西上州

荒船山・上信電鉄・しもにたバス(後篇)

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南北に長い軍艦山、其の甲板の上を辿る小径を、気の無い足取りで進んでいく。荒船山の最高峰、経塚山を往復してくるのは予定の中に入っているが、其れだけでは時間が余ってしまう。テントの設置作業は、人が消え失せるであろう、午後四時台くらいから始めたい。其れ迄の三時間強を、どうやって過ごすかと思案しつつ、登山道から外れた草原の中で、摂り損ねた昼食を兼ねて休憩にした。経塚山を越えて南下した処に在る奇峰、立岩に行ってくるのは少し遠すぎる。窮余の策で、西に延びる尾根の途上、御岳山迄の往復に決めた。其の先に連なる、ローソク岩を越えて、兜岩山迄、往復してみるのも可能な時間帯ではあったが、地図上に記されている、ナイフリッジ、の文字が怖いので自重する。西上州の登山恐怖症を克服するために、此処迄やってきたので、其れも止むを得ない。


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2016/5/14

三ツ瀬バス停(10:00)---相沢登山口(10:35)---中ノ宮(11:45)---艫岩展望台(13:00)---星尾峠(14:25)---御岳山(14:50)---星尾峠---経塚山(15:55)---艫岩展望台(16:40)

2016/5/15

艫岩展望台(7:00)---中ノ宮---相沢登山口(9:00)---三ツ瀬バス停(9:45)

草地の木陰にザックを隠し、軽装になって登山道に復帰した。周囲の風景は、山頂部に居るとは思えないような穏やかなもので、此の森林公園の淵に断崖が在るとは、到底想像できない。時間を積極的に消費するかのように、私はのんびりと歩いている。そうしていたら、背後から嬌声とともに団体が追い着いてきた。艫岩展望台で絶叫していたツアーガイドを先頭に、二十人くらい居る団体を、路肩に寄って退避してやり過ごす。最後尾の、迷子を捜していた女性は、疲れた笑顔で私に挨拶をした。私も、旅行会社の添乗員と云うのをやったことがあるので、其の気苦労は解る。其れにしても、団体を忌避して艫岩から移動してきたのに、また一緒になってしまった。ふたたび団体に追い着かないように、分岐点迄ゆるゆると歩きながら、私は、経塚山を後回しにして、先に星尾峠へと下りていくことにした。

朽ちかけた木段を下り、右手にカーブしながら、尾根の腹をトラバースしていく。其れが随所に細くなっているので少々の緊張を強いられる。艫岩で、内山峠からの登山道が、木橋の破損により通行止めになっていることを知った。行楽気分の団体も含めて、大多数の登山者は、荒船不動から歩いて来ている筈で、此のトラバース道を通過しなければならないから大丈夫かと思う。心細い捲き道が終わって、尾根を越えていく箇所が星尾峠だった。長野県佐久市製の標柱が立っている。私はメインルートから外れて尾根の上に乗り、西に向かって歩き出した。細い尾根に、自然林が疎らに並んでいる。新緑の向こうに、目指すピークが聳えている。時折現われる赤八汐の紫色が鮮やかで、はっとして立ち止まる。

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眼前のピークが近づいて、久しぶりの勾配を登る。其れを越えて、ふたたび鞍部へと下り、気持ちのよい木洩れ陽の中を歩くと、やがて荒船不動への分岐点に到達した。誰も居ない細尾根は心地好かったが、此処から御岳山の小ピーク圏に向かって急激に登る。ロープが設置してある直下を越えて、頂上に立った。古びた道標に、御岳山園地迄百メートルと記してある。疎らな樹林の向こうに、兜岩山方面の眺望が窺える。続いていく尾根上の鋭利なピークの上に、巨大な墓石のようなものが刺さっている。大ローソクの不気味な容姿を眺めていると、もっと間近で見てみたい誘惑に駆られるが、私はかぶりを振って、御岳山の方向に歩き出す。呆気なく到達したピークに鎮座する、青銅の神官像は妙に真新しく見えて、風情は感じられない。樹林に囲まれた山頂からの眺望は無く、こんなものかと思いながら、時間を消費するために、私は紫煙を燻らせて、茫然と休憩を取った。

星尾峠に向かって、来た道を戻る。時刻は午後三時を過ぎているが、太陽は未だ中天にあるかのように高い。誰も居ない細尾根から、立岩が樹間に見え隠れするのを眺める。正面に、荒船山の茫洋と長い山頂を見上げながら歩いていく。荒船不動からのメインルートに合流しても、人の気配は無い。ふたたび山頂部に乗り上げてから、経塚山への砂礫混じりの傾斜を登る。しめ縄の結界の向こうに祠が在る経塚山の頂からは、明瞭にローソク岩の連なる尾根を見下ろすことが出来た。西上州の奇岩を遠目に眺めて、改めて、異郷に来た、と云う感懐が満ちてくる。

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時刻は午後四時を廻っている。もう大丈夫だと思うが、念の為に経塚山でもゆっくりと時間を潰した。陽光の色が、心なしか赤みを帯びてくるように感じられた頃、私はふたたび、テーブルマウンテンの上を縦断する為に出発した。雑木林の真ん中を貫いている歩道を、銜え煙草で歩いた。「皇朝最古修武之地」の石碑を通過する頃、軽快なトレラン姿の若い男性と擦れ違う。未だ居たか、と、案外の気持ちであるが、当然のことながら怪訝の思いは彼の方が強い筈である。どちらから、の問いに、艫岩でテントですよ、と応える。トレラン氏は驚いた顔で、其れは勇気があるなあ、と云った。艫岩でテントと云っても、絶壁の淵にテントを張る訳では無い。其れはお互い判っている筈なのだが、荒船山の絶壁でテント、の言葉は、異化の効果を作用させる。

