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槍ヶ岳

Yari1


未明に横尾を出発し、予定通りの行程で殺生ヒュッテにテントを設営した後、私は念願であった槍の肩、槍ヶ岳山荘前のテラスに立っていた。そうして、改めて彼方に広がる景観を見渡す。穂高連峰に連なる山稜から左手に視線を移すと、端麗な常念岳がひと際に目立って屹立している。鉛色の空の下で、北アルプスの風景は、遥かに続く山並みを一望にしていた。

槍、穂高のパノラマを覆う曇天は、静止画のように変化も無く広がっていた。風も無く、人々も無言で風景を眺めている。穏やかな静けさと云うよりも、時が止まったかのような無機質な静寂が、周囲を包んでいた。暫くすると、静かな山岳風景の様相に変化が現われた。穂高連峰の方角に、一点から綻びが露わになったような感じで、雲の形が変化していく。

「笠雲だ」テラスのベンチに座っていたグループの、男性が云った。
「天気が悪くなるの?」心配そうに女性のひとりが呟く。
「すぐにどうなるってことじゃないけど」

南岳の向こうに、大キレットを挟んで黒く聳える連峰の突端、奥穂高岳の真上に、綺麗なレンズ雲が成形されていた。無表情だった空の形が、音も無く変化していくのは不気味で、皆が黙った儘、其れを眺めているばかりであった。私は、槍の穂先に登頂すると云う、本来の目的に立ち返り、踵を返した。すぐにどうなるということではない。そんな言葉が反芻するように脳裏を漂う。私は眼前に聳える、鋭利な槍ヶ岳の尖塔を見上げた。

Photo

2018/10/3
上高地(12:20)---徳沢(14:00)---横尾(15:00)
2018/10/4
横尾(5:30)---一ノ俣(6:10)---槍沢ロッヂ(6:40)(7:00)---ババ平(7:30)---水俣乗越分岐(8:00)---天狗原分岐(9:00)---ヒュッテ大槍分岐(10:20)---殺生ヒュッテ(11:10)(12:10)---槍ヶ岳山荘(12:35)---槍ヶ岳(12:55)---槍ヶ岳山荘(13:20)---ヒュッテ大槍(15:00)---殺生ヒュッテ(15:35)
2018/10/5
殺生ヒュッテ(6:20)---天狗原分岐(7:30)---水俣乗越分岐(8:20)---ババ平(9:00)(9:25)---槍沢ロッヂ(9:50)(10:05)---横尾(11:20)---徳沢(12:40)---明神(13:45)---上高地(14:45)

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前日の正午に到着した上高地は、快晴の青空だった。しかし、横尾の幕営場で一夜を明かして、いよいよ槍ヶ岳に出発となった今朝の天候は、判然としない曇天であった。其れでも私は平静な心持ちで、淡々と槍沢に沿って歩き続ける。此の、槍ヶ岳登山に於ける最も平穏で楽なコースを辿るのは、今回で三度目である。

昨年の七月下旬、ムーンライト信州で早朝に上高地に到着し、満を持して槍を目指して歩き出した。其の日のうちに殺生ヒュッテに辿り着き、翌朝に登頂、と云う計画であった。降り続いていた雨は徐々に本格化し、初めて歩く横尾からの道に入ると、靄の中から、一段と激しい瀑音が聞こえてくる。

槍沢ロッヂに到着しても、雨は降り続いた儘だった。ロッヂを出発して程無く、滞留なのか残置してあるのか判然としないテント群のババ平を通過する。私はいよいよ槍ヶ岳を射程圏内に捉えたような気持ちになって、槍沢沿いの緩やかな勾配を歩いていく。槍沢大曲りと記された道標が立つ、水俣乗越分岐を越えると、文字通りに槍沢は西に大旋回するように曲がっていく。右手の東鎌尾根、左手の横尾尾根が、雨に煙りながら其れに沿って続いていく。

