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2018年12月

断章的に。乾徳山、岩櫃山、男山。

「飯盛山の早春の候」以降、全く山行文を書くことができず今年が終わりそうなので、断章的に、そして備忘録的に記録を残すことにした。
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乾徳山

2018/3/11
乾徳山登山口バス停(9:45)---登山口(10:10)---銀晶水(10:40)---駒止(10:55)---錦晶水(11:25)---国師ヶ原・高原ヒュッテ(11:35)(12:10)---扇平(12:45)---鳳岩(13:40)---乾徳山(13:50)(14:15)---水のタル(14:20)---高原ヒュッテ(15:30)---登山口(16:00)---乾徳山登山口バス停(16:30)


Kentokusan

暫く振りにkz氏との登山が実現した。一年近く前にテント山行で登った奥多摩の八丁山、お伊勢山以来である。今年の三月は、飯盛山の時に記したが、春季発売の「青春18きっぷ」を購入したので、其れを消化するために、なるべく日帰りながらも遠出したいと云う思惑が伴う山行が連発することになった。

其れで、中央本線山梨市駅からのバスでアクセスできる、乾徳山の登山が思い浮かんだ。草原、森林、岩場、三拍子揃った人気の山。山と渓谷社刊「分県登山ガイド・山梨県の山」に記されている乾徳山には、ずっと登ってみたかったが、未だ機会が訪れていない。此の案にkz氏も快諾したので、決定である。都内から山梨市駅の往復だと、18きっぷの減価償却は足踏みするが、其の問題に就いては考慮を順延することにした。

乾徳山登山口に向かう西沢渓谷線のバスが出る、山梨市駅前で冬山仕様の格好になる。折角揃えた雪山装備である。大袈裟かなと思うが我がkz氏も、充分な防寒態勢であるので心強い。

乗客が殆ど居ないバスの車中から、kz氏は帰りのバスに乗れなかったらどうしようと云う懸念を話題にする。登山口の出発が午前十時と遅いので、終バスの発車時刻、16時51分が気掛かりのようだ。私はkz氏と一緒の場合、驚くほど楽観的になってしまい、リスクマネジメントの発想が出てこない。コースタイムを勘案すれば大丈夫の筈と、私は気楽な感じでkz氏に云う。

乾徳山と云えば、山頂直下の奇岩の連続のイメージで、其れがどのような難所なのかは判らない。高さ20mの垂直岩壁、鳳岩がハイライトだが、kz氏は過去に乾徳山に登った時は、鳳岩は捲いていったと云った。一体どのような場所なのか、却って興味が湧いてくる。

乾徳山登山口バス停から舗装路を歩き、登山道に入り尾根を登ると、やがて沢に下りていくようになり、銀晶水と記された水場に到達する。其処からふたたび尾根に登り返し、早春の枯木の道を歩き続ける。そして、爽快な景観になると国師ヶ原である。高原ヒュッテの中でカップ麺の食事を摂り、ザックをデポして、いよいよ乾徳山への道筋を辿る。此処でkz氏は、アタックザックではなく、スタッフザックを手にぶら下げて登ると云う奇行に出るが、私は敢えて無言の儘である。

天候は判然としない曇天で、扇平、月見岩からの展望も曖昧で、富士山は見えない。先を急ぐと、樹林帯に突入し、北面の踏路は残雪となり、続いて巨岩が断続的に出現し、緊張感が高まる。岩場が始まってからはヘルメットを被り、髭剃岩、雷岩と、鎖場が現われるが、其れ程の恐怖感は無い。それよりも、ストックとスタッフバックで両手が塞がっているkz氏が、やや難渋しながら登っているように見えるので気になるが、訊いてみると、其れ程ではないと云うので首肯することにする。

