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2018年3月

東天狗・初めての厳冬期八ヶ岳登山(中篇)

Tengu1

渋の湯行きのバスは二台の増便になり、全乗客を着席させて、快晴の茅野駅を発車した。乗客は当然のことながら、冬期登山の装備と恰好の者ばかりである。ザックに括られたピッケルの先端が乱立している。其れは自分も同様なのだけれど、禍々しい光景に見えるので落ち着かない。縄文遺跡の尖石から県道渋の湯掘線に入り、銀嶺の八ヶ岳と、純白の蓼科山が交互に車窓に現われる。今迄は遠く眺めていただけの雪山であったが、今日は其れに登る。しかし未だ実感は湧いてこない。今日の午後から天候は悪化し、降雪となる気象予報であったが、今のところそのような兆候は全く感じられない。

Yatsugatake

2018/2/10
渋の湯---黒百合ヒュッテ---中山峠---黒百合ヒュッテ

県道が湯みち街道の名に変わり、勾配を蛇行しながらバスは雪道を着実に走行している。終点の渋の湯の標高が1800m程であるから、茅野駅から約千メートルの標高差を運んで呉れることになる。約一時間の乗車で、奥蓼科温泉郷の辺境地、渋の湯に到着した。二軒しか無い温泉宿の前に登山客が散開し、それぞれが準備を行なおうとした途端、宿のおばさんが飛び出してきて、玄関前に留まるなと喚き叫ぶので驚いた。其れで、登山者たちが蜘蛛の子を散らすようにして其の場から消え去った。

硫黄の香が漂う渋川の畔に移動して、いよいよ身支度を整える。オーバーパンツを穿き、ゴローの靴紐を締め直してからスパッツを装着した。登山詳細図の皆は着々と準備が整うが、私は動作が覚束ない。冬用手袋の裏地が本来の指先部分から外れてしまい、装着できなくなり焦った。世話人氏に直して貰い、漸く出発の列に並ぶことができた。平常心からは遠く掛け離れた気分で、指示された順位に並んだ。登山道は渋川を渡った処から、直ぐに始まった。

渋の湯から黒百合ヒュッテ迄、其れは八ヶ岳の稜線に至る行程の中でも簡便なルートであり、人気のコースである。夏山の所要時間で凡そ二時間半である。山麓から中山峠に至る長大な尾根の、標高2000mの圏内に向かって、渋の湯からの登山道は支尾根に沿って辿っていた。サブリーダーHSさんを先頭にして、登山隊は樹林帯の雪道を、粛々と登り続ける。多数の登山者が歩いているので、完全にトレースが出来上がっているから、歩行には何の支障も無い。アイゼンの必要性も余り感じることができないが、其れは軽忽な思惟なのかもしれない。

分岐を合わせる地点の道標を過ぎると、空の色がどんよりとしてきたのが、樹間から察せられるようになった。支尾根の勾配が、やや急になり、雪中行軍の隊列の間隔が乱れていく。HSさんの歩調は淡々としているが、ペースは速いようであった。今年は余り積もってないね、と云うような会話を世話人氏とMD氏が交わしている。雪化粧した潅木が周囲を覆っている登山道を見渡しても、積雪量の相対的な評価を下すことが出来ない私は、黙々と歩を進めるばかりであった。眼鏡の上に慣れないサングラスを掛けているのが気になって、時折位置を調整する。曇天だが、雪だらけの中では、サングラスを掛けている方が気分が落ち着くのが不思議であった。

パノラマコースと云う名のある尾根に合流する道標地点に到達して、多くの登山者たちが休憩していた。其れを横目に、我々は歩行を続行する。眺望の利かない樹林の中を、緩やかな勾配のトレースを歩き続けた。雪山装備の恰好で、地図を確認したり、カメラを取り出して写真を撮る余裕は、私には無かった。次第に雪が深くなり、急傾斜の踏路を終えると、視界が開けた平坦地が、黒百合平のようであった。

