奥多摩

八丁山・お伊勢山・稲村岩(後篇)

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穏やかな夜が更けて、存外に寝入るのが遅くなった所為もあるのか、私はテント泊では珍しく、朝になる迄熟睡し続けた。テントから這い出ると、kz氏は既に起床していたので、目覚めたばかりだが、早速身支度を整える心積もりになった。周囲の光景は、朧気に朝靄が漂う曇天である。健啖家のkz氏は早朝にも係わらずラーメンを作って食しているが、私は珈琲を淹れて紫煙を燻らせている。

充実の幕営が終わり、鷹ノ巣山に登頂する気概が、既に消え失せてしまっていることを我々は確認している。其れで、鷹ノ巣尾根を踏破して其の儘、稲村岩尾根を東日原に下山しようと云うことになっているので、朝食は空腹を覚えた時点で摂る、と云うことにした。

頂点の鷹ノ巣山に登らず、登山の区切りが付くのかと云う疑念は無かった。既に越えてきた八丁山に続いて、此れから登る鷹ノ巣尾根には、標高1280mの、お伊勢山、と云う立派な名称が付された山が在る。其れを越えていく予定であるので、登頂したか否かと云う溜飲は下がり、二日目の澱んだ疲労感にも誘われて、我々は下山の途に掛かるのであった。

2017/4/24
八丁山西側鞍部(7:00)---お伊勢山(8:00)---鞘口のクビレ(8:25)---ヒルメシクイノタワ(10:15)---稲村岩尾根---稲村岩分岐(11:25)---稲村岩(11:50)---稲村岩分岐---巳ノ戸橋(12:50)---東日原バス停(13:15)

広大な鞍部から、二日目の大荷物を背負い、鷹ノ巣尾根の勾配を登る。日原川が遡上する、奥多摩の奥深い谷の先に屹立している筈の雲取山は、朝霧に隠れている。全身に蔓延する疲労感に抗いながら、斜度の収まる処迄登ると、尾根の様相が一変した。岩礫が混在する痩せた細尾根の踏路に、霧が纏わりついている。

尾根は鋸歯状になって断続的に現われる瘤を越えていく。断崖の淵を辿り、崩壊して奈落の底のようになっている谷間の気配から逃れるようにして、歩き続ける。其れで、弛緩したような疲労感の漂っていた身体が、鮮烈に覚醒していった。険阻の道程に、深い霧が良く似合う。そんなことを思いながら、緊張した儘、岩場に歩を進めていった。

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相変わらずの細尾根が続き、隆起した先に在る山頂に達した。お伊勢山の頂上は狭く、名のあるピークに登りきった、と云う感慨が余り湧いてこない。お伊勢山の山名由来は、伊勢神宮への材木奉納の所以があるようだが、格別の社祠が祀られていると云うことも無く、要するに何の変哲も無い処であった。其れでも登山のひと区切りが付いた安堵感で、私は紫煙を燻らせて休憩した。八丁山付近の鞍部を出発してから一時間が経過していたので、改めて鷹ノ巣山がこんなに遠いのかと思う。

山頂から下り続けた先の鞍部が鞘口のクビレで、此処はいにしえの峠道が交差する場所だったようで、廃れた道標が、巳ノ戸ノ大クビレ、鷹ノ巣山と記した儘、南西方面のトラバース道へと誘う。巳ノ戸沢に沿って此処に至り、其の儘コルを越えて巳ノ戸ノ大クビレに続く道は、昔のエアリアマップに記載されていたと云うのを、kz氏が教えて呉れる。

ちなみに、ややこしいんだけど、と云ってkz氏が続ける。巳ノ戸尾根と稲村岩尾根の間を流れるのが巳ノ戸沢で、西側のヤケト尾根と鷹ノ巣尾根の間を流れるのは、巳ノ戸谷と呼ぶとのことであった。鞘口のクビレには遭難碑が在り、事故の現場は巳ノ戸谷と記してあったので、北西方面から此処に登攀する途上のことであったのだろう、と、kz氏が云った。

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西側の斜面には廃棄された錆びた空き缶が散乱している。鞘口のクビレには小屋もあったようで、飲料を販売していたのかもしれない。往年の賑わいの名残りと、ゴミは放って捨てるのが当たり前だったと云う昔の価値観が、此の廃棄物に拠って察せられる。こんなラベル知らなかったよお。と、kz氏が嬉しそうに叫ぶ。コカコーラの赤い缶は、確かに見覚えの無いデザインだったので、私も妙に感心して其れを眺める。其れから錆びた空き缶の物色が始まり、そう云えば、昔は皆、ネクターを飲んでいたなあ、などと云う話題に発展して、鞘口のクビレでの滞留時間は、思いのほか長くなってしまった。

鞘口のクビレを出発して、鷹ノ巣尾根が稲村岩尾根に収斂されていく勾配を登り続ける。標高が1350mを越えてきた頃に、唐突に霧が流れて青空が表出して、あっという間に晴天となった。尾根の途上に平坦地が在り、私は朝食を摂ることにして休憩を提案した。ブナ林の鞘越しに、雲取山に連なる山稜を眺めながら、のんびりとインスタント麺を食す。昨晩の食事に心血を注ぎすぎた所為なのか、携行する食糧の配分を見誤ってしまったので、此のラーメンが、最後の食糧になってしまった。ヒルメシクイノタワに合流して、直ちに下山する行程は、私にとっては必然の選択となってしまった。

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標高1500m迄辿り着くと、地形図の等高線が細かく配列されている記載通りの様相となり、踏路の判別も付かない儘、急斜面を登り続けた。標高1527mピークに在る、ヒルメシクイノタワは、稲村岩尾根から鷹ノ巣山を辿る時は何の感興も湧かないが、迂遠に尾根を辿ってきた身にとっては、立派な山頂である。北面の暗い斜面を攀じ登り、ヒルメシクイノタワの細長い標柱のシルエットが漸く確認できるようになって、私は深く安堵した。

kz氏は、東日原のバス発車時刻から逆算して、稲村岩の鞍部に到着する目標時刻の検討に入っていた。午前十時を過ぎた処で、稲村岩尾根の下山に掛かり、私は未踏である稲村岩の上に立ちたいので、やや足早に足を繰り出す。途中で数組の登山者と擦れ違う。月曜日の午前だが、存外にハイカーは多い。雲取ですか、と幾人にも訊かれるが、八丁山の鞍部で幕営ですと答えても話が長くなりそうなので、面倒だから鷹ノ巣避難小屋に泊まったと虚偽の証言をするが、余り気分の良いものではない。

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稲村岩尾根を下り続けて、左手には歩いてきた巳ノ戸尾根が併行している。約一時間で末端に在る稲村岩の鞍部に到達した。道標には、かつては稲村岩の指標が記されていたが、死亡事故発生の所為か、木片で塞がれていた。其の上に、不用意に立ち入らないように、と云う注意書が貼ってある。我々は心の準備を整えて、ザックをデポして岩場に取り付いていった。

隆起した稲村岩に至る細尾根を、慎重に渡っていくように辿る。左手の、巳ノ戸沢に落ちていく崖下を窺いながら、横這いのようになって歩を進めていく。やがて岩崖が立ち塞がるようになって、イナブラを攀じ登っていった。日原集落から眺める稲村岩を脳裏に描き、其の垂直の岩登りに内心で首肯する。岩が尽きて、狭い山頂に通路が延びている。行き着いた先に小さな社祠が設置されていて、澤ノ井のワンカップが供えられてあった。

仰ぎ見ることしか出来なかった稲村岩の頂点に立ち、改めて大展望を満喫する。360度の見晴らしは圧巻で、先程下ってきた稲村岩尾根を俯瞰して眺める先に、鷹ノ巣山が聳えている。八丁山、お伊勢山を繋ぐ尾根に、巳ノ戸沢が深淵に向かうようにして続いていた。

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満悦至極の思いで鞍部に戻り、後は正規の登山道を、巳ノ戸沢に下りていく。沢の畔を歩いていくと、稲村岩の壁が迫ってくる。岩の上から見下ろした谷底を歩いていると云うのが、なんとも不思議なことのように思えてくる。渡渉して巳ノ戸尾根側の山腹を辿るようになり、やがて昨日歩いた分岐点に到達した。其れで今回のラウンド・トリップが完成したことになる。我々は感慨深いような気分で、立ち止まった。

改めて登山道が急降下していき、巳ノ戸橋に達してから、中日原バス停迄の道を登り返していく。疲労感が一挙に蔓延していくようになり、民家の脇の階段を、溜息混じりに登って、漸く帰還した。中天の陽光に晒されて、茫洋とした風情で、稲村岩が佇立しているのを眺める。あの山々を歩いてきたのだと、反芻するようにして考えると、不思議な気持ちになる。疲労困憊の態で、其れでも充足した気分で、kz氏と私は、ゆっくりと東日原のバス停に歩いていった。奥多摩駅行きのバスは、計ったように、数分後に到着した。

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別記

2017/5/19
沢井駅(8:30)---築瀬尾根---高峰(9:50)---竜ノ髭(10:10)---日ノ出山(10:30)---日ノ出山北尾根---御岳渓谷---沢井駅(12:20)

2017/5/23
古里駅(7:55)---寸庭橋---越沢林道---大楢峠(9:30)---鍋割山北尾根---鍋割山(10:45)---奥ノ院〈甲籠山〉(11:00)---ロックガーデン---武蔵御岳神社(12:20)---丹三郎尾根---古里駅(14:00)

八丁山・お伊勢山・稲村岩(中篇)

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右手に現われた鹿柵が長く続き、其れに沿って尾根の上を順調に登り続けていた。標高991m付近は日原川に落ちていく支尾根が分かれる平坦地で、鹿柵は此処で其の支尾根に沿って下っていくようであった。穏やかに長い勾配を歩き続けてきたので、小休止をする。尾根は此処から斜度を厳しくさせていくが、幕営用の巨大ザックを背負っている我々は、其れでも疲労感を漂わせることもなく、淡々と登っていた。

途中で、ツキノワグマ生態調査用のカメラが設置されていると記された看板を見て、熊がいるのか、と、kz氏が俄かに賑やかになる。出会い頭で熊に襲撃された経験のあるkz氏の反応は過敏だが、止むを得ないだろう。いるのかなあ。いるからカメラを仕込んだんでしょうねえ。などと鷹揚な口調を装い、我々は、内心で鳥肌を立てつつ、其の場を通過していく。八丁山周辺でビバークすることになっているので、嫌な想念から、なるべく離れたいと思う。私はそう念じながら歩いているが、kz氏が何を思っているのかは判らない。

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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

枯木の賑わう明るい踏路の傾斜は厳しくなり、私は徐々に真直ぐな尾根上をジグザグにコースを取りながら歩いている。右側には鞘越しに、長沢背稜が連なって青空を区切るのを垣間見る。白樺が出てきた、kz氏が息を弾ませながら叫ぶ。白樺と青空と、長閑な山上の風景の中で、我々は徐々に喘ぎながら鈍重に歩を進めていた。漸く傾斜が収まりそうな処に露岩が出現する。私はザックを置いて、其の傍らの岩礫に座り込んで休憩した。少し遅れて、周辺の状況を記録しながら、kz氏が登ってくる。

岩の細尾根になって暫くすると、一挙に視界が開けるようになる。巳ノ戸沢の対岸に、稲村岩尾根を見渡す良景に、思わず立ち止まった。こりゃあ素晴らしい、そうkz氏が声を上げる。稲村岩尾根の先を見上げると、ヒルメシクイノタワのピークを前衛に、鷹ノ巣山が端整な三角形で聳えている。重いザックを背負い、急勾配を登って来た身体には、其れは随分遠くに在るように見えた。

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標高は既に1200mに達しているので、八丁山は近い筈である。眺望が利き、巳ノ戸尾根が鷹ノ巣尾根に合流し、緩やかに左手にカーブしながら、ヒルメシクイノタワに向かっているのが判る。しかし、眼前には巨岩の折り重なる壁が立ち塞がっているので、直近に在る八丁山は見えない。やや左側に岩壁を移動し、慎重に足を掛けて、登っていく。背後からは、怖い怖いと、御馴染みであるkz氏の叫び声が聞こえてくる。そうして漸く、岩の上に乗った。