クレッタルムーセンを回収して、陽が傾いて薄暗くなった樹林帯を歩く。程無く避難小屋が現われて、艫岩に戻ってきた。無人の絶壁の上に立って、やれやれと云う気持ちで荷を下ろした。荒船山の北方に広がる風景。青々とした山並みの構成がジオラマのように見渡せる。彼方に聳える明瞭なピークには、電波塔が立っているから、物見山である。下仁田トンネルと内山トンネルの間を繋ぐ国道254が、地図と同様に激しく蛇行しているのが判る。其の左上に在る眼前のピークが、標高1234.0と云う並びのよい熊倉峰で、昭文社登山地図にも「特異標高数字の山」と記されている。

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テントを設営して、持参した缶麦酒を飲んで、漸く気分が弛緩してきた。陽光が黄昏の色を帯び始めて、霞んでいた物見山の向こうから、浅間山の巨大な山容が現われた。其れで、此のジオラマが低山の塊りであったことに気付くのだった。絶壁の淵に近づいて、遠い雲の中に落ちていく夕陽を眺める。少し、躊躇してから、崖の下を覗きこんだ。断崖の下には、黒い森が広がるばかりであった。息を殺して覗き込んでいた私は、顔を上げてから、深呼吸をした。

荒船山の夜が、ゆっくりと訪れた。スキットルのウヰスキーを舐めながら読書をして、程無く眠りについた。深夜に目覚め、テントから這い出る。艫岩からの夜景は、西北の彼方に、佐久の灯りが微かに窺えるだけであった。暫く佇んでいると、たなびく雲間から、赤い月が現われた。超現実的な光景が唐突に出現したような気がして、息を呑んだ。黒い雲が流れてきて、赤い月は、混濁したような色彩になって、徐々に姿を消していった。艫岩展望台は、ふたたび静かな闇に包まれた。私は、無意識を制御するために、紫煙を深く、吸い込んだ。


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追記

遠慮がちな鳥の声、荒船山の朝は霧に包まれていた。早々に撤収を終えて、木製ベンチで朝食を摂ってから、下山の徒に就く。しもにたバスの本数が限られているので、相変わらず時間調整をしながらゆっくりと歩く。三ツ瀬バス停のベンチでサンダル履きになって、荒船の湯迄歩いていく。民家の軒先の老婆ふたり組に摑まって談笑に付き合う。おばあさんたちは、しもにたバスの存在を知らなかった。バスの時刻迄、荒船の湯でサウナに入りつつ長湯をする。帰途の下仁田駅行きの客は、私ひとりだった。

昼下がりの下仁田駅周辺を見物して、何か食べようと、店構えの古風な「きよしや食堂」に入ったら超満員で、店員も居ないで主人ひとりが仕切っていて、使用済みのどんぶりが積み上げられている。危険信号が脳裏に点灯してふたたび町に出て店を探す。奥まった処に在る「食亭エイト」に入り、名物だというカツ丼を食す。下仁田カツ丼は煮カツではなく、トンカツを醤油ダレに浸したものが丼に乗っていると云う代物だった。驚いたのは、トンカツが二枚分、短冊状に切って乗っていたということで、麦酒のつまみに一枚、カツ丼で一枚と云う配分で食す。余程空腹で臨まないと食べきれないボリュームだった。下仁田カツ丼は他の店でも二枚乗っているのかと主人に訊くと、判らないけどウチは昔から二枚、と云った。満腹、満悦で上信電鉄に乗ったら直ぐに熟睡してしまい。終点の高崎です、と乗務員に起こされた。

別記

2016/5/21

田貫湖キャンプ場(9:15)---休暇村富士(9:30)---休暇村分岐(10:10)---長者ヶ岳(11:20)---田貫湖キャンプ場(12:50)

友人M,N,Tと四人で朝霧高原でオートキャンプ。天子山塊の長者ヶ岳に登る。休暇村分岐は眺望がよいので、此処迄を登る家族連れや児童の団体と遭遇する。東海自然歩道と銘打たれてある尾根は緩やかで、頂上直下も其れ程の傾斜は無い。頂上は富士山方面のみ伐採してあり眺望がある。パラグライダーが上空を舞っていて、眼前に現われたりするので落ち着かない。

2016/6/2

登山詳細図甲斐郡内/東編の踏査

鳥沢駅---小篠貯水池---石仏分岐---穴路峠直前から尾根直登---倉岳山---立野峠---月尾根沢---梁川駅

「登山詳細図」の続編は、上野原から笹子辺り迄の中央本線沿線。其れを東西に分けて出版の予定と決まったようで、奥武蔵、奥多摩、丹沢に繋げて詳細地図が完成することになる。個人的にはお馴染みの、倉岳山周辺の踏査に同行させて戴いた。

登山詳細図世話人の日記
http://mordred1114.blog.fc2.com/blog-entry-289.html

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荒船山・上信電鉄・しもにたバス(前篇)

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山上ビバークを目的とした登山に興が乗ってきたのだろうか。単なる山小屋の管理下に在るキャンプ指定地ではなく、誰も居ない頂上で、孤立するかのようにテントを張って、一夜を過ごすと云う行為に、何故か惹かれ始めている。北信五岳の飯縄山に遠征した後、次は何処に行こうかと考えて、各種交通機関の兼ね合いを吟味していき、其の挙句に、西上州に着目した。尤も、着目したと云うのは、何処か自分に誤魔化しが在る。

もう二年以上も前のことになるが、西上州は裏妙義の奇岩、丁須ノ頭を目指した。結論から云うと、登り始めの垂直の鎖場で躓き、同行者の助けを借りて漸く乗り越えたものの、疲労と恐怖に打ちのめされた。丁須ノ頭には辿り着けず、かなりの手前に位置する産泰山で撤退し、垂直の鎖場を降りるのが怖くて、緩やかな尾根を探した末に漸く下山した。西上州の山、其の印象は強烈に私を萎縮させるようになった。

其れ以来、西上州の山行と云うのを、無意識の裡に排除していたきらいが自分に在る。其れでも、昭文社地図の西上州を開いたのは何故だろう。前回の長野行きの途中、横川サービスエリアを出発した高速路線バスからの車窓を、溜息とともに眺めた。奇峰の点在する西上州。其れは眺めているだけでも驚嘆できるが、私にも登ることのできる山は無いものだろうか、そんなことを薄っすらと考えるようになった。

