奥武蔵

「子の権現からスルギ」「堂平山から浅見茶屋」

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2015/1/25

西吾野駅(7:20)-----小床-----天寺十二丁目石-----子の権現-----スルギ-----六ツ石ノ頭(540m圏峰)-----高反(タカソリ)山(532mピーク)-----522.1mピーク-----前坂-----419mピーク-----りゅうがい山-----吾野駅(15:20)


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一週間前に訪れた子の権現に、今度は西吾野駅から順当な登山コースで登っていった。kz氏が奮闘する登山詳細図踏査の御供であるので、同じ目的地に向かって、幾多のルートを歩かなければならない。小床の集落が尽きて、其の先の登山道は谷筋を巡りながら徐々に勾配を稼いでいく。子の権現天龍寺に到達したのは二時間後だったので、寄り道をしなくても随分時間が掛かっている。今日は奥ノ院には登らず、天目指峠方面に少し歩くと、南面は奥多摩の山々を、北面には伊豆ヶ岳方面の眺望が広がっている場所が在り、其処で朝食とも昼食とも云えない食事を摂って休憩した。

Surugi

行程の目指す処は、昭文社地図では赤い破線になっているコースである。途中に在る分岐点、スルギと云う片仮名の地名が謎めいている。早くも下山の徒に就く恰好である。眺望の利く子の権現の駐車場から直ぐに山道が分岐している。吾野駅に向かって続くコースの実情は、飯能迄連綿と続く尾根を辿っていくのだが、地形図を見ると支尾根が複雑に分岐しているのが判る。鞍部に差し掛かり、小さなピークが現われる。其れを丁寧に繰り返して踏破していく。疎らな自然林に囲まれて明るいピークである、540m圏峰には手製の山名標が掛かっていて、六ツ石ノ頭と記してあったが、同様のものが其の先に通過する532mピークにも在り、高反山と記してあった。高反山のピークは植林帯で、眺めの無い無味乾燥なものだった。

縦横に広がる支尾根が複雑に絡むコースは、南に向かったと思ったら反転して北上する。其の行き着く先が、最も印象的だった522.1mピークで、北面に広大な石灰石採掘場が見渡せる場所に在った。此処にも手製の道標に栃谷ノ頭と記してあったが、六ツ石ノ頭、高反山の筆跡とは全く違うものだった。付近に栃谷と云う沢が窺えないので、此れはアテにはならないな、とkz氏が云った。其処から先は、岩崖の稜線が急角度で勾配を下げていく箇所を歩いた。採掘場の都合で削られたのだろうか、登山道は痩せた尾根のエッジを辿っていく恰好になり、緊張を強いられるが、やがて樹林帯に入り込むと古びた墓地に到達した。

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林道に出てからふたたび山道に入り、前坂から左に曲がって正規の登山道は其の儘吾野駅に降りていくが、我々は途中で尾根に分け入り、登山地図には山名だけ記してありコースが記されていない「りゅうがい山」に立ち寄ることにした。高麗川に程近く延びて居る尾根のピークは、其の名前から窺えるように要害の地だった場所で、頂上直下には巨岩が積み重なっている。百代を経た現在の頂上は、樹林に覆われているので、麓を見下ろすと云う風情では無い。

北面を吾野駅に向かって急勾配を下っていった。等高線が混んでいるのでどうなることかと思ったが、尾根から外れて徐々に左へと下っていくと、ぽっかりと風景が広がった。眼下に西武鉄道と国道が高麗川に沿って蛇行しているのが見える。張り出した対岸の尾根の麓に、街道沿いの街並みが構成されているのが、箱庭のように眺めることができる良景だった。

線路際に向かって谷筋を下って、資材置場に降り立つと、吾野駅のプラットホームが目の前に在るのだが、駅舎に辿り着く為には大きく迂回して、反対側に回り込まなければならなかった。



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2015/2/2

中沢バス停(7:50)-----権五郎神社-----堂平山-----六ツ石ノ頭(540m圏峰)-----スルギ-----浅見茶屋-----小床峠-----小床-----西吾野駅(14:20)


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スルギから小床峠に、今日は南側から踏破していく。飯能駅からバスに乗って中沢に向かうのだが、待ち合わせよりも随分早い時刻に到着してしまったので、凍てつくような寒風に吹かれて飯能の街を散策した。古びた消防署に遅い朝陽が差し込んで、漸く朝が来たと云う風情だった。着膨れたkz氏と合流して、新寺経由、中藤、中沢方面バスに乗り込んだ。一日八本の運行と云うローカルバスだが、若い娘がひとり乗っていて、何処迄行くのかと気になるが、久須美の小学校前で降りていった。新寺から中藤川に沿った山間の道に入り、朝の山村風景を眺めながらバスに揺られていると、随分遠くに来て旅をしているような気分になる。

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終点の中沢から舗装路が二手に分岐していて、古びた石碑には、竹寺と子の権現が記されている。我々は子の権現方面に歩を進めて、程無く権五郎神社が現われる。神社の裏山を登って、ひたすら北に向かって行けば、先週歩いたスルギの登山道に行き着く筈である。境内の横に広場が在って、凡その見当で斜面に侵入するが、明瞭な踏跡に辿り着く迄は随分時間が掛かった。中腹で漸く尾根に乗れそうな箇所に辿り着いた。kz氏が、踏跡を辿って麓迄往復するから待っていて呉れと云うので、煙草を燻らせて休憩していたが、何時迄経っても戻ってこない。様子を窺いながら探しに行くと、谷筋の藪を徘徊しているのを見つけたので、大声で呼び戻した。

明瞭な尾根道に入ると、存外に自然林の巨木が立ち並ぶ気持ちのよい雰囲気が続いた。細長い434mのピークを越えると、緩やかな踏路になり、右手には雄大な山塊を見上げるようになった。あれは大高山だな。名前の通りで大きいね、とkz氏が云ったが、地形図を照らし合わせたら直ぐに間違いが判明する。顕著な盛り上がりの山容は、先週通過した532mピークの高反山であった。樹林に囲まれて判然としない山のように思えたが、麓から眺めると立派な形状である。高く反り上がる山、と云う所以なのだろう。

尾根を伝って鞍部を越えて、登りが直截的になり、やがて堂平山に着いた。手製の山名標がふたつも掛かっている。奥武蔵のマイナーな山に、足跡を残したいと考えているのだろうが、ひとつあれば充分だろう。堂平山は西に向かって広がりの在る尾根が延びているので誘い込まれそうになるから、北北東方面の指示を書いた道標でも作って設置すれば、意義も深まるのではないかと思われる。

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高反山から六ツ石ノ頭に至る登山道に向けて、北北東に歩いて行く。やがて鞍部に差し掛かり、目的の尾根を捲く道が横切る箇所にぶつかった。地形図に記されている、南、と云う集落が近くに在るので、寄り道をすることにした。奥深い山懐に在る南の集落は既に廃村になっており、石垣や建造物の残骸が斜面に放棄されて、不気味な様相を呈していた。

先週辿った登山道を、逆方向に歩いて行く。スルギに到達して、滝不動の在る車道に向かって北面を下って行く。林道の工事が進展している状況で、地形図の破線は殆ど参考にならない。青葉戸の集落には、江戸末期から饂飩屋を営んでいると云う浅見茶屋が在り、kz氏と私は、珍しいことに昼食を此処で摂ることを決めていた。古民家風の建物に入ると、ストーブを囲んだ食卓が配置してあって、人心地が付いた気分になる。冬季限定の鍋焼き饂飩を食したので、饂飩自体の味がどうなのかは語れない。夏に再訪することがあれば、笊饂飩を食してみたいものである。

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鍋焼き饂飩で温まり、満腹になって、車道が吾野に向かって下りているので、もう帰りたくなるが、此処から更に北上して小床に抜けなければならない。踏査部分を残すと虫食い状になって、再訪問しなければならないからで、止むを得ない。浅見茶屋から少し舗道を登り、子の権現方面の道から外れて、鬱蒼とした沢筋に侵入する。露岩が屹立する尾根に乗る為に、踏跡を探して藪を漕ぐ。明瞭とは云えない道筋の果て、漸く小床峠、吉田山、秩父御岳神社に向かう尾根道に合流した。派手な色彩の道標が浅見茶屋のもので、手打ち饂飩迄五分などと記されているが、気軽に下りて行ったら遭難でもしかねないような踏路である。

先々週に歩いた植林帯の複雑な地形を、踏跡に沿って歩いて行く。二週間で小床峠の林道工事は目に見えて進展している様子であった。いにしえの地形図破線に忠実に、林道から離れて小床の集落に下りていく道を辿る。苔むした樹木の並ぶ道は次第に谷筋に沿っていくようになって、前方に明るさが滲んできたなと思ったら、小床の集落に合流した。

本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社

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山間の小駅から、朝陽を浴びて赤く染まっている端整な本陣山を眺める。奥武蔵、西吾野駅に下り立つのは久しぶりだった。正式なアナウンスが待たれる処だが、奥武蔵の登山詳細図が目下作成進行中で、本格的な踏査をkz氏が敢行している最中である。其の手伝いも兼ねて、西吾野駅周縁の西側が殆ど未踏である私のリクエストを加味して貰って、ふたりで歩くことになった。伊豆ヶ岳東尾根の時に通過した森坂峠から、北に向かって西吾野駅前から眺めることのできる本陣山へと向かった。

2015/1/19

西吾野駅(7:10)-----森坂峠-----本陣山-----イモリ山-----天寺十二丁目石-----465mピーク-----子の権現-----小床峠-----吉田山-----秩父御岳神社-----吾野駅(16:10)

陽の当たらない麓も寒かったが、森坂峠では冷たい強風が吹きすさび、植林帯の勾配を登っていても、其の様相が続いている。やがて前方が明るくなっているのが見えて、自然林の入り混じる開けた斜面に出た。NHKのアンテナが立っている処で、遠く彼方には東京スカイツリーが見える。テレビのアンテナが立っている処からスカイツリーが見えると云うのは、考えてみれば当たり前のことだねとkz氏が云った。本陣山の途上で展望が開ける処が在ったと云うことに感嘆し、悦に入っている私とは対照的に、kz氏は沈着の態度を崩さない。

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山頂近くで勾配が急になるが、然程の距離も無く本陣山に登頂した。全方位が植林に囲まれて眺望は皆無である。想像通りのピークを確認し、森坂峠に引き返した。此処からは南下して尾根を辿っていく。所々に現われる瘤を東側に捲道が切って在る。風が遮られて人心地が付いた思いの儘歩き続けたが、やがて正面には巨岩の崖が立ち塞がる。其れを左に旋回して捲いていくと、412mピークとイモリ山の鞍部に到着した。ザックを置いて、取り敢えず412mに立ち寄るが、広い山頂は明瞭な踏跡が続いている途上、と云った感じの詰まらない処であった。其の先の踏路が気になるが、恐らく西吾野駅方面に続く道であろうと推察して引き返した。

