップが日帰りで可能になる。我々は早朝の戦場ヶ原を軽快に飛ばして、湯ノ湖へと向かった。湯元温泉街の端に、スキー場のゲレンデがあり、隅の一角に在るキャンプ場に隣接した駐車場に到着した。避暑の季節の週末だが、テントの数は其れ程でもない。

日光白根山は、単独の山塊の名称ではないが、日光火山群の広がる一帯に突き出た溶岩ドームである奥白根山を指すのが通常である。火山群に分け入り、尾根を辿り、火口に下がってふたたび登り返すと云う行程が窺えるから、登山地図のコースタイムに依拠するのは危険である。私は内心で、かなりのロングコースになることが明白な儘、歩き過ぎると足裏の痛みを訴えて不機嫌になる友人には其の見通しを語らない。無用に不安がらせるのも気の毒であるし、其れなら単純に同じ道を往復しようと云われても困るからである。

1

快晴に近い青空の下、延々と続くゲレンデを登り続ける。時折振り返ると、男体山の円錐が次第に独立的な姿を鮮明にしていく。日光を空の上から俯瞰して眺めて、白根山と男体山の巨峰と、噴火によって出現した中禅寺湖が点在していると云う図を想像しながら、未だ見ぬ奥白根に向かって、衝立のように聳える尾根に向かって、歩いている。リフトの支柱が終わって、草の道に砂利の通路が奥へと導いている。直射日光の射す炎天下の登路に飽きてきた頃、五色沢と白根沢の二俣に辿り着いた。

此処で改めて前白根の道標が現われ、登山道は堰堤を横目に、白根沢右岸に沿って勾配を上げていった。支尾根に無理矢理登る恰好でジグザグの道が続き、傾斜は其の儘落ち着かないで、ひたすらに登り続ける。登路は深く抉れた湿り気のある土で、樹林の所為で日陰になったはいいが、厳しい道程であった。無言の儘に尾根を進むと、漸く休憩できそうな坂路の切り返し地点に着いた。尾根の落ちていく先に、延々と歩き続けたゲレンデの緑が広がっている。後続の登山者たちの声が聞こえてきた。我々は追い越して貰う為もあり、少し長い休憩を取った。

2

白根火山群の東端は外山と呼ばれるピークで、我々の歩いている登山道は、外山から前白根に続く山稜に在る鞍部を目指して辿っている。白根沢は狭い山峡の底に在り、陽が当たらない斜面には雪渓も残っていた。出発して早くも二時間が経過して、相変わらずの視界が利かない急登を続け、茫然としながら脚を繰り出しているうちに、漸く外山の鞍部に到達した。山稜の反対側が開けていて、霞んだ晴天の遠景の遥か遠くに、不自然な黒い突起が雲に浮かんでいると思ったら、富士山であった。

稜線に乗る迄が長いと云うことは承知で歩き続けたから、此処迄やってきたことで非常な開放感を覚えている。暫く休憩していると、ふたたび後続の声が聞こえてきた。精悍な風体の一団が現われて、尋常ではない荷物を肩で支えている。挨拶を交わして、何を運んでいるのかと聞いたら、新しい道標であった。地元の山岳会による、朽ちた道標の交換作業の行軍なのであった。頑強そうに見える木材はさぞかし重いだろうと思い、そう云うと、持ってみるかと云われたので試しに担がせて貰った。

最初、思ったほどの、肩にずしりとくるような重みは感じなかった。じわじわ効いて来るんだよな、と云って山岳会氏が笑った。其の儘暫く担いでうろうろと歩き回ってみると、徐々に上体を鈍い疲労感が染みてくるような気がした。其れで、此れはたいへんな奉仕活動であるなと思い直した。鞍部から南面に広がる風景を山岳会氏が解説して呉れて、日光連山の魅力を訥々と語った。的異君が、頻りに相槌を打って首肯している。

3

稜線に乗ってからの登山道は、自然林の薄緑色が陽光に映える快適さだった。少しの勾配を登って到達した天狗平で、また休憩を取った。標高2000mを越えて、前白根の北東の尾根をゆっくりと登る。尾根が分岐する小ピークに達して、初めて奥白根山の全容を中心とした眺望が一気に広がった。其れは、奥日光の背後に衝立のように広がる山塊に登り詰めることで、初めて眺めることのできる光景であった。我々は、ジオラマの中を歩いているような気分で、前白根のピークへと、歩いていった。