山頂部が広大な平坦地で、裾模様は断崖絶壁と云う特異な山容の荒船山に就いて考えた。山上ビバークには申し分が無い。其れは容易に想像できる。気に掛かるのは、其の断崖絶壁で、墜落死の事件が頻発しているのが、なんとなく不気味だ、と云うことである。荒船山の登路自体は然程危険なことは無いようで、多くの登山者が訪れる人気の山である。問題の、艫(との)岩展望台で、高度二百米の絶壁の上から、少なくない墜落死亡事故が発生しているのが何故なのかは判らない。

訪れたことの無い荒船山に就いて、其の情景を想像してみる。其処は荒涼たる不毛の地を連想させる岩山の上の広場で、周辺の山々を眺望できる大地である。広がる風景は穏やかな山地である。しかし、其の穏やかな風景に幻惑されて、不思議な安寧の気分に浸り、無意識の裡に其の突端に歩を進めると、実は垂直の崖っぷちに立っていたと云うことになる。そうして、不意に、人智の及ばない感覚に支配されて、断崖の向こうに有る何かに、引っ張られるようにして、吸い込まれていく。想像は止めども無いのでいい加減に切り上げたいが、此れが私の、机上における荒船山の情景である。底冷えのするような、実体の無い恐怖。荒船山が、実際はどうなっているのか。行って確かめてみたい、と云う気持ちになってきた。

公共交通機関のことを調べると、高崎駅から上信電鉄に乗り換えて、終点の下仁田駅から、荒船山の東側に在る登山口に近い処迄、地元のバス、しもにたバスが運行されている。荒船山は、マイカー登山の徒には気軽に日帰りで登ることのできる山ではあるが、私は山頂に泊まるので、延々と電車とバスを乗り継いで、遅い時刻から登り始めても構わない。

群馬県甘楽郡下仁田町と、長野県佐久市との境界に在る荒船山を、厳密に西上州と云ってよいのかどうかは判らないが、此の思いつきを、私は気に入った。荒船山で一夜を過ごして、西上州の山に対する恐怖感から、逃れるのではなくて、脱する。そんな禊払いのような気分が湧きあがってきて、私は複雑な昂奮を覚え始めていた。

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2016/5/14
三ツ瀬バス停(10:00)---相沢登山口(10:35)---中ノ宮(11:45)---艫岩展望台(13:00)---星尾峠(14:25)---御岳山(14:50)---星尾峠---経塚山(15:55)---艫岩展望台(16:40)

JR高崎駅の改札を出て、一階に下りると、上信電鉄の0番線の入口が在る。元来国鉄と共用していた長大なプラットホームの端、遥か彼方に古びた電車が停まっている。殺風景なホームの片隅に立ち食い蕎麦が在ったので、既に朝食は済ませて出掛けてきたのだが、嬉しくなって立ち寄り、掛け蕎麦を食した。発車時刻が近づき、少し速足で簡便な改札口に向かった。下仁田迄、千円の切符を購入して、女性の改札掛に印を押して貰う。駅員は丁寧に、ありがとうございます、と云った。乗車して程なく扉が閉まると、大袈裟な駆動音が響いて発車した。上信電鉄の車輌は、昔の西武鉄道の電車が払い下げられたもので懐かしい。古風な電車が、群馬県の西部を目指しながら、小さな駅に丹念に停車していく。少なくなかった乗客が、徐々に降車して、車内は閑散としていった。

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世界遺産に登録された富岡製糸場の上州富岡駅を過ぎて、進行方向右手の車窓に、低いが険しい山並みが現われる。神成山を中心とする鋭利な山群を見て、西上州に来たのだな、と思う。其れ等が終わると難読駅の南蛇井に着く。次の千平を出発してから、電車は唸り声を上げて勾配を上がり、浅間(せんげん)山の尾根に、押されるようにして左へと曲がり始める。あとひと駅と云う処で山岳地帯の様相を呈してきた上信電鉄の線路が、ふたたび西南に舵を切って、徐々に電車の制動機が作動していく。山間部の合間から唐突に景色が広がり、下仁田駅に到着した。

快晴の青空で、陽差しが眩しい。頭端式のホームの先に、古びた木造の駅舎が在る。構内の線路に、錆び付いた車両が打ち捨てられたようにして佇んでいる。終着駅らしい風情の下仁田駅を、のんびりと眺めていたい誘惑に駆られるが、荒船山の登山口、相沢集落に近い三ツ瀬に向かうバスの接続時刻が迫っている。後ろ髪を引かれる思いで、私は改札口を出た。初めて訪れる下仁田の駅前風景を見渡すと、片隅にカラフルなワゴン車が停車している。まさかと一瞬考えたが、此れが下仁田町直営の、しもにたバス市野萱線であった。近づいて車内を覗くと、ジャージ姿の小学生が五人程乗っている。私は思わず、乗ってもいいですか、と運転席の壮年男性に訊いた。すぐ出るよ。運転手が云った。

小中学校に近接する文化ホールで更に児童二名が乗車して、しもにたバスは国道254号に出た。小学生を引率して郊外に出掛けるマイカーに添乗しているようで、気分はまったく落ち着かない。話が前後してしまうが、帰途に乗車した運転手に事情を訊いたところ、此のしもにたバスは、スクールバスを兼ねて運行していると云うことであった。土曜日の午前中に下校する生徒が、どのようなタイムスケジュールで活動しているのか、見当も付かないが、ひとり降り、ふたり降り、古びた宿場町の本宿と云うバス停で最後の児童が降りて、乗客は私ひとりとなった。荒船山の登山口、相沢に至る車道の起点になる三ツ瀬は、国道から少し離れた処に在る集落で、ワゴン車は田圃の広がる舗装路に入ると、点在する民家が途切れた場所で停車した。均一運賃の二百円を支払って、私は三ツ瀬バス停に降り立った。運転手が、気をつけて、と云って呉れた。しもにたバスが去っていくと、時間が止まったように静かな農村の風景が、広がるばかりであった。停留所のベンチで身支度を整えながら、遠くに来たな、と云う感慨が湧きあがってくる。形容しがたい心地好さで、私は暫く、其処に佇んでいた。