此の儘、槍沢に沿った登山道が延々と続いていくものと思っていたが、間も無く、一面に広がる雪渓に行き当たった。登山道は消失して、雪原にトレースが続いているのを確認して、足を踏み入れた。七月下旬の山行に、軽アイゼンを携行すると云う発想は無かった。心細い気持ちになるのを抑えながら、ゆっくりと歩き続ける。雨は霧のようになっていて、全身が着実に濡れていくのが雨具越しに感じられる。視界は更に不明瞭となり、冷たい風が頬を打つと、私の登山の意欲は徐々に、衰微していった。

点在していた他の登山者の姿が、霧の向こうに消えていく。私の歩調は著しく遅れていった。原因は、足元が急激に冷えてきていることだった。登山靴は長らく愛用してきた、サロモン製のコンクエストである。分類としては軽登山靴と云えるが、履き心地に慣れているのが自分にとっては重要なので、此れ迄高山でも構わずに履いてきた。其の愛用靴が、いよいよ限界に来ていたようで、ゴアテックスの効果も虚しく、雪を踏んでいる途上で、水が浸透してきている。私は歩くのを止めて、茫然と白く煙った周囲を眺める。私は、撤退することを決断した。

雪渓地帯を戻り、来た道を引き返す。靴の中が冷たくなり、不快な気分の儘、ババ平に辿り着き、テントを張った。雨の中で設営したので、身体も荷物も濡れそぼっている。夜行列車の疲れが染み渡り、食欲も無く、私はシュラフに包まって、テントを打つ雨音を聞きながら、眠り続けた。翌朝、雨は上がったが、雲行きは怪しい儘であった。私は力無く、テントを撤収し、上高地に下山した。此れが槍ヶ岳の挫折の第一回目である。

鬱屈した気持ちの儘、夏が終わった。槍ヶ岳に登らない儘では、気持ちが落ち着かない。十月二日の早朝、横尾のテント場を出発し、私は再度殺生ヒュッテを目指していた。夜行列車の疲労と、上高地から殺生ヒュッテ迄の歩行距離の長さ、其れが前回の失敗の要因であると考えて、初日に横尾迄歩き、一泊して殺生ヒュッテに到達すると云う計画である。軽登山靴も新調して、既に富士登山を敢行して履き慣らしてある。

此の目論見は成功し、私は順調に登山道を歩き、殺生ヒュッテに到達した。後はテントを設営して、空身で槍ヶ岳に登頂する。予定通りであった。しかし、誤算は其の後、直ぐにやってきた。ヒュッテでテントの受付を済ませて外に出ると、雨が降り出してきた。天候の急変である。私は暗然たる思いで、テントの設営を始める。前穂北尾根の岩峰を赤く照射する、モルゲンロートを鑑賞した、今朝の横尾を思い出す。あれは何だったのか。忸怩たる思いに駆られながら、私はテントを設営する。

テントの中で軽い食事を摂り、天候の回復を待つ。そうして、雨は私を嘲笑うかのように、激しさを増していった。槍ヶ岳に登ると云う状況では、全く無くなくなってしまった。頂上に立つだけの目的で、雨の中を出発すると云うことは、不可能では無いが、其れは無謀であり、浅慮の行為としか思えなかった。私は其の儘テントに滞留した。

一夜を明かし、未明に出発して槍ヶ岳登頂を果たす。其の積もりでアラームをセットし、午前三時に目覚めた。しかし、テントを打つ雨音は、相変わらずだった。午前六時になって、雨は小降りに転じたが、殺生ヒュッテのテント場から眺める景色は、一面の霧であった。私は、茫然とした心持ちで、下山することを決断した。

「上高地ゆうゆうきっぷ」の規定で、帰途の松本バスターミナルから出発する新宿行きの便は、事前に指定しておかなければならない。標高2860mの殺生ヒュッテから、午前七時台には下山を開始しないと、バスに間に合わない。私は二回目の槍ヶ岳登頂を果たせずに、下山した。此れが挫折の第二回目である。此の時から丁度一年が経過して、今回、全く同じ行程を経て、漸く槍の肩迄這い上がってきた。感無量ではあるが、穂高の笠雲を目の当たりにすると、のんびりとしても居られない。

