尾瀬

富士見下から至仏山(後篇)

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風化の激しい蛇紋岩で構成されている所為なのか、至仏山頂の西側は、地形図で確認できる崖印が示す通りに、切れ落ちる断崖が続いていた。乾いた砂礫の登山道が、雲海の上を辿っている。尖岩が塔のように盛り上がっているのが見える。其の岩尾根を左に捲いていくと、直ぐに断崖の淵に出る。其の繰り返しをしながら稜線を徐々に下っていった。雲海に突き出た岩尾根の頭は、斑状の紅葉に彩られて聳えている。眼福の稜線を、正面に見下ろす小至仏山迄、歩いていく。

ところで、登山地図のコースタイムは、至仏山頂から小至仏山迄35分と記されているが、実情はかなりの差異が在るものと思えた。下り基調の稜線歩きで一時間半を掛けて、小至仏山に到達したから、巨大ザックを背負っているとは云え、また後述する友人の鈍足化を考慮しても、倍以上の所要時間は解せない。北アルプス、常念岳から南下する登山道、そしてつい先日歩いた、猿倉荘から白馬鑓温泉小屋迄の所要時間。何れもコースタイムの三倍近く要して驚いたが、其れ等に匹敵する程、此の区間のコースタイムには疑問を感じた。鳩待峠からやってくる観光客や、登山の素人が多く訪れると思しきコースなので、余禄を加味したコースタイムを設定すべきだろう。


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2014/9/27

山ノ鼻(6:15)-----至仏山-----小至仏山(11:40)-----鳩待峠(13:20)-----アヤメ平-----富士見峠-----富士見下(17:00)

絶景の稜線歩きで満悦のトレッキングが続いていたが、同行の友人、纏井君が苦悶の表情である。山ノ鼻からの急登を終えて登頂し、漸く軽快に歩ける状況になった筈なのに、足取りは格段に遅くなっている。小至仏山の手前で、どうしたと訊くと、爪先が痛いと云う。以前からの悩みの種である巻き爪の症状が悪化した模様であった。気の毒としか云いようは無いが、富士見下迄歩けるのかと訊くと、ゆっくりなら歩けると云った。

緩やかな傾斜の砂礫の道を下っていく。振り返ると、尾瀬ヶ原の眺望が、小至仏山の陰に隠れて半分になっている。燧ケ岳の裾野の向こうに、会津駒ケ岳が明瞭に聳えていた。そのような風景を眺めたついでに、遅れに遅れて豆粒のようになった纏井君が、よろよろと歩いているのを確認する。私は立ち止まり、友人を待ちながら黙考する。時刻は正午近くになっている。鳩待峠迄の標準コースタイムが一時間半、アヤメ平経由の鳩待通りで富士見小屋迄二時間半、そして往路に歩いた林道を富士見下迄が二時間、合計六時間の行程が残っている。

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苦悶の表情で牛歩になっている友人が歩き続けたところで、富士見下に到達するのは何時になるのか、見当も付かない。何よりも、苦痛と共に歩き続けるのは気の毒である。漸く近づいて来た友人に、私は考え得る唯一の提案を披瀝した。幸いなことに、歩行ルートの途中に鳩待峠が在る。其処からは乗り合いバスが戸倉温泉迄運行している。此の儘歩き続けるのは苦痛だろうから、君はバスで戸倉に、私が富士見下迄歩き、自家用車をピックアップして戸倉迄運んでいこうと思う。

友人纏井君の性分、此れは知っていたことだが、強情張りである。ゆっくりなら歩ける。また同じことを云った。其れで私は内心憮然とした。ゆっくり歩いて到着が夜更けになったら、同行者が迷惑すると云う思惟が無い。自分だけ挫折するのが厭だと云う気持ちは汲み取れるのだが、苦悶の態で歩く友人を眺めながら長時間過ごす私も、違う意味で苦痛である。私は、内心で舌打ちしながらも、そうかと応えた。では先行して鳩待峠で待つ。そう言い残して、歩き始めた。

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小至仏山から続いた稜線から登山道は逸れて、東側に木段が下降していく。笠ヶ岳に続く稜線、彼方に聳える武尊山の峻険な八つ峰、素晴らしい眺望と別れなければならない。ワル沢が喰い込む広大な谷の上部をトラバースして、木道が尾根に沿って続いている。途中のテラスで大勢の団体が休憩し、寛いでいる。私は、陽光降り注ぐ快適な登山道を、休むことなく歩き続けた。黄葉の潅木帯に入り、直ぐにぽっかりと広がりのある場所に出た。オヤマ沢田代は、枯芒が黄金色に光る、静かな山上に在る湿原だった。登山道は間もなく、悪沢岳への分岐に至り、後は鳩待峠に向かって尾根を下り続けるだけである。

友人を残して先行した私は、意図的に早いペースで鳩待峠に向かって歩いていた。順調に歩けば午後一時半に到達する。其処で纏井君を待つことにした。恐らく、一時間くらい待つことになるだろう。其れでも構わない。止むを得ないと思った。遅れを取る時間が長くなる程、友人が諦めてバスで下山する可能性は高い。富士見下迄強情を張り続けて歩いたら、同行者をどれだけ待たせることになるのかと云うことを、肌で感じて貰うしか方法は無いと思った。

尾根が分岐して、目に見えるように踏路は左へと旋回していく。樹林帯の登山道は鬱蒼とした雰囲気になり、もう尾瀬に居ると云う雰囲気では無くなっていた。湿った道が順調に下降を続けて、標高千九百米迄来た処で、トラバースとジグザグを繰り返すようになる。悠然と下山する老人たちを次々に追い越していく。すごい荷物だねえと、背後で話す声を聞きながら、私は快速で下り続けた。冗長に続く登山道に飽きてきた頃、木立の向こうに白い光が見えてきた。ざわめきと車のエンジン音の混淆する喧騒が聞こえてくる。鳩待峠に到着した。時刻は午後一時二十分だった。