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山肌に沿って、緩やかに勾配を上げていく舗装路を歩き続ける。農家の庭先から、農作業に向かう支度中の老夫婦が、荒船かい、と、声を掛けて呉れる。蛇行しながら続く車道歩きの途上で、荒船山の突端が遠くに目視できる。内山峠側から眺める、お馴染みの巨大船のような全容は望めないが、前衛の山々の向こうに聳える其の姿は、やはり特異であり、ひと目で判る山容であった。相沢川に沿って暫く歩き続け、整地された田畑が広がり、庚申塚が現われると、其処が相沢の集落で、民家の尽きる処が相沢橋だった。林道になった勾配を少し歩くと、荒船山登山口の道標が現われて、愈々山歩きの始まりである。登山口には、三台の車が駐車されていた。

緩やかな尾根の北面を暫く歩いて、唐突に左に旋回して尾根上に乗った。其の儘尾根登りが続くかと思いきや、登山道は南面をトラバースしながら続いていく。新緑が繁茂するのを照らす陽光の中を軽快に歩き続けていたが、踏路は徐々に谷筋に近づいていく。ヤマツツジの朱色が、薄暗くなっていく山の斜面に点在して彩りを与えている。併行する沢が詰め上がる地点から、登山道は複雑に重なる礫岩の合間を縫うようにして続いていた。鬱蒼とした渓道を辿って、早く尾根の上に戻りたいと思いながら歩いていると、中ノ宮の祀られた大岩が現われたので、道中は半ば迄達したことになる。

巨岩の下を通過してから、登山道は尾根に向かって登り勾配になった。中ノ宮の上部に戻っていくような形で、九十九折に登り続ける。鬱蒼とした雰囲気が続いているので、荒船山を目指して登っていると云う実感が希薄になってくる。巨大ザックを背負ってはいるが、疲弊する程歩いてはいない。所要時間も、登山地図のコースタイムと遜色は無い。頂上で幕営を開始する迄、随分時間が余るのは想定済みなので、逸る気持ちも無い。其の中途半端な気分が、緊張感と云うものと対極に在るので、疲弊ではない気怠さが湧きあがってくる。

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東北東に延びていく顕著な尾根に合流した地点に、錆び付いた鉄板の道標が地面に立て掛けて在った。毛無山の時に見た、マツダランプ提供の道標には、胸突き八丁下と云う現在地が記されている。進行方向を見上げると、急勾配の尾根が続いていて、急登を真直ぐに進んでいく登山道が窺える。此れが胸突き八丁の勾配であろう。荒船山の台座の上に乗るのは時間の問題であった。私は、必要以上にのんびりと休憩を取る。時刻は正午を過ぎたばかりで、登頂者は艫岩で昼食を摂っている頃合と思われる。此処迄、先行した登山者に追いつくこともなく、後続の徒に抜かれることもなかった。恐らく、登山口に駐まっていた三台の車だけが、相沢登山口からの登山者なのだと察せられる。尤も、荒船山のメインルートは内山峠や荒船不動からの登山道であるから、静かな山歩きも今のうちかもしれない。私は、樹林の合間から覗けるようになった北面の風景を眺めながら、紫煙を燻らせていた。

仰々しく胸突き八丁と呼ばれる勾配だが、実態は其れ程でも無く、直登が終わると愈々北面に向かって踏路が続いている。艫(とも)岩の絶壁が、直ぐ近くに眺めることが出来る。此処で下山者一名と擦れ違う。そして、頂上直下に設置された階段を登っている途中で、高齢男性のグループと擦れ違った。其れが存外に大人数だったので、土曜日だから覚悟はしていたが、果たして荒船山はどの程度の人が居るのかと、徐々に不安になってきた。

階段を登りきると、既に荒船山の平坦なピーク上に立っていることになる。雑木林が立ち並ぶ周囲の風景は、何処かの公園にでも居るような錯覚に陥るような、茫漠としたものだった。想像していた、荒涼たる不毛の地と云う印象では無かった。緩やかな丘の上に続く踏み跡を辿り、程なく広々とした道に出る。道標に、艫岩絶壁と経塚山の双方向を示す道標が立っていた。艫岩方面に歩き出すと、向こうから若い女性が真剣な表情で走ってくる。旅行会社の身分証を首から提げている、ツアー登山のガイドと思しき女性は、誰某さあん、と叫びながら走っていった。団体客の迷子を捜しているようであった。私は、観念したような気分で、艫岩に向かって歩き続けた。

平坦な道が、やがて樹林に囲まれるようになって、其の向こうに白い光が差し込んで明るくなっている。立派な小屋の建つ周辺のベンチで、多くの人々が食事の休憩を取っていた。展望台の手前で、人だかりになっている。其の人だかりに、ひとりの男性が大声で叫んでいる。ツアー登山の引率ガイドと思しき男性は、展望台で休憩しないでください、展望台の先に入らないでください、と云うようなことを叫んでいた。

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其の喧騒の中を掻き分けて、艫岩展望台に到達した。礫岩の敷き詰められた小さい広場に、風景指示盤が設置されている。眼前は、西上州と佐久の山々が広がる大展望である。よく晴れているので、展望台には直射日光が降り注いでいる。さぞかし暑いのではないかと思うが、腰を据えて食事を摂る複数のグループで、展望台は足の踏み場も無い。タオルを顔に被せて、寝転がって昼寝している者も居る。其れ等を跨いで、断崖の突端に近づいてみる。崖の下を覗くような真似は出来ないが、絶壁の上に立っていると云う緊張感とは別に、此の狭い場所に人が多すぎるのが怖い。