日光男体山

いろは坂の何度目かのカーブで、霧の曖昧な夜明けが訪れた。週末の天気予報では、明日の日曜日に本格的な晴れとなっていたのだが、土曜の朝には雨が上がると云う見立てを信用して、諸般の事情もありのんびりともしていていられないので、奥日光へのドライブを決行することになった。友人纏井君の車に便乗しての山行も恒例となりつつある。単独ではなかなか訪れそうも無い日光の山々も、いずれは曾遊の地となるかもしれない。尤も、私は日光と無縁と云う訳ではなく、東照宮で挙式をして観光客の見世物になったりしたこともあるので、寧ろ懐かしくもある場所である。其れはそうとして、車は急峻の標高差を蛇行しながら走破していく。第二いろは坂が漸く終わって、目の前が真っ白く開ける。雨粒がフロントガラスを激しく叩いている。明智平のロープウェイ乗り場を切り返し、明智第二隧道に突っ込んでいく。そうして中禅寺湖の畔に出たのだが、雨脚は弱まったものの、相変わらず周囲は霧の中である。

Nantai1

2015/5/16

二荒山神社中宮(8:50)-----四合目-----滝尾神社-----二荒山神社奥宮(男体山)-----二荒山神社奥宮(17:50)

Nanntaisan

男体山の端整な姿は、奥日光を散策していれば何処からでも眺めることができるので、未踏の地と云う気がしない。中禅寺湖と戦場ヶ原とひと纏まりになって、頭の中で描く日光の観光的鳥瞰図には、必ずコニーデ火山の男体山が屹立している。東北新幹線に乗って北上する時、関東平野の広大な風景に飽きてきた頃、宇都宮の手前辺りから、海坊主が白粉を塗ったような姿の雪山が忽然と現われてはっとする。日光男体山である。山は未だ冬なんだな、そんな風に感慨を深くして、改めて、未だ男体山に登ったことが無いという事実に気付いて、いつか登らなければ、そう思うのだが、なかなか登らない。男体山は、そんな山のような気がしている。

纏井君が例の如く、当ても無いのに愛車で何処かに行こうと誘うので、ドライブに興味の無い私は、男体山に登るきっかけを掴んだような気になった。天啓を受けた善人の素振りで、日光に行こうかと提案すると、何も考えていない友人は即座に賛成した。そう云う訳で、朝の七時に二荒山(ふたらさん)神社中宮の駐車場に居るのだが、そぼ降る雨のお陰で、人も車も疎らである。釣り人だけが何事も無いと云う風に、湖畔に下りていく。様子見で暫く滞留している登山客と、雨はもうすぐ上がる筈ですがね、などと云い合いながら、私は紫煙を燻らす。天気は悪いが、人の少ない日光中禅寺湖の畔に居るのは、存外に心地好い。

Nantai2

二荒山は云う迄も無く、修験道の行者が登っていた頃の男体山の名前で、麓に建つ二荒山神社中宮が正式な登山口である。登山口は正式に云うと登拝口で、入山料を神社に支払って登拝門をくぐらせて戴く。漸く雨が上がり、我々は濡れた石段を踏みしめて登山を開始した。登頂迄の概要は、此処から真直ぐに登攀して一度林道に出て、林道の蛇行に忠実に沿ってから、四合目の登山口に入り、其処からふたたび頂上迄直登し続けると云うものである。男体山は端整な円錐の形状で、尾根と谷と云う区別が判り難い。自然崩壊地を意味する、薙と云う溝状の涸沢が幾つも放射状に広がっていて、中宮ルートが辿るのは観音薙である。

神域の趣が高原の森林に変わっていく。広葉樹の葉が雫を滴らせているのが判るような気がする。倒木の傍らに、小さな雑木の若い芽が点在している。茫洋として広がる斜面に、登路が辿っている。同じような景色の中を何時迄も歩いているので、疲労感が漂う。樹木が随分傾いて見えるから、傾斜も随分急なのであろう。そんなことを考えながら歩を進めていくうちに、漸く林道に到達した。此処は未だ三合目である。

山肌に沿って車道を歩く。迂回の冗長な歩きは程よい休憩になり、陽射しも現われて、次第に眺望が樹林越しに垣間見えるようになっていった。早くも下山中の徒がやってきて、足早に擦れ違う。治山工事用の倉庫が現われると四合目で、鳥居をくぐると此処からふたたび登山道が始まる。木段が腐って朽ち掛けている。順調に登り続けて、程無く避難小屋の建つ五合目に着いた。眼下に中禅寺湖を見下ろせるようになり、暫く休憩していると、後続の登山者が次々に登って来る。此処は標高1800mだから、五合目には少し足りない。これから、登山地図に記されている、岩石の道、が続く筈である。

