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八丁山・お伊勢山・稲村岩(前篇)

A

電車が減速して、終点の青梅を告げるアナウンスが流れる。私は固唾を飲んで、接続列車の案内に耳をそばだてる。幸いにも、奥多摩行きの電車は程無く接続するようなので安堵した。其の途端、携帯電話のメール着信音が鳴る。奥多摩駅前は人混みの坩堝で、トイレは大行列。kz氏からのメールには、そう記されていた。本来であれば、乗車していた筈の「ホリデー快速おくたま一号」が、奥多摩駅に到着する時刻である。私は再度、遅刻を詫びる返信を送った。


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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

秩父鉄道沿線の低山逍遥が続いたが、今回のkz氏とのふたり山行は、久しぶりの幕営行と云うことになった。長年使用してきたテントだが、しばらく張っていないので、撥水剤を塗布したい。しかし、薬剤を自室で振り撒く訳にもいかないので、何処かでテントを張って、其れを実行したい。そう云うことをkz氏が呟き、其れならば、と、私は即座に、何処に行こうと云う想定の無い儘、幕営行の計画を持ちかけた。

昨年(2016年)の六月に、奥多摩、七ツ石尾根を登り、千本ツツジで幕営したが、帰宅後に発覚したマダニの惨禍に驚愕し、脱力した。其れ以来足が遠のいていた奥多摩であるが、未だ四月である。大丈夫であろうと考えた。そうして、今回は、のんびりとふたりでテントを張って、焼肉でも食しながら麦酒を飲もう、と云うくらいの主題とすることにして、目的地を鷹ノ巣山避難小屋の周囲にある平坦地に決めて、其処で幕営すると云うことになった。

鷹ノ巣山へのアプローチはkz氏との山行なので、浅間尾根や稲村岩尾根では詰まらない。そこで、かねてから歩いてみたかった、「奥多摩登山詳細図(西編)」に記載されている、「巳ノ戸尾根・鷹ノ巣尾根ルート」を踏破することにした。日帰りの距離である鷹ノ巣山近辺に泊まるのであれば、其れ程早立ちしなくても大丈夫だと想定し、私は集合場所の奥多摩駅に、「ホリデー快速おくたま一号」が到着する、午前八時二十一分を待ち合わせ時刻とすることを提案し、kz氏は勿論快諾した。

そうして、あろうことか、私はホリデー快速に乗り遅れてしまった。焼肉の準備や、握り飯を作っているうちに出発が遅れ気味になり、足早で最寄り駅に向かった。そもそも私の最寄り駅に快速は停車しない。各停に乗り、途中駅でホリデー快速に乗り換えなければならない。駅に到着すると、ホリデー快速に接続する各停電車は既に発車してしまった直後であった。電光掲示板を見上げると、次の発車は十数分後となっている。落胆し、忸怩たる思いでkz氏にメールで経緯を送信した。間も無く、傍らの線路に轟音が響いてきて、無常にも「ホリデー快速おくたま一号」が、私の最寄り駅を軽快に通過していった。

そう云う訳で、まんじりともしない儘、私は青梅発普通列車奥多摩行きに揺られていた。御岳で多くのハイカーが下車して、車内は程よく空いている。白丸の隧道を通過して、電車は甲高いフランジ音を立てながら旋回し、ゆっくりと奥多摩駅に到着した。駅前に出て、直ぐ右側に、東日原行きのバス停が在る。ひとだかりが皆バスに吸い込まれて、出て行った後なのだろう。奥多摩駅前は閑散としていた。kz氏は、東日原行きバス停の傍らで、ザックに腰掛けていた。私は合掌して、平伏すようにして、陳謝を兼ねた挨拶をする。いいよお。よくあることだよう、と、kz氏に慰撫して貰い、ひとまず朝のドタバタ劇は一応の収束を見せたのであった。

ホリデー快速が到着した三十分前の、駅前の混雑は凄まじかったようで、東日原行きのバスは、乗れなかった人の為に、臨時便が二台も増発されたと云うことであった。西東京バスのフレキシブルな対応は相変わらずで頼もしいが、改めて日曜日の奥多摩駅の繁盛ぶりに驚いてしまう。次のバスは九時三十五分で、暫くのんびりと待っていたが、やがて「ホリデー快速おくたま三号」が到着すると、バス乗り場に長蛇の列が出来た。今度はバス一台で納まり、定刻に発車した。満員の乗客の約九割が、途中の川乗橋で下車したので驚いた。終点の東日原に降り立ったのは数人で、皆、足早に、それぞれの目的地に向かって歩き出したので、折り返しのバスが行ってしまうと、日原の集落に静寂が訪れた。

快晴の青空であった。車道を中日原バス停に向かって歩くと、端整な稲村岩が順光でのっぺりと屹立している。海坊主のような形をしているが、名前の由来は稲束を積み上げたような形をしているからだと云う。いなづか、を此の周辺では、イナボラ、イナブラなどと呼んでいたが、やがてイナブラを稲村と当て字にして、稲村岩になったのではないか、と云う説もある。それはそうとして、今日はあの稲村岩の背後に連なる、巳ノ戸尾根に登る。一時間の遅れで出発するが、私は予定通りに、鷹ノ巣山を経由して避難小屋迄歩けるだろうと楽観的に考えていた。其れを確認するかのように、私はkz氏に話し掛ける。kz氏は、其れはどうかなあ、と、少し嬉しそうな表情で云った。

日原川に下降して、釣り人が散見される急流の清流を眺めて、巳ノ戸橋を渡る。稲村岩尾根に向かう常套のコースを歩いて、巳ノ戸沢左岸の山肌に沿って勾配を登る。途中に在る道標に、巳ノ戸尾根に続く山道が分岐している筈で、其れを目指して歩いていく。其の距離は存外に長く感じた。漸く分岐点に達すると、巳ノ戸尾根に向かって、明瞭に道が刻まれていた。

九十九折の作業道を黙々と歩いていくと、鬱蒼とした植林帯が明るさを増してくる。竹林が現われて、左手に崩壊したような谷が広がり、見上げると石垣が積み上げられ、整地された平坦地が窺えた。巳ノ戸部落跡の広場周辺には、錆び付いた釜や、用途の判別が難しい鉄製品の残骸が転がっている。部落と云うよりも、一軒家が在った場所と云うような規模の、山腹に在る小平地であった。

B

其処から先は、踏み跡が少し心細くなり、尾根上を目指して登り続けていくと、やがて周囲が明るくなった。広葉樹の自然林が周辺を支配していて、足元を見ると、桃色の花弁が散りばめてあり、思わず頭上を見ると、山桜が葉陰の向こうに咲いている。桜花の向こうは、抜けるような青空だったので、いよいよ尾根の上に近づいてきたのが判る。踏み跡は殆ど不明瞭になって、私はkz氏に判断を仰ぐ為に立ち止まった。

登山詳細図に記載の、尾根上への分岐点である「白テープ」が発見できない儘、微かな踏み跡は山腹を辿り続けていた。直進を続けていけば、其のポイントに辿り着く可能性は大きいが、見上げると尾根の上は近い。曖昧な雰囲気で踏み跡が分岐しているように見える箇所から、我々は山肌を登り始めた。自然林に囲まれて佇立している山桜を、徐々に見下ろすようになって、やがて尾根の上に到達した。

北面には鞘越しの展望が開けて、長沢背稜が青空を背景に連なり、遠近感が曖昧になる尾根の重なりを順に眺めていくと、眼前には峻険な岩崖の燕岩が聳えている。稲村岩尾根と対峙して延びる巳ノ戸尾根は、日原川周辺の奥多摩を俯瞰して眺めながら歩くことが出来る。其れは新鮮な感覚であった。我々は、ひと区切りをつけたような気分で、昼食の休憩を取ることにした。時刻は間も無く、正午になるところであった。

C

心地好い気分の儘、漠然と考える。東日原を出発して二時間弱が経過していた。仮に、稲村岩尾根経由で鷹ノ巣山に登っていれば、今頃は道中の半ばに達しようかと云う頃合である。顧みると、我々の現在位置は、漸く目的である巳ノ戸尾根に乗ったばかりで、此れから鷹ノ巣尾根に合流する八丁山を目指して登り始めるところである。

どうやら前途は厳しいようで、と云う感想をkz氏に伝える。すると、実は、と云ってkz氏が笑う。今朝、奥多摩駅で集合が遅れると聞いて、此れは最後迄は無理だろうと思ったんだよねえ。と、なんだか楽しそうに云う。其れでは、今夜の寝床は何処になるのか。私は現実的になった、進行途上でのビバークに就いて、彼の見解を伺う。予定は未定であり、其れもkz氏との山行での楽しさであり、また愉しからずや、と云うひとときでもある。

八丁山を越えて下った処に、幕営適地がありそうだ、とkz氏が云った。其の箇所を、改めて登山詳細図で確認すると、八丁山とお伊勢山との鞍部を辿る破線のルートが、不自然に迂回している。鞍部を、踏路が何故大きく迂回しているのかは、地形図上では窺い知ることは出来ない。迂回出来る程に広いと云うことは想像できるが、実際に見てみないと判る筈が無い。kz氏は、どうやら数多の資料を調べ、目途を立てていた様であった。

D

時間を気にするのは止めて、我々は爽快な気分で、巳ノ戸尾根を登り始める。緩やかな傾斜を辿り、間も無く左手に併行している稲村岩尾根が視界に入ってきた。視線を其の左に、尾根の落ちていく先に転じると、新緑に包まれたイナブラの稲村岩が、こんもりと立っているのが見下ろせる。其れで、我々の立っている場所が、山登りの序盤に在ると云うことに、改めて気付かされるのだった。

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