鞍部から西に尾根を登り、緩やかに南側を捲いていくように登る踏路が続いた。小さな祠が現われて、山頂へと分岐する地点に達した。イモリ山は先程見上げた巨岩を含む断崖の山で、木立は並んでいるが、一挙に展望の広がる気持ちの良いピークだった。イモリ山、430mと書かれた手製山名標は丁寧に作られていて好感が持てるが、地形図に正式な標高は記されていないので、厳密には430m圏ピークである。イモリ山の頂から直ぐ其処に見える本陣山は、良い形状をしている端整な山だなと、改めて思った。

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南へと続く尾根は、断続的に痩せた箇所が現われて、子の権現に至る山なみが見渡せる道だった。やがて現われた送電鉄塔の下に立って、ふたたび強風に晒されるが、陽光を浴びながら休憩した。送電線は遥か信州から続き、奥武蔵の山々を辿る安曇幹線で、広がる光景の先の、顔振峠などの在る山腹を巡り辿っている。振り返って子の権現方面を眺めると、其の手前に在る500m圏ピークが綺麗な形状で立ち塞がっていた。

明るい送電鉄塔の在るピークから、引き続き尾根を辿り、樹林帯に入って鬱蒼とした雰囲気になったと思ったらハイカーたちの声が聞こえてきた。小床集落経由で子の権現に向かう登山道に合流した処が、昭文社登山地図に記載の天寺十二丁目石だった。天寺は子の権現の別名と云うか本名と云えばよいのか、天竜寺を略したものと思われる。大勢のグループが通過したのを見届けてから、ザックを置いて休憩した。此の地点から、登山道をクロスして続く尾根道が続いている。倒木の破片で通行止めを表現しているが、我々は構わずに踏み込む。昭文社登山地図では赤い破線で記されている。

枯木の藪が散見する踏跡が順調に勾配を上げていく。やがて前方からハイカーが下山してきた。挨拶を交わしながら、高齢の男女グループの方々が、此の先はとてもではないが登れないと云った。子の権現に向かう途上で引き返してきたようであった。でも、若い人なら大丈夫かもね、とひとりの女性が云った。我々は当然の如く直進を続けた。程無く、踏路が突き当たったように急斜面が聳えているのが見えた。

此れはおばあさんたちには無理だろう。木に摑まり、ロードメジャーを引き摺りながら登っている私の背後でkz氏が云った。斜面は手を使わなければ登れない程の急傾斜だった。子の権現から東北東に延びる尾根の途上の小ピークの側面を、無理矢理に攀じ登っている恰好だった。漸く登り詰めた処が、地形図に示されている465mピークで、帰途に辿る予定である、小床峠から吉田山に至る尾根の途上に在る場所だった。其の儘進路を西に転換して、先程の登山道と合流した。少しの登りで車道に合流した。舗装路の日陰の箇所は随所で凍結しているので、自転車で下降してくる人々が慌てて減速して立ち往生している。

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車道を少しだけ歩き、子の権現天龍寺の参道にショートカットする坂を登った。武州、子の山と呼ばれるピークは経ヶ峰とも呼ばれるようで、本堂の裏手に盛り上がっている山頂には奥ノ院釈迦堂と釣鐘が在る。訪れた観光客が自由に鐘を打つことができるので、子の権現からはひっきりなしに鐘の音が響いてくる。我々もご他聞に洩れず打ち鳴らすことにした。鐘の余韻が収まるまで、二分間の間隔を遵守して鳴らすべしと云う注意書きが貼って在った。

参詣を終えて、参道を戻る途中に瘤状のピークが在った。阿字山の案内板に導かれて、我々は其の上部に在る東屋で昼食を摂ることにした。広場の隅に隆起しているのが阿字山の頂上で、登ってみると岩に囲まれた狭い処に、大勢のグループが食事をしている最中だった。其れ等を跨ぐようにして、経ヶ峰の展望所と同じ方角の、眺望の広がる処に立ってみた。阿字山の阿字とは、子の聖を受胎した母親の名前に因んでいると思われる。阿字山は、子の権現の懐の控えめな位置に鎮座する、良景のピークであった。

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往路に辿ったルートを引き返して、静かな尾根道に入った。465mピークを越えて鞍部に下りると、微かに捲道のような踏跡が窺えた。あの急勾配を攀じ登るのは適当ではないから、其れも首肯出来る。踏査は、また後日にしようとkz氏が云った。西吾野駅から子の権現に到達し、下山の徒中であるが、既に六時間が経過していた。澱んだ疲労感が、我々を包んでいるようだった。

尾根は多岐に別れる複雑さを表現してきた。右に左に方角を変えながら、踏路を辿っていった。やがて広々とした鞍部に下りると、造成途上のような林道が併行してきて、やがて合流した。小床峠は鬱蒼とした南面と、林道造成に拠り伐採されている北面のコントラストを表出している。此れから辿るべき尾根が、削られて細々となって隆起している。浅見茶屋に向かう道が、南面方向に心細い捲道状で辿っているのが見えた。

其の儘、鉤状の形に広がる尾根を直進して、延々と歩き続けた。標高445mの吉田山に到達すると、車や鉄道の音が聞こえてきて、漸く麓の気配が漂い始めた。吉田山の北東に延びる尾根の途上には、城址と云う文字が昭文社登山地図に記してある。空身で其の方角を歩いて行くと、開削された堀切のような箇所が在り、こんな処にとは思うが、城址の面影を見出すことが出来る。其の先を歩いて、やがて引き返してきたkz氏が、直ぐに断崖になっていたよと云った。

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城山である吉田山一帯は、麓に向かって急峻の谷が広がっているので、尾根伝いは自然に迂回していくことになった。南東に向かって延びる細い尾根を辿り、やがて左に尾根が分岐する箇所から谷間を横目に下降していく。秩父御岳神社はもう直ぐ其処であるが、地図に記してある御岳山とは何処なのか。尾根の途上に道標が在り、北面にはふたたび造成途上の林道が近づいて来た。此処が御岳山じゃないかと、kz氏が云った。御岳山と云う壮麗な山名とは思えない、植林帯を辿る尾根の途上である。腑に落ちない儘下り続けて、想像以上に立派な神殿が現われた。秩父御岳神社は、東郷平八郎を祭った立派な神社だった。

ベンチの在る展望所から、西武鉄道の電車が山間をゆっくりと走っているのが見下ろせる。スカイツリーが見えますと云う看板も在るが、曇天に転じた風景の彼方は、何も見えない。漸く下山したと安堵したが、其処から境内に下りていく階段は、果てしなく延々と続いていた。石段は所々で歪に傾いており、予断を許せない心地で下り続けた。敬虔な参詣者も、此の階段を登り続けるのはひと苦労であろう。山腹の周囲を見渡すと、蛇行しながら登る参道も設えてあった。いずれにしても苦行であることは間違い無い。

降り立った処には、自らの神格化を嫌った東郷元帥本人が、唯一許可したと云われる銅像も立っていた。境内は東郷公園と名付けられ、飯能市内では唯一、神職常駐の神社であると云う。全く知らなかったことで、吾野に此のような由緒のある神社が在ると云うのは驚くべきことだった。

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本来なら悠然と散策を愉しめるような場所だが、疲れきった我々は、程無く吾野駅に至る車道に出た。地図を確認すると、思ったよりも長い距離を歩かなければならない。国道と高麗川が大きく迂回すべく遠ざかっていき、眼前には張り出した尾根が行く手を遮っている。其の尾根に向かって、吾野の切通しを山道が辿っている。鉄道とともに切通しを抜けて歩いていく。いにしえの道を辿る趣の深い行程だが、余りにも疲れていたので、其の情緒に浸ることができなかったのは残念だった。

吾野駅に到着して、時刻を確認する。朝の西吾野駅を出発してから、九時間が経過していた。子の権現の御利益なのだろうか、随分歩いたものだと思い、放心したようになって、私は紫煙を燻らせた。

別記

吾野駅から、幸運なことに池袋行きの急行電車に乗ることができた。ボックスシートで車窓を眺めながら、所沢迄乗車するのは初めてだった。入間市駅に到着する寸前の車窓は、奥武蔵、秩父の山々を遠くに見渡せる良景である。夕闇に包まれそうな入間の街の彼方の風景を写真に撮り、後日、HP「山からの眺望」の掲示板に投稿して山座同定をして戴いた。長らく愛でてきた風景の詳細を知ることができたのが嬉しいことだった。

View

「山からの眺望」

松枝・郡界尾根・武川岳

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後立山、不帰キレットの山行以来御無沙汰であったkz氏と、週末の直前になって奥武蔵の山に登ることになった。北アルプス、尾瀬と、今年の夏から秋に掛けて、華麗なる山の遍歴を記してきた訳だが、十月になってからは体調を崩したり、天候も存外に不順だったように思われ、気がつけば全く山に登らない儘過ぎていくような気がした。奥武蔵でも行きますか。そんなメールのやりとりで、具体的な行く先も決まらないので、とりあえず一年振りの松枝行きバスに乗ると云うことにした。


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2014/10/25

松枝バス停(8:00)-----飯能市・横瀬町境界-----909mピーク-----見晴台-----武川岳-----前武川岳-----845mピーク手前で東北東に逸れる-----県立名栗げんきプラザ-----長岩峠-----小高山-----正丸峠分岐-----正丸駅(17:25)

紅葉の季節の土曜日だが、芦ヶ久保駅から乗車した松枝行きバスの乗客は、相変わらず今日も我々だけであった。二子山から武川岳に至る稜線へと繋がる支尾根は、自然林が美しく立ち並ぶ好ルートなのだが、登山道としては整備されていないので、観光地図に於いての松枝周辺は空疎である。誰も居ないので静かなる山歩きを堪能できる訳だが、折角の路線バスが空気を運び続けているので、廃止の憂き目に遭わないか心配である。好事家、篤志家の素養の在る登山者様に於かれましては、是非とも乗車して戴きたく思う。

ヨーガイ入、牛喰入の狭間に延びる尾根を二本踏破したので、今回はさらに南に併行した尾根を登ることにする。ダンプカーが爆走する危険な県道青梅秩父線を暫く歩き、ザゼンソウ保護地を横目に見ながら通過すると、飯能市の表示が現われる。此の、飯能市と秩父郡横瀬町の境に沿って、武川岳から派生する尾根が延びている。今年の春先には、kz氏とふたりで、小沢峠から安楽寺に至る東京都と埼玉県の境界尾根を踏破した。山を歩いているだけでも愉しいが、其れが市町村の境界だと思うと、格別のような気がしてくる。そう思いませんかとkz氏に云うと、飯能は旧入間郡なので昔は郡界尾根と呼ばれていたようだ、と云って資料のコピーを見せて呉れた。思いの丈はほぼ同じようである。

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郡界尾根が県道にぶつかる地点は、尾根がせり出した箇所が削られて擁壁になっているので登れない。少し飯能側に移動した処に登り口を見つけて、植林が疎らになっている小さな尾根を登っていく。其れが郡界尾根に合流して、北面に自然林の黄葉が陽光に映えているのが、樹林の合間から見えるようになった。ヨーガイ入右岸尾根だろうと思われる。

