南九州

大浪池から韓国岳・新燃岳の遠望。

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新燃岳大噴火で暫く休業していたと云う秘湯、新湯温泉の一軒宿は、其のあまりの秘境ぶり故か、却って日帰り入浴の客で賑わっていたのだが、夕餉を終えた頃には静寂さが戻った。硫黄泉が濃厚なので、入浴は十五分以内にすべしの旨と、浴場には三十分以上留まることを禁ずると云う貼紙が至る処に貼ってある。硫化水素中毒で死者が出たと云う話は有名なので、やや動揺しながら、そして時計の針を気にしながら入浴した。日帰り客は短時間での入浴で終了しなければならないが、宿泊客はインターバルを置いて何度でも入湯できる。だから新湯温泉は日帰り入浴では勿体無い。宿泊するに限る。


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2014/7/28

大浪池登山口(9:00)-----大浪池-----韓国岳-----えびの高原(12:15)

霧島滞在最終日の朝だが、移動手段は相変わらずの連山周遊バスだから、慌てる必要が無い。前回風雨の韓国岳に登った時と同じバスに、途中の新湯温泉入口から乗車すればよい。発着は8時45分だから、山行にしては遅すぎる出発のようにも思えるが、止むを得ない。朝風呂に入り、朝食をゆっくり食べてからまた入湯して、のんびりと身支度をしてから出発した。

新湯からえびの高原迄の県道を、既に三往復もしているので、此れで七度目の道中だが、今日はふたつ目のバス停、大浪池登山口で下車する。大浪池(おおなみのいけ)を経由して韓国岳に登り、えびの高原に下りると云う算段である。前回帰途に利用した、えびの高原を13時に発車するバスに間に合いそうだが、大浪池の距離感が判らないので、其れは成り行きに任せることにする。昨日と同じ16時のバスに乗っても、夕刻の飛行機には充分に間に合う計算である。漸く好天の韓国岳に登ることができる。涼しい朝の気配が残る静かな登山口から、私は石畳の道を、ゆっくりと歩き出した。


Shinyu

大浪池は山頂火口湖の名前で、勿論活火山である。山容も独立しているし、火口の直径は1000mと云う壮大さで、火口淵の東南に在る三角点の標高は1411.4mと云うから、立派な山名を冠したら、随分有名になるのではと思うが、現在迄大浪池と云う、一見山岳とは判別し難い名前に甘んじている儘である。其の、通称大浪池火山の南西の山裾を、遊歩道のように整備された石畳が、左へと捲いていくように続いている。途中、軽装の男女や、親子連れが下ってくるのと擦れ違った。火口湖を望む大浪池休憩所迄は、難なく登れる道のようであった。

標高1200mの手前で大きく切り返した登山道を、休むことなく登り続けて、呆気なく大浪池休憩所に到達した。コンクリートの建物は閉塞感が在り居心地が悪そうだが、噴火防災時の為の頑強さを考えると納得できる。木道が溶岩帯に設置されていて、ベンチやテーブルが随所に在る。火口湖を望むと、其の向こうに、さらに雄大な山容が聳えていた。昨日から韓国岳を、いろんな角度から眺めているような気がする。

此処から韓国岳に向かう分岐の在る避難小屋迄、火口湖の淵を辿る訳だが、時計廻りでも其の逆でも所要時間は然程変わらない。私は、無意識に反時計廻りの道を選んだ。三角点を経由するのが本筋だと考えた訳だが、時計廻りの方が火口に近い踏路のようにも見えるから、どちらの道がよいかは断言できない。

溶岩帯が樹林に覆われて、暫く池の見えない外側を歩くが、やがて坂路が急になって、陽射しが照りつける岩場に出ると、先程よりも高い処から、火口湖の全容を眺められる場所に立った。彼方に広がる筈の山々は、相変わらず靄靄とした空気の向こうに並んでいる。其れが、大浪池の湖面がひと際鮮やかな濃紺色をしているのに効果を上げている。陽光が真上から降り注ぐ、陰影の無い景色だが、此の規格外の火口湖には、其れも相応しいような気がした。


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三角点を確認できない儘、火口の絶景を眺めて歩いていたが、次第に踏跡は樹林帯の中に入り、対向のハイカーと擦れ違うようになった。火口の外側の山腹を捲くようにして徐々に傾斜が下り加減になって、感覚としては随分歩いたような気分で、韓国岳避難小屋に到達した。通過するハイカーの姿が無い、静かな分岐点で暫く休憩し、気を取り直すようにして、いよいよ韓国岳に向かう。

大浪池火山と韓国岳の鞍部は広大な森で、繫茂した植物に囲まれた泥濘気味の道を暫く歩く。ふたたび勾配が近づいてきても、其の鬱蒼とした雰囲気は変わらなかった。腐食した木段を慎重に踏んで、不快な気分の儘、登り続けた。霧島連山の、よく整備された登山道に慣れきってしまっていたので、此の状況は想定外であった。喘ぐように、無意識になって脚を繰り出していたら、頭上に明るさが増してきた。足元の土が乾いた褐色を帯びてきたなと思ったら、唐突に山腹の、眺望が広がる砂礫の道になった。振り返ると大浪池の全貌が見えたから、もぐらが一旦地中に入って移動して、何処かに這い出てきたような気持ちになった。歩いてきた鞍部が、樹海のように広がっているのが見渡せた。


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御椀を逆さにして、高台に紺碧の水が浸されている。そんな、絵に描いたような円錐状の大浪池火山を眺めて、左手を見ると、新燃岳の歪んだ山容が、靄が掛かったような曖昧さで浮かんでいる。昨晩、新湯温泉の林道から眺めた、黄昏に映る影絵のようだった山容を、同じ高みから眺めている。溶岩で埋まった火口は未だ見えない。韓国岳に登頂したら見えるのだろうか。そんなことを考えながら、森林限界を越えて、茫漠とした山腹を登り続けた。陽射しが容赦なく照りつける登りは疲弊するが、泥濘の樹海よりは我慢できる。山頂から下ってくる人が増えてきた。此れは、えびの高原からの道よりも景色がいいねえ、単独行の壮年男性が擦れ違いざまに云った。此の先は泥濘ですが、とは云わないでおいた。

砂礫の丘に、道標が立っていた。見覚えのある、山頂へ、と云う文字を確認して見上げると、韓国岳の山名標がぽつんと立っているのが見える。岩塊の合間をひと登りで、標高1700.1m、二度目の韓国岳山頂に到達した。風雨の前回では見えなかった巨大な火口の底が、明瞭に広がっている。鋸歯状の火口淵の壁に囲まれ、砂礫と点在する緑が、造成したかのように構成されている。其れを客観視すると、西部劇の舞台が箱庭になったようにも見える。ちっぽけな人間の視野では、其のスケールを実感できないばかりか、遠近感も曖昧になってしまう。そんな光景だった。


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新燃岳はと云えば、相変わらず靄の向こうに居るような感じで、連なりの彼方に聳えていた。端整な高千穂峰の輪郭も、やはり靄靄としている。大噴火から三年が過ぎたが、新燃岳は現在も地下マグマが膨張しているそうで、火山性地震も頻発していると云う。気象庁の警戒レベルは引き下げられたが、新燃岳には相変わらず立ち入ることはできない。いずれは沈静化するであろうが、何時のことになるのかは分からない。

火山群の上を辿り、此処から琵琶池、獅子戸岳、そして新燃岳を経て、中岳の北側をふたつの火口を眺めながら歩き、御鉢と高千穂峰を望みながら、高千穂河原へと下って行く。霧島連山の縦走路である。

歩きたい、と思うが、其れは文字通り、自然の成り行きに任せるしかないようである。

新燃岳の、兎の耳と呼ばれる特徴的な火口南面の双岩峰が、不気味な程静かに、屹立している。新燃岳は、近くて遠い山なのであった。私は其れを、茫洋とした気分で、何時迄も、眺めているばかりだった。


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追記

韓国岳から下山。時間的には微妙だったが、途中から欲が出て快速で駆け下り、13時発のバスに間に合う。結局、また高千穂河原迄連れていかれてから、丸尾に戻った。直ぐに温泉に浸かっても時間があり余るので、一日乗車券を駆使して、霧島神宮へ参詣した。再度丸尾に戻り、相変わらずの前田温泉で汗を流した。

別記

『火山噴火予知連絡会(会長・藤井敏嗣東大地震研究所名誉教授)は、霧島連山・新燃岳(1421メートル)で、2013年12月ごろからマグマだまりが膨張傾向を示し、今月20日ごろには火口直下を震源とする地震も一時的に増加していることを明らかにした。25日、気象庁(東京)で開いた例会で報告。同会は「マグマの供給量は増えていると思うが、これからどうなるか分からない。今後の推移に注意する必要がある」との認識を示した』
宮崎日日新聞(2014年2月27日)より。

霧島連山・甑岳

Koshikidake


鹿児島中央駅にやってきた指宿始発の高速バス「メモリーライン」は、見事なまでに乗客が居なかった。猛暑の駅前から快適な車内に乗車しようとすると、霧島行きですが、と、運転手氏が窺うように云った。合点承知の旨を伝えると、私ひとりだけを乗せたバスがゆっくりと発車した。次の停留所は鹿児島空港で、其の次はもう丸尾迄停まらない。持参した弁当で食事を済ませて、時間調整で暫く停車する桜島SAで珈琲と煙草と御不浄を済ませる。そして発車後、空港迄の間にサポートタイツやストッレッチスパッツを穿いたりして身支度をする。快適にも程が在ると云うくらいに快適なのだが、いわさきバスの営業収支が心配である。結局、丸尾迄、貸切状態で移動した。勿論、霧島連山周遊バスは、丁度良く接続している。一昨日の繰り返しのような気持ちになって、ふたたび、えびの高原に向かうバスに揺られた。因みに、連山周遊バスの乗客も、私ひとりであった。


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2014/7/27

えびの高原(13:15)-----不動池-----甑岳-----えびの高原(15:20)

無事に所用を済ませてからの霧島滞在であるから、気分は開放感に満ちている。今夜は新湯温泉に投宿すると云うことだけが決まっている。午後一時にえびの高原に到着して、どうしようかと思うが、行動の制限としては、新湯に帰る為のバスの発車時刻が午後四時であるということは決まっている。だから、三時間で何処かに行って帰ってこなければならない。韓国岳は時間的な余裕が無いので、想定できるふたつの選択肢を検討するしかない。六観音御池を経由し、白紫池の火口湖を持つ白鳥山を目指して周回すると云う、池巡りコースか、霧島連山の中でもユーモラスな形状の個性的な山、甑岳に登るかと云う選択である。尤も、決めかねて此処に居ると云う訳ではない。最初から、甑岳に登ることは決めていた。

往路からすると容量は大分軽減したクレッタルムーセンHuginだが、此処もできれば荷物を預けて軽快に歩きたい。そう思ってコインロッカーを探すが何処にも見当たらない。火山に囲まれた山間盆地であるえびの高原は、いわさきバスの閑古鳥とは裏腹に、夥しい観光客が押し寄せる大観光地であり、土産物屋からお洒落なカフェ迄揃っている。しかし、荷物を預けるような者は居ないようである。自家用車や観光バスで訪れる者ばかりでは、それも首肯できるのだが、なんとか何処かで預かって貰いたい。

