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2019年2月

隔週で富士登山。馬返から佐藤小屋テント泊経由の吉田ルート。(前篇)

Fuji_pr1

吉田口ルートでの富士登山は一年前に敢行した。佐藤小屋にテントを張り、深夜に軽装で出発すると云う計画は其れ程無理の無い行程の筈であった。次男の罫君とふたり登山の予定だったが、友人の親子と計四人での登山となり、其れが結果的には著しく遅いペースで登頂した要因となった。そんな苦行の混じった山行だったが、富士山駅から馬返バスを利用することで、テント装備でもストレスは少なく、一合目から五合目迄登ることができるのを実感した。一度通った道である。今回は同じ行程で、大学生になって九州に住んでいる長男の叡君が帰省しているので、一緒に登ることにした。

夏季休暇中の八月十九日に出発と日程を設定していたが、叡君の都合により、其の二週間後に実行、と云うことになった。次男の罫君とは、前穂高岳富士山に登頂したが、叡君とふたりと云うのは珍しく、十九歳にもなって、父親との山登りに付き合って呉れるだけでも僥倖と考えなければならない。私は非常に昂奮し、装備の準備に没頭していた。出発日が順延となり、当初の日程が白紙となってしまったが、私にはさしたる用事も無い。其れで、下見を兼ねて、と云う理由付けを無理矢理自分に云い含めて、ひとりで出掛けることにしたのである。

Umagaeshi

2018/8/19-20
馬返(11:00)---三合目(12:00)---御座石(12:45)---佐藤小屋(13:20)(23:20)---七合目・日の出館(0:50)---八合目・太子館(1:55)---元祖室(2:55)---富士山ホテル(3:30)---御来光館(4:10)(4:50)---六合目(6:40)---佐藤小屋(7:10)(13:00)---一合目(14:00)---馬返(14:20)

大月駅での乗り換え時間は僅かだったが、急いで構内の天麩羅蕎麦を食してから、富士急行のローカル鉄道に乗車した。登山姿の客は無く、若者の観光客が目立つが、鉄道で移動する人は多くは無いようであった。のんびりした心持ちで、満腹になったので微睡みながら電車に揺られ、順調に富士山駅へと移動した。

大量輸送を想定していない馬返バスは、大きめのワンボックスカーを使用しているが、今日は存外に利用客が多かったようで、私とひと組の男女計三名が定員オーバーとなって取り残されてしまった。どうなることかと思って様子を見ていると、富士急バスの職員が増便の手配を無線で行なっている。程無くやってきたのは、セダンタイプのタクシーだった。私は助手席に座り、富士急山梨ハイヤーは軽快に速度を上げて、中ノ茶屋で先行する馬返バスに追い着き、追い越して馬返に先着した。料金はバスと同額で、結果的には随分得をしたような気分になった。ふたり組みの男の方の饒舌が耳障りだったが、まあ仕方が無い。

Fuji_pr2

単独行なので直ぐ出発する。馬返バス停から歩き始めて間も無く、大文司屋のお休み処が現われる。素通りし難い程、愛想のよいスタッフの声掛けに、止むを得ず麦茶を御馳走になる。其処からは、勝手知ったる他人の家の如く、順調に吉田口一合目からのルートを淡々と歩いていった。五合目迄の日帰りハイカーの集団が存外に多く、三合目の見晴茶屋跡は大盛況であったが、此れも知見により回避し、少し登った先の、誰も居ない眺望のある広場で休憩した。一年前の所要時間が約四時間だったが、今回は二時間二十分で佐藤小屋に到着した。

受付を済ませて、幕場に降りていく。奥の方にひとつ、既にテントが張ってあった。私は淡々とエアライズを設営し、早い時刻だが焼肉と麦酒の孤独な酒宴を行なう。焼肉は本番である叡君との富士登山に於ける予行演習でもある。ひとりで飲食しても面白いことは無く、早々にシュラフに潜り、ウヰスキーを舐めながら本を読んでいると好都合な迄に睡魔が襲ってきた。出発は23時台なので、一時間前に起床のアラームを設定してある。此れなら六時間以上眠れる筈である。そんなことをぼんやり思いながら、私は眠りに落ちた。

