富士山・御坂・愛鷹・箱根

台ヶ岳「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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箱根山と云う大雑把な括りで、噴火警戒レベルが引き上げられ、箱根の中央火口丘、神山周辺の登山道が立入禁止となって久しい。仮に中央火口丘が御嶽山のように大爆発となれば、強羅や仙石原などの周辺に在る観光地は壊滅状態になり、最早登山道などという瑣末な問題では済まない訳で、憂慮せざるを得ない未来ではある。果たして大涌谷は本当に大噴火するのか。懸念は尽きないのだけれど、大涌谷は、相変わらずの噴煙を吐き出しているだけである。

矢倉岳、鷹落場の「箱根登山詳細図」踏査に行った翌週、またもやMD、KR両氏と小田原駅で合流した。本日の目的地は台ヶ岳である。箱根外輪山の金時山辺りから中央火口丘を眺めれば、其の手前に独立して盛り上がっている溶岩ドームが、妙に目立って鎮座しているのに気付くが、其れが台ヶ岳である。仙石原の高原を前庭にして、堂々たる姿の山であるが、登山道は整備されていないので、勿論既存の登山地図にもルートは記載されてはいない。「箱根登山詳細図」に、台ヶ岳ルートを記載させる為に、調査すると云うのが今日の主題である。

2017/2/4
国有林前バス停(9:45)---廃林道から取り付き(10:10)---台ヶ岳(10:50)---国有林バス停(11:35)

小田原駅のバスターミナルに特設された販売所で、事前にMD氏から教えて戴いた、伊豆箱根鉄道の発行する「箱根バスフリー」と云う一日乗車券を購入しようと思うが、中国人と思しき女性グループが、フリー切符に就いての質問を連発していて、買うのか買わないのか仲間で議論をしているから、順番が廻ってこない。湖尻経由箱根園行きのバスがアイドリングを開始して、どうなるかと思ったが、無事購入して乗車した。中国人女性たちも結局は購入して乗車した。

後になっての話になるが、「箱根バスフリー」は、競合する箱根登山バスに乗車できないから、我々は宮ノ下で、帰路のバスに乗車するまで、随分待たされた。其れで、中国人の彼女達の、其の後の行程でも、いろいろ遭ったのではないかと推察するが、勿論其れは知る由もない。

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乗車率が其れ程でも無かったバスが、小涌園を過ぎて、早雲山駅に達すると、乗客が随分増えた。箱根ロープウェイの早雲山から大涌谷の区間が工事の為に運休しているからね、と、MD氏が説明する。上湯バス停に近づく頃、人いきれの車中に、硫黄臭が漂うようになった。其れで、活動中の中央火口丘の域内に来ているのだなと実感する。

大涌谷の北に在る、国有林前と云うバス停で下車する。此のバス停は、私の所持している、古書店で買い求めた「山と高原地図29 箱根 2001年度版」には「台ヶ岳バス停」と記されているが、現在は名称が変更されているようである。空気は冷たいが風の無い朝で、箱根山は快晴だった。バス停から上湯方面に少し戻ると、車止めの在る、廃れた林道跡が現われる。此処から、台ヶ岳への取り付き迄、次第に倒木が増えて、藪状になっていく道を歩いていった。

左手に広がる、台ヶ岳の南面の尾根を見上げながら、取り付き点を探す。先行するふたりが、GPSの表示を確認しながら、引き返してきた。標高800mくらいの山裾から、1044.5mの台ヶ岳に登るのは簡単そうに思えるが、歩き易そうな踏跡を見つけるのが難しい。私も、ロードメジャーを逆走させて、廃林道を引き返す。やがて、古びた赤テープが木に括られている、薄い踏跡を発見したので、其処から侵入した。

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背丈程にもなる笹薮を掻き分けて、地形図上ではなだらかな斜面を歩いている。見上げると落葉樹の枯木が青空に向かって林立している。徐々に東側に延びる尾根を目指していくと、明るい茶色の樹皮の木が立っている平坦地に達した。ヒメシャラの広場ですね、とMD氏が云った。

進路は、いよいよ台ヶ岳の頂点を目指すようになり、勾配を登っていく。笹薮の足元は、ロードメジャーを転がすには厳しい道程で、私は徐々に引き離されていく。藪が激化していき、ふたりが逡巡するように停滞しているところに追い着いた。植林の方が歩きやすいかも、と云う理由で、我々は傾斜の途上で、更に東側にトラバース移動し、転進した。植林と自然林の境界に達して、踏路は比較的明瞭になった。

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もう二度と藪漕ぎはやらないと誓ってたんだけどなあ。今日もクラシックスタイルのKR氏が呟く。南東から頂上を目指す尾根は、笹薮に囲まれた急斜面だった。枯木の丈が高くなり、時折振り返ると、鞘越しに大涌谷の白い煙を、同じ高みで見る迄になった。東北東からの尾根が合流し、西南西に進路を変えて、最後の登りを続けると、程無く平坦になって、台ヶ岳の頂上部に立った。

冬の雑木が林立する、其の向こうに富士山が浮かんでいる。外輪山から見る、顕著なピークである台ヶ岳は、樹林に囲まれて、判然とした眺望は得られない。明神ヶ岳も、鞘越しに確認できる程度であった。草木の繁茂する季節には、到底登ることは出来ないだろうと推察できる山である。しかし、冬枯れの今、台ヶ岳は巨木の林相が美しい山でもある。

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三角点は、何故か西北に下った処に在るが、興味ありますかと、MD氏が云った。私が答えに窮していると、興味無いよねと、独り言のように呟いた。笹薮を掻き分けて、三角点を確認する気力は無かった。KR氏の感想も、無論云う迄も無いようであった。其れで、三人で記念写真を撮って、下山することにした。ヒメシャラ広場に戻り、取り付き点迄の踏跡を辿っていくと、出発時には気付かなかった、褪せたピンク色のリボンが、木立の枝に括られているのを発見した。其れは、台ヶ岳の秘境ぶりが実感せられる、象徴的な光景のようにも思えるのだった。

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追記

バスで早雲山駅に戻り、帰路を兼ねて、地形図に道了別院の記載の在る地点を踏査。早雲台と石柱に刻印の在る境内からの眺望は良かった。強羅温泉の坂をケーブルカーに併行して下る。途中で尋常ではない人だかりに驚く。警備員に尋ねると、世界救世教の信者たちとのことだった。

強羅駅で別行動となり、単独で宮城野橋、木賀温泉を経由して、国道を宮ノ下迄を踏査する。堂ヶ島渓谷の未踏査部分を調べに行ったふたりと合流し、帰路に就いた。前述の通り、やってくる路線バスは箱根登山バスばかりで、伊豆箱根バスに乗るまで、三十分くらい待たされた。バス会社共通のフリー切符に改善してほしい処だが、所謂「箱根山戦争」の余韻が残っている数少ない案件でもあるというから、其れも面白いと云えば面白い。

小田原で酒宴。当ても無く店を探して入った居酒屋が存外に居心地よく、四時間くらい長居をしてしまった。

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矢倉岳・鷹落場・鳥手山「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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うたた寝から覚めて窓外を眺めると、電車は既に渋沢駅を過ぎて、山深い処を走っている。早朝に新宿駅を出発した小田急の電車に揺られて、一時間が経っていた。新松田駅には、待ち合わせ時刻の随分前に到着したので、駅前の箱根蕎麦をゆっくりと食す。地蔵堂行のバス乗り場に向かうと、既にKR氏とNZ氏が並んでいる。

前回初めて参加した「箱根登山詳細図」の踏査は、箱根外輪山の東端を歩いたが、本日の行程は更に周縁の外側を巡ることになっている。外輪山の北端である金時山から、静岡、神奈川の県境が寄り添う尾根が延びて、ハイキングコースは足柄峠迄続く。其の東側に、独立峰のように端整な山が唐突に在る。

標高870mの矢倉岳は、其の存在は認識していたが、此迄訪れたことは無い。小田急電車が新松田を発車して、小田原に向かって南下し始めた車窓右手の、箱根の山塊を眺めると、余りにも顕著な三角形の山が出現する。見事な山容は、一瞬、金時山か、と思うが然にあらず、此れが矢倉岳である。今日は其の山に登ることになっている。

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2017/1/29
矢倉沢バス停(9:00)---矢倉岳(10:55)---山伏平---鷹落場(12:40)---鳥手山(13:40)---(休憩)---立山(14:10)---酒水の滝(16:10)---山北駅(17:00)

地蔵堂行きバスが駅前に入ってくる頃、引率するMD氏が登場した。閑散とした車内に踏査隊が落ち着いた時、急遽参加することになっていたTMさんが、複雑な表情をしてバスに乗り込んできて、山スキーで負傷した箇所が痛むから、本日の踏査の参加は辞退するが、持参したロードメジャーを置いていくから、と云うようなことを云った。突然のことに皆が茫然としているので、私がロードメジャーを受け取った。前回の塔ノ峰踏査で、厳格に計測器の転がし方を指摘されたTMさんのロードメジャーを私が使うことになり、奇妙な因縁を感じざるを得ない。TMさんは要件を伝えるとバスの車内から去っていった。律儀なのか合理的思考なのか、TMさんがどのような人かは判らないが、とにかく本日の踏査隊四名を乗せた、箱根登山バスは、新松田駅前を発車した。

大雄山駅の関本で若干のハイカーを乗せたバスが、田園地帯を軽快に走っていく。矢倉岳が大きくなって正面に見えてくる頃、江戸幕府が関所を設置した矢倉沢の名が付いている割りには、何の特徴も無いバス停に到着した。下車後、少々の打ち合わせを終えて、県道御殿場大井線から離れていく。公民館を経て内川を渡ると程無く、静かな畑地の広がる集落を歩くようになった。矢倉岳方面の道標が在る処で二班に分かれた踏査隊は、別のルートを歩くことになる。初めて矢倉岳を訪れる私は、配慮を戴いた恰好で、KR氏と共に、矢倉岳へのメインルートを踏査することになった。MD氏とNZ氏は、矢倉沢林道を歩き、矢倉岳の裾野を迂回するようにして山伏平に向かった。後に合流して其のルートに関する旨を訊くと、距離が長く、面白味の無い行程で、昭文社登山地図に記されている「あしかりの郷」の地点には、何も見当たらなかった、とのことであった。

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ところで、登山詳細図の酒宴ではたびたび御一緒しながらも、一緒に歩くのは初めてのKR氏である。クラシックなニッカーボッカーとニッカーホースのスタイルが似合っているのは、山岳部出身のベテランである実質が加味されているからだろうか。一方の、碌な登山経験の無い私であるが、KR氏と御一緒すると云うことで、久しぶりにウール地のニッカーボッカーを穿いて来た。KR氏の好む、ザックやウェアなど、登山用具の話題で盛り上がりながら、矢倉岳に通じる登山道を歩いた。

植林帯のジグザグに続く登山道が、自然林の枯木が疎らになる景色に変わって、尾根に乗った。鞘越しの両側に、丹沢山塊や明神ヶ岳を見渡せる心地好い尾根歩きが続き、凡そ二時間を掛けて矢倉岳に登頂した。茅戸に覆われた広い山頂に立つと眼前に、箱根の山が在った。外輪山を衝立にして、大涌谷の白い噴煙と共に、中央火口丘の神山が聳える。そして、晴天の彼方に、富士山から続く愛鷹連峰が緩やかに連なっている。余りにも出来過ぎのような、雄大な景色である。

所要時間が余計に掛かるのは織り込み済みの、矢倉岳の裾を捲いて登ってくるMD氏とNZ氏がやってくる気配は無い。此の後の行程としては、山伏平で合流する方が合理的ではあるのだが、NZ氏にも矢倉岳に登って貰うと云うMD氏の配慮故であるから、我々はのんびりとふたりを待つことにする。風も無く暖かい山頂は余りにも心地好いので、待つことは苦にならない。珈琲を淹れて他愛の無い会話をしつつ、私は紫煙を燻らせて、KM氏は軽食を摂って休憩する。矢倉岳の頂上は、家族連れやグループ登山の徒が敷物を広げて、嬌声が飛び交う長閑な雰囲気であった。

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そんなところに、苦悶の表情と共に汗だくで登頂してくる男性がひとり。健脚のNZ氏であった。後方からMD氏が、淡々とした表情で登って来る。踏査隊が合流して、簡単な報告を行なったが、NZ氏の疲弊が明瞭なので、暫くの大休憩となった。計画に於けるオンタイムに固執するMD氏も、少し心配そうにNZ氏を窺っている。漸く回復したNZ氏は、長い登りの果てに、山頂直下の急勾配がきつかった、と云った。

山伏平に向かう山頂直下の登山道は、木段が設置されていて、NZ氏の云う通りの急傾斜であり、登ってくるハイカーの足取りも重そうであった。右手に植林帯、左手は深い茅戸が広がる尾根である。其れを直截的に下り続けて、行き着いた処が山伏平だった。樹林に覆われた薄暗い峠は、名称の平と云うような風情ではない狭小な空間で、以前は清水越と云う表記で地図に載っていた処でもある。此処でふたたび踏査隊は二班になる。21世紀の森迄、尾根伝いに歩く「浜居場城ハイキングコース」と、北東の山北町方面に向かって延びていく尾根歩きに分かれる。私は志願して後者のルートを歩くことになった。コンビを組むのは此処迄同様、KR氏である。