其処は、鞘越しに見ていた長沢背稜の連なりを一望する、大展望であった。顕著に美しい三角錐の山を見て、あれは蕎麦粒山だあ、と、教えて呉れたkz氏が、長沢背稜を、こんなにしっかりと眺めたことは無い、と云った。何度も登った本仁田山が、此処からは端整な独立峰のように感じられる程、明瞭に眺めることができる。其の、本仁田山の向こうに、首都圏の市街地が霞んで広がっている。事前の予測では、岩場の難所にばかり気を取られていたので、此れ程の展望を享受できるとは思わなかった。巳ノ戸尾根ルートの選択は、奥多摩登山詳細図西編の効用であった。

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岩尾根はいよいよ細くなり、足元を見ながら辿るが、歩を進めていくに連れて絶景がエスカレートしていく。立ち止まって振り返り、感嘆しながら、ゆっくりと巳ノ戸尾根を堪能して歩いた。そうして岩場が終わり、周囲の景観は冬木立の名残りのような雰囲気となって、やがてピークに達する。標高1280m、八丁山の頂上は樹林に囲まれた静かな場所で、廃れた石標の在る付近に、篤志家の製作した山名標が、木に打ち付けてあった。

クイズです、あの山は何でしょう。木立の途切れた箇所から、大振りな山容の、台形のような山が正面に在った。kz氏の問いに、私は眼前の茫洋として大きい山を眺める。もしかして、と云って口ごもっていると、そうです、雲取山です、と、kz氏が云った。其れで、奥多摩の、奥深い処に来たのだなと、実感することが出来た。

小休止の後、kz氏がビバークを目論む、西側の鞍部へと下っていった。山頂から直ぐに、其の全容が見渡せた。登山詳細図の破線の通りに、刻まれた踏路は大きく南側に迂回しながら続いている。降り立ってみると、幅広い鞍部の真ん中が擂鉢状になって、広がっている。鞍部らしく、南からの風が断続的に通っているので、私は八丁山の頂上の方が穏やかなのではないかと提案するが、kz氏は此処に張りたいと云うので、其れに従うことにした。結論としては、風は其れ程のことも無く、快適に一夜を過ごすことが出来たので、杞憂だったことになる。

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テントを張った後で、八丁山にストックを忘れてきたことに気付き、山頂に引き返し回収して幕営地に戻ると、kz氏がテントに撥水剤を塗布していた。其れは購入してから久しい所為か、殆ど効果が見られないようだった。一体いつ頃買ったのかと聞くと、十年くらい前だと云うので唖然とする。また、久しぶりの幕営と云うことで、kz氏が迂闊にもヘッドランプを忘れてきたことも記しておく。念の為、自分のザックの中を確認してみると、驚いたことに予備のヘッドランプが入っていたので、其れをkz氏に貸与した。此れで今朝の遅刻は帳消しですね、と冗談を云うと、帳消しどころじゃないよお、と、kz氏が云った。

以上、様々な出来事を経て、幕営地は完成した。止むを得ないですよね。うん、止むを得ないね。ふたりでビバークの確認を云い合い、麦酒で乾杯する。フライパンに、タレに漬け込んできた牛カルビ肉と野菜を乗せ、蓋をして熱する。野菜にタレが染み入って、肉も蒸し焼きのような塩梅になり、なんだかジンギスカン料理のような風情となった。ふたりで貪るように食し、私は麦酒の後のウヰスキーを飲んでいる。

至福の時間を過ごして、山上の春の夕暮れは緩慢に進行していった。並列のふたつのテントが、夜の帳の気配に従順になって、夕餉の灯火に、薄っすらと浮かび上がった。

八丁山・お伊勢山・稲村岩(前篇)

A

電車が減速して、終点の青梅を告げるアナウンスが流れる。私は固唾を飲んで、接続列車の案内に耳をそばだてる。幸いにも、奥多摩行きの電車は程無く接続するようなので安堵した。其の途端、携帯電話のメール着信音が鳴る。奥多摩駅前は人混みの坩堝で、トイレは大行列。kz氏からのメールには、そう記されていた。本来であれば、乗車していた筈の「ホリデー快速おくたま一号」が、奥多摩駅に到着する時刻である。私は再度、遅刻を詫びる返信を送った。


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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

秩父鉄道沿線の低山逍遥が続いたが、今回のkz氏とのふたり山行は、久しぶりの幕営行と云うことになった。長年使用してきたテントだが、しばらく張っていないので、撥水剤を塗布したい。しかし、薬剤を自室で振り撒く訳にもいかないので、何処かでテントを張って、其れを実行したい。そう云うことをkz氏が呟き、其れならば、と、私は即座に、何処に行こうと云う想定の無い儘、幕営行の計画を持ちかけた。

昨年(2016年)の六月に、奥多摩、七ツ石尾根を登り、千本ツツジで幕営したが、帰宅後に発覚したマダニの惨禍に驚愕し、脱力した。其れ以来足が遠のいていた奥多摩であるが、未だ四月である。大丈夫であろうと考えた。そうして、今回は、のんびりとふたりでテントを張って、焼肉でも食しながら麦酒を飲もう、と云うくらいの主題とすることにして、目的地を鷹ノ巣山避難小屋の周囲にある平坦地に決めて、其処で幕営すると云うことになった。

鷹ノ巣山へのアプローチはkz氏との山行なので、浅間尾根や稲村岩尾根では詰まらない。そこで、かねてから歩いてみたかった、「奥多摩登山詳細図(西編)」に記載されている、「巳ノ戸尾根・鷹ノ巣尾根ルート」を踏破することにした。日帰りの距離である鷹ノ巣山近辺に泊まるのであれば、其れ程早立ちしなくても大丈夫だと想定し、私は集合場所の奥多摩駅に、「ホリデー快速おくたま一号」が到着する、午前八時二十一分を待ち合わせ時刻とすることを提案し、kz氏は勿論快諾した。

そうして、あろうことか、私はホリデー快速に乗り遅れてしまった。焼肉の準備や、握り飯を作っているうちに出発が遅れ気味になり、足早で最寄り駅に向かった。そもそも私の最寄り駅に快速は停車しない。各停に乗り、途中駅でホリデー快速に乗り換えなければならない。駅に到着すると、ホリデー快速に接続する各停電車は既に発車してしまった直後であった。電光掲示板を見上げると、次の発車は十数分後となっている。落胆し、忸怩たる思いでkz氏にメールで経緯を送信した。間も無く、傍らの線路に轟音が響いてきて、無常にも「ホリデー快速おくたま一号」が、私の最寄り駅を軽快に通過していった。

そう云う訳で、まんじりともしない儘、私は青梅発普通列車奥多摩行きに揺られていた。御岳で多くのハイカーが下車して、車内は程よく空いている。白丸の隧道を通過して、電車は甲高いフランジ音を立てながら旋回し、ゆっくりと奥多摩駅に到着した。駅前に出て、直ぐ右側に、東日原行きのバス停が在る。ひとだかりが皆バスに吸い込まれて、出て行った後なのだろう。奥多摩駅前は閑散としていた。kz氏は、東日原行きバス停の傍らで、ザックに腰掛けていた。私は合掌して、平伏すようにして、陳謝を兼ねた挨拶をする。いいよお。よくあることだよう、と、kz氏に慰撫して貰い、ひとまず朝のドタバタ劇は一応の収束を見せたのであった。

ホリデー快速が到着した三十分前の、駅前の混雑は凄まじかったようで、東日原行きのバスは、乗れなかった人の為に、臨時便が二台も増発されたと云うことであった。西東京バスのフレキシブルな対応は相変わらずで頼もしいが、改めて日曜日の奥多摩駅の繁盛ぶりに驚いてしまう。次のバスは九時三十五分で、暫くのんびりと待っていたが、やがて「ホリデー快速おくたま三号」が到着すると、バス乗り場に長蛇の列が出来た。今度はバス一台で納まり、定刻に発車した。満員の乗客の約九割が、途中の川乗橋で下車したので驚いた。終点の東日原に降り立ったのは数人で、皆、足早に、それぞれの目的地に向かって歩き出したので、折り返しのバスが行ってしまうと、日原の集落に静寂が訪れた。

快晴の青空であった。車道を中日原バス停に向かって歩くと、端整な稲村岩が順光でのっぺりと屹立している。海坊主のような形をしているが、名前の由来は稲束を積み上げたような形をしているからだと云う。いなづか、を此の周辺では、イナボラ、イナブラなどと呼んでいたが、やがてイナブラを稲村と当て字にして、稲村岩になったのではないか、と云う説もある。それはそうとして、今日はあの稲村岩の背後に連なる、巳ノ戸尾根に登る。一時間の遅れで出発するが、私は予定通りに、鷹ノ巣山を経由して避難小屋迄歩けるだろうと楽観的に考えていた。其れを確認するかのように、私はkz氏に話し掛ける。kz氏は、其れはどうかなあ、と、少し嬉しそうな表情で云った。

日原川に下降して、釣り人が散見される急流の清流を眺めて、巳ノ戸橋を渡る。稲村岩尾根に向かう常套のコースを歩いて、巳ノ戸沢左岸の山肌に沿って勾配を登る。途中に在る道標に、巳ノ戸尾根に続く山道が分岐している筈で、其れを目指して歩いていく。其の距離は存外に長く感じた。漸く分岐点に達すると、巳ノ戸尾根に向かって、明瞭に道が刻まれていた。

九十九折の作業道を黙々と歩いていくと、鬱蒼とした植林帯が明るさを増してくる。竹林が現われて、左手に崩壊したような谷が広がり、見上げると石垣が積み上げられ、整地された平坦地が窺えた。巳ノ戸部落跡の広場周辺には、錆び付いた釜や、用途の判別が難しい鉄製品の残骸が転がっている。部落と云うよりも、一軒家が在った場所と云うような規模の、山腹に在る小平地であった。

B

其処から先は、踏み跡が少し心細くなり、尾根上を目指して登り続けていくと、やがて周囲が明るくなった。広葉樹の自然林が周辺を支配していて、足元を見ると、桃色の花弁が散りばめてあり、思わず頭上を見ると、山桜が葉陰の向こうに咲いている。桜花の向こうは、抜けるような青空だったので、いよいよ尾根の上に近づいてきたのが判る。踏み跡は殆ど不明瞭になって、私はkz氏に判断を仰ぐ為に立ち止まった。

登山詳細図に記載の、尾根上への分岐点である「白テープ」が発見できない儘、微かな踏み跡は山腹を辿り続けていた。直進を続けていけば、其のポイントに辿り着く可能性は大きいが、見上げると尾根の上は近い。曖昧な雰囲気で踏み跡が分岐しているように見える箇所から、我々は山肌を登り始めた。自然林に囲まれて佇立している山桜を、徐々に見下ろすようになって、やがて尾根の上に到達した。

北面には鞘越しの展望が開けて、長沢背稜が青空を背景に連なり、遠近感が曖昧になる尾根の重なりを順に眺めていくと、眼前には峻険な岩崖の燕岩が聳えている。稲村岩尾根と対峙して延びる巳ノ戸尾根は、日原川周辺の奥多摩を俯瞰して眺めながら歩くことが出来る。其れは新鮮な感覚であった。我々は、ひと区切りをつけたような気分で、昼食の休憩を取ることにした。時刻は間も無く、正午になるところであった。

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心地好い気分の儘、漠然と考える。東日原を出発して二時間弱が経過していた。仮に、稲村岩尾根経由で鷹ノ巣山に登っていれば、今頃は道中の半ばに達しようかと云う頃合である。顧みると、我々の現在位置は、漸く目的である巳ノ戸尾根に乗ったばかりで、此れから鷹ノ巣尾根に合流する八丁山を目指して登り始めるところである。