最初の等高線の囲まれた641mピークは特に眺望も無いので、先に進んだ。鞍部を越えて緩やかな尾根を歩き、牛喰入からの大きな尾根と合流する720m圏の小ピーク迄、急登になる。登りきると、心なしか樹林越しの風景が明るさを増してきたような気分になる。地形図では、此処から暫くは細長い形状をした等高線の尾根を登る。左右が切れ立つような険しいルートではないかと懸念したが、実際は緩やかな一本道であった。

標高750mで、さらに牛喰入からの尾根が合流する。景観は一変して、唐松の黄葉が点在する穏やかな広い場所だった。此処で小休止する。kz氏は資料を見せながら、此の辺りは、明ヶ萱(ミョウガノカヤ)と呼ばれていた処だと云った。萱はカヤトの茅と同じ意味と思われるが、明とは何だろう。比較的明るい場所ではあるが、みょうがの文字は当て字だろうとkz氏が云いながら、ビニールテープに明ヶ萱と記して枝に巻いている。萱の文字が潰れて読めないと指摘すると、kz氏は口惜しそうに書き直している。律儀である。

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再出発して、ひと段落したように緩やかな尾根を歩いて行く。909mピークに合流すれば、後は武川岳への尾根を辿るだけである。其の909mに至る手前で、巨岩が踏み跡を塞いでいた。捲くこともできるが、岩の上に攀じ登って通過する。思いがけない岩場の出現は、単調な尾根登りが続いていた気分を刷新して呉れる。岩稜帯を越えて、風景は愈々自然林の色が燃える道になっていった。

登山地図に破線で記されている、県立名栗げんきプラザ付近から延びている尾根に合流する909mピークに到達した。此の破線ルートの唯一の見所が「見晴台」と記されている処であるが、ピークの上ではなくて少し東に下った場所にある。ザックを置いて、其れを確認するために歩いていった。見晴台と記された道標は古びていて、周囲は樹木に囲まれている。僅かに南方向の眺望が利いた。看板に偽り有りと迄は云わないが、見晴台と云う程でも無い場所だった。

kz氏と909m迄戻り、東西に細長いピークの西側に移動して休憩した。疎らな樹林の合間から柔らかい陽光が差し込み、暖かい。踏路は明瞭に在るが、破線ルート故か訪れる人は皆無だった。茫洋として座り込んで、長々と談笑しての休憩だったようで、出発する時、40分くらい此処に居たよ、とkz氏が云った。

鞍部に急降下して、地形図には此処に点線のルートが記されているが、全くそのような痕跡は発見できなかった。其の儘尾根を登り返して、昭文社地図の実線の通り、大栗入に下降していく登山道が別れる道標の地点に到着した。ハイカーが徐々に増えていく尾根道の、南面は植林で鬱蒼としているが、北面は見事に黄葉が広がる自然林だった。行く手の先を見ると、整然と黄葉と植林が二分割されていて、不思議な感覚に陥る。

頂上間近の勾配に掛かると、黄葉だけの明るい雰囲気になる。箒平の名の通り、平坦で広大なピークに達し、前武川岳への分岐を過ぎて、賑やかな武川岳頂上に着いた。名郷から適度な距離で登れるとは云え、想像以上に大勢のハイカーが山頂を占拠している。此処は何時も大混雑なんだと、kz氏が織込み済みと云った風情で呟いた。山頂から少し下った処で、昼食の休憩にした。

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さて、下山であるが、特に妙案も無く、前武川岳経由の山伏峠に降りることにした。名郷迄は昨年歩いたと云うことも在り、バスの乗車時間が長く、運賃も高いので、正丸駅迄歩くことだけは確定した。昨年は積雪の稜線を歩いたが、前武川岳に至る道は、変わらず心地好い登山道である。武川岳と同様に広い前武川岳で小休止して、山伏峠方面に尾根を下って行く。900m圏峰を越えて、尾根が三方に分かれている瘤に至った処で、東北東に延びる尾根に行ってみようとkz氏が提案するので従うことにした。

山伏峠に降りても、伊豆ヶ岳北方に在る長岩峠を越える為には、県道を名栗げんきプラザ迄歩かなければならない。尾根通しでげんきプラザ付近迄降りられそうなルートを、開拓しようと云う案である。kz氏らしい発想であり、私も嬉々として其れに従う。標高845m地点から左の尾根に逸れると、直ぐに伐採地に出て、立派な山容が目の前に広がる。伊豆ヶ岳と古御岳を西側から眺めた恰好である。伊豆ヶ岳は数回登ったが、其の山容を此れ程明瞭に眺めたことは無い。禿げた伐採地の褐色の肌は心地好くは無いが、良景である。

切株に座れるので恰好の休憩場所である。其れ故の大休止となる。目の前に林道が横切っていて、其れを越えて続いている尾根に乗る。景色はさらに広がって、またしても大休憩になる。伊豆ヶ岳の彼方に、遠く山々が遠望できる。都県境尾根の窪んだ処を指して、小沢峠かなとkz氏が云う。私も地図を広げて、大仁田山、間野富士山など、春にふたりで登った山々を同定しようと試みるが、確かなことは判らない。後日、山座同定測定器を帯同して山登りをしているHm氏のサイト「山からの眺望」に写真を投稿して、判定して戴いたのだが、間野富士山は低すぎて、見えていないようであった。

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林道建設で無残に削られた山肌の上に乗り、尾根を下り始める。尾根は800m圏で大きく二手に別れる。北面は絶壁に近い崖だったので、及び腰で何とか南面を辿って、痩せ続ける尾根の上を歩いて行く。途中、私が落石を起こしてしまい、拳大の石がkz氏に向かって転がっていったので冷やりとした。険しい砂礫の急傾斜を緊張しながら下る。右側の風景はのどかに広がっているが、眺める余裕は無い。

尾根はいつしか穏やかになり、一直線に下降していった。無味乾燥な植林の道を、安堵しながら下って行くと、車の爆音が聞こえてくる。漸く県道53号の、急激なヘアピンカーブのアンカーポイントのような処に降り立った。車道を下って行くと、程無く左手に県立名栗げんきプラザの建造物が現われた。正丸峠に分岐する地点で、北に伸びる寂れた林道が在る。此処から更に登り返して、長岩峠を越えないと正丸駅に辿り着くことはできない。

林道を歩き、程無く左手に登山道の道標が在り、沢を渡渉して尾根に取り付いた。振り返ると、山峡は薄暗くなっていて、視線を上げると、武川岳方面の山容が、心細いシルエットになって連なっている。昔、名郷に嫁入りする娘も歩いた道なのかな。私が、心細さを誤魔化すようにして喋る。俺も婿入りで峠を越えたいよお。kz氏が叫ぶように応える。空元気の儘、我々は、峠を越える為に、暮れていく登山道を、登り続けていた。


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追記

長岩峠を越えて小高山を経て、正丸峠分岐迄。伊豆ヶ岳登山道に合流する迄は初めて歩く道だったが、巨岩、奇岩の並ぶ谷筋の登山道で、存外に面白そうな道だった。車道に出て間もなく夜になり、正丸駅に着いた途端飯能行きの電車が到着したので慌てて乗車。恒例の所沢祝宴で麦酒と餃子。無事帰京する。



補記

標高845m地点から左の尾根に逸れた伐採地からの山座同定写真。


Hitominphoto

タブレットPC用の山座同定アプリを自作されているHitomin氏のサイト
「山からの眺望」
http://yamaname.web.fc2.com/


から転載させて戴きました。

松枝バス停・牛喰入から蔦岩山・武川岳

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凍てついた師走の芦ヶ久保駅から、松枝行きのバスに乗り込んだ。暗い谷底の街道の路肩に、雪が積もっている。ついひと月前に見た紅葉の枝も、雪化粧をしている。松枝バスの車窓から眺める風景は、最早うら寂しいなどと云う雰囲気ではなく、時が止まったかのような無常観を醸し出している。静止画の中を、松枝行きのバスだけが轟音を立てて走り続けている。


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2013/12/21

松枝(8:00)---林道牛喰線---557m---尾根---850m(林道)---1000m圏峰---登山道---蔦岩山---武川岳---前武川岳---南尾根---天狗岩---名郷(16:00)

終点に降り立ったkz氏と私は、去っていく折り返しのバスを見送った。今日の行程は、此処から牛喰入(地形図では牛喰谷と記されている)に沿った、林道牛喰線を歩き、標高557mと記された地点、谷が合流して三俣になっていると思しき処から尾根に乗る。此れが最初の手順で、尾根伝いの行く先には、やがて蛇行して登ってくる林道と交差する筈である。林道は横断し、焼山と蔦岩山を繋ぐ稜線に出る。其の先は、登山道を歩いて焼山に達し、北東に伸びる尾根を進んで横瀬駅に下山する。そんな予定だった。


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林道の舗装路は凍っていて、覚束ない足取りで歩く。植林の木々が白い装飾で並んでいて、山陰の暗い道を覆っている。空は雲ひとつない快晴で、遠くには陽が当たって暖色に光る山々が、樹林帯の隙間から垣間見えている。しかし、林道牛喰線が辿る谷の道は凍りそうに寒くて、モノトーンの風景が広がっているばかりであった。人家が無くなった頃、いつしかアスファルトは消え、雪の道になった。牛喰入が右へ左へと蛇行するのに忠実に、林道は山の奥へと続いている。我々は防寒着で膨れた儘、歩き続けていた。

やがて風景がぽっかりと開けた。林道は大きく左にカーブして、牛喰入に掛かる橋を越え、ヘアピン状に旋回している。地形図の557m地点である。此処から尾根に取り付くのだが、三俣の谷を判別するために、暫しの時間を要した。kz氏は早い段階で目的の尾根を認識したようだが、地図に無い林道が牛喰入に沿って伸びているのを見て、改めて地形図を見ながら熟考している。其の間に、私は本来の林道が延びていく先を偵察に行く。林道牛喰線は直ぐに右にヘアピンカーブを描きながら牛喰入に戻りながら勾配を上げている。kz氏が判断した牛喰入左岸の尾根が、やはり正解のようだと確信した。


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尾根の入口は急勾配なだけではなく、枯枝が跋扈していて足を踏み入れる雰囲気ではない。私は地図不掲載林道を暫く歩いて、途中から尾根に登ろうと考え、目論見通りに取り付けそうな地点を見つけた。しかしkz氏は、尾根の末端から登ると云い、来た道を引き返していった。未踏破の尾根を律儀に最初から登りたいと云う趣向は、私にも理解できる。しかし、私は側面からひとりで登り始めた。

倒木が散乱して歩きにくい里山の傾斜は、積雪のおかげで踏み易かった。日陰の暗い斜面を喘ぎながら登る。尾根の上に近づくにつれて、明るさが広がってくる。そして、尾根に乗った瞬間、南に併行する、武川岳へと連なって聳える尾根から射し込む陽光を浴びた。暗く寒い谷底から、漸く脱出したと云う感慨に包まれた気分であった。

