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2017年7月

霧降高原から女峰山(前篇)

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蛇行しながら標高を上げていく山行きのバスの車窓が、緩やかに鉛色へと、彩度を落としていった。霧降高原キスゲ平のバス停で、少なかった全ての乗客が下車した。文字通りの霧の中である。天空回廊と名づけられた、延々と続く階段は、其の儘小丸山に登頂し、其の先には、日光連山、女峰山へと続く登山道に接続している。私は、相変わらずの幕営行の為の巨大ザックを背負い、時折小雨が降る観光用ハイキングコースの階段を登り続けた。1445段の階段は歩幅に丁度良い間隔で段が続いている。ニッコウキスゲの群落を眺めるには未だ早い時期であり、行楽日和とは云い難い天候にもかかわらず、大勢の観光客が、尾根を直登する階段を、往来していた。

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2017/5/28
霧降高原バス停(10:05)---小丸山(10:50)---赤薙山(12:10)(13:00)---赤薙奥社跡(13:55)---一里ヶ曽根独標(15:15)

連休が終わった五月下旬に、今度は何処かの山で幕営しようかと、行く先に関して思案を続けた。ふと、昨年のことを思い返してみる。四月は信州北部の飯縄山に、五月は西上州の荒船山に、そして六月中旬には奥多摩、七ツ石山に隣接する千本ツツジにテントを張って一夜を過ごした。そうして、奥多摩で、とうとうマダニの被害に遭った。小満、芒種、恵みの雨の季節に、低山をうろうろしているとこんなことになる。そんな実感であった。

今年の春先に秩父に通い、此れ迄足が向かなかった両神山が身近に感じられてきたので、山腹の避難小屋周辺に幕営して、両神山に登頂しようかなどと考えてみたが、昨年のマダニ禍を思い出して、内心で身じろぎをした。もうすぐ六月になる。幕営は森林限界の、風通しのよい場所でなければならない。しかし、雪山でビバークできるような技量も無い。漸く選んだ山は、比較的高緯度にある日光の、標高2000メートルを越える、女峰山であった。幕営は、その周辺とすることにして、行程を考えた。

日光の登山と云えば、此れ迄判を押したように、友人の車に同乗し、いろは坂を登って男体山や奥白根を目指しただけの経験であるから、電車とバスを乗り継いで女峰山を目指すと考えた時、どのような手順を踏むべきか迷った。日光連山の全体像は、地図を眺めれば一目瞭然ではあるのだけれど、登山に関して考えると、どうしても標高1200メートルの中禅寺湖を基点にして思案を開始してしまう。

女峰の莫迦尾根、とも呼ばれる、日光東照宮から延々と続く、由緒ある修験道でもある黒岩尾根にも惹かれるが、公共交通機関で日光駅に到達できるのは午前九時頃であるので、驚愕の標高差、1800メートルを登るのは困難である。テント泊の大荷物を背負い、遅い時間に出発し、頃合の時刻に幕営適地へ到達できるのは、霧降高原からの女峰山登山であると云う結論に達する迄、其れ程時間は掛からなかった。

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そう云う訳で、私は観光客と併走するように、小丸山の終点迄、階段を登り続けた。時折振り返ると、霧で真白だった下界の彼方が、少しだけ垣間見えるようになった。昨日迄降り続いた雨が上がり、高原を包んでいた水蒸気は、刻々と流動を始めるのかもしれない。天空回廊が終わり、小丸山の展望台には人が鈴なりになっている。其れを傍目に、漸く静かになった登山道を歩くと、鹿柵ゲートの回転扉が現われる。右手にこんもりと聳える丸山が、うっすらと姿を現わした。そして丸山への分岐点の在る処に、小丸山の山名標が在った。明瞭なピークでは無い小丸山でザックを下ろして、紫煙を燻らせながら改めて下界を眺める。雨はもう降ってこないだろう。そんな気がした。

赤薙山と云う名の通り、行く手の先に聳える山稜の突端から、荒々しく崩落している赤土の薙の山腹を左手に見ながら、茫洋とした笹の尾根を登り続けた。其の途上で、早朝に出発して女峰山を往復してきたと思しき、ハイカーの集団が下山してくるのと擦れ違うようになる。尾根が収斂されて、いよいよ急勾配の樹林帯に差し掛かると、霧降高原のバス停で、軽快に出発していった妙齢の女性が、早速下山してくるのと擦れ違った。ピークの手前で、山頂を巻くルートが右手に分かれていくが、当然ながら、山頂への直登コースを選ぶ。踏路は殆ど不明瞭になり、急登の樹林帯の向こうに、頂上の雰囲気が窺える。人の声が近づいてきて、ピークに立った処が、古びた鳥居の在る、赤薙山であった。