最初からそのような積もりでは無かったのだが、広大な駐車場の料金所が手頃な小さい建物なので、其処に近寄っていった。中に居たおばさんとおじさんのふたりに、コインロッカーの所在を訊き、案の定、そんなものはないねえ、と云われるが、何処かで荷物を預かってくれる処はないかと哀願調で訊ねる。すると、警戒感をあらわにしながらも、おじさんの方が重い口を開く。

「五時迄だったら、此処に置いといてもいいけど……閉まるのが五時だから……でも責任は持てないんだけど……」

心の中で快哉を叫びつつ、四時のバスに乗るから絶対戻ると力説した。そうして、サブザックに必要な荷物を詰め込み、巨大ザックを預かって貰った。おじさんは、其れでも時間のことが気になるらしく、五時になっても戻らなかったら、此の建物の外に置いといていいかと云った。其の場合は是非そうして貰って構わないと伝えるが、おじさんは其れでも、貴重品は持ったか、などと、いろいろ心配して呉れる。人情紙の如き時代に、なんとも心温まる対応である。


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エコミュージアムセンターの裏手に廻り、キャンピングカーが屯している駐車場の傍を通って、一旦車道に出ると、不動池への道標が在る。三ヶ月前に風雨の中を歩いた処である。前回は此処から野原を縦横に歩いて韓国岳登山道に向かったが、今日は道標の通りに遊歩道を真直ぐに進む。ヘアピンカーブで折り返して登ってくる車道にふたたびぶつかり、横断すると、徐々に勾配となり、遊歩道に木段が現われる。異様な迄に白い硫黄山を右手に見ながら登り続けると、三たび現われる車道が近づいてくる。合流した処が不動池で、地形図を見ても判然としないが、勿論火山の火口湖である。

不動池と硫黄山から北北東に向かって、大雑把な広がりで地形が緩やかになっている。其れは不動池が噴火した溶岩が、甑岳の麓迄流れついたものだと云われる。凡そ三千年前と云うから、まあ最近のこととも云える。溶岩帯の起伏を直截的に車道は延びているが、遊歩道が六観音御池方面に分岐しているので、迷わずに進入する。少し歩いて、程無く甑岳への道標が在る。緩やかに下っていく湿った樹林帯を、少し急ぎ足で歩いた。林立する火山群から少し離れた処に甑岳が在り、其処に向かって、今は鞍部へと下っている最中なのである。不動池の標高が1228mだから、独立したように裾野を広げる甑岳の標高1301mへ向かうには、随分下って、ふたたび登り返していくと云うことになる。

池巡りコースから別れた樹林帯を歩き、正規の登山口からの道に合流し、明瞭な登山道になった。目印の赤いテープが頻繁にぶら下がっている。見渡すと、広い林野の中である。程無く枯れた沢に木橋が架かってある場所に着いた。此処が最低鞍部なのだろう。此処から漸く登りに掛かる。所要時間は想定内だったが、気持ちが逸る所為か、少し慌てたような足取りで、徐々に急になる勾配を登る。駐車場のおじさんの心配そうな顔が、どうしても浮かんでしまう。


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登山道は急勾配をジグザグに切ってあり、次第に鬱蒼とした藪混じりの細い踏跡になった。相変わらず、息を弾ませながら黙々と脚を繰り出していくと、やがて空の明るさが近づいてきた。強烈な陽射しを受けて振り向いたら、韓国岳が正面に聳えている。韓国岳は爆裂火口淵の、最も抉れた部分が真ん中に見えるから、お椀を逆さにして、手刀で叩き割ったような形をしている。何時の間にか、甑岳の頂上に近づいていた。過酷な陽射しだが、視界の無い樹林帯から抜け出た開放感は其れを凌駕していた。

ぽっかりと開けた山頂は砂礫の広場で、山々の展望が出来過ぎのような感じで見渡せる。何処かの高原のスカイラインに在る展望台のような景色である。甑岳の由来は、山頂が平べったいので土器の甑を連想させる為と云われている。平坦で広い火口淵の直径が約五百米。火口は浅いが、底が湿原になっていて、池塘も在ると云うのが特徴である。山名標の近くに、湿原と書かれてある道標が在ったので、火口の中に下りていく樹林帯の道に脚を踏み入れた。


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昭文社地図の「霧島・開聞岳」には、池塘の横に1278mと云う標高点が記されている。鬱蒼として虫が氾濫する不快な藪道の踏跡を下る。高低差二十米強は直ぐに終わり、視界が開けた。其処はまるで瞬間移動でもしたのかと云うくらいに、全く異質な光景が広がっていた。空の青と火口湿原の緑が、原色のコントラストを表出している。其の風景を額縁のように、ぐるりと囲んだ火口壁を眺めていると、自分が天然に造られたコロッセウムの中に居るような気持ちになる。陽光の照りつける緑の中は、奇妙なくらいに静寂だった。

繫茂した緑が波のように揺れている。其の中に一本道が辿っているのを歩いていくと、池塘に突き当たった。池塘は進入禁止の意図であるロープの囲いがしてあり、其の右手に踏跡は続いていたが、茅戸が生い茂っていて、其れ以上先に行くのは困難に思われた。登山道終点である、山名票が在る頂上の、丁度反対側の火口淵に、標高1301.4mの三角点が在る筈だった。其処迄到達してみたかったが、引き返すことにした。時の流れが止まったような、此の火口湿原で充分である。そう思うことにした。


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ふたたび山名票の頂上に戻り、下山の途に掛かろうとした時、広場の西側に在る樹林帯から、高齢の夫婦が現われたので驚いた。挨拶して、登山道が他に在るのかと訊いたら、此の火口を一周できる道があるんだよと、御主人の方が教えて呉れた。三十分くらいだから巡ってみたら良いと云われて、暫く逡巡した。夫妻を見送った後、東側の端に近づいたら、火口周回の道標が設えてあった。其処に踏み入ると、程無くして、大きな岩が突き出た展望地が在った。くだんの山頂よりも韓国岳が裾野迄見渡せることができる場所で、彼方には高千穂峰が薄っすらと、端整に屹立している。

暫く紫煙を燻らせて、霧島連山を眺めながら黙考した。やはり駐車場のおじさんに心配を掛ける訳にはいかないな。そう考えた。其れで周回は諦めて、下山することにした。だから、甑岳には、また登ることがあるだろうと云う予感がする。そして、何度でも登る価値の在る山だと、そう思った。


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追記

えびの高原駐車場には、予定通りに余裕を持って帰還した。おじさんとおばさんは、最初に話した時とは別人のように満面の笑みで迎えて呉れた。ちゃんと帰ってきて、漸く信用されたものと思われる。僥倖と云える親切を施して貰ったが、当然例外のことであり、駐車場の料金所は一時預かりは行なっていないと云うことを敢えて記しておく。あたりまえである。

高千穂峰(後篇)

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七千年前から活動を始めたと云う高千穂峰は、比較的新しい火山と云うことになっている。一万年前以内は然程昔のことではないと云う概観は、考える程に気が遠くなりそうになるが、そんな高千穂峰が、溶岩ドームで尖った山容の怜悧な美しさ故に、ニニギノミコト降臨の地と云う神話になったのは想像に難くないような気がする。山頂には青銅製の天逆鉾(あめのさかほこ)が刺さっていたそうだが、現在はレプリカが屹立していると云う。青銅は噴火の衝撃で折れてしまったらしい。そんな予備知識くらいしかないが、知人に、今度高千穂峰に登るのですよと云ったら、「ああ、龍馬が鉾を引っこ抜いたとこですね」と云う言葉が返ってきた。そう云えば霧島に入ってからの道程では、坂本龍馬の新婚旅行に纏わる観光スポットの宣伝惹句が目に付いた。現在の高千穂峰に対する大衆のイメージは、概ねこんなところだと云える。因みに龍馬が引き抜いた鉾はレプリカ以前のオリジナルだったそうである。


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2014/7/25

高千穂河原(12:00)-----御鉢-----高千穂峰-----高千穂河原(14:45)

霧島連山周遊バスを降りて、高千穂河原ビジターセンターに向かう。私には未だ懸案事項がある。巨大なクレッタルムーセンの中に、膨大な荷物が積載されている。登山に不必要なものばかりが入っている。此れをなんとか預かって貰いたい。高原の爽やかな風が時折吹くが、陽射しに当たっていると暑さで頭がくらくらしてくる。建物に近づいたら、職員らしき男性と女性が出てきたので、待ってましたとばかりに、声を掛けた。

コインロッカーはありますかと問うと、男性職員が合点と云わんばかりに別棟に案内して呉れた。霧島の植生状況を説明展示している建物の、裏手に在る物置のような部屋に、木製の大きなロッカーがあった。三百円を支払い、鍵を受け取ると云う手順になっていた。此れでサブザックに必要なものだけを入れて登ることができる。私は安堵した。準備していると、えびの高原からバスに乗車してきた高齢の女性が、荷物を預かって貰えると訊いてきたのですが、と云って建物に入ってきた。職員が案内していくのを傍目に、揚揚たる気分で出発した。

高千穂河原は現在の霧島神宮に分祀される前に社殿が在った処で、案の定と云うか、噴火で焼失してしまい、現在は古宮址(ふるみやあと)と呼ばれる史跡が残っている。高千穂峰の登山口は、其の古宮址の手前で分岐するようになっているが、周囲は自然公園となっており、遊歩道が整備されている。私は自然研究路を経由して、登山道に合流する経路から歩き始めることにした。

木漏れ陽の差し込む静かな森を歩いて行くと、石畳の道が徐々に勾配を上げて行く。御鉢から麓へと延びる緩やかな尾根を、古宮址側とは反対の方から取り付いていくような進路である。見晴らしが良くなって、直ぐにつつじヶ丘の道標があり、其れを無視して尾根に向かって進むと、やがて登山道の分岐点に着いた。赤松や栂の樹林帯が徐々に疎らになって、直截に陽射しを受けるようになる。其れ程急いでいないが、三人組のハイカーに追いついてしまい、追い越させて貰う。木段が設えてある乾いた土の登山道を暫く登ると、程無くして広大な視界が開けた。


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なんとも呆気ない程に、御鉢の山腹に到達していたようだった。見上げると、砂礫の斜面の果てに、直ぐ其処に湾曲した御鉢の火口淵の稜線が見渡せる。こんなに近かったのかと、私は拍子抜けしたような気分になった。左手に、中岳の鷹揚な形の山容が見える。新燃岳は、未だ其の裏に隠れているようだった。そうして、踏跡らしきルートをなぞって、斜面を登り始めた。