どうやら前途は厳しいようで、と云う感想をkz氏に伝える。すると、実は、と云ってkz氏が笑う。今朝、奥多摩駅で集合が遅れると聞いて、此れは最後迄は無理だろうと思ったんだよねえ。と、なんだか楽しそうに云う。其れでは、今夜の寝床は何処になるのか。私は現実的になった、進行途上でのビバークに就いて、彼の見解を伺う。予定は未定であり、其れもkz氏との山行での楽しさであり、また愉しからずや、と云うひとときでもある。

八丁山を越えて下った処に、幕営適地がありそうだ、とkz氏が云った。其の箇所を、改めて登山詳細図で確認すると、八丁山とお伊勢山との鞍部を辿る破線のルートが、不自然に迂回している。鞍部を、踏路が何故大きく迂回しているのかは、地形図上では窺い知ることは出来ない。迂回出来る程に広いと云うことは想像できるが、実際に見てみないと判る筈が無い。kz氏は、どうやら数多の資料を調べ、目途を立てていた様であった。

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時間を気にするのは止めて、我々は爽快な気分で、巳ノ戸尾根を登り始める。緩やかな傾斜を辿り、間も無く左手に併行している稲村岩尾根が視界に入ってきた。視線を其の左に、尾根の落ちていく先に転じると、新緑に包まれたイナブラの稲村岩が、こんもりと立っているのが見下ろせる。其れで、我々の立っている場所が、山登りの序盤に在ると云うことに、改めて気付かされるのだった。

七ツ石尾根から七ツ石山

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登山を始めた頃は、同じ東京都だからと云いう安易な理由で奥多摩の山に登っていた。青梅線の沿線から登るくらいだと然程実感が無いが、日原や奥多摩湖の方迄バスに乗り継いで行き、鷹ノ巣山あたりに登って、夕刻に下山してくると、奥多摩は広いのだなと今更のように思う。奥多摩駅から帰途の電車に乗り、二時間経っても帰宅できないと云うのも、後から感じる奥多摩の遠さである。

今迄の記録を見ても、奥多摩の西部に足を踏み入れたのは数える程で、初めての幕営の雲取山、初めての避難小屋泊の三頭山、ヌカザス尾根から登った三頭山、そして、登山詳細図の踏査で登った三ツドッケなどが思い出される。他には稲村岩尾根からの鷹ノ巣山が何度か有るくらいだろうか。近年は夏になると高山志向に偏する傾向があり、奥多摩を訪れるのは冬が近い頃になる。陽の短い冬では、そんなに奥地迄行くのも億劫になって、日ノ出山に登って満足してしまい、早く帰ろうか、などと思ってしまう。

そのような経緯で、結局は奥多摩の山に登ると云う動機が減退して久しい。其れが一転して、今回は奥多摩駅から久しぶりの西東京バスに乗り、お祭と云うバス停に降り立った。此処からの定石は、後山林道をひたすらに歩いて三条の湯に向かうと云うものだが、今日は途中から七ツ石尾根に分け入り、石尾根の稜線を目指す。七ツ石山から直截的に延びる此の尾根の存在は知っていたが、登山道の無いマイナールートであるので、此れ迄歩くのを躊躇していた。其れが現在では、「奥多摩登山詳細図(西編)」にルートが記載されるようになったので、安心して取り付くことが出来る。いろんなルートで、奥多摩石尾根縦走路に登ると云う楽しみ。其のひとつを実行してみようと思い立った。入梅後の不安定な天候が続き、遠出の計画を立てて、高速バスの予約をして荒天に遭っても面白くない。其のような順序の思惟で決まった奥多摩行きでもある。

雲取山登山口の鴨沢で殆どの乗客が下車して閑散となってから、丹波行きのバスは程無くして「お祭」に着いた。特徴的な名称のバス停だが、降りてみると何も無い国道の道端で、所在無い儘に歩き出すと、直ぐに後山林道の分岐が現われた。天候は薄曇の空で、林道に入っていくと、空気がひんやりとした湿気に包まれていくような気がした。

Nanatsuishione

2016/6/19

お祭バス停(9:15)---片倉橋ゲート(10:00)---モノレール起点(10:15)---片倉橋ゲート迄落し物を取りに引き返す、トラバース道に入り断念、尾根を攀じ登り軌道沿いに復帰、などのタイムロス多数有り---片倉ゴヘイザス尾根駅(13:10)---片倉見晴台駅(13:55)---モノレール終点(15:00)---ブナ坂(15:40)---七ツ石山(16:10)---千本ツツジ(16:40)

雲取山、七ツ石山の石尾根から延びる支尾根が落ちていくのを横切って、単純に歩いていく。後山林道は切り立つ尾根の横腹を縫うようにして続いている。丹波川から離れて延々と続く後山川は、歩いている林道からは窺い知ることが出来ない。奥多摩の山々から流れ落ちてくる水源の沢が、丹波川に注いで、奥多摩湖に堰き止められて、多摩川と名を変えて、東京に流れていく。そんな既成の事実を脳裡に描きながら、蛇行する林道を歩いている。

単調な林道歩きが心地好い。眺望も無い山深い道は、何の特徴も無い。奥多摩の奥を歩いているんだな、と云う意識が、遠くに来たと云う感懐が、風景を特別なものに変換させていく。其れが心地好い。下方から流れてくる沢音を聞きながら、重いザックを背負って、ゆっくりと歩いていると、後方からモーター音が響いてきて、砂利砂利と林道を刻みながら、スクーターがやってきた。軽装のハイカーが跨るスクーターは、悪路の所為か碌な速度も出せずに、ゆっくりと走り去っていった。

急峻の裾を辿る道が、大きく右にカーブして、鬱蒼とした谷間へと続いた。其の先に、飛沫を上げて落ちる滝が現われた。くだんのスクーターが停まっているのが見える。片倉橋の掛かる先は、金網のゲートで閉ざされていて、ゲートを脇から進入して直ぐに、作業用の木段が、尾根に向かって設置されている。此れが七ツ石尾根の入口であった。少しだけ煙草を燻らせて休憩した後、出発する。木段は急傾斜の尾根を跨ぐようにトラバースして、片倉谷側に続いていて、程無く前方にプレハブ小屋が現われた。此れが七ツ石山直下付近迄、七ツ石尾根を忠実に辿るモノレール軌道の起点駅である。木製の道標に、片倉線起点駅、片倉線終点迄一時間四十分、と書かれている。モノレール自体は資材や木材を運搬する為に敷設されたものだが、此の道標は登山者に向かって記されているようにも見える。

軽い食事を摂って、登り始めようかと思った途端、ポケットの煙草の箱が無いのに気付いた。予備の分は有るのだが、何処かに落としてしまった儘だと思うと気になって、空身で林道迄を戻ってみるが見当たらない。結局ゲート前の地面に落ちているのを発見して回収した。起点駅に戻り、改めて休憩したので、存外に出発が遅れてしまった。今夜は例の如く、何処かで幕営の積もりなので、時刻の推移は殆ど気にならない。歩くのは直截的に七ツ石山へと続く尾根であり、モノレール駅の道標を信じると、石尾根の稜線には随分早く到達するかもしれない。此の時点では、漠然と奥多摩小屋にテントを設営して、雲取山に往復すると云う計画でよいと思っていた。私は、紫煙を燻らせた後、緩慢に立ち上がり、モノレール軌道に沿って歩き始めた。

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登り始めから、急傾斜を真直ぐに軌道が辿っている。礫岩の斜面は、レールに摑まらないと登ることが出来ない程であった。登山詳細図に記載されている「急傾斜注意」の斜面は、「平地、巣箱6番」迄、途切れることなく続いていた。平地は尾根が緩やかになった穏やかな処で、レールの彼方を見ると、尾根上に沿ってふたたび急激に上昇しているのが判る。人の気配の無い奥深い山に、人工的な直線が辿っている。不自然さ、と云う感覚が、目の前に見本として示されているような気分であった。

軌道に沿って登り続けるのは、単調ではあるが順調に踏破している充足感も在る。次第に高度を上げ、急斜面になった処で、軌道から離れて踏み跡がジグザグに刻まれていくようになった。登り詰めた処で唐突に眺望が開ける。伐採された斜面には広大な擁壁が造られていた。眼前に後山川を隔てた、丹波村方面の山塊が見渡せる。実直に登り続けてきて、初めて広がる眺望であった。登山詳細図にも記載して貰いたい地点である。

擁壁の上で小休止を取って、暫くは軌道から離れた踏み跡を辿る。そうしているうちに、尾根に忠実に急傾斜を登っていくレールが遠ざかり、私の歩いている踏路は左に山腹を捲いていくトラバース道になった。登山詳細図には尾根上のルートが蛇行して描かれている箇所が在るが、私は現在位置の特定が出来ず、トラバース道はみるみるうちに軌道から遠ざかっていくので、急激に不安に陥った。現在位置が此の蛇行している箇所なのかが判らない。モノレールの軌道に関連した作業道であることは間違いないのだが、不安に抗えない私は、引き返して軌道に戻り、細い岩場の急傾斜を、レールに摑まって登り続けた。レールの干からびた油脂で、掌が真っ黒になった。

現在位置を確認すること、其れはGPS機器が有れば簡単に済んでしまう問題である。其れを持っていない私としては、アナログ高度計で標高を確認し、地形図の七ツ石尾根上に照会すれば自分の位置が判明する。高度計は細引きに繋がっていて、ザックのポケットに入っている。其れを取り出すのが面倒で、私は標高値で自分の現在位置を確認する作業を放棄していた。どうせ尾根上のモノレール軌道に沿って行けばいいのだ、と云う安易な気持ちが先に有った。登山詳細図に記載されている、ジグザグのルートが、先程の擁壁に登り詰める迄の九十九折だと早合点してしまい、後は尾根を直線的に登るのだと思い込んでいたから、くだんのトラバース道が登攀ルートだと思うことが出来なかった。此の曖昧な思惟で、やがて私の状況判断は、疲労感と共に不思議な方角に傾いていった。

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レールに摑まって急斜面を登り詰めると、登山道が交差していた。此れは、登山道が蛇行して軌道に纏わり着いたり離れたりして、尾根を辿っているのであろうか。そんな風に考えた。そして、軌道を跨いで右手に続くトラバース道が、山腹に沿って上昇しているのを見て、私は其の方角に導かれるように歩いていった。道は徐々に薄暗くなって、尾根の中腹を辿っている。左手の尾根の上を目視しながら、何処でジグザグに登ってレールに合流するのか、そんな予測で歩き続けた。トラバース道は何時迄経っても其の気配を現わさなかった。

此の儘では、いけない。尾根上に復帰するためにどうするのか。随分歩いて来た道を引き返して、軌道に沿って登り直す、其の考えは瞬時に放擲してしまった。私は自分の判断ミスと、其れに関連する徒労を認めたくなかったのかもしれない。私は左手の斜面を見上げて、登攀可能な傾斜と判断した処から、無理矢理に尾根を攀じ登って行った。傾斜は徐々に厳しさを増していき、腐葉土に足元が埋もれていく。ずるずると滑りながら、斜面と抗い続けた。樹幹を掴んで、時々四つん這いになりながら、随分時間を掛けて登り続けた。漸く頭上に明るさが窺えて、見上げるとモノレール軌道が無機質の風情で連なっている。私は漸く安堵して、やがて尾根上に復帰した。やや平坦な箇所に辿り着き、私は崩れ落ちるようにしてへたり込んだ。

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一体何をしているのか。空虚な悔恨の想念が、脳裡に漂っているだけであった。七ツ石尾根は連綿と続いていて、明確にモノレール軌道が彼方に向かって上昇している。随分休憩してから、もう此のレールから離れまいと心に決めて、直截的に尾根を登り続けた。直ぐに急登となり、登り詰めた処に伐採で明るくなっている平坦地が現われて、軌道が左にカーブしていくのが窺えた。其処は、尾根の分岐する小ピークだった。木板の標識に、「片倉ゴヘイザスオネ」と記してある。地図に記載の片倉ゴヘイザスオネ駅だと思われる。片倉見晴駅迄二十分、片倉盤台跡迄二十分。木板標識に小さい文字で併記されている。見晴駅と盤台跡駅がどのような位置関係にあるのかは判らない。同じ所要時分にふたつの駅名であるから、途中で分岐した支線が在るのか、ふたつの駅は至近に位置するのか、まったく判らない。私は、ふたたび倒木に腰を下ろして休憩を取った。モノレール起点駅から、気がつくと此処迄三時間近くが経過していた。途中の道迷いがあったにしても、異様に時間が掛かっている。しかし、其れも然程重要な事実では無い。軌道に沿って登り続けている安心感の所以である。