いよいよ最後の鳳岩であるが、なる程垂直の岩である。足掛かりを探りつつ、鎖に頼って登り続けた。登頂した乾徳山は岩の起伏が激しく、落ち着ける場所が無い。景観を楽しんでから、直ぐに下山を開始した。帰途は水のタルを経由し、周回する形で高原ヒュッテに戻る。巨岩のルートを避けた形だが、下山のルートは思いの外に距離があり、水のタルから急降下するように辿る登山道は凍結していて、十本爪のアイゼンを履いて漸く通行できるような状況だった。

国師ヶ原から麓のバス停迄、コースタイムは一時間二十分であるから、遅くても15時過ぎにはザックを回収して歩き始めなければならないが、高原ヒュッテに戻ったのは15時20分くらいだった。慌てて支度して、10分程で出発した。登頂の充実感も忘れ、国師ヶ原の気持ちよい景色も目に入らず、ひたすら駈足で下山した。登山口に戻ったのは其れから三十分後のことなので、結果としては、かなり飛ばしたことになった。其処からは余裕の気持ちになってぶらぶら歩き、乾徳山登山口バス停に帰還したのは、終バスのやってくる二十分前だった。


Kentoku

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岩櫃山

2018/3/17
郷原駅(8:40)---密岩通り登山口(9:05)---鞍部(9:30)---天狗の懸橋(9:35)---鷹ノ巣遺跡(9:45)---岩櫃山(10:00)---天狗の蹴上げ岩(10:25)---赤岩通り分岐(10:29)---赤岩通り登山口(11:05)---郷原駅(11:30)


Iwabitsuyama

群馬県東吾妻町、JR吾妻線の駅からアプローチできる岩櫃山は、以前から気になってはいたが、敢えて出掛けると云う気持ちにはならなかったので、此れも18きっぷの効用である。NHK大河ドラマ「真田丸」は視聴してはいなかったけれど、オープニング映像の岩櫃山は、コンピュータ・グラフィックの効果も加味されて、強く印象に残っている。そんな急な思いつきで、出掛けることにした。

要害の岩峰と云うと想起される、中央本線の大月駅付近から眺める岩殿山も見事だが、吾妻線の電車が郷原駅に近づき、突然現われる岩櫃山の威容も、瞠目させられる。早朝の電車を乗り継ぎ、高崎線の電車に延々と揺られて、眠りこけていた意識が覚醒させられる。

郷原駅を出て、線路を越えて岩櫃山と対峙しながら集落の中を歩いていく。登山コースは四種類あるが、難路とされる天狗の懸橋を通過する「密岩通り」から、是非登りたい。岩櫃山に向かって、左側に回りこむようにして集落の坂道を歩き、道標が示す密岩通りは、民家のすぐ脇を通って、唐突に樹林に囲まれた山道に入るようになる。登山口には、冬期登山自粛要請の看板が立っていた。

ジグザグの踏路は間も無く終わり、尾根は岩壁を正面に眺めるようになると、其の形状は曖昧になっていく。「密岩通り」は、岩崖の切れ落ちる鞍部に向かって、谷沿いを辿るようになる。鎖場が現われるが、其れに頼るような危険な状況では無い儘に、徐々に高度を上げていく。V字に切れ落ちた鞍部は、文字通りにキレットと呼びたくなるが、稜線に立つと、其処には六合目、の看板しか無かった。

進路を右手に取り、いよいよ鋸歯状の岩稜を辿る。巨岩の南面を鎖が設置された登山道が続いている。密岩通り七合目、の標識がある処で、天狗の懸橋と迂回路が分岐していた。迷わず左側の天狗の懸橋に向かう。巨岩の北面を鎖に頼りながらトラバースしていくと、間も無く動物の背骨のような岩が行く手に現われた。此れが天狗の懸橋で、距離にすると凡そ二メートルくらいであるから、大したことは無いと思ったのも束の間で、其の幅は狭く、一歩を踏み出した瞬間に体が凍りついた。