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北東方面はバリエーションルートなので、と、MD氏が真剣な面持ちで云う。そして、コンパスを頻々に確認して進んでください、と続けた。コンパスを取り出して眺めている私に突然、(進むべきは)どの方向ですか、とMD氏が尋ねてくる。動揺した私は、赤い針が差す方角を眺めて、あっちかな、などと曖昧に云う。其れが足柄峠方面に向かう登山道だったので、MD氏が怪訝な顔をした。落ち着いて眺めると、北東の尾根が明瞭に続いているのは直ぐに判明した。急に訊かれて慌てただけのことである。だが、そんな弁明を行なうのも変なので、何事も無い風を装って、KR氏とふたりで登山地図の破線ルートである、鷹落場、鳥手山方面に歩き出した。

平坦な尾根道を進み、小さな瘤を越えると、次第に人の気配が無くなり、周囲が静まり返った。東に支尾根が分岐するピークをパスして、進路は右に旋回していく。右手に併行する浜居場城ハイキングコースの尾根の向こうに、午後の陽光が逆光になって、こんもりと丸い矢倉岳が、暗色になって聳えている。左手には採石場の荒野が広がり、人工的な重機の音が微かに聞こえてくる。誰も居ない静かな尾根道を順調に歩いて、前方に幅広いピークが現われる。緩やかに登り、頂上部の端に立つ。鷹落場の山名標は、頂上部を南東に百メートル程歩いた処に在った。

鷹落場とは山名としては異様だが、近隣の鳥手山や、浜居場城址跡の名称をひと括りに考えると、戦国時代、此の山域が砦であった頃の名残を感じることができる。尤も、万葉集に於ける、足柄の八重山、と云うような山域でもあるから、古代から中世の鷹狩りに関する名残である可能性も、在るのかもしれない。

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それはそうとして、鷹落場の山頂は、自然林が疎らに林立する、静かな場所だった。南東に、丁度浜居場城址と対峙する谷に向かって、緩やかな尾根道が続いている。ハマイバと古道、そんな言葉が脳裏に浮遊して、此の静かな尾根を通り過ぎた、いにしえの人々を想像する。そんな、情緒的な感覚に浸っているうちに、遠くから人の声がしてきた。其れで、我々は頂上の端に在る分岐点に戻った。

ロードメジャーを転がして歩く我々を見て、三名の中年男性グループが声を掛けてきた。登山詳細図を愛用している方々で、踏査隊との遭遇を喜んでいる風であった。暫く談笑して、我々は先に出発する。鷹落場を北に下って、間も無く尾根が分岐して、コースは右に旋回していく。昭文社地図に記されている、押立山の位置は、更に東に分岐する尾根の、小ピークを越えた処に記されているので、怪訝に思いながら歩いていくが、其のような印は無い。ピークに戻ると、樹木に巻かれたテープに乱雑に、776m、押立山、と記されているだけであった。微細に標高が記されているが、俄かには信じ難いような気分である。

小ピークから少し戻って、押立山を北面に捲くようにして、心細いトラバース道を北に進んでいく。其の先は、細尾根が複雑に分岐して広がるような、曖昧な地形になってくるが、眼前には杉、桧の植林を纏った鳥手山(とでやま)が立ち塞がっているから、其れに向かって歩き続ける。踏路は山腹を左側にトラバースして続いているが、鳥手山に登らない訳にもいかない。我々は植林帯の急登を、喘ぎながら登り続けた。漸く山頂に達するかと云う頃に、下方から話し声が聞こえてくる。くだんの中年氏グループも、鳥手山に登ってくるようであった。

植林に囲まれて鬱蒼とした山頂に、特筆すべきものは無く、手製の山名板が括りつけられている杉の木の傍らで、我々は計測の記録作業を行なう。そのうちに、後続が登って来た。三人はいずれも山に慣れた感じの風貌で、近野山にも行きますか、と我々に訊いてきた。鳥手山から北に延びる尾根は、急激に東側に旋回して続いていて、昭文社地図には、登山ルートの破線から離れた尾根上に、ふたつの山名が記されている。此処、鳥手山から程近い位置に在る、等高線の閉じた小ピークが立山で、旋回した後には、21世紀の森の北方のピークが在り、其れが近野山である。我々は登山道だけを計測するので、立ち寄る予定は無い。

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中年氏グループは、澱みのない足取りで、立山の方に下っていった。尾根伝いに歩いていく彼等は、黄色いガムテープを手にして、所々に目印として其れを捲き付けて歩いていた。恣意的な行為であり、其れが道義的に正しいのかは疑問である。先程の会話で、彼等が谷峨に在住していると聞いた。地元の山に登りに来るハイカーの為に、山中をマーキングして歩いていると云うことであった。そう云われると、余所者の身分では何も云えない。

山頂の北側に、陽差しの在る箇所を見つけた。私は空腹を覚えたので、KR氏に食事休憩を提案する。暫くの休憩を終えてから、登山道に復帰する前に、直ぐ其処に在る立山迄は歩いてみようと云うことになった。鳥手山の北面は緩やかな傾斜が続き、自然林の枯木が立ち並んでいて、陽当たりがよい。直ぐに鞍部となり、瘤を登り返すと、太くて黄色いガムテープが枯木に捲き付けてあるのが見える。近づいて確認すると、樹皮に直接に、立山、640、と乱雑な文字が記されている。文字は薄く、以前に書かれたものであろうが、黄色いガムテープは、余りにも捲き方が粗雑だった。

立山の在るピークから、尾根は広がって北面に落ちている。茫洋とした様相で、凡そのところ、進路を左に取って行けば、やがて登山道に合流するだろう、そんな意識で下っていった。しかし、黄色テープは尾根の端に沿って所々に貼ってあるので、其の儘行けば、谷に向かってしまうようにも見える。首を捻るような気持ちで、北西に進路を取ると、やがて緩やかに盛り上がった尾根に寄り添うような踏路になった。すると、其処にも黄色テープが捲かれている木が在ったので、訳が判らない。

鳥手山から尾根伝いに下りてきたので、捲道を計測するために、ふたたび先程の、鳥手山を直登した地点迄歩いた。鳥手山に登る経路は、果たして登山詳細図に記載されるべきなのかどうか、そんなことを話しながら、私とKR氏は、破線ルートに忠実に、山北町方面に向かって、実直に計測して歩いた。旋回して東に向かう登山道を歩いていると、陽光が徐々に傾いていくのが感じられる。山歩きは、終盤に差し掛かっていた。

御殿場線の下り電車に乗って、山北駅を発車すると、トンネルが断続的に現われて通過していく。蛇行する酒匂川は渓谷の底を流れて、車窓は山深い景色になる。御殿場線が東海道本線だった頃、国府津からやってきた列車は、勾配の厳しくなる山北駅で必ず停車し、蒸気機関車を増結して箱根を越えたと云う。昭和初期の話である。今も御殿場線に乗ると、山に入ってきたな、と感じさせる車窓の風景である。我々は今、其の風景の、山の上を歩いている訳であるが、強く想像しないと実感は湧いてこない。

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尾根を東端迄歩いて、やがて廃れた舗装路に変わった踏路は急降下していく。北東に尾根が尽きてクイック状にターンをして、住宅街に降り立つ。急峻だった尾根の下は、平穏な市街地であった。先程迄脳裏に描いていた、御殿場線の車窓風景の幻影は、雲散霧消していった。そして、長かった歩行距離を反芻する。15キロ程は歩いただろうか。随分長かったような気がする。

陽は山陰に消えて、薄暗い川沿いの舗装路に合流する。其処が、浜居場城址方面に向かったMD、NZ両氏との待ち合わせである、酒水(しゃすい)の滝の入口だった。人の気配の無い観光地のゲートを潜って、暮れていく渓流に沿った遊歩道に入った。疲労感が徐々に湧きあがってきて、少し肌寒くなってきた。酒水の滝は想像した以上に落差のある濠瀑で、見応えがある。市街地に程近いのに、唐突に山深くなる、なんとも不思議な場所であった。紫煙を燻らせて滝を眺めているうちに、MD氏の踏査隊が到着して、長い一日が終わった。

追記

全員で山北駅迄歩き、気になっていた店である「ポッポ駅前屋 」にて酒宴。店主、従業員ともに良い雰囲気だった。山の談義に引っ張られ、鉄道模型をゆっくり鑑賞できなかったので少し悔いが残った。

「ポッポ駅前屋 」に関する好blog

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明星ヶ岳・塔ノ峰「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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「諸戸尾根から梅ノ木尾根。相州大山を踏査隊有志と登る」の時以来、約二年ぶりにMD氏率いる「登山詳細図」踏査隊に参加した。粛々と進捗している箱根図の踏査エリアの、残存部分を消化していく計画である。そのような訳で、折角箱根迄やってきたが、登る目的地は明星ヶ岳であり、其処から早くも外輪山を下山して塔ノ峰を目指すと云う行程である。枝葉末節と云っては失礼になるかもしれないが、そんな区間を歩くことになった。塔ノ峰は立派そうな山名だが、箱根湯本駅、塔ノ沢温泉の北方に立つ標高566.3メートルの里山である。余りにも地味で、此れ迄訪れようと考えたこともない。そのような山に登ることができるのも、踏査の必然性あればこそであり、僥倖に感謝しなければならない。

2016/12/25
宮城野橋バス停(9:10)---大文字(10:05)---明神ヶ岳手前の鞍部(11:00)---明星ヶ岳(11:30)---塔ノ峰(14:35)---風祭駅(16:25)

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小田原駅からバスに揺られ、私とNZ氏、そしてYMさんの三人が宮城野橋で下車した。宮城野と仙石原の境に在る碓氷峠周辺を踏査するために、MD氏、HSさんのふたりが乗った儘のバスを見送り、我々は冬枯れの別荘地の舗道を登り始めた。

明星ヶ岳は「明神ヶ岳・大涌谷の眺望」の時に立ち寄ったので、広い山頂域の東端に在る、眺望の無い古びた鳥居の山名標地点を記憶している。詰まらない山頂だったが、下山に掛かって直ぐに到達する大文字からの眺望が素晴らしかった。其の景色の御褒美を目当てに、別荘地を通る舗道が閑散としてくる辺りに在る登山口から、実直なジグザグの山道を辿り始めた。

御馴染みのNZ氏を真ん中に、私は最後尾に付いて歩いていく。一緒に本格的な登山道を歩くのは初めてのような気がする先頭のYMさんは健脚で、休むことなく登り続けている。次第にNZ氏と私の呼吸が荒くなり、YMさんに引き離されないように、少し無理をして歩くようになった。石橋を叩いて渡るタイプ(と私が勝手に推察している)のNZ氏は、今回もザックが重そうであった。

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ハイペースに引っ張られて、周囲は次第に雑木の枯木が目立ち始める。其の鞘越しに風景が広がり、富士山の白い頭が遠くに望めて、呆気なく大文字に登りついた。強羅の坂をケーブルカーの軌道が一直線に続いていて、其の先には早雲地獄がぱっくりと亀裂を広げているのを正面に眺める。夥しい数の建造物が密集して、山腹を形成している。ハイキングコースが規制されて立入禁止の早雲山を含めた中央火口丘だが、ひとたび大噴火が起こったらとんでもないことになるであろうと云うことが一目瞭然である。

そんな圧倒的な風景を堪能して、紫煙を燻らせている私だったが、YMさんは直ぐに登山を開始しそうな気配だった。休憩しないのかと訊くと、休むと身体が冷えるから、と云い、先に行っている旨を告げて去っていった。NZ氏も後を追っていったので、私も仕方なく出発することにする。ザックを背負って大文字の上のトラバース道を進んで、切り返すともう景色とはお別れであるから、何度も振り返ってしまう。文字通り、後ろ髪を引かれながらの再スタートであった。

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程無く箱根外輪山の稜線に乗って、踏査の予定は明神ヶ岳手前の鞍部、標高913m地点迄を往復して明星ヶ岳に戻る。穏やかな冬空で、富士山は静かに姿を大きくしていく。途中で会ったのは、子供をひとり連れた若い夫婦だけであった。クリスマスに冬の低山歩きとは風情のある親子だが、子供は既に疲れた顔をしていて、明神ヶ岳迄行けるのかと思うが、復路にふたたび擦れ違った頃は、母親の方が子供を担いで歩いていた。屈強な妻の後ろから、小柄な夫が付いて歩いていく不思議な光景を見送り、我々は来た道を戻って、明星ヶ岳に着いても未だ誰も居ない。

三人でそれぞれが食事を摂っているところに、MD氏とHSさんが到着して、後は小田原駅で別れ、和留沢行きバスに乗ったIH氏とTMさんを待つばかりだが、予定の時刻を過ぎても到着しないので、暫く待つことになった。ベテランのふたりは三十分以上遅れて到着したが、疲労の色は無かった。「奥和留沢みはらしコース」に就いて、見晴らしなんて全然無かったわよ、とTMさんが呆れたように云った。途中で食事を済ませたと云うので、其の儘総勢七名で塔ノ峰を目指して歩く。