「奥多摩登山詳細図(西編)」の等高線を見て、もう急傾斜を登ることが無いことを認識する。片倉ゴヘイザスオネ駅から緩やかに北に進路を変えて、次に尾根が合流する地点に、登山詳細図には「赤指山」の記載が在る。三角点はおろか、標高の記載も無い。東方に併行して在る、峰谷から千本ツツジのコースに近い赤指山と同名の記載が、此の七ツ石尾根の途上にも在る。其れを見届けたいと思うが、潅木に囲まれた尾根分岐地点に、ピークらしい趣は無かった。七ツ石尾根が大胆に分岐する地点だが、実際に見る風景は、ただ、モノレール軌道が細尾根の上を実直に辿っていると云うものだった。

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1536mピークは小さい盛り上がりの、樹林に囲まれた処であった。其れを少し下った地点に、レールの傍らに木のベンチが幾つも設えて在る広場が見える。此れが片倉見晴駅で、東南方面の眺望が広がっている。昭文社登山地図にもルートの記載が無い此の七ツ石尾根に、不思議な程整備された見晴台が在る。雨後の煙った空気の向こうに、三頭山から大岳山迄、奥多摩の高山を一望にする良景である。鴨沢からの登り尾根を眼前にして、改めて孤独な奥多摩登山を顧みるような気持ちになる。テント泊の巨大ザックを背負って来たにしても、随分時間が掛かってしまった。奥多摩小屋のテント場に設営して、雲取山迄往復してこようと云う朧気な思惟は霧消していった。

空腹を満たして、其の儘軌道に沿って尾根の上を諄々と登り続けた。空模様は変わらずで、標高を上げていくに従って、自然林の湿った葉に覆われた尾根上の踏路が、彩度の低い光景に変化させていった。唐突に終わる軌道の先に、終点の看板が立っている。登山の徒の為では無い筈だが、此処にも木製ベンチが設えて在った。ハイカーの嬌声が聞こえてくる。七ツ石小屋から続く登山道が、直ぐ其の先に合流しているが、此のモノレール終点駅のオアシスを、殆どの人が知らずに通過していく。私は、孤独の境界線の外側に佇んだ儘、奥多摩の遠さを、改めて実感していた。



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付記

2016/6/20

千本ツツジ(6:00)---高丸山(6:25)---日蔭名栗山(7:00)---鷹ノ巣山(8:50)---水根山(9:25)---城山(10:00)---狩倉山(10:50)---三ノ木戸山(11:40)---奥多摩駅(13:35)

尾根に忠実に林界標識迄。其の先は登山詳細図の記載の通り、藪深く断念。久しぶりのブナ坂に辿り着いて雨になった。誰も居ない七ツ石山に登頂し、テントを貼ろうかと考えたが、雨の止む迄石尾根を帰途方面に歩くことにした。千本ツツジで天候が落ち着いたので、ビバーク地に決定する。登山道の脇に幕営して、翌朝目覚めたら雲海の彼方に奥多摩三山と富士山を眺める好天となった。やはり良景を眺めるには幕営しかないなと実感する。石尾根の稜線縦走コースで、高丸山、日蔭名栗山、鷹ノ巣山、水根山、城山、狩倉山、三ノ木戸山を丹念に登り降りして奥多摩駅迄歩く。充実の山行と謂う実感で帰宅したが、半日後にマダニの被害に遭っていたことを知り愕然とする。七ツ石尾根か千本ツツジか、被害の現場は定かではない。マニュアルでは皮膚科等に受診すべしとあったが、衝撃の余り、其れでも慎重に自力で剥奪してしまったのだが、なんとか経過良好であった。其の後、衝撃の余韻は収まらず、山行への意欲が減退していくこととなったのが無念である。

三室山・通矢尾根・横沢入

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青梅駅を出発した電車が、いつものようにゆっくりと、山に向かって走っていく。昨日は関東でも山間部に雪が降ったと云うが、奥多摩はどうだったのだろう。日向和田を過ぎても、目の前に連なっている里山に降雪の余韻は窺えない。今日は、あの裏山を越えて、あきるの市迄歩いていくのだなと、心の裡で呟く。石神前駅で下車して、のどかな陽気の畑の中の道を歩いていく。多摩川の渓谷を見下ろす好文橋を渡り、奥多摩方面を遠く見上げると、白銀の山々が浮かんでいた。鷹ノ巣山や雲取山は、雪を纏った儘、春を迎えているのだろう。橋の真中で感慨に耽っている私の傍らを、中学生たちが次々に通り過ぎていく。橋を渡って直ぐに、青梅市立西中学校の通用門が在る。生徒たちは、予鈴が鳴り始めているのに、のんびりと歩いている。時計を見ると、八時二十五分。遅刻にならないのかと心配になるが、誰も慌てている様子が無い。私は、そんな光景を眺めながら歩き出す。中学校をなぞるように迂回して、吉野街道を渡り、何の変哲も無い里山の中に入っていった。


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2016/3/15

石神前駅(8:20)---琴平神社---三室山(9:40)---通矢尾根---肝要峠---細尾山---白山神社入口---大久野中学校---天竺山---横沢入---武蔵増戸駅(15:50)

御岳山、日ノ出山から続く尾根が東に延びて、三室山に達すると、通常の登山コースは、吉野梅郷方面に下る尾根に続いているが、長大な尾根は三室山から南東に向かって、延々と武蔵五日市駅の方迄続いている。通矢尾根と呼ばれる山の連なりは、標高四、五百メートルくらいの高さが続いて緩やかに南下している。以前、三室山から、此の通矢尾根に入ってみたことがある。当時は「奥多摩東部登山詳細図」が無かったので、地形図を頼りに、緩やかな稜線を歩いた。肝要峠で林道と合流した頃には疲れきって、梅ヶ谷峠に至る作業道を使って下山した。道半ばで中断した通矢尾根のルートが、奥多摩東部登山詳細図に記されてから、いつか完全踏破してみたいと思っていた。低山の長い尾根歩きである。草木が繁茂する季節の来る前に訪れなければならない。

吉野梅郷の集落を突き抜けた先の、ひっそりとした尾根道に入り、間もなく登山道に合流した。昨日の雨の所為か、赤茶けた土が湿っている緩やかな踏路を、黙々と登っていく。琴平神社の断崖に達して、赤ぼっこ方面の眺望から右手に視線を転ずると、通矢尾根が聳えている。青梅市側の吉野と、日ノ出町側の大久野を隔てる此の山々には、交易路、或いは御岳神社への参詣路として、古くからの峠道が辿っているようだが、現在は県道が通矢尾根を、ぐるりと迂回するようにして走っていて、通矢尾根の反対側に峠を越えて行く必要も無い。経済社会の物流ルートを俯瞰しながら、目的も無く山の上を歩いている。私は、自嘲的な心持ちで、三室山を目指していた。頂上に達する直前に、南へと伸びる通矢尾根の分岐が在り、狐が一匹、私を見下ろしている。近づくと、狐は、俊敏に通矢尾根の方に走り去っていった。

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三室山で暫しの休憩後、くだんの分岐迄戻り、改めて通矢尾根を下っていく。印象的な大木が佇立する546mピークを通過して、やがて送電鉄塔の在る地点に出る。西の方角に眺望が開けて、昨日の降雪で白く染まった御岳山が遠くに窺える。折角雪が降ったのだから、もう少し標高の高い山に行くべきだったか、と云う悔恨が脳裏をよぎるが、今更どうしようもない。ふたたび樹林帯に突入し、右手に林道が近づいてくるのが判る。平坦な踏路が、徐々に勾配を上げてくる。梅郷方面に大きな尾根が分岐する瘤に乗り上げると、其の儘直進してしまいたくなるが、此処は南南東に急降下していかなければならない。

緩やかな尾根上の道が藪状になり、構わず掻き分けて進んでいくと、林道に交差する。肝要峠は梅ヶ谷峠から肝要集落への交易路である。前回は、此処でお仕舞いにしたが、林道を渡って細い踏跡に沿って登っていく。初めて歩く道なので少し緊張するが、尾根上は明瞭な踏跡が続いており、蛇行する尾根に沿って歩き続ける。詳細図の等高線を確認しながら、もう少しで林道交差だと安堵しつつ小ピークを越えると、尾根をU字に捲いていく林道が見下ろせた。左手は擁壁が在って下降できないので右手に降りるが、踏路が見当たらない。黙考してから、意を決して急斜面を木に摑まって、最後は棘のある蔓草にしがみついて林道に飛び降りた。正規のルートは在るのかと、林道の反対側を辿っていくと、頼りないが登り口のようなものが在った。直前の小ピークで、左に辿る道が在ったのかは覚えていない。

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通矢尾根は其の儘南東に延びている。併行する林道の左手に踏跡があり、小ピークを丹念に越えて、此の尾根で唯一、山名が記されている457mピークに近づいた。細尾山と呼ばれるピークを、登山道は捲いているが、ピークへの踏跡も微かに辿っていたので、傾斜を登り詰めた。山頂は鬱蒼とした樹林に囲まれていて、古びた祠が祀られていた。眺望の無い山頂に、細尾山の山名票は確認することができなかった。

一面に広がる植林帯の尾根は、明瞭な踏路が続いていて、私は弛緩したような心持ちで、足早に歩き続けた。歩きやすくなった道の勾配が急になり、私は其れに疑問を抱くことなく駆け下りていた。随分下り続けて、やがて木漏れ陽に照らされて光る竹林に出た。其の美しさに見入った後、漸く、何かおかしい、と云うことに気づいた。竹林の中を、もう少し進むと、案の定、人家が現われた。コンパスを竹林に向けると南西を指している。そして、遠くに目を凝らすと、黒い尾根が聳えているのに気がついた。

細尾山を下ると、直ぐに長井集落方面に尾根が分岐していて、私は其の尾根を軽快に下ってきてしまったと云うことを知った。心が挫けて其の儘下山してしまおうと云う気持ちも、無いことは無かったが、県道青梅日の出線の真ん中に降り立ったところで、帰る術は無い。私は、来た道を登り返していった。疲弊感は在るが、何処で道が分岐していたのかと云うのも気になる。淡々と脚を繰り出して、登り返しながら、左手から尾根が徐々に近づいてくる。合流地点には、確かに通矢尾根の踏路が南下している。分岐点を、下山方向に向き直って眺めると、長井方面への尾根道は明瞭で、コンパスで方向を確認せずに、躊躇無く真直ぐに進んでしまった自分の愚行を再認識した。通矢尾根は標高が400m近く迄下がっていて、夥しく分岐する尾根は、緩やかな感じで麓まで続いている。現在位置と方角の確認をしながら歩かないと、直ぐに何処かの尾根に誘導されてしまうだろう。

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通矢尾根に復帰し、間もなく平坦な道になって、詳細図に記されている、道標、の地点に辿り着いた。道標の左手には日の出山荘と書かれていて、緩やかな尾根に沿って道が続いていた。先ほど迷い込んだ竹林が「ロン・ヤス会談」の、日の出山荘なのかは定かでは無い。此処迄道標の類は全く無かったのに、此処にはベンチ迄設置されている。道迷いから復帰して、動揺していた私は、暫くベンチに座り込んだ儘、紫煙を燻らせて休憩した。道標は新しく、右手方向は台沢林道の名が記されている。細尾方面への交易路に、新しい林道が交錯しているものと察せられた。

ふたたび歩き出し、次の目標である、林道交差、と詳細図に記されている地点に向かうが、其の直前も東に延びる尾根が在り、漠然と歩いていると誘導されてしまいそうな道が続いていた。コンパスを確認しながら、左手の急傾斜を下っていく。間もなく交差する林道に降り立った。347.8mの三角点は林道の路傍に在った。其処からふたたび林道右手の尾根に乗り、369mピークを目指す。地図を見ると、東に向かって尾根が次々に分岐している。戦々恐々の心持ちで、コンパスを握り締めた儘、歩き続けた。