急勾配の砂礫が、徐々に砂場のようになった。周囲には溶岩の赤が散らばり、灼熱の陽光が照りつける。呆気ないと思って眺めた御鉢のピークは、幾ら歩いても近づいてこなかった。砂を一歩踏み出して、半歩ばかりずずっとずり下がる。次第に、喘ぐような息遣いになって、前のめりの姿勢になって歩き続けた。此れは、と、フラッシュバックのように記憶が蘇る。宝永火口から馬の背に登った時の、徒労のような登りに似ている。宝永火口は霧の中で、砂礫が黒ずんでいて、地獄の底のような雰囲気だったが、高千穂峰の砂礫は、あっけらかんとした、広大で明るい中を歩き続けるから、趣は大分違う。見上げると、描いたような青空で、俯いて見ると、生物が何時迄も留まってはいけないと云われているような、無慈悲な荒野の斜面だった。其のコントラストは、天国でも地獄でもない、想像することの出来ない煉獄の風景を思わせた。老齢の夫婦を追い越した。もう死にそう。笑えない冗談を、息も絶え絶えに婦人が呟いた。

砂に埋まるような道程が漸く終わり、振り返ったら、高千穂河原の風景がジオラマのように見下ろせた。気がつくと、中岳の背後に、此れこそ無慈悲な褐色に染まった、新燃岳の奇怪な頭部の山容が現われていた。霧島連山の遠くは霞んで見えない。曇天でもないのに眺望が広がらない、夏の靄靄とした、特徴的な遠望だった。溶岩の乱立する斜面を蛇行しながら、私は間近に迫った火口淵の上を目指して登り続けていた。


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まるで冷房のような涼風が身体に吹きつけてきた。御鉢の突端に登り詰めて、火口を見渡した。直径五百米、深さ二百米の、活火山の火口だった。時計回りの稜線の向こうに、此処に居たのか、と云った感じで、高千穂峰がそそり立っている。側火山の広大な火口と、主峰の遠近感が、茫洋として掴めない。壮大なスケールの山容の隅っこに、私は立ち尽くしていた。

御鉢の火口淵を時計回りに、馬の背を黙々と歩いた。二百年前に噴火を繰り返したと云う噴火口の淵を歩いている。新燃岳の直ぐ近くに並んでいる、脈々と活動を続けている火山の上に居るのだと思うと、背筋に微かな戦慄が走ってくる。馬の背は標高を上げていく程に痩せていき、東端の際に達した処から、高千穂峰の全容が見渡せた。噴火の傷痕なのか、崩落して抉れた山腹から、褐色の土が剥き出しになっている。其れは凄惨な色彩だった。


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いよいよ御鉢の馬の背から、高千穂峰との鞍部を見下ろす。ただのコルではない。其処は馬の背が緩やかに湾曲した形状からの由来か、背門丘(せとを)と呼ばれる箇所で、鳥居がぽつんと立っている。背門丘は天孫降臨の現場とされており、其れを祀る霧島岑神社が在った処である。噴火のたびに焼失し、結局高千穂河原に分祀され、其れも噴火で焼失し、現在の霧島神宮に分祀されていると云うことである。其の名残として鳥居と小さな祠が設えてある。


其処に向かって、木段を下っていった。馬の背で小休止している間に私を追い越していった、バスと荷物預かりで一緒だった高齢の女性が、もう高千穂峰の登りを開始しているのが見えた。私が砂礫の途中で追い越した後続の人々がやってくる気配は無い。連山バスでやってきた単独行のふたりだけが、背門丘を黙々と歩いていた。

背門丘から高千穂峰の登山が始まる。道標は親切にも百米毎に設置されていて、頂上迄の距離が徐々に減っていくのが判る。しかし、踏路は実直に続き、木段が在るとは云え、砂礫、溶岩でざらざらした急勾配だった。そして、霊峰を登り詰めていくに従って、空の青が消えた。つい先程迄の晴天が、嘘のように豹変した。周囲が霧に包まれて、頂上から下山してくる人々が、陽炎のようにぼんやりと現われる。木段の先が見えなくなり、彼方が白く揺らめいている。そうして、標高一五七四米、高千穂峰の頂上に達した。

山頂に祀られた天逆鉾が、囲いの中で石積みの上にそそり立っている。旗竿には日章旗が掲げれていなかった。山小屋が休業しているので、掲揚役が不在の所為だと思われる。霧の山頂には、くだんの高齢の女性と私のふたりだけである。私は鉾に向かって参拝してから、其の裏手に廻ってみた。北面では霧の合間に、宮崎県側の景色が薄っすらと眺めることができる。矢岳を眼下に、其の向こうには新燃岳から派生する山脈が延びているのが窺えた。駱駝の瘤が深緑色の装飾を纏ったみたいに、丸岡山と夷守岳(ひなもりだけ)が浮かんでいる。

天逆鉾の裏側は、そんな眺望も在り、三角点と立派な風景指示盤が設えてあった。私は登頂者で賑わう表側を避けて、此処で簡単な食事をすることにした。暫くしてから、例の高齢の女性が、カメラを手にして私に近づいて来た。機智を利かせて、シャッターを押しましょうと云ったら、困ったような表情をしながら喜んで、お願いします、と云われた。

「誰も居なくなっちゃって……韓国岳の時もそうだったのよ。私が登ったら、みんな下りていっちゃって」

間違いなく私よりも健脚である高齢女史のカメラのシャッターを数回押した。天逆鉾の裏側なので、表側に廻って撮ってあげた方がよかったかもしれないな、と、其れは下山の途中で気がついたことだった。霧の背門丘でふたたび参拝してから、御鉢の火口淵に戻った。不思議なことに、瞬く間に、天候が快復して、当たり前のように陽射しが差し込んできた。振り返ると、高千穂峰は、やはり霧の中に姿を隠していた。

ふたたび西端の火口淵迄到達し、後は砂の道を下るだけとなった。ちょうど登りついて、岩に腰掛けて休憩していた、太鼓のように太ったおばさんと挨拶を交わした。太鼓のようだけれども精悍な顔つきで、恰好もベテランの登山者と云う雰囲気がある。頂上はどうだった、と訊かれたので、ガスで何にも見えませんでした、と応えた。しかし、振り返れば、既に雲が流れるようにして霧が晴れていき、高千穂峰の姿が徐々にに見えようとしていた。其れをふたりで眺めたあとで、太鼓女史が云った。

「ああ、私が登る頃には、丁度晴れるかもね」

其れは俺が云ってあげる台詞の筈なのに、と、内心癪に障ったのだが、太鼓女史のあっけらかんとした表情は、どうにも憎めない風情があった。


自然に拠る節理と云うようなものが、在るのだ。背門丘を越えて、神域に入って霧に包まれた霊峰を登った情景は、心に染み入るような記憶として、私の裡に残っている。そうだそうだ、其れでいいのだ、と自分に云い聞かせるようにして、私は砂礫の道を、駆け下りていった。

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追記

連山周遊バスの15時半発に無事乗車した。帰路も乗客は高齢女史と私のふたりだけであった。えびの高原から日焼けした散財氏も乗車して、既知の乗客たちと丸尾に戻った。空港行きに乗るふたりと別れて、廉価でプリミティヴな風情の前田温泉で汗を流し、国分行きの最終バスに乗った。乗客は最後迄私ひとりで、延々と一時間もバスに揺られた。いわさきバスの存立に危機感を覚える。一日乗車券を使用して、バスで移動する登山客が増えることを願って止まない。

高千穂峰(前篇)

Kirishima


溝辺鹿児島空港には朝の八時半に着陸した。此の早朝航空便に搭乗するために、自宅を出たのが未明の四時半だから、18切符の鈍行で北アルプスに向かうと云うような出立の時刻にも似ている。此れからバスで移動し、高千穂峰の登山口である高千穂河原に降り立つのは正午の前になる。丁度、昨年敢行した、八方尾根を登り始めるくらいの時刻である。尤も、高千穂河原に到達する迄に随分時間が掛かっているように思えるのは錯覚ではない。霧島連山周遊バスに接続する、丸尾経由いわさきホテル行きの一番バスの出発迄、一時間待たされるからである。しかし、空港での乗り換え時間としては適切なようにも思える。そして、此の時間を利用して、やらなければならないことがある。

2014/7/25

高千穂河原11:40-----御鉢-----高千穂峰-----高千穂河原14:30


Takachihokawara

南九州の山に頻繁に訪れているが、例によって妻の実家に用事があっての鹿児島行きの序でに、あれこれと山行きを絡ませようと云う苦し紛れの計画である。開聞岳、韓国岳と登り、今年は此れで三度目である。鹿児島は既に曾遊の地と云っていいだろう。因みに、何の用事で妻の実家に頻々な用事があるのかと怪訝に思われる方も、或いは居るかもしれないが、別段不穏な争議が有る訳ではないと云うことを敢えて記しておく。とにかく朝の早い時刻に、溝辺鹿児島空港に到着したのである。

初めて訪れた霧島連山で大雨の憂き目に遭ったのはつい三ヶ月前のことで、止むを得ず、えびの高原から最も楽なコースで韓国岳に登った。巨大な噴火口を持つ火山群の眺望を見ることができなかったのは勿論のことで、猛烈な強風で吹き曝しとなり、生命の危機に瀕しているような気分で往復してきた。今回も日程は恣意的には設定できないが、用事の前後で複数日に渡って登山をすると云う計画が浮かんだ。一日だけ山を訪れる計画を立て、当日が雨では愚行の二の舞である。

果たせなかった韓国岳からの眺望を享受したいのは勿論だが、私の主題は、あの端整な高千穂峰である。とりあえず、初日の朝から鹿児島県に居て、天候が良ければ、万難を排して高千穂河原に向かう。駄目ならば丸尾温泉に浸かって霧島神宮へ参詣でもしようかと云う算段である。いずれにしても、今日の晩は天文館に投宿しなければならない。用事は二日目である。酒宴にも参加しなければならないので、三日目の出発時刻を未明にするなど、極端に早くすることができない。妻の実家で奇矯な振舞いは避けなければならない。其処は肝に銘じておかなければならない。

だから三日目に霧島を再訪するにしても、高い山には行けない。正念場は四日目と云うことにして、三日目はえびの高原から離れない程度の場所に投宿しなければならない。それはそうとして、鹿児島空港の空は抜けるような青空で、強烈な陽射しが照りつけている。今日は高千穂峰に登ることができる。日程を滔々と説明しているうちに、バスに乗り遅れたら大変である。

市内に向かうリムジンバス乗り場の前に、バスの案内所がある。此処で、「霧島バス一日乗車券」を買わなければならない。連山周遊バスは勿論、空港や国分駅、霧島神宮駅からのアクセスに必要なバスも含めて、乗り放題の切符である。値段が千円と安価なので、是非とも入手したい。窓口には客が居ない。係員の女性がなにやら伝票のようなものに記入する作業に没頭している。おずおずと彼女に声を掛けて、フリー切符を買い求める。難なく入手した切符は、ご利用日、の欄が空白で、其処に係員が手書きで記すと云うものだった。案内所が閑散しているのを幸いに、私は自分の計画に必要な質問をすることにしてみる。

「あの、此の切符ですが、例えば明後日の日付の切符を今此処で買うことはできるのでしょうか」
「あ、はい。買えます」

愛想のよい女性係員が、朴訥に云った。一日乗車券の売り場は限られていて、鹿児島中央駅や国分駅、此処鹿児島空港の他は、霧島の観光案内所とか、土産屋とか、霧島の指定宿泊施設と書いてある。明後日は鹿児島中央駅で買えばいいが、最終日に、此の切符を販売している宿には居ない予定なので、此処で買えるのならば是非買いたい。そう考えていたから、芙久本と名札に書いてある女性係員の言葉にホッとした。続いて、懸案事項があるので芙久本嬢に再度の質問をする。