其れで、程なく踵を返した。机上の想像での情景とは甚だしく乖離した荒船山ではあるが、夕刻に戻れば、此の場所を専有することができる。誰も居ない断崖の上で、或いは感興を新たにできるかもしれない。其れにしても、団体客を差し引いて考えても、荒船山に登ってくる者が此れ程多いと云うのに驚いた。昼食を摂る気分も霧消して、私は所在の無い足取りで、艫岩から逃げ出すようにして、歩き始めていた。

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裏妙義・産泰山(後編)

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ザンゲ岩からの眺望に比較すると、より東の方向に広がる産泰山からの雄大な光景。其れを眺めながら、腰を下ろして休憩し、食事を摂った。暫くそうしていたら、kz氏が叫び声を上げた。何事かと見ると、靴の中に山蛭が入り込んでいると云う。インターネットで西上州の情報を見て予習はしてきた。しかし、帰途に予定していた鍵沢のルートに、山蛭が生息しているらしいと云うのは知っていたが、よもや産泰山で其の憂き目に遭うとは思わなかった。奇声を上げて狂乱の態のkz氏に、持ってきた忌避剤を振り掛ける。もちろん他人事では無い。気づいていなかっただけで、私の靴にも山蛭は纏わりついていた。そして既に腹部を噛まれていたようで、シャツの裾が赤黒く染みていた。流血である。しかしそれでも、蛭の被害に遭うのは不快で厭なものだが、私の神経は、無事に下山できるかどうなのかと云う懸念と不安に満ち満ちていた。kz氏は狂ったように騒いでいるが、私は蛭に構う余裕すら無かったのであった。

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2013/9/1

横川駅(10:15)---麻苧ノ滝---鼻曲り---産泰山---北西の尾根---鍵沢---横川駅(16:30)

突然の蛭騒動で、ほうほうの態の儘、慌てて下山の途に就くことにした。横川駅から見える岸壁の上から少しだけ奥に回りこんだくらいの位置にある産泰山で、今日の登山は終了である。裏妙義に登ったと、ちょっと大きな声では云えないような行程なのだが、もう其れでよい。無事に下山できれば御の字である。あの鎖場を回避して、kz氏が確信的に云う、鍵沢へ下りる尾根に乗って下るしかなかった。

来た道を引き返して、何処までも鬱蒼とした樹林の谷を見ながら、作業道と思しき踏跡が伸びる、道標の在る分岐点に着いた。地形図を見ると、明瞭な鞍部の付近にいるのだと思うが、小刻みに瘤があってアップダウンを繰り返しているので、確実なことが判らない。しかし、意を決して、なだらかな斜面の山肌に沿った踏跡を下り始めた。

道は細いが明瞭に辿っている。やがて尾根の分岐に乗ったから、一路傾斜を降り始める。眼に見えて周囲が薄暗くなってきた。此の儘順調に沢に下りるのかと思ったら、傾斜が緩まって、涸れ谷へ合流してしまった。こんなに早く尾根が終わるわけがない。kz氏が云い、南側に見える大きな尾根を指して、あれに乗ろうと云った。

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踏跡は微かにあるように見えるが、気の所為かもしれない。心細くなるが、兎に角尾根に乗らなければならない。なだらかに見える谷を下るのは危険だった。大きく見えた尾根も、乗ってみて眺めたら、周囲の風景には何の変化も見られなかった。同じような樹林が覆っているだけである。コンパスで、大体の方向は判るが、小さい尾根が幾重にも伸びているから、気を抜いてしまうと、一瞬で方向の感覚は失われてしまうだろう。此れが鍵沢に下りる尾根だと、kz氏が断定してくれなかったら、先に進む勇気は出なかっただろうと思った。

尾根は実直に、然程の傾斜も無く続いていた。歩き続けて、漸く手応えを感じられるようになった。此れは大丈夫そうですね。好い尾根じゃない。背後からkz氏の陽気な声が返ってくる。其れだけで気持ちが軽くなった。ひたすら谷底に向かっている尾根の上の道が、少し明るくなって、空が見えた。コンパスで南の方向を見て、其の彼方を眺めた。丁須の頭の片鱗でも見えないかな。そう呟いたら、随分余裕があるんだねえ、と、kz氏が笑った。

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順調に下り続けた。そして傾斜が殆ど無くなって、沢の流れの音が微かに聞こえるような気がした。ふと足元を見たら、木片が転がっていた。其れは横川駅と丁須の頭が記された、道標の残骸だったから、ふたりで驚嘆の声を上げた。此の尾根は、もともとは登山道で、其れが廃道になったのか。後に検証せねばならない問題だったが、私は鍵沢に到達できたことで胸が一杯になっていた。助かった。そう思うばかりだった。まだ登山道に復帰したわけじゃないから、安心するのは早いよ。そう云うkz氏の冷静さが頼もしい限りであった。

地形図を改めて確認してみる。山名も記されていない産泰山の付近から、北西へと伸びる尾根は顕著に判るように見える。しかし、此の周辺に散見する壁の印を回避して、緩やかな尾根を下りきって、鍵沢に下りることができたと云うのは、私にとっては僥倖以外の何物でもなかった。読図能力だけでは此処迄辿りつけないだろう。判断してからの、決断力が問われるのだと、kz氏の動静を見ていて、そう感じた。

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渡渉して、対岸の尾根に刻まれた踏跡を歩いた。鍵沢の実直な流れは、真直ぐに下降していた。沢の行き着く処は、あの麻苧ノ滝である。我々の居る尾根は、沢から離れて徐々に登りに掛かっていた。どのくらい離れるかと云うと、沢に背を向けて、違う山に登り始めるような感覚を覚える方向だった。私はふたたび弱気な声を出す。そんな私を見兼ねたのか、kz氏は、私に休憩するように云い、空身になってから、先を偵察してくると云って、尾根を登っていった。