Tengu2

山小屋の向こうに広がる広場に、想像していた以上にたくさんのテントが設営されていた。今夜は黒百合ヒュッテに投宿するが、小屋の中に入る為にはアイゼンを外さなければならないので、取り敢えず此の儘中山峠迄歩こうと云うことになった。好天の場合は、初日に天狗岳に登頂する予定であったが、其れは既に中止の決定が下されていた。天候は予報の通りで、曇天の空に雪が舞っている。

テントサイトの中を通過して、いよいよ雪深い樹林帯に入り、間も無く強風の中山峠に到着した。東側が鋭く切れ落ちている、八ヶ岳の稜線に達した訳だが、余り其のような感興が湧いてこない。北方に足を伸ばして、眺望の開ける処迄歩く。風と霧が混淆して、何処にいるのか判らないような天候だが、此処で西天狗と、東天狗の前衛のピークが並んでいる光景を眺めることができた。東面の山麓風景が、遠くの奥秩父の山々を背景にして、広がっていた。視界の左端に、凍りついたように白い、特異な形状のテーブルマウンテンが、静かに横たわっている。あれが荒船山ですね。世話人氏が指し示した。

風はいよいよ強くなっていき、我々は黒百合ヒュッテに向けて踵を返した。初日、或いは翌日の午前中の何れかに好天に恵まれれば、天狗岳に登頂すると云う計画であった。恐らく、今日登れなかったら明日は無理だろう。スーパーあずさの車中で、HSさんが云ったことを思い出しながら、私は黒百合平への隊列に居た。悪天候は自然の摂理であるので、悄然として歩いている訳ではなかった。慣れないグループ登山、そして冬山の行程に、未だ内心が落ち着かない儘、私は積雪の樹林帯を歩いていたのだった。

東天狗・初めての厳冬期八ヶ岳登山(前篇・雪山装備の調達に懊悩する)

冬山の経験が殆ど無いに等しい私が、厳冬の二月に北八ヶ岳、天狗岳登山を敢行することになった。勿論自分の発想では無く、「登山詳細図」踏査隊のメンバーによる山行計画に参加させて貰うことになった所以である。リーダーである世話人氏に誘われて、その気になったのはいいが、其れからは、雪山装備の準備に就いて、頭を悩ませる日々が続いた。
登山計画書と共に送られてきた必携装備一覧によると、

登山靴(冬季用)、スパッツ、アイゼン十本爪以上、ストック、ピッケル、サングラス、ゴーグル、目出帽、冬季用手袋、ヤッケ(シェル)上下、防寒具、ニット帽、行動食、非常食、ツエルト、日焼け止め、地形図、登山地図、コンパス、GPS、ワカン(スノーシュー)

となっている。私が所有していないものを数えてみると、十三項目にも及んでいる。どうしたらいいのか。動悸、息切れ、そして眩暈を感じつつ、私は装備の調達に就いて悩み続ける。ひとつひとつ、克服していかねばならない。

登山靴は最も重要なところで、踏査隊の皆に聞いてみると、イタリアのスカルパ製のものがよいと云って勧められた。其れで山道具の店に行き、現物を確認した。申し分の無いもののように見えたが、高額の割りに、購買意欲が湧かない。合理的な材質と形状の重登山靴の佇まいに、魅力が感じられない。其れで、以前から欲しいと思っていた「ゴロー」の革靴のことを思い出した。受注生産のゴローは、足型を測って貰ってから製作するので時間が掛かるので、決行一ヶ月前の今からでは間に合わない。そう思っていたのだが、既に出来上がったものが自分の足にフィットすれば其れを購入できると知り、あわよくばの思いで、巣鴨の店舗に行ってみた。

Goro_arata

狭い店内に入ると、店主然としたおじさんが、一心不乱にソールの張替え作業に没頭しているところだった。客が入店しても作業を止めない店主に、ある種の畏怖を感じつつ、作業がひと段落する迄、私は其れを眺めていた。漸く、ソールがべりべりと剥がれていく。なかなか剥がれないんだよこれが。顔を上げたおじさんは私に云った。