「実は、明後日は鹿児島中央駅から丸尾に行くのですが」
「……」
「指宿からの高速バスが、中央駅に立ち寄りますが、其れに乗るんです。其れに乗って、空港を経由して、丸尾迄乗って、其処から連山周遊バスに乗ります」

芙久本さんは何の話かと云うような表情で、理解できているのかいないのか、無言の儘で微笑んでいる。早く要点を説明しないと、異常者と思われてしまう。

「此の一日乗車券は、空港から霧島方面で有効ですが、明後日の高速バスに乗って、空港迄の切符を買い、今此処で、明後日有効の一日乗車券を買えば、併用できますか」

要点を云った積もりだが、芙久本さんは随分思案してから、高速バスだと、丸尾迄の切符が必要です、と云った。仕方が無い。丸尾からえびの高原、そしてえびの高原から宿泊地である新湯温泉入口バス停迄の乗車でも元が取れるだろうか。そう思案して、其の区間の運賃は幾らか聞いてみた。

「空港から丸尾迄は分かるんですが……その先がわからないんです……でも、電話して聞いてみます」

かなり狼狽した表情になった芙久本さんが電話を掛けている。お待たせしました、と云って金額を説明した。

「……ですので、此れだと、一日乗車券の方がちょっと高いです」

困りましたね、と云うように芙久本さんが云う。此れ以上困らせてはいけないので、私は明々後日の分を一枚所望した。其れで芙久本さんが漸く開放された。無事清算を済ませると、芙久本さんが大きな声で、いってらっしゃいませえ、と云った。

製造後三十年は経っていると思しき古びたバスが空港に迷い込んでくるように進入して停まった。霧島いわさきホテル行きのバスである。霧島国際音楽祭に向かう男女の学生が巨大なチェロのケースを抱えて乗車した。其れに続いて乗り込む。私が背負っているのは、テント泊用の60リットル容量の、クレッタルムーセンHuginである。テントやシュラフを積んでいる訳ではない。肝心の鹿児島の用事に必要なものが思いの他嵩張り、東京からの手土産品を数個運ばなければならないので、止むを得ず大容量のザックを背負ってきている。外見はどう見てもテント連泊縦走登山の趣である。異様に映るのだろうと諦めていたが、チェロのケースに比べると可愛いものである。

途中のみやまコンセールと云う処でチェロの学生が全員降りて、私独りの貸切になった。バスの唸り声が大きくなり、相対的に速度が遅くなった。霧島温泉郷の看板が見えて、急勾配をゆっくりとバスが走る。晴天の車窓の遠くを見たが、夏の靄靄とした空気が、見える筈の霧島連山の眺めを遮断してしまっている。そうして見慣れたような積もりになっている、丸尾の風景が近づいてきた。バスを降りたら、猛烈な陽射しが照りつけた。丸尾バス停の横にある、温泉市場の方から、相変わらず硫黄の煙が流れてくる。其れで、丸尾に来たのだな、と云う感興が湧き上がってきた。

十数分の待ち合わせで連山周遊バスがやってくる迄、木陰で涼を取りながら紫煙を燻らせていた。前回、初めて訪れた時は、大雨故の閑散ぶりなのかと思ったが、晴天の今日も、丸尾からバスでえびの高原に行く人間は居ないようである。平日とは云え夏休みの金曜日であるから、バスの存続は大丈夫なのだろうかと、ぼんやりと思った。

前回に出会った無謀軽装氏を思い出し、今日は誰も居ないなと思っていたら、タクシーが目の前に停まった。後部座席の乗客を其の儘にして、運転手が下りて、丸尾バス停の時刻表を見ている。客はどうやらハイカーのようで、ザックが隣に鎮座している。だから客は最初ふたりなのかと思ったが、ひとりなのだった。運転手が車に戻り、客と少し話していて、暫くして客は清算して下車した。今日も連山周遊バスは、私と、もう一人の登山客を運ぶようであった。

悠々とタクシーで丸尾に着き、運転手にバス時刻を確認させるとは優雅なものだと思っていたが、其の中年男性は私に弱々しく挨拶をしてきた。何処から来ましたか、と云うような通り一遍の会話の後、貴殿を今朝の羽田で見掛けて、重装備だなあと思いました、と其の男性が云うので驚いた。一緒の飛行機で鹿児島に来たらしいが、空港からタクシーで来たのかと訊いたら、そうではないのですと、沈鬱な表情で云った。

彼の計画では、高千穂河原に行くバスが、霧島神宮駅から出るものと認識していたらしい。其れは、前回初めて霧島行きを計画した時、私もインターネットサイトで、其の時刻表を見たことがある。しかし、念の為いわさきグループに電話して確認し、其のバスは昨年で廃止になったことを知ったのである。高千穂河原・バスで検索を掛けると、古い儘の時刻表がヒットしてしまう。彼は其れを真に受けてしまったらしい。因みに、昭文社「山と高原地図 霧島・開聞岳」の、私が所持するのは2013年度版だが、其処にも「霧島神宮駅-高千穂河原 いわさきバス35分」と記してある。

どんな経路で空港から霧島神宮駅に向かったのかは定かではないが、バスが無いことを知り、仕方なく霧島神宮駅からタクシーで丸尾に向かい、そして此処に居ると云う訳であった。六千円も掛かった、散財です、と、独り言のように云う。脚を怪我してしまって、今はリハビリ登山です、と語る散財氏と冴えない会話をしているうちに、連山周遊バスが到着した。

丸尾を発車したバスが、硫黄谷温泉に差し掛かる頃から急勾配に喘ぐように、ゆっくりと走る。噴出する蒸気が車道を覆い、周囲が真っ白になる。いわさきホテルの敷地に立ち寄るが、相変わらず乗客は我々ふたりだけであった。散財氏は高千穂河原に行く気が失せたのか、えびの高原から韓国岳に登ると云う。私が一度登ったと云う話をしたので、コースは厳しいですかと訊くから、丹沢の大倉尾根に比べたら随分楽ですと云うと、散財氏は複雑な表情をした。

二度目のえびの高原に到着した。雨と霧の風景しか知らないから、全く違う処に来たような風情だった。エコミュージアムセンターの向こうの、直ぐ其処に韓国岳の巨大な山容が聳えていた。相変わらずの弱々しい感じで挨拶をしながら、散財氏が下車した。入れ替わりに、高齢の女性がザックを背負い、黒い大きな手提げ鞄を持って乗車した。連山周遊バスは、えびの高原から引き返すようにして県道を下って行った。

新湯入口迄来た道を戻り、左折して奥深い森の中をバスが走る。新湯温泉は明後日に宿泊する場所なので情景の説明は省略する。車内に迄硫黄の匂いが充満するようになって、霧島川に併行しながら湯之野温泉を過ぎて、漸く高千穂河原に到着した。広大な駐車場を従えて、立派なビジターセンターが建っている。其の奥に大きな鳥居が屹立して、いにしえの神宮への道が続いている。見上げると、見紛うことの無い双頭の山容が聳える。高千穂峰に隣接する御鉢が、広い火口を湾曲させて双頭のような山容を表現している。

天候は、申し分ない。いよいよ天孫降臨の高千穂峰に登るのだ。そんな感慨で胸が一杯になり、私は、何故か息苦しいような気分になった。

霧島連山・韓国岳(後編)

Kirishima2



雨合羽の頭巾の端を掴み、俯き加減で歩き続けた。断続的に吹く猛烈な突風が直撃すると、身ぐるみ迄をも剥がされそうな気分である。小高い丘にある、エコ・ミュージアムセンターの傍らに立っていた「韓国岳」の道標を頼りに、茫漠とした高原の道を歩き始めた。下山時に判明した、通常の登山口ではなく、道の無い広場を横切ると、蛇行して走る県道に合流した。雨と風の所為で顔を上げているのが苦痛で、闇雲に歩いていた。しかし、コンパスを取り出す迄も無く、荒天のえびの高原ではあるが、目指す韓国岳の前衛を成す山容が、正面の遥か彼方に聳えているのが見えた。其の方角に向かって、県道を横断し、「不動池」の道標を分けて、とにかく歩いていった。


Ebino

2014/4/13

えびの高原(9:20)---登山口---四合目---韓国岳---硫黄山---えびの高原(12:40)

最初、目の錯覚なのかと思った。草地が砂礫混じりになって遠くを見たら、夥しい人数のハイカーが、縦列になって歩いていた。雨合羽とザックのレインカバーの明瞭な色彩が、ゆらゆらと揺れるように、森の中に吸い込まれていった。其の後を追うようにして歩いていくと、やがて舗装された遊歩道に辿り着いた。其れに沿って歩くと、やがて樹林帯から抜け出て、溶岩帯の広がりが見渡せる。三十万年と云う火山活動の歴史から見ると、つい最近噴火したとも云える硫黄山の周縁の光景である。遊歩道がせり上がり、展望地になっていると思しき処で、十数人のパーティが休憩している。其れを見て私は、無謀な登山者の烙印を免れたような気分になった。

硫黄山の奇岩が林立する眺めと別れて、遊歩道は南に舵を切って勾配を上げていく。雨足が何時の間にか少なくなっていて、周囲が明るくなったような気がした。振り返って、エコ・ミュージアムセンターの方を見下ろすと、束の間の陽射しがえびの高原を照らし、天気雨を虹が彩色している。不思議な光景に、思わず立ち尽くした。天気は快復するのだろうか、淡い期待を抱いた儘、登山届投函用ポストの在る登山口に到着した。

登山道には木段が設えてあり、英語とハングルが併記されている、一合目の立派な道標があった。此処から標高差凡そ四百米を実直に登り続けるのである。韓国岳は地図を見ても明らかで、巨大な火口を持っている。其の最高峰が南側にある頂上で、登山道は直截的に尾根を辿り、火口の西側に達する迄続いている。其の図面を脳裏に描きながら、まるで丹沢の大倉尾根を歩いているような気にさせる木段を一歩ずつ進んでいく。四合目を過ぎて、勾配を少し上がっていくと樹木は少なくなり、周囲は霧雨が降りしきる底の無い茫漠とした空、そして薄っすらと山々が彼方に聳えるのが見渡せる。晴天であればどんなに雄大な景色なのだろうかと思うが、此れは何度も味わっている、無為の想念とでも云うべき莫迦莫迦しい感慨であった。


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天候は快復するどころか、雨粒の塊が徐々に大きくなって、雨合羽を叩き始めた。五合目の広場で休憩して、其の先は風雨を遮る潅木が殆ど無い尾根道になり、風向きが目まぐるしく変わって、時折吹いてくる突風で身体がよろめく程であった。余りにも激しい横殴りの雨粒が、側頭部から後頭部に、ばらばらという音を立てて叩きつけるから、徐々に朦朧とした気分に陥る。ふと我に返ったような気になり、此の登山は危険なのではないかと思うようになった。先を行くパーティの姿はもう見えなかった。登っている人々がいるからと云うだけの理由で、其の現実に盲従して無謀な行為をしているのでは、そんな疑念に苛まれるような気になった。

