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隔週で富士登山。馬返から佐藤小屋テント泊経由の吉田ルート。(前篇)

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吉田口ルートでの富士登山は一年前に敢行した。佐藤小屋にテントを張り、深夜に軽装で出発すると云う計画は其れ程無理の無い行程の筈であった。次男の罫君とふたり登山の予定だったが、友人の親子と計四人での登山となり、其れが結果的には著しく遅いペースで登頂した要因となった。そんな苦行の混じった山行だったが、富士山駅から馬返バスを利用することで、テント装備でもストレスは少なく、一合目から五合目迄登ることができるのを実感した。一度通った道である。今回は同じ行程で、大学生になって九州に住んでいる長男の叡君が帰省しているので、一緒に登ることにした。

夏季休暇中の八月十九日に出発と日程を設定していたが、叡君の都合により、其の二週間後に実行、と云うことになった。次男の罫君とは、前穂高岳富士山に登頂したが、叡君とふたりと云うのは珍しく、十九歳にもなって、父親との山登りに付き合って呉れるだけでも僥倖と考えなければならない。私は非常に昂奮し、装備の準備に没頭していた。出発日が順延となり、当初の日程が白紙となってしまったが、私にはさしたる用事も無い。其れで、下見を兼ねて、と云う理由付けを無理矢理自分に云い含めて、ひとりで出掛けることにしたのである。

Umagaeshi

2018/8/19-20
馬返(11:00)---三合目(12:00)---御座石(12:45)---佐藤小屋(13:20)(23:20)---七合目・日の出館(0:50)---八合目・太子館(1:55)---元祖室(2:55)---富士山ホテル(3:30)---御来光館(4:10)(4:50)---六合目(6:40)---佐藤小屋(7:10)(13:00)---一合目(14:00)---馬返(14:20)

大月駅での乗り換え時間は僅かだったが、急いで構内の天麩羅蕎麦を食してから、富士急行のローカル鉄道に乗車した。登山姿の客は無く、若者の観光客が目立つが、鉄道で移動する人は多くは無いようであった。のんびりした心持ちで、満腹になったので微睡みながら電車に揺られ、順調に富士山駅へと移動した。

大量輸送を想定していない馬返バスは、大きめのワンボックスカーを使用しているが、今日は存外に利用客が多かったようで、私とひと組の男女計三名が定員オーバーとなって取り残されてしまった。どうなることかと思って様子を見ていると、富士急バスの職員が増便の手配を無線で行なっている。程無くやってきたのは、セダンタイプのタクシーだった。私は助手席に座り、富士急山梨ハイヤーは軽快に速度を上げて、中ノ茶屋で先行する馬返バスに追い着き、追い越して馬返に先着した。料金はバスと同額で、結果的には随分得をしたような気分になった。ふたり組みの男の方の饒舌が耳障りだったが、まあ仕方が無い。

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単独行なので直ぐ出発する。馬返バス停から歩き始めて間も無く、大文司屋のお休み処が現われる。素通りし難い程、愛想のよいスタッフの声掛けに、止むを得ず麦茶を御馳走になる。其処からは、勝手知ったる他人の家の如く、順調に吉田口一合目からのルートを淡々と歩いていった。五合目迄の日帰りハイカーの集団が存外に多く、三合目の見晴茶屋跡は大盛況であったが、此れも知見により回避し、少し登った先の、誰も居ない眺望のある広場で休憩した。一年前の所要時間が約四時間だったが、今回は二時間二十分で佐藤小屋に到着した。

受付を済ませて、幕場に降りていく。奥の方にひとつ、既にテントが張ってあった。私は淡々とエアライズを設営し、早い時刻だが焼肉と麦酒の孤独な酒宴を行なう。焼肉は本番である叡君との富士登山に於ける予行演習でもある。ひとりで飲食しても面白いことは無く、早々にシュラフに潜り、ウヰスキーを舐めながら本を読んでいると好都合な迄に睡魔が襲ってきた。出発は23時台なので、一時間前に起床のアラームを設定してある。此れなら六時間以上眠れる筈である。そんなことをぼんやり思いながら、私は眠りに落ちた。