直立して歩行するには足の踏みどころが覚束ない。ナイフリッジに跨って移動するべきかと思うが、両手を地面に付けて、中途半端な四つん這いで足を繰り出すことにした。そして、其のような姿勢の所為で、却って下方を直視することになってしまい、恐怖感は一層増した。其れでも確信を持って、一歩ずつ、進んで行き、最後は意を決して跳ぶようにして対面の踏路に着地した。

懸案の難所を越えたので安堵し、気を取り直して岩の要塞に張り付くように続く登山道を辿る。南面に出ると、榛名の山々を背景にして、広大な眺望が出現する。思わず息を呑む絶景だが、登頂迄は気が抜けない。岩壁の南面をへつるようにして鎖場のトラバースが続き、山頂を回り込むようにして進むと、岩櫃城址からの登山道と合流した。

岩櫃山の山頂は、槍の穂先のように、其処だけ鋭利に屹立していた。登山道の合流地点から、鎖を頼って岩場の急傾斜を登り、テラスのようになっている箇所から、梯子を登り、頂点迄達していた。頂上は鎖で囲まれた狭い場所で、山座同定の盤が設置されている。彼方に浮かぶ白銀の浅間山が南西に、北東には谷川、上州武尊の銀嶺が連なっている。眼福の眺望だった。

後続の登山者の気配がしてきたので、早々に下山する。北西方面に、尾根の分岐する小ピークが顕著に屹立している。帰途に辿る登山道の通過点なので、其処迄歩いて休憩した。岩櫃山の頂上が客観的に眺められる小ピークに立ち、漸く安寧の気分で、私は紫煙を燻らせた。想像以上に登り甲斐があり、絶景を甘受できる山であった。眺めてよし、登ってよしの稀有な岩櫃山、再訪を期したいが、都心からはかなり遠い。


Photo

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男山

2018/4/8
信濃川上駅(8:40)---男山登山口(9:00)---林道終点(10:05)---男山(10:45)(11:25)---林道終点(12:00)---男山登山口(13:00)---信濃川上駅(13:20)


Otokoyama_view

青春18きっぷの有効期限を目前にして、残るは一日分となり、取って置きの山に満を持して登ろうと思う。「飯盛山の早春の候」の時に、小海線野辺山駅に向かって歩いている時、正面に屹立する端整な男山が気になった。帰宅して調べてみると、長野県南佐久郡川上村の北限に位置している、眺望のよい、知る人ぞ知る山のようで、登山道も完備されているようである。標高1851mと云う、低くは無い山だが、八ヶ岳と奥秩父の山々に囲まれているので、相対的に過小評価されている感もある。

一ヶ月前に清里を訪れた時と同じ行程で、小海線に揺られる。三月の車窓では、高原に登るにつれて粉雪が舞うような風情だったが、今日は快晴の青空である。尤も、平日の朝であるので、車内は相変わらず閑散としている。野辺山駅を発車して、線路は佐久甲州街道と別れ、川上村方面に向かって強引にカーブしていく。右旋回する車窓の左側に、男山と天狗山の立派な山塊が現われる。

東方に向かっていたディーゼルカーが、山肌を縫うように今度は左に旋回して、川上村唯一の鉄道駅、信濃川上駅に到着した。下車したのは私だけで、列車が走り去ると、山間の小駅は、物音ひとつしない静寂に包まれた。業務の簡易委託駅である信濃川上駅の待合室は、ストーブが焚かれて暖かく、よく磨かれてある木製ベンチには、手製の座布団が綺麗に敷いてある。村民に大事にされている駅なんだな、と云うことが察せられる。因みに、JRの駅では、四番目に標高の高い駅でもある。

