南アルプス

鳳凰三山・初めての南アルプス(後編)

2012/9/2

鳳凰小屋(5:00)---地蔵仏---賽の河原---赤抜沢ノ頭---観音岳---薬師岳---御座石---青木鉱泉(14:00)

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樹林帯を抜けて、霧に覆われた砂礫の斜面を喘ぎながら登り続けた。苦労の末に登り詰めて、鳳凰三山の美しい白砂の稜線を歩けば、登山の喜びを実感できるであろう。其の観点からみても、鳳凰三山への登山は、すべからく青木鉱泉から周回すべきである、と、或るガイドブックには書いてあった。此の霧のこうに、其の光景が在る筈なのだろう。最早天空の散歩の夢は断たれたも同然なのであるが、私は、あまりの急登の苦しみに、其れ程荒天に対する落胆を、感じないでいた。

地を這うような植物と砂と石が続く。此れが這松と謂うものかと、密かに感嘆する。標高2700メートルと謂えば、ついひと月前に登った、宝永山の荒涼とした光景が思い浮かぶ。吹き晒しの砂礫の斜面で、奥多摩や丹沢をしみじみと歩いてきた山歩きの感覚が、無慈悲に剥ぎ取られていくようだった。

登り詰めた処は巨大な岩が折り重なっていて、其れに隠れるようにして地蔵の石仏が奉られている。地蔵岳の尖塔、オベリスクへは、此処から岩を攀じ登っていくのだ。風が吹きすさぶ霧の中に、其れでも多くのハイカーが集まっていた。大きく膨らんだクレッタルムーセンのザックを置いて、空身でオベリスクを目指す。しかし、Mを見ると、大きいザックを背負った儘なので、ザックをデポしないのか、と訊いたら、別に構わないので背負っていくと云う。

ザックを置きっぱなしにして、盗まれたりしないのか、と謂う疑念は、私にも無いわけではないが、常識的に考えると杞憂である場合が殆どのようである。大荷物を背負うのも慣れたので此の儘でいいと云うMは、ザックをデポしない理由を表現しないが、私は盗られることを恐れているのだろうと思った。そんなこと無いから置いていけよ、と云いたくなるが、面倒なので敢えて云わない。

岩場の途中迄来て、いよいよ尖塔を見上げる処に着いた。いよいよオベリスクを攀じ登る。どうやらMは其処から登るつもりが無いようであったから、私は構わず巨岩に張り付いて、慎重に登り始めた。両手両脚の三点を確実に固定して、ゆっくりと進む。オベリスクの根幹である岩の麓に着いたら、他には単独の壮年男性ハイカーがひとりだけ居て、此処からどうやって行けるのだろうか、などと会話した。オベリスクは霧に濡れて磨いたように輝き、そそり立っていて、足を掛けるポイントは窺えない。実際は何処かに在るのだろうが、垂直にさえ見える尖塔に攀じ登ると謂う気持ちにはなれなかった。

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後日知ったことだが、此のオベリスクの頂に初めて立ったのは、あの、日本アルプスを世界に紹介したと謂うイギリス人宣教師、ウォルター・ウェストン其の人だそうだ。

しかし、この登攀は他の助けがなければ不可能である。わが同行者は、岩棚の上で足場を確保できるように、私の足の下にピッケルを押さえ込むことだけはしてくれたが、それ以上の手助けは拒否した。しかし、この助けで、私は二つの岩が接触している最高地点にあるクランクのトップに、長さ約二五メートルの軽登山ロープの先にしっかりと結びつけた石を投げた。何度やってもその石は届かず、背中や肩の上に戻ってくる。(中略)気落ちしながらも、三十分ほど何度も繰り返していたら、とうとう、幸いにもうまく届いた。

ウォルター・ウェストン『日本アルプス再訪』(平凡社ライブラリー刊)より抜粋。


信仰の山である鳳凰山に、あの弘法大師さえも挫折した。いわんや気弱で優柔不断な不浄の徒は、くれぐれも登ってはいけない。そんな伝説を頑なに信じて、ウェストンの登山に帯同した強力たちは手助けを拒否したものと思われる。ウェストンはロープを引っ掛けることに成功してから、凡そ一時間の間格闘して、頂上に立ったのだと謂う。

そんな逸話を知らずに、私は聳えるオベリスクを見上げていた。くだんの壮年氏は、岩の裏側に足場を探すために姿を消した。私は勿論、満足して引き返すことにしたのは云う迄も無い。途上で、三人の男性諸氏が登ってきた。様子を訊かれて話したら、無理は禁物、此の辺で満足することにしよう、と仲間内で協議していた。そうして、私は彼等の記念写真の撮影に協力した。