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ごく自然に覚醒した。充分な睡眠をとったような気分だったが、テントの外は未だ明るい。時計を確認すると、三時間ほどしか経っていない。がっかりして寝直そうとするが其れは果たせず、私はテントを這い出して、佐藤小屋前のテラスに向かった。麓の河口湖と、背景に在る筈の御坂山塊は雲海に覆われている。海に浮かぶ島のように、奥秩父の高峰群が、遠くに並んで聳えている。地平線の境界から照射される、落日の色が混淆して、天井には鈍重な色の雲が広がっていた。小屋から少し離れて、富士山頂を見上げる。煌々と光る月が、富士山をシルエットにして輪郭を表出させている。登山道に沿って光源が点在しているのは、七合目から連なる山小屋群のものだろうか。

テントに戻り、ふたたび眠ろうとするが、断続的に覚醒してしまう。午後十時を過ぎた頃、諦めて出発の準備に取り掛かった。大容量ザックのクレッタルムーセンHuginに、防寒着と最小限の食糧と飲料を入れる。レインウェアのジャケットは着用して出発する。下半身はサポートタイツと、マーモット製のハーフパンツで、普段の低山登山と同じ恰好である。防寒用はレインウェアのパンツを充当する。必需品の入ったスタッフバッグには、ヘッドランプの予備と、雪山用に購入したミトン、そして被るだけのツェルト、Emシェルターが入っている。

Fuji_pr4

話は此処で唐突に、八合目付近迄飛ぶことにする。深夜に出発して、一年前と同じように、暗闇の経ヶ岳を経て六合目に達し、其処から整地されたジグザグの登山道を黙々と登ってきた。麓の夜景が明瞭に見渡せるので、単調な道程も苦にならない。単独行のペースは順調で、八合目の太子館に到達したのは午前二時に近い頃であった。一年前は此処に至る前の山腹の途上で、払暁の光芒を眺めた。今回は、前回よりも二時間以上は速いペースで、歩いていることになる。

全てが順調のように思われた。しかし、其れから一時間後に到達した元祖室辺りから、気温が急激に下がっていくような気がした。レインウェアが風に吹かれて、ぱたぱたと音を立てる。ずっと眺めていた河口湖町の夜景が、霧の膜を通して、薄っすらと浮遊している。標高3300mを越えて、周囲は霧に覆われ、風が強まり、雨滴が落ちてくるようになった。天候が変わった訳では無く、其のような状況のエリアに踏み込んできたと云うことなのだろう。

本八合目の富士山ホテルで、更に状況は悪化した。小屋の灯りの周囲には人が群がっている。蠢く霧の流れに乗って、雨滴の量は増してきていた。一様にレインウェアの身体を丸めて佇んでいる登山者たちの中で、ひとりの白人男性だけがTシャツに短パン姿で、喚くようにして声を上げている。雨に濡れて、指先が冷えてくると、全身に疲労感が染み渡ってくる。オーバーグローブのミトンを装着すると、実に効果的だった。私は、鬱屈した人混みを掻き分けて、先に進むことにした。

暗闇の中で砂礫の勾配を登っていくにつれて、風は強くなっていった。登山のペース配分は、申し分の無いものだった。しかし、登攀の意欲は、減退していくばかりであった。最後の山小屋、御来光館は、大勢の人が軒先に屯していた。富士山頂直下の風は勢いを増していて、小屋を離れた途端に直撃して来るので、とても前には進めない。登頂に向けて足を踏み出した若者たちが、ほうほうの態で引き返して来る。御来光館の軒先は人々で埋まり、腰を下ろして休むスペースが無い。体力と気力が、目に見えるかのように減退していくのが判った。

Fuji_pr5

所在無く小屋の前で佇立しているうちに、ツェルトを持ってきていることを思い出した。「身の危険が迫った時に素早く身を守りたい方には最適なアイテムです」という惹句のJuza製エム・シェルターは、厳冬期八ヶ岳登山の折に買い求めたものである。結局使用することはなく(使用する機会が訪れないことに越したことは無いのだが)、危機から身を守る実感は未だ体験できていない。此れは恰好の機会ではないかと思いついた。