行程の後半に入って、通矢尾根は地形の複雑さを増してきていた。次の目標は、勝峰神社と長井方面を結ぶ道と交差する峠だが、其の直前には右手の勝峰神社方面に分岐する尾根が立派で、迷い込みそうになる。南東への指針を信じて、鬱蒼とした樹林帯に入っていく。時折伐採中の所為で、陽当たりのよい場所が現われる。明るい斜面に白い靄が掛かっている。スギ花粉が舞っている踏路を、口と鼻を押さえながら通過した。薄暗い窪んだ谷筋が現われて、唐突に崖状になっている箇所を降りていく。峠道は此れ迄通ってきたものと比べると、明瞭に交差していて、いにしえの道と云う雰囲気だった。詳細図では記されていない林道は、既に此の峠の北面に併行して通じていた。

崖状の道を、設置されたトラロープに助けられながら、通矢尾根に復帰する。随分歩いて、もう食傷気味になっているが、尾根が続いているのでひたすらに南東を目指す。次の目印は351mのピークだが、其の手前に在る320m圏ピークが伐採されていて、座りやすい切り株が並んでいる。陽差しが暖かく、此処で昼食を摂って休憩した。

長大な通矢尾根も、漸く終わりに近づいている。登山詳細図のルート案内は、尾根の末端迄を歩くように記されているが、私は白山神社で車道と交わる処から、地形図の破線で記されている道を下山することにした。石段の道が竹林の中に続いている。白山神社への、古くから在る参道なのだろうと察せられる。小ぶりな送電鉄塔が立っている集落に降り立ち、県道184号に出た処に、白山神社入口の、立派な道標が在った。

通矢尾根末端を前にして西南に逸れて下山したのは、五日市線の武蔵増戸駅迄、横沢入を歩いていくのに好都合だと云う理由でもあった。大久野中学校の裏から、横沢入を囲む尾根に乗る。天竺山と云うピークから眺める秋川丘陵の景色は良好だったが、東京の郊外に在ると云う意味で貴重な環境づくりをしているのは承知の上で、里山の在る日本の原風景、などと云う表現で賞賛される横沢入に、格別の感興は無かった。線路際の舗装路に出て、武蔵増戸駅迄の道のりは、随分遠かった。

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別記

2016/2/29
川井駅(8:40)---沼沢尾根---馬仏山(10:00)---岩茸石山---常福院---永栗ノ峰---榎峠---軍畑駅(12:30)

駅の裏手の、送電鉄塔巡視路から登る沼沢尾根。早めに下山したいと云う前提で、いきなりの急登で始まる。登り甲斐のある傾斜を楽しんだ後は、緩やかに馬仏山迄。平日の午前中、岩茸石山は誰も居ない。心地好い食事休憩。常福院からは初めて歩く永栗ノ峰を経由する、青梅高水トレイルランのコースで下山した。

石神入林道から青梅丘陵

なだらかな尾根が幾重も落ちている沢沿いの道は、木漏れ陽が差し込んでいて明るかった。石神入林道は植林のスギが立ち並ぶ凡庸な作業道である。しかし、私はJR青梅線の石神前駅の程近くから入り込む青梅丘陵へのアプローチが、何故だか最も気に入っている。手押し車に木端を積んでロープを掛けている初老の男性に挨拶して先を進むと、蛇行する石神入を渡る古びた石橋が在る。沢の向こうに苔むした祠が鎮座しているのが見える。青梅街道の騒音も、鉄道の響音からも完全に遠ざかって、山の懐に入り込んだ気分になっているが、未だ十数分しか歩いていない。からくり仕掛けの襖の裏側に、唐突に消え去る忍者のように、私は人里から姿を消して山間の谷を歩いている。其れが何とも云えない心地好い気分にさせて呉れる。


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2015/4/16

石神前駅(12:00)-----石神入林道-----青梅丘陵ハイキングコース-----矢倉台-----宮ノ平駅(14:20)

地形図の破線で記されている林道の、最初に現われる分岐点には官製の道標が立っている。沢が合流する二俣の地点である。道標は右手に誘っているが、左手と云うか、直進して沢を詰めても、標高359m地点の在る尾根に登って行く道が辿っている。其れは既知のことであって、好きなルートではあるのだが、時刻は既に正午を廻っている。時間を気にせず山歩きが出来ない身の上に内心で嘆息しながら、東方に進路を向けた。

勾配が徐々に上がっていくと、陽当たりのよい尾根の裾に自然林が疎らに現われてくる。重厚な樅の老木が右手の尾根に立っている。思わず立ち止まって眺めると、其の方角にハイキングコースと云う道標が立っていて、丸太で橋が渡してあった。青梅丘陵は登山地図では網羅しきれない程に登山道が巡っている。記憶に無い道標だったので、尾根に乗っていく其の登山道に歩を進めることにした。三角点の在る標高454mの三方山に続く尾根の東側を歩いて来たが、其の隣の尾根に乗ってしまうことになるから、登り始めだと云うのに青梅駅の方角へと逸れて行ってしまう恰好になった。

尾根の東側から急激に勾配を上げて、蛇行しながら続く登山道を登り続けると、先程迄そぞろ歩きのようにしていた石神入の谷間を見下ろすようになり、遠くに多摩川の対岸に在る山なみを望める程になった。廻り込むようにして尾根に乗り、巨大な樅の老木に辿り着いた。植林が密集している斜面に屹立して、斜上する枝ぶりを真下から見上げる。朽ち果てそうな様相の樹皮を、そっと撫でてみる。纏わりついている蔦も、ずっと前から寄り添っているかのように同化して古びている。

勾配を本格的に登り始めたなと思ったら、頭上に人影が見えた。登りきったら、其処はもう青梅丘陵のハイキングコースだった。平日の昼下がりに人影は無いが、時折トレラン姿が黙々と近づいてきて、走り去っていく。何度も歩いた道だが、随分久しぶりのような気がする。三方山を過ぎた辺りかと思うが、惰性の儘に、青梅方面に歩いて行くことにした。支尾根が縦横に派生する稜線上の登山道は、相変わらず植林帯の中を歩くので判然としないが、木段が登る処に差し掛かった先に、空の白い様子が窺えた。瘤状の小ピークに着くと古びた丸太のベンチが在り、風景が広がった。遠くに懐かしい上成木の都県境尾根が望まれる。広い谷を覆うようにして、殆ど散ってしまった山桜が立ち並んでいる。

茫然と紫煙を燻らせていると、高齢の男性がやってきた。山桜は、案外早く散ってしまうのですね、と話し掛けた。高齢氏は、奥多摩湖の方は未だこれからだったがなあ、と云った。そして、此の辺は何の変哲も無いように思うだろうけど、毎日歩いていると風景の変化が判るんだよ、と云った。青梅市内に住んでいる彼は、高尾山みたいに混んでいる山よりも、此の辺がいいよと、毎日歩いていると云う青梅丘陵を擁護するように話した。

高齢氏が去った後に、何人かのトレイルランナーが寡黙に通り過ぎて行った。私は其の儘茫洋とした感じで風景を眺めていたが、空腹のような気がしてきたのでカップ麺を作って食べた。雨天が続いて、漸く晴れた今日は、思ったよりも気温が高いようだった。汗ばんでいた私の躯に、心地好い風が吹き抜けていく。暑くも無く寒くも無く、程好い気候だった。此れで山桜が満開だったらと思うが、其れは強慾に過ぎるのだろうなとも思った。私は、緩慢に立ち上がり、標高点405mとの鞍部に下って、山桜の花弁が敷きつめられた道を、歩いていった。

Ishigamiiri

別記

2015/2/16

大倉バス停(10:30)-----大倉尾根-----塔ノ岳-----大倉尾根-----大倉バス停(16:45)

2015/3/8

西吾野駅(7:15)-----白山神社-----北川尾根-----飯盛峠-----飯盛山-----町屋敷-----白山神社-----西吾野駅(14:00)

2015/3/13

東吾野駅(7:00)-----天覚山-----種木橋-----東峠-----屋船山-----東吾野駅(13:30)

2015/4/12(東丹沢登山詳細図改訂版記念パーティ)

日影バス停-----萩原作業道-----一丁平-----小仏峠-----小仏バス停

赤ぼっこを送電鉄塔巡視路から直登する。

Akabokko


青梅市と日の出町の境界に連なる尾根の途上に在る、三等三角点が設置された小ピーク。赤ぼっこは麓から見て燦然と聳える山と云う訳では無いが、其の山頂からの眺めは雄大で、青梅市街から二俣尾迄、青梅丘陵を衝立にして多摩川が流れる風景を一望することができる。JR青梅線の宮ノ平駅から徒歩で一時間強にて到達できる場所とは思えない程の眺望である。和田橋を渡り、梅ヶ谷峠入口信号から側道に入り、要害山を経てから天狗岩に立ち寄り、赤ぼっこに至る、或いは秋川街道の天祖神社から旧二ツ塚峠を経て赤ぼっこに到達する、と云うのがコースとしては一般的と思われる。しかし、何度か訪れて顧みると、馬引沢林道をのんびりと歩いて、馬引沢峠経由で簡便に赤ぼっこへと至るコースが最も心地好いと云う気がして、気に入っている。

2015/1/6

宮ノ平駅(7:20)-----和田町一丁目-----馬引沢林道-----送電鉄塔青梅線31号巡視路-----赤ぼっこ-----四等三角点-----和田スポーツ広場方面道標-----馬引沢林道-----畑中-----青梅駅(13:00)


Akbk6

風邪を引いて出掛けるのが億劫になってしまって随分経っていた。其れで一念発起して散歩がてらの山歩きをしようと思い立った昨年12月。既に時刻が正午に近いので、思い浮かんだ行く先が赤ぼっこだった。都心から青梅迄一時間半、其処から登り始めたので、赤ぼっこに立ったのは午後3時を過ぎていたが、冬の陽が傾き始める頃の眺望は何とも云えない趣があった。其の時歩いた馬引沢林道で、登山地図には記されない杣道のような踏路が幾つか分かれているのが目に付いた。其の中で、綺麗な道標がひとつ立っていたのだが、木片には何も記されていないのが気になった。林道から北西に向かって、低い尾根が蔓延するように隆起しているが、其の何処かの谷筋を無記名の道標が指している。いにしえの道が廃れたと推察するには、其の道標は随分新しいように見える。気になること夥しいが、罹患を逃れて間もない身に探訪を実行する気力は無い。新年を迎えてから改めて出直そうと思った。当然のことながらkz氏に誘いを掛けてみると、膝を打つような感じで興味を示して呉れた。

平日の朝の通勤ラッシュを避ける為、赤ぼっこに登るだけなのに宮ノ平駅に到着したのは午前7時だった。青梅街道から外れて和田橋に掛かった処で、山なみを眺める。あの目立つ山が赤ぼっこなのかな、とkz氏が呟く。あれは要害山、赤ぼっこは向こうです。此の山域に初めて訪れると云う彼に、私は珍しく教示の態度を取る。赤ぼっこのシンボルとも云える一本杉が、此の橋の上からはよく見える。勿論赤ぼっこからも明瞭に和田橋を見下ろすことができる。

和田橋を渡り終えて直ぐの信号を左折して住宅地の中を歩き、暫く経ってから現われる細い道を右折して吉野街道に合流する。横断歩道を渡ると馬引沢に沿って山道が分岐して、馬引沢峠と赤ぼっこを記した青梅市の道標が立っている。立派な門構えの旧家が在り、其れを過ぎると程無く伐採された丘陵が広がっている。其の上に神社がぽつんと建っているので立ち寄って参詣した。小さな社には八幡宮と書かれている。

「こんな掘立小屋然とした社に八幡宮とは大仰ですね」罰当たりなことを私が云うと、
「俺は初詣になるので丁度よかったよ」大雑把なことを善意に解釈したようにkz氏が云うのが可笑しかった。