難渋しているだろうと思われるkz氏の姿を、尾根の下方に識別することはできなかった。もしかしたら、諦めて先程の林道途中迄迂回しているかもしれない、などと考えていたら、枯枝の藪が音を立て始めて、泥濘を行進するかのような感じでkz氏がよろめきながら登ってくるのが見えた。藪だらけだよ、と誰に向かってではなく叫びながら、kz氏がいつもの感じで登ってくる。徐々に私の立っている地点から大きく逸れて、kz氏が遠ざかっていく。一心不乱に登っていると云う表現が相応しい。私も、彼に併行するように、尾根を登る。傾斜が終わって、平坦な場所に出たら、其処は牛喰入に落ちていく斜面に、刈り取られた山肌が広がっている伐採地だった。標高660mの、等高線が緩い小ピークに近づくにつれて、積雪が深くなっていった。



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白銀の途上で強烈な陽射しを浴びながら振り返る。遠くの山並みは正丸峠の稜線だろうか。ふたたび登り始めると、右手に木立の合間から、春に登ったヨーガイ入右岸の尾根が窺える。其の向こうに、一ヶ月前に登った甲仁田山の電波塔が顔を出す。松枝から、丹念に尾根のひとつひとつを歩いていると云う感慨が湧き上がり、次は左手に並んでいる、武川岳に伸びる尾根を登るのだろうか、などと思った。縁もゆかりも無い地に固執して、何度も訪れると云うのが、どうにも可笑しい。必然性の無い蓋然性。そんな、訳の判らない言葉が脳裏に浮かんでくる。

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自然林が現われて、尾根は痩せ気味になり、傾斜が急になる。木々に積もった雪を頭に被って、其の冷たさに声を上げながら賑やかに登っていった。先に行く人が雪を被ってくれるから助かるよ、などとkz氏が冗談交じりのことを云う。斥候役に徹して、私はウィンドブレーカーのフードを被り、雪を払っていった。標高750mくらいで少し平坦になるが、樹木の密度は増してきて、幹に掴まりながら、側面の深い谷への淵に怯えながら登っていく。此れはほんとに雪山だよ。kz氏が云う。バリエーションルートならではの、踏跡の無い新雪の尾根を歩くのは、得も言われぬ心地良さであった。

等高線が細く、間隔の広い820mが小ピークで、其れを越えていくと、雪は益々深まっていった。山肌が眼前に迫ってきて、いよいよ急登に掛かる。植林帯になり、喘ぎながら登って顔を上げると、木々の向こうに青空が見えてくる。林道が近づいている。其の直下は掘削されているのか、雪の壁のようになっている。四つん這いになって、無理矢理に攀じ登る。そうして、漸く林道に辿り着いた。陽光が反射して眩しい雪道は、其の明るさとは対照的に、奇妙な静けさを醸し出していた。


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大休止の後、ふたたび尾根に忠実に登り始めた。稜線直下の尾根は、さらに傾斜を増していった。植林帯の日陰の中を喘ぎながら登る。漸く登山道の稜線に出たら、枯木の向こうに、相変わらずの形で武甲山が立っていた。歩き続けて来た尾根の行き着くピークは、此の儘登山道を辿った果てに在る、標高1004mの蔦岩山である。私は自然に、其の方向へと足を向けた。kz氏が、少し遅れて続いた。

登山道は何も遮るものが無いからか、此れ迄に無いくらいに積雪が深かった。990mの小さなピークに至り、眼前の谷の向こうに、壁のような山容が現われた。箒平とも呼ばれる、頂上からの裾野が広い武川岳であった。牛喰入左岸尾根の終点、蔦岩山迄は、あと20mの高さを登れば着くのだが、直下の雪が余りにも深い。踏跡と云うよりも雪の穴と云った方が適切な箇所に足を合わせて歩く。我々は、最早登山道の態を為していない、雪の塊の傾斜を、黙々と登り続けていた。

頂上と云う風情の無い蔦岩山でへたり込み、昼食を摂った後で、此れからの行程に就いてkz氏と相談した。此処迄来ちゃったら、戻りたくないよ。kz氏が云う。確かに、目の前に聳える武川岳を見ると、其の儘南下して、標高1052mの箒平に登頂するのが適切かも知れない。私に異論は無いのだが、そもそもkz氏は登山道に出たら焼山に向かいたかっのだが、私が蔦岩山に歩き出したのを見て、もう武川岳に行くしかないと思ったのだ、と云った。


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思惑の違いはあれど、積雪の箒平が直ぐ目の前に在るから、登るだけのことである。鞍部を過ぎて武川岳への直下の傾斜に掛かった。普段であれば、恐らく何の変哲も無い整備された登山道だと思うが、膝迄埋まる程の積雪に包まれた斜面は、奥武蔵に居ると云うことを忘れてしまいそうになる。何処迄も青い空と、心地よい陽光の所為だろうか、意識が虚ろになっていく。そんな気分で登り続けていたら、呆気なく頂上に達した。

私は初めて訪れる山なのだが、kz氏は十数年ぶりだと云う。武川岳の頂上には誰も居ない。木製ベンチの上に雪が積もっている。誰も居ない武川岳と云うのが信じられない。そんなことをkz氏が云う。其れ程の人気がある山なのだろう。奥武蔵の山に通い始めて、漸く西武鉄道から離れた山域に辿り着いた。そんな気分だった。静か過ぎる山頂で感慨に耽っていたら、違和感のある雑音が聞こえてきた。


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其れはヘリコプターの音だったが、急速に其の音量が上がってきた。ヘリは妻坂峠方面の谷から浮上して、上空で停滞してから、我々、と云うか武川岳へと近づいてくる。思わずkz氏と顔を見合わせる。遭難者を捜索していると思しきヘリコプターが我々の方に下降してくるようだった。静まり返っていた頂上で、木々が暴風で揺れ始める。小枝に積もった雪が吹き飛ばされて、周囲は吹雪のような様相になった。ヘリなんか誰が呼んだんだ、kz氏がこんな時でも冗談を叫んでいる。ヘリの中から、捜索隊員がドアを開けて我々を見ている。そしてホバリングしながら、徐々に近づいてきた。

我々を、遭難者かどうかと確認しているのだろうが、kz氏は突然の出来事に大喜びのようで、嬌声を上げながら、デジタルカメラでヘリを撮影している。手を振ってみようかと云うから、絶対にやめてくれ、と、私は轟音の中で叫んでいた。

二子山入口バス停から甲仁田山(後編)

Matsueda


南東から登る甲仁田山への道で、思いがけない程の紅葉風景に出会った。山頂迄は細い尾根が一直線に続いている。道筋は確かだが、傾斜は徐々に厳しくなってきた。しかし、高度を上げるほど、紅葉の色は濃密さを増してきているようだった。我々は嬉々として、休みましょうか、そうだね休憩だね、などと言い合っては、同じような紅葉の写真を撮り続けていた。風光明媚の享受は、感覚としての快楽なだけあって、文章で綴っても説得力が無い。甲仁田山南東尾根は頂上迄急登が続き、最後は巨岩が要塞を覆う壁の如き様相であった。其の隙間を選んで、ぽっかりと広がる青空の下、甲仁田山、別名久松平に登頂した。電波塔の直ぐ隣の、盛り上がった広場に三角点があり、山名標の類は無かった。


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2013/11/23

二子山入口バス停(7:50)---甲仁田山南東尾根630m圏東枝尾根---甲仁田山南東尾根---甲仁田山---二子山雄岳---770mピーク---530m圏峰---西北西枝尾根---登山道---芦ヶ久保駅(15:00)

甲仁田山の頂上広場は、造成されたかのような平坦さであった。電波塔を建てるために削った土を、此処に溜めて作ったのではないかと、kz氏が信憑性のありそうな推測を述べた。陽光が降り注ぐ心地よさに、気がついたら一時間も休憩していた。電波塔の向こうに見える武甲山は、人為的な風景を二重に表現しているように感じる。木段を降りていくと舗装路が現われ、電波塔の敷地を遮るゲートの前に出た。車道から広がる風景。其の正面には、次に目指す二子山の、ふたつのピークが鎮座しているのが見渡せた。


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標高847mピークの甲仁田山から、西北に尾根が伸びている。鞍部を経て、細いが緩やかな尾根が二子山へと続いている。其れを忠実に辿ろうとすると、電波塔の敷地を越えていかなければならないので、一旦舗装路を北東へ進み、途中で山の斜面をショートカットして、大きくカーブして引き返してくる車道に復帰した。舗装路は程無く西北への鞍部に寄り添っていき、我々は尾根に乗ってふたたび登り始めた。

植林帯が続く緩やかな道が終わると、岩が散見するようになり、周囲はふたたび黄葉の雑木林になった。私は自分の稚拙な読図能力なりに、此の緩やかな尾根を描く地形図を見て、具体的に云えば、標高850m地点から先が、異常に細いと云うのが気になっていた。極めて細い尾根が平坦に続いていると解釈するのが適当だと云うのも判っていたが、どんな様相なのか、見当がつかない。そんなことを考えながら歩いていたら、見通しが良くなった行く手の先に、巨大な露岩が現われた。

予想外の光景に、一瞬足が止まる。一枚岩の右手に、なんとか登れそうな傾斜を見て、恐る恐る攀じ登った。其の先に断崖があり、片足が乗る程度の細い岩の淵を辿っていく。眼下は谷底で、植林帯の鬱蒼とした森が広がっているのが見えた。足を踏み外したら、もうお仕舞いである。血の気が引いてくるのを自覚しながら、漸く渡り終えた。kz氏が、怖い怖いと叫びながら後から登ってくる。此れはいつものことで、喚いているくらいの状況では、恐怖は其れほどでもないと云うのが本人の弁である。


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露岩の上に立って振り向いたら、電波塔の甲仁田山が静かに佇んでいる。植林の山裾から、今歩いて来た紅葉の平坦な尾根が続いていた。細過ぎる等高線は、此の岩場を表現していたのだ、そう理解することにした。気を取り直して、其の儘、二子山へと続く尾根道を進んだ。露岩で肝を冷やしはしたが、其の後は呆気なく登山道に合流した。二子山雄岳の北面に在る岩場から、ヨーガイ入対岸の尾根と、ひと際目立つ武甲山に至る迄の眺望を茫然と見渡した。

雄岳から北西方面に開けた展望地にも立ち寄り、kz氏と山座同定を愉しんだ。秩父市街を一望し、彼方には独特な形で聳える両神山と1166mの山容が顕著な二子山が在った。奥秩父山地の遠さが改めて実感できる、そんな眺めであった。尤も、其の遥か彼方には、浅間山と八ヶ岳の銀嶺が浮かんでいる。何処迄も歩いていきたい、そんな欲望に身体が満たされていくような気がした。


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春先に立ち寄った雌岳は省略し、ロープが渡してある急激な斜面を降下して、登山道から別れた。道標には「行き止まり」と書かれた方角に登り返していくと、穏健なくらいに広い標高770mピークに達する。登山道は先程の分岐から兵ノ沢に下降していくようだが、此のピークから北に向かって伸びる尾根の上を歩けば、芦ヶ久保駅方面へと下ることができる。其の途上は自然の儘の雑木林で、整備され尽くした感のある奥武蔵の印象とは掛け離れた、気持ちの良い尾根歩きを満喫できる。紅葉風景が次第に広がり、落葉の道が冬の始まりを予感させて呉れる。