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尾瀬のハイキングを愉しんで帰途に就くハイカーたち、バイク・ツーリングで集結した者たち、観光バスで立ち寄っただけの団体客。賑やかな鳩待峠の茶屋の傍らに、たくさんのベンチが並んでいる。乗り合いバスの発車を待つ人々が、充足した面持ちで寛いでいる。其のベンチに、巨大なクレッタルムーセンを立て掛けた。トレッキング姿の女の子たちが、でかい、と云って笑った。

時間を掛けて御不浄を済ませ、水道で顔を洗い、麦酒の誘惑を断ち切って冷えたコーラを飲んで、紫煙を燻らせる。大休憩の覚悟で、裸足になりサンダルに履き替えた。三十分を経過しても、友人が到着する気配は無い。ぼろ雑巾のような纏井君が、其れでも意地を張って歩き続けると云ったらどうするか。其れなら腹を括るしかない。そう考えた。友人も休ませねばならないので、出発は午後三時を過ぎるかもしれない。富士見峠で陽は暮れるだろう。私はヘッドランプの点検を始めた。

午後二時を廻った頃、纏井君が鳩待峠に到達した。よろめきながら近づいてくる友人に、どのくらい待ったかと訊かれて、三十分くらいかな、と控えめに答えた。ベンチに倒れ込むように座った纏井が、やっぱり此処でリタイアすると云ったので、私は瞬時にザックを開けて準備に取り掛かった。サブザックに水と最小限の装備を入れて、巨大ザックのウェストベルトを畳み、レインカバーで包んだ。此れを友人に託して、身軽になって富士見下に向かうことにしたのである。巨大ザックをふたつも抱えて移動するのを渋る纏井に、一刻も早く自家用車を回収する為だと言い聞かせ、茶屋でゆっくり休んでからバスに乗れと命じた。

鳩待山荘と公衆トイレの建物の狭間に、富士見峠方面の登山口が在る。恒例の人工芝を踏んでから、雑木林の中に続く勾配を登り続けた。サブザックで身軽になってみると、其の爽快さは想像を絶する程であった。尾瀬と云えばテント泊重装備。その感覚がセットになって身に染みていたので、今更ながら軽装で歩く尾瀬の有難味を実感した。山上に広大な湿原が広がる鳩待通りは、百名山に直結しないので登山者たちには其れ程歩かれていないが、其の風景は折り紙付きの絶景である、と云う記事を読んだことがある。アヤメ平を最後に通過する今回のルート案は、富士見下に帰還する為に都合がよいばかりではなく、取って置きの訪問地と云う意味も在ったのである。纏井君には気の毒だが、身軽になって此のルートを単独で通過できるのは皮肉な僥倖であった。

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登山道は標高を上げる程に傾斜が緩やかになって、自然林は疎らになり、黄葉の度合いが深まっていくようだった。下ってくる人々は皆身軽で、空身の人も多い。鳩待峠から山上湿原を往復するのは、手軽なハイキングなのだと察せられた。友人を置き去りにしたので、気持ちが逸って急いで登り続けたが、木道が平坦になって少し蛇行すると、唐突に風景が開けたので啞然として立ち止まった。茫洋とした広い尾根が収斂した処迄登り切り、横田代の湿原に到達したのだった。

抜けるような碧天の空に、綿菓子のような雲が浮かんでいる。枯芒が広がる湿原に、池塘が点在している。茫漠とした空間は、澄み渡る静寂に包まれていた。私は時刻を確認する。鳩待峠を出発してから、未だ三十分しか経っていない。昭文社登山地図のコースタイムが一時間二十分だから、軽装故の快速ぶりが堪えられない程気分がよい。木道の端に設置されたベンチに座り、此の静謐な湿原で休憩することにした。友よ、安心し給え。そう内心で呟きながら、私は煙草を銜えた儘テラスに寝転んだ。青空に向かって、紫煙を燻らせる。心地よさがひと塊となって全身を包んでいく、そんな気分だった。

横田代を過ぎると、分水嶺の中原山に向かって、湿原の儘で尾根が徐々に勾配を上げていく。青空は瞬く間に消え失せ、鉛色になっていた。戸倉側から、不穏な色の霧が立ち込めてくる。雲上の楽園と云う異名も在るアヤメ平に近づきつつあるが、天候は芳しくない方向に転じていくようであった。モノトーンの風景に、岳樺の白い幹と、紅葉が混じり合っている。ササ原と紅葉のコントラストの向こうに、盛り上がっているピークが見える。唐突に風景が広がり、無名の湿原にベンチが在ったので二度目の休憩を取る。若い女性のグループがアヤメ平から下ってくるのを見送った。中原山から南に伸びる尾根が窺える。正面に見えるのは大行山であろうか。其の山容は、黒い霧に覆われて浮かんでいた。

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潅木に囲まれた展望の無い中原山を越えて、木道が下降していく。そして待望のアヤメ平に到達した。濃い霧は流動的で、厚い雲と広大な湿原の境界に、景鶴山を中心とする連嶺が薄っすらと見えている。しかし、燧ケ岳と至仏山の両横綱は、最後迄姿を現わすことが無かった。アマチュアカメラマンの集団がテラスを占拠しているので、止むを得ず木道の途上で立ち尽くした。池塘の水面に、波紋がゆっくりと流れている。雨奇晴好。アヤメ平は、濃霧に包まれてはいるが、其れも幻想的な光景だと思った。

