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霧降高原から女峰山(後篇)

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午前四時にテントから這い出ると、空は薄っすらと青味掛かった程度だったが、珈琲を沸かして飲んでいるうちに、あっという間に夜が明けた。昨日は間断無く流れる雲間から、時折覗いていた女峰山であったが、今朝は明瞭に、眼前に佇んでいる。 


此処、一里ヶ曽根独標から北西に迂回する尾根が、北側の尾根を収斂して、女峰山に連なっている。晴天の順光で眺める女峰山は、直ぐ其処に在るような気がする。私は、心静かにテントの撤収を終え、整地した場所に岩礫を戻して、小さな祠に手を合わせた。女峰山登頂の朝は、此れ以上に無い好天のようであった。

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2017/5/29
一里ヶ曽根独標(5:30)---女峰山(7:05)(8:00)---唐沢避難小屋(8:40)---竜巻山(9:30)---黒岩(10:30)---稚児ヶ墓(11:50)---行者堂(12:30)---日光東照宮(12:45)---東武日光駅(13:25)

鞍部に下り、雪解けの水場を確認しつつ、ふたたび尾根に登り返していく。目的地を谷を挟んだ向こうに確認しながら、細くなっていく岩尾根を辿る。迂回していくように辿る尾根道の、北西の端に至ると、女峰山から西に連なる、日光連山の様子が明瞭になっていく。顕著な突起がふたつ在り、どちらかが帝釈山だろうと思うが判別はできない。何れにしても、徐々に、女峰山の登頂が近づいているようである。

細尾根が、やがて険阻の壁に突き当たると、いよいよ岩礫の急勾配となった。思った以上に険しい登りで、注視していないと足元が覚束ない。其の途上でふと気が付くと、尾根の西側には風景が広がっている。遠くに、尾瀬の燧ヶ岳らしき特徴的な山容、其の向こうに、長大に連なる銀嶺が輝いている。岩崖の途中で恍惚となるが、かぶりを振ってから我に返り、慎重に登りを再開した。

昨夜の幕営地、一里ヶ曽根独標のことが脳裏に浮かんだ。当初の漠然とした計画では、女峰山に至る途上の何処かで、テント泊をすると云うことになっていた。一里ヶ曽根から先の候補地としては、標高点2318m付近の、等高線が細長い平坦地と、女峰山直前の、三角点2463.7mのピークの、其のどちらかであった。前者は踏路だけが辿る細い尾根だったので、テントを広げるような場所は無く、後者の場合は、辿り着く前に、此の厳しい岩崖登りが阻むように聳えている。改めて、昨日の幕営地決定が正しかったのだと、反芻するように思い返していた。

険しい崖を登り、細い岩尾根に這松が並んでいる。もう直ぐ登頂かと思いきや、這松のプロムナードが尽きると、ふたたびの崖の斜面が待っていた。立ち並ぶ枯木が散見される岩場を登り詰めても、更に山塊は見上げるようにして聳えている。気持ちの昂りを諌められているかのように、登山道は続いていた。其れで無心になって砂礫の傾斜を登り、ふたたび尾根の肩に乗ると、此れ迄見えていなかった南側の景色が開けた。

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細長い頂上付近の尾根道に、三角点2463.7mのピークが在った。這松に囲まれた狭い空間に在る、瓦礫が散在する平坦地には、確かに三角点の標石が在った。テントがひと張り程しか設営できない広さではあるが、直ぐ其処に、女峰山の頂上に山名標が立っているのを確認できる良景であった。つい先程迄、一里ヶ曽根独標の幕営を自画自賛していたが、此処で張っていれば格別の風景を享受できただろうなと、少し後悔した。

女峰神社の社で唐沢避難小屋からの登山道が合流して、岩の塊りが盛り上がったように聳える、何処か人工的にも見えるピークに登り詰めた。午前七時の女峰山頂上は、すっかり朝の気配を無くしていたが、快晴の陽光が心地好く、穏やかな気候であった。

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順調に行程を終えて登頂し、やれやれと云うような気持ちだったが、誰も居ないものと思っていた頂上の瓦礫場に、ひとりの男性が膝を抱えて蹲るようにして座っていたので、吃驚した。動揺を隠しながら声を掛けて挨拶すると、振り返って挨拶を返してきたのは、随分若い男性だった。印象からすると高校生のような顔つきであるが、暫くの会話の後、地元栃木県の大学生であると云うことを知った。

平日月曜日の午前七時、女峰山の頂上で人と遭遇するとは、と内心で落胆してしまうが、此れもお互いが思うことである。止むを得ない。私はクレッタルムーセンの巨大ザックを傍らに置いた。大学生は見たところ何の荷物も持っていないようであった。避難小屋泊りですか、と訊ねてみると、昨夜から登ってきて、先程着いたと云う、意外な答えが返ってきた。

薄手のウィンドブレーカーを着ているだけの彼は、靴こそ登山用のものだが、一見すると街中を歩いている若者のような恰好であった。そんな彼が、昨夜から、東照宮から派生する、寂光滝の登山道を発ち、夜通しを歩いて女峰山に登ってきたと云う。そして、途中で笹が深い処に当たってしまい、道に迷ったので随分時間が掛かってしまった、などと云っている。

私は、南九州、霧島の韓国岳の時に出会った、軽装氏を思い出した。弱くない降雨の中、雨具も無く、ショルダーバックとビニール傘だけの装備で高千穂峰に登った彼は、稜線でビニール傘を飛ばされて、ずぶ濡れになって下山した。当たり前である。