770mピークから、コンパスと地形図を凝視して、微妙に分岐している尾根を確認しながら北へと下っていく。此の儘行けば、登山道の末端、ハイキングコースの看板に合流すると云うことは、春先に歩いて経験している。kz氏は、今回は敢えて其の直前で右に分かれる尾根を下ろうと云った。芦ヶ久保駅のプラットホームの目の前に出ると云う目論見である。紅葉の自然林が翳りを見せて、岩の重なる難所を経て、鞍部が現われたら、530m圏峰に登り返す。樹林に囲まれた平坦な場所に立つと、芦ヶ久保の気配が聞こえてきた。駅は直ぐ其処にあるような距離感である。

530m圏峰の茫洋とした地形から、尾根は三方に分岐している筈だが、私は選択肢が無いと云う感覚で歩を進めていたような気がする。kz氏も、分岐する尾根を確認できていたかどうか定かではないが、前回歩いた尾根を従順に進んでいく私に注文をつけることなく後ろを歩いている。周囲はふたたび紅葉の暖かい明るさに包まれた。芦ヶ久保駅から僅かに登っただけで、自然林の紅葉風景に囲まれることができると云うのが信じられない。谷沿いのハイキングコースを歩いていたら、此の風景には永久にお目に掛かれないのだと思うと、痛快な気分になった。


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同じ道では詰まらないから向こうに下りてみよう。風景に忽然としている私にkz氏が云った。真西の方角に落ちていく谷を挟んで、植林帯の尾根が見えた。登山隊にはリーダーが不可欠で、指導者の判断は其れ事態が秩序である。隊員は秩序を遵守しなければならなくて、秩序を乱せば命運が急転する可能性すらあるのだ。私は何処かで読んだような気がする言葉を繋ぎ合わせて、自らを納得させるための理屈を拵えながら、落ち葉の積もった斜面を歩いていくkz氏の後を追った。紅葉の明るい尾根が遠ざかり、薄暗い樹林帯へと進む。暫く谷に沿って下りながら、目指す尾根に乗るための斜面を探して歩くkz氏が、暗くて寒いよと、独り言にしては大きな声で云った。一兵卒の私は、不条理な思いで其れを聞き流した。

鬱蒼とした植林帯の尾根を下り続けて、やがて沢の流れる音が聞こえてきた。二子山への登山道が併行する兵ノ沢である。やれやれと思った途端、斜面は急になり、やがて杣道のようなトラバース道が現われた。兵ノ沢は直ぐ其処に見えるが、尾根は急激に落ち込み、崖になっていた。杣道を辿って迂回しながら降りるしかなかったが、道は程無く曖昧になり、涸れた沢に下り立つと、巨岩の上に出た。岩の上から眼下を見れば、薄暗い沢沿いの登山道が在った。岩の側面から登山道に合流したので、何はともあれ安堵したのだった。

登山道を其の儘下っていくと、やがて先程別れた尾根が近づいてきた。眩い光を浴びた尾根が登山道と合流する処を乗り越して、ジグザグに下ると、芦ヶ久保駅が直ぐ其処に在った。一直線に貫く正丸トンネルの上を、右往左往しながら山を越えて歩いて来たのだと思うと、感慨が深まっていくのを感じた。国道に面している道の駅に、夥しい数の車が駐車している。芦ヶ久保駅の周りが、松枝バスを待っていた寒々しい朝が信じられない程、賑わっていた。

二子山入口バス停から甲仁田山(前編)

街道沿いの山腹に在る正丸駅を、西武秩父線のローカル電車が静かに出発すると、張り出した尾根に突入するように、トンネルへと吸い込まれていく。全長4811mの正丸トンネルである。マイペースの速度で走るローカル電車に乗っていると、其の距離感は気が遠くなるくらいに、長く感じる。刈場坂峠、虚空僧峠、そして正丸峠。鉄道に立ちはだかる山脈が、伊豆ヶ岳へと続いているわけだが、此のトンネルは正丸峠を越えて尚、併行する国道の正丸トンネルが口を開ける横瀬川沿いの谷の下を潜った儘で、芦ヶ久保駅迄走り続ける。国道は次の尾根を迂回して谷に沿って走るが、電車は一直線に続く長大なトンネルを走り続けるのである。

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2013/11/23

二子山入口バス停(7:50)---甲仁田山南東尾根630m圏東枝尾根---甲仁田山南東尾根---甲仁田山---二子山雄岳---770mピーク---530m圏峰---西北西枝尾根---登山道---芦ヶ久保駅(15:00)

正丸トンネルの秩父側を構成する尾根の先には、二子山の双耳峰が在る。其の山塊の東側の周縁に街道が通じている。芦ヶ久保駅から国道299号を正丸方面に戻り、トンネルの手前で横瀬川沿いの細い街道に入り、松枝と云う集落へと向かうバスが走っている。普通の登山者が見向きもしない、二子山への尾根に登るには好都合である。しかし、此のバスが曲者で、途中の長渕止まりの便も含めて、運行は一日四本しか無い。土日祝日に至っては、終点迄行く便は平日よりもひとつ少なくて、一日二本である。

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此の松枝行きバスに、今年の春にkz氏と乗った。乗客は我々以外に居なかった。時刻表を見ても判るが、行楽客を相手にしていないバスのようで、行楽客も当然相手にはしていない。驚くべきは、松枝行きバスは西武バスが運行しているのに、西武鉄道芦ヶ久保駅の職員にバス停の所在を訊いたら、其の存在自体を知らなかったことであった。バス停は駅前ではなく、国道沿いの郵便局の前にぽつんと立っていた。平日にどれだけの乗客が利用するのか知らないが、風前の灯、いつ廃止されても不思議ではないバス路線である。

道無き道を行くバリエーション・ルート専門のkz氏と、昨年末から歩き始めた奥武蔵だが、夏のブランクを挟んで、秋が深まる頃に再開しようと話していた。春先に歩いた、松枝から始まるヨーガイ入右岸尾根からの焼山登山が印象深い。そして、あの無人バスにもういちど乗ってあげようと云う妙な感懐のようなものもあって、シーズン最初の奥武蔵は、とにかく松枝バスに乗って何処かの尾根に攀じ登ると云うことに決まった。大雑把な目標だが、其の風まかせな雰囲気が楽しい。伊豆ヶ岳からも明瞭に眺められる、電波塔が目立つ甲仁田山へ登ってみましょうと、私はkz氏に進言した。尾根が在れば何処からでも登ってやる、と云わんばかりなkz氏に異論は無かった。

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11月下旬の連休、芦ヶ久保駅で下車したハイカーは少なくなかったが、二子山へ、丸山方面へと、直ぐに散り散りに去って行った。此れを逃したら次は5時間後と云う、松枝行きバスを、固唾を呑んで待った。空気を乗せたバスは、定刻に到着した。徐々に朝陽の暖かさを迎えた芦ヶ久保駅前から、バスは暗い谷に向かって走り出した。処花を過ぎて、国道から外れて山行きバスの雰囲気になる。終点松枝の手前に、二子山入口と云うバス停が在る。其処で下車した。ヨーガイ入に沿った車道から、焼山と二子山の中間の稜線上に登る道は、昭文社登山地図にも赤い実線で記してある。我々はバス停から街道を戻り、ヨーガイ入の、今回は左岸側の尾根に乗ろうと考えている。尾根の末端を目指して、街道が大きく膨らむ地点迄戻ることにしたのであった。

道がカーブしている尾根末端は、コンクリートの擁壁が固められていて、登ることができない。少し松枝側に戻り、微かに傾斜が緩い箇所を発見した。意を決して踏み込んでいく。植林帯だが、木々は疎らな間隔で立ち並んでいる。踏跡と云えなくも無い斜面の軌跡を辿り、少しの急傾斜を登りきると、尾根の上に出た。眼下に、先程迄歩いていた車道のカーブが見える。其の向こうに、横瀬川が冷たそうな音を立てて流れていた。山並みの合間から差し込む陽射しに、紅葉した木々が映えている。薄暗い谷間に、其れはひと際輝いて見えた。

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一旦尾根に乗れば、後は明瞭に続く目指す方角へと登るだけであった。程なく標高530mで等高線が閉じたピークに立った。平坦な尾根の真ん中を進むと、やがて植林の倒木が散らばる急斜面になる。標高600m迄の途中で、杣道のようなトラバース道が散見できるが、其れに頼っていくと尾根から徐々に遠ざかっていくので、渾身の力で木を掴み、尋常ではない傾斜を登っていった。左手から別の尾根が近づいてくる。そう認識した時には、自分が尾根の上に居るのかどうかすら判らないほど、山の斜面に張り付いているような恰好になっていた。喘ぎながら、尾根が合流する地点に到達した。

樹林帯の途上に辿り着き、ふたりとも飲料を牛のように飲んだ。合流した尾根上には明瞭な踏跡が続いている。此れはヨーガイ入の車道途中から続いている道で、地形図にも破線で記されている。昭文社に於いては、甲仁田山に至る道筋自体が皆無なので、此の破線も殆ど信用してはいなかった。予想は嬉しい誤算となった訳で、気を取り直してリスタートする。緩やかな登りから、少しの急登で標高680m地点に乗り上げる。目の覚めるような紅葉が広がる地点で、樹幹の立ち並ぶ合間から、武甲山が三角形の頭を出しているのが見えた。

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鬱蒼とした植林帯を登り続けてきたが、其れが終わり展望が開けたら、快晴の青空に、陽光が楓の紅い葉を照らす眩いばかりの光景だった。kz氏はザックを置いて、周辺の景色を撮影する行動に出た。私も腰を下ろして、煙草に火を点けて休憩した。尾根の斜面の下方から、すごいすごいと云うkz氏の声が聞こえてくる。空の青と、木々が彩る赤のコントラストは唖然とするような鮮やかさであった。誰も居ない静かな山の途上で、誰の為でもなく燃えている紅葉の木々を、いつまでも眺めていた。

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2013/11の山歩き

2013/11/8
梁川駅(10:50)---月尾根沢---立野峠---細野山---鳥屋山---舟山---寺下峠---梁川駅(16:20)
2013/11/10
高尾駅(8:30)---小仏川遊歩道---高尾天満宮---尾根を直登---蛇滝林道---金毘羅台園地---一号路---高尾山口駅(11:40)

西吾野駅周縁を巡る尾根・虚空蔵山(後編)

Kokuzo




2013/4/6

西吾野駅(7:15)---山之神---340mピーク---三社峠---410mピーク---418mピーク--- 「パノラマコース」登山口---石地蔵---高山不動---虚空蔵山---志田---三社峠---西吾野駅(13:30)

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関東地方全域に暴雨風の予報なので、一般登山道に入ってからも、誰とも出会わない儘、高山不動に到達した。天候は至って平穏であるが、嵐の前の静けさと云えなくも無い。時刻は未だ午前十時半である。関八州見晴台から飯盛峠へ向かうには充分な余裕がある。しかし、何とも云えない疲労を感じる。不穏な低気圧が神経に障る、そんな気分だった。