我が物顔のカメラ親爺連中に辟易して、再出発した。時刻は午後三時半だったので、快速の余禄を大休憩で若干消費してしまったことになる。其れでも此処迄のラップは、コースタイムよりも五十分くらい早い。私は、最後の見どころを終えて、本格的に急ぐことにした。木道を駆け抜けていくと、気まぐれな雲が徐々に晴れてきた。再度の富士見田代の池塘に到着した時には、燧ケ岳が雲を纏いながら鎮座しているのが見えた。名峰の見納めである。富士見田代の心地好い木道が終わり、階段を下っていくと、富士見峠に到達した。週末の午後四時になろうとしているが、富士見小屋の周辺は相変わらず人の気配が無かった。立派なトイレを拝借し、漸く下山の途に就くことにした。

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富士見下へと続く林道を、慣性に任せて加速して走っていく。アヤメ平下を通過して、次は馬洗渕。時刻は現在午後の四時台である。午後六時台には戸倉に到着すると友人纏井君に約束した。走れ、メロス。未だ、陽は沈まないだろう。林道の冗長な蛇行に忠実に、走り続ける。傾斜に任せて下り続ける。全く以て、今回の富士見下ルート計画は理に適っていた。脱落、傷心のリタイアの末に戸倉温泉で待つ友に、一刻も早く愛車を届ける為に、私は走っている。富士見下へのラストランには、此の林道下りは打って付けである。なんと素晴らしい計画であったことよ。私は、長く退屈な林道下りに抗う為に、自画自賛の言葉を喚きながら、走り続けていた。


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追記

十二曲がりを駆け抜けて、富士見下に到着したのが午後五時ジャストだった。友人の自家用車を転がして、尾瀬戸倉に向かう。暮色漂う戸倉のバス案内所内の待合室で纏井君と再会する。余りにも早い到着に友人は感激の様子であった。沼田街道をひた走り、道の駅併設温泉で汗を流して、上州沼田とんかつ定食とノンアルコール麦酒で乾杯。無事帰京した。

別記

車中のラジオで、木曽御嶽山噴火のニュースを聴いた。2014年9月27日、午前11時52分に発生した噴火に就いて、此の日の夕刻時点では、具体的な被害状況は不明だったので、ただ驚くばかりだった。翌日の報道で大勢の被害者数が判明し、戦慄したのは云うまでもない。好天の土曜日、正午に近い時刻という、登山者が頂上に多く達する時刻に、噴火が起こってしまった。如何ともし難い不運に、やるせなさを感じずにはいられない。犠牲になった方々の御冥福を、心からお祈り致します。

富士見下から至仏山(中篇)

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尾瀬ヶ原西端の観光拠点である山ノ鼻は、国民宿舎尾瀬ロッジ、山の鼻小屋、そして至仏山荘と云う三箇所の宿泊施設が近接して建っている。ビジターセンターと公衆トイレも堅牢で瀟洒な外観の建物であり、何も考えないで眺めると、観光地のホテル街に居るような錯覚に陥る。キャンプ場の受付を至仏山荘で行ない、幕営地に向かう。隣接する休憩所に足場が組んであり、建設中なのか改修作業中なのか判らないが、此れも立派な建造物であった。テントの数は其れ程多くは無かった。我々は水場兼自炊場に近い、至仏山荘の目の前にテントを設営した。暮色の尾瀬ヶ原は穏やかな気候で、気温も其れ程低くないようであった。


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2014/9/27

山ノ鼻(6:15)-----至仏山(10:05)-----小至仏山-----鳩待峠-----アヤメ平-----富士見峠-----富士見下(17:00)

久しぶりのテント泊である友人纏井君のお陰で、雲取山の時のように随分な饗応を受けた。ソーセージを肴にウヰスキーを飲んでいたら、山荘従業員がやってきて、テントの皆さん、植物研究見本園の方に熊が出ました、と云うので幕営者全員が色めき立った。ビジターセンターの職員も慌しく出たり入ったりしていて、熊の捕り物でも始まるのかと思うがそんなことは無く、望遠鏡で監視して警戒するしか術が無いようであった。山荘従業員は、そう云う訳なので御注意を、と云って去っていった。具体的な指示も無く、不穏な空気のみを残して建物に戻っていく従業員はどう云う積もりなのだろうか、などと文句を云い合いながら、酒宴を続けた。暗くなって周囲のテントが静まっても、我々だけが冗漫に飲み続けていた。夜になるとさすがに気温が下がったが、新調したナンガ製ダウンパンツのお陰で心地よく過ごすことができた。随分飲んでしまい、シュラフに潜ったら、すとんと眠りに落ちた。

目覚まし時計をセットするのも忘れて熟睡して、周囲の物音で目覚めた。テントから這い出ると、ザックを背負った人々が続々と木道を歩いている。未だ朝の六時にもなっていないのに、随分早出の人が多いのだなと感心しながら、テントの撤収を始めた。荷物を纏めてから、朝食を摂っていると、何故だか視線を感じる。木の陰でテントを組み立てていた男女が近寄ってきて、此処に張ってもいいかと訊いてきた。其れで早出の人たちが、未明の鳩待峠からやってきたのだと云うことに気付いた。

自家用車で富士見下経由の我々は全く知らず仕舞いだったが、鳩待峠に早朝に着くバスが週末に限り運行されているようであった。今日は土曜日である。其れで、山ノ鼻にテントを張って軽装で至仏山に登ると云う者が、随分居ることに気付いた。そうと判ると、計画通りとは云え、巨大ザックを背負って至仏山に登ろうとしている我々は、異彩を放っているような気がした。場所を譲ってあげたカップルの女性に、昨夜此の近辺で熊が出たようですと云ったら、途端に恐慌をきたして怯え始めてしまった。私は慌てて、そうは云っても大過は無いと説明したが、彼女の動転は治まった様子が窺えない。気の毒なことをしてしまったかなと思ったが、事実を述べただけなので、止むを得ない。

