丹沢

諸戸尾根から梅ノ木尾根。相州大山を踏査隊有志と登る。

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「登山詳細図」踏査隊有志による山登りで丹沢の大山詣をすることになった。企図の段階からいろいろなルートが提案されていたが、最終的に決まったのが、諸戸山林事務所から大山へと連なる諸戸尾根を辿ると云うもので、登山詳細図独自の記載ルートでもある。ヤビツ峠迄バスで運ばれてから、敢えて涸れた沢に沿って門戸口迄下山して、諸戸山林事務所の登山口に向かうと云う奇天烈なコース設定である。丹沢山系に造詣が深く、現在進行中の東丹沢登山詳細図改訂版にも深く関与しているMD氏の先導で、総勢七名の大所帯が、好天のヤビツ峠から駐車場の裏手に廻り込んで始まる、日陰の薄暗い「ヤビツ旧道コース」を下り始めたのであった。


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2015/1/11

ヤビツ峠バス停(9:00)-----門戸口-----諸戸山林事務所(9:40)-----諸戸尾根ルート-----大山(11:20)-----不動尻分岐-----989mピーク(12:10)-----梅ノ木尾根-----大沢分岐-----二ノ沢ノ頭-----日向薬師バス停(15:20)


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蛇行する県道70号をショートカットする形で二十数分歩いて門戸口に到達し、漸く青空の下に出た。車道を其の儘下って、諸戸山林事務所が現われる。奥に神社が在り、其の儘カンスコロバシ沢の左岸を辿ると、やがて右手に迫る尾根群の方向に踏跡が分岐している。手製の道標が大山を記しているが、薄汚れた小さい木片なので注意していないと気付かないかもしれない。此処から西尾根(MD氏は詳細図に記載の諸戸尾根ではなく、西尾根と呼ぶので当稿は混淆して記載する)の末端である細長い尾根の側面を攀じ登る。送電線巡視路は、ジグザグに踏路が切られている。其れ程の高低差では無いが、厳しい勾配を実直に登り続けた。

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尾根上に出ると、心地好い陽射しが降り注いでいた。小休止の後、大山に向かってひたすら続く尾根を登り続ける。送電新多摩線の下を通過する頃、木立の合間から、周辺の尾根が見渡せるようになり、やがて北西方面に遠くの山々が見える。端整な三つの峰が並んでいる。丹沢三峰が綺麗に並んでいるのを眺めるのは初めてかもしれない。

標高が850mに近づく頃、周囲は落葉したブナ林が立ち並ぶ尾根道となった。登り一辺倒の縦隊列は次第に間隔が空いてきてしまい、時折MD氏は最後尾の私が通過するまで待っていて呉れて、また先頭の方に戻っていくと云うような動きをしている。顔を合わせると其の都度、周辺の山座同定の解説をして呉れたりする。パーティのリーダーかくあるべきと云う態度であり、感心してしまう。指し示す先を振り返ると、三ノ塔の向こうから、真っ白い富士山の頭が顔を出していて、隊列が皆立ち止まって歓声を上げた。

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右手に見えるイタツミ尾根が徐々に近づいてくる。標高1000mに達して、振り返るたびに富士山の容姿が大胆になってくる。高度を上げるに連れて、見渡せる山々が広がっていく。相模湾の彼方に、伊豆大島が朧気に浮かんでいるのが見える。天城山脈の聳える伊豆半島が、大陸のように広がっている。休日の大山登山で此のような眺望を味わいながら、誰にも会わずに居ると云うのは考えてみると凄いことのように思える。箱根の中央火口丘を指し示しながら、あの白くなっている処は大涌谷の煙ですとMD氏が云い、皆が驚いている。

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自然林が疎らに並ぶ明るい踏路が、徐々に勾配を上げていき、鹿柵の側を歩くようになって、大山表参道に合流した。山頂直下の鳥居が在り、我々は西側を捲きながら歩いて登頂した。此処で10分程度の小休止にしましょう、MD氏が宣言した。晴天の山頂で眺望が広がっているのに、計画のラップタイムを遵守せんとするMD氏の透徹な態度に、皆はどう思っているのかは判らないが、私は軽い驚きを禁じ得なかった。ちなみに此処で軽くメンバー紹介であるが、奥多摩で数回踏査で一緒に歩いたNZ氏、西丹沢踏査や水根沢、鷹ノ巣沢の沢登りを共に敢行したC氏とT子さん、蛭から逃げ惑いながら日向山近辺を一緒に踏査したMNさん、昨年暮れに小仏峠の宴会で初めて会ったKMさん、そしてMD氏と私の七人である。

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山頂の東側に廻って横浜から東京に至る平野を見渡す。スカイツリーが見えない、とKMさんが叫ぶ。見事な眺望だが、地平線の先は靄が掛かったように曖昧になっている。奥多摩や奥武蔵からも案外簡単に眺められる東京スカイツリーが、此処から見えないと云うのは確かに不思議だった。そろそろいいですか、MD氏が皆に出発を促す。隊列は陽射しで明るい東の尾根を下り始めた。

次々に登ってくる人々と擦れ違う賑やかな登山道は泥濘で、木段で滑らないようにと神経を遣った。下山の徒も後ろから続々とやってきて落ち着かない。漸く不動尻分岐で北東に別れて、静かな踏路となった。雷ノ峰尾根が右手に遠ざかり、登山道は急勾配を木段が一気に下降していく。梅ノ木尾根から始めたら此処を登らなきゃいけないんだよ、MD氏が私に云った。今回の山行を企図した当初に私が提案したのが、日向薬師から梅ノ木尾根経由で大山に登ると云うものだった。梅ノ木尾根の末端を歩いた記憶のあるMNさんは構わないと云ったが、梅ノ木尾根を登るのは辛いので下りに使いたい、と云う及び腰の案をMD氏が提示して、現在、下っている最中なのである。確かに此れを登るのは大変ですね。とりあえず恭順の態度をMD氏に示しながら、私は関東平野を一望する木段を下っていった。


視線の先には尾根が平坦になっていて、緩やかに盛り上がっている広場が見えた。
尾根が右にカーブして、眺望の広がる台地に到達した。地形図上の標高989m地点だった。電線が渡され、資材を運ぶモノレール軌道の行き着く先となっている場所で、建造物の土台が痕跡となって残っている。自然と休憩になったが、此処でC氏が空腹を訴えたのを機に昼食となった。MD氏の計画では二ノ沢ノ頭で食事と云うことになっていたが、時刻としてはもうお昼時であるから、此の変更は適宜だったと云える。

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唐沢峠、不動尻方面に北へと延びる尾根は、大山の東側を旋回するようにして続いている。枯木が疎らに立ち並ぶ登山道から、相変わらず関東平野が広がっているのが見渡せる。其れは余りにも良景が続く尾根だった。登ってきた諸戸尾根の風景を思い返して、ハイカーで混雑する大山と云う今迄のイメージは、全く一義的なことであったのだなと痛感する。尾根が鞍部を迎えて、其処は斜面が崩落して痩せた稜線になっていた。鎖が渡された鞍部を越えて、愈々梅ノ木尾根に分岐する地点に到達した。

不動尻方面を歩くハイカーは殆ど見受けられなかったが、我々が梅ノ木尾根分岐点で滞留している間に、四人組が追いついてきた。彼等も同じ進路に向かうようであった。慌しい雰囲気になって、我々が先行して梅ノ木尾根を下ることになった。しかし、最後尾を歩く私の後方で、間隔を開けずに四人組が迫ってくるので落ち着かない。梅ノ木尾根は、大山の東面に日向川の谷が激烈に喰い込んでいる山肌の上を辿っている。痩せ尾根が急勾配になって構成されている。岩混じりの踏路に木の根が張り巡らされている。恐る恐る歩を進めざるを得ないが、くだんの四人組は背後迄近づいてきて、仲間同士で大声で喋っている。神経に障るので先に行って貰うことにして立ち止まった。

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隊列から分離されて、ひとりで歩いているような気分になって、急傾斜を下り続けた。斜面の途上から視線の先の鞍部を見下ろすと、四人組が我が隊列と入り乱れて通過していくのが見えた。癇に障る喋り声が未だ聞こえてくるので、悄然となった私の歩調は徐々に遅くなっていった。やがて登山詳細図に記してある、落書道標、のポイントに到達した。瘤状になっていて、大きく尾根が二股に分かれている処だった。道標は手製だが、落書と云う程乱雑なものでは無かった。木片が朽ち果て、文字が判別し難いから、老朽化しただけのことのようであった。標高778mピークに向かう広い尾根は、地形図を辿れば「ふれあいの森日向キャンプ場」方面に降りていくようである。梅ノ木尾根、大沢分岐に向かうのは、日陰になった急傾斜の左の尾根道である。手製道標は、微かにキャンプ場と日向山の文字が窺えるから、地形図を読めない場合には重要な指標となっている。四人組が日向キャンプ場方面に去っていった。其れを見てMD氏が、よかったあ、と呟いた。思う処は同じようなものだったと推察して、私は内心で首肯した。

北北東に進路が向いて不安になるが、尾根は右に舵を切るようにして続いている。周囲は植林が増えてきて陰鬱な雰囲気になっていった。左手に広がる清川村方面の景色が、羨ましい程に明るい。コルを通過して、唐突に現われる岩混じりの斜面を登りきると、其処が大沢分岐だった。大沢川は日向山北面を流れ、七沢方面に注いでいる立派な川であり、分岐点の名前になっている大沢とは広沢寺温泉一帯の地名のようである。

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大沢分岐を東南方向に下っていく。樹林帯が途切れて、日向川、二ノ沢の深い谷が右手に広がっているのが見渡せた。其の山懐を見上げると、大山の威容が逆光の影になって聳えている。緩やかな傾斜の一本道は時折極端にか細いリッジとなり、強風をまともに受けるとバランスが危うくなる程であった。前を歩くC氏が振り返って、面白い尾根ですね、と云った。其の儘粛々と歩き続けると、やがて瘤状の盛り上がりが前方に見える。踏路は左側に捲いていくように続いている。東方に大きな尾根が分岐する地点で、注意を怠ると誘い込まれてしまいそうになる箇所であった。