天候が悪化するのは明白であるし、西吾野駅の裏山を周回できたことで満足したから、もう帰りましょう。私は、自分の疲労を悪天予兆の所為にして、kz氏に提案した。だが、最終目的地が高山不動では恰好がつかない。何処か明確なピークに登ってから下山したい、其れが彼の考えであることは承知していたので、此処から程近い処に在る標高618.8mのピーク、虚空蔵山を提案した。kz氏は間髪入れずに賛同して呉れた。

虚空蔵山の位置をよくよく見ると、昭文社の登山地図には実線が引かれていない場所に在る。周辺には登山道が巡っているようだが、三角点のポイントは少しだけルートから逸れた処に在る。未知の山道に惹かれて歩く我々に、合点のいく目的地であると云えなくも無い。不穏な天候で早く帰りたいという共通の心裡も相まって、我々は虚空蔵山を目指した。

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高山不動を通る車道は蛇行して勾配を登り、奥武蔵グリーンラインへと繋がるのだが、其の途上に虚空蔵山を含む尾根の、標高600m辺りを通過する。虚空蔵山への行程は、車道を登ってから、尾根に侵入して下り、途上のピークに至ると謂う変則的なコースになる。境内を出て舗装路を登ると、道は大きく南に向かってから、ヘアピン状にカーブして北上する。其の突端から山に入った。鬱蒼とした雑木林の中に分け入るような感じで、山に登ると謂う雰囲気ではない。

直ぐに瘤状のピークが現われた。登り詰めたら、もう着いちゃったのと、kz氏が云うが、此れは隣接する610m圏峰で、もうひと登りすると、山腹に鎮座する高山不動尊が見下ろせる、好展望の露岩道を経て、虚空蔵山に着いた。山頂には古びて苔に塗れた三角点が在り、トタン壁で覆った小屋の中に、仏像を刻んだ石碑が祀られていた。舗装路から逸れて、直ぐ近くに在るとは思えない程、静寂に満ちた秘境のような頂上である。

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転進となった目的地が存外に良い処であったから、もう満足して下山の途に就くことにした。不思議なことに、虚空蔵山から降り始めた途端、空は暗くなり、轟々と不穏な音を立てるようになった。風が急激に強くなってきた。虚空蔵山の南へ下り、直ぐに登山道に合流した。志田集落に向かって降りていく尾根を辿る登山道を暫く歩いた。当初は此の先から別れる、名も無く地図にも道が載っていない尾根を辿ろうと、色気を出していた。しかし、吹きつける強風が辛く、何時迄も尾根の側面を辿る登山道を歩いて風を除けていたら、其の儘下山してしまった。

集落に着いたら、山上の強風が嘘のような静けさだった。曇天の下で、色とりどりの花が咲いている。ぽつりぽつりと、雨粒が落ちてきた。集落を流れる川を渡って、ふたたび山道に入った。此処からは、あじさい館への案内標に導かれて、小さな尾根を越していく道を歩く。斜面を捲いていく静かな道に、民家が点在している。古くからある吾野への生活路らしく、墓地や古びた神社もあって、何とも云えない趣がある。

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山桜の咲く美しい集落に降り立った。高山不動から降りて来た舗装路と合流したら、其処が大窪の集落であった。止んでいた雨が、また降り始めた。此処から大久保峠を越えて行けば、あじさい館、そして吾野小学校へと繋がる古道があるのだが、我々は舗装路を高山不動方面に逆戻りする。最後の悪あがきのようだが、ふたたび三社峠を目指して、西吾野駅への最短ルートを試みることにしたのである。

舗装路を戻り、送電線の下を越えると、左側に細い道が別れていて、真新しい道標には、三社・国道299号と書かれていた。立派な道標が不安になる程、三社峠への行程は鬱蒼とした谷間を辿る道で、独りで歩くには心細くなるような雰囲気である。kz氏とふたりで、そんな峠道を黙々と歩いていると、いにしえの旅人になったような気分になる。奥武蔵の民衆が歩いてきた足跡を、丁寧に辿る旅。そんな目的の山歩きをしているかのようでもある。などと考えて歩いていたら、本日二回目の、三社峠に戻ってきた。

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疲れたねえ。いい加減、一杯やりたいですな。思うが儘に疲弊感を漂わせた言葉を交わして、我々は最後の山を越える為に出発した。今朝歩いたばかりの、410mピークを左にトラバースしていく道を辿り、西吾野駅周縁の尾根に向かう。雨に濡れた枯葉も相まって、崩れそうな捲道を慎重に歩く。漸く尾根に復帰して南下すると、西吾野駅最短コースが別れる地点に到達した。

尾根道は明瞭だった。密度の濃い杉林に覆われて薄暗いが、天候の所為もあるかもしれない。そして、いよいよ西武鉄道の隧道の上に差し掛かった。樹間から覗くと線路が見える。視線を上げたら、西吾野駅が、直ぐ其処に在った。此れで周縁を巡る旅が終わり、尾根を真直ぐに降りていく。国道から少し入った墓地に着いた頃には、雨が本格的に降り始めていた。人影の無い西吾野駅前の山桜が、誰の為でもなく咲いている。其れが無性に、美しいと思った。

Kokuzo6

付記

「不動堂の南の618.8mの三角点の置かれる山は虚空蔵山で、これは不動尊の周囲に神明大神、将軍地蔵、十一面観音、虚空蔵菩薩を勧請したものの一つで、昔は女人禁制の山でした。(中略)昔はここに池があり、どんな旱天にも冷泉をたたえていましたが、ある時女人禁制のおきてを破って、一人の女が登ってからは水がなくなってしまったといいます(後略)」
『増補 ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅』 (神山弘・新井良輔)岳(ヌプリ)書房刊 (1984)に拠る。

kz氏のHP「悠遊趣味」のblogから転載しました。
「虚空蔵山の由来」

別記

2013/4/10(登山詳細図踏査)

軍畑駅(8:30)---高源寺---砂防ダム入口---常福院---高水山---岩茸石山---惣岳山捲道---沢井駅分岐---送電鉄塔---沢井駅(15:00)

2013/4/14

高麗駅(8:40)---日和田山---高指山---物見山---北向地蔵---ユガテ---飛脚道---東吾野駅(13:30)

2013/4/20

初狩駅(8:40)---藤沢---桧平---滝子山---鎮西ヶ池---曲り沢峠---オッ立---景徳院---甲斐大和駅(15:40)

2013/4/24(登山詳細図西丹沢踏査)

寄---水源林管理棟ゲート---檜岳南東尾根---檜岳---檜岳南東尾根---750m---林道---水源林管理棟ゲート

西吾野駅周縁を巡る尾根・虚空蔵山(前編)

Photo



2013/4/6

西吾野駅(7:15)---山ノ神---340mピーク---三社峠---410mピーク---418mピーク--- 「パノラマコース」登山口---石地蔵---高山不動---虚空蔵山---志田---三社峠---西吾野駅(13:30)

1

岩崖の切り通しを縫って走るローカル線の電車が、山間から抜け出ると、小さな谷間の集落が現われて、静かな駅に停車する。ふたたび動き出した電車は、谷間から山へと分け入って、やがて隧道に吸い込まれていく。幾つもの山を越えて、風景が次第に抑揚を失うかのように、緑色の樹林が全てを覆い尽くそうとしている。先程遠くに去って行った筈の国道が、何時の間にかこちらに近づいてきて、しばらく併行して走り、また何処かに去っていくように、遠ざかっていく。電車はまた隧道に突入していった。

此の半年の間、足繁く通っている奥武蔵の、西武鉄道の車窓から広がる風景を改めて記すと以上のような感じである。中央本線でも青梅線でも然程変わり映えしない山間の風景だが、懸命にモーターを唸らせて、山奥へと走っていく西武線の小ぶりな電車は、古色蒼然とも違う風合いを感じさせる。ヨーロッパの登山電車とまでは言わないが、よく出来たジオラマの中に配置された山行き電車が、訥々と山間を走っている風景が想像できる。其れは、まるで空から俯瞰して見ているような気持ちになることができる。

山深くなっていく途上に、ぽつんと在る西吾野駅に近づくと、小さな隧道を通り抜ける。鉄路は山肌に沿って忠実に走っている。山の尾根は、其の儘北東へと連なり、高山不動尊のある山塊に続いているのである。隧道の手前で車窓から見える、山腹に小さな鳥居が在るのを見つけて、前から気になっていた。鳥居には、山之神と記してある。其処から入って尾根に乗り、歩いて行きたい。kz氏にそんな計画を伝えたら、面白そうじゃないの、と云って、同行して貰うことになった。線路際から山に登り、高山不動、関八州見晴台、そして飯盛峠へと歩くことにする。

4

週末に近づくにつれて、天気予報は剣呑な警告を発し続けた。関東の広範囲で暴風雨になる。不急不要の外出を控えよ。其れで計画は断念したのだが、前夜になって雨雲レーダーを見てみると、暗雲は未だ西日本にあるようなので、どうしようかと迷った。kz氏に打診すると、早く出掛けて早く降りれば大丈夫なんじゃないの、と云った。飯能の天気予報は、土曜日の午後三時から、雨になると伝えていた。だから、行くだけ行ってみようと謂うことになった。

西吾野駅から車道を下り、喧騒の国道に出る。吾野方面に引き返し、暫く歩き続けると、線路と国道が交差する。其処から道を外れて、線路脇に入っていくと、山之神が見えた。鳥居を潜ると、石を積み上げた階段が急斜面に設えてあり、少し登った処に、小さな祠が在った。見上げると、直ぐ其処に尾根の突端と思しき空の明るさが見える。急斜面には踏跡は無かったが、ひと登りで尾根の上に立った。吾野小学校と線路を分断する小さな里山の尾根である。

2

尾根の上には、明瞭に道筋が有った。送電鉄塔の為の巡視路であるが、尾根の上を伝って行く道は長閑で、登山道と云われても差し支えはない。我々は其れに準じて、進路を北に向けて歩いていった。気になる天気だが、今の処は平穏で、曇り空から僅かに陽光も感じることができる。山椿が所々に咲いている道を進み、大きな岩が重なる、少し傾斜が急になった坂を登りきると、程無く最初のピークに達した。標高340mには、送電鉄塔が窮屈そうに立っていた。

道は尾根の上を忠実に続いていた。ピークを越えるとふたたび鞍部に向かって急降下し、そして登り返して行く。右手の方角は三社集落方面で、時折風景が広がるが、左手は鬱蒼としている谷間が暗く広がっていた。直ぐ向こうに西武鉄道が走っているとは思えない。登り調子がひと段落すると、瘤のように突き出た処に出た。右手の、東方が開けた明るい場所で、思わず小休止したくなる処だった。木の幹に、平仮名文字が書いてある板が打ち付けてある。吾野小学校の生徒たちは、此の裏山でオリエンテーリングのようなハイキングを愉しんでいるようである。地図を凝視すると、山之神からの尾根から、三社峠を旋回すれば、丁度小学校を囲む山々を踏破できるようであった。