箱根外輪山の東端の道は次第に高度を下げて、周囲の風景は徐々に植林の目立つ里山の風情になる。大勢居るので、ロードメジャーを転がすのはTMさんだが、バックアップの意義で私も転がして歩いている。其れで、計測ポイントで距離を相互に確認するのだが、私の計測した数値が、TMさんのよりも数十メートル以上も多い。しっかりと地面に着けて、段差で空転しないようにしなきゃ駄目よ、と、TMさんに叱られる。以後、ロードメジャーの空転が気になって、碌に周囲を眺めながら歩くことができなくなった。標高700メートルを通過して、登山道が急激に南下して支尾根に入る頃には誤差が僅少になって、とうとう五メートル以下になった。TMさんが、まあいいだろう、と云うような顔で首肯している。

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支尾根の登山道に、足柄幹線林道が交差して、暫く立派な舗装路を歩く。MD氏が、国道一号を迂回してくる車が飛ばしてくるので注意するように、と云った。IHさんと喋りながら歩いていると、後方から轟音を立ててポルシェが走ってきたので道端に避けて見送った。すると、見通しの無いカーブの先からタクシーが現われて、IHさんがうわっと声を上げた。ポルシェは急ブレーキを掛けて停まった。MD氏の忠告通りの、危険極まりない林道歩きであった。

舗装路が大きく右に旋回して、左手から尾根が合流してくる。足柄幹線林道は其の尾根を乗り越えて、小田原方面に去っていく。明星ヶ岳から続いている尾根を外れて、高速林道を迂回してきたが、ふたたび合流して、此処から最後の塔ノ峰に続く登りが始まる。整備された木段を登り、緩やかな傾斜を歩いていくと、存外に素晴らしい眺望が北面に広がった。全員が足を止めて休憩する。枯れ芒に黄昏色の陽光が当たっている先に、顕著な三角錐の大山を目印に、丹沢山塊が青空の下で連なっているのを見渡す。年の瀬の陽が落ちるのは早いだろう。皆さん申し訳ないですが、とMD氏が予定時刻を遵守するための出発を提案した。

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良景の地点から直ぐに、樹林に囲まれた平坦地に到着した。暮色の漂う地味な塔ノ峰山頂に、踏査隊が大挙して登頂したので、賑やかになった。皆が距離を記したり、GPS機器を操作したりして忙しい。此処から二手に分かれて、踏査隊は登山鉄道沿いに下山して計測する。私を含む出発時の三人は、東北東の尾根を歩いて、風祭駅を目指すことになっている。MD氏のグループは、阿弥陀寺を経由して塔ノ沢温泉に向かう。

女性の数が多い所為か、皆が最後の山頂でお喋りに興じているから、MDさんは少し焦った感じで、時計を確認している。暫くの間合いで、皆さん申し訳ありませんが、と云う声。其れで皆が整然とMD氏に注目した。そして、二手に分かれた踏査隊が、塔ノ峰から下山を開始した。


追記

風祭駅に到達してやってきた電車に、丁度良くMD氏一行が乗り合わせていた。其の儘本日の忘年会の会場である町田に向かった。翌日が早立ちのIH氏が欠席すると云うので、皆で麦酒一杯だけでも、と誘うと、IHさんはかなり逡巡していたようであった。町田の居酒屋に、本日の踏査隊と、世話人氏以下、御馴染みのメンバーが集合して、酒宴が開催された。呑み放題コースに地酒が無いことが判明して一部隊員が騒然となるが、YMさんが見事な交渉を行ない、地元の銘酒「相模灘」を堪能することができて、満悦の夜が更けていった

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山上の白霧・毛無山の往復

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毛無山に登ってきたことを記す。そうは云っても何処の毛無山かと問われる場合も、あるかもしれない。同名の山が日本国中、幾つ在るのかは知らないが、随分沢山在りそうである。富士五湖のひとつ、本栖湖の南面から、静岡、山梨の県境をなぞるようにして、天子山塊が連なっている。竜ヶ岳、雨ヶ岳から天子ヶ岳迄、富士山の西側を縦断している山並みの最高峰が毛無山で、毛無山と名の付く山では最高峰とのことである。其れに登った。標高1964mの最高点ではなく、一等三角点の在る1645.5mが登頂点とされていて、其処に立っただけである。
河口湖からバスで一時間近く掛かって辿り着く朝霧高原が毛無山の登山口であるが、公共交通機関を利用して、わざわざこんな処には来ない。今回は友人の間戸井君との、久しぶりの山行である。わが友人が自家用車を導入してから、此れ迄行く気にもならなかった山に、登ることが出来るようになったのは非常に有難いことではある。しかし、彼の登山への情熱とでも云うものは、衰微の一途を辿り、とどまることを知らない。今回の友人の主題は、焚火台を購入したので薪を持ち込んでキャンプ場に自家用車を乗り入れ、焚火をしたいと云うことである。其れで朝霧高原迄、遥々やってきたのである。毛無山登山は謂わば其のついでのようなもので、我が登山隊の目的は、言葉にするだけで堕落してしまいそうな気分になる、所謂オートキャンプなのであった。登山がオプショナル・ツアーのような恰好になり、甚だ面白くないが、止むを得ない。

Kenashi

2016/4/9

麓(9:30)---不動の滝見晴台(10:10)---富士山展望台(12:25)---毛無山(13:00)---麓(16:10)

河口湖インターで高速道路を下りて、国道139号を延々と走る。富士山は曇天にも係わらず、全容を表出していた。常識的な時刻にキャンプ場入りする為に、毛無山の往復時間を逆算して出発する筈であったが、間戸井君は寝坊をした関係で、一時間以上も遅れて私をピックアップして呉れた。週末の中央道を都心から出発するには危険な事態で、案の定小仏トンネル付近で渋滞に巻き込まれた。果たして毛無山に登る時間はあるのかと内心で苛立っていたが、其の後は順調に移動できたので、毛無山の山麓にある、其の名もずばり「麓」と云う集落に在る、登山口の駐車場に到着したのは、午前九時を過ぎた頃であった。山頂迄、メインの登山道を往復してきても、午後三時には戻ってこれる時間である。有料駐車場は、無人の料金箱に駐車料金と車輌情報を記した封筒を入れておくと、追って自動車のワイパーに領収書を挟んで呉れると云うシステムのようであった。何はともあれ、登山口に此処迄簡単に到達できるのは、自動車の恩恵である。素直に感謝して、登ってこようと思う。

林道のゲートを越えて歩き出す。神社と金山の採掘場跡を通過して、間もなく、雪見岳と金山の鞍部へと詰める沢からの瀬音が聞こえてくる。谷が広がって林道が尽きようかと云う地点で、水の無い沢を渡渉して、尾根に登り始める。地蔵峠に向かう道と分岐する堰堤から、漸く登山道らしくなった。樹林帯の尾根道は、つづら折になって登り、迂回を繰り返す割には急登であった。何度目かの折り返しで、先程自家用車で走ってきた、ふもとっぱらと云う名の、整備されたキャンプ場を見おろす景色が広がった。靄靄とした空に、富士の姿はすっぽりと隠されていた。尾根に乗ってからは、自然林の中を明るい陽光を浴びながら登っていく。随分歩いた処で、一合目、の標識が現われたので、未だ先が長いことを知る。

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徐々に巨岩が折り重なるようになって、ロープが垂らされている箇所も現われ、登山道の風景は一変した。細尾根の脇を辿るように登り、徐々に濠音が聞こえてくる。尾根上に出ると、錆びた鉄板に「朝霧高原から下部温泉コース・不動滝」と記された道標が、朽ちた儘捨てられていた。此処が登山地図に記された「不動の滝見晴台」で、岩の上に立ち、此処迄登ってきた尾根の反対側の断崖の先を眺めると、山腹に抉られた岩壁に見事な滝が落ちている。落差二百米の不動滝は二段になって落ちていく形状で、雨天続きの所為か、充分な水量で瀑音を響かせている。歩いて登ってこなければ見ることができないと思うと、堪えられない名瀑のようにも見える。

小休止を終えて、次は登山地図に記されているポイントの、五合目を目指す訳だが、其の途上では二合目、三合目と、丹念に道標が立っていた。岩塊の合間を登っていく箇所も増えて、随分歩いたのに、漸く現われたのが三合目の手製道標だと思うと、却って疲弊が誘発されてくる。間戸井君は岩場が頻発してくるようになって動きが鈍重になっている。此れはいつも通りのことであるから、然程どうしようと云う想念も湧かない。途中でレスキューポイントの看板が立つ平坦地が現われ、其処で後発のハイカーに追いつかれる。中年の夫婦は、ふたりとも苦悶の表情で通り過ぎて行った。

五合目に到着すると、朝霧高原から下部温泉コース、の鉄製看板が、今度はきちんと樹間に設置されていた。五合目であるから道半ばに達したことになるが、標高は未だ千四百米で、あと五百米以上も登ることになる。高度が上がるに連れて、自然林の枝は疎らな感じになり、春の雰囲気が逓減していく。天子山塊の南方面に連なる山々が見渡せるようになってきた。登山道の尾根は等高線の幅を見ると首肯できるが、存外に急峻である。天子山塊の姿を、右側が開けたり左側になったり、道筋が右往左往するので交互に眺めながら登っている。右側が開けると対岸に、毛無山最高点からの支尾根が峻険な形状で麓集落の方に落ちていくのが見渡せる。其の一角が鋭利な小ピークになっているのだが、友人は其れを見るたびに、あれが毛無山の頂上ではないかと云うので、私は其のたびに説明して否定する。延々と続く急登に、間戸井君が飽きてきているのは薄々判っている。今日も途中で足の痛みを訴えられるのかもしれないと警戒したが、特に其のようなことは無い儘登り続けた。オートキャンプで焚き火、其の愉しみが在るので、なんとか持ち堪えているのかもしれない。

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忘れた頃に現われる、六合目、七合目の道標を通過して、一時間が経過しようとしていた。先頭を行く間戸井君が下山の徒に話し掛けられて立ち止まった。壮年の男性は、自分は毛無山の管理を任されていること、三千回の登頂を目指していること、此の辺りでは名物おじさんと呼ばれていること、何合目、と云う標柱は自分が設置したこと、などを披瀝した。三千回を目指すと云うからには二千回以上登っていることになるのだろうが本当か、と其の時は疑念を抱いた。名物、を自称されると、其の信憑性は愈々薄まってくるようにも思えるので、後日、インターネットで検索を掛けてみた。其の結果、多くのハイカーが毛無山登山に於いて、季節を問わず名物おじさんと遭遇しており、五年前くらいの記述では、登頂千八百回と公言している記事も発見した。五年間が経っていることを考えると、名物氏の現在の登頂回数が、二千回を越えていても不思議ではない。疑ってすみません。と、今更ながら思う。名物氏の、毛無山への称賛の言辞は止むことがなかった。二週間前には田中君も来たからね、と云うので、一瞬何のことかと思ったが、どうやら田中陽希氏のことのようであった。

名物氏は、もう直ぐ展望台で、九合目が稜線だから登りは其処で終わりと云った。其れで友人は非常に上機嫌となり、凄い人と出会えたな、などと云っている。しかし、もう直ぐ、と云われた展望台はおろか、八合目の標柱もなかなか現われないので、間戸井君はふたたび寡黙になってしまった。瓦礫混じりの斜面の、何でもないような処に漸く八合目の票が立っており、此の時点では名物氏に疑念を抱いていた私は、此のポイントの根拠は何なんだろうね、などと悪態をついた。友人は、其れでも名物おじさんを擁護するように、何度も登っているから距離を算出したんじゃないか、と云った。

直ぐに到達すると云われてなかなか辿り着けず、無言になって勾配を登り続けているうちに、ふと見上げると、ひと際巨大な露岩が突き出るように行く手を遮っている。其れを右側から回り込んで登っていくと、其の巨岩の上が富士山展望台なのであった。先着していた、先程追い越していった夫婦が記念撮影をして寛いでいる。我々を確認して、ふたりは場所を譲るように出発して呉れた。

富士山展望台からの眺望。此れは見事であった。ゴルフ場などの整備された人工的な緑地が広がる朝霧高原、其れを前景に、富士山を中心とした箱庭のような風景が一望できる。纏わり付いていた雲が徐々に流れ、やがて富士山の五合目辺りから上部が姿を現わす。頭を雲の上に出し、と云う唱歌の通りの富士山だった。程よい標高から対峙して眺める富士山は、北斎の画のような遠近感で、麓から仰ぎ見る富士とは趣を異にする。苦労して登ってこなければ味わうことができない。我々は昂然として、暫く巨岩の展望台に佇んでいた。

息を吹き返したような気分で、最後の尾根登りを開始した。名物氏の距離感と我々の其れとは、著しく乖離していると云う認識を新たにして、稜線上の九合目を目指す。欲を捨て、ゆっくりと登り続けるうちに、天子山塊の稜線の上に乗った。下部町観光協会製の道標が在る分岐点の周囲は、潅木で眺望は無いが、毛無山方向に少し歩くと、西側に突き出た巨岩が在り、明らかに名物氏の筆跡で、北アルプス展望台、と記した票柱が立っていた。岩の上に立つと、前衛の身延山の向こうに、銀嶺が並んでいるのが見渡せる。南アルプスの上部を見渡している訳だが、北アルプスの眺望が可能なのかは定かではない。