心地好い待合室から外に出るのは、後ろ髪を引かれる思いだが、初めて訪れる地であるので、迅速に行動しなくてはならない。駅前広場には、天狗山、男山の縦走ルートが強調された村内概念図が設置されている。目指す男山の登山口は、村内を東西に流れる千曲川の向こうにあるので、橋の在る処迄、車道を歩く。川上村の中心部から離れた場所に駅が在る所為か、人の気配の無い街道を歩き続けた。漸く橋が現われ、千曲川を渡る。橋上から眺める千曲川の彼方に、奥秩父の山々が横たわっている。やがては信濃川と名前を変え、大河となる一級河川の千曲川も、此処では穏やかな山村風景のアクセントのように、静かに流れている。

川を渡り、進路を北に変えて県道を歩き、徐々に登り勾配になった途上に、男山登山口が現われた。自家用車でやってきたと思しき数人の壮年グループが登山口に近づいているので、少し待ってから入山した。男山、天狗山の山稜から派生する尾根が、千曲川に延びて、前衛の山々を形成している。登山道は、林道の体裁で、其の山を越え、男山の懐に向かっている。テンポよく歩くことの出来る踏路だが、先を譲った壮年隊の歩調が著しく遅いので、足早に追い越す。

電波塔の在る1535.6m峰と、1366m峰の間にある鞍部を越えると、青空と白雲が広がり、薄暗く冬枯れた林道歩きが、心地好いものに転じた。枯木越しに、男山の頭部が明瞭に聳えているのが伺える。立派な山容に惚れ惚れするが、林道は林道らしく、真直ぐ山には向かわず、谷に沿って山懐を目指していく。登山口から一時間程で、漸く林道の終点に達して、其処からは打って変わり急勾配を登る。

林道の谷間から眺めた男山は、随分高く見えたが、稜線の鞍部には三十分程で達した。ピーク迄はロープが渡してある岩混じりの急勾配だったが、難なく男山の頂上に立つ。想像は出来ていたが、唐突に広がる絶景に暫く茫然とした。八ヶ岳の上部は雲で覆われていたが、広大な裾野と、高原風景に視線を転じ、南方に向けると、南アルプスと奥秩父の山々の其の奥に、富士山が見える。五丈岩の金峰山は、未だ残雪の姿で明瞭に浮かんでいる。

先着していた数人のグループが山頂から消えて、暫くひとりで眺望を楽しんだ。景色が良すぎて、何処を見ていいのか迷う、と云うような男山の頂上だった。本来であれば縦走して登るべき天狗山も、判然とした山容で屹立している。登りたい、そう思うが、往復すると二時間以上は掛かるので、日帰りの公共交通機関利用の山行では、少々忙しい。此の儘来た道を下山して帰るしかないが、却って、再訪できる理由にもなる。此の大絶景を、何度も訪れて眺めることができる、其れも楽しみのひとつとなる。


Otokoyama
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春季の18きっぷで実行した、飯森山、乾徳山、岩櫃山、男山。何れも出来すぎのような大眺望の山だった。春の気候の移り変わりも体感できたようで、思った以上に充実した結果になった。18きっぷは、此れ迄は夜行の「ムーンライト信州」で行く北アルプスのために、夏しか購入したことが無かったが、寧ろ春季の山行で、ふだん行こうと思わないやや遠い処に在る山に行く、という利用の方が得策かもしれないと思った。来春の山行が楽しみである。

槍ヶ岳

Yari1


未明に横尾を出発し、予定通りの行程で殺生ヒュッテにテントを設営した後、私は念願であった槍の肩、槍ヶ岳山荘前のテラスに立っていた。そうして、改めて彼方に広がる景観を見渡す。穂高連峰に連なる山稜から左手に視線を移すと、端麗な常念岳がひと際に目立って屹立している。鉛色の空の下で、北アルプスの風景は、遥かに続く山並みを一望にしていた。

槍、穂高のパノラマを覆う曇天は、静止画のように変化も無く広がっていた。風も無く、人々も無言で風景を眺めている。穏やかな静けさと云うよりも、時が止まったかのような無機質な静寂が、周囲を包んでいた。暫くすると、静かな山岳風景の様相に変化が現われた。穂高連峰の方角に、一点から綻びが露わになったような感じで、雲の形が変化していく。