しかし、登山道は余りにも整備されていた。風雨は激しいが、未だ危険な状況とは云えない。そう思うことにして、砂礫状の坂路を辿り続けた。そうして、とうとう火口の淵に着いてしまってからは、吹きすさぶ風と云う表現が適切ではない、猛烈な突風が断続的に襲ってくるようになった。其処は稜線ではなく、長大な火山の周縁の上だった。天空に突き出た、韓国岳のてっぺんであった。火口を廻る岩塊の陰に沿って、登山道は続いているが、猛獣が呼吸をしているかのような気流の動きが察せられる。そして突風が来る気配を感じると、迷うことなく私は地べたに這い蹲った。


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余りにも危険な状況だったが、私の想念は理性を制御できないでいた。此処迄来たからには、もう最高地点は近いのだから、折角なので登頂しようと云う想念。あの大人数のパーティは引き返して来ない、慎重に行けば大丈夫なのだから、折角なので登頂しようと云う想念。どうしようもない程の、本末転倒の想念が、私の裡で蠢いていた。全身を叩く雨粒の音を感じながら、何故登るのか、自問自答を始める。頂上の印と云う設定された目標に束縛されて、私は歩き続けていた。恣意的に決められた事象に束縛されながら生きている不自由な精神が、理性に敗北していることにも気づかないで、歩いているのだった。

突風の間隙を窺って進んでいるうちに、大勢のパーティが向かってきた。登頂を果たして、引き返してきたのだろう。驚いたことに、集団は高校生くらいの若者だった。皆が憔悴した表情で、私に挨拶をしていった。最後尾に年配の男性が付いていた。引率者は教師なのだろうか。余りにも無謀な行動であることは明白だった。頂上は直ぐですよと、人の好さそうな表情で云って呉れたが、私は唖然として、曖昧に挨拶を返すことしかできなかった。大浪池への分岐、そして九合目の道標に到達して、頂上と書かれた方角に、岩塊の合間を登っていった。火口の淵に近づけば近づく程、突風の恐怖が増していった。標高千七百米。韓国岳の三角点に、私は四つん這いで到達した。火口の内側に視線を移しても、見えるのは気流の渦巻く深淵だけであった。


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疲弊した脚が交互に繰り出され、其のリズムが崩れないように、私は残り少ない気力で歩き続けた。帰途の半分の距離を消化して、漸く風雨の厳しさから開放された。茫然と下山を続けて、呆気なく登山口に戻った。予め設定していたバスの時刻迄、相当の余裕があるので、硫黄山の遊歩道に寄り道をした。其れでも土産物屋前のバス停に戻ったら、図らずも一本早い周遊バスが到着する間際だったので、急いで雨合羽その他の装備を脱いで、荷物をまとめに掛かった。雨合羽の性能は折紙付きの筈だったが、気がつけば、衣服は随分濡れていた。

到着した霧島連山周遊バスは、高千穂河原迄行って、丸尾に引き返すと云う行程だった。乗車したのは私の他に、何処に登って来たのか不明だが、トレッキング装備の外国人の男性二名と、やはり外国人だが単独行の女性がひとりであった。疲労感に悄然としてバスに揺られ、高千穂河原に着いた。果たして乗ってくるだろうかと窓外を眺めていたら、茫然の態の軽装氏がバス停に立っていた。虚ろな目で乗り込んできた彼に声を掛けたら、驚いたように私を見た。軽装氏は、何故か短パン姿になっていて、傘を持っていなかった。訊いてみると、高千穂峰に登頂して、戻ってきたと云う。御鉢に差し掛かった処で、突風で傘がバラバラになって、何処かに飛んでいってしまったそうである。下山後、特に下半身がずぶ濡れになったので、短パンに穿き替えたということであった。

丸尾に戻り、飛行機の時刻がギリギリであると云う軽装氏は、寒いのでコンビニの中で待機して空港行きバスを待つと云った。其れで、此れ以上軽装にはなれないであろう姿の軽装氏と別れることにした。其れにしても異様なので、傘を差して上着も持たずに登るとは、随分タフですね、と余計なことを云ってみた。軽装氏は相変わらず表情の無い雰囲気で、無謀なだけです。無謀なことがしたいのです。と、独り言のように呟いた。

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別記

2014年2月から4月の山歩き

2014/2/25(奥ノ院参拝後三室山に向かうが積雪の量が一気に増して、鞍部で腰まで埋まった時点で敗退を決意)

二俣尾駅(11:40)---愛宕神社---愛宕山奥ノ院---鞍部で撤退---愛宕神社---二俣尾駅(15:30)

2014/3/1

間野黒指バス停(7:50)---石神大明神---愛宕山---いぼとり地蔵---細田---大仁田山---大峰山---久林峠---雲ノ峰---久方峠---小沢峠---久林バス停(16:00)

2014/3/15

弁天前バス停(7:30)---富士浅間神社---嫗ヶ岳---タブノ木---間野富士山(奥ノ院)---366mピーク---新飯能変電所---410m圏峰---四十八曲峠---石神大明神---間野黒指バス停(14:45)

2014/3/24

沢井駅(8:45)---櫛かんざし美術館---岨端沢林道---築瀬尾根---高峰---日ノ出山---御岳山御嶽神社---顎掛岩---滝本---つるつる温泉(15:00)

2014/4/2(登山詳細図踏査)

奥多摩駅---安寺沢---本仁田山---コブタカ山---大ダワ---大根山ノ神---鳩ノ巣駅

2014/4/6

間野バス停(7:40)---正木入林道---都県境成木尾根ハイキングコース---安楽寺(13:00)


2014/4/24

足柄駅(8:00)---浅間塚---金時山---公時神社---仙石原(12:30)

霧島連山・韓国岳(前編)

Kirishima


霧島神宮の麓にバスが停車してアイドリング・ストップをしたら、がらんとした車内に、雨の打つ音だけが響いていた。水の底に居るような気持ちになって、判然としない車窓の外を眺める。水滴の向こうに、ロータリーの様子が見える。土産物屋の建物は鬱蒼として、眠り続けているようだった。乗降客の無い儘、ふたたびゆっくりと走り出したバスが、大鳥居の前で左折して、勾配のある道路を唸りながら速度を上げて走る。途中のバス停で、私の他に唯一乗っていた客が降りていった。私は改めて、こんな状況で、果たしてえびの高原に行くバスが接続してくれるのだろうかと、不安になった。


Jingu

2014/4/13

えびの高原(9:20)---登山口---四合目---韓国岳---硫黄山---えびの高原(12:40)

またしても鹿児島県に所用が発生した。其れは少し気が重くなるようなことではあるのだけれど、今度はどのようにして山に登ろうかと云う思案に暮れる愉しみもある。宿泊代も含めたツアーで、航空券が廉価で買えるのを利用して、二泊三日の最終日の飛行機を、敢えて夜の便に設定する。そうして、一日を登山の計画に充てることができる。開聞岳を開聞駅から登ると云う企みは達成したので、今度は季節も穏やかになってきたから、いよいよ霧島連山に登ろうと考えていた。

溝辺鹿児島空港のロビーから眺める霧島連山、其れだけでも高千穂峰の端整な姿に惹かれてしまう。そして、飛行機の窓から眺める、鹿児島に近づいた頃に現われる、天孫降臨伝説の所以となる此の霊峰は、見まごうことが無いくらいに美しい。霧島に行くなら、高千穂峰を目指したい。そう決めてから、公共交通機関を調べるのだが、今回も一筋縄ではいかない。

まず、登山口となる高千穂河原に行くバスが少ない。鹿児島では名にし負う岩崎グループのバスが、霧島屋久国立公園を網羅している。しかし高千穂河原へ到達するのは、霧島連山周遊バスと名づけられた、丸尾温泉を起点にした高原バスが一日に数本運行しているだけである。ちなみに周遊バスと云う名前は誤解を招くと思うが、此れは観光バスではなくて普通の路線バスである。其れはともかく、交通の要衝とも云える丸尾に、まずは向かわなければならない。日帰りで登山を敢行するためには、丸尾発八時半の周遊バスに乗らなければならない。

例によって鹿児島天文館に投宿し、未明に出発した。霧島神宮駅から丸尾に向かうバスに間に合う、JRの普通列車に乗るためである。岩崎バス同士は丸尾で気持ちよく接続して呉れるが、其の丁度よい時刻に、霧島神宮駅に到着する普通列車が無い。其れで霧島神宮駅の待合室で、一時間半も待ってからバスに乗ったわけであるが、計画としては此れしか方策は無いようであった。溝辺鹿児島空港から丸尾に向かうバス路線もあるのだが、此れは霧島連山周遊バスに接続する便が無い。鹿児島市内を発って、其の日のうちに高千穂登山をして空港に行き、帰京するためには、鹿児島中央駅五時三九分発の日豊本線始発、宮崎神宮行きに乗らなければならないのである。

意気揚々と、其の当日を迎えた訳では無かった。鹿児島滞在二日目で、既に登山予定の日曜日の天候は、絶望的な程の雨に見舞われると云うことが判っていた。諦めて終日を鹿児島市内で過ごすか、と云う気持ちも無いでは無かったが、空港に近い霧島に行かないと云うのも合理的では無い、そんな風に考えた。とりあえず丸尾に行き、霧島連山周遊バスがやってくるならば乗ってみよう。但し、高千穂河原から高千穂峰登山は諦める。標高差の少ない、えびの高原から韓国岳に登り、其の儘戻ってくるというくらいにしておこうと、そんな感じで考えが纏まった。


Maruo

よく整備された道路を、バスは黙々と走っていた。丸尾を告げる車内アナウンスで、茫洋とした意識に緊張感が走った。丸尾は車道がT字路になっている処で、温泉旅館が点在していて、山肌から水蒸気が噴き出している。雨の煙が其れとない交ぜになって、判然としない靄の掛かった風景だった。降りたバス停から歩いて、車道を渡り、空港方面からの道に立っているバス停に移動した。周遊バスの時刻を確認して、誰も居ない路傍で紫煙を燻らせた。と、突然強風に煽られて、傘が飛ばされそうになる。すごい風だったね、何処かから声が聞こえた。硫黄の匂いの充満する煙の向こうから、温泉饅頭の仕込みをしている、霧島温泉市場と云う店の従業員の若い女性が、私を珍しいものを見たような感じで見上げて、微笑んでいた。

バスは本当にやってくるのだろうかと半信半疑だったが、バスが来る前に若い男性がひとり、バス停に近づいてきた。登山ですかと話しかけてきたので、韓国岳に登ると答えたら、僕は昨日登りました、と云った。どうやら今日の登山者は私だけではないようで、安堵した。しかし、今日は高千穂峰に登ると云う彼の姿を見て、私は戸惑いを隠せなかった。化繊のスポーツウェアを着た彼の荷物は其れほど大きくないショルダーバックと、ビニール傘だけであった。ずいぶん軽装ですね、と、普段なら云わない余計なお世話なことを口走ってしまった私に、彼は、ええ、まあ、と、曖昧な呟きを返した。