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ごく自然に覚醒した。充分な睡眠をとったような気分だったが、テントの外は未だ明るい。時計を確認すると、三時間ほどしか経っていない。がっかりして寝直そうとするが其れは果たせず、私はテントを這い出して、佐藤小屋前のテラスに向かった。麓の河口湖と、背景に在る筈の御坂山塊は雲海に覆われている。海に浮かぶ島のように、奥秩父の高峰群が、遠くに並んで聳えている。地平線の境界から照射される、落日の色が混淆して、天井には鈍重な色の雲が広がっていた。小屋から少し離れて、富士山頂を見上げる。煌々と光る月が、富士山をシルエットにして輪郭を表出させている。登山道に沿って光源が点在しているのは、七合目から連なる山小屋群のものだろうか。

テントに戻り、ふたたび眠ろうとするが、断続的に覚醒してしまう。午後十時を過ぎた頃、諦めて出発の準備に取り掛かった。大容量ザックのクレッタルムーセンHuginに、防寒着と最小限の食糧と飲料を入れる。レインウェアのジャケットは着用して出発する。下半身はサポートタイツと、マーモット製のハーフパンツで、普段の低山登山と同じ恰好である。防寒用はレインウェアのパンツを充当する。必需品の入ったスタッフバッグには、ヘッドランプの予備と、雪山用に購入したミトン、そして被るだけのツェルト、Emシェルターが入っている。

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話は此処で唐突に、八合目付近迄飛ぶことにする。深夜に出発して、一年前と同じように、暗闇の経ヶ岳を経て六合目に達し、其処から整地されたジグザグの登山道を黙々と登ってきた。麓の夜景が明瞭に見渡せるので、単調な道程も苦にならない。単独行のペースは順調で、八合目の太子館に到達したのは午前二時に近い頃であった。一年前は此処に至る前の山腹の途上で、払暁の光芒を眺めた。今回は、前回よりも二時間以上は速いペースで、歩いていることになる。

全てが順調のように思われた。しかし、其れから一時間後に到達した元祖室辺りから、気温が急激に下がっていくような気がした。レインウェアが風に吹かれて、ぱたぱたと音を立てる。ずっと眺めていた河口湖町の夜景が、霧の膜を通して、薄っすらと浮遊している。標高3300mを越えて、周囲は霧に覆われ、風が強まり、雨滴が落ちてくるようになった。天候が変わった訳では無く、其のような状況のエリアに踏み込んできたと云うことなのだろう。

本八合目の富士山ホテルで、更に状況は悪化した。小屋の灯りの周囲には人が群がっている。蠢く霧の流れに乗って、雨滴の量は増してきていた。一様にレインウェアの身体を丸めて佇んでいる登山者たちの中で、ひとりの白人男性だけがTシャツに短パン姿で、喚くようにして声を上げている。雨に濡れて、指先が冷えてくると、全身に疲労感が染み渡ってくる。オーバーグローブのミトンを装着すると、実に効果的だった。私は、鬱屈した人混みを掻き分けて、先に進むことにした。

暗闇の中で砂礫の勾配を登っていくにつれて、風は強くなっていった。登山のペース配分は、申し分の無いものだった。しかし、登攀の意欲は、減退していくばかりであった。最後の山小屋、御来光館は、大勢の人が軒先に屯していた。富士山頂直下の風は勢いを増していて、小屋を離れた途端に直撃して来るので、とても前には進めない。登頂に向けて足を踏み出した若者たちが、ほうほうの態で引き返して来る。御来光館の軒先は人々で埋まり、腰を下ろして休むスペースが無い。体力と気力が、目に見えるかのように減退していくのが判った。

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所在無く小屋の前で佇立しているうちに、ツェルトを持ってきていることを思い出した。「身の危険が迫った時に素早く身を守りたい方には最適なアイテムです」という惹句のJuza製エム・シェルターは、厳冬期八ヶ岳登山の折に買い求めたものである。結局使用することはなく(使用する機会が訪れないことに越したことは無いのだが)、危機から身を守る実感は未だ体験できていない。此れは恰好の機会ではないかと思いついた。

小さく納まったポーチから取り出したエム・シェルターを広げて、御来光館の裏手に出た。途端に猛烈な風が襲ってきて、足元からふらついた。風の冷たさよりも、其の圧力の強力さに、恐怖を感じた。こんな吹き曝しの状況に、ツェルトを被っただけで、無事でいられるのだろうか。そう考えたのは一瞬のことで、私はあまりの暴風に、腰をかがめるようにして弱々しく座り込んだ。そして、直方体の底面が抜けている形状のエム・シェルターを、ザックを背負った儘、被った。