梅ノ木尾根ルートが南下して、其の突端に在る670m圏峰が、二ノ沢ノ頭だった。強風の吹きすさぶ狭いピークからは、樹幹の合間に厚木市方面の眺望が広がっている。此れで景色は見納めですからと、MD氏が云った。当初は此処が食事休憩の予定だったが、冷たい風の通り抜けるピークでの大休止は適切では無さそうに思われた。早く降りて飲みたいね。朗らかにKMさんが云った。

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ふたたび東方に延びる尾根を下り、浄発願寺奥ノ院への分岐に達し、其処からは平坦な尾根道を辿るだけである。植林帯に囲まれた緩やかな勾配を下っていく。小さな瘤を丁寧に登り返して、要所にはベンチも散見できるようになり、日向山に続いているハイキングコースを歩いているのだな、と認識できる。七沢弁天の森キャンプ場に下る登山道の分岐点に達して、登山詳細図の踏査で歩いた記憶を呼び起こそうとするが、猛暑の季節のじめじめして鬱蒼としていた情景が、眼前の風景と合致させることが、なかなかできなかった。

標高400m圏峰を越えて、細い尾根が東方に延びていく。其の途上で、北面の風景が開けた箇所が在って、皆が立ち止まって眺めていた。MNさんが麓を指して、見えてますよ、と云った。何のことかと視線を転じたら、大沢川のほとりに建っている東屋が見下ろせた。植林帯とは云っても、冬になると随分視界が開けるもので、踏査の計測中に蛭の大群に襲われ、駆け下りた先に達したのが、今見下ろしている東屋のようだった。登山詳細図の踏査に参加したばかりの頃の思い出であり、踏査仲間とふたたび歩いていると云う実感は、時の流れを感じさせて呉れて感慨深いものがあった。

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尾根を下り、四辻になっている日向山との鞍部に下り立つ。予定は此処から更に日向山を経て、七沢温泉迄を踏破すると云うものだったが、私とC氏とT子さんが疲労を訴え、KMさんがもう飲みに行きたいと主張するに至り、此処で尾根から外れて日向薬師に下山と云うことになった。NZ氏が、俺はナイトウォーク好きだけどねと云ったが、皆聞こえない振りをしていた。

登山道は日向山の裾を捲きながら下っていく。日向薬師の手前に在る林道に到達すると、陽が傾き始めた空の向こうに、歩いて来た梅ノ木尾根の山々を見上げるようになった。其れ等の更に奥の方で、大山の頭部が少しだけ覗いている。

あんなに遠いよ。そう云いながら、ふたたびMD氏が私を見て、梅ノ木尾根から大山に、まだ登ってみたいか、と云った。一度は登ってみたいですね。そう思わないでも無いのでそう応えたら、信じられない、と云うような身振りでMD氏が笑った。


Hinatayama2

ミツバ岳から権現山・登山詳細図踏査隊と歩く

2012/12/20

滝壺橋(8:10)---ミツバ岳---権現山---二本杉峠---権現山---756mピーク---永歳橋(15:00)

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西丹沢の山域に来たのは初めてである。都内から電車やバスを利用して日帰りで歩くには困難な地域だからと謂う理由である。昨年から始めたテントを担いで行く山歩きに好都合とも云えたが、生憎なことに丹沢の、全域なのかどうかは判らないが、幕営禁止の御触れは承知しているので、敢えて計画の範疇には入らなかった。登山詳細図の踏査に加担すると謂う義務感を好んで背負い、よく知らない人々と同宿してまで参加する気になったのも、此の儘では一生縁が無いのではないかと思う西丹沢に行くと謂う、半ば強制的な偶然を作り出そうとする意思があった故かもしれない。

初日の失態と、想像以上に崩れた西丹沢のトラバース道での苦難に、疲弊感が澱のように身体の中に漂っているような気分の儘、朝になった。尤も、世話人氏たちとの酒宴が深夜迄及んだことも要因のひとつではある。前日の他班の行程も、決して順序良く踏査を達成出来た訳では無いようで、今日の計画の修正案を守屋益男、二郎両氏が協議している。結局、私は今日もC氏と共に行動することに決まったようで、其のルートは、昨日帰ってきた県道を、途中の滝壺橋迄、車で運んで貰い、ミツバ岳へと登ることになった。

曖昧な空模様の下、丹沢湖が西の途切れる辺りに在る滝壺橋に、ミツバ岳と書いてある道標が立っていた。削られた尾根にいきなり張り付くように、踏跡が無理矢理に切ってある。暫く急勾配を登りきると、樹林帯の中を直登する道が続いていた。昭文社の登山地図には全く記されていないコースだが、道標のある登山口が示すように、歩く人は多いようである。しかし、其の取り付きは傾斜が鋭い為、平穏に歩けるコースでは無いことが判る。

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崩落の気配が充満するトラバース道に比べたら、尾根の急登など問題では無い。問題なのは自分の体調で、要するに深酒に加えた若干の寝不足故に身体がだるいから、唐突に急登が続くミツバ岳登山道が、呼吸も絶え絶えになる苦役に思えてしまう。背後に続くC氏も、と云いたいところだが、黙々と登っている彼がどう思っているかは判らない。

ジグザグに切ってある道に切り替わり、振り返って丹沢湖を見下ろす余裕が出てきた。少し陽射しのあった朝の風景は、いつしか曇天が覆う様相に変わっていて、鉛色の冬空である。植林された東側の杉林から、西へと山腹を回りこむようにして登ると、自然林の枯木が点在する登山道に変わったから、周囲が明るくなった。ミツバ岳はその名が現わすように、三つ又の花が群生する山のようで、師走の押し迫った今頃には縁の無いものと思われたが、C氏が其の片鱗を見つけて写真を撮っている。春先に咲く花でも、こんな時期に忽然と咲いている枝が路傍にあると謂うのが、不思議だった。

標高750mを越えた辺りで、周囲は樹木が点在する茫洋とした景観になった。乾いた土を砂利砂利と音を立てて歩いていく。やがて800mの突き出た瘤状の尾根の突端に乗り上げたら、三つ又の群生地と思しき緩やかな草原の中を進んで行く。薄く白い花弁の群れが広がっているから、塵が散りばめられた中を歩いているようでもある。満開の頃は、黄色い草原となるのであろうと想像する。ひと登りで、ミツバ岳の頂上に着いた。広範囲に等高線が閉じられているピークの、やや奥に三角点があるため、開放感はあるが、眺望はよくない。北面に、鹿柵越しに広がる山々が垣間見えた。

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此処から北東方向に聳えているのが見える、権現山へと向かう。屏風岩山から南下する山稜が大きく隆起しているのが権現山で、世附へと分岐して落ちていく尾根の主稜が、ミツバ岳へと続いている。其の稜線を権現山に向かって歩いて行く。昭文社地図にはこの間を「道不明瞭」と記しているが、権現山への山稜は明確で、尾根の真上を歩くだけであるから、不可解な注釈である。単なる踏跡以上に明瞭な登山道では無いと云いたいのだろうと推測するが、赤線も破線も引いてない部分にわざわざ記すほど、この山稜の上を歩く道は不明瞭では無い。

ミツバ岳の三角点は、標高800mで等高線が閉じているピークの中にある。北東方向に、800m圏内を歩く。広々とした山の上を、私とC氏は、思い思いの場所を踏んで歩いて行く。テントでも張って、宴会でもしたくなるような心地よい山頂と云うか、山域であった。途中、不自然な程抉られている木の幹があり、明らかに熊か其れに準ずる獣によって抉られたものと見えた。熊は巣穴に棲むだけでなく、木に登って安穏としている場合も多いと謂う話を聞いたので、思わず上を見上げた。広々とした山上の心地よさは、熊からのお墨付きもあるようで、思わず首肯してしまうが、テントで宴会の夢想は、其れで呆気なく醒めてしまった。

長大な鞍部を悠々と進み、権現山の壁が徐々に近づいて来た。樹林帯を抜けると登りが始まる。緩やかな登りから徐々に勾配は厳しくなる。其れに連れて踏み跡が、尾根の右側へと逃げるように辿っている。其れに準じて歩いていると、徐々に閉塞的な気分になってくる。詰まらないので数メートルの高さを乗り越えて、尾根に立った。南北の眺望と、吹き抜ける風が心地よい。其処からは、目の前に立ちはだかる、権現山から西へ伸びる大きな尾根に向かって、喘ぎながら登った。

標高900mで尾根が合流し、実直に右折して登り続けて、標高1018.8mの権現山に登頂した。此処から、昨日の踏査で計測した、二本杉峠の東西を結ぶ線迄を歩くことになっている。権現山の由来であろう、小さな祠を発見して、私とC氏は、其処にザックを置いた儘、空身で再出発する。北東に伸びる尾根の登山道は急激な傾斜で、腐った木段が続いている。ロードメジャーを転がしながら、何時迄も続く急勾配を下っていった。漸く尾根が鞍部に掛かると、細川沢が詰めた辺りの大きな谷が大崩壊していた。其の代償として、見事なくらいに眺望が開けている。西丹沢の、檜洞丸を中心とした山なみが、青空の中に連なっている。

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大崩落の分水嶺を渡り、鞍部を通過して、ふたたび小さな標高849mのピークを乗り越す。眼下に、見慣れた暗い鞍部が伺えた。二本杉峠である。C氏を待たせて、ひとりで峠に下る。四度目の二本杉峠は、相変わらず、水の底のように静まり返っていた。私は、ロードメジャーの目盛りを紙片に記し、深呼吸してから、ふたたびの帰路に向かった。

用心しなければ転げ落ちてしまいそうな急勾配を下ってきたから、権現山への登り返しは、既に覚悟を決めて、ゆっくりと歩を進めていった。空身でさえも堪える登山の果て、漸く権現山に帰還した。快晴の空の下、改めて景色を見渡す。遥か東方に目を凝らして、大山の端整な形を認める。其の手前に、見覚えのある山稜に、ぽつんと在る人工物を見た。大倉尾根の花立山荘であった。