岩場の麓で待つMの処迄戻ってきた。私は満ち足りた気持ちで、ザックを置いた処に下りていった。当たり前だが、クレッタルムーセンは無事に回収した。南に進路を取り、少し歩いたら、荒涼とした稜線の途上に地蔵が夥しく並んだ広場があり、オベリスクと赤抜沢ノ頭の間にあるコルと云える地点だ。其処が賽の河原であった。此れ等の地蔵は子授け地蔵と称され、借用して下山し、枕元に置いておくと子宝に恵まれるという言い伝えがあって、成就の御礼は二体のお地蔵様を奉ったのだと云う。実際に其れは実行されていたからこそ、此の石仏があるのだろうが、厳しい苦行であることは間違いない。人間の想念と謂うか情念に、寂寞とした賽の河原の光景が二重写しになるような気がして、私は少し戦慄を覚えた。

Sainogawara

暫く其処に留まっていると、先程オベリスクの根元で会話した壮年男性が追いついてきた。首尾を訊いたら、オベリスクの岩を一周して諦めた、と云った。彼の背中を見送っていたら、風と共にいよいよ霧雨が激しく打ちつけるような状況になった。我々は俯きながら、鳳凰三山の稜線を歩き始めた。赤抜沢ノ頭を越えて、観音岳迄の道程は、小ピークや其れに準ずるような尾根の隆起した部分のアップダウンが続き、のどかな稜線歩きと謂うイメージとは掛け離れていた。厳しい風雪に耐えている這松が、さまざまな形に屈曲して、根を這わせていた。

鳳凰三山の最高地点である観音岳は、岩が重なり合って隆起したような山頂だった。雨粒が止み、その間隙を衝いて我々は風を除ける岩の陰で食事を済ませた。息つく暇もなく歩き続けて、未だ午前中だが、空腹は激しかったからである。山名標の在る処よりも、最高点が岩の上にあるようなので、山頂を踏むかとMに訊くが、もういいだろう、と頭を振った。私も疲労に抗えず、其の儘出発することにした。

Haimatsu

観音岳から薬師岳への稜線は、霧の中に岩が不断に屹立する道だった。北岳、間ノ岳、農鳥岳のパノラマ。そして振り返れば仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳。全ては霧の彼方に聳えているのだろう。私は漸く、此の絶望的な現実に、全身の力が萎んでいくような気持ちになった。幻となった天空の散歩の途上で、ふたたび雨が激しくなってきた。冷たさが、身体の隅々に迄染み込んでいくような、そんな雨だった。

文字通り、諸行無常の境地になった儘、いつしか最後の薬師岳に到達して、我々は弱々しく握手を交わした。無人の山頂に、其れでも暫く佇んでいたら、単独の男性が追いついて登頂した。記念写真のシャッターを押して貰い、言葉を交わす。えらい目に遭いましたねえと、関西弁の彼は笑顔で云った。其れで私も我に返り、なんだか可笑しくなってきた。山は逃げない、そんな常套句が浮かぶ。何はともあれ、私は南アルプスに来たのだ、と謂う実感が込み上げてきた。

さあ下山だ、と、Mも何時の間にか元気になっている声で云う。既に心は青木鉱泉の湯船に向かっているようだった。我々は、白い砂と霧の道を、中道方面に足を向けた。そしてもう一度、振り返ってみた。薬師岳の山頂は、さらに霧が増してきたようで、もう本当に何も無いんだからと、山の神様に云われているような、そんな無の世界を表出しているのだった。

補記

オベリスク初登頂がウェストンであるという歴史を、「悠遊趣味」さんから教わりました。鳳凰三山の名前の由来に就いても研究中。オベリスクが本来の鳳凰山で(其れはウェストンの著作でも表現されている)、地蔵岳とは赤抜沢ノ頭のことではないか、という仮説です。いずれ「山名由来」のページに纏められると思います。ご興味のあるかたは是非御覧ください。

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鳳凰三山・初めての南アルプス(中編)

2012/9/1

青木鉱泉(10:40)---南精進滝---五色滝---鳳凰小屋(16:20)

Hououkoya1

南精進滝の濠音から離れて、いよいよ標高を稼ぐように急登が始まった。鉛色の空と、白く煙った燕頭山の稜線を仰ぎ見ながら、鬱蒼とした森の中の登山道を歩く。其れは突き出た岩や、湿った木の根を喘ぎながら登る傾斜だった。賑やかだった、つい先程迄が幻だったかのように、人の気配は無くなってしまった。