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賑やかだった集団が立ち去り、独りになったので、此処で昼食の休憩を摂ることにした。湯を沸かしてインスタント麺を作る。出発して丁度二時間が経って、正午を廻った頃であった。雨は降らないが、女峰山に至る東の尾根は、相変わらずの霧の中だった。日光連山の東端に在る、標高2010mの山に登頂しているが、茫洋と白い周囲の光景は、自分が何処迄歩いてきているのか、判然としない。

今日の幕営地の目途は明確に立っている訳では無いが、女峰山に至る途上に、適地が在るものと推察している。赤薙山から女峰山迄、尾根は西に向かって単純に延びている訳では無い。尾根の南面は、先程から眺めているような、激しく崩壊した薙が随処に展開する崖地である。其処に雲竜渓谷が壮絶に食い込んでいるので、女峰山からの尾根は、雄大に北側に湾曲して連なっている。岩の山稜が標高2200メートル前後の高さの儘に続いている、一里ヶ曽根の何処かで、テントを張るのに適した平坦地があるだろうと、私は地図を見て推察し、考えていた。今日の歩行時間は、あと三時間も無いだろうと思うと、昼食の休憩ものんびりとしてくる。

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結局、一時間近くも休息し、ふたたび歩き始めた。ピークを越えて、周囲の様相は断崖に挟まれた痩せ尾根となった。天候は好転するものと思っていたが、険阻の谷から湧きあがる霧は却って濃厚になり、白樺の裸木が踏路の先を誘うように点在している。五万分の一縮尺の「山と高原地図・日光」の2013年版を再確認すると、標高二千メートル以上を示す朱色に染まった尾根の行程には、「起伏多い」と記されている。北東からの六方沢と、南東からの雲竜渓谷が詰め上がる峻険な尾根は、濃霧に包まれ寂然とした儘、アップダウンを繰り返しながら標高を上げていった。

険しかった尾根がひとつのピークに向かって、勾配を形成し始めた。相変わらずの霧の中で、足元がふかふかとして柔らかい土になり、其の儘ひたすらに登り続ける道になった。静謐な空気を呼吸して、頭の中まで真白になっていくような気持ちになりながら、一心不乱に登り続ける。其の道程が終わりを告げ、気が付くと狭いピークの上に立っていた。

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キスゲ平、女峰山を示す道標の上に、奥社跡と記された木片が掲げられている。其の根元に石積みが在り、熊野修験道、那智山の青岸渡寺と署名の有る祈祷の木札が立て掛けられていた。鋸歯状の険しい尾根の果てに辿り着く、標高2203mの頂上は、如何にも修行の場に相応しい、そんな風情だった。

赤薙神社の奥社が在った場所であるから当然なのだが、祈祷木札の周辺は、整地されたように平坦であった。潅木で眺望は利かないが、幕営適地である。時刻を確認すると、午後二時だった。未だ、早いかな、と内心で呟く。疲労感は其れ程でもないが、今夜のテント場がどうなるのか、其れは最も気掛かりな問題である。お誂え向きの場所だが、此れから下山者をやりすごして二時間以上も滞留する、と云うのも退屈であった。そして、女峰山に登頂する迄、コースタイム二時間の行程を残して幕営する、と云うのも、間尺に合わないような気がする。

そうは云っても、此れから二時間を歩いて、今日のうちに女峰山に登ると云う気力も無かった。鬱然として変わらない霧中の行程が、早く幕営適地を見つけて落ち着きたい、と云う漠然とした想念を湧き上がらせている、そんな気がした。

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どうするのか決められない儘、茫然と喫烟していると、思いがけない強風が頬を打ってきた。やがて、風は緩やかに勢いを弱めると、周囲が途端に明るさを増してきた。見上げると、霧が徐々に晴れて、青空が雲の流れの合間に覗いている。やがて陽光が降り注ぎ、鉛色の光景であった奥社跡が、安穏とした山上の風景に変わった。

生き返ったような気持ちになり、山頂の南側に在る、少しだけ展望の開ける場所に立って、眺めた。雲竜渓谷を挟んだ対岸に並んでいる筈の黒岩尾根は、流れる白い雲で覆われて、何も見えない。其れが却って、自分が、空の中に浮かんでいるような錯覚にさせる。随分高い処に、自分が立っているのだと、改めて気付かされるのであった。

クレッタルムーセンの巨大ザックを、今日初めて背負うような気持ちになって、担ぎ上げる。女峰山の道標が指し示す方角に、霧を纏って横たわっている壮大な尾根が、判然としてきた。あの、一里ヶ曽根と呼ばれる長い尾根に、一夜を過ごす場所が在る筈である。私は内心で呟き、鞍部に向かって登山道を、下り始めた。

八丁山・お伊勢山・稲村岩(後篇)