初めての雪山、二月の天狗岳に登ることになった。私は、救急患者のような心境になって、買える靴が有るのかを相談した。其れで、足型を計って貰った。其れ程極端な足の形では無い、と云うことで、棚に陳列してあった靴を試し履きしてみる。私は、厳冬期の八ヶ岳なので、買うのであれば、ハイエンドモデルの「エグリー」であろうと考えていたのだが、「エグリーはちょいと大袈裟かなあ」と店主が云った。

其れで勧められた靴を履くと、問題無くフィットした。商品名が記された札に「アラタ」とある。「ゴロー」のホームページには掲載されていない靴だったので不安になるが、「未だ(HPに)載ってないんだよ。去年の12月から売りだしたから」とのことであった。価格は中敷きを入れて五万円弱であった。私は其れを購入した。雪山用重登山靴をさんざん物色して、凡その相場を認識していたので、其れ程高額だとは感じない。

「此れで四足目だ。売れたの」そんな店主氏の言葉に一抹の不安を覚えながらも、私はゴローの靴を入手できたことに安堵した。しかし、其れからが大変であった。重厚で硬い登山靴に慣れる為に、とにかく履いて歩かねばならない。翌日に、中央本線梁川駅から倉岳山に登った。急登や岩崖の点在する、北東尾根を果敢に登攀した。そして、平坦地では快適だった足取りが、急登になって異変が起きた。踵が痛い。登山靴を履いて、登りに掛かって足が痛くなると云う不条理に驚愕し、落胆した。早まってしまったのか。動悸が激しくなってくる。

Kuratake

ゴローの靴を買って、同様の痛みに遭い、其の後の経緯を記したインターネットの記事を探して読み漁った。殆どの書き手が、履き慣れる迄に一年以上を要して、やがて快適な履き心地になったと語っている。ゴローの利用者は、自分の足が靴に慣れる迄、辛抱強く履き慣らしていることが窺えた。最初の試運転を終えて、私はピンポイントで痛い踵痛に対する対応策を考える。踵にガーゼを当て、サージカルテープで固定し、厚手の靴下を二重に履いた。

倉岳山から四日後、今度は青梅線川井駅から沼沢尾根経由で高水三山の岩茸石山に登った。此処も主尾根に到達する迄に、楽では無い急登がある。靴下とガーゼの対策は効果的であった。帰宅してから布で靴を磨いて、防水ワックスを丁寧に塗り込むと、日が経つに連れて、なんとも云えない柔らかさの質感が増してくる。雪山登山の為に止むを得ず購入した靴のことなのに、ゴローの靴、其のマチエール自体に、すっかり魅了されてしまった。履き心地に進展があると、ますます愛着が湧いてくる。

今年になってから日本海側では、大雪に拠る激甚災害が頻発したが、1月22日に、関東地方にも大量の降雪があった。此れは、ゴローの靴を履いて雪を歩けと云う啓示かもしれない。私は翌日の正午近くに、のんびりと出発した。登山口に立つ時刻が遅いので、ふたたび梁川駅から、眼前に聳える斧窪御前山に登った。短い行程だが急登である。積雪は足首が埋まる程度で、勾配の積雪をキックステップで登り続ける。雪中歩きでも、足が冷えてくることは無く、踵もテーピングで大丈夫であった。私は満悦の境地で下山した。

Onokubo

初めての厳冬期八ヶ岳登山の話が、なかなか始まらない。懸案の靴が準備できたので、装備を急がねばならない。ハードシェルウェアの上下と、頑強なスパッツ、そしてオーバーグローブを購入して、出費金額が次第に激甚なものになっていった。雪山登山装備の要点は、天候が荒れた場合に於ける身体防護の為に他ならず、生命の危機に瀕する問題であるので止むを得ない。それにしてもお金が掛かるので、ゴーグルとサングラスは、ネット通販で廉価なものを、息切れしそうになりながら購入した。