何処迄も続くかのような尾根を登り続けて、漸く緩やかになって、白糸の滝を示す道標に辿り着いた。想定通りの苦行とも云える登りで、小休止を出来ること自体が、ありがたいと思えるほど疲労した。滝は尾根から逸れて少し崖地に下って行かなければならないので、私は億劫になり、見物する意欲が無かったのだが、意外なことに、Mは其れが当然と云わんばかりに、滝見物に向かって行った。途中迄後を追ったが、霧の濃さは増してきているし、存外に距離がありそうなので、私は諦めて引き返した。

相変わらずの急登が続く。途中、見事に崩落した箇所があり、道は其れを大きく迂回するようにして、逆戻りするかのように旋回して辿った。大きいザックの負荷よりも、重心がふらつきそうになるのが怖いと謂う気がした。五色ノ滝へと分かれる平坦地で、すっかり疲れ切ってしまった。私は、此処で幕営しても快適に過ごせるのではないか、などとMにお伺いを立てるように提案した。しかし、予定外の行動を嫌う彼の思惟は承知していたので、水場が無いから駄目と謂う、其の否定的な返事には落胆しなかった。

Goshikitaki

御座石鉱泉からの稜線が目に見えて近づいて来た。山肌に沿うような、緩やかな道が続き、私は漸く気を取り直して、もう遠くは無い今日の道程を感じて歩いていた。風も無く音も無い、不気味な静寂が訪れた。樹林が疎らになって、岩場が現われ、ドンドコ沢にふたたび合流した。昭文社登山地図に記されている、水場が在るポイントのようであった。此処で、意外なことに、数人の若者たちが下山してくるのと出合った。時刻はもう16時になろうとしているので、青木鉱泉に下りるのは、かなりの強行軍のように思われた。私は其のひとりに、水場と謂うのはこのあたりですか、と訊ねた。内気そうな青年は、わからないけれど、小屋はもう近いです、と云った。私は未だ、小屋迄行かなくても水場が在れば挫折して幕営と謂う案に、Mも承知してくれるのではないかと、淡い願望を抱いていたのだ。

彼等数人のひとりが、あと一時間くらいですか、とMに訊ねた。Mは憮然として、早くても三時間、と答えた。青木鉱泉迄のコースタイムも把握しないで下りようとしている若者の行為に、憤りを感じているようであった。私は、若いのだから無茶なこともするだろうと、殆ど関心を持たない。其れよりも、あわよくば此の辺りで、テントを張れるような場所は無いものかと、辺りを見回していた。水場は、頼りない量だが、水溜りのような感じで其処かしこに点在していた。私は、ふたたびMに提案を試みた。しかし、こんな場所に幕営しても、雨になったら増水してしまう、と、断定的に却下された。此処は沢の詰めた場所だから、其れは道理でもあった。私は観念して、程近い鳳凰小屋に向かって、Mの後を惰性で歩き続けた。今から思うと、私の二度に渡る提案は、まるで近未来の危機を予知していたかのようであった。

Siraitogoshiki

岩場から逸れて樹林帯に踏み込み、細い道を辿って登りきったら、色とりどりの花が咲いていた。賑やかな声が行き交う、鳳凰小屋に到着したのであった。其の喧騒に戸惑いながら、小屋の前に近づいていく。谷に面した、テラスのようになっているベンチとテーブルが並ぶ場所では、大勢のグループが占拠していた。既に私は、こんな場所に来たことを後悔していたのだが、仕様が無いので、精悍な顔つきの、小家主然としたおじさんに、テントを張りたいのですが、と伝えた。返ってきた答えは予想できない言葉だった。彼は、もう駄目、一杯だよ、と云った。

私とおじさんのやりとりを聞いていた、地蔵岳方面から到着したばかりと思しき、若い女性のグループが、愕然として、どうしようと、仲間と相談し合っている。小屋の前は、騒然とした雰囲気になった。とりあえずテント場を見て、張れるスペースを探してみてはどうか、と、小屋のおじさんが云う。しかし、私とMは顔を見合わせた。思ったことは同じで、引き返して何処かに幕営しようと謂うことだった。小屋のおじさんは、他の客の対応に忙しそうなので、我々は静々と来た道を下りて行こうとした。しかし、やや遅れて、くだんのおじさんが追いかけてきて、勝手な場所に張るのは許さない、と我々を叱責した。

彼と対峙しながら、我々は啞然として立ち尽くした。漸くMが、混んでいるのだから青木鉱泉迄下りる、と云った。其れは嘘だろうと謂う断定で(実際其れは嘘なのだが)、小屋の住人は自然保護の観点で指定地以外の幕営は許さない、と謂うようなことを激しい口調で云った。Mは憤激し、相手を睨んだ儘、じゃあどうすればいいんだ、と謂うようなことを云った。どうにも詰まらないことになってしまったものである。