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穏やかな夜が更けて、存外に寝入るのが遅くなった所為もあるのか、私はテント泊では珍しく、朝になる迄熟睡し続けた。テントから這い出ると、kz氏は既に起床していたので、目覚めたばかりだが、早速身支度を整える心積もりになった。周囲の光景は、朧気に朝靄が漂う曇天である。健啖家のkz氏は早朝にも係わらずラーメンを作って食しているが、私は珈琲を淹れて紫煙を燻らせている。

充実の幕営が終わり、鷹ノ巣山に登頂する気概が、既に消え失せてしまっていることを我々は確認している。其れで、鷹ノ巣尾根を踏破して其の儘、稲村岩尾根を東日原に下山しようと云うことになっているので、朝食は空腹を覚えた時点で摂る、と云うことにした。

頂点の鷹ノ巣山に登らず、登山の区切りが付くのかと云う疑念は無かった。既に越えてきた八丁山に続いて、此れから登る鷹ノ巣尾根には、標高1280mの、お伊勢山、と云う立派な名称が付された山が在る。其れを越えていく予定であるので、登頂したか否かと云う溜飲は下がり、二日目の澱んだ疲労感にも誘われて、我々は下山の途に掛かるのであった。

2017/4/24
八丁山西側鞍部(7:00)---お伊勢山(8:00)---鞘口のクビレ(8:25)---ヒルメシクイノタワ(10:15)---稲村岩尾根---稲村岩分岐(11:25)---稲村岩(11:50)---稲村岩分岐---巳ノ戸橋(12:50)---東日原バス停(13:15)

広大な鞍部から、二日目の大荷物を背負い、鷹ノ巣尾根の勾配を登る。日原川が遡上する、奥多摩の奥深い谷の先に屹立している筈の雲取山は、朝霧に隠れている。全身に蔓延する疲労感に抗いながら、斜度の収まる処迄登ると、尾根の様相が一変した。岩礫が混在する痩せた細尾根の踏路に、霧が纏わりついている。

尾根は鋸歯状になって断続的に現われる瘤を越えていく。断崖の淵を辿り、崩壊して奈落の底のようになっている谷間の気配から逃れるようにして、歩き続ける。其れで、弛緩したような疲労感の漂っていた身体が、鮮烈に覚醒していった。険阻の道程に、深い霧が良く似合う。そんなことを思いながら、緊張した儘、岩場に歩を進めていった。

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相変わらずの細尾根が続き、隆起した先に在る山頂に達した。お伊勢山の頂上は狭く、名のあるピークに登りきった、と云う感慨が余り湧いてこない。お伊勢山の山名由来は、伊勢神宮への材木奉納の所以があるようだが、格別の社祠が祀られていると云うことも無く、要するに何の変哲も無い処であった。其れでも登山のひと区切りが付いた安堵感で、私は紫煙を燻らせて休憩した。八丁山付近の鞍部を出発してから一時間が経過していたので、改めて鷹ノ巣山がこんなに遠いのかと思う。

山頂から下り続けた先の鞍部が鞘口のクビレで、此処はいにしえの峠道が交差する場所だったようで、廃れた道標が、巳ノ戸ノ大クビレ、鷹ノ巣山と記した儘、南西方面のトラバース道へと誘う。巳ノ戸沢に沿って此処に至り、其の儘コルを越えて巳ノ戸ノ大クビレに続く道は、昔のエアリアマップに記載されていたと云うのを、kz氏が教えて呉れる。

ちなみに、ややこしいんだけど、と云ってkz氏が続ける。巳ノ戸尾根と稲村岩尾根の間を流れるのが巳ノ戸沢で、西側のヤケト尾根と鷹ノ巣尾根の間を流れるのは、巳ノ戸谷と呼ぶとのことであった。鞘口のクビレには遭難碑が在り、事故の現場は巳ノ戸谷と記してあったので、北西方面から此処に登攀する途上のことであったのだろう、と、kz氏が云った。

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西側の斜面には廃棄された錆びた空き缶が散乱している。鞘口のクビレには小屋もあったようで、飲料を販売していたのかもしれない。往年の賑わいの名残りと、ゴミは放って捨てるのが当たり前だったと云う昔の価値観が、此の廃棄物に拠って察せられる。こんなラベル知らなかったよお。と、kz氏が嬉しそうに叫ぶ。コカコーラの赤い缶は、確かに見覚えの無いデザインだったので、私も妙に感心して其れを眺める。其れから錆びた空き缶の物色が始まり、そう云えば、昔は皆、ネクターを飲んでいたなあ、などと云う話題に発展して、鞘口のクビレでの滞留時間は、思いのほか長くなってしまった。