強風でばたばたと音を立てる袋の中で、私はザックを肩から外して対面に置いた。直方体の抜けた底面の淵を、臀部の下に敷いて固定する。対面の淵も同様にしてザックを置いて固定しようとするが、生憎の軽量使用であるクレッタルムーセンHuginがしっかりと立って呉れない。一計を案じて両脚を伸ばし、底面の淵の全てを巻き込むようにして座った。エム・シェルターは安定した。強風の圧力は感じるが、もう直截的に晒されることは無い。そして、中途半端に胡坐をかくような姿勢で、私はザックを抱いた儘、眠った。

気が付くと、風の勢いは止んでいる。時計を確認すると、凡そ三十分くらい眠っていたようだった。窮屈な姿勢の儘眠り続けて、身体が直ぐには動かない。膝を立てて、袋を被った儘、ゆっくりと立ち上がった。空に微かな青味が掛かっている。御来光館のテラスに戻ると、濃密な色の雲海の彼方から、朝焼けの朱色が滲み出してきていた。御来光館で御来光を拝むことになるのかと思ったが、太陽が顔を出す迄は、まだ時間が掛かりそうであった。

Fuji_pr5b

夜明けの空を見上げる。富士山頂に向かって、登山道が続いている。天候が穏やかになり、登頂を目前に控えた登山者たちが登り続けている。順調なペースで此処迄登ってきた私は、強風をエム・シェルターで凌ぎ、滞留しているうちに、ツェルトの効用を実感できたと云うこともあり、すっかり満足してしまっていた。同時に、弛緩してしまった身体には、云いようのない疲労感が染み渡っていた。

視線を南に転じる。未だ薄暗い富士の斜面に、明瞭な軌跡が伺えた。ブルドーザー道を利用する、吉田、須走ルートの下山道である。其処に向かって、此の御来光館からエスケープ道が続いていた。其れを見て、私は唐突に、今日は此処で下山すると云うことに決めた。

本当の富士登山は、再来週に行なわれるのだ。馬返バスの増便、佐藤小屋の幕営、登山のペース配分、そして、八合目を越えてからの強風と雨。下見の登山としては、考えさせられることも多く、実利に適った結果となったではないか。私は、疲れてもう下山したいと云う、自分の裡にある欲求に、なんとか理由付けをしようとしながら、紫煙を燻らせて、エスケープルートの入口に立っていた。雲海のブルーが、徐々に明るさを増して、下山道が更に明瞭に映るようになった。そうして、私はゆっくりと、下山を開始した。


Fuji_pr6

追記

下山道に合流すると、未だ御来光前にも係わらず、下ってくる人が存外に多いのが意外だった。若い人が多く、女性グループは元気にお喋りをしながら歩いている。山頂での滞留が辛くて御来光前に下山しているのだろうか。私が下山道に入ったのは午前五時で、雲間から太陽が現われ、直射日光が差し込んだのは、其れから三十分後だった。実質的な御来光は、黎明の赤色が出現した時だったのかもしれない。

延々と続くジグザグの下山道だが、二回目なので覚悟していた所為か、其れ程苦には感じなかった。二時間程で佐藤小屋のテント場に帰還した。深夜の出発から累計で八時間が経っていた。テントに入ると、睡眠の欲求が湧いてきて、其の儘シュラフに潜り込んだ。アラームで目を覚ましたのが正午前で、四時間以上も眠った。

Fuji_pr7

身支度を整えて、馬返に下山する。佐藤小屋を出発して、直ぐに雨が降り出した。天候はやはり変わりやすいものと思われた。五合目の出発時刻から、馬返バス14:25発まで一時間二十分なので、間に合うのかと自分でも懐疑的だったが、半分は駈足で下り続けたら、一時間で一合目の鈴原天照大神社に到着できた。大文司屋のお休み処で麦茶をふたたびご馳走になり、ゆっくり降りると、雨の中で馬返バスがアイドリングを開始していた。乗客は私ひとりだった。


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高千穂峰ふたたび・栗野岳と南洲館の泥湯(後篇)