ぎゅうぎゅう詰めとはまさにこんな状態である。我々は縦横乱れて張られたテントの住人に、隙間ができるように移動して貰い、漸く設営することができた。先達に移動するように指導してくれたのは、くだんの小屋のおじさんだった。限られたテントサイトに張るためには其れ以外に方法は無いのだから、最初からそうして呉れればよかったのに、と思った。何故彼が激高したのか、私には理解できなかったので、想像してみた。遅い時間に到着した癖に、恐縮する態度を示さないでテントを張りたい、と云う私の立ち居振舞いが癇に障って、もう一杯だ、などと云ったのだろうか。そうでも云えば、恐縮して、なんとか張らせてくださいと、懇願するだろうと踏んで、そのような態度をとったのだろうか。

憮然として機嫌が直らないMを、暫く放って置くために、私は周辺を散歩した。小屋前の水場に寄ったら、テラスに陣取る大勢のグループは、既に飲み会の様相を呈して盛り上がっていた。薄暮の山峡に霧が立ち込めてきた。私は、今日歩き続けた登山の疲れに、云い様の無い虚しさを感じていた。

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鳳凰三山・初めての南アルプス(前編)

2012/9/1

青木鉱泉(10:40)---南精進滝---五色滝---鳳凰小屋(16:20)

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何処か遠くに行きたい、と謂う漠然とした願望を思慮して、行き着く処が山の中になってしまって久しい。其れでも、装備を万全にして、高山を縦走すると謂うような、計画的、或いは予定調和的なレジャーとしての登山をしようとは思っていなかった。日本アルプスの絶景には憧れるが、誰もが目指す処にバスに揺られて、誰もが写真を撮っているような有名な山頂を目指すと謂う行為が、テレビで有名になった店に行列する輩と同じ程度に堕してしまうと謂う気がして、なんとも気恥ずかしいことのように思えた。自意識過剰はもとより、根本的に鬱屈した性質なのだと、自分で自分のことを思う。南アルプスに行こうと決めてから、私は浮き足立って、そのことばかりを考えて数週間を過ごした。毎日夢想して、私は出発の日が待ち遠しかった。

地蔵岳、観音岳、薬師岳の総称である鳳凰三山に登ることになった動機は、友人Mのかねてからの希望だったことに加え、私がテント泊の登山に執心し始めたことが後押しになった恰好だ。多くの登山者は、南アルプス市側の夜叉神から出発するようだが、我々は韮崎市側の青木鉱泉から登る。此れもMがずっと前から主張してきたことで、其の理由として、山間の鄙びた鉱泉の宿に憧憬を感じており、行きでも帰りでもよいから宿泊して、湯上りの麦酒を飲みたい、と謂うような願望があるようだった。どんな望みを持とうと勝手だが、私はテントを張りながら、此迄であれば到底踏み入ることのできなかった、南アルプスの行程を歩くだけでよい。わざわざ温泉宿に金を払って泊まるつもりは毛頭無かったから、其れでもいいなら行くと、冷たいようだが実直に伝えたら、其れでもよい、とMも納得したから、我々は晴れて韮崎駅発青木鉱泉行きマイクロバスの車中の人となった。

名にし負う南アルプスの入門篇、鳳凰三山の登山口に行く土曜日のバスだから、どんな混雑が待っているかと覚悟していたのだが、マイクロバスの客は十数人で、私は全く拍子抜けしてしまった。甲州街道から山深い林道に入り、激しいバウンドを繰り返しながら、バスは淡々と走り続ける。此のバスは、乗客全員が青木鉱泉に行くことが判然としたので、途中、御座石温泉に立ち寄るのを省略し、予定より15分程早く到着した。青木鉱泉の敷地内駐車場に、夥しい数のマイカーが並んでいたから、私はやや認識を改めた。鳳凰三山の人気は、やはり疑いようが無かった。

古びた木造の、立派な青木鉱泉宿の広場で身なりを整え、地蔵岳の指標の立つ登山道に入った。小武川渓谷の広大な河川敷に沿って、堰提の工事だろうか、重機の音が五月蝿い道を歩く。途中、工事現場の都合で川を渡り、堰にぶつかると、ふたたび西側の山腹に戻り、緩やかに登る山道に入った。御座石温泉口から登る、燕頭山に連なる尾根から、幾多の支尾根が小武川渓谷に落ちて山稜を構成している。我々は燕頭山と御所山の山稜の谷間を流れる、ドンドコ沢に沿って行くルートを歩いている。遠くの頂は白い雲に覆われているが、渓谷の河川敷は、陽射しが河原に照りつけて眩しく、そして暑かった。