権現山から明瞭な登山道を計測しながら下り、永歳橋に下山した。陽は未だ高いが、陽光の色彩は、既に黄昏を予感させる。投宿している落合館に戻り、熱い湯船に浸かってから、C氏と麦酒で乾杯した。程無く世話人氏とUR氏が帰還し、また麦酒を飲んだ。バスに乗って、もう帰らなければならないが、帰ると謂う目的の他には特に用事も無いので、湯上がりの麦酒を、いつまでも飲んでいた。

漸く重い腰を上げて、見送られながら新松田駅行きのバスに乗った。バスが玄倉に立ち寄って引き返すうちに、丹沢湖が薄暮に包まれてきた。遠い空の黄昏に、富士山のシルエットが現われて、直ぐに姿を消した。


付記

ミツバ岳・権現山を歩いたC氏のblog
http://cashila.exblog.jp/19429667/

同日の踏査記録を記した登山詳細図世話人氏のblog
http://mordred1114.blog.fc2.com/blog-entry-90.html

別記

2012年最後の山歩き

2012/12/31

日影バス停(8:30)---日影林道---作業道出合---一丁平展望台---小仏城山---薬王院---金比羅神社---高尾駅(14:00)

細川橋から二本杉峠・登山詳細図踏査隊と歩く(後編)

2012/12/19

細川橋バス停(8:20)---二本杉峠---地蔵平ルート(40メートル先で崩落箇所の為引き返す)---760mピーク---二本杉峠---千鳥橋---浅瀬橋---世附キャンプセンター(14:30)

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二本杉峠に戻ってきた。此れで三度目であるから、鬱蒼と暗いこの鞍部にも、何故か親近感を覚える。地蔵平への踏査が暗礁に乗り上げた結果、我々は役割を失ったので、もう下山するしか方策は無い。世話人氏の指示では、地蔵平に抜けられなかった場合は、NR、KF班が辿る千鳥橋へのルートを追って、速やかに下山するように、と謂うことであった。嘆息と共に、私は権現山方面に聳える屹立した尾根の方を眺める。どうせ丹沢湖に戻るのならば、此の尾根を歩いて行きたいものだと思った。

「勝手な行動すると怒られちゃうからなあ…。予定通りに下りるしかないでしょう」
学級委員みたいな口調で、C氏が云った。

地形図を見れば一目瞭然だが、西への登山道は、深い谷を急激に下りていくものだった。湿った枯葉を踏みしめ、ジグザグに切ってある道をテンポも良く歩いていった。やがて、巨岩が現われたら、谷が合流する地点に着いた。其の向こうの尾根に渡るために適当な進路が見当たらず、岩場を慎重に下って行く。そして、陽当たりの良い尾根の山肌に取り付いた。其処からは、枯葉が埋もれているので、踏跡を確認しながら進まなければならない様相に転じた。トラバース道は、徐々に険しくなっていく傾斜に、貼り付くようにして続いていた。そして、道は下降ではなく、忠実に尾根の裾を捲いていく。相対的に、沢が徐々に遠ざかっていった。下を見ると、目が眩むようである。

踏跡を、枯葉を掻き分けて判別し、一歩ずつ緩慢に進む。足場其れ自体が傾き始めてきていた。枯葉は随所でうず高く積もっている。脚で掻き分けるのが困難になってきたので、ロードメジャーを箒のようにして、落葉を掃きながら、手探り、ではなく、足先で探りつつ前進する。私の心裡に、冷たい風が吹き抜けてくる。此処で足元が崩壊したら、間違いなく死ぬのだろうと思った。

急峻の尾根の裾で、いよいよ進路が抉られた崩壊地点に突き当たった。尾根の上方を迂回して行けば、なんとか其の先の踏跡に辿り着けそうな距離ではあったが、踏み込んだ途端に崩落するのではないか、と謂う恐怖で、全身が凍りつくような気分だった。私は振り返ってC氏を見た。ポーカーフェイスである彼の内心は窺えないが、逡巡せざるを得ない場面を共有していることは確かである。暫く我々は立ち止まった儘になった。

沢に下りちゃいましょうか、とC氏が云った。気がつくと、眼下の谷は然程の距離感では無くなっていた。実際、此のトラバース道に張り付いている限り、何時崩落してもおかしくない、危険な道を歩き続けなければならない。だがしかし、私の知る拙い登山のセオリーが脳裏に明滅する。登山道を放棄して谷に降りると謂う行為は危険性が高い。逃げるなら尾根の上である。其れは遭難した場合のことだけれども、何れにせよ、沢が高低差無く本流まで続いている確証が無い。私は、喉がカラカラになったような声で、其れはやめときましょう、と云った。

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崩落箇所の砂地に、蹴りこむようにして、エッジが利くように踏み固める。石橋を叩くと謂う比喩が相応しい行為を繰り返し、やっとの思いで難所を通過した。踏跡がしっかりとした処迄、這うようにして移動した。へたり込んで、改めて谷底の方を眺める。集中力が摩滅された儘、虚ろな気分で後方を振り返る。崩壊箇所を、トレードマークの一眼レフカメラを襷掛けにして、C氏が慎重に渡ってくる。私の体たらくとは対照的に、立ち居振る舞いが妙に安定している。私は其れで自分の未熟さを実感する。恐怖心が、肉体を容易に圧倒してしまうという実感が、私の気力を漸減させていく。

一体、何処迄こんな状況が続くのかと、意気消沈しながら歩き続けた。結果的には、危険な箇所はもう現われなかった。西南に突き出る尾根をいよいよ迂回して、北へと進路が変わると、大又沢の瀬音が感じられてくる。更に尾根を捲き続けて、東へ西へと方向を変えながらも、砂礫状になってきた道を歩く。山肌に沿って大雑把な畑が広がってきた頃、漸く安堵することができた。普通に歩くことができると謂うことに、こんなに有難味を感じたことが無い。舗装された道に出たら、古びた千鳥橋に到達した。

意外なことに、千鳥橋には、NR氏とKFさんの姿があった。随分先行していた筈だが、やはり、あの崩落箇所で難渋したのだなと思った。状況を伺ったら、我々が逡巡していた地点の付近から、彼らは沢に降りての下山を試みたのだと云う。沢の下りはやはり容易ではなかったようで、トラバース道に戻ったそうだが、来た道を戻るのではなく、下っていた途上から無理矢理尾根に辿り着いたらしい。其の行程は簡単なものではなかったようで、KFさんの表情は、憔悴していたように思えた。NR氏は、飄々として、大したこではない、というような表情であった。恐怖に対する精神力の強さがあるのだろう。

成果の実感を掴めない儘、丹沢湖の民宿に帰ることになり、四人で延々と続く林道を歩く。時刻は未だ午後になったばかりなのに、山峡の陽射しは少ないから、黄昏のような雰囲気に感じた。川の流れの音だけが、徐々に風景を支配していくような、そんな気がした。

補記

C氏のblogによる記事

「細川橋から二本杉峠、千鳥橋」

同じ日の、世話人氏の踏査記録

「西丹沢登山詳細図 第一回集中踏査」

細川橋から二本杉峠・登山詳細図踏査隊と歩く(前編)

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2012/12/19

細川橋バス停(8:20)---二本杉峠---地蔵平ルート(40メートル先で崩落箇所の為引き返す)---760mピーク---二本杉峠---千鳥橋---浅瀬橋---世附キャンプセンター(14:30)

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神縄トンネルを出たバスの車窓から、丹沢湖が窺えるようになった。もう直ぐだなと思ったら、バスは玄倉に向かっていくので、乗り間違えたのかと慌てた。新松田駅から西丹沢自然教室へ行くバスは、神縄から玄倉にルートを外れ、また神縄に引き返して、丹沢湖に向かうという路線なのであった。玄倉から小学生が数人乗り込んできて賑やかになった。湖岸を辿るバスが、人里に近づいたなと思ったら、永歳橋を渡った。丹沢湖を跨いで、最初のバス停から、登山姿の数人が乗車した。登山詳細図踏査隊のC氏に、目で挨拶をした。

昨年初めて踏査に参加した「東丹沢登山詳細図」に引き続き、今度は西丹沢篇を作成すると謂うことで、例に拠って岡山隊と世話人氏、C氏が四日間連続で踏査を続けているのだが、私は一泊二日の部分参加で、相変わらずの冷やかし半分な隊員である。其のような訳で、今迄踏み入れたことの無い丹沢西部にやってきた。

細川橋のバス停に降りると、既に踏査隊のメンバーが円陣を組むように立ち並んでいた。初めて会う人も散見するが、碌な挨拶も出来ない儘、サークルに加わる。皆さんお揃いのようですから、と守屋益男氏が厳かに云い、本日の踏査計画の説明が開始された。踏査は、畦ヶ丸から南に派生する屏風岩山を中心に、五班に別れて行なうと謂うのが本日の行程であった。私はC氏に帯同し、細川橋から二本杉峠を越えて、昭文社の「山と高原地図・丹沢」には、ルートが記されていない癖に、荒廃、通行不可、と謂う赤い文字が書かれている、地蔵平への道を踏査することになった。

バス停から程無く左折して、神社に向かう石段を登る。二本杉峠迄、もう少し具体的に云うと、580m地点迄、C氏と私の他に、NR氏と、初対面である岡山女性、KFさんによるもう一班が、尾根上を辿る道と、細川沢に沿ったトラバース道に分かれて、距離を測っていく。国土地理院製地形図に記されている登山道である。神社の境内に登って行く尾根道担当のふたりと別れて、此処から、私がロードメジャーを持って先頭に立ち、トラバース篇に向かう。道標のポイント間を刻んで、C氏が測定結果を記録していくのである。