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栗野岳は霧島連山の西端に位置している。えびの高原から西に延びる、鹿児島宮崎の県境のラインに沿って尾根の続く先の、ぽつんと外れた位置に在る。壮麗な霧島連山を概観してみると、瑣末な存在のように見えるが、韓国岳などの新期霧島火山が形成されたのがおよそ二万年前であるのに対して、栗野岳を含める古期霧島火山の形成期は十万年から三十万年前と云うから、古さのスケールが違う。古いから偉いなどとは勿論考えないけれども、敬意を表しつつ、一度は登ってみたい山である。

公共交通機関での登山口へのアプローチを考える場合、鉄道の肥薩線に栗野駅が在り、其処からは鹿児島県姶良郡湧水町のコミュニティバスを利用できるものの、本数は限られている。レンタカーで移動できる今回は、訪問のチャンスであり、麓には西郷隆盛も湯治で滞留したと云う栗野岳温泉が在るので、此れも是非入湯してみたい。

Kurino

2018/7/23

栗野岳温泉・南洲館(7:20)---展望台登山口(7:40)---枕木階段登山口(7:43)---展望所(7:53)---P1(8:25)---P2(8:35)---見晴台P3(8:45)---栗野岳二峰P4(9:00)---栗野岳(9:20)---温泉側登山口(9:50)---栗野岳温泉・南洲館(10:00)

「道の駅霧島」駐車場での車中泊は、半醒半睡の儘夜明けを迎えた。好天の夜明けであることを認識すると、寝不足の筈だが不思議にも疲労感は無かった。丸尾に戻り、コンビニで朝食を済ませてから、トヨタヴィッツを湧水町方面に走らせる。山間の道路が延々と続き、爽快な朝の空気を車内に入れる。平日の朝の午前六時台である。東京の職場の人たちは、もう起きている頃かな、などと云う想念が浮かぶ。其れで自分が、とても優雅な非日常的空間に居るのだな、と云う気持ちになる。

Krn1_2

霧島アートの森の広大な敷地を過ぎて、高原道路の趣になる。既に目的の栗野岳は右手に聳えているが、下山後の入湯を考慮して、車を栗野岳温泉、南洲館で駐車し、身支度を整えてから、来た道を徒歩で戻る格好となる。栗野岳は概ね四つのピークから成る山塊で、其のうちの三ヶ所を経由して周回できる登山道が整備されていて、スタートとゴールを二ヶ所に設定できる。霧島アートの森側からは、「日本一の枕木階段」と名づけられた登山口が在り、栗野岳温泉側の登山口は、鬱蒼とした植林帯に在る。下山して長い車道歩きは詰まらないので、枕木階段から登り、南洲館に近い処に下山すると云うことにした。

既に標高700mを越える位置にある車道から、西側に大展望が広がっている。眼下に広がる里山の連なりの上に、薄い雲海が浮かんでいるのを、見おろしながら歩いている。麓には朝靄がたなびいていて、高原道路は雲上の世界である。展望台、とされる箇所から、栗野岳登山道と云う道標が出現するが、此れは栗野岳レクリエーションセンター内の遊歩道のような踏路で、私が向かっている枕木階段登山道と、結局は合流する。栗野と水俣を結んでいた山野線は、国鉄分割民営化後の僅か一年で全線が廃止されたローカル線で、其の枕木を再利用して設えた階段が、栗野岳に向かって真直ぐに伸びている。

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枕木階段は歩幅が広くとってあり、勾配を緩やかに登ることができた。凡そ十分で561段を登り終え、木製の立派な展望台の上に立つ。青空の向こうに広がる地平線は茫洋としていて鮮明でないが、素晴らしい眺望であることは間違いない。其れでも、お膳立てして貰った眺望と云うのは、陰翳も余韻も乏しいように感じられる。少々の休憩で、いよいよ登山道に入る。樹林帯を北に方向を変えて、尾根の上に登り詰める。途上に在る等高線の閉じた1029m地点に達すると、P-1と云う山名標が設置してあった。手製だがしっかりした作りなので、官製のように見える。同様のものは、此の後の行程で通過するピークの各箇所に、順次設置されていた。