短パンに穿き替えて、寒さに耐えている様子の軽装氏に、余計なこととは承知しつつも、随分無理をしますね、と、やんわりと云った。軽装氏は、無謀なだけです、無謀なことが好きなんです、と云った。

そんなことを思い返し、改めて日光夜歩き青年を眺める。彼は此れ迄も同じような夜歩きを敢行していて、女峰山は二度目だと云う。そして、そう云うことが好きなのだと、呟いた。云う迄も無く、無謀であるが、何の荷物も持っていないと云うのに驚く。若者特有の、鬱屈した思惟を抱えた果ての行為なのだろうか。そんなことを思うが、当の本人は、寡黙な訳でも無く、淡々と自分のことを喋っている。霧島の無謀軽装氏も、そう云えば雄弁だったな、と思い出す。

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快晴の女峰山は、遮るものの無い全方位の眺望であった。おっ、富士山。私が声を上げると、夜歩き青年も、彼方に浮かぶ小さな左右対称の台形を見る。

「此れも朝の僥倖、昼には見えなくなるかもね」私が云う。
「えっ、其れは何故ですか」夜歩き青年が云うので、私は少し狼狽する。

「何故って……富士山は頻繁に、雲が纏わりつくから……かな」

富士山から視線を逸らせて、遥か北方、越後三山方面を眺める。さすがに関東地方の最高峰、日光白根山から連綿と続く、此処女峰山からは、何処迄も見渡すことができる眺望である。越後の山並みの向こうに、空と地平線の境界が、曖昧に融合して混濁しているように見える。

「あれは、水平線じゃないかな。日本海が見えているのかも」ふたたび私が呟く。
「えっ、そうなんですか?」

夜歩き青年がふたたび懐疑的なニュアンスで云う。其れは確かなのか、と云う風に聞こえてくる。山では、根拠も無く、何事かに関して断言している親爺連中をよく見掛ける。そんな時、私は内心で、本当かなあ、と云うようなことを呟く。もしかして、そんな風に思われているのだろうか。其れで私は寡黙になって、妙な気分で、絶景を眺め続けていた。

未だ済ませていない朝食は、山頂でインスタント麺を作ることにした。夜歩き青年は山名標の反対側で、最初と同じような恰好で、膝を抱えて座っている。飲料や食糧はあるのだろうか、そんなことを考えながら、少々落ち着かない気持ちでラーメンをずるずると食す。折角の登頂の感慨が、奇妙な人事と遭遇したことで、思惟が落ち着かなくなっていた。そうして、一時間近くを山頂で過ごし、私は荷物を整えて下山の途に就くことにした。最後に改めて、夜歩き青年に声を掛ける。

黒岩経由で日光東照宮に下山すると云うことを告げると、夜歩き青年はふたたび雄弁になって、途中の様子を説明して呉れた。彼の説明は、当然のことながら夜通しで登った経緯に拠る、深夜の光景であるから、其れを、どのように想像すればよいのか、私にはよく判らない。

彼の帰途は、私が歩いてきた赤薙山経由の霧降高原だと云う。霧降高原は初めて行くのですが、バスは頻繁に走っているのですか、と訊いてくるので、私は理由も無く狼狽する。スマートフォンで調べるとよいのでは、と告げると、そうですね、そうします、と云った。

夜歩き青年は、もう暫く山頂に居るようである。独りで山頂を満喫していたのを、私が邪魔をしに来たような構図になってしまったようで、何処か釈然としないような気持ちになるが、其れは私の異常な思考であることは、自覚している積もりである。

山頂を辞して、避難小屋方面の踏路に入ると、急激な勾配を下り始める。山頂の人影は、瞬く間に私の視界から消えた。其れでなんとなく安堵して、傾斜の緩んだ処に立ち止まり、煙草に火を点けた。木立の向こうに、男体山が泰然として、佇んでいた。


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追記

唐沢避難小屋から崩壊気味の薙ぎを横断して、前女峰の尾根の腹を辿る登山道を下り続けた。箱石金剛の祠の在る処の、尾根上に少し上がって行くと竜巻山の標柱が在った。登山道には其処に誘う道標が無いので、危うく通り過ぎてしまいそうである。

竜巻山から急激に下降するようになり、標高2000mの圏内を、尾根の崖淵を窺いながら蛇行して下る。ヤマザクラの咲き残りが谷底を窺うように佇立していた。黒岩、遥拝石の広場は、幕営に打ってつけの平坦地であった。巻き道を離れて、断崖の淵の尾根上を登り、黒岩、の山名標の在る処迄登る。格別のピークと云う雰囲気では無かったが、霧混じりの谷底の向こうは、昨日歩き続けた一里ヶ曽根の断崖であり、感慨深い。

黒岩から瓦礫場を下降して、雲竜渓谷の余韻が無くなり、広大な落葉松の樹林の道を、延々と歩き続けるようになった。山と高原地図に記されている「高原情緒」に誇張は無く、広々とした樹林の美しい道が続くが、飽きる程に長く続いた。登りの行程だと、どんな気分になるのかと思う。

修験道の開祖、役小角を祀る行者堂に至ると、観光客が賑わう日光の風景に戻った。二荒山神社で目の前に停まっていたバスが間一髪で発車してしまい、女峰山から五時間近い歩行時間の草臥れた身体で、東照宮の境内を歩き続ける。其の儘何の観光もせずに、東武日光駅迄歩いた。

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