ドンドコ沢は、地蔵岳と燕頭山の鞍部から流れており、目指すのは其処にある鳳凰小屋である。韮崎駅に到着できる時刻の関係で登り始めが遅いから、小屋迄のコースタイム五時間半を気にしながら、大きなザックを担いで歩き続けた。テント装備で登るのも今回で三回目だが、私のパッキングが改善されてきたのか、其れとも重さ自体に慣れてきたのか、今日はすこぶる背負い心地が良いような気がする。

クレッタルムーセンHuginは、薄くて軽い材質のものなので、雨天好天に係わらず、常にレインカバーを装着している。カバーを付けていれば、休憩でザックを道の側に転がしても汚れる心配が無いし、交通機関で移動していても、ともすれば山中よりも格段に不衛生な地面にザックを置いても心の負担が少ない。そんな私のスタイルに感化されたのか、Mも今回から自慢のホグロフス製ザックに、誂えるように同社製のレインカバーを装着して登っている。其れは恐らく、百リットルくらいのものまで装着できる大きさのもののようで、後ろから彼が歩いている様を見ると、ザックが大きく膨らんで、背負っている人間の姿が殆ど隠れてしまう程だから、まるで巨大な袋が左右に揺れながら移動しているように見える。

暫く山腹に沿って歩き、左手にドンドコ沢が近づいて来て、登山道は沢に出た。大きな岩が林立する其の河原には、若い男女の団体が、思い思いに休憩と謂うか、嬌声を上げながら遊んでいた。其れ等を縫うようにして岩場を登り、ふたたび右へ旋回して、漸くジグザグに高度を上げて行く。ひと通り登ったら、延々と続くトラバース道を、ドンドコ沢に沿って歩く。樹林帯の中は涼しくて、心地よい山歩きである。ゆっくり進む我々の背後から、次々に若者のグループが近づいてくるので、頻繁に道を譲る。暫く歩くと、急に山腹の道が途切れ、水量豊かな沢に突き当たった。燕頭山の西南から伸びてくる沢が、ドンドコ沢に合流する手前の谷のような場所だった。此処にも数人の若者たちが休憩しており、我々は渡渉して先に進む。

岩場を越えるのに、Mは随分手こずっていて、後ろから見ていると、適切な足場があるのに、見つけられないでいて、無理な位置に足を掛けては苦労して歩いている。巨大な袋が岩の合間で蠢いている感じを眺めながら、私は其の後ろから、順調にルート・ファインディングをこなして歩いている。Mは以前、滝子山へ登る寂ショウ尾根の途上の岩場でも難渋し、大きな露岩で滑りそうになったことがある。そして寂ショウ尾根にはもう二度と行かない、と云っていたのを思い出した。岩場が苦手だと、此の先の沢沿いが続くルートが思いやられるなと、私は不安になった。

ふたたび山腹を捲くようにして続く道を歩くと、また薄暗い沢に辿り着いた。険しい谷から岩が突き出て、急峻から滝のように水が落ちてきている。清涼な場所なので、此処にも多くの人が休んでいる。高校生くらいの男子グループのひとりに、此れが南精進滝ですかと訊いたら、照れたように笑って、僕らも分からないんです、と云った。先程の沢が支流だと謂うことは地形図から読み取れたが、此処がドンドコ沢の途中なのかは、私も判別できなかった。いずれにしても、南精進滝で食事を兼ねた休憩をする予定でいたので、どうするか迷ったが、人が多すぎるので、とりあえず出発することにした。渡渉し、改めて捲くような道を登ると、程なく南精進滝を示す道標が現われた。其れで元気を取り戻し、我々は先に歩を進めた。やや険しい急登をこなし、唐突に視界が開けた。広大な瓦礫の谷に、豪快な滝が濠音を立てて落ちている。此れが南精進滝だった。

簡単な食事を摂りながら、見事な滝を眺めていると、徐々に賑やかな声が近づいてきた。先程の高校生が登ってきたのだった。そして、我々を見て快活に挨拶をすると同時に、南精進滝の絶景を見て、此れですか、と叫んだ。続いて仲間たちが駆け上がってきて、それぞれが、うわあ、とか、やられた、などと叫んだ。私は微笑を浮かべて、諸君、此れが滝と謂うものだね、と云った。そして皆で大笑いをして、それから、記念写真を撮った。

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