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2017年11月

断章的に。馬返からの富士山・初めての吉田口ルート

Fuji1

2017/8/5
馬返(11:20)---一合目・鈴原神社(11:50)---二合目・小室浅間神社(12:30)---四合目・御座石浅間神社(14:10)---佐藤小屋(15:25)

2017/8/6
佐藤小屋(0:10)---六合目(0:45)---七合目・花小屋(2:40)---東洋館(4:00)---御来光休憩(4:50)---八合目・太子館(5:25)---元祖室(7:25)---八合五勺・御来光館(8:40)---九合目(9:35)---富士山頂・久須志神社(10:05)---佐藤小屋(14:30)


Map

昨年の夏休みに遂行できなかった、吉田口一合目からの富士親子登山を、漸く完遂した。次男の罫君とふたりでの登山と云うことで、計画は一年前に作成してある。馬返から佐藤小屋に登り、テントを設営して深夜に出立、御来光は登頂の手前で見ることになる行程である。そうして実際、上記の通り、佐藤小屋を予定通りに出発したが、其の後の行程は想像以上に時間が掛かり、凡そ十時間を掛けて、吉田口の頂上、久須志神社に到達したことになる。

思い出深い山行であった。登りの労苦は相当なものであり、知識としてあった山小屋の多さに感服し、山小屋従業員の冷徹な態度に立腹し、団体登山グループの渋滞に巻き込まれ、鈍重なペースに適応してしまい更に鈍足になり、雲海が明るくなっていよいよ御来光だと云うことで、中途半端な山腹で腰を下ろして休憩し、待つこと数十分で見事な日の出を拝み、御来光館の八合五勺に達した頃は中天に陽光が燦々と降り注ぎ、ベンチに座り込んでぐったりとなった。


Fuji2

決行の数日前から天候予報が怪しくなり、どうなることかと思いながら出掛けてきたが、結果的には夜間歩きの途上でも寒さに震えることもなく、時折富士吉田市街の夜景も窺える程の好天であった。其れは好結果であり、喜ばしいことであったが、全体的な計画に多少の誤算が生じたのは、我々ふたりの登山ではなく、途中で志願してきた友人親子を加えての四人の登山隊になったことであることに要因が在ることは否めない。

友人の御子息は、初日の吉田口登山道の途中から嘆息して愚痴っぽくなっており、疲労を隠せなくなってきていたから、其の後の行程の様子は推して知るべしで、恐らく、私と罫君のふたりだけであれば、此れ程のスローペースにはならなかったのではないかと云う感懐を抑えることが出来ない。御殿場ルートで、初めての富士登山を経験したので、マジョリティの参加する吉田口ルートに関しては、全く不安を感じていなかったが、改めてグループ登山の難しさを実感したと云うのが率直な感想である。

それでも晴天の中、山頂部に達して、それぞれが納得し、安堵しつつ達成感を味わった。大幅な遅れと、疲労感の所為で、御鉢巡りは勿論断念した。山頂に売店が並び、人混みを掻き分けて通行すると云う光景に驚きつつ、下山に掛かった。吉田ルートの下山道は地図の通りに連続するジグザグが延々と続き、足元と共に神経が疲弊した。

佐藤小屋に戻り、テントを撤収し、此れも初めて訪れる富士スバルライン五合目に向かう。観光地の土産屋が並ぶ騒がしい場所だった。商店の店員の接遇の程度は低く、商品も同様であった。早く帰京したいと思うが、新宿行きの高速バスは既に満席なので、路線バスで河口湖駅に向かい、鉄道で帰ってきた。


Fuji3

良くも悪くも、富士山の登山であった。思い出深く、反省点の多い山行であった。罫君とふたりで、来年もう一度登りたい、密かにそんな欲求が湧いているが、伝えたら、うんざりされるような気がするので、罫君には未だ伝えていない。ほとぼりが冷めてから、誘ってみようと思っている。

追記

今回の登山を終えた直後、台風5号が本州に上陸。其の影響で、我々が帰京した翌日の午後、大月駅構内の線路が冠水し、中央本線の四方津から塩山の区間が終日運休となった。記録的な大雨であり、岩殿山の斜面が崩れ、入山禁止となった。2017年11月現在、復旧のニュースは未だ無い。此の台風5号、発生から消滅迄の時間が長く、史上第三位の「長寿台風」だったとのことである。