緩やかな傾斜の踏路を辿ってくうちに、霧が深くなってきた。樹木が途切れ、明るさの広がった処が毛無山の頂上広場で、食事休憩をしているグループなどが賑やかであった。富士山が正面に見える筈の、南東に開けた先は、一面のガス状の霧である。其の方角から、強い風が吹いてきて寒い。山名票の前で握手をして、我々は風を遮る潅木の中に避難して、食事を摂った。

麓の穏やかな気候が遠い彼方の出来事のように、毛無山の頂上は冷え切っている。インスタントラーメンを食べるにはお誂え向きの寒さですな、と、私は湯を沸かす準備をしながら友人に云った。間戸井君は複雑そうな表情で、持参した握り飯を頬張っている。のんびりとラーメンを作り始めている私を、落ち着かない様子で眺めている。どうやら、一刻も早く下山して、キャンプ場に行きたいような様子に見える。敢えて其れは黙殺し、私は食事の支度に取り掛かる。寒い山頂から、ハイカー達がひとり減り、ふたり減り、喧しいグループも消え失せた。毛無山の頂上広場は、徐々に霧が深くなっていくようであった。


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付記

毛無山からの下山は、急勾配に加えて岩塊が多く、思った以上に時間が掛かった。ストックを使用して、其の有難味を再認識した。帰京して二日間程、激烈な筋肉痛が続いたから、改めて厳しい勾配だったのだと思った。

オートキャンプ場にテントを設営して、一旦車で国道139を南下し、公共温泉に出向いた。温泉に浸かった後、キャンプ場に戻った頃は真っ暗で、ヘッドランプを頼りに焚火台の設置と、薪に着火する作業をした。キャンプが始まってからの友人は精力的に働き、無事焚火台が作用した。焚火はただ燃えているだけで、其れで調理する訳ではなく、別途持参のカセット焜炉で肉を焼いて食し、麦酒で乾杯した。湯上がりに焚火の傍の麦酒なので、快適だったのは間違いない。しかし、キャンプでの贅沢な晩餐と云うのが、過剰なエネルギーを消費して行なわれているような気がして、なんとも落ち着かない。周囲を見渡すと、本格的にタープを張って、椅子とテーブルを設置して。焚火の前で茫然としているソロキャンパーが少なくない、と云うことを知って驚いた。其れはともかく、今年は友人と出掛ける場合、オートキャンプに絡めて登山する機会が増えそうで、気分は複雑である。自動車によって行動範囲が広がるかと思っていたが、焚火台使用可のオートキャンプ場が在る場所に目的地が限定されてしまいそうな気配である。便利なものが増えていくに従って、自然との距離が遠ざかっていくような気がするが、勿論友人に、そんなことは云わない。と云うか、云えない。

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愛鷹山塊、黒岳、越前岳、そして駿河湾の落日。(後篇)

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空が近い、樹木の密度が薄くなってきている。いつも通りの登頂の予感である。バスを降りて歩き出してから五時間近くが経過しているが、然程の距離を歩いてきた訳ではない。しかし、全身に疲労感と虚脱感のようなものが染み渡っているように、足取りが重い。富士見台で食事を済ませてから長らく休憩して、気持ちは早くテントを張って横になりたい、と云うようなものになってきていた。富士見台は程よい平坦さで、樹木が疎らに立ち並ぶ静かな場所だった。幕営には不足の無い環境であったが、肝心の富士山が雲に隠れて見えないので、単純に面白くない気分になり、取り敢えず越前岳に登ってしまおう、そんな意識だけで歩き続けた。枯木が立ち並ぶ先に、木製のベンチが散見している。其の合間を縫って明るさが広がる。越前岳の頂上であった。


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2016/2/22
越前岳(7:00)---勢子辻分岐---平坦地---馬の背---十里木高原展望台---十里木バス停(8:50)


予備知識としては持っていたが、越前岳は富士山と云うよりも、駿河湾の眺めを一望できる山であった。午後の陽は未だ高いが、二月の寒空の午後三時である。今日は此処迄で充分だろう、内心で呟きながら、改めて伊豆半島西側の付け根から三保の松原の在る半島を囲む、茫洋とした駿河湾を眺めた。頂上広場には若い男女の三人組が居て、他愛の無い会話が耳に障る。彼等にも挨拶をするが、ひとりだけ曖昧な表情で会釈をするだけで、こちらを目障りのような風に見ているのが判る。構わずに巨大ザックをベンチに置いて、地図を広げて山座同定をして、長々と展望地に立っていたら、無礼な若者たちは下山して行ったので、漸く安穏とした心持ちになった。

どうしよう。テントを張るか。そう思うが、余り進んでいない時計を見て、もう暫く様子を見ることにした。風も無く、陽光が心地好いので、じっと座っていても、苦痛では無い。そのうちに飽きてきて、ザックを置いたまま、十里木方面の様子を見てこようかと思いついた。例の平坦地迄行けるかどうかは時刻次第で、一時間以内に戻って来れば、テントを張っても差し支えない頃合になるだろう。私は、サブザックに貴重品だけを詰めて、十里木方面に下り始めた。

登山道は、此れ迄に無い程深く抉れていて、十里木からの登山者が圧倒的に多いと云うのが窺い知れる。泥濘の状態は酷く、登山道を避けて草地の上に立ち並ぶ樹木の合間を選んで歩を進めているうちに、傾斜が徐々に急になっていく。縦横に抉れた道が交錯して、やがて草地が途切れていくなと思った途端、崩れかかった斜面に足を取られて身体が仰向けになり、私は泥濘に向かって滑り落ちた。

したたかに打った臀部と、庇って衝いた両方の掌が黒ずんだ泥に塗れている。泥水が尻に染みてきて冷たいのと、目を覆わんばかりに汚れた自分の下半身の醜さに、情けなくて全身が脱力していくようだった。越前岳北面の偵察などと云う気持ちの余禄はすっかり無くなってしまい、私は山頂に向かって登り返すことにした。平穏の裡に目的地へと辿り着いた一日の終わりが、気分としては一挙に暗転した心持ちになった。疲労の果ての足腰の脆弱さなのか、荷を下ろして神経が弛緩して油断した所為なのか、泥濘の登山道を避けて草地を踏んだ不埒な行為に対する代償だったのか、どうでもよいことを思い悔やみながら、頂上直下の急勾配を登り続けていた。

暖かな陽光に照らされた頂上から、茫漠として靄のかかった南アルプスの山並み、そして午後の陽光に海面が光る駿河湾を眺めていた。私は泥だらけの登山パンツと、外套のソフトシェルを脱いでベンチに広げた。陽は未だ沈みそうに無い。陽に当てて乾かせば、泥は落とせるだろう。私は滞留のためのダウンのジャケットとパンツに履き替えて、スキットルのボトルに入れてきたウイスキーを飲みながら、いじけたように背を丸めてベンチに座り、越前岳からの絶景を虚ろな気分で眺めていた。その後の登頂者は単独行の男性が二名で、それぞれ無言で佇んでから、長居をせずに去っていった。巨大ザックを立て掛け、衣類を広げて日干しして、酒を飲みながら煙草を銜えている謎の男に、少し困ったような顔をして、彼等は挨拶をして、去っていった。

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午後四時半を過ぎて、私はザックの中から荷を取り出して広げた。いつの間にか日の入りが遅くなっているのだなと思いながら、なかなか沈みそうに無い太陽の光を浴びて、幕営の準備を始めた。テントを組み立てる作業に没頭していると、気分が徐々に落ち着いてくる。出来上がった今夜の寝室に全ての荷物を仕舞うと、私の気分はすっかり安寧に戻っていた。そうして、漸く黄昏の色彩を帯びてきた山頂から、展望所のような柵に凭れ掛かって、赤く染まっていく水平線と雲の境界、そして七面山から連なる、富士川の衝立の山並み、特徴的な鉤状の三保半島を眺めた。夕陽は駿河湾に沈むのだろうと思い込んでいたが、遥か遠くの南アルプス南部の稜線に、其の姿を隠していった。富士市の街並みに、ぽつりぽつりと、夜の灯が燈っていった。

真冬の幕営。其の緊張感は然程では無かった。二年前の箱根外輪山の時のような、積雪が全く無いことに加えて、風の無い穏やかな気候の所為かもしれない。薄暮が宵になり、雲間から時折覗く月光が、驚くほど明るい。手順とすれば、食事を摂ってから寝袋に入るのだが、昼食が遅かったので食欲が無いので、ウイスキーを飲みながら本を読んでいた。其のうちに漸く睡魔が襲ってきたので、眠ることにした。爪先が冷えないように、今回も使い捨て懐炉を靴下二重履きの間に挟んでいる。靴下に貼るタイプの懐炉は小さいので、踵が冷えてくるのが辛くなったので此れは失策だった。爪先と踵にそれぞれ貼って漸く落ち着いたが、夜半に目覚めた時は既に効力を失っていたので、反省材料となった。冬のテントで使用する懐炉は、足裏用ではなく通常の大きさのものがよい。そして、登山パンツが汚れてしまったので、下半身はウールのインナーにダウンパンツのみで横になったが、此れはさすがに薄着だったようで、腰が冷えて困った。通常の使い捨て懐炉があればよかったのにと、また後悔した。

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冷えと尿意を催して覚醒したのが午後十時頃で、仕方なく外に出た。富士市の夜景は絶頂の域に達していた。三保半島をなぞる駿河湾の曲線が、ネオンの洪水を図案化しているかのように構成されていた。暗い海に、何隻もの船の灯火が浮かんでいる。夜景を見下ろしながら放尿して、紫煙を燻らせていると、細い光の帯がゆっくりと移動していくのが見えた。光る毛虫が這っているようにも見える。夜更けに走っている岳南鉄道の電車である。ずっと前に所用で訪れたことのある、岳南江尾(えのお)駅のことを思い出した。工業地帯吉原の周囲を走るローカル線の光景は、自然美とは違う一幅の絵で、いつか再訪してみたいと思う場所である。沿線の須津(すど)駅から、須津川に沿って愛鷹山塊に登ることも出来る。そんな山行もやってみたいが、何時のことになるだろうか。
テントに戻り、消灯してふたたび眠りに入ろうとする。腰が冷えて中々眠れない。日常生活の、当然のようなベッドの温もりが得がたいもののように思えてくる。其れも、真冬の幕営の醍醐味なのかもしれない。風が強くなってきた。フライシートが、テント本体を押してきて揺らめく。少し心細いような気持ちになって、ふたたびヘッドランプを点灯する。暫く眠れそうにも無いから、ウイスキーを飲みながら文庫本を読み始める。宮本常一著作の「家郷の訓」と云う本が読みかけだったので何の気無しに持ってきた。深夜の山頂で読む民俗学の書物は、不思議に没頭することができた。

はっと気がついて目を覚ました。テントの外側は未だ暗い。眠りは深かったのか浅かったのか判らない。時計を見ると午前五時だったので、勢いよく寝袋から這い出た。其れが寝心地のよくなかったことを物語っているような気がする。支度をしているうちに、夜が明けるだろう。私は煙草に火を点けるために外に出た。暗いので最初は何のことか判らなかったが、足を踏む音がざらついていて、泥濘の感触では無かった。ヘッドランプで足元を照らすと、周囲は真白になっている。辺り一面に、霜が降りていた。夜景は微かに窺えたが、やがて霧の中に消えた。寝具を畳み、のんびりとザックに収納する作業を行ない、テント類を残した時点で珈琲を淹れた。天気予報は単なる曇りの筈だったが、越前岳の頂上はガスに包まれて、風の音が不気味に響いている。私は、早く下山してしまおうと云う身持ちが逸り、食事をする意欲も無いので、其の儘テントを解体してザックに仕舞った。

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昨夕の失策が身に染みて、私は勢子辻の分岐迄、抉れた登山道を忠実に下山していった。泥濘は霜で凍っているので、存外に歩きやすい。樹林帯の中は風が少なかったので、山頂ビバークの独特さを、改めて感じ入った。分岐から北へ転換して、実直に尾根の登山道が続いている。途中でぽっかりと北西に開けた場所があり、相変わらず霧が渦巻いているのが見渡せたが、徐々に下方の建造物や道路が見えるようになった。足早に下り続けて、唐突に広場が現われる。此処が例の「平坦地」で、其の名称の道標も在った。テントが張れそうな場所であり、少しずつ広がる十里木の景色を眺めると、好天であれば富士山が充分に堪能できる展望地であると確認できた。

登山道は標高千メートル迄下降した辺りから、急激に勾配が変化して、ロープの手摺りが続くようになった。其れ等をパスして、やがて緩やかな鞍部を通過して、少し登り始めると、もう周囲は行楽地の遊歩道然としてくる。ひとつのピークに達すると、木製のベンチとテーブルが幾つか設置してあった。標高1098.9mの三角点が存在する、馬の背或いは笹峰の別称のある山頂である。

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目の前には、ゴルフコースや別荘地が整然と配置された、十里木の人工的な風景が広がっている。分厚い雲が低く覆われていて、直ぐ其処に在る筈の富士山の姿は無い。ベンチに座って、終わろうとしている山歩きの感慨に耽っていると、雲が少しだけ流れるようになって、空の真ん中から、富士山頂の白い台形が現われた。其れはまるで、雲の壁の隙間から、富士山がこちらを覗いているように思われた。そんな倒錯した構図の中に、自分が居るような気がして、私はごく自然に、頬を緩ませて、笑った。