馬引沢を渡って道なりに進んで、林道に合流する処にゲートが在った。なだらかな傾斜の林道を歩き続けていくと、吉野街道の騒音が遠ざかり、すっかり静かな道行きとなった。途中に出会った柴犬を連れたおじさんが、赤ぼっこへの道順を丁寧に教えて呉れる。林道を外れて謎の踏路を行く積もりである我々は、地元の人に不審の徒であることを覚られてはならない。おとなしくおじさんの説明を聞く振りをする。おじさんは、赤ぼっこの眺めは凄いんだ。360度じゃないが270度くらいの展望だ、と具体的に云って自慢した。我々は、ほほうと感心しながら御説を拝聴する。尾を振る犬は叩かれず、である。そんなことを考えながら足元を見ると、柴犬が不思議そうな顔で私を眺めている。

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林道が幾つかの橋を渡り、馬引沢が左手に流れてから少し経った頃、右手に青梅市製の道標が現われた。其の奥に、気になっていた無記名道標が在った。早速kz氏に検証して貰う。何も記されていないと思った木片には、文字が書かれていたのが剥げ落ちたのか、凹状の痕跡が在った。

「鳥岩か黒岩だな」kz氏が云う。
「なぜ」
「此の点々は黒か鳥しか無いよ!」

凝視してみると、確かに、よつてん或いは烈火と思われる部首、点々の痕跡が在ったが、黒か鳥と断定する根拠は無いようである。もうひとつの痕跡は更に手掛かりが判別し難いものだったが、岩ではないかと云うのがkz氏の推理であった。

地形図の赤ぼっこ周縁には、崖の印が散在している。岩の文字を拠り処とするならば、何れ急峻の崖に突き当たるのかもしれない。兎に角、謎の道標に従って、馬引沢林道の途中から右に逸れていくことになった。踏跡は谷沿いに続いており、枯枝の藪が随所に立ち塞がるので、安穏と歩き続けることはできない。馬引沢に合流する涸れた支流の右岸を歩いているが、やがて踏跡は曖昧になり、此れ以上谷筋を歩くことは困難な状況になっていった。左上には緩やかな尾根が在るのだが、藪状の様子は激化しているように見える。kz氏と私は立ち止まった儘顔を見合わせた。

尾根の上を歩くと云う気持ちは、お互いに湧いてこないようであった。尾根が収斂していく先は明らかに赤ぼっこの尾根である。どんな崖にぶつかるのかは判らないが、厳しい局面に晒されるのは明白のような気がした。確かなことは、謎の道標が形骸化したものであったと云うことだけである。我々は引き返すことにした。林道に戻り、道迷いを誘発しそうな無記名道標を引き抜いてしまいたい欲求に駆られたが止した。不審の徒らしき振舞いは自重せねばならない。

馬引沢峠に向かって歩を進めていくと、送電鉄塔への巡視路を示す黄色の杭が現われた。左手は標高365mピークの尾根に向かう道のようである。右手の杭の先には苔蒸した木橋が馬引沢に掛かっていた。此れは歩けるね。kz氏が安堵の声を漏らした。私は手にした奥多摩東部登山詳細図を広げた。等高線を確認したかったのだが、残念ながら詳細図の端に記載された赤ぼっこエリアは、馬引沢林道の途中で切れている。あと二センチ程度載っていれば、此れから歩く巡視路の尾根が判る筈なのだが、止むを得ない。

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踏跡は明瞭だった。縦横に広がっている尾根と沢筋の合間を縫うようにして、送電線への巡視路は続いていた。緩やかに谷筋の近くを登り、やがて大きな山肌に突き当たる。踏路は其の尾根をスイッチバックのようにジグザグに登っていく様相に転じていた。馬引沢林道の安穏とした歩きが常態となっていたので、貪欲に高度を稼いでいくジグザグの道が新鮮に感じる。植林帯を眼下に見るようになってきた頃、kz氏が感嘆の声を上げた。

陽陰になっている所為なのか、黒ずんで見える巨大な岩が正面に聳えていた。黒岩、と云う二文字が脳裡をよぎるが、勿論関係は無いのだろう。巨岩の裾を枯葉が敷きつめられていて、其れに忠実に急傾斜の進路が窺えた。岩を捲いて登りきると、木立の向こうに景色が広がった。赤ぼっこから送電鉄塔に延びる東尾根の上に乗ったことが判った。365mピークが既に見下ろせる位置に登りついていた。尾根が落ちていく先は激しい傾斜になっていて、踏み入るのは不可能かと察せられた。馬引沢林道が終点近くで大きく蛇行しているのは、今居る此の尾根の所為かもしれない。其の、馬引沢峠の方向には、明瞭に二ツ塚廃棄物処分場の塔が見える。興醒めてしまうところだが、此れも人間社会の所以であると考えれば、粛々と直視せざるを得ない。

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尾根道は巨岩の上に続いていた。休憩したばかりなので其の儘歩き続けて、間もなく送電鉄塔青梅線31号に到達した。昨年春に成木の都県境尾根を歩いた時、電線が外され、鉄塔だけが屹立している不思議な光景に出くわしたが、其れが廃止された送電線の青梅線だった。赤ぼっこ直下の鉄塔も、役目を終えた儘無為に屹立しているばかりである。其の南方面を眺めると、馬引沢峠からの登山道の途上に立つ鉄塔が覗ける。彼方の山なみは丹沢山塊迄見渡せるようだが、強い陽射しが逆光になっているので、霞んでいて何が何だか判然としない。鉄塔の周りを仔細に観察しているkz氏をぼんやり眺めながら、私は紫煙を燻らせて休憩した。

送電鉄塔に至り、漸く登山詳細図のエリアに戻ってきた。等高線を見ると、あとは緩やかな勾配を20mも登れば終点である。平坦な踏跡を辿り、間もなく一本杉が青空を背景に聳えているのが見えた。今日の天気予報は、午前中の曇りからやがて雨になると云うものだったが、嬉しい誤算である。標高409.5mの三等三角点、赤ぼっこは厳密には山頂とは云えない位置に在るが、相変わらずの絶景である。先程通過してきた鉄塔を眺める。電線の無い鉄塔が、ぽつりぽつりと青梅市街に向かって点在している。無用の長物が存在感を示してランドマークになっている。其れが却って不思議な趣を醸し出しているような気がした。

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追記

帰途は登山道を要害山方面に歩き、此れも気になっていた手製道標「平道入を経て和田スポーツ広場」の分岐を下る。殆ど消滅しかけている斜面のトラバース道を歩くと、四等三角点の在るピークから延びる北東の尾根に乗り上げた。其の儘尾根上を軽快に下り、途中の標高300m付近で北西に分岐するトラバース道に入るが、踏路は途中で消滅していた。尾根上に戻り、実直に下り続けて、標高250m付近で崖状になった。東側の緩やかな斜面を無理矢理下り、取水装置が設置された沢に降り立った。其の儘作業道が整備されているのを辿り、馬引沢林道に合流した。

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別記

2014年12月の山歩き。

2014/12/9
宮ノ平駅(13:20)-----和田町一丁目-----馬引沢林道-----馬引沢峠-----赤ぼっこ-----天狗岩-----要害山-----神明神社-----宮ノ平駅(16:00)

2014/12/15
梁川駅(8:40)-----月尾根沢-----立野峠-----倉岳山-----高畑山-----鳥沢駅(14:50)

断章的に。三頭山避難小屋・日ノ出山北尾根再訪・宝珠寺から小仏城山

Sasusawa

2014/11/15

奥多摩湖バス停(8:10)-----サス沢山-----惣岳山-----小河内峠(11:40)-----月夜見山-----風張峠(13:15)-----鞘口峠-----三頭山(15:10)-----三頭山避難小屋(16:00)

kz氏が三頭山の山頂で登山詳細図の販売を行なう為に、泊り込みで滞在していると云うので、陣中見舞いを兼ねて訊ねることにした。余り早くに到着しても手持ち無沙汰なので、午後二時くらいに登頂できればよいと考えた。其れで奥多摩湖バス停から大ブナ尾根経由で延々と稜線を歩いた。好天に恵まれ、サス沢山では思いがけない眺望が開けて満悦する。月夜見第二駐車場に到達した後は、奥多摩周遊道路に邪険にされながらのルートが続き、疲労感が増してくる。風張峠から落ち着いた雰囲気になるが、三頭山迄の道程は遠く、予定よりも一時間遅れて到達した。遅い時刻故か人影も疎らな山頂にkz氏が居て安堵する。ふたりで下山し、私は初めての避難小屋泊を体験する。同宿は年配女性のふたり組で、お互いに気を遣いながらの食事、就寝となった。極寒ではあったが、想像していたよりも快適に一夜を明かすことができた。しかしテントに比較して考えると、やはり見知らぬ者と雑魚寝するのは神経に障る。単独ではとても実行できないだろうと思った。

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2014/11/16

三頭山避難小屋(8:00)-----三頭山-----三頭山避難小屋-----ムシカリ峠-----三頭ノ大滝-----檜原都民の森(12:50)

朝の三頭山から眺める富士山は存外に素晴らしかった。昨夕の黄昏も良かったが、澄み切った空気感の果てに、奥多摩から富士山の裾迄見渡せると云うのが意外だった。午前九時を廻って、漸く登頂者が現われるが、まだまだ閑散としている。あと一時間で下山して、麓で打ち上げでもしようとkz氏が云うから、単独で何処かを巡って下山しようと思っていた私だったが、彼に付き合うことにした。そんなところに、NZ氏が登頂してきた。午前中に販売終了では早すぎると諫められてkz氏が逡巡を始めたので、どうするのかと思ったが、結局十一時頃迄山頂に居て、三人で下山を開始した。避難小屋にデポしていた荷物を回収して、最短の三頭ノ大滝経由で下山する。都民の森駐車場からバスに乗ろうとしたら、kz氏が知人の車で帰ると云うので、NZ氏とふたりで帰途に就くことになった。武蔵五日市駅周辺の饂飩屋でNZ氏と打ち上げ後帰京。

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2014/11/19

沢井駅(7:10)-----澤ノ井園-----神路橋-----光仙橋(8:30)-----日ノ出山北尾根-----日ノ出山(10:30)-----長尾平分岐-----七代ノ滝-----岩石園-----綾広ノ滝-----御嶽神社-----御岳山駅-----丹三郎-----古里駅(14:50)

好天が続くので、ふたたび奥多摩方面に向かう。明確に行先を決めずに出かけたので、惰性の儘澤ノ井園から御岳渓谷を歩き始めた。其れでも気持ちが定まらないので御岳橋手前の休憩所でカップ麺を作り朝食にすることにした。近辺に棲みついていると思しき野良猫が文字通りの猫撫で声で近づいてきて媚態を披露するので面食らう。碌に施しを貰えないと知ったらぷいと踵を返して去っていった。

Mitakecat

神路橋を渡り、久しぶりに日ノ出山北尾根を登ることにした。光仙橋から尾根を回りこんで登って行く風情は相変わらずだが、瘤を越えたら一面が伐採されていて驚く。御岳山ケーブルと、琴沢林道に挟まれた尾根を一望できるようになっている。前回歩いた青梅奥多摩境界尾根が右手に聳えている。北尾根の踏跡は勿論明瞭で、林業事業者の設置したロープが連なっているから、立派な登山道と化している。

Kitaone

午前中なので閑散としている日ノ出山で眺望の休憩を取って、御岳山へと進路を向けた。長尾平分岐から七代ノ滝に急降下して、ロックガーデンを周回する。紅葉も然程ではなく、谷筋の薄暗い道は余り気持ちの良いものではなかった。此処はやはり新緑の季節や、酷暑の真夏に訪れるのが適切だと云う気がする。

Rockgarden

御嶽神社に参詣してから、ケーブル駅に立ち寄り休憩後、丹三郎尾根を経て下山に掛かる。尾根から外れて直ぐに、林道工事の為に登山道は通行止めと書かれていて驚く。更に驚いたのが、臨時迂回路として、尾根をトラバースしながら、支尾根が分かれる箇所に向かって立派な登山道が設えて在ると云うことだった。トラロープを両サイドに張り巡らせて、進路が示されている。通行止め箇所が復旧しても、此の迂回路は其の儘登山道として充分機能するので、丹三郎コースは二手に別れて選んで登れるものになるのだろうか、などと考えながら下山した。しかし、延々と黄色いロープに挟まれて歩くのはぞっとしない。