左手の、薄暗い谷に、控えめだが分け入る道が在った。木の枝に赤いテープが巻いてある。尾根が西に派生している。恐らく、此の道を下って行けば、西吾野駅手前の隧道の上に至る尾根の筈である。やはり道はあったのだ。此の昂揚する気分は、読図の登山をしていないと解って貰えないだろうと思う。眺望も無い低い山を、地図に照会しながら、現在位置を推し量りながら歩く。此の行為に飽きることが無いのは、自分でも不思議に感じる。

少し歩いた先に、三社峠へと尾根が派生する410mピークへの傾斜が現われた。其処に、三社峠と書かれた小さな指標があった。ピークの手前を捲いて、峠に下りていく道が右手に分かれていた。指標に小さく、みやしろ、とルビが書いてあった。迂闊なことに、此れを見る迄、私は三社峠を、さんじゃ峠と呼んでいた。自分の脳裏にかなり定着してしまった呼び名なので、みやしろ峠を頭の中で繰り返しながら、三社峠へのトラバース道を下っていった。

3

折角の尾根上から外れて三社峠に向かう深い理由は無い。捲道で三社峠に立ち寄って、帰路は尾根に乗って410mピークに復帰しようと思っただけである。しかし、捲道は思いの外痩せていて、用心しながら進む。西丹沢でロープに宙ぶらりんになって以来、私はトラバース道への猜疑心が消えなくなってしまったから、もう読図の余裕も無くなってしまった。

山肌の道が徐々に左にカーブして、谷間へと降りていく。410mピークから三社峠へと延びる尾根を見上げながら、其の窪んだ溝に沿っていった。程無く見覚えのある三社峠に到着した。kz氏は此れが初めての訪問なので、わざわざ迂回してやってきた甲斐がある。何の変哲も無い鞍部だが、妙に落ち着いた雰囲気のある三社峠で、暫く休憩した。

本来の尾根に戻ってから、改めて410mピークを越えて、ふたたび下り、いよいよ鬱蒼とした鞍部に踏み入れた。此処から地形図の上に標高が記されている、418mピークへと登る。410とか418などと云っていると、何の起伏もないように思うが、其れを登りきってみると、西北の空が明るく開けている。徐々に山の奥へと進んでいるのだ。そう思った途端、遠くに電車が走る音が聞こえてくる。其れで現在地が、未だ西吾野駅から程近いことを思い知る。

道はいよいよ明瞭で、周囲は間伐で更に開放感を醸し出す森の中、と謂った雰囲気になった。西武鉄道と併行して連なる尾根の上を歩いている。徐々に標高を上げながら進んでいる筈なのに、駅から殆ど離れていないと謂うのが、不思議な遠近感のように思えた。連綿と続いていた、なだらかな尾根の道は、徐々に側面に逸れていく気配を見せてきて、唐突な感じで広場のようなものが現われた。其処へ押し出されるように降り立つと、ベンチと道標が前方に見えた。

西吾野駅の周縁を巡る、小さな尾根歩きは、此処で漸く終わったようであった。空は相変わらず不明瞭に曇っている。登山道の入口に人影は無かった。其の静けさが、却って不自然なような、そんな気がした。

伊豆ヶ岳東尾根を行く

2013/2/16

西吾野駅(8:30)---森坂峠---下久通---琴平神社---542mピーク---670mピーク---伊豆ヶ岳---五輪山---598mピーク---501mピーク---426mピーク------西吾野駅(17:20)

Ize04

青空を背景に端整な本陣山がぽっかりと佇んでいる。閑静な西吾野駅から坂を下って、国道299号に出ると、猛烈な勢いで大型トラックが驀進しているから、折角の山村風景の長閑さが台無しになってしまう。私はkz氏とともに、恐る恐る国道を横断して、吾野方面に戻る形で南下して歩いていた。程無く右手に現われた立派な橋が、本陣山からの鞍部である森坂峠へと入っていく道に続く筈である。

今日の目的地は、奥武蔵では人気随一の伊豆ヶ岳である。しかし、kz氏と歩く伊豆ヶ岳なので、常人の行くコースでは無い。とりあえず、森坂峠を越えて、下久通(しもくずう)と謂う集落に達し、昭文社登山地図には無い尾根を伝って歩いて行く。一直線に東西を結ぶかのような最短ルートの尾根は、伊豆ヶ岳東尾根と呼ばれているようである。

橋を渡った先は頑強なゲートで閉じられていて、其の端から歩行者は進入できる。日陰になったら、道は雪で真っ白になった。人工的に伐り拓かれた処を、湿った雪を踏みしめながら歩く。私のザックに括られた熊鈴が、心細い感じで鳴り響いている。kz氏は饒舌で、最近の山歩きで遭遇したアクシデントに就いて、私に語って呉れる。独りで山に入るのが怖くなったと云うkz氏に、禍独り行かず、悪いことは重なると云う言葉が二重写しになった。山の災禍と云えば熊に遭遇することが真っ先に浮かんで来るので、気休めに熊鈴をぶら下げることにしたのである。

Ize01

緩やかに別れていく谷を見送り、道を辿っていくと、アクリル板に書かれた珍しい指標があって、本陣山、森坂峠、イモリ山、と記されていた。杣道は続いているようだが、其の指標の矢印に従って、右手の谷筋に進路を変えた。植林の立ち並ぶ、陽の当たらない峠への道は、苔蒸した、大きな岩が散在していた。程無く稜線からの明るさが見えて、ひと登りで鞍部に立った。冷たい強風が吹きすさぶ森坂峠に、先程と同じアクリルの指標を見て、我々は直ぐに立ち去った。静かな沢に沿って下り続けて、下久通の集落に降りた。

舗装路を歩いて民家が賑わう処迄下って、西に進路を変えると、右手に里山が穏やかに連なっている。冷たい空気と、陽光の暖かさが心地よい。程無くして、琴平神社と思しき鳥居が、小高い山腹に鎮座しているのが見えた。民家の傍の石段を登っていくと、西吾野駅から眺めた、平板な絵のような山容が、今度は逆光のシルエットになって、たった今越えて来た本陣山の連なりが見渡せた。

踵を返して鳥居をくぐり、急傾斜の石段を登ると、小さい社が在る。其処からさらに山腹を登り、琴平神社の小振りな本殿が現われた。山禍に遭わぬよう祈念してから、其処から伸びている尾根の道を、北西へと進んでいった。木漏れ陽の射す明るい尾根の道は、充分に歩かれている様子で、明瞭なものだった。地形図を確認しながら、順調に高度を上げていくと、伊豆ヶ岳東尾根の主山稜とでも云うべき尾根に合流し、最初のピークである、標高410m地点に達した。尾根の上は、相変わらず冷たい風が吹いていた。

其処からは、諄々と続く尾根に沿って、道が続いている。北面から、次々と緩やかな尾根が合流してきた。急登の先に立つと、花桐方面から、山林業務の機械音が、薄っすらと聞こえてくる。いにしえの地図で、此の付近に峠道が交差すると記録されているものを、事前にkz氏から見せて貰っていた。其の峠には、登リット、と謂う名が記されていたので、前回訪れたノボットへの親近感から、此の峠を確認したいと考えていた。しかし、鞍部に掛かっても、峠道を見つけることはできなかった。

Inisie

琴平神社から歩き始めて、漸く地形図に標高が記されてある542mに達して休憩した。暫く緩やかな尾根に変わったが、突き当たってふたたび急登になる。其れを登りきったら、眺望が開けてきた。至る所の地面に雪が残っていた。自然林が疎らに立つ尾根の道は風が強く、自分の顔が強張っていくのが感じられた。670mピークに立つと、伊豆ヶ岳と古御岳の姿を確認できる迄になった。右手に広がる奥武蔵の山々を見渡せる稜線になったが、北面は雪で真っ白になっている。標高700m迄上がる傾斜になったら、辺り一面が積雪で覆われていて、完全に雪山の様相に転じた。

標高700mで、伊豆ヶ岳から直截伸びる尾根が南下していくのと、直角にぶつかって合流した。進路は真北に変わり、極めて痩せた尾根が、徐々に伊豆ヶ岳に吸い込まれるかのように、北西にカーブしていく。痩せ尾根に積もった雪を踏みしめながら、慎重に歩いていく。右手に、西武鉄道を挟んだ対面の山々の、眺望が広がった。対する古御岳側の深い谷は、穏やかな色彩で木々に覆われていた。

痩せ尾根が終わり、ふたたび急登に掛かると、雪は深くなった。其れは粉のように軽く、時折風に舞って雪煙を起こした。登り詰めたら、其処は等高線が閉じている770m地点で、伊豆ヶ岳は直ぐ其処である。暫く歩き突き当たると、目の前に、大きな壁が立ち塞がったかの如く、周囲が薄暗くなった。

Ize03

kz氏が、此処でアイゼンを装着すると云うので、私も其れに倣った。大きな壁は伊豆ヶ岳の直下である山腹で、樹林で遮られているから頂上は窺えないが、急激な傾斜である。左に、トラバースしていく道が薄っすらと伸びていた。古御岳との鞍部に至る捲き道であろうと察せられる。我々は眼を見合わせたが、自然に、此の斜面を直登すると謂うことに決まった。アイゼンを穿いた後の道理となる決断であった。

先頭になって登る私は、其の余りの傾斜に耐え切れず、無意識に足を左右に大きく踏み込んでいた。私は次第に斜面を左へと逸れていくようにして登っていた。

「其れじゃ直登にならないよ」背後から、冷ややかな声でkz氏が云った。

私は我に返り、周囲を見渡した。私は何時の間にか、くだんのトラバース道の方向に、斜面をトラバースしていたのだった。面映さに駆られながら、私は直登していた位置に引き返した。枯れ枝に気づかず、顔に突き刺さって驚き、思わずのけ反って、其の儘倒れそうになった。此の儘登れるのだろうか。私は枯木の幹を懸命に掴みながら、雪の重さと、傾斜による重力に抗って、牛歩のような速度で登り続けた。背後のkz氏が、厳しい視線を私に投げかけている、と謂う想像をしながら登っていたのだが、聞こえてきたのは、ひゃあ怖い、とか、此れは急だよ、などと謂う素っ頓狂な独り言だった。却って私は、ますます訳の分からない恐怖感を、全身に感じていた。

急登を終えると、ふたたび痩せ尾根が渡っていて、直ぐにまた壁に突き当たった。陽当たりの良い斜面に雪は殆ど無かった。倒木や突き出た岩に阻まれながら、急傾斜を登っていく。そうして、とうとう岩壁の聳える箇所に突き当たった。最早此れ迄なのかと思ったら、視界の端にトラロープが垂れ下がっているのに気づいた。

ロープは随分前から設置されていた模様で、所々に磨り減っている箇所があるように思えた。岩に摑まり、補助的にロープを使うと謂うことは不可能だった。片手でロープを、もう片方で岩を掴み、足を一歩ずつ岩に掛けていく。ひとつの岩壁をこなすと、左に移動して、もうひとつのロープに摑まる。やっとのことで岩壁の上に辿り着いた。