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2016 2月迄の山行。

2016/1/20
古里駅(10:20)---丹三郎尾根---大塚山分岐---御岳神社(13:20)---表参道---御岳渓谷遊歩道---沢井駅(15:40)

2016/1/25
高尾山口駅(11:20)---琵琶滝---霞台園地---薬王院---一号路---高尾山口駅(13:20)

2016/1/31
宮ノ平駅(12:00)---神明神社---要害山---赤ぼっこ(13:20)---馬引沢峠---宮ノ平駅(14:30)

2016/2/10(登山詳細図踏査)
青梅駅(8:30)---梅岩寺---叢雨橋---栃谷橋---こぶしの森---青梅丘陵ハイキングコース「黒仁田方面」道標(11:20)---こぶしの森---仏塔---久平稲荷神社---梅岩寺---青梅駅(14:10)

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愛鷹山塊、黒岳、越前岳、そして駿河湾の落日。(前篇)

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真冬の幕営をすると云う動機が先にあった。其の次に行き先を考える。重いザックを担いで、山頂にテントを張って、黄昏の風景を眺める。どの山が相応しいのだろうか、漠然とそんなことを考えるが、具体的な結論には辿りつかない。前回の金時山から一ヶ月が経つ。此の間、都心にも大雪が降っているので、富士山の容姿も随分変わったのではないか、ぼんやりと、そんなことを考えた。正面にどんと聳える富士を眺める、其れだけが目的の山行でよい。丹沢から、箱根から、富士山の裾がゆっくりと広がった先に並ぶ愛鷹山塊を、何度も眺めたが訪れたこたが無い。初めての山に登ると云うのは気分を高揚させる。だから初めての愛鷹山に登り、富士山を眺めに行く。そう云うことに考えが落ち着いた。


2016/221
愛鷹山登山口バス停(9:00)---山神社---富士見峠---黒岳---富士見峠---鋸岳展望台---富士見台---越前岳(14:40)

愛鷹山は富士市、沼津市、裾野市に跨る連峰の総称で、凡そ南北に連なっている。富士山を至近で眺めるのであれば、北端に位置する越前岳が相応しく、お誂え向きなことに、此の山塊の最高地点でもある。越前岳から東北東に尾根が延びていて、黒岳に連なる途上には、富士見台とか富士見峠などの地点名称が並んでいる。此のルートが富岳絶景であろうことは想像に難くない。御殿場駅からのバス路線に、愛鷹登山口と云う停留所があり、其処から一時間も歩けば、黒岳に至る稜線の鞍部、富士見峠に到達できる。登山で御殿場に行くと云うのは、以前は全く想像できないことであったが、金時山に登る足柄駅を三度も経験したので、もうそんなに遠い処だとは考えていない。

日曜日の朝、小田急新松田駅に降り立つ。勝手知ったると云う足取りで、駅前に在る立食蕎麦屋で天麩羅蕎麦を素早く食してから、御殿場線の松田駅で切符を買って入場する。ICカードが使用できないのは、国府津から御殿場の区間がJR東日本と東海の境界域になっていることに関連がありそうだが、確実な事情は判らない。御殿場線の電車が間もなく到着しそうなのに、券売機に数人が並んでいたので少し慌てたが、プラットホームに出ると、丁度良く三島行きの電車が滑り込んできた。平日は高校生で一杯の時刻だが、今日は部活の生徒が少し多いくらいで、其れも隣の東山北で降りてしまうから、車内は閑散となった。谷峨を過ぎると、遠近感が可笑しいのではないかと思うくらいに大きな、真白い富士山が登場する。曾遊の足柄駅を発車して、里山に遮られ、隠れては現われる車窓の富士山を眺めた。そうして、電車はゆっくりと御殿場駅に到着した。

イエティ行きの富士急バスは、大変な混雑振りだった。車内は行楽客で一杯で、中国語や英語が飛び交っている。ぐりんぱと云う遊園地に行く人々かと思われる。ぐりんぱとは何ぞやと思ったが、後日調べてみると、以前は日本ランドと呼ばれていた施設で、そう云われてみると記憶がある。とにかく、車内にハイカーの姿は無く、しかも巨大ザックを抱えて座っている私は生きた心地がしない。暖房と人いきれで曇ったガラス窓を時折拭いて、茫漠とした枯芒の高原を眺める。電車の車窓では青空が広がっていたのに、窓外はいつしか鉛色の曇天になっていた。

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須山の町を過ぎて、国道469号は徐々に勾配を上げて、森林の中に突入していく。集落も何も無い処に在る愛鷹登山口のバス停に到着し、漸く満員の車内から脱出する。バスが去ってから、暫くは息を整えるのに苦労した。蛇行して登る舗装路の途上に在るバス停の横を、何台もの車が唸りを上げて通過していった。紫煙を、ゆっくりと吐き出す。樹林に覆われた国道の路面は濡れていた。昨夜に降ったであろう大雨を彷彿とさせる。私は、銜え煙草の儘、登山道の入口に向かって、林道を歩き出した。

杉或いは桧の植林帯が右手に広がり、緩やかな傾斜の尾根が垣間見える。直截に登っていけば、やがて最初の目的地である黒岳に行き着くのは明白だが、登山道をめざして林道を直進する。山神社と呼ばれる登山道の入口に在る駐車場には、自家用車が十台程駐車してあった。鳥居をくぐると、登山道敷設の契機となった遭難者の碑が在り、木段を登ると小さな祠が在り、参拝してから谷筋の道を登り始める。天候は愈々悪化して、曇天は常態のようになっていたので、内心で溜息を付くような気分で歩を進めた。富士山の目の前迄来て、何も見えないと云う皮肉な事態が、間もなく到来するのであろうと云う想像が頭に纏わり付いてくる。

黙々と谷底の道を登っていると、踏跡はやがて尾根の東側をなぞるようになって、勾配を上げていった。迂闊なことに、山と高原地図の他に、1/25000地形図を用意しないで出掛けてきてしまったから、面食らった。1/50000の登山地図では登山道の赤線が真直ぐに鞍部迄引かれてあるので、尾根に登り始めると云う予測ができていなかった。今歩いている尾根の東側を辿っていくのかと思っていたら、突き当たって左に切り返す道が辿っている。其の儘尾根に乗るのかと思ったら、刻まれた踏跡はトラバースして尾根を乗り越していった。尾根の反対側に出ると、森林を眼下にして空が開けた。霧が流れるようにして周囲を覆っている。

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心細い程に狭いトラバース道で、下山の徒がやってきた。早朝に自家用車で到着した登山者だろうか。挨拶をすると、黙殺されてしまったから唖然となった。暫くして、またひとり、下山者と擦れ違った。ふたたび挨拶してみたが、また黙殺された。其れどころか、狭いトラバース道で、登りの人間に進路を譲る気配も無く、通り過ぎて行った。愛鷹山塊を歩く人々が、何故此のように無愛想なのか、事情は判然としないが、私の気分も、徐々に殺伐としてくるような気がした。山腹のトラバースが延々と続いて、途上には梯子段も現われつつ高度を上げて、やがて谷筋に差し掛かった地点に、避難小屋が建っていた。門扉が設えてあり、山荘兼避難小屋、無人、無料、と記してあった。門扉の鍵を外して敷地内に入り、小屋の前のベンチで休憩することにした。

「あしたか山荘」の看板が打ち付けてあるトタンで覆われた小屋の中を覗いてみると、存外に快適そうな室内だった。敷き詰められた絨毯は綺麗で、隅に布団と毛布がきちんと畳んで積んである。小さい土間には竈があり、火を熾せば十分に暖かい夜を過ごせそうであった。外に出て、深呼吸をする。背伸びをして、空を見上げたら、なんだか明るい。あれっと思い振り返ると、小屋の向こうに、枯木が並んだ稜線が見えていて、青空になっている。富士山の在る北面から、晴れてきている。弛緩していた身体に気力が漲ってくるような気がした。私は巨大ザックを背負い、足取りも軽く、出発した。

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小屋の裏手を登り始めて程なく、富士見峠の鞍部に乗った。正面には落葉樹の枯木越しに、富士山の姿が見えている。でかい。単純にそう思った。早く黒岳から、巨大な富士山の全容を眺めたい。そう思った。此処から越前岳とは反対方向に、黒岳が在るから、当初は此の富士見峠にザックを置いて、往復しようと考えていた。しかし、先ほど擦れ違った、挨拶を黙殺するハイカーたちを思い出して、なんとなく、ザックをデポしていくのが躊躇われるような気持ちになった。其れで、重いザックを背負った儘、黒岳方面に歩を進めた。

登山道は薄暗い植林帯になって、暫く登り一辺倒になった。やがて其れが落ち着いて、北面にぽっかりと眺望が開ける箇所に着いた。黒岳展望広場と云う場所で、ベンチが設えてある。富士見峠から歩いて十分も経っていないのに、雲の動きが早い。富士山は、既に雲に覆われていた。そして、先ほどから頻繁に聞こえている、自衛隊東富士演習場の砲撃音が、けたたましく断続的に、鳴り響いている。裾野に広がる眺めを見下ろすと、広大な駐車場と建物があり、獣の咆哮のような声が響いてくる。富士サファリパークに放たれている猛獣の声だろうか。砲撃音と咆哮が交錯して、地の底から響いてくるから、穏やかではない。

Krd4

黒岳展望広場は、眺望こそあるが鬱蒼とした樹林帯の中に在るので、あまり居心地がいいとは云えない。私は、ザックを下ろすことなく、先に歩を進める。杉の巨木を通過して、やがて尾根が二分する地点に道標があり、右折すると、彼方にこんもりと盛り上がる丘が見えた。一旦下降して、丘に向かって気持ちのよい道が続いていた。緩やかに登り詰めた処が、広々とした黒岳の頂上だった。姿は隠れているが、富士山が目の前に在り、視線を右に転じていくと、丹沢山塊が明瞭に見渡せた。振り返ると、正面に箱根外輪山が連なり、其の奥に、中央火口丘の上部が顔を出していて、大涌谷の白煙が確認できた。広々とした山頂は、自然林が疎らに立ち並んでいて、平坦であるから、此処で幕営するのも気分がよいだろうなと思った。事実、焚火の跡もあるから、黒岳でテントを張る人も少なくないのであろう。

時間は充分にあるので、黒岳山頂では暫くの間休憩した。其のうちに雲が晴れて、富士の全容が現われるかもしれないと期待して、待った。しかし、裾野の眺望は広がっているのに、肝心の富士山は、姿を見せて呉れない。其のうちに、ひとりのハイカーが登頂してきた。妙齢の女性は明朗だったので、漸くまともに挨拶ができて安堵した。越前岳から歩いてきたと云う彼女は、富士見台で富士山がくっきり見えて素晴らしかった、と云った。ひとりきりの山頂を彼女に譲るために、私は荷物を纏めてザックを背負い、黒岳を後にした。

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富士見峠に戻り、越前岳へと尾根登りに入った。地図のルートを眺めて想像した雰囲気とは違って、登山道は無味乾燥な植林帯の中を辿っている。夥しい数の人が歩いたであろう道は、深く抉れていて、雨上がりの所為か、泥濘になっているから、足元ばかり見て歩き続けた。森林だけでなく、隣の尾根に遮られて、富士山側の眺望は全く無くなってしまった。私は、背負っているザックの重さが身に染みてくるような気分になりながら、鈍重に歩いていた。

鋸岳展望台から、文字通りの鋸歯状の山並みを眺める。愛鷹山塊の、南東に併行する稜線を、初めて明瞭に確認する。鋸岳が行き着く先の位牌岳は、一際巨大な山容で、越前岳と対になって愛鷹山を表現している山である。山名には不気味で恐ろしいものが幾つかあるが、此の位牌岳には、怖いと云うのとは違って、虚無感に囚われそうな不気味さを覚える。鋸岳の禍々しい姿を連ねて聳える位牌岳は、中空の陽射しで逆光になり、黒ずんで見える。ひと息入れて休もうとしたが、なんだか落ち着かない気分になり、直ぐに歩き出した。

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標高1200mを越えて、踏路は相変わらず眺望の無い儘、そして人の気配が無い儘、傾斜を増して続いていた。時刻は午後一時を過ぎている。私は近づきつつある今夜の幕営地に就いて、思案を巡らせながら歩いていた。富士山と対峙しつつビバークすると云うことで、私は越前岳から十里木に下る途上の何処かでテントを張ろうと、漠然と考えていた。登山地図には、「平坦地」と記されたポイントが在る。平坦地か、更に下降して十里木高原に程近い、標高1098.9mと云うピークも在る。何れにしても真正面に富士山を眺めるには申し分の無い場所だと想定していた。此れから越前岳に登頂し、下山の途上に到達する時刻はどの程度のものか、私は疲労感を天秤に掛けて、何処迄歩けるか、と云うようなことを考え始めていた。

登山道は鬱蒼とした尾根道が続いたが、やがて視界が開けてきた。岩が混じった尾根上に、危険、の看板が立っている。恐る恐る、近づいて彼方を眺めると、眼下は切り立った崖になっていた。登山地図では、北白ガレンと記されている。ガレンとは何であろうか。瓦礫場の際立った状態だろうか、などと考えつつ、後日調べてみると、爆裂火口のことを示すらしい。越前岳、呼子岳、位牌岳、そして黒岳。頭の中で山々を繋ぎ合わせて、太古の昔の巨大火山を想像してみるが、北白ガレンの奥底を窺ってみても、其れは困難なことであった。