【7月21日午前9時に南鳥島の近くで発生した台風5号「ノルー」は、日本の南を迷走して奄美地方を通過。その後和歌山県北部に上陸して、富山湾(日本海)へ。そして9日午前3時に山形県沖の日本海で温帯低気圧に変わりました。発生からの台風としての存在期間「寿命」は18日18時間におよびました。これまで統計がある1951(昭和26)年以降で台風の総数は1700あまりですが、その中での3番目に記録的な「長寿台風」ということになります】(日本気象協会webより抜粋)

五地蔵山から高妻山

Gojizo1


高速バスで長野駅に、そして古びた車体の路線バスに乗り換えて、戸隠を目指す。此の行程は、昨年の飯縄山を訪れて以来、三度目である。二度目は昨年の十一月初旬のことで、此の時の山行は、結局のところ目的を達せずに撤退した。帰京してから、沈鬱の気分の儘、暫く山から遠ざかった。

戸隠連峰の十一月、私は其の自然の猛威に圧倒されて、目的だった高妻山に登ることができず、翌朝に下山したのだった。

粉雪の舞う戸隠キャンプ場を今回と同時刻の、午後一時半過ぎに出発すると、弥勒尾根の途上で暴風雪になった。其れに抗いながら、積雪を踏んで六弥勒に辿り着いたのは午後五時を過ぎた頃で、稜線上を通り抜ける風はいよいよ強烈になった。下ろしたザックから荷物を取り出し、テントを設営しようとするのだが、儘ならない。テント布に骨組のポールを挿入した時、猛烈な風が起こり、一瞬、テントが手から離れた。木々に引っ掛かって呉れたので、テントが飛んでいってしまい回収できなくなる、と云う最悪の事態は免れたが、私は恐慌に襲われた。覚束ない指先に見切りをつけて、手袋を外した。暴風雪に晒された手の甲に激痛が走り、間も無く指先の感覚が無くなってしまった。

登山道の途上に、決死の思いでテントを設営した。窪んだ雪の道は、風の影響が少なかった。震えの止まらない身体を丸めてシュラフに包まり、ひと晩を過ごした。そうして深夜には風が止み、翌日は嘘のような晴天になった。しかし、私は恐怖の余韻が醒めず、高妻山に登る気力は、完全に無くしてしまった。テントを畳み、弥勒尾根を下山することにした。無我夢中で立てたテントを覆うフライシートの、裏表が逆になっていたから、其の恐慌ぶりが窺える。茫然とした儘、ふたたび六弥勒に立った。朝の陽光に照らされた、白銀の高妻山が、直ぐ其処に聳えていた。

弥勒尾根を下り始めて、直ぐに眺望が開ける。左手の遠くに、妙高から続く火打山と焼山の銀嶺が、神々しい迄に輝いていた。明瞭に続く、真白い尾根道を淡々と下っていく途上で、単独行の女性が登ってくるのと擦れ違った。挨拶を交わし、私は自分の行状を話した。テントで尾根に居たのなら、高妻山に登ればいいのに。そんなことを、妙齢の単独登山女が云った。私は空虚な気持ちになって、其の場を辞した。

Photo

2017/6/13
戸隠キャンプ場(13:40)---弥勒尾根登山口(14:10)---弥勒尾根---六弥勒(16:40)---五地蔵山(16:45)

痛恨の思いの儘、挫折した高妻山登山のことを、心の奥底に閉じ込めておいて、冬が終わり、季節はもう梅雨に入っている。高速バスの格安チケットを入手した私は、ふたたび同じ行程で、高妻山に登ろうと考えた。梅雨の時期であるから、当然降雨に遭う確率も高い。しかし、暴風雪のことを思い出すと、少々の雨のことは、なんとも思わない。余りに酷い雨であれば、昨年と同じように諦め、温泉に浸かって、戸隠蕎麦を食しながら麦酒を飲んで帰ってこればよい。そんなふわふわとした考えで、私は戸隠キャンプ場バス停に降り立った。

弥勒尾根に合流する迄の支尾根を登っていると、霧が徐々に濃くなっていった。そうかと思えば、突然に強い陽差しがスポットライトのように行く手を照らす。支尾根に纏わり付いた霧を抜けると、主尾根に乗った。戸隠牧場方面の景色が樹間に広がる。瑪瑙山と飯縄山が、雲海の上に浮かんでいた。