研究見本園の湿原が靄に包まれて、薄っすらと木立が浮かんでいる。其れを横目に、木道を進んで行く。至仏山登山口は、趣の在る湿地帯から一変した、鬱蒼とした樹林帯に入って、木段の急登から始まった。木段から足元は砂礫状に変わり、次第に瓦礫状になっていく。湿った石の隙間に水溜りが在り、昨日の晴天が遠い過去のように思える程、周囲は濃密な湿気に満ちていた。針葉樹林帯から垣間見える自然林の黄葉が、疎らに見える。朝の歩き初めの、何とも云えない疲労感を、其の眺めで誤魔化しながら、実直に登り続けた。

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狭い登山道の背後から、続々とハイカーが追いついてくる。脇に逸れて道を譲るのも億劫になるくらい、巨大ザックを背負った我々の足捌きは緩慢だった。追い越していった登山者が、先程の我々と同じように道端に立ち止まって息を整えていたりするので、また追い越してしまう。同じようなペースの者がたびたび顔を合わせて抜き返すので、お互いに間の悪い心地で何度も挨拶をする。行く手を見上げても霧しか見えない。曖昧模糊の果てに向かって、長蛇の列が黙々と行進していると云う様相になっている。

纏井君の休憩間隔が頻繁になってきた。巨大ザックふたり組が、狭い登山道の傍で茫然と並んで立っているのも不気味なので、徐々に私だけ先行して、休憩し易い岩場を見つけて待つ、と云うペースになった。登山地図に記してある、一杯清水の水場に気付かない儘、周囲が低潅木になり、視界が開けてきた。一枚岩が重なる鎖場が現われ、数珠繋ぎのハイカーが渋滞していた。私は鎖の途中で左に逸れて、岩襖の上に立った。振り返ると、霞に覆われた尾瀬ヶ原の風景が広がっている。

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岩の上に座って、其の儘纏井君を待つことにした。傍らの鎖場を、切れ目なくハイカーが登り続けているが、友人は何時迄経っても現われない。山ノ鼻を出発して二時間余り経つが、少し疲弊が早すぎるのではないかと、此の時朧気に感じた。其の儘休憩が長引いていたが、お陰で尾瀬ヶ原を包む雲が、徐々に流れ出してきた。雲の切れ間に、冬涸れた湿原が見えて、そして燧ケ岳の頭が姿を現わす。一心不乱に鎖に摑まっている登山者たちが、次々に振り返り、広がっていく風景に歓声を上げる。だから登山道は、益々渋滞していった。

森林限界を示す這松帯が広がるようになると、岩塊の合間に立派な木段が設置されて、如何にも観光地と云う様相になった。青空が広がり、陽射しが暑い。其れでも、鬱蒼とした樹林帯を抜け出た爽快感は友人を奮起させたようだった。標高二千米を越えて、至仏山の雄大な稜線が直ぐ其処に見渡せる。小至仏山の端整な姿が、紅葉に包まれている。

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展望を辿っていくと、尾瀬ヶ原を包むように山々が連なっていて、ひと際窪んだ処に建造物が見える。あれが鳩待峠か。纏井君が呟く。今日の歩行ルートが、一目瞭然となっていた。鳩待峠からアヤメ平に向かって、稜線は果てしなく続いているので、随分遠い道程だなと思う。尤も、碧天の下で紅葉の至仏山に登頂するのだと云う喜びは喩えようもない。前途遼遠、私の気分としては、其れも望むところである。

木道の両側にベンチが設置されている尾根の平坦な場所が高天ヶ原で、尾瀬ヶ原と燧ケ岳の眺望は相変わらず申し分が無い。此処で暫く休憩した。直登のルートは目的地が見え続けているのに、中々近づいてきて呉れない。見上げる山の向こうには空が広がっているが、地形図を見ると山頂は未だ遠いことが判る。其の事実は、読図の出来ない友人には伏せておくことにした。

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偽ピークを登りきって、漸く彼方に頂上が見えてきた。纏井君はすっかり無言になっているが、とにかく頂上は近い。老若男女のハイカーが続々と辿る木段を、黙々と登り続ける。最後の岩場の急な登りを終えた処に、唐突に頂上が在った。狭い岩場に、大勢が屯して、山名標を取り囲んでいる。其れ等を跨ぐようにして分け入り、ひと際大きな岩塊の上に立った。

尾瀬は、山懐に囲まれた別世界だった。至仏山の上から眺めると、尾瀬の外側は雲海に包まれていた。巻機山から谷川岳に至る山塊の頭部が、微かに見えている。北に視線を転じると、平ヶ岳に向かって稜線が延びていくのが窺える。其の方角の彼方を眺めれば、水平線の青味が薄色に変じて、地平に溶け込むようにして広がっている。至仏山のピークには、遮るものが何も無かった。眺めて良し、登って良しの名峰である。登頂して、其れが実感できると云うのが、なんとも嬉しかった。

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足の踏み場も無い山頂で食事を摂るのも詰まらないから、小至仏山迄行こうか。友人に提案してから岩を降りようとすると、若い女性が私をしげしげと見ている。数秒掛かって、山ノ鼻キャンプ場でテントサイトを譲ったカップルの片割れだと云うことを思い出した。熊が出たと云う話で怯えていた娘も、至仏山からの絶景に満悦のようである。私は若干の罪滅ぼしと云う気持ちで、雲海上の山座同定を行なって彼等に説明した。若いカップルは、何の山が見えているかと云うことに、余り関心が無いようであった。

富士見下から至仏山(前篇)