雪山登山装備の最も象徴的な存在である、ピッケルとアイゼンも買わねばならない。私は眩暈を起こしそうになる。此処で、救世主が登場する。登山詳細図踏査隊随一の山道具愛好家、KR氏である。と云っても、実は靴を購入する前から依頼していたことで、ピッケルと十本爪アイゼンを貸与して貰うことになっていた。KR氏には此の間も、ゴローの靴に関してメールで相談に乗って頂き、初雪山の前に動揺、昂奮している私を鎮静して下さっている。

出立の一週間前、参加者有志の会合を新宿の中華料理店で開催することになり、其の場で私は無事、雪山装備のツートップ的存在であるアイゼンとピッケルを手にしたのであった。そしてあろうことか、ピッケルは其の儘、使っていいよとKR氏が云う。呉れると云うので驚愕し、恐縮するが、結局、戴くことになってしまった。そして此れは、無事、北八ヶ岳から下山中の時に話が飛んでしまうが、アイゼンの調子が頗る良かったとKR氏に感想を述べると、其れでは、此れも進呈しよう、と宣り給はれた。文字通りの恐悦至極の儘、ブラックダイヤモンド製レイブンプロと、コントクトストラップが、下賜されることになった。御下賜品である。勿体無いことである。

厳冬期の北八ヶ岳、天狗岳登山の出発日が近づいてきた。一泊二日、宿泊は黒百合ヒュッテである。山小屋に宿泊するのも、実は初めてのことである。初体験であるが、グループ登山なので不安は無い。ザックは存外に使用頻度の少ない、クレッタルムーセンGungner40を出動させることにした。テント装備では40リッターの出番が無いので、小屋泊まりの今回は丁度良いと考えた。

通常の山歩きの恰好の上にモンベル製オーバーパンツを穿き、上半身はメリノウールの肌着にフランネルシャツ、そして厚手のフリースジャケットを追加し、新調したアウターシェルのミレーで、万全と見た。下山後に渋の湯に浸かると云うので、若干の着替え、山小屋滞在用のダウンパンツ等をスタッフバッグに詰めて、Gungnerに収納すると、丁度良い容量であった。しかし、実際の行程では、フリースジャケットを使用したのは稜線上だけで、歩行中の殆どはザックの中に居たので、存外にクレッタルムーセンは膨れてしまった。

雪山登山の装備は、とりあえず終了した。漸く出発である。出発当日の朝、全ての準備を整えて、新宿駅に向かった。行動食や手袋類をハードシェルジャケットのポケットに詰め込んでいるので、上半身が膨れている。満を持して、スーパーあずさ1号の停車しているプラットホームに上がると、「箱根登山詳細図」のMD氏にいきなり出くわした。使い込んだ風合いのザックに、木柄のピッケルと、木製の輪カンジキが括り付けられている。其れを見て、私は動揺した。挨拶もそこそこに、車内に入ると、今回のサブリーダーである、女性隊員のHSさんが間も無く合流した。HSさんの装備は、コンパクトなザックに、ピッケルとアルミ製ワカンが綺麗に収まっていた。想像を絶するくらいに軽装に見える。私は動揺した。

KR氏とNZ氏が乗車して、新型E353系のスーパーあずさ1号が新宿を出発した。雪山行きの車内で、MD氏は届いたばかりと云う「箱根登山詳細図」の校正紙を広げ、皆と其れに就いて語り合っている。私は、隣席のHSさんに、其のコンパクトな装備に就いて質問したり、真冬の北八ヶ岳の経験談に聞き入ったりしていた。立川駅で、世話人氏夫妻が乗り込み、登山隊は全員が集合した。スーパーあずさは、瞬く間に山梨県に突入し、車窓に山岳風景が展開していく。私の動揺が収まらない儘、列車は茅野を目指して、快走していった。

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