切り立つ崖の東側をトラバースして登山道は続く。やがて抉れた赤土の登山道は、笹薮状の中で狭まり、足元は相変わらずの泥濘で勾配は急になっていった。日曜日の午後、もうハイカーは居なくなったのかと思いきや、三組の下山者と擦れ違った。越前岳には誰か居るだろうか。疲弊した心持ちの中で、私は何処で幕営するかを思案していて、越前岳の先まで歩いていくのが苦痛に思えてきたのであった。そして空腹を覚えて立ち止まった。行く先の方を見上げて、ひとつのピークが近いことを確信したので、朦朧とした儘登り続けた。

辿り着いた処が尾根の分岐する瘤状の平地で、脚立のような櫓の立つ富士見台であった。私はザックを下ろして、茫然と立ち尽くしていた。富士山の方向には青空が復活して、広大な裾野の光景が広がっている。しかし、肝心の富士山はと云うと、宝永火口の上に作為的にも見える程上手に雲が掛かっていて、なんとも締りの無い姿を晒している。其れを確認して、私は地面に座り込んだ。何か食べよう。そして此れからどうするかを考えよう。そう思いながらも、食事の支度をするのが億劫になって、煙草を取り出した。肝心の上部が見えない富士を眺めながら、紫煙を燻らせた。全身が、弛緩していくような感覚は、何故か心地が好く、私は、不思議な充足感に、包まれていた。

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足柄駅・金時山・明神ヶ岳・道了尊

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2016/1/14
足柄駅(8:00)---浅間塚(8:50)---金時山(10:45)---矢倉沢峠---明神ヶ岳(13:30)---道了尊(15:30)

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元旦から高熱が出て病臥で過ごした。漸く回復してから、新年の初登りをどうしようかと漠然と考えて、金時山にした。体力も気力も萎んだ儘なので、冬の富士山を間近で眺める、と云うような目的を設定しないと、腰が重い気持ちを奮い起こすことができない。御殿場線足柄駅からの行程は三度目なので、地図を開かずに歩き出した。初めて登ったのは二年前の一月、外輪山幕営行だった。其の時の富士は宝永火口を埋めた積雪が盛り上がって見える程だったが、今年の富士山は薄化粧と云っても良い程の山容であった。好天が確実な木曜日に思い立って出掛けたので、裾迄広がる富士山を振り返りながらの登山は心地好かった。

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金時山の頂上からも、富士山が配置される良景が広がっていた。かつて幕営した丸岳も相変わらずの電波塔のお陰で明瞭である。噴火警戒が軽減された大涌谷は、昨年春に眺めた時よりも豪快に噴煙が上がっている。真冬の所以であろうと思うが、大涌谷の煙は昔から此のようなものである。

難なく登頂して、帰途をどうするか決めていなかった。外輪山から仙石原に下山して、公共温泉を訪れようかと思っていたが、調べてみると、木曜日は殆どの浴場が定休日なのだった。例外は宮ノ下の太閤湯と、塔ノ沢の上湯で、両方とも漬かったことのある湯場であった。今回は宮城野か大平台の共同浴場を訪れてみたかったのだが、止むを得ない。入湯すること自体に興味を失い、合理的に下山する行程を思案した。

交通費を節約する為に、足柄峠経由で足柄駅に戻ると云う行程も考えたが、折角の外輪山をもう少し堪能して歩きたい。そんな思惟が浮かんだので、取り敢えず矢倉沢峠に向かって歩き出した。赤茶けた土砂が広がると仙石原の景色が直下に広がるのを見渡せる。茅戸の中に入り込むと、陽の当たらない地面は薄い雪が覆っている。そんな繰り返しで、青空を見上げて、時折振り返ると、もう金時山は見上げるような恰好で聳えていて、遠ざかっていく。

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外輪山を縦走している積もりだったが、踏路は下降を続けている。やがて前方に広大な茅戸が広がる丘陵が一望される。火打石岳から広がる尾根を眺めて、其の背後に衝立のように聳える明神ヶ岳を仰ぎながら、遠いな、と改めて感じる。うぐいす茶屋の矢倉沢峠に到達して、改めてどうするかを思案した。此処から下山すれば仙石のバス停は直ぐ其処である。紫煙を燻らせて思案する。通り過ぎるハイカーの姿は無い。空は何処迄も青く、小さな雲は昼寝でもしているかのように浮かんだ儘動かない。其の茫洋としつつも安寧とした気分にさせる陽光に誘われたのだろうか。私は明神ヶ岳の方に足を向けた。ぐるりと小田原を経由して帰るのも、道了尊からバスを乗り継いで新松田駅に向かうのも大差はないであろうと考えた。

ふたたび背の高い茅戸の中を歩き、勾配を上げながら振り返ると、矢倉沢峠の鞍部の向こうに金時山は随分遠くに鎮座している。日当たりの良い丘陵を登り続けて、登山道はやがて左に旋回して尾根をトラバースしながら北面の谷を越えていった。暗い道を歩き続けて、尾根の南側に出た処が火打石岳への分岐点で、左手に漸く明神が間近に見えるようになった。両端が広い岩で構成された明神ヶ岳の北側から、徐々に傾斜が増していく。其の途上で、下肢に違和感が訪れた。大腿部が痺れるような痛みに包まれた。脹脛が攣るような感覚は珍しくないが、太腿が攣ると云う経験は無いので不安になった。立ち止まった儘両下肢の様子を窺いながら、水分をたくさん摂って休憩した。足柄駅から歩き出して五時間。登山は一ヶ月振りであり、病み上がりでもあるので、体内の何処かで無理が祟っているのかもしれない。そんな風に考えた。

エスケープルートは暫く無いし、明神ヶ岳の肌に辿り着いて、最後の登りに掛かっているので、恐る恐る登り続けるしか無かった。踏路がフラットになって、道の泥濘が激しくなった。不快な儘直進して、長い山頂部を歩き続け、漸く標柱の在る山頂に着いた。冬の陽は低くて、正面の大涌谷の直ぐ上から太陽の陽射しが照り付けている。だから折角の距離感なのに、明神ヶ岳からの中央火口丘の眺めは不明瞭でうすぼんやりとしていた。

数人居た登山者が姿を消して、陽光は眩しいのだが風の冷たさが堪えてきたので、南側の鞍部に向かって下降し、直ぐに現われる道了尊への分岐で、箱根の景色と別れる。尾根を直進して下降に掛かると、右手に相模湾の眺望が広がった。前回の登りの時には気づかなかったので、こんなに心地の良い登山道だったかと思った。やがて登山道は尾根から別れて左にトラバースしていく。隣の尾根に沿って本格的な下山となる。途中に現われる防火帯を慣性に任せて駈足になって下り続ける。一本道の先の彼方に三角錐の山が屹立している。相州大山は何処から眺めても直ぐに判る。

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見晴小屋跡で休憩してから、登山道は深い樹林の中に突入していった。足はなんとか回復したようだった。安堵していたら、林の向こうから鐘の音が響き渡った。最乗寺の鐘を確認して、少し歩調を速めた。関本行きのバス時刻を把握していないので、大丈夫だろうかと思い始めた。やがて石段が現われて、最乗寺を川の向こうに見ながら、お布施の記念碑が立ち並ぶ舗装路を下っていった。見覚えのあるロータリーに降り立つと、バスが乗客を満載してアイドリングを止めた儘停車していた。慌てて駆け出して、バスに乗り込んだら直ぐに発車したので、思わぬ僥倖に驚いた。

終点の関本からも、新松田行きのバスが直ぐに接続した。どのような恩寵なのだろうかと思いつつ、新松田の駅に着いて、まさかと思って電光掲示板を見ると、間髪を入れずに新宿行きの快速急行が到着するところだった。私は御不浄を済ますこともできずに、電車に乗った。

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明神ヶ岳・大涌谷の眺望

外輪山から大涌谷を正面に眺めることのできる明神ヶ岳に登ろうと思い立った。箱根山が噴火しそうだ、と云う連日の報道の影響が多分に在るのは否定できない。中央火口丘からどのような噴煙が立ち昇っているのか、野次馬のようではあるけれども、箱根の外輪山に登って眺めてみようと云うことにした。金時山から巡っていくのは億劫なので、道了尊からの直登コースである。早朝の小田急線新松田駅前には、乗客の疎らな関本行きバスが佇んでいた。関本は伊豆箱根鉄道大雄山線の終点、大雄山駅の在る地名で、其処から道了尊行きのバスが出ている。バスを二本乗り継いで登山口に向かうと云う面倒なことになるが、小田原迄南下して、大雄山線に乗り換えてふたたび北上するのも迂遠である。そう云う訳で、ハイカーが見向きもしないバスに飄々と乗り込んだ。

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2015/5/10

道了尊バス停(8:00)-----明神ヶ岳-----明星ヶ岳-----堂ヶ島渓谷遊歩道-----宮ノ下駅(14:30)

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終点の関本で待ち合わせ時間が二十数分有り、唯一同乗していたハイカーの壮年氏とベンチに座って喋りながら休憩していると、タクシー運転手氏が千五百円で行くがどうかと誘いに来た。三人居れば考えるとこだがなあ、と壮年氏が云った。パンの朝食を摂っていたら、間もなく道了尊行きがやってきた。ふたりだけの乗客かと思っていたら、大雄山線の電車が到着して、登山客が大勢乗り込んできた。

大雄山駅から道了尊迄は、歩いて行けないこともないかなと考えていたが、道路は着実に勾配を上げて、森の中を蛇行して走るから、此れはバスで正解だった。下山ならば歩いてもいいけどね、と壮年氏が云った。厚木市からやってきた彼は、昨日も丹沢表尾根を歩いて塔ノ岳に登ったと云うから健脚である。意気投合して、一緒に登ろうかと云う雰囲気だったが、最乗寺から登山道に入ってからは、歩調が全く違うので、壮年氏を見送った私は、ゆっくりと初めての尾根道を歩いた。

新緑に覆われた尾根道は、緩やかに、実直に続いていた。冬の箱根外輪山を周回した時に眺めた、火口の中に在る箱根を思い浮かべる。広大な火山の淵に向かって延びる、北東の尾根を登っているのだと意識しながら歩き続けた。最初に横切る林道を越えて、同じような景色の樹林帯を登るが、周囲は自然林に覆われているので心地好く、時折左手に長大な尾根を樹間から窺う。矢佐芝に落ちていく尾根だろうか。冬の丸岳から眺めた明神ヶ岳は幅広い山容で、険しく尖った峰の集合体だった。幾つもの尾根が平地に向かって延びているのだろう。

Doryoson2

足柄林道が横断する箇所迄、随分後続の登山者に抜かれた。トレランの徒も多い。外輪山を駆け抜けるのはさぞかし気持ちがよいだろうと思う。私は地形図を見る為に、頻繁に立ち止まる。コースタイムを意識して、足早に登っていたのが遠い過去のことのような気がする。程無く廃屋と化した明神ヶ岳見晴小屋に到達した。酒匂川に沿って広がる市街地を一望できるが其れ程の良景ではない。此処で高齢の男女のグループに追いつかれる。女性ふたりがもの凄く喧しいので慌てて出発した。

標高が七百米を越えて、登山道は樹木が刈り払われたようになっていて明るくなった。登山地図に記されている神明水は、直射日光を浴びる乾いた砂礫の尾根の途上に在った。からからに乾いた路傍に、細いパイプが突き出ていて、水が滾々と流れている。口に含んで、其の冷たさに驚いた。其処から急な傾斜になり、ジグザグに刻まれた道を登って、尾根に乗り上げる。廃れた荷揚ケーブルの塔柱とワイヤーが併行する登山道は、何処迄も広い空の下に続いていた。

灼熱の中を歩き続けて、登山道はやがて尾根の側面を刻むようになった。明神ヶ岳に続く尾根から徐々に離れて、小さな谷筋が現われる。トラバースが続いて南の尾根に移動するのを繰り返して、泥濘の道行となる。神明水の次に記されている明神水はそんな途上の鬱蒼とした処に在った。明神ヶ岳から離れていくような道が続いてどうなるのかと思うが、やがて立派な尾根が行く手を遮る。其処に乗ってからは、稜線に向かって登山道が続いている。外輪山が近づき、雲が覆うようになった空は、不穏な灰色になっていった。

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明神と明星の双方向に道が分かれて居る処を右に、傾斜の砂礫が白くなっていく。上空には複数のヘリコプターが飛び交っている。やがて稜線に立つと、直ぐ目の前に中央火口丘が聳えていた。曇天が、其処の上にだけを覆ってているように見えた。雲間からひと筋の光が、丁度よく大涌谷の亀裂に差し込んでいて、白煙がスポットライトを浴びて吹き上がっていた。