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早朝の尾瀬戸倉駐車場は静まり返っていたので、誰も居ないとのかと思っていたら、突然車道の真ん中におじさんが躍り出てきたから驚いた。一般車輌通行禁止となっている、鳩待峠方面に左折しようとしたのを見て、注意喚起すべく現われたものと思われる。ハンドルを握る纏井君がぶっきらぼうに、富士見下と答えたら、なあんだと云う顔で通してくれた。程無く戸倉スキー場への分岐が現われて、高原ホテルを過ぎると、車道はか細くなって、沢沿いの勾配を登るようになった。ゲートで行き止まりになった処が、駐車スペースの在る、往年の尾瀬へのメインルート、其の起点となる富士見下であった。



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2014/9/26

富士見下(7:00)-----富士見小屋-----長沢新道-----竜宮十字路-----山ノ鼻(15:40)

鳩待峠から尾瀬沼に至る山々の壁を越えて、尾瀬ヶ原に至ると云う富士見峠経由コースは、現在では殆ど人気が無いようである。鳩待峠迄乗合バスで行けば、下り基調で尾瀬ヶ原に歩いて行けるのだから、さもありなん、である。私は、尾瀬再訪の誘いを纏井君から受けて、此の富士見下ルートを提案した。友人の主眼は自慢のマイカーで尾瀬に行くと云うくらいのものだから、コース設定は私が担当させて貰うことにした。初めての尾瀬は、大清水から尾瀬沼に向かい、燧ケ岳に登ったので、次の目的地は当然、至仏山である。山ノ鼻に幕営して至仏山を巡るだけならば鳩待峠発着でいいが、尾瀬ヶ原を歩かないのは如何にも惜しい。マイナールートに転落した富士見下から、富士見峠を越えて尾瀬ヶ原の真ん中に降り立ち、のんびりと山ノ鼻に歩いて行く。車での移動なので、富士見下には早朝に着くことができるから、ロングコースでも差し支えは無い。妙案である。すっかり山行計画に無頓着になっている纏井君は、深く考えることもなく此の案に同意して呉れた。

ゲートを越えて、蛇行する砂利の林道を延々と登り続けた。朝の冷たい空気が、汗ばんでくる躰に心地よく感じられる。十二曲がりと名付けられた九十九折が終わると平坦な道になった。田代原の一帯に入っている模様だが、湿原と云う雰囲気では無く、広い公園の中に居るような気がしてくるような場所だった。富士見下から富士見小屋迄、標準コースタイムは二時間四十五分。焦って歩いても仕方が無い。我々はテント装備の巨大なザックを背負って、ゆっくりと歩いていた。


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やがて勾配が復活して、熊笹の繁る処に道標が現われた。十二曲がり、田代原と、手製の道標が立てられていたが、此処には馬洗渕と書かれている。登山地図に表記は無いが、富士見峠迄の途上の、丁度中間地点に池の印が在る場所のようだった。池の渕で馬を洗っていた名残のような地名だろうか。樹林の向こうにある池を目視することはできなかった。長い林道歩きだが、程良い間隔で道標が在るので、適度に休憩することができる。判然としない空模様だが、徐々に併行する白尾山から延びる尾根を眺めるようになった。

水場の在る元休憩所と記された道標を過ぎると、陽光が降り注ぐ好天になり、正面に色づいた山なみが現われた。鳩待通りから富士見峠に至る稜線である。間もなく御馴染みの道標が在り、アヤメ平下、峠迄一粁と記してある。林道に砂利が整然と敷き詰められていくようになると、水場を経て富士見小屋に到着した。約二時間半の所要時間だったので、途中軽装の老夫婦に追い越されたとは云え、重荷を背負っているにしては順調な登りだった。


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さて、淡々と此処迄やってきたが、友人纏井君の機嫌も上々のようである。満身創痍で帰還した、富士山御殿場ルート往復以来の山行なので、富士見下ルートの長時間の林道歩きの消耗がどのようなものかと懸念していたが、其れも杞憂に終わったようだ。此の後は、湿原の別世界に向かって降りていくだけである。そんな安堵感故なのか、暫く小屋の軒先で食事の休憩を摂った後、纏井が眠いと言い出して、テント用のグラウンド・シートを敷いて横になってしまった。昨夜東京を出発して、沼田街道沿いに在る道の駅に駐車し、仮眠を三時間程取っただけであるので、止むを得ないと云えば止むを得ない。いよいよ尾瀬に差し掛かる処で、私の気分は逸っていたが、そんな素振りは見せないで休憩に付き合う。其れも止むを得ない。

誰も居ない小屋周辺は、時が止まったかのように静かだったが、やがて林道から車がやってきた。富士見小屋の従業員氏が、携帯電話で会話をしながら降りて来た。週末は複数でなければ予約を受けられない、と云うようなことを喋っているので、人気の無さそうな富士見小屋でも、そう云うものなのかと思った。


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国立公園尾瀬、の立派な看板から、アヤメ平方面の入口に向かうと、雑草の種子を払う為の人工芝が設置して在った。いよいよ尾瀬である。階段を登りきると、唐突に湿原の枯芒が広がった。木道の彼方に、何処迄も広がる青空が眩しい。富士見田代の行きついた先に池塘が在り、青空を映す美しい池の向こうに、燧ケ岳の峻険な山容が聳えていた。尾瀬だ、と、譫言を繰り返しているようで莫迦みたいだが、そう呟いた。我々は、暫く池塘を眺める木製ベンチで佇んで居た。

池塘の在る場所から、長沢新道が分岐している。眺望の稜線からブナ林の中に分け入ると、設えてあった木道も途切れて、泥濘の登山道になった。自然林の合間から降り注ぐ木漏れ陽の道は美しいが、足元が滑り易いので神経を遣う。そんな千篇一律の調子で、冗長な下りが続いた。土場と云う処で登山道は徐々に東に方角を変えて、長沢へと近づいていく。谷底に至る迄は、随分長い道程であった。