神社の裾野を忠実に迂回して、明瞭な登山道が山肌に沿って伸びて居る。やがて、沢が合流して、陽光が漸く山なみから顔を出した。明るい沢沿いの、気分のよいスタートである。C氏と、屈託の無い会話をしながら、泥濘状のトラバース道を歩いて行く。丹沢の谷は、いつも湿っているような気がする。道が徐々に心細い程狭まって、少し崩落のある箇所に行きついた。トラロープが其処にだけ張ってあった。私は、左手でロードメジャーを地面に押さえつけながら、右手をロープに委ねる。二歩、三歩目で、足元がゆっくりと、現実感を失っていった。ずぼずぼと土が溶けるように崩れていった。

気がついたら、私は右手一本でロープを掴んだ儘、宙ぶらりんになっていた。次の瞬間に、片手で持っていたロードメジャーを放し、両手でロープを掴んだ。滑落をロープのお陰で免れた恰好だが、頭の中は真っ白になっていた。何処からそんな力が出てくるのかと、自分でも判らない儘、私は懸垂をするようにしてロープを梃子にして、脚を泥濘の土に踏み込ませて、攀じ登った。崩落した道の先に漸く復帰して、茫然としているC氏を見た。川床の岩場に落ちてしまったロードメジャーを確認して、其れを回収するために、私は堰堤を伝って、川に降りていった。

踏査開始後数分後の出来事だった。私は登山道に復帰して、思わず地面に座り込んだ。道が崩落してロープに宙吊りになるなど、凡そ趣味の登山の光景とは思えない。こんなこと初めて見ましたよ、とC氏が云う。

「滑落して大怪我でもしたら、踏査の邪魔しに来たようなものですね」
私は弱々しく云う。

「落ちなくてよかったですよ。踏査なんかどうでもいい」
C氏が感に堪えない、と謂う風に云った。

緩やかに沢沿いの道を歩き続け、漸く樹林帯の中に入っていった。尾根の中腹に、ジグザグに切った道を登る。程無く尾根の上に乗った。其の儘580m辺りと見当を付けた、北面の眺望の利く処で休憩した。私の滑落未遂で随分時間を消費してしまったので、NR、KF班は既に合流地点に来ているとばかり思っていたが、彼等の姿は無かった。

「余りに遅いから、先に行ってしまったのかな」

「いや、合流する約束だから其れは無い。待ちましょう」
C氏が決然として云った。

神社から尾根に乗っていくルートの等高線を見てみる。其れ程険しい傾斜とも思えなかったから、遅れているのが意外であった。C氏がNR氏の携帯に何度も通話を試みるが、電波は繋がらないようであった。随分経って、漸く電話が通じた。尾根筋を外して、北面の谷へと迷い込んでしまった彼等は、尾根に復帰したばかりとのことであった。

標高600mを過ぎて、尾根は急登になった。四人が隊列を組んで、実直に登る。尾根は849mピークへと伸びているのであるが、730m付近で、右手に捲道が設えてある。折角登ってきた尾根から外れるのは詰まらないが、踏査の計画に沿って行動しなければならない。トラバース道は細く、北面なので薄暗く、気分は良くない。土の質も柔らかいので、私は滑落の幻影と精神的に対峙しなけらばならない程緊張している。昭文社地図にも、「崩壊地のフチ、通行注意」と記されてある。作業道のような実直な山肌に掘られた道を辿り、漸く尾根が落ちてくる様相が見えてきた。屏風岩山方面と権現山から伸びてくる尾根の鞍部、二本杉峠。其処は沈鬱な暗い峠だった。

其れでも木製テーブルやベンチが設置してある二本杉峠で、我々は暫しの休憩を取った。踏査の計画は、NR、KF班が、此の儘峠を越えて西の方面の、谷筋を下って千鳥橋へ、我々は地形図に記してある、屏風岩山から伸びる尾根の、北西の等高線に沿って徐々に下り、地蔵平に向かう道を行くことになっている。千鳥橋へ向かうふたりは、先に出発した。私とC氏は、昼食を摂ろうと謂うことにしたが、沈鬱な二本杉峠のベンチは居心地が悪いので、北面に等高線が閉じているピーク迄登っていった。760mの頂上は、思いの外眺めの良い、静かで明るい場所であった。

峠に戻った我々は、改めて踏査を開始した。ロードメジャーを転がし、先程の760mピークを西面に捲いて、951mとのコルに着いた。荒廃、通行不可と謂う地蔵平への、我々の目指す道が分岐している。山肌の傾斜は、此れ迄の道程とは比較にならない程急であった。私は、既に恐怖感を否定できないでいたが、道がある以上、歩かなければならない。思わずC氏の顔を見る。沈着な彼の表情も、心なしか複雑な思惟を隠せていない。

Nishitanzawa

トラバース道は、順調に続いていた。大きくせり出した尾根に逆らわず、西へと伸びる道に沿って捲いていく。尾根を横切って、ふたたび北方向に、暗い谷へと山肌に沿って歩く。そして、道は急激に狭まっていった。目の前の道が、抉り取ったように崩れた山肌で途切れていた。一部の崩壊のようで、少し先には、ふたたび道が安定して伸びているのが見えた。私は立ち止まり、ふたたびC氏を見た。

登山地図の調査と謂う大義で行動している私の思惟には、義士のような使命感がある。趣味で山登りをしている軽輩とは違うのだぞ、などと謂う、勘違いも甚だしい、利己的な興奮を内包して歩いているのである。興奮が恐怖を凌駕すると、危険な道を顧みずに進みたいと謂う冒険的な思惑に囚われてしまうような気がする。冷静に考えてみれば、登山地図が危険な道を推奨できるわけはない。道が崩落して通行できないのであれば、廃道として其れを確認すればいいだけのことである。しかし、行ける処迄行ってみたいと謂う興奮的利己心は、冷静に制御することが難しい。

幸か不幸か、スタート直後に滑落未遂事件を起こした私の心裡には、既に恐怖しか存在していない。恐らく、C氏にも其れは伝播しているものと見えて、もう無理、引き返しましょう、と云って呉れた。首肯しながら私は、自分の身体の微かな震えを感じていた。我々は、急傾斜の山肌を伝うようにして、来た道に引き返した。やがて、陽射しが明るい鞍部が見えてきて、私は漸く、心臓の鼓動が落ち着いていくのを、感じていた。

断章的に。塔ノ岳・尊仏山荘前に『東丹沢登山詳細図』を届ける。

2012/10/27

大倉(8:30)---大倉尾根---花立小屋---塔ノ岳---金冷やし---堀山の家---大倉(18:30)

Tanzawa1

『東丹沢登山詳細図』が目出度く完成、発売したので、其の記念即売会を塔ノ岳、尊仏山荘で行なうことになった。そんなわけで、世話人、守屋二郎氏から、商品の地図を運ぶのを手伝ってほしいと云うメールが届いたので、当然合点だとばかりに受託したのだが、送られてきた商品は其れ程の荷物ではなくて、全く拍子抜けしてしまった。澁澤駅で待ち合わせたMNさんに、一応手分けして運ぶと云っていたから、半分を渡したら、詳細図の束はすっかり軽くなってしまった。

大倉尾根から実直に塔ノ岳を目指すので、無味乾燥な行程になるかと思われたが、神奈川在住なのに大倉尾根は初めて登るというMNさんに気を遣ってしまい、ゆっくりと登っていった。そうすると、勝手を知っている私は、いろいろ説明をしたり、知ったかぶりの解説をしてしまう。そうすると、単独行のおじいさんが話しかけてきて、昔の丹沢はこうだった、みたいな話に展開していったりする。商店街の通りみたいに人が行き交う大倉尾根ならではの風景である。完全に行楽客となって、随分時間をかけてしまい、塔ノ岳迄四時間も掛かってしまった。『東丹沢登山詳細図』は順調に売れていて、我々の運んできた補充分の商品も、殆どが捌けたようで、喜ばしい限りである。

Tanzawa3

踏査隊のメンバーのC氏に初めて会う。植物を撮影しながら山歩きを行なうブログを書いており、詳細図の踏査では最も機動的に活躍している人である。彼のバックパックは、前から気になって居たウルトラ・ライト志向のブランド製品だったので、そんな話題でおずおずと会話をする。ウェアの類も古色蒼然とした詳細図踏査隊員らしからぬハイカラなスタイルである(と、此処迄書いてハタと気づいたが、世話人氏夫妻も、別に古色蒼然としている訳ではなく、充分に洒落ている。古色蒼然は、守屋益男氏以下岡山部隊のイメージかもしれない)。

C氏は、デジタル一眼レフの、かなり最新式の機材を携行しているので、更に驚いてしまう。私は精密機器の取り扱いに対して臆病で、霧の降る山の中に高級カメラを持っていくということができない。そんなとりとめのない会話をしながら、尊仏山荘前で随分長い時間を過ごしたのだが、予想以上に寒さが堪えて、辛くなってきた。午後三時には殆ど客もいなくなったので、世話人守屋氏夫妻と、サポートメンバー三名で大倉に下山する。

Tanzawa2

途中、詳細図を販売してくれることになった堀山の家に、挨拶するために立ち寄った。此処で想定外の歓待を受けたために、堀山を出発した頃には、陽が暮れかける時刻になってしまった。三ノ塔に、月が昇った。駒止茶屋を過ぎたら、とっぷりと暮れてしまった。ヘッ電を頼りに、見晴茶屋迄の急な下りを慎重に歩く。見るからに高性能な風のC氏のLEDヘッ電がとても明るく、私の其れと比べて歴然とした差があるのを感じて、内心で臍を噛む。其のうち買わねばと決意する。

途中、ライトを持ってない儘立ち往生していた夫婦を救援したりするが、他にもヘッドライトを持たずに急ぎ早で下って行く無謀な人も少なくなかった。

付記

『東丹沢登山詳細図』販売取り扱い店一覧

http://mordred1114.blog.fc2.com/blog-entry-78.html

C氏のblog

http://cashila2.exblog.jp/

追記

2012年11月の山歩き。

2012/11/04

猿橋(10:30)---市営グラウンド---907mピーク手前のコル---百蔵山---宮谷分岐---大久保山---扇山---大久保のコル---梨ノ木平---鳥沢駅(16:30)