「笠雲だ」テラスのベンチに座っていたグループの、男性が云った。
「天気が悪くなるの?」心配そうに女性のひとりが呟く。
「すぐにどうなるってことじゃないけど」

南岳の向こうに、大キレットを挟んで黒く聳える連峰の突端、奥穂高岳の真上に、綺麗なレンズ雲が成形されていた。無表情だった空の形が、音も無く変化していくのは不気味で、皆が黙った儘、其れを眺めているばかりであった。私は、槍の穂先に登頂すると云う、本来の目的に立ち返り、踵を返した。すぐにどうなるということではない。そんな言葉が反芻するように脳裏を漂う。私は眼前に聳える、鋭利な槍ヶ岳の尖塔を見上げた。

Photo

2018/10/3
上高地(12:20)---徳沢(14:00)---横尾(15:00)
2018/10/4
横尾(5:30)---一ノ俣(6:10)---槍沢ロッヂ(6:40)(7:00)---ババ平(7:30)---水俣乗越分岐(8:00)---天狗原分岐(9:00)---ヒュッテ大槍分岐(10:20)---殺生ヒュッテ(11:10)(12:10)---槍ヶ岳山荘(12:35)---槍ヶ岳(12:55)---槍ヶ岳山荘(13:20)---ヒュッテ大槍(15:00)---殺生ヒュッテ(15:35)
2018/10/5
殺生ヒュッテ(6:20)---天狗原分岐(7:30)---水俣乗越分岐(8:20)---ババ平(9:00)(9:25)---槍沢ロッヂ(9:50)(10:05)---横尾(11:20)---徳沢(12:40)---明神(13:45)---上高地(14:45)

Yari2

前日の正午に到着した上高地は、快晴の青空だった。しかし、横尾の幕営場で一夜を明かして、いよいよ槍ヶ岳に出発となった今朝の天候は、判然としない曇天であった。其れでも私は平静な心持ちで、淡々と槍沢に沿って歩き続ける。此の、槍ヶ岳登山に於ける最も平穏で楽なコースを辿るのは、今回で三度目である。

昨年の七月下旬、ムーンライト信州で早朝に上高地に到着し、満を持して槍を目指して歩き出した。其の日のうちに殺生ヒュッテに辿り着き、翌朝に登頂、と云う計画であった。降り続いていた雨は徐々に本格化し、初めて歩く横尾からの道に入ると、靄の中から、一段と激しい瀑音が聞こえてくる。

槍沢ロッヂに到着しても、雨は降り続いた儘だった。ロッヂを出発して程無く、滞留なのか残置してあるのか判然としないテント群のババ平を通過する。私はいよいよ槍ヶ岳を射程圏内に捉えたような気持ちになって、槍沢沿いの緩やかな勾配を歩いていく。槍沢大曲りと記された道標が立つ、水俣乗越分岐を越えると、文字通りに槍沢は西に大旋回するように曲がっていく。右手の東鎌尾根、左手の横尾尾根が、雨に煙りながら其れに沿って続いていく。

此の儘、槍沢に沿った登山道が延々と続いていくものと思っていたが、間も無く、一面に広がる雪渓に行き当たった。登山道は消失して、雪原にトレースが続いているのを確認して、足を踏み入れた。七月下旬の山行に、軽アイゼンを携行すると云う発想は無かった。心細い気持ちになるのを抑えながら、ゆっくりと歩き続ける。雨は霧のようになっていて、全身が着実に濡れていくのが雨具越しに感じられる。視界は更に不明瞭となり、冷たい風が頬を打つと、私の登山の意欲は徐々に、衰微していった。