長沢に架かる木橋を渡って、樹林帯は岳樺の造形と黄葉の美しい道になった。既に湿原の中に入ってきていると云うことが、其の空気感で判るような気がする。そして、漸く景色が広がった。茫漠とした枯草の風景が彼方に迄広がっている。木道の先に、そぞろ歩きの人々が点在している。初めての尾瀬ヶ原に、我々は漸く到達した。木道が交差する竜宮十字路の、竜宮カルストと呼ばれる大きな池塘に囲まれたテラスで荷を降ろし、我々は長かった登山道の疲れを癒した。

下田代と中田代を寸断する沼尻川と思しき辺りに、樺林が立ち並び、竜宮小屋が穏やかに佇んでいる。其の背景には、絵に描いたような美しさで、燧ケ岳が聳える。柴安嵓から尾瀬ヶ原を眺めて、後ろ髪を引かれるような思いで下山した二年前のことが思い出される。漸く、其の尾瀬ヶ原の真中に在る竜宮十字路に佇んで居る。感慨無量である。燧ケ岳から眺めた尾瀬ヶ原の背景には、相対するように至仏山が鎮座していたが、此処からの眺めと云えば、燧ケ岳を眺め、振り返れば至仏山と云う訳で、何れが菖蒲か杜若の趣であり、どちらを眺めようかと迷ってしまう。


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陽光の暖かいテラスに、何時迄も佇んでいたかったが、今宵の寝床に向かって出発しなければならない。自然景勝地の極みとも云える尾瀬ヶ原を、至仏山が屹立している方向に歩いて行く。其の心地よさは記す迄も無いだろう。点在する池塘が青空に映え、ヒツジグサの桃色が敷きつめられるようにして浮かんでいる。其れに波紋を描きながら、束の間の季節を愉しんでいるかのように、悠然と鴨が泳いでいる。そんな光景に何度も立ち止まりながら、我々は木道を歩き続けていた。

長英新道から燧ケ岳(後編)

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2012/10/20

尾瀬沼ヒュッテ(3:00)---長英新道---ミノブチ岳---俎嵓---柴安嵓---ナデッ窪---沼尻---尾瀬沼ヒュッテ---三平峠---一ノ瀬---大清水(15:00)

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忍ぶように、足元を確かめながら、歩を進める。長蔵小屋の真黒い棟の傍らを通過して、木道になった。周囲は暗黒なのだが、其れでも果てしなく広がる風景が、徐々に網膜へ映し出されてきた。空は、まるで巨大なイルミネーションの如く、満天の星が散りばめられている。こんな星空を見たのは、果たして何十年ぶりだろう。尾瀬沼と、其処にせり出している湿原の地との境界は、定かではない。闇の中に、ただ広がりだけが続いているのである。ふと、遠くの空へと、視線が移動した。ひと際輝く光芒が、地平線に降下していった。オリオン座流星群の欠片なのであろうか。

尾瀬沼ヒュッテのテント場に幕営した我々は、其の儘装備を基地に置いて、軽装で燧ケ岳に登攀するため、午前三時に出発した。今日の夕刻に大清水を出発するバスに乗車するために、逆算した時刻だった。ヘッドライトが照らす足元の木道は、凍ってはいないが、冷たそうに湿っている。あまりにも超自然的に輝く星空と、遠近感の無い暗黒の周囲の広がりの中で、前方を歩くMが照らすライトの光がぽつねんと、揺らめいている。其の光景は、まるで現実感が無かった。

大江湿原、と記された道標が在る処で、木道は分岐していた。此処が登山口である長英新道に向かう、沼尻方面への分岐だろうと思うが、大江湿原方向にしか道標は無く、北西に向かう分岐道への指導標は無かった。昼間なら何の疑問も無く左折するところだが、周囲は真暗なので、我々は暫く其処で地図を広げて逡巡していた。視界を遮断されると、自分の居る場所が何処なのか、完全に自信が持てない。そうは云っても、まあこっちだろう。Mがそう云って敢然と歩き出す。私は、少し臆しながらも、彼の後に続いた。

湿原を渡り、樹林帯に進入すると、遂に星空の明かりとも決別しなければならなかったので、私は、ますます心細い気持ちに襲われた。小高い森林の隆起する処をパスして下ると、ふたたび湖畔に出た。大入洲半島の付け根に差し掛かったようだ。唐突に、燧ケ岳への登山道の道標が現われた。長英新道の方向を見ると、其処はただ漆黒の闇だった。

ひたすらに、前方を照らす光に道を確認して、歩き続ける。緩やかな尾根を捲くようにして、湿った木の根に注意しながら、進んでいった。所々に、小規模な沢が横断していて、場所によっては、涸れた沢を登山道と錯覚してしまいそうになる。前を歩くMが、遂に其の失策を犯したので、途中から私が先頭に交代した。

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沼と湿原を取り巻く、連綿と続く山塊に取り付き、其の尾根筋に忠実に、迂回するように徐々に、燧ケ岳の峻険へと辿る長英新道。此の、歩きやすい傾斜を選んで作られた道は、恐らく昼間でも鬱蒼とした樹林帯の道なのだろうと思われる。暗中に歩いている今は、木々の合間に、物の怪の気配すら感じ取れそうなほどだ。夜露に濡れた草叢の匂いを鼻腔に感じる。

緩やかに旋回するように、西に舵を切っていく。徐々に登攀の道を傾斜が構成するようになった。暗闇の中での緊張感もあって、疲労感が堆積してきた。何度目かの折り返しながらの登りを終えたところで、空が白んできたのに気づいた。振り返り、木々の合間に見える山々の陰影が判別できる程になった。夜が明ける。我々は声にならない安堵感に満たされていった。