2012/11/10

高尾駅(8:30)---小仏バス停---小仏峠---水平古道---景信山---景信山東尾根---478ピーク---裏高尾---高尾駅(16:00)

2012/11/24
大倉(7:30)---西沢林道---二俣---後沢乗越---栗ノ木洞---擽山---県民の森---西沢林道---大倉(13:30)

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(後編)

Hinatayama


2012/7/18

3352


冷房の効いた車に戻ったら、謂いようのない脱力感が襲ってきた。七沢温泉を経由して、薬師林道に入り、車は先程私とMNさんが下りた、日向薬師の傍の駐車場に停車した。世話人氏が、此処からバス停のある坊中迄の距離を測ると謂うことで下車した。此れで日向薬師のバス停から日向山迄の踏査が完成すると謂う寸法である。

梅ノ木尾根の南面に張り出した尾根は、日向川に向かって落ちているが、其の、最も峻険に張り出しているのが天神尾根と呼ばれているようである。地形図を見ても、日向川が、天神尾根を迂回するように、石雲寺から浄発願寺に向かって、南に流れ、そして坊中へと注いでいる。『登山詳細図丹沢東部篇』の、本日の踏査は、其の天神尾根から梅ノ木尾根迄の測距と、梅ノ木尾根の、さらに大山へと続く稜線を測ると謂うことのようだ。

世話人氏を降ろした車は薬師林道を走り、ふたたび世話人氏を拾う為に坊中へ向かうが、途中で鬱蒼とした谷間を守屋益男氏が目ざとく発見し、車を停めた。当初の予定では、天神尾根の最も尖ってせり出した、浄発願寺手前の道路脇にある登り口から入る筈だった。しかし、其の林道の途中に在る登り口は、どうやら天神尾根へと続いているようであり、道標も確認できた。

灼熱の太陽が照りつける、日向薬師バス停の近くで車を停めて、程なく世話人氏が合流した。ふたたび林道途上の登山口に戻り、世話人氏が踏査の分担を決定した。道標は、左に天神尾根、右に梅ノ木尾根と、二通りのルートが梅ノ木尾根に向かっているようであった。此処から、天神尾根に合流する地点迄登り、天神尾根に入ったら其の儘下山する迄の短距離コースを、MNさんがひとりで踏査する。世話人氏と私は、梅ノ木尾根方面と記してある尾根を登り詰め、世話人氏は其の儘大山方面へ、私は梅ノ木尾根から分かれる天神尾根を、MNさんが下りていく地点迄を踏査し、下山する、と謂うことになった。

Tenjinbunki

車でそれぞれを拾うために残る守屋益男氏に見送られ、二手に別れて登り始めた。植林地帯を捲いて登る作業道のような処を、世話人氏が先頭になって歩く。蒸し暑さが酷く、汗に塗れながら、やがて道は直線的に登る様相に変わった。喋る余裕も無い儘、登り続けると、左の尾根から連なるトラバース道が合流してきた。道標が在り、左方向に天神尾根と記してあったが、登り道は、あくまでも真直ぐに続いている。地形を眺めても、此処から左に行って、天神尾根に合流し、梅ノ木尾根に登れるのか判然としない。

少し間を置いて、世話人氏がまた判断を下す。此の儘ふたりで、真直ぐ登り、梅ノ木尾根に行くが、私はふたたび此の分岐迄戻り、此の天神尾根方面に歩き、其の儘下山して行くと謂うことになった。引き続き直登を開始し、右手から尾根が近づいてきて、徐々に勾配が急になり、其れに呼応するかのように、整備された木段が敷き詰められていた。登り詰めたら、其処は今日の午前中にMNさんとふたりで通った、四辻からひと登りした処である、400mの小ピークだった。

先が長い世話人氏は、直ぐに梅ノ木尾根を大山方面に向かって出発した。其れを見送ってから、私は汗だくの体を冷やそうと、上衣を脱いで、暫く分岐の処で立ち尽くしていた。既に陽は傾いてきていて、ハイカーの姿も皆無である。煙草を燻らせて、心地よい風を浴びていたが、ふと我に返った。考えてみると、これから初めて、ロードメジャーを手に、ひとりで踏査するのだ。気を引き締めて行かなければならないところであった。

くだんの分岐点迄戻り、山腹を捲く道に入って行くと、程なく廃れた東屋が現われた。其処からは樹林が伐採された所為か、広々とした景色が見渡せる。痩せた尾根が前方に盛り上がって見える山に続いていた。蝉の声に包まれながら、渡り廊下のような其の尾根を行くと、ふたたび樹林の中を登りに掛かる。程なく、廃れた木のテーブルのあるピークに到達した。335mの小ピークである。

335

薬師林道と梅ノ木尾根を、双方向に記した伊勢原市の真新しい道標があった。そして、西側にやや古びた道標があり、其処には、日向林道と日向山荘、と記されてあった。335のピークに居る自分が、天神尾根で下山する、と謂う判断をするには、其の日向山荘に向かえばよいだけのことなのに、其の時の私は、どういうわけだか、薬師林道方面に足を向けてしまった。天神尾根の登山道とは、日向山荘から335を経由して、先程下ってきた分岐を経て、梅ノ木尾根に達するものであると、今になって理解できるのだが、335に居る私は、其の全体感を掴むことができなかった。真新しい道標に導かれるように、薬師林道方面へ、335のこんもりと盛り上がった山腹を、ループして下って行った。

結局、登り始めた地点に戻ってしまい、林道に出た私は、未だ状況を掴めない儘、守屋益男氏の携帯に電話したが、電波状況が圏外表示になっており、結局浄発願寺迄、車道を歩き、やっと電話が繋がった。迎えに来てくれた守屋氏の車に乗り、日向ふれあい学習センターの在る、駐車場に向かった。日向川のせせらぎが心地よい場所で、世話人氏は此処に帰還してくるのだ。MNさんが、笑顔で迎えてくれた。彼女の辿ったルートの様子を訊いて、335mから天神尾根へと下山する方向を勘違いした自分の判断を、私はやっと理解した。

山峡が翳りだす頃、世話人氏が帰ってきた。かなり難渋したらしく、疲れた表情だった。踏査の結果を話し合って、無事本日の踏査は終了した。記念写真を撮りましょうと云って、世話人氏がカメラをセルフタイマーにセットした。四人で並んで、カメラに向き合う。ぼんやりしている私に、MNさんが、ロードメジャーを差し出した。其れを握ってカメラを見る私は、如何にもひと仕事終えたような、気分になっていた。

付記

『東丹沢登山詳細図』に関する情報は、
『登山詳細図世話人の日記~全国に登山詳細図を広める活動をスタートさせた世話人の日記~』
を御参照ください。

別記

2012年8月の山歩きの記録。

2012/8/1

高尾駅(12:30)---駒木野---地蔵ピーク---富士見台---高ドッケ---狐塚峠---小下沢林道---蛇滝---高尾駅(16:30)

2012/8/19

沢井駅(13:00)---四辻---惣岳山---馬仏山---岩茸石山---常福院---軍畑駅(16:00)

2012/8/25

沢井駅(10:00)---かんざし美術館---362mピーク---送電新秩父線27号鉄塔---分岐---梅野木峠---三室山---梅郷北コース---284mピーク---梅の公園---日向和田駅(14:00)

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(中編)

2012/7/18

Map1




登山口から山頂迄、距離を実測するのが役割で、途中、道標があったら区分するというだけのルール。『登山詳細図丹沢東部篇』の踏査で、日向山の山頂から、予定していた尾根が地主による通行止めと謂う事態に遭遇し、私とMNさんは梅ノ木尾根へと連なる山稜を歩いていた。双頭の小ピークを過ぎると、木段が下り始める。世話人氏の指示では、この辺りから南へ急降下して、日向薬師の傍の林道へと下りる筈だが、其のような道は見当たらない。ハイキングコースは尾根伝いに続いており、我々は其れに準じるしかなかった。

下りきると、四辻の在るコルへ下り立った。三方への道標は、南は日向薬師・薬師林道、西は梅ノ木尾根、そして北へ下りていく道には、弁天の森キャンプ場と記してあった。日向山から日向薬師への尾根に阻まれ(此れは昭文社に於いても実線で記されてあったのだが)、続く予定の尾根の道も発見できずに、よく整備された峠に居るものだから、一体、此の普通の道を降りて日向薬師に行ってよいものなのか、そして、弁天の森キャンプ場迄、明瞭に繋がっている、此の峠から北へ続く道を踏査しなくてもよいのか、我々はしばし考え込んでしまった。正確に云うと、前者は私の疑念で、登山詳細図ともあろうものが、こんな普通の道ばかり調べていていいのか、と謂う過剰な思惟で、後者はMNさんの、道があるのに調べないと、また二度手間になってしまう、と謂う実直な意思だと思われた。

Koru

今になって思えば、此処で南北に二手に分かれて、ふたたび引き返してきて、合流すればよかったのだが、結局、指示通りに日向薬師への道を、ふたりで下ることにしてしまった。道は日向山の中腹をトラバースしながら下る安全なルートだった。途中、稜線から膨らむ尾根を注視して、道が分かれていないか見ていたが、結局、山頂からの通行止めルートがあるのみだった。道を遮る紐は廃れていて、下から見上げると、うまい具合に直登できそうな道で、私有地だからと云って、何故通行止めにしているのか、理解に苦しむところであった。

直射日光が照りつける薬師林道の駐車場に到達し、我々は日向薬師の茶屋の在る休憩所で、しばし休んだ。暫くして、ふたたび来た道を戻るべく、駐車場の登山口に向かう。山蛭除去用の塩が据え付けられていたので、既に忌避剤を丹念に塗りつけてはいたが、さらにスパッツにすり込み、出発した。僅かな距離だが、折角下山したのに登り返すと謂う行為、其れ自体が疲労感を湧かせる。私は、予定通り歩けていないことに、何時迄も拘って居る所為か、曖昧な気持ちで歩いていた。