2014/11/22

小仏バス停(11:15)-----宝珠寺-----510mピーク-----小仏城山(12:40)-----小仏峠(宴会)-----小仏バス停(16:30)

「奥多摩登山詳細図西篇」完成記念と云うことで、ふだん販売している小仏峠で関係者が集まり、酒宴を開催されることになった。NZ氏から、何処かバリエーションルートを経由して一緒に登ろうと誘われたので、最も体力を消耗しそうにない、宝珠寺から取り付く尾根を登ることにした。NZ氏は高尾山周縁の尾根を殆ど歩いているので、案内を乞う形になった。霊園の奥から急激な斜面に入り、微かな踏跡にステップを刻んで尾根を直登する。最初は疲弊するが、尾根に乗ってしまうと楽になる。510mピークでゆっくり休憩しても、城山から日影沢に延びている尾根が直ぐ其処に見えるから、小仏城山はもう近いと解る。標高560m辺りで瘤を越えて、ふたたびの急登が始まるが、其れも直ぐに終わる。すると、前方から嬌声が聞こえてくる。間もなく登山道に合流して、小仏城山に到着した。小仏峠で愉しい時間を過ごし、皆で高尾駅に移動して酒宴の続きが行なわれた。私は酩酊して、帰途の電車で眠りこけてしまい、帰宅したのは深夜になった。自業自得で、翌日から体調を崩したので、暫く出掛けられなくなった。

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青梅奥多摩境界尾根

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奥多摩東部登山詳細図」に載っている境界尾根を歩こうと思い立った。此れは御岳山ケーブルカーが通っている尾根の、ひとつ北側に併行している尾根である。奥武蔵の飯能市横瀬町境界尾根を登った余勢で、此のような思いつきが浮かんだのだろうと思うが、奥多摩の何処かに行こうとしてさっぱり行く先が決まらないので思いつきに従うことにした。奥多摩東部登山詳細図を見て、初めて知った此のルートは、青梅市と奥多磨町を隔てる尾根として存在は明確なのだが、登山道はもちろん整備されていない。登山口の目印は「北島氏宅」となっていて、何のことかと思うが、裏面のコースガイドには、「取付き点にある北島氏宅敷地をご好意で通過させて戴く」と書いてある。


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2014/11/12

沢井駅(7:45)-----澤ノ井園-----神路橋-----北島氏宅(9:00)-----青梅市奥多摩町境界尾根-----大塚山(11:20)-----広沢山-----金毘羅神社(13:20)-----鉄五郎新道-----寸庭橋-----古里駅(14:30)

出発した頃の都心では雨も降り出したが、今日の天気予報は「曇りのち晴れ」となっていて、其れだけを頼りに青梅迄やってきた。曇天の、おそらく植林だらけであろう境界尾根だけを歩くのは詰まらないだろうと考えて、沢井駅で下車し、御岳渓谷の遊歩道を散策しながら向かうことにした。空は相変わらず鉛色で、行楽客の姿は無い。尤も、こんな天気だが青梅線の電車には多くのハイカーが乗っていた。御嶽駅で下車して、ケーブル駅行きのバスに乗り換える客が殆どだろうと思われる。お陰で誰にも会わない儘、錦秋の多摩川沿いを歩くことができる。

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神路橋を渡って、吉野街道に上がって、大鳥居を傍目に車道を歩いて行く。大型トラックが轟音を立てて通り過ぎる都道45号線から早く離れたいと思うが、目印の北島氏宅に到達する迄我慢しなければならない。程無く、詳細図に載っているポイントの「日原20km看板」が見えて、其の向かいの高台に建っている民家への舗装路が在る。其処を登っていくと、なるほど民家の軒先の広場の一角に、ネットで遮られた尾根の入口が在った。民家の敷地を恐る恐る通過し、ネットを外して進入していくと云う、物見遊山のハイカーにとっては神経を遣う障壁ではあるが、入ってしまえば其処はもう何の変哲も無い裏山である。

等高線の通りに、尾根が続いている。登山者の為の緩衝ジグザグ道などは無いので、急勾配を一直線に登っていく。明瞭な踏み跡が続いており、尾根をひたすらに辿り続けるだけである。急登が終わり、先ず最初の等高線が閉じている452mピークに達するが、杉林が立ち並ぶ鬱蒼とした処だった。鞍部に向かって少しだけ下り、ふたたび尾根の勾配が現われる。此の辺りも、登り始めに匹敵するような急傾斜が続く。予想通り、周囲は植林だらけの光景だったが、想定外なのは霧雨が降り始めたことであった。天気予報はどうした。私は独り言を呟きながら、急勾配をゆっくりと登る。脹脛が硬く膨張しているような気がする。苦悶の息遣いで、無心で登り続けた。

右手から支尾根が近づいて来た。梅沢へと分岐する尾根である。此処迄全く色彩の無い植林帯の中を歩いて来たが、漸く奥多磨町側が黄葉の色を増やしてきている。尾根が合流した処から、少しだけ進んだ処が二番目の583mピークである。頂上は植林帯だが、西側には霧がかった黄葉の尾根が薄っすらと樹林越しに垣間見える。499m点の在る低い尾根の向こうに、丹三郎からの登山道が通る尾根が見える。天候は曖昧だが、霧雨は止んでいる。此処で小休憩を取る。ちなみに、此の583mピークには、細い自然林の幹に黄色いテープが巻いてあり、山本山と記してあった。筆跡から見て官製ではないようなので、そんな山名が在るのかと思うが真偽は定かではない。

583mピークから急傾斜を鞍部に下りて、再度の登りになるが、此処からは比較的緩やかな勾配になった。奥多摩サイドの黄葉は疎らになり、無味乾燥な植林帯の様相に戻っていった。青梅側からは、スピーカー越しの声が聞こえてくる。現在位置を勘案すると、麓の滝本駅のアナウンスのようであった。無人の山の中をひたすらに登ってきたような気になっているが、ケーブルカーの起点に漸く達したと云う訳である。しかし、境界尾根は既に終盤を迎えている。梅沢方面からの尾根がまたひとつ近づいてくると、ひと登りで700m圏のピークに達した。

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尾根が合流すると、奥多摩側の景色が広がり、気分は晴れてくる。植林と自然林が混在した斑模様の尾根が、霧を纏っている。丹三郎の尾根は、直ぐ其処まで近づいてきていた。小鞍部から登りに掛かった処で、伐採作業の機械音が聞こえてくる。程無く、踏路の先に林業作業員が立っているのが見えた。驚いているのは勿論向こうの方である。精一杯の愛想と共に挨拶をして、立ち話をした。精悍な顔付きの、40代くらいの男性だった。何処から来たのかと訊かれて、此の尾根を吉野街道から登ってきたと答えたら、そりゃ急だったでしょうと云って驚いていた。林業作業員は、梅沢からの林道が此の辺りの山肌迄通じているので、其処から入るのだと云った。地形図では確認できないが、古くからある林道が存在しているようであった。

標高750m点から最後の勾配が始まる。丹三郎尾根はもう見上げる程に近い。其処に収斂されていく我が境界尾根は、徐々に斜度を鋭くしながら、踏跡も不明瞭になっていった。丹三郎尾根に合流する直前に、支尾根が派生している箇所が在り、其処に到達したら、其の先に明確な踏路は無く、斜面を攀じ登るようにして明るい稜線に出た。丹三郎からの登山道は、やはり靄が掛かっているが、自然林の黄葉が周囲を明るくさせている。

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合流点は尾根上の瘤になっていて、中ノ棒山と云う名が付いているようだが、格別のことも無い。奇を衒い市町境界の尾根を登ってみたが、秋の色を濃くする登山道に出て、漸く山の風情を堪能できることになったようである。平日故か、人の影が全く無い丹三郎尾根を辿り、大塚山の頂上に到達した。霧の中に、電波塔の足元だけが、ぼんやりと浮かび上がっていた。



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追記

帰途に取ったルート。広沢山から金毘羅神社の、越沢の崖上を歩くのは久しぶりで、下るのも初めてだから、新鮮な気分だった。天候は曖昧な儘だったが、広沢山から崖マークの在る尾根に至ると、紅葉が点在する良景となった。対岸から眺める尾根が広がり、鳩ノ巣城山が、端整な形で聳えているのを見上げた。金毘羅神社の奥ノ院が在る、滝見台に立ち寄るが、潅木で眺望は利かなかった。次いで、越沢バットレスの最終地点である崖っぷちにも立ち入ってみる。恐る恐る谷底を覗いたら、目が眩み、カメラを持つ手が震えた。鉄五郎新道を、寸庭の集落迄歩く。秋枯れの山道を歩いて来たが、鉄五郎新道は草叢の繁茂する鬱陶しさで、余り歩かれていないような印象を受けた。下山後、全くの偶然で、登山詳細図世話人氏から連絡を戴く。都下某所で落ち合い、一献を傾けた。

イソツネ山・沖ノ指・小中沢

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奥多摩駅から奥多摩湖へ向かう青梅街道は、左右に険しい山々を見上げながら、激しく蛇行する多摩川に追随するように続いている。時折現われる隧道の多さが、此の道程の険しさを感じさせる。バスに乗って車窓を眺めていると、山奥に分け入っていると云う実感が湧き起こり、やがて別世界のような広がりが見渡せると、人造湖を形成する小河内ダムが見えてくる。車窓は此処で新たな展開を見せる。山行きバスの趣である。

2014/7/12

梅久保バス停(8:30)---イソツネ山---沖ノ指---小中沢(沖ノ指クボ)---三ノ木戸---城---奥多摩駅(15:30)

登山者たちでぎゅうぎゅう詰めの、土曜日の朝の峰谷行きのバスに、私とkz氏は揺られていた。随分早い時間に到着していたと思しきkz氏が座席を確保して呉れたので、小さいふたり用のシートに身を寄せ合って縮むようにして座って居る。今日の行程の参考資料をコピーしたものを見せて、kz氏がいろいろと説明して呉れるが、私は其れが余り頭に入らない。満載の乗客の圧迫感で落ち着かないのが原因で、しかも私の膝に臀部を押し付けてくるのが若い女性なので、さらに落ち着かない。

山行きバスの醍醐味である、山峡を抜けて奥多摩湖へと至る車窓を愉しむことなく、我々は降車の準備をする。境橋で数人が下車した。御前山に向かう登山道に近いバス停である。境橋を出ると次は梅久保。そんなバス停があることすら今迄知らなかったが、kz氏と私は此処で降車する。ひしめき合う人間とザックを掻き分けて、懸命にバスを降りた。

バス停はまったく人家の類が見えない街道の途上で、石灰を運ぶダンプカーが断続的に疾駆して通り過ぎる恐ろしい場所だった。目の前に隧道があり、反響した轟音がいつまでも消えない。隧道が貫通している尾根が、急傾斜で多摩川に落込んでいる。今日は先ず、此の尾根に取り付いて、地形図に三角点の印がある846.2mピーク、イソツネ山に登る。

隧道に回り込むようにして、斜面の踏跡を難なく見つけることができた。最初の傾斜を登りきると、祠が鎮座している。其の傍らから歩きだすと、其処はくだんの隧道の真上だった。開けた風景の眼下は、かなりの高度感で、砂礫の道を転倒しないように慎重に歩く。転げ落ちたら最期である。程無く植林帯の急勾配が始まり、我々は無言で其れを登り続けた。

私はkz氏所有のロードメジャーを転がしている。今日の山歩きも「登山詳細図奥多摩西部篇」の踏査なのである。昭文社「山と高原地図」に載らない登山ルートを踏査して網羅する「登山詳細図」に梅久保からの登山ルートが載れば白眉の出来と云える。そんな思い込みで、いきなりの急登を登り続けた。足元はしっかりとしている。