観音薙の岩場は、最初は鬱蒼とした樹林の中から厳かに始まった。雨に濡れた岩の合間を縫って、登って行く。時折、磨いたように光った巨岩が登山道を遮り、大股で其れを乗り越えていく。纏井君は相変わらず岩場が苦痛のようで、先程下界を眺めていた時の饒舌がすっかり止んでしまった。視界の利かない急登が続いて、漸く樹林が疎らになったと思ったら、終わった筈の雨が降り始めた。見上げると廃れた小屋が建っていた。六合目である。早足で其処迄駆け上がり、物置のような小屋へ逃げ込んだ途端、雨は急激に激しくなった。暗い小屋の中で、トタンを打つ雨音だけが激しく響いていて、会話も儘ならない程であった。

Nantai3

驟雨が止んでしまうと、周囲は急激に明るさが満ちてきた。小屋の前から頂上方面を見上げると、ひたすらに瓦礫場が続いている。観音薙が漸く全貌を現わした恰好であった。標高2000mから、劇的に様相が変わったようである。岩塊の道を、思い思いのコースを選んで登っていく。瓦礫場の途上で振り返ると、胸がすくような光景が広がった。中禅寺湖の対岸に聳える山々が見渡せる。半月山は文字通りの形状に広がり、狸山が湖畔の淵に聳えている迄を眺めることができる。中途半端な場所だったが、我々は岩に腰を下ろし休憩することにして、遅い朝食を摂った。

巨岩に赤い矢印がマーキングされている。本格的な岩場の急登が続く。標高差1200mを直登する中宮コースは、合理的に登頂迄を辿る。修験道の厳しさを実感できる登路である。樅や松の樹林が岩の道を挟んで、コースを明確にしているかのように生い茂っている。そんな瓦礫場を諄々と歩き、訥々と足を繰り出しているうちに、赤茶色の鉄錆びた鳥居が現われた。ひと登りで八合目に祀られている瀬尾神社に到達した。二荒山神社と同様、日光山内に本殿の在る瀬尾神社は、女峰山の守り神である筈だが、男体山の中腹の、なんとも落ち着かない岩崖の途上に分祀されているのは奇妙なことのように思えた。

Nantai4

標高2300mを越えた八合目迄到達したと云う実感は、其処からの勾配の途上で残雪を見て徐々に高まっていった。九合目の碑を通過すると、やがて樹林の背丈も低くなり、相対的に広がっていく空の下を歩くようになった。中禅寺湖を核とした眺望は、枯木を前景にして広がっている。荒涼とした雰囲気になり、植生が変わったと云うことが窺える。陽光が薄曇の膜を通して尾根の上に降り注いでいて、眺望は広がっているのに、地平線の彼方や、遠くの山なみは曖昧模糊として判別できない。明智平の方角を眺めると、其処は一面の雲海に覆われていた。

質素だが威厳のある木製の鳥居が、其れ以上は何も無い、と云う雰囲気で、空を背景に屹立していた。其れを見上げて、長大な火口の頂の左方に視線を転じる。稜線の突端に男体山神社のシルエットが在り、其の向こうに遠く広がる連嶺の、ひと際目立つ銀嶺が聳えている。日光白根山の威容である。戦場ヶ原が前庭のように配置されている。遠近感が曖昧になってくるような、眼福の良景であった。

Nantai5

二荒山神社奥宮に登頂して、纏井君と固い握手を交わす。富士山御殿場ルート、尾瀬の至仏山と、苦行の山行が続いたが、今回は何事も無く登頂することができた。私の内心に安寧の気分が湧き上がる。測量を再考して割り出したと云う最高点の2486m地点は、岩が盛り上がっている処で、神剣を表現した造形物が立っている。ふたりで其の頂点に立って、全方位の眺望を満喫した。男体山の爆裂火口底は鬱蒼とした樹林が敷きつめられていて、其の北方の彼方に、女峰山を中心とした連嶺が一望できる。日光連山の奥深さを、初めて目の当たりにしたのだと思った。

登るべき山、そして歩くべき稜線が、無限にある。其の感懐が、心を充足させていく。私は、云い様の無い昂揚した気分の儘、360度の景色を眺め回していた。明智平方面を覆っていた雲海は、徐々に男体山の懐に押し寄せてきていたようで、岩のピークに冷たい空気が、纏わりつくように漂い始めた。中禅寺湖の風景が、徐々に緞帳が下りてくるような感じで、霧の向こうに、消えていった。



Nantai6

追記

観音薙を引き返して下山。六合目迄の岩場の下りで、とうとう纏井君が音を上げて悪態をつき始めた。いつものような足の痛み迄には至って無いようなので、無視して歩き続ける。ペースは徐々に低下して、二荒山神社中宮に戻った頃は黄昏迫る時刻になってしまった。自家用車の利点で、湯元温泉に移動して、無事日帰り入浴を済ませて帰途に就いた。
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック