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八丁山・お伊勢山・稲村岩(中篇)

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右手に現われた鹿柵が長く続き、其れに沿って尾根の上を順調に登り続けていた。標高991m付近は日原川に落ちていく支尾根が分かれる平坦地で、鹿柵は此処で其の支尾根に沿って下っていくようであった。穏やかに長い勾配を歩き続けてきたので、小休止をする。尾根は此処から斜度を厳しくさせていくが、幕営用の巨大ザックを背負っている我々は、其れでも疲労感を漂わせることもなく、淡々と登っていた。

途中で、ツキノワグマ生態調査用のカメラが設置されていると記された看板を見て、熊がいるのか、と、kz氏が俄かに賑やかになる。出会い頭で熊に襲撃された経験のあるkz氏の反応は過敏だが、止むを得ないだろう。いるのかなあ。いるからカメラを仕込んだんでしょうねえ。などと鷹揚な口調を装い、我々は、内心で鳥肌を立てつつ、其の場を通過していく。八丁山周辺でビバークすることになっているので、嫌な想念から、なるべく離れたいと思う。私はそう念じながら歩いているが、kz氏が何を思っているのかは判らない。

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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

枯木の賑わう明るい踏路の傾斜は厳しくなり、私は徐々に真直ぐな尾根上をジグザグにコースを取りながら歩いている。右側には鞘越しに、長沢背稜が連なって青空を区切るのを垣間見る。白樺が出てきた、kz氏が息を弾ませながら叫ぶ。白樺と青空と、長閑な山上の風景の中で、我々は徐々に喘ぎながら鈍重に歩を進めていた。漸く傾斜が収まりそうな処に露岩が出現する。私はザックを置いて、其の傍らの岩礫に座り込んで休憩した。少し遅れて、周辺の状況を記録しながら、kz氏が登ってくる。

岩の細尾根になって暫くすると、一挙に視界が開けるようになる。巳ノ戸沢の対岸に、稲村岩尾根を見渡す良景に、思わず立ち止まった。こりゃあ素晴らしい、そうkz氏が声を上げる。稲村岩尾根の先を見上げると、ヒルメシクイノタワのピークを前衛に、鷹ノ巣山が端整な三角形で聳えている。重いザックを背負い、急勾配を登って来た身体には、其れは随分遠くに在るように見えた。

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標高は既に1200mに達しているので、八丁山は近い筈である。眺望が利き、巳ノ戸尾根が鷹ノ巣尾根に合流し、緩やかに左手にカーブしながら、ヒルメシクイノタワに向かっているのが判る。しかし、眼前には巨岩の折り重なる壁が立ち塞がっているので、直近に在る八丁山は見えない。やや左側に岩壁を移動し、慎重に足を掛けて、登っていく。背後からは、怖い怖いと、御馴染みであるkz氏の叫び声が聞こえてくる。そうして漸く、岩の上に乗った。

其処は、鞘越しに見ていた長沢背稜の連なりを一望する、大展望であった。顕著に美しい三角錐の山を見て、あれは蕎麦粒山だあ、と、教えて呉れたkz氏が、長沢背稜を、こんなにしっかりと眺めたことは無い、と云った。何度も登った本仁田山が、此処からは端整な独立峰のように感じられる程、明瞭に眺めることができる。其の、本仁田山の向こうに、首都圏の市街地が霞んで広がっている。事前の予測では、岩場の難所にばかり気を取られていたので、此れ程の展望を享受できるとは思わなかった。巳ノ戸尾根ルートの選択は、奥多摩登山詳細図西編の効用であった。

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岩尾根はいよいよ細くなり、足元を見ながら辿るが、歩を進めていくに連れて絶景がエスカレートしていく。立ち止まって振り返り、感嘆しながら、ゆっくりと巳ノ戸尾根を堪能して歩いた。そうして岩場が終わり、周囲の景観は冬木立の名残りのような雰囲気となって、やがてピークに達する。標高1280m、八丁山の頂上は樹林に囲まれた静かな場所で、廃れた石標の在る付近に、篤志家の製作した山名標が、木に打ち付けてあった。

クイズです、あの山は何でしょう。木立の途切れた箇所から、大振りな山容の、台形のような山が正面に在った。kz氏の問いに、私は眼前の茫洋として大きい山を眺める。もしかして、と云って口ごもっていると、そうです、雲取山です、と、kz氏が云った。其れで、奥多摩の、奥深い処に来たのだなと、実感することが出来た。

小休止の後、kz氏がビバークを目論む、西側の鞍部へと下っていった。山頂から直ぐに、其の全容が見渡せた。登山詳細図の破線の通りに、刻まれた踏路は大きく南側に迂回しながら続いている。降り立ってみると、幅広い鞍部の真ん中が擂鉢状になって、広がっている。鞍部らしく、南からの風が断続的に通っているので、私は八丁山の頂上の方が穏やかなのではないかと提案するが、kz氏は此処に張りたいと云うので、其れに従うことにした。結論としては、風は其れ程のことも無く、快適に一夜を過ごすことが出来たので、杞憂だったことになる。

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テントを張った後で、八丁山にストックを忘れてきたことに気付き、山頂に引き返し回収して幕営地に戻ると、kz氏がテントに撥水剤を塗布していた。其れは購入してから久しい所為か、殆ど効果が見られないようだった。一体いつ頃買ったのかと聞くと、十年くらい前だと云うので唖然とする。また、久しぶりの幕営と云うことで、kz氏が迂闊にもヘッドランプを忘れてきたことも記しておく。念の為、自分のザックの中を確認してみると、驚いたことに予備のヘッドランプが入っていたので、其れをkz氏に貸与した。此れで今朝の遅刻は帳消しですね、と冗談を云うと、帳消しどころじゃないよお、と、kz氏が云った。

以上、様々な出来事を経て、幕営地は完成した。止むを得ないですよね。うん、止むを得ないね。ふたりでビバークの確認を云い合い、麦酒で乾杯する。フライパンに、タレに漬け込んできた牛カルビ肉と野菜を乗せ、蓋をして熱する。野菜にタレが染み入って、肉も蒸し焼きのような塩梅になり、なんだかジンギスカン料理のような風情となった。ふたりで貪るように食し、私は麦酒の後のウヰスキーを飲んでいる。

至福の時間を過ごして、山上の春の夕暮れは緩慢に進行していった。並列のふたつのテントが、夜の帳の気配に従順になって、夕餉の灯火に、薄っすらと浮かび上がった。

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