何事も無い、と云った感じで、霧島連山周遊バスがやってきた。軽装氏と私だけを乗せたバスが丸尾を出発して、いわさきホテルを過ぎても乗客は無く、いよいよ本格的に高地へと登り始めた。新燃荘の手前で分岐して、えびの高原方面の道に入る。昨日は韓国岳から避難小屋を経由してキャンプ場に至るルートを下山したと云う、軽装氏の話を聞く。僕の足は遅いので、バスに間に合わなかったから、丸尾迄歩いて帰りました、と彼は云った。其の登山口にバスが近づくに連れて、しかし歩きやすい道だったのです、もうすぐ入り口が見えます、と云うから、なんだか勧められているような気がしたので、バスに遅れるわけにはいかないから、えびの高原からピストンしますよと、必要も無いのに、私は答えた。


Ebino2

雨はいよいよ激しさを増して、窓硝子を打ち始めた。えびの高原の土産物屋の軒先に停車したバスは、すぐには発車しないようで、アイドリングを止めた。運賃を支払う時に、運転手が、登るのですか、と云った。ええ、まあ、と、私は曖昧に云った。今日登る人はいませんよ。遭難者も少なくないのだと、運転手が云った。私は、さもありなん、尤もな忠告であると思って、素直に受け止めた。そして、無理なようなら、必ず引き返しますと答えた。

バス停の前のベンチで身支度を整えていると、停まった儘のバスから、高千穂河原に向かう筈の軽装氏が降りてきた。自販機で飲料を買って、バスに戻る途中で、私の方に近づいてきた。僕も運転手に、登山はやめろと云われちゃいました、と云った。其れはそうだろうとは口には出せず、私は曖昧に、まあ無理をしないで、と呟いた。土産物屋の軒先は、雨樋から溢れた雨水が降り注ぎ、時折水飛沫が頬に当たる。えびの高原の雨は、本格的に、降り続いていた。

開聞駅から開聞岳

Kaimon


鹿児島中央駅を未明に出発した指宿枕崎線の始発列車が終点の指宿駅に着いて、此れを逃したら次はもうお昼迄無いと云う、虎の子に等しい枕崎行きディーゼルカーに乗り換える。乗り換え客は女子学生がひとりと、態度のよろしくない中年男女の酔っ払い、そして私の計四人だった。時刻は朝の六時だが、指宿駅は未だ闇の中である。鹿児島に居ると、真冬でも日の入りが遅くて、夕暮れが長い。冬の終わりが近いのかな、などと思うが、東西に長い日本列島の端に居ると云うだけで、黄昏が遅い分、日の出もゆっくりである。日本標準時子午線に在る明石市が東経135度で、此処指宿は130度。五度の違いがどんなものであるかは判らないが、一月下旬の指宿の朝六時は、やがて夜は明ける筈だと分かっていても、そんな気がしない程暗い。結局四人の客を乗せて出発したローカル列車は、轟音を立てながら、薩摩半島の南端を訥々と辿っていく。窓外は漆黒の闇で、車内の雰囲気は終列車、そんな風情だった。

Kaimon1

2014/1/26

開聞駅(6:40)---二合目登山口---開聞岳---二合目登山口---枚聞神社---東開聞駅(13:00)

初めて開聞岳に登った時は、図らずも義兄の自家用車で登山口迄運んで貰うと云う恩恵に浴した。其れは其れで愉しみはあったのだけれど、開聞岳の麓には指宿枕崎線の開聞駅が在る。開聞駅から開聞岳の山頂迄を歩いてみたい。駅から歩くなんて大変だろうと義兄は云うが、其の大変、と云うことに意味が有る。用も無いのに数時間も費やして山の上に登ると云うのが、そもそも大変なことなのである。

其れで鹿児島行きの用事を済ませた後、晴れて自由の身になって、気儘にハイキング、と行きたいところだが、今回も幾つかのハードルを越えなくてはならない。なによりも、帰京しなければならない。飛行機の出発は18時。鹿児島空港に17時迄には到達したい。逆算して、鹿児島中央駅からのバスに間に合う為には、帰途の列車、開聞駅14時7分発に乗らなければならない。開聞岳登山の往復、余禄を含めて所要時間は凡そ六時間である。開聞駅を朝の八時に出発すれば、まず大丈夫だろう。

都合のよい時刻に開聞駅へ到着する列車があれば申し分無いが、前述の通り指宿枕崎線の、指宿から先への列車が極端に少ない。開聞駅に朝の八時迄に到達する為には、鹿児島中央を4時51分に出る始発列車に乗るしか無いと云うことが判った。妻の実家を未明に出立することも不可能ではないが、ちょっと時間が早すぎる。遠征先で異常な行動を披瀝するのは、いろんな意味で得策ではない。其れで苦しい言い訳を拵え、前日に用事を済ませてから、鹿児島市内の中心街である、天文館のホテルに投宿することにした。

自由の定義が揺らぎそうなくらい、タイトロープを渡るような気分で、枕崎行きに無事乗り換えることができた。窓外の暗さに云い様の無い不安を覚えるが、気分は概ね開放的になっている。列車がJR日本最南端の駅である西大山に着いたが、風景は未だ夜の儘である。本来ならば開聞岳の全容が車窓に現われる筈だが、止むを得ない。小さい駅に丹念に停車して、部活の高校生がひとり、またひとり列車に乗ってくる。其れで今は朝なんだと、改めて認識できる。


Kaimon6

異彩を放っている中年男女の酔客が大声で何か喋っている。天文館で朝まで呑んで、始発列車で帰りながら缶麦酒を飲み続けて、何処迄帰るのかと思うが、まあどうでもよい。変わらないベタ塗りの車窓で、移動した感覚が希薄な儘、列車はいよいよ開聞駅に近づいてきたから、私はザックを背負って立ち上がった。おっ、開聞岳か。酔客の男が大声で叫ぶから、私は親指を立てて応える。今日の私はフランネルのシャツとニッカーボッカーズの装い、オールドスタイルである。酔眼のオヤジから見ても、如何にも登山者と直ぐ判るんだな、などと、どうでもよいことを考えながら、駅と云うよりも停車場と云った方が相応しいような開聞駅に降り立った。

列車が去って、静寂に戻った停車場のベンチに座り、紫煙を燻らせて暫しの間茫然としてから、身支度を始めた。買ったばかりの軽登山靴、サロモン製コンクエストの履き心地がよい。其処に簡便なモンベル製ストレッチスパッツを被せて履く。ニッカホーズが隠れないから、足元が軽快である。駅前広場を直ぐ右折して、線路と併行して指宿方面に戻る形で歩いて行く。漸く空が青味を帯びてきて、もう直ぐ朝の七時だが、住宅地は灯りの気配も無く静まり返っている。町役場の前を通過して、ふたたび右折し線路の踏切を越えて、開聞岳登山口に向かい、緩やかな坂を登り始めた。

何時迄も眠り続けているかのような開聞の町だったが、車道に出たら、数珠繋ぎに車が登山口方面へ連なっているので面食らった。指宿方面に向かう頴娃(えい)街道では無い。山麓で何かのイベントでもあるのだろうかと想像して、車を運転している人を目視するが、行楽客と云う感じではない。日曜日なので通勤と云う訳でも無いだろう。理由は判らず仕舞いなのだが、とにかく想像外のことだった。車道が尾根を捲いていく坂路になる頃、漸く渋滞が終わった。舗装路の傾斜を、覚悟していたから然程の苦も感じない儘歩き続けた。かいもん山麓ふれあい公園の敷地にぶつかり、車道が右に分かれ、登山口方面は直進して登って行く。舗装路が突き当たって、漸く見覚えのある、樹林帯の入口がぽっかりと開いている登山口が見えた。


Kaimon7

海を望める五合目迄は、特筆することの無い樹林帯である。前回との違いは、人が全く居ないと云うことくらいだろうか。登山道は左へと迂回している筈だが、登っている途上の感触は、緩やかな斜面を真直ぐに進んでいるような感覚である。右手の西の方向に、開聞岳の本体が聳えている筈だが、深い樹林で視界が無い。コンパスの針が曖昧に、南から東へと迷いながら振れている。濡れた登山道を滑らないように、木の根が這い廻る段差に難渋しながら慎重に歩いた。

木々の密度が薄まって空が広がり、羊歯が密生している崖に掛かる木段を上がって、展望台のような柵が設えてある五合目に到着した。昨夜の天文館は雷を伴う大雨が降った。其れは凡そ冬の夜と云う風景とは思えない、南国らしさを感じる程の光景であった。スコールの後に爽やかな陽光が降り注ぐアメリカ西海岸の風景みたいに、今日の天候を期待していたのだが、開聞岳五合目からの眺めは、海霧で白く煙っていて、茫洋とした輪郭の長崎鼻が、薄っすらと見える程度であった。雲間から覗く太陽のオレンジ色が、随分遠くにあるように感じた。

五合目から先は、山肌に沿って続く鬱蒼とした樹林帯にふたたび入るが、今迄の空気が澱んでいるような気配から、山岳の冷気を感じるような雰囲気に変わる。途中で男性が下山してくるのが見えた。早出の人はやはり居るものである。擦れ違う時に言葉を交わした。頂上はガスで何も見えませんでしたと、万感の思いを籠めるように云った。此れから回復するかもしれませんねと云って呉れるので、なんとなく申し訳ないような気分になった。しかし、登山道が海側になってから、樹林帯に居ても強風の轟音が断続的に響いて来ているので、天候は回復するのかもしれないが、山頂が穏やかになることは無いのだろうと云う気がした。雲に包まれた、強風の開聞岳山頂。前回の記憶が徐々に蘇ってくる。


Kaimon4

登山道が岩場に阻まれる地点で、踏み跡が左手に下っている箇所が在った。惰性で歩いていて、下り始めてはっとなり、慌てて岩場の根元に戻った。岩を少し登ったら、道が続いているのが見えた。渦巻き状に登山道を辿るだけと云うので、地形図を碌に見ていなかったら此の有様である。恐らく、「山と高原地図 霧島・開聞岳」2013年版に記してある、川尻歩道跡の分岐点だと思われる。尤も、五合目から現在位置を意識して歩いてなかったので、確かなことは云えない。

七合目を過ぎ、岩塊の山肌に沿って行くと、ふたたび明るさが増してきて、大海原が広がった。開聞岳から南に眺望が広がる処で、彼方には屋久島が浮かんでいる筈だが、勿論海霧に遮られて見えない。眼下には顕著な突起の脇崎が見える。景色を満喫したいが、ものすごい強風で、立ち止まっているのが苦痛だった。開聞登山の醍醐味であろう絶景に後ろ髪を引かれながら、樹林帯へ逃げ込む。仙人洞を過ぎて、第2救助ポイントの絶景を愉しみ、ロープ付きの木段が岩崖に設置してある処に着いた。山頂はもう直ぐなのだと判り、漸く安堵の気持ちが湧き上がってきた。