点在していた他の登山者の姿が、霧の向こうに消えていく。私の歩調は著しく遅れていった。原因は、足元が急激に冷えてきていることだった。登山靴は長らく愛用してきた、サロモン製のコンクエストである。分類としては軽登山靴と云えるが、履き心地に慣れているのが自分にとっては重要なので、此れ迄高山でも構わずに履いてきた。其の愛用靴が、いよいよ限界に来ていたようで、ゴアテックスの効果も虚しく、雪を踏んでいる途上で、水が浸透してきている。私は歩くのを止めて、茫然と白く煙った周囲を眺める。私は、撤退することを決断した。

雪渓地帯を戻り、来た道を引き返す。靴の中が冷たくなり、不快な気分の儘、ババ平に辿り着き、テントを張った。雨の中で設営したので、身体も荷物も濡れそぼっている。夜行列車の疲れが染み渡り、食欲も無く、私はシュラフに包まって、テントを打つ雨音を聞きながら、眠り続けた。翌朝、雨は上がったが、雲行きは怪しい儘であった。私は力無く、テントを撤収し、上高地に下山した。此れが槍ヶ岳の挫折の第一回目である。

鬱屈した気持ちの儘、夏が終わった。槍ヶ岳に登らない儘では、気持ちが落ち着かない。十月二日の早朝、横尾のテント場を出発し、私は再度殺生ヒュッテを目指していた。夜行列車の疲労と、上高地から殺生ヒュッテ迄の歩行距離の長さ、其れが前回の失敗の要因であると考えて、初日に横尾迄歩き、一泊して殺生ヒュッテに到達すると云う計画である。軽登山靴も新調して、既に富士登山を敢行して履き慣らしてある。

此の目論見は成功し、私は順調に登山道を歩き、殺生ヒュッテに到達した。後はテントを設営して、空身で槍ヶ岳に登頂する。予定通りであった。しかし、誤算は其の後、直ぐにやってきた。ヒュッテでテントの受付を済ませて外に出ると、雨が降り出してきた。天候の急変である。私は暗然たる思いで、テントの設営を始める。前穂北尾根の岩峰を赤く照射する、モルゲンロートを鑑賞した、今朝の横尾を思い出す。あれは何だったのか。忸怩たる思いに駆られながら、私はテントを設営する。

テントの中で軽い食事を摂り、天候の回復を待つ。そうして、雨は私を嘲笑うかのように、激しさを増していった。槍ヶ岳に登ると云う状況では、全く無くなくなってしまった。頂上に立つだけの目的で、雨の中を出発すると云うことは、不可能では無いが、其れは無謀であり、浅慮の行為としか思えなかった。私は其の儘テントに滞留した。

一夜を明かし、未明に出発して槍ヶ岳登頂を果たす。其の積もりでアラームをセットし、午前三時に目覚めた。しかし、テントを打つ雨音は、相変わらずだった。午前六時になって、雨は小降りに転じたが、殺生ヒュッテのテント場から眺める景色は、一面の霧であった。私は、茫然とした心持ちで、下山することを決断した。

「上高地ゆうゆうきっぷ」の規定で、帰途の松本バスターミナルから出発する新宿行きの便は、事前に指定しておかなければならない。標高2860mの殺生ヒュッテから、午前七時台には下山を開始しないと、バスに間に合わない。私は二回目の槍ヶ岳登頂を果たせずに、下山した。此れが挫折の第二回目である。此の時から丁度一年が経過して、今回、全く同じ行程を経て、漸く槍の肩迄這い上がってきた。感無量ではあるが、穂高の笠雲を目の当たりにすると、のんびりとしても居られない。

Yari3

名にし負う槍の穂先への踏路は、岩礫の急峻を伝い、途中から設置されている梯子を登る。大勢の登山者が押し寄せる故に、登りと下りのルートは分割され、一方通行で周回するようになっている。しかし、今、槍の穂先を登ろうとしているのは私だけのようである。雲行きの怪しい平日の午後とは云え、槍ヶ岳を心静かに登攀できるのは僥倖であった。