地図に急坂と記されている、標高2000m手前からの道に差し掛かり、いよいよ俎嵓の片鱗が見えてきた。階段状の登りをこなすと、此れ迄の鬱屈とした道程から解き放たれたように、空が広がった。振り返って見下ろすと、尾瀬沼が霧のヴェールを纏っている。壮大な要塞のように、山脈が朝陽のシルエットになって、連なっている。日光白根山の、独特な山容が、堂々と聳えている。其の輪郭は、太陽の光が増すに連れて、全景の中でのコントラストを強めていく。

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広々としたピークに登り詰めて、其処がミノブチ岳だった。尾瀬沼は徐々に霧の纏を薄めつつあった。朝陽は強烈に射し込み、燧ケ岳のひとつの雄、俎嵓の真正面を照らしている。尾瀬から見ると、前衛に当たる赤ナグレ岳が聳えている。風が強いが、快晴の空から降り注ぐ陽光は、心地よいものだった。ミノブチ岳の南北に広い頂上を北に進み、引き続き俎嵓へと進路を取る。谷の向こうの赤ナグレ岳が近づいてくると、ナデッ窪からの登攀路と合流した。

赤ナグレ山へと伸びる隆起した山塊を左に眺めながら、岩の多くなった道が傾斜を強くしていく。噴火口の有る御池岳の位置が解らない儘、喘ぎながら登る。やがて、隠れていた芝安嵓の端整な山容が出現した。北アルプス、岳沢から登った重太郎新道の記憶と感触が、私の中には未だ生々しく息づいている。岩場の峻険な登りは懐かしく、私に気力を奮い起こさせて呉れた。足場の選択と判断は迷いが無かった。そして、燧ケ岳の一方の頂点、三角点の在る俎嵓へ登頂した。

祠の在る頂上から全方位の眺望が可能になった。日光連山も既に見下ろす位置に連なっている。遥か水平線の雲の上から、富士山の白い頭が浮かぶ。彼方に、日本アルプスの怜悧な白銀の威容が確認できる。視界を遮るものは無かった。越後三山から連綿と連なる山脈は、紅葉に燃えていた。冷たく強い風に打たれながら、私は茫然と、案山子のように、突っ立っていた。

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程なく、御池方面から、登山者の影が次々と現われた。山頂は徐々に、賑やかになっていった。俎嵓から眺める芝安嵓と、其の途上に在る這松に覆われた鞍部が、箱庭のジオラマのように見える。其処に向かって下りていく。俎嵓の影が、芝安嵓と鞍部の一部を明瞭に覆っていた。山を下りていく自分の影法師が、ひと足早く芝安嵓を駆け登っていく。俎嵓で時が流れている間に、多くの人々が芝安嵓に向かって登り始めていたようだった。笹藪を抜けた処に在る鞍部は木道が渡されてあって、周囲は不毛の平地だった。こんな場所で幕営したらさぞかし気持ちがよいだろう、突風で飛ばされてしまうんじゃないか、這松の近くだったら大丈夫だろう、そんな他愛も無い会話をした。

ふたたび、屹立した芝安嵓への、傾斜に忠実な、そして直截的な急登が始まった。巨大な露岩を横目に、最後のひと登りで、燧ケ岳の最高地点である芝安嵓に登頂した。こちらには立派な山名標が立っており、人々は其の周囲で記念撮影に余念が無い。山頂の広がりの、其の突端に立って、尾瀬ヶ原の全景を眺めた。湿原は冬枯れた色で覆われていて、正面に至仏山が対峙している。初めて訪れた尾瀬だったが、此の湿原を歩かないで帰るのが、なんとなく惜しいような気になった。至仏山の向こうに浮かぶ、谷川連峰や三国山脈の、永遠に続くかのような景色。あの向こうに、何処迄も歩き続けて行けたら。私は陶然とした儘だった。そして、友人が、そろそろ下りよう、と声を掛けてくるまで、私はいつ迄も、夢を見ているような気分で、立ち尽くしていた。

長英新道から燧ケ岳(前編)

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2012/10/19

大清水(12:00)---一ノ瀬---三平峠---尾瀬沼山荘---尾瀬沼ヒュッテ(15:30)

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もともと少なかった乗客の、殆どが戸倉温泉で下車したので、バスの車内は愈々閑散となった。車窓から見る、眼下の谷は険しくなり、人里はすっかり消え失せてしまった。沼田街道の、戸倉から大清水への最末端区間は、もうすぐ冬季の通行止め期間に入るのだ。私と友人のMは、新宿から大清水へ直行する高速バスの車中に居る。此のバスも、あと二日で今シーズンの運行を終了してしまう。

尾瀬に対する憧憬は随分永らく抱いてきたが、なにしろ尾瀬である。自然景勝地の極みである。膨大な観光客の群れが押し寄せるイメージが常に脳裏をよぎる。其れ等を掻き分けて、至仏山や燧ケ岳への登山口に立つのは、想像するだけで疲弊する。其れで敬遠していたのであるが、昨今は事情が変わってきた。

東日本大震災の被害は、福島県を一変させた。原子力発電所が爆発し崩壊すると謂う致命的な事故は、福島県と謂う場所自体の印象を暗澹たるものにさせてしまった。農産物や海産物は忌避され、呼吸をすれば被曝すると云う印象によって、訪れる観光客も激減した。福島県は広大であり、都道府県全体でも、其の面積の大きさは第三位、と謂うのは小学生でも周知の事実である。爆心地の浜通り、そして中枢都市が在る中通りに対して、戒厳的注意を払わなければいけないのは、此れは仕様の無い事実である。しかし、隔絶された山間部の会津地方に於いても、其の、汚染された土地、のイメージは拭うことができない儘のようである。同じ県に属しているが、福島第一原発から会津地方への距離は、東北の最大都市仙台市との距離と遜色が無い。しかも山に隔てられた其の風土は、最早裏日本の世界の其れなのにである。