火口に向かって湾曲して連なる明神ヶ岳の頂上には、多くのハイカーが佇んでいて、正面の箱根山を眺めている。巨大な壁画を皆で見ているような気持ちになった。

「ちょっと多い様な気もするけどなァ」ベテラン風のおじさんが呟いた。大涌谷の煙は、ずっと前から眺めていたものと大差は無いように思えた。地下マグマが膨張していて、地殻の裂目から兆候が現われていると云う感じではないが、勿論何が起ころうとしているのかは判らない。大勢の人々が頂上に居るのに、奇妙な静寂が周囲を支配していた。噴火するのを待ち望んでいるかのようなヘリコプターの音だけが、周囲に響き渡っていた。

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別記

外輪山東側を初めて歩き、眺望の無い明星ヶ岳に立ち寄り、宮城野方面に下山。大文字焼の開けた箇所から強羅を見下ろす。なかなかの絶景であった。早川の渓谷まで降り立ち、宮ノ下に登り返した。町営公衆浴場に立ち寄ったが客はひとりも居なかった。テレビの所為でお客が半分以下に減ってしまった。管理人のおばさんは、憤りを隠さなかった。

補記

箱根山(箱根町)の大涌谷周辺で続く活発な火山活動で、県温泉地学研究所がこれまでに捉えた微小な火山性地震の総数は24日、2001年の活動で記録された4230回を超え、観測史上最多となった。約5カ月に及んだ01年の地震数を1カ月足らずで上回り、5~6倍のペースで増え続けている。激しい噴気や地殻変動も継続しており、地下のマグマが活発になっているとみて、活動の長期化と小規模な噴火を警戒している。(中略)温地研が箱根山の地震監視を始めた1960年代も目立ったが、現在とは観測態勢が異なるため比較が難しく、01年の後に発生した4回の活動はいずれも地震の総数が千~2千回程度で終息。11年も群発地震はあったものの、東日本大震災に誘発された活動で、火山性ではないと判断されている。(中略)01年以降の群発地震を比較分析した原田昌武主任研究員は、今回の活動について「衛星利用測位システム(GPS)の観測データに山全体が膨らむ傾向が表れていることから、深い所のマグマが膨張している可能性が高い」とみる。一方で「地震の規模や発生する場所は01年の活動に似ている」と指摘している。(後略)

〈神奈川新聞 2015.5.25〉

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初めての富士山・御殿場ルートの往復

Mount_fuji


いよいよ富士山に登るのだぞ。と、意気込んでみるが、心の何処かから、まあ、そんなに興奮しなくても、と云うような声も聞こえてくる。御来光の為に夜通し歩く登山者で渋滞する富士山。ヘッドランプが数珠繋ぎの富士山。夥しい群集が押し寄せて登る富士山。何をいまさら、と云うような、冷ややかな思いが浮かんでくる。しかし、私は行列が厭なのであって、富士山が嫌いな訳ではない。最高峰の富士山に、一度も登らないと云う方が、不自然なことだとさえ思っている。評判のラーメン屋に行列しなくてもよいのは、他にも店が在るからである。しかし、富士山はひとつしかない。だから、登るのならば、なるべく人の少ないコースを選びたいと云う想念は、ごく普通に浮かんでくる。大多数の人々が忌避するコースは、標高差2300mを約八時間の所要時間で登る、御殿場ルートである。


Goteba_trail1

2014/8/16

御殿場口新五合目(6:00)-----七合目-----砂走館-----赤岩八合館-----富士山・浅間大社銀明水(14:30)-----七合目-----大砂走り-----大石茶屋-----御殿場口新五合目(19:30)

尤も、八月に富士登山を敢行するために、御殿場ルートを選択せざるを得ない理由が在る。世界文化遺産登録に拍車が掛かって、以前はシーズン中でも限定的に自家用車で到達できた、御殿場口以外の各五合目の駐車場が、現在は殆どが規制されるようになった。一昨年、レンタカーで富士宮口五合目に行ったのは七月下旬だったが、其れも今では不可能である。年間、と云っても、殆ど二ヶ月の間に三十万人以上が訪れる富士山の、塵や屎尿問題を解決する為には、入山者を逓減させていくしかない。マイカー規制の強化は、至極尤もな措置である。

御誂え向きのタイミングで、友人の纏井君からお誘いが来た。私を山歩きに傾倒させるきっかけを作って呉れた彼とは、最近殆ど山行を共にしていない。免許を取得して自家用車を購入した纏井は、今や日帰り登山に行くのも億劫さを隠さない程に堕落していて、それよりも、車で温泉に行こうなどと云う駄言を繰り返すから、暫く放っておいた。そうしていたら、私が山に行くことにしか興味を示さないので、渋々と云った態で、登山の為に車で出掛けようと云う提案が来たのである。

車が在るからと云って、無尽蔵に遠出の計画を立てるのも意地汚いし、不明である纏井の運転技術も気になる。此れは、兼ねてより考えていた、御殿場ルートからの富士山と云う案に、御誂え向きの事態が到来したのではと考えた。早朝、未明に御殿場口新五合目に居る為には、車が必須なのであり、自家用車で富士山の五合目に向かうとすれば、御殿場口に行くしかないのである。マイカー規制に賛同して、富士山の環境保全を憂慮する私であるが、深謀遠慮の素振りを見せることなく、纏井君御自慢の外車を、御殿場に誘導していったと云う訳である。

御殿場口新五合目第二駐車場は、雨が降り続いていた。深夜二時半に到着して、仕方が無いので未明迄仮眠を取ることにする。こんな悪天だが、駐車場は殆ど満杯で、我々の後にも、数台の車がやってくる。過酷なルート故に不人気な筈の御殿場口、そのようなイメージが揺らいでくる。それはそうとして、酷い雨である。車の天井を打つ激しい雨音に、半ば諦めたような気になって、我々は眠りに落ちた。


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窮屈な恰好で眠っていた所為か、妙な夢にうなされてから、目が覚めた。雨はすっかり止んでいて、周囲では車から出てきた人々の嬌声が聞こえる。外に出たら雲間に、明るさが満ちてきている。振り返ると、富士山の山腹に、厚い雲が覆っていたが、徐々に流れて、山容の片鱗が現われてきた。裾野の方角から朝陽が照らされて、御殿場口新五合目は、結局晴天になったから、予定通りに、初めての富士登山を敢行することになった。

車道を登り、登山口である鳥居の下から出発した。整備された道を歩き、程無く大石茶屋に出る。小屋の裏手に出たら、茫漠とした風景が広がった。富士の全貌は雲に隠れて見えないが、砂地が延々と広がっていて、登山道が明確に続いている。左手に側火山の二ツ塚が、人工的な迄に端整なドーム型で並んでいるのが見える。其れが何時迄も同じ処に鎮座しているから、歩き続けているのに、果たして進んでいるのかと云う錯覚に陥りそうになる。

併行するブルドーザー道を、下山してくるハイカーが歩いている。其の道と交錯する地点を少し過ぎたら新五合五勺である。徐々に勾配が急になってきて、登山道がジグザグに切られるようになってきた。登山者は想像以上に多かった。勿論行列では無いが、親子連れや、中学生を引率しているグループなど、賑やかに登っている。砂の傾斜を登る苦しさは想定通りで、私は極端に歩幅を狭めて、ゆっくりと登った。

旧四合目に至る迄の勾配で、他の登山者たちが、我々を次々に追い抜いていく。先は長く、抜かれた処で何の興味も無い。しかし、我々が遅いのは明確な理由があった。我が友人纏井君が、頻繁に休憩を要求するからである。同行者が疲弊しているのを無視して歩き続ける訳にはいかない。歩幅を狭くとってゆっくり歩けば疲労が軽減するのでは、と助言をしてみるが、生返事ばかりでちっとも改善しようとしないから、以後同じことは云わないことにした。

あらゆる方角から、形の変わった雲が山腹を覆い、そして流れ去っていった。陽射しを遮るものが無い砂漠の斜面だが、いろんな雲が日除けになって呉れる。だから思った程、灼熱地獄に苛まれると云う感じではない。しかし、御殿場ルートの標柱や、ブルドーザー道と交差する箇所などが現われると、相方が直ぐに休憩だと云って座り込むから、登山のペースは徐々に気だるい雰囲気になってくるのだった。


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蟻が砂山を蛇行しながら歩いているような、終わりの見えない登りが続いたが、漸く彼方に建造物が窺えた。廃屋となった六合目山小屋のようだった。通常ならば、目標が現われたら、其処を目指して歩き続けたくなりそうに思うが、ジグザグの切り返しの途上で、頻繁に纏井が休もうと云うから、仕方なく付き合う。腰を下ろして、遠くに見える御殿場口の駐車場を眺めていたら、背後から絶叫が聞こえた。そして、何かが舞い上がって飛んでいった。其れは、相方の帽子と、折り畳み式座布団だった。友人は其れ等が飛んでいった方へと斜面を下り、回収を試みようとしていたが、其れを目的にするならば、もう一度五合五勺辺りから登山をやり直さなければならないと云うことに気付いたようだった。

強風吹き曝しの斜面で、御丁寧に座布団を敷くとは、と内心呆れたが、未練がましく下方を見ながら、諦めて引き返してくる友人の姿は、如何にも哀れだった。富士山の環境保全が、また後退してしまったね、などと云う冗談は、とてもではないが云えそうにない。富士登山で、折り畳み式座布団は無用の長物である。そう云う教訓を脳裡に刻み込んで置くに留めた。

気がつくと、二ツ塚は小さな突起物のようになって後方の彼方に見えていて、其の上に、見覚えのある灰色で滑らかな曲線の山容が聳えている。宝永山である。ほぼ同じレベルの高さで其れを眺めているから、漸く富士宮口のスタート地点と同じような標高迄登ってきたと云うことになる。御殿場ルートの六合目には、多数の登山者が休憩していた。既に景色は雲の上の世界で、下方から湧き立つ雲の白と、鮮やかなスカイブルーだけが周囲を覆っている。強風を避ける為、小屋の陰に大勢の人々が屯していた。


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砂礫の道に、岩塊が顕著になってきた。スコリアと呼ばれる灰黒色の溶岩礫に覆われた登山道の周辺に、フジアザミの花が、這うようにして咲いている。実直に、西北西に、富士山頂を目指して歩いている筈だが、砂礫と青空と湧き立つ雲しか見えない光景が続いている所為か、何処を歩いているのか、だんだん判らなくなってきた。下に見るようになった宝永火口の巨大な壁が、徐々に近づいているから、私は脳裡に、飛行機の窓から俯瞰して眺めた富士山の形状を思い浮かべる。確かに、山頂に向かって登っているのだと、自分に言い聞かせながら歩いている。

標高3000mの表示板が現われて、漸く七合目の小屋が窺えるようになった。最初に現われた日の出館は、崖崩れの影響で営業休止中とのことなので、少しだけ休憩して、先に歩を進める。見上げると、直ぐに次の小屋が建っているのが見える。七合四勺のわらじ館である。其処に到達して、御不浄に行きたいと云う相方が小屋の中に入っていき、一旦戻ってきて厠に向かわないので、どうしたのだと訊いてみる。使用料三百円だと云われた、と云って其の儘だから、私の怪訝が神経を刺激する。それで、トイレには行かないのか。そう問うと、お金を払うならもっと綺麗なトイレに行く、と云って、友人は其れっきり黙っている。

更に追求するのも疲れるので、直ぐに歩き出して、程無く七合五勺、砂走館に到着した。無言で厠の中に消えた相方が戻ってきたから、トイレは綺麗だったのかと訊くが、何も答えない。恐らく使用料を支払わないで拝借してきたと見える。高価な外車を買うような輩が、トイレ使用料の三百円を惜しんでいるから、人間と云うのは判らない。富士山自然環境保全問題。其の要因の、氷山の一角を垣間見たような気がした。そうは云っても、折角雲上の世界に迄登ってきたので、此れ以上陳腐な想念に囚われるのは止めることにした。

山頂の方角を仰ぎ見ると、一面が灰色の雲で覆われていた。其の手前に、大きな小屋が張り付いたようにして建っている。赤岩八合館である。七合五勺から八合目の手前迄の距離だが、此の間の距離は異様に長く感じた。勾配は急激に厳しくなり、蛇行しているとは云え、疲労感が此迄以上に襲ってくる。相方の休憩要求が哀訴の響きを帯びてくるようになった。私はと云えば、何時の間にか其れに唯々諾々と従っている。疲弊もあるが、眺望の無くなった薄暗い砂礫の登山道は、気分を重くさせていった。

霧で鬱蒼として、湿気を帯びた空気に包まれた赤岩八合館に到達し、木製ベンチで休憩した。下山者も増えてきて、小屋の前は騒然とした雰囲気になった。山小屋の従業員たちは、干していた布団を屋内に取り込む作業で忙しそうだった。雨粒が落ちてきたのは、つい今しがたのことのようである。登頂の、最後の詰めに掛かろうと云う処で、我々は合羽を着込むことになった。


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山小屋の裏手に登山道は続いていた。木段が設置されていて、偉大な観光地、富士山頂へのアプローチは此のように整備されているのかと安堵したが、其れも直ぐに尽きて、溶岩帯が雨に濡れた滑りやすい踏路になった。視界が良ければ、山頂は直ぐ見上げた処に在る筈である。しかし、霧の中に延々と続く赤い岩礫の道は、幾ら登り続けても、同じ光景ばかりが繰り返し現われるだけであった。堆積していた疲労が、徐々に身体の表面に染み出してくるような、そんな気分だった。