小さく納まったポーチから取り出したエム・シェルターを広げて、御来光館の裏手に出た。途端に猛烈な風が襲ってきて、足元からふらついた。風の冷たさよりも、其の圧力の強力さに、恐怖を感じた。こんな吹き曝しの状況に、ツェルトを被っただけで、無事でいられるのだろうか。そう考えたのは一瞬のことで、私はあまりの暴風に、腰をかがめるようにして弱々しく座り込んだ。そして、直方体の底面が抜けている形状のエム・シェルターを、ザックを背負った儘、被った。

強風でばたばたと音を立てる袋の中で、私はザックを肩から外して対面に置いた。直方体の抜けた底面の淵を、臀部の下に敷いて固定する。対面の淵も同様にしてザックを置いて固定しようとするが、生憎の軽量使用であるクレッタルムーセンHuginがしっかりと立って呉れない。一計を案じて両脚を伸ばし、底面の淵の全てを巻き込むようにして座った。エム・シェルターは安定した。強風の圧力は感じるが、もう直截的に晒されることは無い。そして、中途半端に胡坐をかくような姿勢で、私はザックを抱いた儘、眠った。

気が付くと、風の勢いは止んでいる。時計を確認すると、凡そ三十分くらい眠っていたようだった。窮屈な姿勢の儘眠り続けて、身体が直ぐには動かない。膝を立てて、袋を被った儘、ゆっくりと立ち上がった。空に微かな青味が掛かっている。御来光館のテラスに戻ると、濃密な色の雲海の彼方から、朝焼けの朱色が滲み出してきていた。御来光館で御来光を拝むことになるのかと思ったが、太陽が顔を出す迄は、まだ時間が掛かりそうであった。

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夜明けの空を見上げる。富士山頂に向かって、登山道が続いている。天候が穏やかになり、登頂を目前に控えた登山者たちが登り続けている。順調なペースで此処迄登ってきた私は、強風をエム・シェルターで凌ぎ、滞留しているうちに、ツェルトの効用を実感できたと云うこともあり、すっかり満足してしまっていた。同時に、弛緩してしまった身体には、云いようのない疲労感が染み渡っていた。

視線を南に転じる。未だ薄暗い富士の斜面に、明瞭な軌跡が伺えた。ブルドーザー道を利用する、吉田、須走ルートの下山道である。其処に向かって、此の御来光館からエスケープ道が続いていた。其れを見て、私は唐突に、今日は此処で下山すると云うことに決めた。

本当の富士登山は、再来週に行なわれるのだ。馬返バスの増便、佐藤小屋の幕営、登山のペース配分、そして、八合目を越えてからの強風と雨。下見の登山としては、考えさせられることも多く、実利に適った結果となったではないか。私は、疲れてもう下山したいと云う、自分の裡にある欲求に、なんとか理由付けをしようとしながら、紫煙を燻らせて、エスケープルートの入口に立っていた。雲海のブルーが、徐々に明るさを増して、下山道が更に明瞭に映るようになった。そうして、私はゆっくりと、下山を開始した。


Fuji_pr6

追記

下山道に合流すると、未だ御来光前にも係わらず、下ってくる人が存外に多いのが意外だった。若い人が多く、女性グループは元気にお喋りをしながら歩いている。山頂での滞留が辛くて御来光前に下山しているのだろうか。私が下山道に入ったのは午前五時で、雲間から太陽が現われ、直射日光が差し込んだのは、其れから三十分後だった。実質的な御来光は、黎明の赤色が出現した時だったのかもしれない。

延々と続くジグザグの下山道だが、二回目なので覚悟していた所為か、其れ程苦には感じなかった。二時間程で佐藤小屋のテント場に帰還した。深夜の出発から累計で八時間が経っていた。テントに入ると、睡眠の欲求が湧いてきて、其の儘シュラフに潜り込んだ。アラームで目を覚ましたのが正午前で、四時間以上も眠った。

Fuji_pr7

身支度を整えて、馬返に下山する。佐藤小屋を出発して、直ぐに雨が降り出した。天候はやはり変わりやすいものと思われた。五合目の出発時刻から、馬返バス14:25発まで一時間二十分なので、間に合うのかと自分でも懐疑的だったが、半分は駈足で下り続けたら、一時間で一合目の鈴原天照大神社に到着できた。大文司屋のお休み処で麦茶をふたたびご馳走になり、ゆっくり降りると、雨の中で馬返バスがアイドリングを開始していた。乗客は私ひとりだった。


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