厚木市と伊勢原市の境界尾根は、くだんのコルから西へと連なっていて、昭文社の登山地図に於いては赤い破線のルートで記され、537mのピークから浄発願寺奥ノ院へと下っているようである。私とMNさんは、其の梅ノ木尾根を辿り、ふたつの小ピークを越え、途中の鞍部から、弁天の森キャンプ場の奥に下りていくと謂う予定だ。整備された木段が続き、400m迄登ったら、天神尾根からの道に合流した。平坦な道が続き、歩きやすいコースで、破線ルートには見えない。右手に大沢川の谷を挟んで、奥深い山の風景が見渡せる。人の姿が無くなり、静かな山歩きが愉しめる道だと思った。

しかし、440m小ピークから右に伸びる尾根を辿り、やがて現われた古びた指標は、此れから下る北尾根への不安を掻きたてた。全体に道は湿っており、木段は腐り、植物の繁茂が激しくなってきた。ジグザグに数度折り返したら、不明瞭な踏み後が分岐していて、間違えて踏み入ってしまった。下りる川岸は直ぐ其処に見えているのだが、人が歩かなくなって久しい様子であった。迷った地点に戻って、リスタートした直後、突如MNさんが、狼狽を伴う軽い叫び声を上げた。気がつくと、足元に山蛭が集まって来ていた。足場のよい処迄移動し、持っていた忌避剤を彼女のスパッツに噴射する。私も自分のスパッツを見ると、当然の如く蛭が張り付いていた。前回の悪夢が蘇るが、今回はスパッツの裏側から、忌避剤を染み込む程ふりかけており、皮膚に被害があるかどうかを確認する余裕は無いが、其れを信じて、一刻も早く此の場所を脱出するのが得策だと考えた。

Map2

私はMNさんからロードメジャーの役割を引き受け、走るようにして下り始めた。背後で、蛭が飛んでくる、とMNさんが云う。そんな莫迦なと思うが、ぴょんぴょん跳ねて靴に向かってくる、と彼女は叫ぶ。私は視力が弱いのでそんな観察はできないが、MNさんは実によく見えているようであった。ジグザグ道の途中で、やはり古びた指標が現われたが、もう構っている余裕も無く、わあとかきゃあとか、叫びにならない叫び声を発しながら、我々は脇目も振らずに、梅ノ木尾根の北面を走り続けた。

漸く、最後の折り返しを終えて、川岸が近づいてきたが、ふたりとも其の儘川に突入し、石伝いに渡渉して、弁天の森キャンプ場の敷地内に到達した。東屋もある涼しげな休憩所に、無事帰ってきたね、と謂うような穏やかな表情で、守屋益男氏が立っていた。どうやら、山腹を叫びながら下りてくる一部始終を、見られていた様子であった。木のベンチに座り、スパッツと靴下を外して、山蛭の被害を確認してから(見事なくらい無傷であった!)、今更のようにロードメジャーの数値を確認し、MNさんに北面を下りてきた距離を伝えた。

川の流れの清々しい音と、木陰の涼風を浴びながら、私は煙草に火を点けた。其れは喩えようもなく、格別に旨い煙草だった。

日向山、天神尾根界隈・登山詳細図踏査隊と歩く(前編)

Hinatayama_2


2012/7/18

Hinatayama




『登山詳細図』世話人氏からメールが届き、丹沢東部篇の踏査に、ふたたび参加することになった。今回は、著者の守屋益男氏が岡山から上京して、実質的には世話人氏と二人で、踏査できなかった細部のルートを探索すると謂う、落穂拾いのような作業をされているようだった。前回、全くと云っていい程役に立てず、なんとも謂えない無力感に苛まれていた私は、待ってましたとばかりに、一日だけではあるが、参加することにした。

半原の集落を過ぎ、車は俄かに高度を上げて、トンネルを越えると、快晴の宮ヶ瀬湖に飛び出した。世話人氏がナビゲーションを行ない、守屋益男氏がハンドルを握る。後部座席には、私と、前回の踏査で一緒だったMNさんが座っている。彼女は、単独で大山に登っている途上で、登山詳細図のスタッフと知り合い、意気投合して、いつしか踏査隊員になってしまったと謂う、うら若き女性である。詳しいことは判らないが、話した感じだと、登山経験は私と似たような、素人同然の徒と云って差し支えないようである。事前に彼女が参加すると謂うことは知らなかったので、途中の駅でもうひとりをピック・アップします、と世話人氏が云うから、どんな猛者がやってくるのかと想像した私は、MNさんの姿を見て、少しホッとした。

いつも小田急線の駅から丹沢を目指すしかなかった私にとって、宮ヶ瀬湖から眺める風景は新鮮だった。黍殻山あたりを指して、踏査した模様の話を世話人氏が語ってくれるから、今日はいよいよ丹沢主稜の東部に、初めて訪れることになるのかな、と、勝手な期待を抱いたが、車は速度を落とさず、やまびこ大橋は右手に過ぎ去っていった。仏果山登山口も過ぎて、宮ヶ瀬湖も尽きて、煤ヶ谷方面に向かって走っていく。何処に連れていかれるんでしょうねと、MNさんと私は、やや緊張を隠せない儘、笑って車中の人で居るばかりであった。

広沢寺温泉方面に入ると、途中で左に林道入り口のゲートがあり、其れを開けて進入し、大沢川沿いの涼しげな道を行く。やがて車が転回できるようなスペースのある処が在り、其処が今日の踏査の、出発地点だった。『東丹沢登山詳細図』に於ける、最東端の部分の未踏査部分で、此処には日向山への登山口がある。其れは昭文社の『山と高原地図』にも赤い実線で記されている道である。私とMNさんが、此処から日向山に登り、山頂から二手に分かれて、ひとりは其の儘日向薬師に降りる登山道を、日向薬師の真上にある林道迄、もうひとりは、厚木市と伊勢原市の境界線でもある稜線を辿り、途中の小ピークから、やはり日向薬師の林道に降りて、ふたたび合流する。

Hinatayama2

一方、世話人氏は、単独での踏査である。出発点から、さらに先に進み、左に伸びる林道の途中から、515mピークへと続く尾根を登り、674mの手前でふたたび大沢川に落ちていく尾根を下り、七沢弁天の森キャンプ場の奥の方に辿り着くと謂う、昭文社は勿論、地形図にも登山道の印など無いルートである。登山詳細図の面目約如と云っていいコースであるが、後日談では、地図掲載には至らない、厳しいルートであったようである。

守屋益男氏は、今日は此の踏査隊を下山地点で拾うために、車で待機することになった。隊長の高齢を勘案してと謂うことではなく、少し体調が良くないとのことであった。其れもその筈で、守屋益男氏の、此処一週間の驚くべき行動を聞いていたから、充分に納得できた。守屋益男氏は、地元岡山の山岳グループを率いて、ネパール、ランタン・リルンへのトレッキングをこなしてきたばかりだった。帰国して直ぐに上京し、7月16日に代々木公園で行なわれた、反原発デモにも参加し、此の丹沢踏査に入ったとのことであった。連日の猛暑、そして其の高齢を考えると、驚愕すべき体力と行動力である。

ロードメジャーと、ハンディGPSを借りて、私とMNさんが日向山への登山道に、踏査を開始した。私がロードメジャーを転がすことになり、実に初めて、此の実直な測距離計を手にすることになった。木段のある整備された道で、あっと云う間に、七沢からの道に合流する、375mピークから下りた鞍部に着いた。其処から、眺望の開けた尾根を登り詰めるが、此処も整備された木段の道である。出発する時、お互いに見合わせて、少し間を置いてから、私が先に歩き出す。ロードメジャーの係が先頭を行くのが決まりみたいでしたよ、と、前回の踏査で隊長の班に同行したMNさんが云った。そんな決まりは無いと思うが、見よう見まねで踏査隊を構成することになったビギナーふたりらしい感じで、おずおずと最初の目標である、日向山へと歩いた。

日向山の頂上には、平日にも係わらず、十数人の高齢者グループが談笑していた。ロードメジャーの数値を私が報告し、MNさんがメモを書き記す。そんなふたりに皆が注目しない訳も無く、何の調査かと訊かれ、登山詳細図の説明をして、ついでに宣伝も行なう。其れなら、見城も紹介してほしいなァ、と誰かが云った。見晴らしが素晴らしいよ、と勧めて呉れる。其れはくだんの鞍部から反対側に登る375mピークのことのようで、後日調べて理解したことなのであるが、其の時は、えっ、みじょう、ですか、などと、狼狽しながら場所の説明を聞いて、とりあえずメモをとった。単なるハイカーではなく、地図作成作業の調査を行なっている者にしては、どうにも頼りない奴、などと思われてないかな、などと、またどうでもいいことを考えてしまった。訊いてみると、彼らも単なる行楽客では無かった。「あつぎ観光ボランティアガイド協会」と謂う、厚木市の観光事業を支援する団体の方々であった。実際に観光ガイドを行なうための、実地検分のような活動で、今日は日向山にやってきたと云う。思いがけないことだが、日向山の頂に勢揃いした面々が、遊びで来たのではない、と謂う自負と云うか、率直な役割を背負っているというのが、何とも可笑しかった。

Hinatayama3

ところで、予定では此処、日向山から我々は二手に分かれて踏査するのだが、山頂から日向薬師方面への尾根には、ロープが渡してあり、私有地につき通行禁止、という標識が立っていた。私有地とは何ぞやと怪訝に思い、しばし黙考する。日向山の山頂には、本来の山名標とは別に、某民間会社による、「ナイスの森」山頂、と謂う奇妙な看板が立っている。私有地とは此の会社のことだろうか。あつぎ観光ボランティアガイド協会のメンバーに訊いたら、五年前くらいから、此処は通行止めになっていると謂うことだった。いずれにしても、登山詳細図に記すと謂う前提では、進入することは憚られるコースであることが判明したわけである。