巨岩に乗った処で、背後に気配を感じた。ひとりの壮年男性が軽快に木段を上がってくる。随分本格的な恰好だねえ、と声を掛けられた。オールドスタイルの所以である。続いて、何処から来たのかと訊かれ、東京だと答えたら、後から登ってくる連れは名古屋から来ているのだと云った。話の繋がりが判らない儘、曖昧な返事をして、道を譲った。程無くアウトドアブランドの服に身を包んだ、先程の壮年氏よりも随分若い人が追いついてきた。挨拶を交わして道を譲った。


Kaimon3

雪の開聞岳の記憶とは違った岩塊をパスして、二度目の開聞岳登頂を果たした。山名標の在る岩場に立つと、猛烈な風で息ができないほどであった。先程の壮年氏が、カメラのシャッターを押してあげると云うので、其の通りにして貰う。地元在住で頻々に開聞登山をしていると云う壮年氏は、風が避けられるのは此の場所がよいと教えて呉れたり、林檎をカットして分けて呉れたりと、随分親切だった。連れだと云うアウトドアブランド氏は、登山口で知り合った赤の他人だそうである。出会ったばかりの人を連れと呼ぶ、そう云う感覚に私は馴染めない。

風を避ける岩の陰で、苦慮しながら煙草に火を点けた。開聞岳からの眺望は振るわず、池田湖も曖昧模糊と云う感じでぼんやりと広い。海霧は少し緩和されたのだろうが、猛烈な冷たい風が長居をさせて呉れない山頂であった。海に晒されて独り屹立する標高924mの山頂とは、このような常態なのかもしれないな、と思った。

なんだ、煙草を吸うのか。壮年氏が私に云った。其の残念そうな表情を見て、理不尽な気分になるが、どうしようもない。私は少し傷ついたような気持ちになったが、別段其の必要も無いと考え直して、早々に下山の徒に就くことにした。ふたたびの第二救助ポイントの展望地で、枕崎へと続く海岸線を見下ろした。何時の間にか陽光が射してきて、麓に開聞岳の影が、鮮明に出現した。

Kaimon2

別記

2014年1月の山歩き

2014/1/2

大倉(8:20)---雑事場ノ平---大倉尾根---塔ノ岳---大倉尾根---大倉(15:00)

2014/1/11

二俣尾駅(8:00)---愛宕神社---アタゴ尾根---梅ノ木峠---日ノ出山---御岳神社---御岳山奥ノ院---長尾平分岐---松尾バス停(16:30)

桜島・春田山から中岳の断崖を眺める。

桜島は大正の大噴火以来、大隅半島から僅かに陸続きとなっているが、鹿児島港から終夜運行している市営のカーフェリーで簡単に渡れるようである。鹿児島は妻の生家があるので、此れ迄随分訪問したが、桜島に上陸したことがなかった。今回も親戚付き合いの間隙を縫って何処かの山に登りたいと考えていたが、開聞岳に登る程の時間が無い。私は、早朝の市電に乗って、鹿児島港に近い水族館口で下車した。西日本の猛暑は今日も続くと予報にあり、朝の七時前だが直射日光が厳しく降り注ぐ県道を渡り、フェリー乗り場の建物に入った。休日の所為か、場内は閑散としていた。切符売り場も改札も無い。勝手に乗船して、船代は桜島港で支払うと謂う方式である。料金は150円。隣の駅に行くような気軽さである。

2013/7/21

桜島病院バス停(7:50)---薩摩赤水---八谷橋---湯之平展望所分岐---春田山---430mピーク付近の築提---薩摩赤水---大正溶岩地帯---桜島港(12:30)

Sj1_2オープンデッキの甲板から、徐々に大きくなってくる桜島を眺めていた。冷房の効いた船室に乗客が集まっているので、誰も居ない。船が鹿児島港を囲む堤防を抜けて、海に船出したと思ったら、呆気なく桜島港に着岸した。閑散とした広場に出て、バス乗り場を探していたら、タクシーの運転手が近寄ってきた。何処に行くかと訊かれたので、桜島病院と応えたら、乗り場を教えて呉れた。

大隅半島の桜島口に向かうバスの乗客は三人だけで、出発したら直ぐに大正溶岩の殺風景な地平に向かっていく。バスは快速に飛ばし、私の目的地である、薩摩赤水は二つ目のバス停だったが、其れ程直ぐに着くとは思わず、降車合図のベルを押し忘れてしまった。慌てて次のバス停で降りたら、桜島病院前と云うバス停だった。私は、国道224号線を、来た方角に戻って歩き始めた。

昭和三十二年の大噴火以来、桜島への登山は禁止されている。桜島の御岳は南北に広がり、北岳、中岳、南岳のピークが並ぶ。そんな、横に広い山容である。鹿児島市内から、或いは桜島と併行して南に延びる薩摩半島から、対岸を眺める桜島御岳が、周知の秀麗な山容である。現在噴火を繰り返しているのは南岳の東に在る昭和火口なので、黒い霞が懸かっているように見えるのは、市内から見ると凡そ向かって右側からである。其れに対して、鹿児島空港からハイウェイバスに乗って市内に向かう途中に眺望できる桜島は、北側から見えるので、まるで端整な三角錐の独立峰に見える。其の姿もまた美しい。

Sj2_2観光客が桜島の峰に近づけるのは、湯之平と云う標高373mのピークに在る展望所迄である。溶岩や噴火による噴出物に塗れた険しい地形を縫うようにして、観光客がドライブできる車道が湯之平展望所を目指して周回している。私は其の車道を歩いて湯之平に向かって歩き出した。其の基点が赤水と云う集落なのである。大正溶岩の広がる一部に集落がある。湯之平に向かって歩いて行くと、点在する民家の中に、小さな東屋が密集している不思議な場所があった。近づいてみると、其れは墓地で、墓石ごとに小さな屋根が設えてあった。火山灰が降り注ぐ桜島の集落の、独特な光景だった。其れを過ぎると、赤水の氏神である愛宕神社が見えてきた。

道路は神社を過ぎて、大きく迂回しながら勾配を稼いでいく。やがて錦江湾を望むようになった。よく晴れた空だったが、薩摩半島の彼方は陽炎のように曖昧な感じで広がって見える。車道歩きだが、歩行者道は広く取ってあるので、窮屈な感じはしない。尤も、車道を通る車の姿は全く無かったので、開放感に浸りながら、私はゆっくりと歩を進めた。溶岩帯に繁る樹林を見下ろしながら、三回、四回と道は大きく切り返すようにしてカーブしながら勾配を上げていく。愛宕神社の由来と思しき愛宕山の在る地点に到達したが、其れらしきピークは確認できなかった。

遮るように伸びていた尾根を捲いていくように、愛宕山付近から車道は大きくカーブして切り返していった。尾根の裏側に出たら、対岸に、直ぐ近くに湯之平展望所の建物が見えた。道路は其処に直進することなく、東方に向かって真直ぐ伸びていた。真正面に南岳が聳えていて、夥しい黒煙が空に吹き上がっている。爆発したのだ。噴煙は大きく、やがて照りつけていた強烈な陽射しを隠していった。道路が部分的に、陽蔭になっている。活火山の、此処迄巨大な噴煙を間近で見たのは、初めてかもしれない。そう思った。

Sj4_3鹿児島地方気象台に拠る、桜島の噴火の記録を後日確認したら、此の日は7時36分に最初の爆発があり、8時30分迄、断続的に六回の噴火が起こっている。私が見たのは、8時10分の爆発だろう。「弾道を描いて飛散する大きな噴石」が五合目に確認され、場所は「昭和火口より500から800m」と記録されていた。

大噴煙に圧倒されたが、轟音のような爆発音が聞こえないのが少し残念な気がした。不謹慎な思惟なのは百も承知だが、此れ程巨大な噴煙が巻き上がっても、何も聞こえないのは不思議だなと思った。どおんと音がして、地面がぴりぴりと震えて、慄きながら桜島を見上げる、そんなイメージが、勝手に私の中で熟成されていたのだった。私は、車が一台もやってこない静かな車道を、黙々と歩き続けた。

桜島御岳の前衛とも云える寄生火山の、引ノ平を眺めながら車道はふたたび北にカーブした。錦江湾の眺望が、さらに遥かに広がる。溶岩の瓦礫で形成された尾根に逆らわずに、舗装路は緩やかに上昇しながら続いている。標高255mピーク地点で、折り返すように右に旋回すると、南岳がどんどん近づいてくる。長い直線の坂路が終わり、ふたたびS字のカーブを描いて、八谷橋を渡る。大きな谷だが、勿論涸れ果てている沢である。湯之平展望所が目の前に現われた。手が届きそうな程近いが、私と展望所の間には、断崖の底が在る。彼岸と此岸の間に、溶岩帯に繁茂する強靭な森が広がっている。車道は徐々に北東方向に、展望所から遠ざかるようにして続いていた。

いよいよ桜島火山群を望む限界地点に近づいてきた。私には深謀遠慮が有る。観光道路の行き着く先は湯之平であるが、地形図を見ると、直ぐ傍に、同じ寄生火山の春田山が在る。標高373mの湯之平よりも少しだけ桜島御岳に近い、標高408mの溶岩ドームである。私が現在歩いている地点から、間もなくして細い車道が分岐している筈であった。其処に行ってみようと思う。

Sakurajima_2

分岐点は間もなく現われた。一般車輌が迷い込まないように、左手に湯之平展望所の道標が在った。其れを黙殺して、私は右に分かれる舗装路に進入した。繁茂した樹林の枝打ちをしている車輌が停まっていたが、無人であった。鬱蒼とした林道は直ぐに終わり、空が開けてきたなと思ったら、左手に小さなゲートが現われた。金網のゲートは車輌の進入を拒絶しているが、両脇の石柱の傍から、人は簡単に通れる。石柱にプレートが在り、京都大学防災研究所、桜島火山観測所、そして、ハルタ山観測室と記されてあった。

施設の敷地へと続く道を見上げる。春田山は、この敷地内のこんもりと盛り上がったピークのようだった。私はゲートの横から其処に入っていった。春田山のピークに登る為の行動なので、もしも観測所の関係者に咎められたら、釈明しようと考えた。舗装路が山を捲くようにして頂上に伸びている。登りきったら、観測所の白い建物が現われた。振り返ると、湯之平展望所の溶岩ドームを見下ろす展望が広がっていた。私は、画策が成功したことを知った。

Sj6建物の横を廻って、観測機器が設置してある広場に出たら、真正面に、中岳が尖塔のように屹立していた。思ったよりも近い感じがした。南岳、北岳と、セットで桜島御岳を眺めるという感じではなかった。中岳の直下に深く抉れて崩壊した岩崖が、剥き出しになって落ちている。南岳の噴煙は消えていた。灼熱の太陽の下で、私は茫然と其れ等を眺めた。

観測所の周りを歩いたが、人が出てくる様子は無かった。敷地内に車が無いから、誰も居ないのだろう。春田山のピークに登った、と謂う感慨は然程感じることはできなかったが、湯之平展望所ではなく、ハルタ山観測室から眺めることができたと云うのが、嬉しかった。

ハルタ山観測室のゲートを出た。私は満足して、下山の途に就こうとしたが、地形図を眺めると、直ぐ傍に車道が分岐して、さらに火山へと近寄っていく道が在るのが気になった。春田山の東に430mのピークがある。春田山よりも22m程高い山の脇迄、車道は続いているようであった。430mピークと春田山の鞍部を貫く舗装路を、私は歩いていた。程無く、右手に道が分岐しているのが見えた。其処には、木製の大きなゲートが有り、当然のことながら厳重に閉じられていた。