数分で戻ってきたkz氏は、釈然とはしていないようだったが、此の儘登ろうと云ったので、気を取り直して出発した。尾根は徐々に岩が出現するようになったが、其の中に白い丸印が描かれているのを発見して、俄然希望が湧いた。傾斜が急になって、湿った土を踏み込んで登っていたら、呆気なく登山道に辿り着いた。相変わらずの細木で作られた指導標を見て、今度こそ安全圏に到達したのだと実感した。kz氏と、渾身の握手を交わした。

気持ちの上では、既に下山してしまったかのような雰囲気だったが、鍵沢コースの登山道は、昭文社地図には何の記載もないが、予想以上に崩壊地が多く、緊張を強いられる場面も少なくは無かった。しかし、私は不思議なくらいに恐怖感が無かった。後で思い返すと、奇妙な程淡々と、崖っぷちのトラバース道を横断していた。クライマーズ・ハイと云うのは大袈裟に過ぎると思うが、不思議な高揚感の儘、岩崖を避けるようにして迂回する登山道を下り続けた。

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途中、またしても蛭の大群に襲われた。忌避剤を振り掛けてもキリが無いくらい、獰猛に俊敏に、山蛭は寄ってきた。もう諦めて進みましょう。そう云ったら、そうかあ、諦めるかあ、と、素直な感じでkz氏が云った。非日常的な会話をしているなあと、何だか可笑しくなった。そうして、陽の当たらない斜面の、泥濘や倒木の登山道を、困窮を極めながら下り、漸く舗装路の登山口に到達した。山から逃れたと思ったら、雨が降ってきた。倉庫の軒下で、足元を点検すると、山蛭は執拗な迄に、靴に張り付いていた。

鼻曲りの威容をふたたび眺めながら、雨に濡れながら車道を歩いた。彼方の空は明るいから、直に止むのだろう。そう思いながら、裏妙義の取り掛かりとでも云うか、入口あたりで彷徨って帰ってきたような気分を満喫した。垂直の崖の鎖場で萎縮し、度重なる鎖場で恐怖に眼を背け、そして道無き道を下り夢中で帰ってきた。其れを反芻していた。

無事に下山できた喜びで充足すると云うのは、実に倒錯した行為のようにも思う。尤も、何を満たそうと明確に意図して行動している訳ではない。自分に説明がつかないと云うのは何とも落ち着かないが、訳の判らない儘充足すると云う、莫迦になったような感覚は、そんなに悪いものでもない。そう思った。

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別記(2013年9月の山歩き)

2013/9/5(日光戦場ヶ原・高山)

赤沼(11:30)---戦場ヶ原・赤沼分岐---石楠花橋---幕張峠---熊窪分岐---高山---竜頭の橋---赤沼(14:40)

2013/9/20

大月駅(9:00)---むすび山---峯山---天神峠---高川山---男坂コース---初狩駅(13:45)

2013/9/23

高尾駅(9:00)---宮の前---中宿橋---太鼓曲輪尾根---北高尾山稜縦走路---地蔵ピーク---駒木野---高尾駅(13:00)

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裏妙義・産泰山(中編)

国道18号から碓氷川に坂道を下り、麻苧(あさお)吊橋を渡ると、御岳経由で丁須ノ頭へと向かう登山口が現われた。朽ちかけた木段を登り、暫くは沢沿いの遊歩道を歩く。小さな滝や、珍しい形状の岩が散在している。そんな景勝の散策路が終わると、麻苧ノ滝が現われた。滝の景色と云うものを、然程期待していなかったので、其の雄大さに眼を瞠った。滝壷の岩場で、制服を着た女子高生がふたり、嬌声を上げているのが見えた。其れは何とも絵に描いたような、非現実的な眺めだった。


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2013/9/1

横川駅(10:15)---麻苧ノ滝---鼻曲り---産泰山---北西の尾根---鍵沢---横川駅(16:30)

女子高生に気を取られている場合では無かった。麻苧ノ滝を眺める橋を渡ると、いよいよ登山地図にも記されている、最初の鎖場が現われる。其れは水量の少ない滝が在る傍の岩壁に鎖が繋がっていた。岩壁を垂直に攀じ登る形状になっている。地図には10mの鎖と記されているが、鎖の高低差よりも、眼下に落ちる崖の深さを見て、足が竦んだ。

ヘルメットを被って、其の第一関門に向かう。kz氏が、此れは怖いよ、などと声を上げている。其れを背後に聞きながら、岩の折り重なった部分に、恐る恐る足を載せて、鎖を掴んで崖の切れ落ちる処に進んだ。鎖は崖に強固に打ち付けられていると判ったが、足元の岩が濡れていて、何時滑ってもおかしくないように感じる。其れで、足元を確かめるために視線を下げると、崖の底が見えないくらいに深いと云うのが判る。鎖に摑まっていれば大丈夫なことが判っているのに、恐怖感が心の裡に染み渡っていて、次の一歩を踏み出すことができない。

私はkz氏の処に引き返した。怖くて登れない。口惜しいが、本当に怖い。其れで、kz氏が先に登ることになった。どうなることかと思ったが、彼は怖い怖いと絶叫しながら、するすると登って行った。私は其れを茫然と眺めた。登り終えたkz氏が、崖の上から延びている尾根を伝ってきて、私の頭上に見える山腹から顔を出す。そして、私のザックを彼に渡すように指示した。空身なら登れるかもしれないよ。そう云って呉れたので従うことにした。

kz氏が登った軌跡が脳裡に焼き付いていて、其のお陰で岩に刻まれた小さな割れ目に足を入れたら、垂直に登る勇気が湧いた。強固な鎖に摑まり、足掛かりが確定したら、なんとか登ることができた。しかし、登りきった瞬間に、全身の力が抜けていくような気がした。もし、途中で時間切れとなって、来た道を戻って下山することになったら、此の鎖場を下らなければならない。其れを考えるだけで憂鬱になった。

気を取り直し、明瞭に続く登山道を歩く。ルートは明瞭だが、左右を見れば所々に断崖状である山肌の様子が窺えた。痩せている尾根ではないのだが、険しい岩稜の上を歩いているのだと云う意識が、気持ちを萎縮させていくような気がした。とんでもない処に来てしまった。それが率直な感想であった。