所々に設置して在る鎖の助けは借りずに、手掛かりが豊富な岩の急傾斜を、着実に登っていった。岩場の途中で北面の風景が垣間見る地点から、小槍の尖峰を確認する。明治生まれの女流登山家、黒田初子の文章が想起される。黒田夫妻を先導する案内人が、やおら裸足になって登ったと云う、其の突端の風情を暫く眺める。写真を見て知っている筈の小槍の実物を、飽きもせずに茫然と眺めている。

円と矢印のマーキングで埋め尽くされたような岩礫の先に、梯子の姿を確認する。急傾斜を終えて、ふたたび南面の光景が広がり、空を見てギョッとした。奥穂に被っていた笠雲が、何時の間にか鉛色の絨毯で覆われたように広がっている。其の絨毯は手が届きそうなくらいに近く迄降りてきていて、雲が降りていると云うよりも、空が落ちてくる、と云うような錯覚に陥る。

すぐにどうなるということではない。其の認識が揺らぎ、私は駆り立てられるような気持ちになる。梯子と鎖を伝って無心に登り、見上げると最後の梯子で、其の上はいよいよ穂先の上であることが判然としていた。いよいよである。私は並列に掛けられた梯子に取り付く。垂直の梯子は、思っていた程に長くはなく、呆気なく最上段に手が掛かった。

Yari4

両手を梯子に摑んだ儘、ひょいと顔を上げて、お邪魔します、と云うような風情で狭い平坦地を覗く。其処が槍ヶ岳の頂上だった。狭い頂の奥に小さな祠が鎮座していて、槍ヶ岳と記されたプレートが乗せて在る。其れは写真や映像での既知の光景だった。そうして梯子段を登りきって、遂に槍の穂先に立った。そして、其の時に抱いた感慨は異様だった。

其れは、一年越しで漸く登頂できたことで、やり残していたことが達成できて、満悦であると云うことでは無かった。槍ヶ岳に登頂する前に、不治の病に罹って身動きができなくなってしまうとか、不慮の事故に遭って死んでしまうとか、そう云うことが無くてよかった、と云う感慨だった。何を大袈裟な、と云われたとすれば、私は静かに頷くだろう。私の抱いた感慨は自分の物の筈だが、何故か、其の実感が無かった。

「なお十数歩進むと、すべてのものは私たちの眼の下にあった。私たちはついに槍ヶ岳を征服したのである。私たちは、富士の英峰を除いては、この山岳帝国の全表面のうちで最も壮大な地点に立っているのである」(「日本アルプス―登山と探検」W・ウェストン著、岡村精一訳)

緞帳が下りてくるように、分厚い雲の絨毯が穂高連峰や常念山脈を隠し始めた。振り返ると、祠の向こうには、鷲羽岳、水晶岳、薬師岳が重厚な佇まいで山脈を構成しているのが見渡せる。彼方の雲海に浮かぶ立山連峰が、異国の大陸のように独立している。ウェストンの文章の通りで、全ては眼下に広がる光景であった。

奥穂に被ったレンズ雲の展開は、意外な程に早く、雲の絨毯は遂に槍の穂先に迄近づいてきた。そして、不穏な音を立てながら風が吹きつけてくる。ぽつり、ぽつりと水滴が頬に当たる。誰も居ない槍ヶ岳山頂の恍惚が、瞬く間に醒めて、私は下山の途に就く。

轟と云う風の音に包まれて、無心に垂直の梯子を下り、岩礫の傾斜を慎重に下る。そうしているうちに、遂に果たした槍ヶ岳の登頂の喜びが、緩やかに体内に広がっていくような気がした。自分が自分でなくなるような精神状況が、高度を下げていくうちに、沈静化していくような感覚だった。そんな不思議な山が、今迄在っただろうか。槍の肩にふたたび降り立った私は、漸く落ち着きを取り戻した。そうして、去り難い気持ちの儘、何時までも山荘のテラスで、ぼんやりとしていた。


Yari5

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