ゲートの両側には先程とは違って、人が通れる隙間が無かった。少しの間思案してから、ゲートの木枠に足を掛けて、其れを乗り越えた。立ち入り禁止、と謂うような表記は無い。其れだけを拠り所にして、430mピークに向かって伸びていく舗装路を登ってみることにした。道の左手は深い谷が沈んでいる。振り返ると、鹿児島市内ではなく、姶良方面の景色が広がった。桜島の断崖の向こうに、海の青さが深みを増している。そんな景色だった。

春田山から眺めた中岳の威容が、さらに間近に迫ってくるような気がした。車道はひたすら真直ぐに勾配を登り続ける。登りきったなと思ったら、目の前には青空だけが広がっていた。中岳から深く抉れて切り落ちる谷を、巨大な築提が堰き止めていた。岩塊の崩落を堰き止めるためなのだろうか。乾ききった大地に、巨大な人工物が聳えていた。

周囲は木も土も刈り払われていて、舗装路は築提で終了していた。遮るものが何も無いから、錦江湾と、鹿児島市内の眺望が、何処迄も見渡せる。其れは何とも云えない無機質な光景だった。振り返ると、桜島の御岳が、岩崖となって迫ってくるように近い。その気になれば、中岳に登頂できそうな、そんな錯覚をしそうなくらいに、近い。茫然と立ち尽くしていたら、眩暈がしてきた。灼熱の陽光が、容赦なく降り注いでいる。私は、踵を返して、ゆっくりと、下山の途に就いた。

雪の開聞岳

Kmn


2011/1/3

かいもん山麓ふれあい公園(8:45)---開聞岳---かいもん山麓ふれあい公園(13:30)

錦江湾に沿って朝の国道を走り、喜入の石油コンビナート群を過ぎたら南国らしい風景の指宿に近づいてきた。未曾有の寒波による記録的積雪に見舞われた鹿児島県は、正月になっても雪は消えず、空はどんよりと鉛色である。海岸線から離れて山間に向かい、池田小学校を過ぎて峠を越し、湖に向かうところで真正面に、唐突にぽっかりと姿を現したのが薩摩富士の開聞岳だった。写真で見る開聞岳の、きれいな円錐形の印象ではなく、雪で白くなった頂は、なんとなくごつごつとした形に見える。池田湖に下っていったら開聞岳は姿を隠した。寂しい湖岸に、咲き始めた菜の花も侘しげに色褪せて居た。

山歩きを始めて以来の遠征であるが、勿論所要の間隙を縫っての機会である。鹿児島に来るのは三年ぶりで、妻帯してからの縁であるのだが、そのような帰省では殆ど自由行動をとる余裕がない。縁が出来て早十数年が経った今ならば、と謂う甘える気持ちと、山を始めてから初の帰省であるということもあり、今回は断固として一日を山に割くことに決めた。

其のような意気込みは全く個人的なもので、誰も気にも留めないのが現実なのであるが、しかし開聞岳迄どうやって行くのだと義兄が訊くから、指宿枕崎線の開聞駅から登るのですと答えたら、其れは現実的ではない、と云う。酒を酌み交わす勢いの末、俺が連れていってやる、と、有無を云わせない感じの兄貴風が吹いてきたから、断る余地が在る筈も無い。お蔭様で今回は自動車で麓迄連れていって貰えることになったと謂う次第である。

観光地然とした『かいもん山麓ふれあい公園』に到着し、身支度を整える。例年に無い積雪で、如何に低山の開聞岳と謂えども正月早々の登山者は居ないだろう、などと勝手に思っていた。公園の職員と思しきおじさんも、登るのかい、などと訊いてくる。しかし管理棟で登山届に記帳し、本日の欄を見ると、既に数名が出発済みで、殆どが関東や関西からの旅行者のようであるから、なんだか遅れをとったような気分になった。

公園を横切り、開聞岳に向かって登っていく舗装路に出て、登山口迄黙々と歩く。妻と義兄の足取りが存外に速い。私は真正面に聳える開聞岳を見上げたり、振り返って広がる麓の風景を眺めたりして、いつもとは違う高揚した気分で、ゆっくりと歩を進める。舗装路の突き当たりが登山口で、其の先は樹林帯にぽっかりと穴が開いたような狭い切通しのような登山道が真直ぐに続いている。真冬でも立ち枯れた風景ではなく、シダ類のような木々の緑が南国らしく思える。妻、義兄、私の順で黙々と進む。そして、私だけやや足取りが遅いのか、だんだん引き離されていく。三合目のベンチも減速せず通過。兄妹で地の利を誇示しているのだろうか。単独行の、重装備の男性をも追い越して、どんどん進んでいく。

Kaimon1

開聞岳は端整な独立峰で、其の佇まいもきれいな円錐形である。登山コースは向かって左方向に進み、徐々に弧を描くように右へと、ぐるりとループ状に登っていく。序盤の左方向への登りは鬱蒼とした樹林帯で眺望がないから、あまり弧を描いている感じがしない。やや湿った暗い赤土の道を歩く。兄妹二人組は、面白味の無い此の展開を早く進めようとするかのように飛ばしていくが、身体が温まってきて暑いくらいになったため、上着などを脱ぐために漸く小休止になった。休んでいる間に、先程追い越した黄色いレインウェアの男性が追いついてきた。通り際に、其の男性が、失礼ですがアイゼンは持っていますかと訊くから、無理なようなら引き返しますよ、と鷹揚に義兄が答えた。恐らく最後の北面は凍っていて無理でしょう、と云って男性は去っていった。

再開した後も先頭の妻の足取りは速く、程なく黄色いベテラン氏に追いつき、追い越してしまう。そしてふたたび喉が渇いて休憩してる間に追いつかれ、ベテラン氏は、箱根駅伝の人よりも早いですね、と苦笑混じりに云う。私は二時間半で登頂するけど、皆さんは三時間以上かかるであろう、と云って去っていった。事実なのかもしれないが、余り感じのよい科白ではない。

管理棟で貰った『開聞ガイドマップ』に記されているように、開聞岳の登山ルートには緊急の場合の救助ポイントが設定されていて、最初に現われる第4ポイントが五合目で、初めて眺望が開ける。曇天だが長崎鼻を挟んで錦江湾を見下ろす良景だ。くだんのベテラン氏がベンチに座ってスパッツを装着している。妻と義兄は束の間の休憩で出発する。私はもう少し景色を眺めていたかったが、仕方なくついていく。

其処から先は景色を眺めながら登るのかな、と思ったがそうではなく、ふたたび木々の中に潜っていくように、岩場も混じった険しい行程になった。途中で、既に登頂して下山してくる集団に遇う。高校生くらいの少年達で、頂上あたりは凍っているか訊いたら、平気です、登れます、という頼もしい答えが返ってきた。彼等は普通のスニーカーを履いていたから、とりあえず途中で撤退するという事態は回避できそうなので、安堵した。

第3救助ポイントの七合目でふたたび絶景の海が開けた。天候は回復しつつあるようで、空の色が明るい。何処迄も広がる水平線に見とれていたが、地元の兄妹はあっさり先へ急ぐように出発する。釈然としないまま、後ろ髪を引かれるように私も出発する。

此処から漸く積雪が残る道となり、木段も滑りやすいから油断のならない展開になる。ループ状に捲いて進んでいる実感が湧いてくるから、山頂に近づいているということなのだろう。仙人洞と謂う風穴を過ぎ、雪が増えて、泥濘の土と混在した不快な行程になる。相変わらず兄妹の足取りは変わらず、私は遅れ気味になる。途中、木の根に脚をかけて滑り、脛を打ってしまった。痛みに思わず蹲る。

高校生達は若さで登りきってしまったかもしれないが、思ったより雪が多い。凍っているわけではないからアイゼンは必要ないかと思われたが、いよいよ山頂間近の、大展望の第2救助ポイントを過ぎたら、凍結している箇所が増えてきた。恐る恐る踏む場所を選びつつ、慎重に登る。岩場になって、梯子段まで現われ、ロープを掴みながら雪の積もった梯子を、一段ずつ登る。其の戦々恐々な雰囲気は、滝子山の、あの寂ショウ尾根の比ではなかった。

開聞岳の山頂に着いた。空模様はふたたび怪しくなっていたが、薩摩半島を一望する北東方面の絶景だ。池田湖が九州で一番広い湖であるということが首肯できる。勿論全方位の眺望ではあるが、南側は山頂の林の向こうに広がっており、頂点からぐるりと眺める、という感覚ではない。冷たい風を受けて、殆ど寛げる状況ではなかったが、握り飯を頬張りながら、登頂の喜びに浸っていた。

かいもん山麓ふれあい公園を出発してから、二時間十五分で登頂した計算であった。暫くしてから、あの黄色いレインウェアのベテラン氏が登頂した。時計を確認したら、丁度我々よりも十五分遅れだったので、其れは其れで感心してしまった。

風は勢いを増してきているようで、佇んでいる所為か、寒さも厳しくなってきたような感じだ。さあ、早く下りて温泉だ、と云い義兄が立ち上がる。やれやれという気分で下山の途につく。下りは予想通り、凍った部分で難航して恐る恐る足を進める。第2救助ポイントの景色で立ち止まっているうちに、あの黄色いベテラン氏が追いついてきて、アイゼンを駆使して軽快に下っていくのを見送った。

それからは、先に行く兄妹に構わず、私はゆっくりと下りていった。ふたたび第3救助ポイントが現われる。天候はころころと変わり、今は雲間からの陽光が大海原に降り注いでいる。奥多摩の山間ばかり歩いていた私にとっては、茫然と眺める他はない光景だった。デイパックを降ろして岩に座り、煙草に火を点けて、ゆっくりと紫煙を燻らせた。

Kaimon2

独りで山林の中を歩き、五合目を過ぎて、漸く雪が無くなりかけた処で、靴の紐を締め直して、一気に駆け下りて行く。さすがに膝が痛いと云ってペースダウンした義兄に追いついた。最後の樹林帯に入り、ゆっくり下っていると、独りの男性が登ってきた。擦れ違いに挨拶を交わしたら、其の男性が、頂上は凍っていますか、と訊く。下りは難儀しますが登れますよ、と伝えたら、男性はほっとした表情で、そうですか、さっき、其の靴じゃ登れないって云われたのでどうしようかと思ったんですよ、と云った。

別れてから少し経って、あの人、あの黄色いおっさんに脅されたのかなあ、と呟いたら、どうもそんな感じだなあ、と、義兄と妻が、げらげら笑った。

別記

一月の覚え書き。

1/10
宮ノ平駅-要害山-天狗岩-赤ぼっこ-天祖神社-青梅駅
1/23
御嶽駅-日ノ出山北尾根-日の出山-高峰-御嶽駅
1/29
二俣尾駅-アタゴ尾根-三室山-梅の公園-梅ヶ谷峠分岐-要害山-赤ぼっこ-天祖神社-東青梅駅

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