其の先は、巨岩が折り重なって構成された山肌に、微かな踏み跡が空に向かって伸びていた。空から、人々の陽気な喋り声が聞こえてきた。頂上が、直ぐ其処にあるのだと判った。私は、伊豆ヶ岳の壁に凭れて、地面に座り込んだ。眼の前に、正丸峠から、奥武蔵を巡る連嶺へと、山々が広がっている。青空が、果てしなく広い。忽然とした儘、私はkz氏が登ってくるのを待った。

我々は伊豆ヶ岳に登頂した。山頂は一面の雪だった。奥武蔵、そして秩父方面の風景まで、全方位を見渡せる絶景であった。やりました、伊豆ヶ岳を直登しました、と謂う言葉が思わず口に出た。やった、すげえ……kz氏が、何度もすげえと叫んだ。登頂への過程が、登頂の興奮を生み出すと謂う、分かっていた筈のことを、私は、改めて体感したような、そんな気がした。


Ize02

付記

伊豆ヶ岳東尾根としか題せない儘記録を終わる。伊豆ヶ岳を五輪山経由で下山するが、一般ルートが尾根から降りる標高650m付近から、道迷い多発の看板のある尾根を直進した。花桐集落の北面に連なる伊豆ヶ岳の、此れも東尾根と云うべきルートである。いにしえの地図では、途上に「ムジナ峠」と記されていたが、何処が其の場所かは分からず仕舞だった。尾根は次第にいくつもの尾根を派生させながら、標高を下げていくのだが、地形図で現在地を確認しながら、慎重に下った。標高598mで、とうとう尾根を間違えたが、直ぐに気づいて事なきを得た。598から先、標高550mで等高線が閉じられた長い山域は、地形図から窺えるイメージとは違って、奇岩が林立する登り下りを繰り返した。岩山其れ自体が趣深い佇まいで、時折眺望もある好ルートだった。其の後尾根は複雑に分岐して、予断を許せない儘、南川地区の集落を窺う処迄下りて行った。最後は明確な踏み跡も消えて、強引に樹林帯を下降した。

別記

2013/2/24

西吾野駅(9:00)---間野---萩ノ平茶屋跡---不動茶屋---関八州見晴台---高山不動---三社峠---西吾野駅(15:00)

2013/3/17

正丸駅(9:00)---伊豆ヶ岳---長岩峠---正丸峠---正丸駅(14:00)

2013/3/20

梁川駅(9:30)---月尾根沢---立野峠---倉岳山---穴路峠---天神山---高畑山---石仏地蔵---イトヒバ---鳥沢駅(16:00)

2013/4/4

沢井駅(14:30)---惣岳山---馬仏山---岩茸石山---常福院---軍畑駅(18:40)

周助山・ノボット(後編)

2013/1/20

原市場中バス停(8:00)---周助山---ノボット---404mピーク---戸丸---中藤---飛村---前坂---吾野駅(15:00)

Nb

片仮名の奇妙な山名であるノボットを目指して歩いているが、国土地理院製地形図では、其の435.8mピークに周助山の記載が有る。官製の地図に対して盲従してしまいがちになるが、周助山は383m圏峰の名である。原市場から無理矢理攀じ登り尾根に乗った。其処から、関東ふれあいの道に編入してあげたい程の、諄々と続く明瞭な道を歩き、ひとつのピークを越えると、やがて急登になった。其れを登り詰めて、最初の目的地に到達した。

383mの頂上には、立派な山名板が立っていた。此処が周助山であると謂うことが明確に確認できる。何故此のような誤りが是正されないのかと、kz氏に尋ねてみる。

「誰かが国土地理院に指摘したんだけど、受け入れて貰えなかった、みたいな話を何処かで読んだけどなあ」

「官僚的な態度と謂う訳ですね」

眺望の無い周助山を早々に立ち去る。此処からはピークの合間を緩やかに歩く道が続く。植林の山に、天然の雑木が入り混じるようになった。陽射しは眩いばかりで、軽快に歩く。途中の410mピークに突き当たると、道は右に捲くような形になった。倉掛峠の方向に派生する尾根が見え始めると、雪が残る北面の陽陰になった。分岐点に乗り上げたら、ふたたび明るい雑木林の平地で、木の枝に赤いテープが巻いてあるのが見えた。風に棚引く赤いテープには、乱雑な字で、「倉掛峠へ」と書いてあった。主稜の方向に歩くと、同じようなテープが括りつけてあり、其処には「ノポットへ」とあった。ノボットなのかノポットなのか、また新たに謎を掛けられたような気分だが、片仮名では要領を得ない。何かの口語が山の名前になったのだろうと推し量るしか無い。

Nb1_2

ノボットを取り巻く400m圏の中を、さらに進んで行く。直ぐに現われる鞍部には、妻沢と中藤の集落を結ぶ道が交差する峠が在る筈である。其の道は官製地図に記してある。しかし、相変わらずの雑木林の中に続く道が、痩せた尾根になり、鞍部を過ぎて登りに掛かっても、其れらしき道筋は現われなかった。其の儘登り続けたら、呆気なく頂上に達した。周助山と同じ体裁の山名板には「登戸」と記してあった。

登る戸、と謂う風に、修飾して意味を捉え、何処かへ向かう登り口の様なものだろうか、などと考えてみる。此れから下山する北面の集落は戸丸と謂う地名で、何か関係が有りそうな気もする。丸は山頂に名付けられることの多い接尾語的なもの、と謂う生半可な知識が有るから、山頂が戸丸で、登り口の集落が登戸の方が納得できるような気もする。或いは、ノボットと謂う口語から、いつしか当て字になって登戸になったのかもしれない。

そんな思惟に耽っているが、ノボットの頂には強風が吹き荒れている。私は此処迄の穏やかな道を思い浮かべ、一転して強風の通る場所に在るノボットの異質性を感じた。木々の梢の、ざわめく音も不穏で、我々は目的地に着いた安寧の気分になれず、早々に山頂を後にした。

ふたたび鞍部へと下る道は、木立が迫ってきて徐々に狭まっていった。鬱蒼とした鞍部を越えて、ひと登りで404mのピークに立った。暖かい陽当たりを求めて、少し戻った地点で荷を降ろし、昼食を摂った。原市場から尾根に乗って、誰にも出会っていなかったが、漸くトレイル・ランニングの男性が独り、通り過ぎて行った。眺望が望めないノボットの山稜に、好んでやってくるハイカーは居ないようであった。

Nb2

南面に伸びる尾根を見送り、其の儘西北の方向に下って行く。此の儘直進してピークを越えると、中沢集落と仁田山峠を結ぶ林道に達するが、我々は其の手前の鞍部から北面の道を行く予定である。官製地形図には、妻沢川側と、前述の戸丸を繋ぐ道が記されている。しかし、ノボットの手前に在る筈の道が見当たらなかった事実から、我々は前途に対する予断を許せない。

悪い予感は杞憂に終わり、目的の鞍部には、眼前に在るピークの腹を左右に捲くようにして、双方から踏跡が辿って、合流してきていた。其れは、ハイキングで人間が踏み入れるには、何とも心細い踏跡で、作業道が朽ち果てたような様相ではあった。北東に右折して、樹林帯のトラバース道に進入する。地形図のルートは、其の儘北東に伸びる尾根に乗って下降し、途中で西へと、谷筋に沿ってトラバースしていく、と謂うように記されていた。程無く、其の尾根が分岐するところに行き当たり、少し逡巡しながらも、背後に続くkz氏に背中を押されて、恐る恐る進んだ。

すっかり陽の当たらなくなった尾根の上は、やがて枯木が縦横に立ち塞がり、植物が繫茂してくるようになった。漸く、kz氏が喜びそうな、無名の尾根歩きが始まったようであるが、谷筋に分かれる踏跡は、全く見つからない。心の中で、徐々に黄色い信号が点滅してくのを感じる。左に降りる道は無いかと、kz氏もやや狼狽気味に声を掛けてきた。

Nb4

余りにも尾根を進んでしまったので、谷筋への道を探しながら引き返すことになった。そして、尾根の分岐点迄戻ってきてしまった。地形図の破線の形状を無視して、其の儘トラバース道を辿っていく。やがて、次に派生する尾根が木々の合間に見えてきたが、私は直ぐには気づかなかった。kz氏が、此の尾根を下ろうと云った。戸丸へ降りる本来の尾根である。私は、もし独りだったら、此の尾根を見過ごしたかもしれないと思った。

序盤は尾根の東側の斜面を、難渋しながら歩いた。倒木が縦横無尽に横たわり、枯木や草が埋もれている。一歩、そしてまた一歩の足先に神経を遣うので、冷静になって状況を把握することが出来ない。やがて、行く手にひとすじの踏跡のようなラインが現われたように感じた。

「此れが、地形図の登山道でしょうか」

「んー。けもの道かもしれんけど、峠道かもしれん…」

泰然とした感じで、古老のように呟くkz氏の声に、私は安堵した。

戸丸方面に派生する尾根に乗る迄、かなりの時間が経ったような気がした。等高線の、360m地点で、漸く尾根に乗った。此れでひと安心と云いたいところだが、傾斜は急で、先頭を歩く私は、随所で足を滑らせて、転倒しそうになる。バリエーションルートを下る時は、横歩きみたいにして、靴のエッジを利かせるんだよと、kz氏がアドバイスを呉れる。重力に負けてずり落ちないように、次から次へと、木の幹に抱きつきながら、急勾配を下って行った。

薄暗い、左右に広がる谷が浅くなり、遠くの山なみが望めるようになった頃、左手に沢が流れる様子が窺えた。もうすぐ終わるね、と、kz氏が云った途端、尾根は急激に落ちていくように、傾斜の度を増してきた。体がふらつくと、傍らの倒木に手を掛ける。四つん這いになった方が楽なのではないか、とさえ思った。其の急勾配を終えたら、沢を直ぐ下に見る処迄降りて来ていた。右側の谷も合流して、其れを渡渉し、登り返したら、いつの間にか、崖の淵の上に立っていた。

振り返ると、何処へ行くんだ、と云うような顔をして、kz氏が手を振っている。どうやら盲目的に直進して、支流を渡渉してしまったようだった。kz氏の後から、本流に掛かる堰堤を越えていく。そして漸く、舗装路が横切る戸丸に降り立った。集落と云うよりも、山間に点在する民家が数軒在るだけの場所で、峠越えの道が目指すには、少し寂しすぎるのではないか、そんな気がした。

Nb3

中沢の清流に併行して、中藤迄県道を歩いた。中藤からも飯能駅に行くバス路線があるのだが、本数が極端に少ない。其の後は、前坂を越えて吾野駅迄歩いた。途中、多少の紆余曲折はあったのだが、無事に西武電車に乗って、所沢迄戻ってから、祝杯を上げた。ノボットとは何ぞや。そんな話にはならず、一献の席で気炎を上げる私は、年明けの災厄をkz氏に愚痴愚痴と喋っていたような、曖昧な記憶だけが、微かに残っている。

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