Gojizo3

五地蔵山と対峙しながら、尾根を着実に登っていく。新緑の山に、未だ立ち枯れの白樺の木々が点在している。標高を稼ぐ程に、ふたたび霧が纏わり付いてきた。幽玄の趣ではあるが、私の心境としては、一刻も早く六弥勒の稜線に到達して、適地にテントを設営したい、其のことで一杯なのであった。

尾根の左方に、遠望が利いてきた。戸隠山の、禍々しい迄にギザギザの山肌が現われる。延々と続いている戸隠連峰の稜線に、私は向かっている。梅雨の時期であるのに、山道は霧に覆われているだけで、時折其の隙間から、穏やかな麓の景色さえ窺える。其の事実の有難味だけを感じながら、私は歩を進めていく。頭の中はぼんやりと白い儘であった。そうして尾根道が細くなり、傾斜が急になると、程無く、登山道、の道標が現われた。六弥勒の祠が鎮座する稜線の小ピークは、静寂に包まれて、一日の終わりを待っているようであった。

安堵の吐息をついて、私は高妻山に背を向け、登山道を南下していく。悪夢の猛吹雪でビバークした箇所を、感慨深い思いで通過し、緩やかな踏路を辿って間も無く、五地蔵山のピークに到達した。眺望は、霧に包まれているので、皆無であった。クレッタルムーセンHuginを下ろして、満悦の気分で紫煙を燻らせた。

Gojizo4

空身になって、登山道に戻り、祠の在る五地蔵の地点を偵察に行った。幕営に何の支障も無い広場であった。瓦礫の山頂は狭いので、どちらにテントを設置するべきか少し迷ったが、矢張り、ザックを置いてきた山頂に張ることにした。五地蔵山に戻り、テントを立てると、霧はいよいよ濃くなっていった。運んできた缶麦酒を取り出して、簡単な食事とともに飲んだ。無事に、此の場所で静かな夜を過ごせる。其の気持ちで胸が一杯になった。霧の中で、私は何時迄も、ぼんやりと煙草を銜えていた。

Gojizo5

2017/6/14
五地蔵山(4:40)---六弥勒(4:45)---七薬師(5:00)---八観音(5:20)---一九勢至(5:35)---一十阿弥陀(6:20)---一高妻山(6:25)---一十一阿閦(6:45)---一高妻山(7:15)---一六弥勒(8:50)---一弥勒尾根---一弥勒尾根登山口(10:20)---戸隠キャンプ場(10:55)

アラームで午前四時に目覚め、テントを這い出ると、既に中空は青味掛かっていた。木々の向こうに、昨夕は濃霧で判らなかったが、高妻山の姿が浮かび上がっている。五地蔵山から眺める高妻山は、直ぐ隣に聳える高山と云う風情であった。私は、好天の予感に逸る気持ちを抑えるかのように、珈琲を淹れて、紫煙を燻らせる。

眼前に広がる東の空に、朝靄が徐々に晴れて、地平線が赤味を帯びていく。そうして、特徴的な妙高の山容がシルエットになって浮かび上がった。気が付くと、其のずっと手前の、直ぐ眼の前に、黒姫山が立っている。雲海を敷き詰めた彼方から、急速に黎明の光が浮かび上がり、其の儘、黒姫山の広い火口を照射して登って来た。五地蔵山の夜明け、其れは思い掛けない程の眼福であった。

すっかり明るくなって、高妻山の全容も判然としてきた。懸念していた残雪も、其れ程でもないようであった。私は漸く、出立の身支度を開始する。全身が、溌剌として軽い。そんな気分だった。

山頂を辞して、六弥勒に戻る。巨大ザックをデポして、サブザックのみの身軽さで、高妻山を目指す。明瞭な踏路を下り、山稜の起伏を次々にパスしていく。七薬師の手前で、北面の山肌に残雪が溜まっていた。慎重に歩を進めると、程無く通常の登山道になった。雪で冷えた空気に、強烈な陽差しが照り付ける。其れに呼応するかのように、霧が立ちこめていった。