指示を受けて踏査に入り、いきなり壁にぶつかった恰好であるが、他に方法も無いので、ふたりで西北に伸びる、日向山から続く山稜を歩き、途中の小ピークから分かれる筈の下山道を目指すことにした。では今度は私が、と、小さな声でMNさんがロードメジャーを手にした。私は、ではお先にどうぞ、と会釈した。MNさんは小さく微笑んで首肯し、樹林に囲まれた市境尾根の上を、軽快に歩き始めた。

東京ゴルフ尾根から高取山・登山詳細図踏査隊と歩く(後編)

2012/5/31

秦野駅(8:00)---タクシー移動---東京カントリー倶楽部---高取山---454m峰---尾根探索---454m峰---念仏山---善波峠---吾妻山---鶴巻温泉駅(16:00)


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登山詳細図踏査のボランティアに参加することになったのは、世話人氏から拙ブログへコメントを戴いたのがきっかけだった。『ヤゴ沢ルートから小仏城山、そして薬王院飯縄大権現の謎』の項で、小仏峠で購入した詳細図のくだりで発見して戴いたか、私のバイブル的サイトの『悠遊趣味』でのリンクから飛んできて戴いたのか定かではない。距離計を転がして踏破し、登山地図を作ると謂う、あまりにも地道で、鈍重とさえ思える行為に、私は深く感銘を受けてしまった。世話人氏が何で私の文章に反応して呉れたのかと謂うことや、何故ロードメジャーなのか、歩行時間ではなく距離を記すのは理由があるのか、など、率直な疑問が内心で交錯していた。だったら訊けばいいではないか、と云われそうだが、初対面で、しかも踏査中ということもあるし、無駄口を叩くのを過剰に自制していたのであった。私は人見知りで、話したいことがあっても、自分の感覚や言葉が受け入れられなかった場合のことを恐れてしまう。気が小さいのである。

と、云うような、あまりにも無為で無駄なことを考えながら、私は、よく整備された、大山から伸びる、伊勢原市と秦野市の境界尾根を、踏査隊の最後尾の位置をキープして歩いていた。高取山からハイキングコースは下り続けて、直ぐに聖峰へと尾根が派生する分岐点に着いた。此処からUR氏が単独で聖峰方面に別れた。辺りを睥睨しながら先頭に歩く世話人氏、ロードメジャーを転がすNR氏の後に続いて、私は南下を続ける。新緑の木立で視界は無いが、市境が左右に広がる、細い尾根の上をなだらかに下りながら進む。やがて左側に斜面を見ながら、鬱蒼とした樹林帯に入り、正面にこんもりと聳える山容が現われる。此れが454mのピークで、道は其処に向かっている。昭文社を見ると、登山道はピークに続いているように記されているが、実際には、道はピークの塊の手前で右に捲道が辿っていて、直進は出来なくも無いが、倒木が折り重なって、薄っすらと見える踏跡を遮っていた。踏査隊は粛々と捲道に歩を進める。そして、左から下りてくる454mからの尾根と合流した。

454のピークへの道は、やはり踏跡はあるが倒木や枯枝で不明瞭な道だった。しかし、歩けないと謂うほどのものではない。改めてピークに向かって登ることになった。454の頂上は、東側が伐採されて、広々とした眺望が開けている。此処から、地形図には破線の登山ルートが二手に分かれて伸びている。緩い傾斜の尾根を、とりあえず進んで行くことになった。尾根が少し落ちかけた処から、樹林帯になる。そろそろ尾根が分かれて分岐する筈だが、なかなか判別し難い。踏跡を辿って、歩いて行く。右手に谷が落ちている斜面の途上を辿り、また尾根の上に乗り、と謂うような行程を繰り返して、今度は左側の斜面に沿って踏跡は続いていた。そして、繫茂する植物の鬱蒼とした様相が激しくなってきた。

右上に聳える尾根の道に登って行かないと、視界も踏跡も、徐々に消え入るような雰囲気になった。世話人氏が、やはり上がっちゃいましょう、と云って少し歩けそうな間隙を見つけて這い上がる。尾根上に乗ったが、周囲は木立に囲まれており、進むべき踏跡は見出せなかった。地形図の、340mピークから続く尾根の上に居るような積もりでいるが、此処迄の道程を明確に判断できている訳ではない。二手に分かれて伸びる、もうひとつの尾根を確認したいが、繫茂した樹林で、其れも儘ならない。そして、我々の目的は、明瞭に登山道として歩くことのできる道を記録することであるから、行き場の無い尾根の上に居ても意味が無い。来た道を戻り、ふたたび斜面の繁茂した植物を掻き分けながら、踏跡を辿って行ったが、藪はますます深まるばかりだった。世話人氏が、此れでは地図に載せられないな、と云った。遠くに、見上げるような大きさで、ひとつの山容が垣間見えた。コンパスで判断すると、其れは聖峰のようだった。

無念の撤退である。私は素直に徒労感に浸って、疲れが押し寄せてくる気持ちになった。しかし、ロードメジャーを此処迄実直に転がしてきたNR氏、そして世話人氏の足色は全く衰えず、キビキビとした足取りで登り返していく。隊長に次ぐ年配のNR氏は、かなり高齢の筈だが、アッという間に、私は彼等から引き離されていった。漸く454が窺えそうな、樹林が途切れがちになった尾根の上に辿り着いた処で、ふたりが休んでいた。追いついた私も、漸く安堵して荷を降ろす。そして足元を見たら、スパッツに山蛭が何匹も張り付いているのに気づき、声にならない叫び声を上げて、其等を振り払った。スパッツを外したら、サポートタイツの上にも山蛭が張り付いている。其れは既に、充分吸血した後のようで、丸々と膨らんでいた。阿鼻叫喚の態の私を見て、NR氏と世話人氏も慌てて足元を確認するが、夥しい数の山蛭は、例外なく彼等の靴に張り付いていた。わあと叫んで飛び跳ねながら、地獄の茹で釜の淵で踊りを踊っているかのように、我々は山蛭を払い続けた。

ほうほうの態で454に戻り、暫く各々が靴下を脱いで、山蛭の被害の惨状を確認した。私は云う迄もない程の惨禍に塗れていて、靴下にも血が滲んでいて、其れは見た目にも広範囲で、どんな大怪我をして出血したのか、と謂う位のものであった。NR氏も、脛にぽっかりと赤い穴が開いていて、充分に吸血せられた様子であった。そして、世話人氏だけが文字通りの無傷であって、山蛭の大群が纏わりついていたにも係わらず、皮膚への吸着を逃れていた。今回の踏査以前に、丹沢で蛭の大群を認識していたから、其のおぞましさに充分な危惧を抱きつつ、防蛭剤をスパッツの裏側に迄、充分に浸るほど塗りこんできたとのことであった。其の効果に感動するあまり、私は無傷です、と連呼するので、負傷兵の同志である私とNR氏は、虚脱感と敗北感に浸りながら、ひたすらに血を拭うばかりであった。

さて、藪の中を彷徨し、無収穫の儘振り出しに戻った我々、登山詳細図丹沢東部篇踏査隊第三班は、もう手ぶらで皆との合流地点である、念仏山に向かうしかなくなってしまった。阿鼻叫喚の地獄で茹で釜と謂えど、その間僅か数十分であって、予定の時刻迄は数時間も余禄を残しているのだが、粛々とやや南西に方角を変えて、整備されたハイキングコースを歩いて行った。程なく到達した念仏山は、市境尾根を緩やかに下ってから少し登り詰めた処に在る小ピークで、東側が伐採されて眺望が思いのほかよい処だった。平日だが、大勢のグループ登山客が敷物を広げて昼食を摂り歓談していた。我々も思い思いに食事をして、風景を眺め、念仏山の由来の看板を読んでも、まだ踏査隊が集合するまでかなりの時間がある。此処で漸く、私は世話人氏と話し込むことができた。登山詳細図の制作や販売に係わる苦労話などは、是非父御の隊長とともに、広く発表してほしいものである。ダラダラと話し込んでも、時計は一向に遅々として進まない。団体客もとうに去っていき、時折トレランの男女が現われては、去っていった。

一時間くらい経って、聖峰経由保国寺迄を往復して距離測定を終えてきたUR氏が現われた。道程は良好な環境で、眺望もよく、充分な踏査を果たしたようだった。ひとしきり我々の山蛭談議に花が咲くが、其れも終わると、またぼんやりと静かな山頂に戻る。本当に念仏でも唱えてしまいそうな、無常感いっぱいの停滞した時が流れていた。やがて、待望の隊長率いる第一班が到達した。念仏山の頂上に、ひさしぶりの活気が戻った。第一班も無事踏査を達成し、隊長は他班の結果報告を聞く。第三班の惨状を報告して、また盛り上がる。ウィンドブレーカーを着込んだ先着四名の姿を見て、ずいぶん待って寒かったでしょう、早く行きましょう、と岡山組の女性MTさんが云った。第一班は最も長距離を歩いて、到着したばかりなのに、MTさんの、此の実直な気遣いに、私は密かに感銘を受けていた。

念仏山から南に急降下して、もう住宅街が直ぐ其処に見えるくらいの低地コースを、縦列になって全員が歩いた。国道246号を飲み込むような里山の小高い山道は、付近の住民の散歩コースにも適当なようで、時折其のような人たちと擦れ違う。MTさんは路傍で作業している人やら、軒先に咲いている花が綺麗だと云っては、其の住人に話しかける。今朝初めて会った時は無表情で、なんとなく近寄り難い雰囲気を感じていたが、物怖じしない率直な人柄のようで、此れが岡山人の気風なのかな、と思った。

あのひとはすごいんですよ、誰にでも声掛けちゃう。と、軽妙な口調のUR氏が云う。この人だって、と、私と同様、今回が初参加である最年少の女性MNさんを見る。前回の踏査で大山に登る途中で独りで登っていた彼女にMTさんが声をかけて、一緒に登ろうと謂うことになって、意気投合しちゃったんだよ。それで今回も誘われて来てくれたんだよ、と云った。MNさんは静かに笑い、其の邂逅に僥倖を感じると謂うようなことを云った。