福島県と群馬県の境界に在る尾瀬も、訪れる人の数は激減したと云う。原発ひとつで、あの、尾瀬の静謐な権威は崩壊したのだ。つまらないものに、人間は依存してきたものだと、つくづく思うし、自然を蹂躙した報いは、自然の中では最もひ弱な人間が、真っ先に淘汰されていく、そんな形で返ってくるのだと思う。

皮肉な現実だが、尾瀬が観光客の坩堝と謂う感じではなくなってきたようなので、其れでは、いよいよ燧ケ岳に登ってみようと、考えていた。考えていたら、尾瀬の秋はあっという間に終了の笛がなりそうなくらい早くて、我々は、慌てて今年最後の幕営行の準備を始めたのだった。

右手に広がる山の色は好天に映えて、端整な形で鎮座している。オモジロ山の細長い南尾根を正面から見ている故だろう。大清水からの林道を、左手の山肌を見上げるような形で歩いて行く。其処から幾つもの沢が落ちてきている。陽射しが当たると暖かいが、陰に入ると極端に冷える。身体が漸く暖まってきたなと思ったら、一ノ瀬の茶屋に到達した。軒先に巨大なシメジが置いてあって、Mが其れに興味を示してまじまじと眺めている。どうしたんだと訊くと、此れをバターソテーにしたら旨いんじゃないか、買って行こうかと思う、と云った。早くも今夜の夕餉に強い関心が向いているようである。

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そうは云いながら、Mはなかなか其れを買おうとしない。ふたたびどうしたと訊くと、値段が書いてない、と呟き逡巡している。早く尾瀬沼の風景が見たいと謂う逸る気持ちを抑えていた私は、仕方なく其のシメジを掴み、茶屋の中に入った。厨房の奥で何か作業をしていたおじさんに、此れは幾らかと訊いたら、少し間を置いて、其れは明日の為に採ってきたんだけど、と云った。私にとっては馴染みの深い東北訛りのようだったが、最初は殆ど聞き取れなかった。明日、明後日は最後の土日だから、多くの観光客を見込んで、茸汁を作るために、山で採ってきたばかりの茸を軒先で陰干しにしていたものらしい。奥さんが出てきて、説明して呉れた。おじさんが、他に採れた今日の収穫を持ってきて、ちょっと誇らしそうに見せて呉れた。私は、其れを購入するのをMに断念させて、その代わり、此処で茸汁を戴いていこうと提案した。数種類の巨大な茸がお椀に詰まった吸い物は、意外に淡白な味だった。Mは、なんとも複雑な表情で、其れを食べた。

一ノ瀬の橋を渡り、漸く林道と別れて山道に入った。尾瀬に雑草の種子を持ち込まない為に設えたマットに靴を擦り付けてから進入する。直ぐに歩行者用の木道が二列に連なって現われた。濠々と流れる沢に沿って、徐々に奥深い山懐へと歩いて行く。岩清水と謂う名の水場の先迄、緩やかに谷筋の道を辿る筈である。よく整備された道が緩やかに登り始めた頃、水場に到達した。振り返ると、秋の柔らかい光を浴びて、山々が配置されている。ベンチの周辺には、若者のグループが大勢屯しているから落ち着かない。だから直ぐに出発した。ジグザグに高度を稼ぐ登りに差し掛かった。其れも程なく終わり、尾根に乗った。暫く陽光の降り注ぐ気持ちの良い尾根歩きになったが、やがて暗い樹林帯に入った。道はふたたび二列の木道になった。

此の木道は、尾瀬の全域に渡って歩行者はどちらかを通行するのが決まりらしいが、其れが右側か左側かは忘れてしまった。其の旨をMに伝えると、そうか、其れなら左だろう、と云った。何故判るのだと訊いたら、こういうのは大体左側だろうと曖昧なことを云う。それでなんとなく左側を歩行していたが、程なく、尾瀬沼方面から帰ってくる人影が遠くに見えた。皆、右側を歩いていた。我々は素知らぬ風で、右側通行に転換した。

オモジロ山の西北に派生する尾根を緩やかに横断していく。その途上の最高地点が三平峠だった。此処迄、実際に歩いて来た距離も、そして所要時間も大したことは無い筈なのに、私の感覚は、漸く辿り着いたと謂う感慨に支配されていた。未知の、そして憧憬と共にあった尾瀬に、いよいよ近づいてきていると謂う実感に、素直に興奮していた。小休止で煙草に火を点けた。吐息が、紫煙を包み込むかのように、空気が冷えていた。

下りに差し掛かると、寒さが急な勢いで全身を覆ってくるかのようだった。防寒着を纏い、手袋を嵌める。暗く湿った山道は徐々に傾斜を厳しくさせて、降下していく。やがて木立の合間から、燧ケ岳が垣間見えてきた。木々の梢が、尾瀬沼の紺青色と混ざり合って静かに揺れている。下り切ったら、其処が湖畔で、尾瀬沼山荘の広場だった。人影は無く、湖面も、空も、決して曇っているわけではないのに、曖昧な感じの青さだった。湖畔に沿って、木道を歩く。水芭蕉の群生地も、今は冬枯れた葦が繁って、風景の彩りを淡くするのに一役買っているかのようだ。そして、燧ケ岳は茫然と、しかし泰然として、屹立していた。未だ陽は高いのに、寂寥感の漂う、湖畔の木道を、我々は、黙って歩き続けていた。

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