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七薬師を通過すると、進路の先に顕著な山容が出現する。尾根が収斂する八観音のピークだった。背景はいよいよ紺碧の空になり、申し分の無い快晴の朝になった。本丸の高妻山を隠すようにして聳える八観音のピークの、西側を捲いて越えていく。間も無く、唐突に全貌を現わした高妻山が、いよいよ間近になって大きい。其の険しい山肌の向こうに雲海が広がっている。其の雲海の彼方に、銀嶺が連なっているのが明瞭になった。雲海に浮かんでいるのは、北アルプス、後立山連峰だった。恍惚となって其れを眺めてから、時刻を確認する。五地蔵山を出発して、一時間が経過していた。

八丁ダルミを通過して九勢至の祠に達すると、眼前の高妻山の他に登るべき小峰は無くなった。笹原の小径に歩を進めて、やがて本丸の勾配に掛かる頃、行く手は頑強な残雪に覆われていった。設置されたロープの助力を借りて、難渋して通過すると、礫岩の急勾配に変わった。そうして見上げると、空が近い。私は、いよいよだぞ、いよいよなんだぞ、と、内心で呟いている。息が荒くなって山頂の肩に登り詰めると、巨岩を光背にしたような十阿弥陀の祠が在った。其の先に、山名標の立つピークを目視して、巨岩の折り重なる山頂の踏路を、静かに辿っていく。

標高2353.0m、高妻山の山頂に達した。磨耗して丸味を帯びた三角点に寄り添うようにして、山名標が立っている。岩畳の上に立ち、改めて後立山連峰を眺めた。昨年登った白馬岳を目印にして、其の山並みを凝視すると、不帰ノ嶮や鹿島槍が明瞭に判別できる。昨年果たせなかった、高妻山の登頂を達成した訳だが、其の見返りは、連綿として消えなかった沈鬱な気分を、一掃して呉れる絶景であった。

Gojizo7

全てが報われたような気持ちになって、安穏とした儘、北の方角を眺める。高妻山の先に延びる尾根の先に、乙妻山が在る。其れが、直ぐ其処に在るように、見下ろせる。私は、キャンプ場の下山予定時刻を逆算して、どうするか迷う。下山して温泉に入り、蕎麦と麦酒。其れは死守するとして、此処迄来たのだからと、乙妻山に向かって左にカーブしながら連なる尾根の道を眺める。そうして、欲張った気持ちを制御する思惟もなく、高妻山を越えて歩き出した。

西側の断崖を舐めるようにして、稜線の淵を辿る道が続いた。振り返って見上げる高妻山の表情は、先程迄とは全く違うものであった。北信州の山の、奥深い処に居るのだなと、再確認できるような、名峰の姿だった。十一阿閦(あしゅく)の祠に達して、其の先に足を踏み出して間も無く、踏路は残雪に覆われるようになった。軽アイゼンを持ってはいたが、私は此の時点で憑き物が落ちたような気持ちになった。そうして、温泉と蕎麦と麦酒に誘われて、引き返すことにした。

登り返してふたたび高妻山の頂に戻り、最後の休憩を取った。眼福の北アルプス、後立山連峰の銀嶺群は、既に雲に隠れてしまって、見えなくなっていた。儚く淡い夢。そんな言葉が浮かぶ。ひとときの僥倖に巡り合うこと。そんな偶発的な感懐を、利己的に受容すること。無為に歩く山の旅をする者が、無意識に求めているものがあるとすれば、そんなことのようにも思える。

山頂に残っている、山桜の細い枝が揺れていた。短くも美しく燃えようと、花は此れから咲こうとしているようであった。其れを名残惜しい気分で眺めてから、私は踵を返すようにして、高妻山からの下山を、開始した。

Gojizo8


追記

六弥勒迄の道程、所要時間が登りと殆ど変わらなかったので、残雪の道に難渋していたと思われた。六弥勒でデポしたザックを回収して直ぐに、ふたり組の高齢男性が到達した。其れだけが山中で会った登山者だった。

快晴の戸隠キャンプ場バス停に到着。バス時刻迄三十分くらいあるので、濡れたフライシートを取り出して路面に広げたら瞬く間に乾いた。

戸隠中社でバスを降りて、恒例の「神告げ温泉」に入浴。浴後、麦酒と蕎麦を食すが、今回は天笊を注文してみた。天麩羅が殆ど山菜だったので少し残念だった。山の中でも天麩羅には海老が入っていてほしかったというのが正直な感想。

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