果たして、ふたたび鎖が現われた。其れは岩壁を攀じ登るのではなく、急傾斜の岩場なので、通過することができた。しかし、相変わらず岩場は濡れているから、滑って怪我をしたら、などと云う負の思考ばかりが心裡に渦巻いている。そうして、萎縮していくと、脚が自分の意図ではなく、機械的に繰り出されているような錯覚に陥るのだった。

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登山道は山腹をなぞるようになり、三番目の鎖場は、崩壊して久しい様子の箇所をトラバースする処にあった。なんとか及び腰で其れを通過する。巨岩の影になっている捲き道は、じめじめと湿っていて、足元に神経が集中する。間もなく次の鎖場が現われる。同じようなトラバース道だが、岩が斜めに突き出た箇所を、今度は鎖にしがみ付くように渡る。登山地図に「岩壁中の鎖」とある箇所かと思われる。もうこんな道は戻れないよ。kz氏が叫ぶ。息も絶え絶えに、其れを聞いた私は、どうやって下山するべきなのか、と云うことを漠然と考えた。時刻が遅くなっても、丁須の頭迄登り、沢沿いの登山道を下るしかないのだろうか。そんなことを考えていた。

尾根の端に出て、傾斜を登るようになったが、遠くに視線を移すと、目の前はふたたび聳え立つ岩壁だった。其の壁の下に辿り着いたら、右方向に岩が重なり合っていて、其の合間を微かなルートが辿っていた。其れは岩壁の隙間を縫って、壁に張り付きながら斜めに登って行くと云う進路だった。当然鎖が設えてある。足場は確かで、逡巡することなく登ることができた。しかし、眼下は此れ迄で最も高度感のある断崖だった。意識して底の方を見ると、思わず眩暈を起こしそうになる。断崖を登りきってから、私は後ろを振り返ることができず、尾根の上に、逃げるように登って行った。

穏健な尾根の上を歩くと云うだけで、快楽的だった。鎖場を全て通過して、漸く地形図を冷静に眺めることができた。御岳へと連なる尾根の、突端に乗ったばかりと云う位置に、我々は居るのだった。傾斜を登り詰めて、眺望が開ける岩の瘤に着いた。最初は、此処がザンゲ岩だと思い、kz氏と一緒に大休憩を取ったのだが、其処からは未だ軽い登りがあった。木々の合間に、ぽっかりと穴が開いたように、開けた場所に着いた。其処へ足を踏み入れたら、突然空中に躍り出たかのような錯覚に陥った。思わず声が出た。ザンゲ岩からの眺望は、遠近感が失われそうになる程、全てが見渡せた。地平が丸く歪んでいるように感じた。横川駅と、鉄道文化むらに保存されている列車が、模型のように見える。鳥瞰図の視線と云うのが、このようなものなのだろうと思った。

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横川から眺めた峻険な山稜の上を辿る。樹林の中の穏やかな道は、時折アップダウンを繰り返す。途中の鞍部で、道標の在る場所で、西の谷へ伸びる尾根に沿って下って行く作業道らしき踏跡を見つけた。kz氏が、此処から下山できる、と声を上げた。切り拓かれたような谷が底へと緩やかに広がっている。此れで、あの鎖場を下ると云う恐怖を味わわなくて済む可能性が出てきた。其れを確認して、我々は取りあえず明確なピークである、産泰山に登頂することを目標にして、先に進んだ。

地形図では崖に沿った尾根を緩やかに登るのかと思っていたが、所々にピークと間違えそうな瘤が現われる。其れ等を捲いていく道は、時折尾根が分かれている部分もあって、注意を怠ると迷ってしまいそうになる。kz氏にしても一瞬躊躇してしまうような箇所もあった。私は、瘤が見えると、あれが産泰山ではないか、などと云う希望的観測を頻繁に口走っていた。自分が余程、神経が磨耗しているのだと感じた。

丁須の頭に行くことが出来ないことになって、最早安全に下山できるかどうかと云う懸念だけが脳裡に浮かぶ。そんな中途半端な気持ちの儘歩いていたら、明るい広場に到達した。文字の消えた木片の山名標が木に掛けられていて、石碑が立っている。産泰山の山頂だった。断崖の方向の樹木が少ないから、ふたたびの絶景が広がった。

もう充分だろう。kz氏が独り言のように呟いた。私は言葉を発する余裕も無く、心の中で首肯しながら、ぼんやりと絶景を眺めていた。

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裏妙義・産泰山(前編)

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酔眼の徒が所在無く新宿駅のプラットホームにしゃがみ込んでいる。始発電車を待つ人々の生気の無い表情を見ると、自分だけが場違いなような気がして当惑してしまう。赤羽から高崎線の電車に乗ったら、漸く気だるさと共に睡魔が襲ってきて、私は昏々と眠り続けた。気がつくと、疾駆する電車の車窓から、朝陽に照らされた山々が田園風景の広がりの向こうに見渡せるようになっていた。午前七時に高崎駅に到着する此の電車に、kz氏も乗っている筈である。倉賀野駅を過ぎて、メールを打ってみたが、応答が無い。しかし、高崎から直ぐに接続する信越本線の横川行きに乗れば否応無く会えるのだから、慌てる必要も無い。電車は徐行し始めて、終点の高崎駅に到着した。

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2013/9/1

横川駅(10:15)---麻苧ノ滝---鼻曲り---産泰山---北西の尾根---鍵沢---横川駅(16:30)


短い編成の横川行きの車輌に乗ってから、メールが帰ってきた。着信にタイムラグがあったのだろうと何の気なしに其れを読んで、少し間を置いてギョッとした。寝坊して未だ家に居ると云うkz氏のメールだったから、さてどうしようと思いながら、私は電車から降りた。横川行きは直ぐに発車して去っていったので、プラットホームに少しだけ、静けさが訪れたから、kz氏に電話を掛けてみることにした。