私は、そんな話を聞いて、ただ感心するばかりで、相変わらず、いちばん後ろから踏査隊について行くように歩く。私が無口過ぎて気を遣ってくれるのか、時折MNさんが振り返って話しかけてくれる。山登りに親しみ、こんな出会いもあるのだな、と謂う感慨に耽りながらも、私は、此の一日を反芻しながら、結局踏査の進展に貢献できなかったと謂う結果に、失意を感じていた。目星を付けていたルートが難路であることが判明しただけでも、其れは成果なんです、と謂うようなことを、下山後、皆で打ち上げをした席上で、世話人氏が私に云って、慰めて呉れた。それが嬉しくもあり、なんだか悔しい、と謂うような、不思議な気分で、私は日本酒を、随分飲んだ。



付記

登山詳細図丹沢版の正式名称は『東丹沢登山詳細図』のようです。ブログ『登山詳細図世話人の日記』で、漸く完成の模様を知ることが出来ました。既に入稿済みとのことですが、あらゆる印刷物の中でも、地図の誤植は神経を遣うものなので、校正作業も大変な作業だと察します。全110コースを見るのがとても楽しみです。

東京ゴルフ尾根から高取山・登山詳細図踏査隊と歩く(前編)

2012/5/31

秦野駅(8:00)---タクシー移動---東京カントリー倶楽部---高取山---454m峰---尾根探索---454m峰---念仏山---善波峠---吾妻山---鶴巻温泉駅(16:00)


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集合時間に間もない頃、秦野駅に到着した。私は、少し緊張して、やや憂鬱な気分で、『登山詳細図』世話人の守屋二郎氏に、携帯メールを送った。憂鬱と謂うのは、初対面の方々と団体行動を行なうことに対する、ごく個人的な精神状況ゆえのことで、守屋氏にメールを送るのが憂鬱と謂うことでは勿論無い。私のような素人が登山詳細図踏査隊に加わって、役に立たないのは当然として、足を引っ張るようなことになりはしないかと、そんな、考えても仕方の無いことが脳裏を駆け巡り、萎縮しているだけのことである。ほどなく世話人氏から着信が来て、私たちはバス停に居て、ロードメジャーを持っているからすぐ判ります、と云った。

吉備人出版が発行する『登山詳細図』は、高尾山篇に続いて御岳山を中心とした奥多摩東部篇が出たことにも軽い驚きを禁じえなかったが、次は此れも関東の山歩きの人気エリアである丹沢篇を製作中であると云う。登山詳細図の概観は、二万五千分の一地形図を拡大したものをベースにして、コースのポイントになる地名などを青字で記し、登山ルートを赤線で引いてある。ルートは拡大図の利点で、知られていない尾根筋の道も多く紹介されているから、定番の登山地図では判別できないコースで山歩きを愉しむことができる。定番に慣れた者からすると、最大の特徴は、登山コース赤線の区分ごとに記されている数字が、所要時間ではなく、メートル単位の距離であることだろう。それは、踏査隊が自らロードメジャーと謂う測距離計を転がしながら山道を踏破し、記録したものなのである。

隊員は合計七名で、世話人氏の父御である隊長の守屋益男氏を筆頭に、男性二名と女性一名が岡山県から遠征して、三日前から集中踏査している。他に一人だけ若い女性が居て、私と同様、本日のみ参加のゲスト的隊員とのことで、なんだか、少しほっとする。守屋益男氏が厳かに、全員集まったので本日の計画を説明します、と云った。私は、心拍数が俄かに上昇していくのを感じた。

広げられた地図は、登山詳細図丹沢東部篇の、制作途上を複写したものだった。既に青字の地名や、磁北線、登山コース名などが印刷されていて、其処に手書きで、いろんなメモが記されている。今日の予定は、蓑毛方面に向かう県道70号を、東中学校前で右折して東京カントリー倶楽部と謂うゴルフ場までタクシーで移動し、其処から全員でゴルフ場内から派生している尾根を辿り、標高556.3mの高取山へ登る。

其処から三班に別れ、第一班は北上して450mくらいの、林道に行き着く手前の地点から北東に下りていく尾根を辿り、大山川沿いの子易と謂う集落まで歩く。このグループは隊長と岡山組の女性、ゲスト組の女性の三名。第二班は、岡山組の男性が単独で行動するので大変そうに思えるが、コースは高取山から南下して直ぐに分岐する、聖峰を経由して保国寺へ至るルートで、此れは昭文社にも記載されているコースだ。

残る世話人氏と岡山組の男性と私が第三班で、高取山から、さらに南下して454mのピークから東に伸びるふたつの尾根が栗原と謂う集落に落ちていく迄のルートを探索する。昭文社「山と高原地図・丹沢2008年版」を見ると、確かにグレーの破線が記されているし、地形図にも登山道の破線が記されている。権威に盲従してしまいがちだが、地形図には聖峰のルートは記されていないから、予断を許せない。いずれにせよ、私にとっては意表を衝かれるコースばかりで、ただ感心するばかり、と謂う面持ちで説明を聞いていた。この地図のコピーは三枚あるので、一枚を第二班に、そしてもう一枚は、と守屋益男氏は一瞬躊躇してから私を見て、あなたに渡しましょう、勉強になるから、と云った。私は、平身低頭で其れを拝受した。

二台のタクシーに分乗し、運転手が、ヤビツ峠ですか、と訊く。助手席に座る隊長が、いや、東京カントリー倶楽部、と告げたから、運転手は虚を衝かれたように訊き返す。それに構わず、隊長は地図を見ながら、東中学校前からトリップメーターで距離を測るようにと指示する。なぜ距離を測るのか、なぜ登山姿でゴルフ場へ行くのか、と謂うような、釈明ではないけれど、世間話でも起きそうな場面だが、守屋益男氏にそのような愛想は微塵も無く、タクシーの運転手も、何も喋らなくなった。私は、自動車に、トリップメーターと謂う装置があることすら初めて知ったので、そんなことに感心していた。今日はどんな日になるのだろうかと、ぼんやり思った。

ゴルフ場のクラブハウスの前に降り立った、登山詳細図踏査隊の面々が、靴の紐を締め直したりして、準備を始める。異様な光景である。皆が既にスパッツを装着しているから、私も慌てて準備する。丁度いいからトイレを借りていこう、と、隊長が飄々とクラブハウスに入っていく。途中で登山口を見たからと、車を止めて調査していた世話人氏達も合流して、青々としたゴルフコースの脇の舗装路を、皆で登り始める。途中、人を満載したゴルフカートに抜かれる。歩いたほうが健康にいいんだけどねえ、と、隊長が呟く。私も心中で首肯する。あれは早く移動しないと後が詰まっちゃうから仕方無いんですよ、と、岡山組最年少、と云っても私より一回り年上のUR氏がゴルファー主観の説明をする。いずれにしても、こんな登山口は見たことが無い。ゴルフボールが飛んできやしないかと、少しびくびくしながら舗装路を登り続けた。

やがて舗装路が尽きて、ゴルフ場に侵食したように突き出た尾根の末端の側面から、登山道の踏跡が始まる。漸く人工的な緑の地面から浮上していくような感じで、高度を上げて登る。広々としたフェアウェイよりも、樹林が繁る細い山道に、安寧を感じるのは不思議なことだと思う。やがて、倒木が道を遮っている箇所に辿り着いた。跨いで通ることは可能だが、此処で守屋益男氏が、じゃあちょっとやりますか、みたいなことを云った。岡山組のUR氏と、隊長に次ぐ年配のNR氏が、鋸を取り出して準備を始める。小枝を折り、道を塞いでいる屈強な枝を削り、切り取る作業を開始した。通れないことはないんだから止めなさいよ、と、岡山組の女性MTさんが諫めるように云うが、男性陣は意に返さず作業を続ける。私は、啞然としながらも、刈り払った枝の類を拾って道の側に放っていくような、露払いの逆みたいな行動しかできない。登山道は綺麗に開通復旧した。岡山じゃ荒れた道をずいぶん直しましたよ、と誰かが云った。だんだん、踏査隊らしい雰囲気の山行きになってきた。

整備された登山道でも、ロードメジャーを転がしながら登るのは、ある種の神経を遣う。メーターの横に、リセットボタンがあるんですけど、岩場などで、うっかりボタンの部分に当たったら、リセットされちゃいますから、とUR氏が云う。そんな気遣いをしながら車輪を曳いていく。木立の隙間から眺望が窺えるくらいの高さに入って、尾根は緩やかな道を刻んでいた。程なく電波塔が現われ、高取山に到着した。

丹沢東部エリアには、高取山と名のつく低山が数ヶ所見つかるが、此の高取山は最も市街地に近い南端に在る。眺望も東側に開けている。手軽に登ってくることができる好展望の山である。とは云いながら、こんなことでもなければ、まず訪れないようなコースだなあと、内心思った。尤も、鶴巻温泉から大山を繋ぐこの稜線は、トレイルランナーにはお馴染みのコースのようで、カラフルな恰好の人々が、頻繁に通り過ぎて行く。

呆気なく登り詰めた山頂で、皆は軽い休憩を取る。気候は薄曇だが穏やかで、いよいよ三班に分かれて踏査は本番を迎える。私は相変わらず状況を窺うことしか思惟が働かない。「この三角点は、少し角度が曲がってるねえ」と、隊長が呟く。三角点と記されている面は南方向の筈だが、コンパスを見ると、ずれていると云う。そんな視点にも、私は素直に圧倒されてしまう。小休止を終えて、皆が準備を整え、それから全員で記念撮影をした。

それでは分かれて踏査を開始しますが、と守屋益男氏が改めて皆に向かって云う。合流するのは南下した処に在る念仏山で、ルートによっては時間が掛かり、遅れて到達する班もあるでしょう。早く着いてしまった人たちは、と、ちょっと間を置いてから、

「念仏でも唱えて待っていてください」と云った。

ロードメジャーの朱色の車輪が、からからと音を立てて転り始めた。
高取山から南北に別れて、登山詳細図の踏査が始まった。

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