尾根は明瞭に一本道で、見上げれば延々と上に向かって続いている。右手は植林帯が広がり、左手も同様だが、直ぐに山肌が急降下しているようで、青梅街道と多摩川が遡上していく雰囲気が窺える。しかし眺望は無い。道に迷う心配は無いが、ひたすらに続く急登を見ると、少しだけ意欲が減退していくような気がした。

急登が一旦終わり、緩やかになった処が528m地点で、左手に広がる伐採された山肌に向かって延びていく作業道のような踏跡が見える。我々は、勿論尾根の上を登り続けた。途中、露岩が突出している箇所が現われ、其れを合図に休憩を取る。kz氏は、岩塊を見ると近寄っていき、丹念に其の形状を調べている。穴かと思ったらそうではなかった、と云うようなことを頻繁に口にする。洞窟のようなものを発見することに意欲があるようだ。洞穴を見つけると云うことが、山の調査では意義の深いことなのだろうか。私は、私自身が理解していない価値観があるようだと云うことに興味が湧いたのだが、其れをkz氏に訊くのは止めておいた。私は、休憩することだけにしか、専念できなかったからである。此の急勾配の連続は、想像以上に私を疲弊させていた。

いつしか周囲は広葉樹林に囲まれていて、立派な巨木が林立している。イソツネ山に辿り着く直前に、東西に走る尾根に乗り上げる。此れは六ツ石山から南下して、トオノクボから東に分岐する榛の木尾根と呼ばれる尾根である。先に登りついていたkz氏が、あそこが頂上だよと、左手の盛り上がったピークを指している。榛の木尾根に立つと、彼方に立派な山なみが聳えているのが見渡せた。雲取山から延々と氷川迄連なる、石尾根である。其の連なりに、ひと際雄大な台形の山が盛り上がっている。此れが三ノ木戸山で、数週間前に訪れた平坦な広いピークの山である。小中沢を隔てた榛の木尾根から眺めると、立派な山容であることを初めて認識できる。

イソツネ山の頂上は、少しだけ樹林が伐り拓かれていて、植物が繁茂している雑然とした雰囲気の場所だった。三角点の石柱は黒ずんで煤けている。手作りの山名標が朽ちかけている。三角点から外れた処に、居心地のよい木陰があって、其処で休憩した。三ノ木戸山の山肌に、一軒の家屋があり、其れが遠近法を無視したかのように大きく見える。あれが三ノ木戸の集落だと、kz氏が教えて呉れる。山腹に、目を凝らして見ると、樹林帯にひとつの筋が切ってあり、其れが氷川方面に続いている。途中に家並みが集まっている処がある。城の集落だよ。またkz氏が教えて呉れた。刻まれた筋が、三ノ木戸林道なのであった。

さて、梅久保から尾根を直登してイソツネ山に登ると云う踏査は達成した。これからどうするのかと云うと、前回、私とNZ氏が発見できなかった、石尾根の途上から寺地に下る、地形図の破線を探索しようと云うことになっている。石尾根から分岐する地点は峰畑峠と云い、其の地点は、地形図の破線が分岐する処よりも、少し氷川寄りにあるらしい。全てkz氏の調べによるものである。目の前に聳える石尾根に行くのだが、尾根に忠実に歩くとすれば、六ツ石山を経由して、遠回りせざるを得ない。其れはしんどいので、眼下の谷に下りて、小中沢を渡り、三ノ木戸集落に出て、城集落から峰畑峠に登ると云うことになった。

榛の木尾根をぐるりと廻るのも遠いが、谷底に下りて向かいの山に登り返すと云うのも、考えただけで疲れるような案である。梅久保からの途上で、あまりにも疲れたら、三ノ木戸から氷川に帰ろう、などと会話していた我々だったが、今、目の前に石尾根を眺めて、其れはもう既定路線と云うような雰囲気になっていた。しかし、此処から直截的に小中沢に下降することはできない。榛の木尾根を登り、途中の1041mピークである、沖ノ指を越えてから、谷へ降りる道がある。だから、ふたたび尾根を登り続ける。

北西方向に延びる尾根の上は、岩塊が連なっている。其れを避けてトラバースしようとすると、見通しのよい場所故の夥しい藪が広がっている。もとより、尾根の上を回避するつもりは無いから、岩の隙間を慎重に進んで行く。北アルプスの練習だあ、と、kz氏が笑っている。岩場の左側は崖状になっていて、谷底の気配が陰気に広がっている。イソツネ山に登頂して弛緩していた身体に、改めて緊張感が走って硬くなっていく。そんな気がした。

岩尾根を辿り、鬱蒼とした樹林帯を抜けたら、眩い広がりの光景になった。場所は、境橋から続いてきた地形図の破線が、榛の木尾根に合流する地点である。ふたたび石尾根が見渡せる良景だが、周囲は背丈くらいの藪が広がっていた。分岐点にイソツネ山への指標が在る筈、と云って、kz氏は周囲を探索しているが、発見は出来なかった。其れでふたたび先に進まねばならないが、藪だらけで先が見えない。踏跡らしきものを足元で探し、藪を掻き分けながら進んでいった。

見上げると尾根は真直ぐに聳え、登って行く方角は明確だから、必死に藪を漕いでいく。繁茂した叢によって、剥き出しの二の腕が次第に掻痒感に苛まれていく。痒いです。痒いよお。と、ふたりで叫びながら行進している。そんな時、遥か彼方で人の声がした。何か叫んでいる。一瞬、山の地主が我々を見つけたのかと思ったので、ふたりで目を見合わせた。怒られているのかな、などと云っているうちに、また声がした。

叫び声の内容が判然としてきた。此の先に道があるのかと云っている。後ろからやってきたハイカーのようである。其の儘藪を進むしかない、kz氏が呼びかけるが、声の主は、其処で待っていてくれ、と叫んでいる。榛の木尾根を登ろうと云う程の者にしては、随分軟弱なことを云っている。こちらも未だ藪を脱出している訳ではない。植物が繁茂した見晴らしのよい尾根の上は、灼熱の陽射しが降り注いでいる。待ってられないよと、思わず私は口にして、kz氏に目で合図をして、先を急いだ。樹林帯の入口に漸く辿り着いて振り返り、くだんの軟弱氏の様子を窺う。なんとか進んでいるようなので、其の儘抛っておいた。

木陰の山道になり、安堵して登り続けたら、小さな祠が祀ってあった。榛の木尾根は漸く落ち着きを取り戻したようで、明瞭な踏跡が続いていた。暫くすると、登山道が目の前の斜面を右に迂回するような形になっている。石積みの焼窯跡が在る処で、此処から踏跡を無視して、目の前の斜面を登る。ピークは視線の先に窺えるが、久しぶりの急登である。喘ぎながら登り、頂上に着いた。周囲は岩で囲まれていて、鬱蒼としている。山名標があって、沖の字が朽ちていて、中ノ指、と記してある。此処が1041mピークの、沖ノ指だった。

軽い食事を摂り、大休止をして、沖ノ指を降りることになった。岩山のピークの、直ぐ北側に尾根全体が広がっていて、トラバースの登山道が見える。其れに合流した処に、ひとりのハイカーが座り込んで休憩していた。勿論くだんの軟弱氏で、疲れきった様子で座っている。境橋から登ってきたと云う疲弊の極みのような軟弱氏とは話が弾まず、我々は早々に出発した。

西北に延びる榛の木尾根は、実直な登りの連続になった。標高1100m付近で、ふたたび北面の風景が広がる。其処は地形図の破線が、尾根の南面に捲いていくのが記されている地点であった。そして、漸く現われた、小中沢へと尾根が分岐して落ちていく地点でもある。kz氏は暫く周囲と地図を凝視していて、進路を確認している。持ってきた資料である、「新ハイキング」誌に掲載の松浦隆康氏によるガイドを読む。此れは小中沢から周縁の尾根迄を巡る幾重もの踏跡が克明に記されてあるもので、微細な記事である。読んでいると頭痛がしてくる程に細かい。其の、現在居る榛の木尾根途上地点に至る部分を探して読んでみると、目印は用地境界標の番号であった。小中沢から榛の木尾根迄を辿る尾根の途上にある境界標は、1070m付近にある、556番であると記されていた。

其れで、分岐している急勾配の尾根を下りて、境界標を探した。松浦氏記述の頃から年月が経っていて、新しい境界標があり、番号が全く関連性の無い数字だったので一瞬躊躇したが、程無く556番の古い標柱を発見することができた。其れで安堵して、勾配を下げていった。右手の視界に、榛の木尾根が遠ざかっていく。ジグザグに切ってある道は明瞭で、想定外の歩き易い道である。左手に沢の音を感じるようになった頃、西に延びる金山沢から続く踏跡に合流した。道はその後、尾根を大きく跨ぐように、反時計回りのように辿り、トラバースしながら小中沢の濠音が聞こえる方へと下りていく。

榛の木尾根の上から小中沢の底に辿り着いた。其処には木橋が渡してあり、上流を眺めると滝状になっている。其れが濠音となって山腹まで轟いていたと云う訳であった。せせらぎの傍らには石を積んで水を呼び込んでいる山葵田が設えてあり、其の上の三ノ木戸側に、モノレールの軌道が走っている。宮内敏雄著「奥多摩」の概念図に記されている、沖ノ指クボ、が此処だと思われる。kz氏と私は、此処で大休止を取り、畔に下りて汗に塗れた顔を洗い、藪を漕いで痒く不快だった腕を洗った。

木橋を渡り、三ノ木戸方面に辿る道を行くと、夥しい倒木で道が塞がれていた。大雨の土砂崩れの所為だろうが、倒木の群はモノレールの軌道を破壊し、山葵田の一部にも突き刺さるようにして折り重なっている。勿論山道も寸断されているので、其れ等を跨いだり潜ったり、一部を高捲いて、難渋しながら通過した。

崩壊地点を過ぎて、山肌に沿う道を諄々と辿る。余り下っているように感じないトラバース道だが、気がつくと右手に在った小中沢が、遥かに下方を流れている。沢に至る山肌は、断崖となっているのだろうと察せられる。地形図にも崖のマークが記されている。

地形に忠実に、山肌の起伏を蛇行しながら横切って歩く。途中に、見所として詳細図に記したいくらいに立派な大岩があった。其れを通り過ぎると、左手の上の方から、道が合流してくるのが見えた。三ノ木戸山からの登山道だよと、kz氏が教えて呉れる。其れと合流してくると、前方に極端な高床式の建造物が見えてきた。対岸から見えた大きな家である。山道が終わり、舗装路の終点に出た。其処が三ノ木戸であった。

豪奢な別荘と思しき家が一軒だけ存在するのが三ノ木戸集落と云う訳のようで、林道終点の地点からは、出来すぎのような山々の風景が広がっていた。鋸山、天地山、御岳山、そして鳩ノ巣城山が並んでいる迄を見渡せる。別荘の為に伐り開いたのだとしたら、豪勢なことである。

其の景勝ポイントに座って、暫く茫然として休んだ。峰畑峠はどうしよう。kz氏が窺うようにして云う。もう帰りましょう。私が云うのを、想定内と云った感じで、kz氏が頷いた。そうして、長い道程で、氷川に戻った。


Sanukidos

補記

帰途の途中、城の集落から山道に入り、地形図の破線通りに歩き、林道へのバイパスとする。羽黒三田神社の境内に下り着こうかという処で、左に分岐する山道があり、奥多摩駅に繋がる舗装路に出るからと云うことで、kz氏が踏査も兼ねて歩こうと云うから従うことにした。道は神社の在る尾根から外れて谷へと下っていき、沢沿いに下って行く道だったが、著しく倒木があり、最後の最後で困難な道程となった。梅久保からイソツネ山に登る途上の落石負傷未遂事件があって、餃子を奢って貰うと云う約束は取り付けてあったが、最後の難路でふたたび藪に塗れて腕が痒くなったので文句を云ったら、kz氏が、麦酒も奢ると云ってくれたので、納得して奥多摩駅前の食堂に到着した。結局、kz氏に全部奢って貰うことになってしまい心苦しく思うがまあ止むを得ない。感謝の念とともに丁度良く出発するホリデー快速で帰途に。抗えない睡魔に襲われ、立川で朦朧としながらkz氏と別れた。

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