常念岳行きで使用した青春18きっぷを、敢えて二日分残して置いたのは、近隣の低山しか同行できないkz氏を誘って、少し遠出をしてみたいという気持ちがあったからだった。ふたりで日帰りで、普段なかなか行けない山域に行ってみようと云う意図が先に有って、其れから何処に行こうかと思案するのは、愉しい作業である。

其れをkz氏に打診したら、夜行のムーンライト信州号に午前零時過ぎに乗れば、中房温泉から燕岳を往復して、其の日のうちに帰京できると云う、ハードな計画を提言された。余りにも痛快で無謀な計画だけれども、kz氏と同行して山に行くのだったら、定石に囚われる必要は無い。私は其の案に同意した。しかし、間もなく此の案は呆気なく御破算になった。肝心のムーンライト信州の指定券が取れない。休日、休前日の、或る一定の期間しか運行しない此の列車は、全てが指定席なので、気儘に乗り込むことができない。ムーンライト信州の指定券は、今夏の便全てが満席だった。私は落胆した。

後日知ったことだが、ムーンライト信州の指定券は満席の筈なのに、実際に乗車すると、空席が随分あるという実情が有るらしい。北アルプス方面に行こうと計画する人が、いち早く指定券を確保していながら、天候が悪いからとか、何らかの理由で実際には乗らないのにもかかわらず、キャンセル処理をしないと云うのが真相のようである。なぜキャンセルをしないでも平気なのかと云うと、指定席券の値段が安く、キャンセルした場合の違約金が発生すると、殆ど僅かな残金しか帰ってこないと云うのが其の理由ではないかと云われている。因みにムーンライト信州の指定券料金は三百円から五百円(閑散期と混雑期で値段が違うらしい)で、違約金は三百二十円だと云うから、わざわざキャンセル処理をする必要が無いと、殆どの人が考えるからだと思われる。かくして、乗りたいと急遽切望する私とkz氏の座席は満席で買うことができないのに、実際の列車には空席が沢山有ると云う現象が起こっているわけである。非常に不条理な現実であるが、如何ともし難い。

そう云う訳で、燕岳日帰り登山の案は成立しない。次に考えるのは、早朝に出発して帰ってくることができる極限の山域である。馴染みの多い中央本線沿線を除外して考えると、北関東に眼が向く。直ぐに思いつくのが、上越線の土合駅から谷川岳であるが、ロープウェイなどに乗って交通費を掛けるのでは、青春18きっぷで無銭旅行する今回の主旨にそぐわない。だから対面に聳える白毛門を往復する案が先ず確定した。

もうひとつは、妙義山の西上州である。奇峯が林立する妙義山に漠然と憧れてはいたが、中途半端に遠いので、此れ迄訪れたことが無い。kz氏も行ったことが無いと云う。西上州で駅からアプローチし易いのは、信越本線横川駅から巡る裏妙義である。T字型の奇岩、丁須の頭を、御岳の尾根から登り、鍵沢ルートで周回して帰ってくると云うのが丁度良い。昭文社の登山地図では破線の難路と有り、妙義山の破線ルートに初心者を同行する場合は、ザイル携行が望ましい、などと書いてある。しかし、私はkz氏と一緒であると云うことだけで、いつも抱いている不安とか懸念は全く覚えない。白毛門と丁須の頭、どっちにしましょうか。私はkz氏に決断を委ねるメールを送った。「おぎのやの方かなあ」メールが帰ってきた。「おぎのや」とは、横川名物「峠の釜飯」製造元の名前である。

以上が、標高こそ低いがクライマーたちが好んで訪れる、峻険な裏妙義に行くことになった理由である。其の、頼みの綱であるkz氏が高崎駅に居ない。此の時間に自宅に居ると云うことは、もう山には行けないだろう。私がひとりで、ザイル携行が望ましい、と云うような山に登れる訳が無い。此れではまるで、屋根の上に乗ってから梯子を外されたようなものである。私は茫然としながら、kz氏に電話を掛けた。

世紀の大遅刻を詫びるkz氏に、まあ仕方が無いです、と私は慰撫する。其れでお仕舞いになるのかと思ったら、此れから大急ぎで高崎に向かうと云うので、意外に思った。予定が大幅に遅れて、行程をどうするのか。そんな話は後のことである。とにかく出発して貰って、私は二時間余りを待つことにした。安堵する思いの儘、どうやって暇を潰そうかと考えて、間もなく出発しそうな、八高線のディーゼルカーに乗った。18きっぷの旅の雰囲気が様になってきている。児玉行きの終点迄乗って、武蔵七党の最大勢力、児玉党ゆかりの地を訪れることにした。児玉党は私の姻戚関係に多少の縁があると聞いた事があったので、此の訪問は丁度良かったのだが、話が全く本筋から外れてしまうので割愛する。

八高線のディーゼルカーで、測ったように丁度二時間後に、高崎駅へ戻った。数分後に到着した高崎線の電車から、kz氏が現われた。大騒ぎの邂逅の儀式を終え、立ち喰い蕎麦を食べてから、気を取り直して横川行きの電車に乗った。行楽客を満載した電車が松井田を過ぎて、裏妙義の独特な岩山が車窓に出現した。スタートは遅れたけど、予定通りの尾根を辿り、何処かの尾根を下山しようとkz氏が云うが、見たところ、登山道を外れて降りられるような山容では無い。どうにかなるでしょう。kz氏は鷹揚に云った。電車がゆっくりとした速度になって、横川駅に到着した。

大勢の行楽客が碓氷峠に向かうバスに吸い込まれていって、静まり返った横川駅前の広場から、陽射しの強い灼熱の舗装路を歩き始めた。目の前に此れから向かう予定の、鼻曲りの巨大な奇岩が、堂々と聳えている。其れがあまりにも迫力があるので、とても此れから自分が登って行く山と云う感じがしなかった。どんな一日になるのだろうか。漠然と思ったが、あまり考えるのはやめておこう。そう思った。

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