鞘口のクビレを出発して、鷹ノ巣尾根が稲村岩尾根に収斂されていく勾配を登り続ける。標高が1350mを越えてきた頃に、唐突に霧が流れて青空が表出して、あっという間に晴天となった。尾根の途上に平坦地が在り、私は朝食を摂ることにして休憩を提案した。ブナ林の鞘越しに、雲取山に連なる山稜を眺めながら、のんびりとインスタント麺を食す。昨晩の食事に心血を注ぎすぎた所為なのか、携行する食糧の配分を見誤ってしまったので、此のラーメンが、最後の食糧になってしまった。ヒルメシクイノタワに合流して、直ちに下山する行程は、私にとっては必然の選択となってしまった。

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標高1500m迄辿り着くと、地形図の等高線が細かく配列されている記載通りの様相となり、踏路の判別も付かない儘、急斜面を登り続けた。標高1527mピークに在る、ヒルメシクイノタワは、稲村岩尾根から鷹ノ巣山を辿る時は何の感興も湧かないが、迂遠に尾根を辿ってきた身にとっては、立派な山頂である。北面の暗い斜面を攀じ登り、ヒルメシクイノタワの細長い標柱のシルエットが漸く確認できるようになって、私は深く安堵した。

kz氏は、東日原のバス発車時刻から逆算して、稲村岩の鞍部に到着する目標時刻の検討に入っていた。午前十時を過ぎた処で、稲村岩尾根の下山に掛かり、私は未踏である稲村岩の上に立ちたいので、やや足早に足を繰り出す。途中で数組の登山者と擦れ違う。月曜日の午前だが、存外にハイカーは多い。雲取ですか、と幾人にも訊かれるが、八丁山の鞍部で幕営ですと答えても話が長くなりそうなので、面倒だから鷹ノ巣避難小屋に泊まったと虚偽の証言をするが、余り気分の良いものではない。

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稲村岩尾根を下り続けて、左手には歩いてきた巳ノ戸尾根が併行している。約一時間で末端に在る稲村岩の鞍部に到達した。道標には、かつては稲村岩の指標が記されていたが、死亡事故発生の所為か、木片で塞がれていた。其の上に、不用意に立ち入らないように、と云う注意書が貼ってある。我々は心の準備を整えて、ザックをデポして岩場に取り付いていった。

隆起した稲村岩に至る細尾根を、慎重に渡っていくように辿る。左手の、巳ノ戸沢に落ちていく崖下を窺いながら、横這いのようになって歩を進めていく。やがて岩崖が立ち塞がるようになって、イナブラを攀じ登っていった。日原集落から眺める稲村岩を脳裏に描き、其の垂直の岩登りに内心で首肯する。岩が尽きて、狭い山頂に通路が延びている。行き着いた先に小さな社祠が設置されていて、澤ノ井のワンカップが供えられてあった。

仰ぎ見ることしか出来なかった稲村岩の頂点に立ち、改めて大展望を満喫する。360度の見晴らしは圧巻で、先程下ってきた稲村岩尾根を俯瞰して眺める先に、鷹ノ巣山が聳えている。八丁山、お伊勢山を繋ぐ尾根に、巳ノ戸沢が深淵に向かうようにして続いていた。

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満悦至極の思いで鞍部に戻り、後は正規の登山道を、巳ノ戸沢に下りていく。沢の畔を歩いていくと、稲村岩の壁が迫ってくる。岩の上から見下ろした谷底を歩いていると云うのが、なんとも不思議なことのように思えてくる。渡渉して巳ノ戸尾根側の山腹を辿るようになり、やがて昨日歩いた分岐点に到達した。其れで今回のラウンド・トリップが完成したことになる。我々は感慨深いような気分で、立ち止まった。

改めて登山道が急降下していき、巳ノ戸橋に達してから、中日原バス停迄の道を登り返していく。疲労感が一挙に蔓延していくようになり、民家の脇の階段を、溜息混じりに登って、漸く帰還した。中天の陽光に晒されて、茫洋とした風情で、稲村岩が佇立しているのを眺める。あの山々を歩いてきたのだと、反芻するようにして考えると、不思議な気持ちになる。疲労困憊の態で、其れでも充足した気分で、kz氏と私は、ゆっくりと東日原のバス停に歩いていった。奥多摩駅行きのバスは、計ったように、数分後に到着した。

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別記

2017/5/19
沢井駅(8:30)---築瀬尾根---高峰(9:50)---竜ノ髭(10:10)---日ノ出山(10:30)---日ノ出山北尾根---御岳渓谷---沢井駅(12:20)

2017/5/23
古里駅(7:55)---寸庭橋---越沢林道---大楢峠(9:30)---鍋割山北尾根---鍋割山(10:45)---奥ノ院〈甲籠山〉(11:00)---ロックガーデン---武蔵御岳神社(12:20)---丹三郎尾根---古里駅(14:00)

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