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名にし負う槍の穂先への踏路は、岩礫の急峻を伝い、途中から設置されている梯子を登る。大勢の登山者が押し寄せる故に、登りと下りのルートは分割され、一方通行で周回するようになっている。しかし、今、槍の穂先を登ろうとしているのは私だけのようである。雲行きの怪しい平日の午後とは云え、槍ヶ岳を心静かに登攀できるのは僥倖であった。

所々に設置して在る鎖の助けは借りずに、手掛かりが豊富な岩の急傾斜を、着実に登っていった。岩場の途中で北面の風景が垣間見る地点から、小槍の尖峰を確認する。明治生まれの女流登山家、黒田初子の文章が想起される。黒田夫妻を先導する案内人が、やおら裸足になって登ったと云う、其の突端の風情を暫く眺める。写真を見て知っている筈の小槍の実物を、飽きもせずに茫然と眺めている。

円と矢印のマーキングで埋め尽くされたような岩礫の先に、梯子の姿を確認する。急傾斜を終えて、ふたたび南面の光景が広がり、空を見てギョッとした。奥穂に被っていた笠雲が、何時の間にか鉛色の絨毯で覆われたように広がっている。其の絨毯は手が届きそうなくらいに近く迄降りてきていて、雲が降りていると云うよりも、空が落ちてくる、と云うような錯覚に陥る。

すぐにどうなるということではない。其の認識が揺らぎ、私は駆り立てられるような気持ちになる。梯子と鎖を伝って無心に登り、見上げると最後の梯子で、其の上はいよいよ穂先の上であることが判然としていた。いよいよである。私は並列に掛けられた梯子に取り付く。垂直の梯子は、思っていた程に長くはなく、呆気なく最上段に手が掛かった。

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両手を梯子に摑んだ儘、ひょいと顔を上げて、お邪魔します、と云うような風情で狭い平坦地を覗く。其処が槍ヶ岳の頂上だった。狭い頂の奥に小さな祠が鎮座していて、槍ヶ岳と記されたプレートが乗せて在る。其れは写真や映像での既知の光景だった。そうして梯子段を登りきって、遂に槍の穂先に立った。そして、其の時に抱いた感慨は異様だった。

其れは、一年越しで漸く登頂できたことで、やり残していたことが達成できて、満悦であると云うことでは無かった。槍ヶ岳に登頂する前に、不治の病に罹って身動きができなくなってしまうとか、不慮の事故に遭って死んでしまうとか、そう云うことが無くてよかった、と云う感慨だった。何を大袈裟な、と云われたとすれば、私は静かに頷くだろう。私の抱いた感慨は自分の物の筈だが、何故か、其の実感が無かった。

「なお十数歩進むと、すべてのものは私たちの眼の下にあった。私たちはついに槍ヶ岳を征服したのである。私たちは、富士の英峰を除いては、この山岳帝国の全表面のうちで最も壮大な地点に立っているのである」(「日本アルプス―登山と探検」W・ウェストン著、岡村精一訳)

緞帳が下りてくるように、分厚い雲の絨毯が穂高連峰や常念山脈を隠し始めた。振り返ると、祠の向こうには、鷲羽岳、水晶岳、薬師岳が重厚な佇まいで山脈を構成しているのが見渡せる。彼方の雲海に浮かぶ立山連峰が、異国の大陸のように独立している。ウェストンの文章の通りで、全ては眼下に広がる光景であった。

奥穂に被ったレンズ雲の展開は、意外な程に早く、雲の絨毯は遂に槍の穂先に迄近づいてきた。そして、不穏な音を立てながら風が吹きつけてくる。ぽつり、ぽつりと水滴が頬に当たる。誰も居ない槍ヶ岳山頂の恍惚が、瞬く間に醒めて、私は下山の途に就く。

轟と云う風の音に包まれて、無心に垂直の梯子を下り、岩礫の傾斜を慎重に下る。そうしているうちに、遂に果たした槍ヶ岳の登頂の喜びが、緩やかに体内に広がっていくような気がした。自分が自分でなくなるような精神状況が、高度を下げていくうちに、沈静化していくような感覚だった。そんな不思議な山が、今迄在っただろうか。槍の肩にふたたび降り立った私は、漸く落ち着きを取り戻した。そうして、去り難い気持ちの儘、何時までも山荘のテラスで、ぼんやりとしていた。


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