やがて、無惨に倒壊した山小屋跡に達した。雪崩なのか岩崩の所為か、建具がバラバラになって折り重なっている。見晴館と云う、須走口登山道の本七合目に在る山小屋と同名の小屋の跡地で、此処が御殿場ルートの八合目である。未だ八合目なのか、と、此処迄の道程で初めて味わう、徒労感を覚えた。覚悟していた、御殿場トレイルの過酷さを、私は此処で、初めて実感できたような気がした。

歩幅を狭くしてゆっくり登ろうが、激しい疲弊の感覚は軽減することが無かった。八合目を過ぎて、岩礫の道は更に傾斜を増していく。霧の中で、同じような景色の繰り返しで、歩き続ける。登山道には所々に標柱が立っていて、登頂への経路を辿っているのは確実なのに、まるでホワイトアウトに直面して遭難しかけているような気分になる。歩き続けていることが、徒労なのではないかと云う疑念が、全身に染み渡っていくようであった。

私は、岩礫の登山道が切り返しになるに従って、標柱に凭れ掛かったり、座り込んだりして、息も絶え絶えになった。山に登ると云う喜び。理屈ではない、自分が享受してきた感覚が、霧消してしまったかのようだった。もう帰りたい、言葉にすれば単純な台詞を、脳裡で反芻している。重要なのは、山に登ると云うことに対する自分にとっての意味だった。其れに就いて、もう何も浮かんでこなかった。時間が経過するに連れて、霧はいよいよ深くなっていった。


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口惜しいことに、我が友人、纏井君が、淡々と登り続けている。俯いて遅々とした足取りで登ってくる私を、間歇的に立ち止まって、待っていて呉れる。もう倒れそうだ、とか、何故頂上に着かない、などと、云ってもどうしようもないことばかり口走る私を、困ったような顔で見下ろしている。背後に気配を感じた。霧の中から、中学生と小学生の姉弟が登ってきたのだった。七合目辺りで追い越した子供たちだった。ふたりとも無言で、しかし、確実な足取りで、私を追い抜いていった。

其れで、少し我に返ったような気がした。此処で自分だけ帰るのは、全く現実的ではなかった。其れにしても、此の苦しい最後の登りに、何故九合目の標柱が無いのか。不条理な現実を、直ぐには受け入れられないような、そんな気分だった。私は、無心で脚を交互に繰り出し続けて、友人の後を追った。ほら、あれを見ろ。相方の声が聞こえて、私は顔を上げた。岩塊の奥に、霧がたちこめていた。其の茫漠とした中に、鳥居が立っていた。

富士山御殿場ルートの登頂地点、浅間大社銀明水に、漸く辿り着いた。一時的に山頂郵便局になっている銀明館も、人の気配が無い。周囲は霧の中で、火口の大内院も、最高地点の剣ヶ峰も、何も見えない。此処は本当に富士山頂なのだろうか。銀明水の囲いに在る木製ベンチに、我々は倒れこむようにして座り込んだ。時刻は午後二時半だから、全行程に、八時間半を要したことになる。尤も、最後の苦行で絶望感に襲われた記憶を顧みると、よくぞ此の程度の時間で登頂できたものだと、そう思った。

富士山は、日本で最高峰の山。其の、当たり前の知識が、体感となって認識せられるような、そんな登山だった。今迄登った山のことを反芻して思い浮かべてみる。此れ程の標高差を続けて登ったことは無い。堆積した疲労で、頭の中が、靄のような感じで覆われている。そして、自分が何をやっているのか、其れも曖昧に思えてしまう。そんな山登りは、初めての経験であった。

さすがは、富士山。

私は、霧で何も見えない山頂で、悔し紛れに、そう呟いた。

おい、大丈夫か。下山できそうか。友人が心配そうに云う。私は、大きく首肯して、そうして、よろよろと、立ち上がった。


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追記

下山の途に掛かり、砂走館の手前で、嘘のように晴れ渡った雲海の上に出た。人心地がついた気分で休憩し、カップ麺を食し、七合目から大砂走りの分岐に出る。宝永山の馬の背を直ぐ其処に見る処で感慨に耽った。大砂走りは雨を含んでいたおかげで、砂塵が舞う苦痛を味わわなかったのは幸いだったが、その後本格的な降雨になった。広大な砂漠の斜面を休まずに駆け下りる。友人は愚かにも砂走館で合羽を脱いでしまい。ふたたび着るのが億劫なので其の儘走り続けたので、惨憺たる濡れ鼠と化した。いい大人なのだから、自己責任と云うことで何も云わない。ブルドーザー道に合流する頃に薄暮も極まり、ヘッドランプを装着して下山した。驚くべきは、十数人のグループが間隔を開けて登ってきていることだった。ひとりの女性に挨拶して、山小屋に泊まるのかと訊ねたら、夜通しで登頂すると聞いて驚いた。山岳会のような、経験者の集団なのだろうが、連続して降り続ける雨の夜から登り始めると云うのに驚いた。そして、その女性が、うら若き美人だったので、其れが最も驚いたことだった。

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足柄駅から金時山・丸岳・箱根外輪山・初めての雪上野営(後編)

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シュラフカバーにシュラフ、サーモライトリアクターの三枚重ね。衣類も重ね着で、ダウンジャケット迄着ている。其れでも、テントの底から浸透してくるような寒気を感じて、なかなか眠ることができなかった。ホットワインを拵え、文庫本を読みながら飲んで、漸く疲労感が訪れて、目を瞑ることができた。風は強くないが、はたはたと音を立てるテントは、理由も無く心細い気分にさせる。爪先の冷えは大丈夫だろうか。私は文字通り芋虫が蠢くような動きで、シュラフの中で何度も寝返りを打っていた。


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2014/1/21

丸岳(7:50)---長尾峠---芦ノ湖展望公園---湖尻峠---三国山---海ノ平---箱根町(16:00)

一体、真冬の雪山でテントに泊まると云うことで、何が必要になるのか。此れ迄の経験では、一昨年の晩秋に尾瀬沼ヒュッテで幕営したことが参考になりそうであった。晩秋と云っても十月中旬のことだったが、尾瀬の十月は、もう初冬と云って良い程、透き通った冷たい空気で、陽が暮れると、其の寒さは一気に加速していくようだった。ダウンのスリーシーズン用シュラフにサーモライトリアクター(シュラフの中で包まるインナーシュラフか。肌触りがよく、耐寒性能を摂氏八度分を補うとある)を加え、肌着を二重に穿いて潜りこんだが、爪先が冷えてきて、快適に眠ることができなかった。爪先が寒いと、いくら着込んでいても寒さが其処から染み渡ってくる。だから今回は、ウールの靴下を二重に履いて、其の間に使い捨て懐炉を挟むことにした。

何時の間にか昏々と眠り続けていて、目が覚めた。懇願するような気持ちで、時計を確認する。時刻は未だ夜の十一時を過ぎたばかりだった。早く夜が明けてほしいと思うが、どうしようもない。外に出て、富士山と裾野の夜景でも眺めたら素晴らしいだろう。そう思うだけで、此の安眠態勢を解除する気にはならなかった。靴はザックカバーに包んで、テントの中に置いてある。靴が凍ってしまったら、もう動けない。そんな危惧の思慮で頭の中は一杯だった。

観念して、冷え切った赤ワインを飲んだ。読書の続きをしようとしたが、掌が冷たくて苦痛だから止した。盲目だった不朽の作曲家、宮城道雄に就いて綴った内田百閒の随筆を思い出した。盲人は読書灯など不要で、紙に浮き出た点字を指先でなぞれば、我々が活字を読むように意味が通じる。宮城検校は昵懇の百鬼園に、寝てからも本を読み続けたい時は、点字の紙を布団の中に入れて、おなかの上で撫でればいいから、寒い冬でも手が冷えることはありませんと自慢した、と云う話だった。テントの隅に置いてあったジャスミン茶のペットボトルを振ったら、しゃりしゃりと云う音を出した。最早此の寝室も氷点下の気温である。点字読術を持っていればな、などと、不埒な想念を浮かべながら、私はシュラフのジッパーを締めて、力無く横たわった。

覚醒したら、テントのオレンジ色が明るくなっていた。存外に眠れたようである。爪先に温もりが感じられる。使い捨て懐炉が功を奏したようだった。時刻を見ると、もう六時半を過ぎている。起き上がって肘を突いたら、床が柔らかく陥没した。雪の上で寝ていたのだなと、改めて思った。外に出てみると、空は一面の雲に覆われている。富士山は、勿論見えない。雨の予報は無かったが、一夜にして天候は崩れてしまった。私は、黙々と撤収の作業を開始した。


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すべての準備を整えて、丸岳の頂上に立った。神山、早雲山、駒ヶ岳のひと塊である中央火口丘が要塞のように屹立している。其の上空の雲間から差し込む光が神々しい。富士山の反対側、南の方角の空を眺める。鈍重な色の雲は、彼方で途切れている。此れから私が向かっていく方角に明るさの予兆が在る。其のことが、気分を落ち着かせてくれるような気がした。

深く考えないことにしていたが、実情としては大変な寝坊であった。今日の行程は、外輪山の西側を縦断して、元箱根を目指すのがとりあえずの目標である。そしてあわよくば、と云った考えでは、其の儘旧東海道の石畳を踏んで、箱根湯本駅まで歩いてみたいと云う意欲すらあったのである。起伏はあれど、要は標高の低い処に向かうのだからと、そんな野望すら抱いていたのである。しかし、時刻はもうすぐ朝の八時である。巨大なザックを背負って、元箱根迄の標準コースタイム六時間を勘案すると、元箱根には午後三時に到着できれば上出来、そんな様相であった。疲れきった身体で、暮れていきそうな箱根の坂を歩くのは現実的では無い。其の目標を半ば諦めながら、朝の珈琲も飲まずに、私は丸岳を出発することにした。


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箱根スカイラインをドライブする車の為にあるような長尾峠迄、実直に泥濘と雪の道を下って行く。鉛色の空が深い笹薮の上に広がっている。月曜日の朝、併行するスカイラインからの気配は感じられない。空腹を感じるようになってきたが、落ち着けそうな場所が見つからない儘、1044.9mピークへの登りに掛かった。登り詰めて、直ぐに下降して目の前に盛り上がっている1063mピークに達した処で、朝食にした。昨日の続きで、今朝も袋入りのインスタント麺だが、天麩羅蕎麦と云うのを買ってきた。此れに切り餅を入れて茹でる。天麩羅と云っても揚げ玉が入っているだけなのだが、熱湯に浸した揚げ玉は火傷しそうに熱い。其れが嬉しい。概ね満足できる食事で、ふたたび歩を進めた。

富士見ヶ丘公園から下りに差し掛かり、芦ノ湖が直ぐ其処に近づいてくるのを見渡す。柵が連なる芦ノ湖展望公園で、箱根スカイラインが擦り寄ってくるように合流していた。その軌跡の向こうに、何時の間にか姿を現わしていた富士山が在った。気持ちの良い防火帯の道を緩やかに登り、尾根が分岐している1018mピークの脇を直角に左折して、湖に向かって降りていく。湖尻峠は箱根スカイラインと芦ノ湖スカイラインの緩衝地点で、自動車専用道路なので歩行者進入厳禁、と云うような意味の看板が林立していて気分が悪い。何様の積もりかと思いながら、舗装路に軽アイゼンの音を立てて横断した。


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登山道は稜線の上から少し湖側に沿うようになって、谷筋を渡りながら樹林帯に入った。三国山はハイカーが少なからず訪れるようで、道標が充実している。展望が利かなくなって、足取りが少しずつ重くなってきているような気がした。出発してから、朝食の休憩を挟んで三時間半が経過していた。然程気に留めることでも無いが、標準コースタイムよりも一時間程余計に掛かっている。木段に積もった雪に留意しながら、ゆっくりと三国山への登路を踏みしめていった。

縦に長い、広々とした山頂で、珈琲を淹れて休憩した。朝の天気は杞憂に終わり、陽光が降り注ぐ暖かい三国山で、枯木越しの芦ノ湖を眺めながら、茫洋とした気分になった。もう満足である。バスに乗って帰ってしまっていい。そんな風に思うが、嫌悪すべきスカイラインに路線バスはやってこない。歩き続けるしかなかった。

三国山の尾根を降りきって、枯芒の道を、自動車専用道路と並んで歩く。顕著なピークにぶつかると、彼奴は西へ、私は東へ迂回して、気がついたらまた併行して歩いている。分離帯の植栽の切れ目が在ると、自動車専用道路、危険と云う看板が必ず立っていて、其れが腹立たしい。何度も云うな愚か者。心の中で叫びながら、歩き続けた。


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山伏峠、茶屋の展望所を経て、茫漠とした枯野原の道を歩く。芦ノ湖スカイラインの料金所を過ぎて、緩やかな丘を登り振り返ると、扉の向こうから半身で覗いているような感じで、富士山が見えている。丘を越えた辺りに海ノ平の看板があった。右手にゴルフ場が広がっていて、正面には鞍掛山と無線電波塔が立つ山々が並んでいた。箱根外輪山の西側を巡る山歩きが、静かに幕を閉じようとしている。芦ノ湖の向こう、遥か彼方に連なる山塊を眺める。タワーを載せた丸岳の顕著な姿を確認して、私は、歩いて来た距離を、改めて実感していた。

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