霧島連山西端を構成する栗野岳の稜線は、自然林に覆われた、よく整備された登山道を歩く行程であった。南西から登って来る尾根と合流するP-2を過ぎて、分岐を右に折れると視界が唐突に開けて、其処が見晴台の1069mピークだった。枕木階段側の青空から打って変わって、周囲は霧に覆われている。本来であれば、えびの高原の山稜と韓国岳を展望できる場所だが、緑に覆われた山なみの形状は輪郭が判然としない。霧が流れて空の隙間に青空が覗くと、眼下に白煙を噴出させている大霧発電所が出現した。地熱発電所の煙が、其の儘周囲の雲と同化して、空中に蔓延させているような錯覚に陥る。

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登山道に復帰して、踏路が勾配に変わると、やがてロープが設置されている岩場を登るようになる。程無くしてふたたび視界が開ける平坦地が、栗野岳2峰の1094.2mピークだった。陽差しは差し込んでいるが、対面に聳えている筈の韓国岳は、相変わらず雲に覆い隠されていた。

樹林帯の稜線を歩き、分岐点を右に。此の山塊の最高峰である、1102mの栗野岳頂上は樹林に覆われた狭い場所で、登頂の感興は全く湧かない場所だった。此の儘北上すると、1087.7mの三角点の在るピークに至る筈だが、踏路は藪に覆われて確認出来なかった。西北にも尾根が在り、下降していけば、火山である栗野岳の象徴的な場所である、八幡大地獄に至る筈で、昔は登山道が在ったようだが、此れも不明瞭であった。

登山道に戻り、一路栗野岳温泉に向かって下山を開始した。登山地図に、桜島が見えると記されている、第一展望台は植物が繁茂して何も見えなかった。ところで、私の手にしている、昭文社刊、山と高原地図「霧島・開聞岳2013年度版」は、登山コースを示す赤い実線が出鱈目と云っていいくらいに誤って記されているのが、実際に歩いて明らかになった。枕木階段から尾根に至る筈の線が、トラバースになっていたり、栗野岳2峰から頂上に至るルートも、同様に稜線を外れているのと、驚くべきは栗野岳温泉側の登山口の位置が間違っていて、尾根を挟んで反対側の北側に記されている。現在の改訂版が修正されていればいいのだが、此処迄間違いが積み上げられるように記載されているのは珍しい。尤も、地形を把握せずに、単純に線を辿るハイカーには無用の問題かもしれないけれど。

温泉側登山口の車道に下る道は、鬱蒼とした植林帯だったので、下山路に選んだのは正解であった。レンタカーに帰還して、入湯の準備に掛かる。栗野岳温泉の一軒宿、南洲館は古びているが大きな木造建築で、いかにも湯治場といった風情だった。桜湯、竹の湯と、天然サウナ状態の蒸し湯があり、愛好家は全てに入湯するようである。私は三種類の湯に入ることに執着はしていない。蒸し湯は興味が無いことも無いが、浴後に麦酒が飲めないのであれば無用である。宿の方によると、桜湯は改修工事中で入れないと云うことだったので、竹の湯に入湯した。

小さな小屋の中に、石造りの浴槽があり、湯は灰色に茶褐色が混ざったような感じで濁っていた。石壁の反対側は打たせ湯専用のスペースで、頭上から落ちてくる湯に打たれる。泥湯に浸かり、また打たせ湯に、と繰り返して、一時間くらいのんびりと入り浸った。予定通りに下山できたので、入湯を終えても未だ充分に時間がある。南洲館の庭園を見物していると、八幡地獄は見てきたの、と宿の女性に声を掛けられた。長湯で放心状態になっていたのだろうか、重要な景勝地のことを、すっかり忘れていたのであった。

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追記

噴気孔の集合体としては九州で最も規模が大きいと云う八幡大地獄は、木道で周回できるようになっていた。規模の大きさは計り知れないが、箱根の大涌谷のように、遠目から見物するのではなく、噴気孔の中に入り込んでいるので迫力があり、長居するような気分にもならないので直ぐに引き返した。

レンタカー返却時刻にかなり余裕がある行程で空港に近づいてきたので、嘉例川駅に立ち寄る。地元自治体が買収し管理保護している開業明治36年以来の駅舎は、風情があった。トヨタヴィッツを無事返却し、溝辺鹿児島空港内の山形屋レストランで、名物の皿饂飩を酒肴に待望の生麦酒を飲んだ。


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