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2017年6月

八丁山・お伊勢山・稲村岩(中篇)

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右手に現われた鹿柵が長く続き、其れに沿って尾根の上を順調に登り続けていた。標高991m付近は日原川に落ちていく支尾根が分かれる平坦地で、鹿柵は此処で其の支尾根に沿って下っていくようであった。穏やかに長い勾配を歩き続けてきたので、小休止をする。尾根は此処から斜度を厳しくさせていくが、幕営用の巨大ザックを背負っている我々は、其れでも疲労感を漂わせることもなく、淡々と登っていた。

途中で、ツキノワグマ生態調査用のカメラが設置されていると記された看板を見て、熊がいるのか、と、kz氏が俄かに賑やかになる。出会い頭で熊に襲撃された経験のあるkz氏の反応は過敏だが、止むを得ないだろう。いるのかなあ。いるからカメラを仕込んだんでしょうねえ。などと鷹揚な口調を装い、我々は、内心で鳥肌を立てつつ、其の場を通過していく。八丁山周辺でビバークすることになっているので、嫌な想念から、なるべく離れたいと思う。私はそう念じながら歩いているが、kz氏が何を思っているのかは判らない。

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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

枯木の賑わう明るい踏路の傾斜は厳しくなり、私は徐々に真直ぐな尾根上をジグザグにコースを取りながら歩いている。右側には鞘越しに、長沢背稜が連なって青空を区切るのを垣間見る。白樺が出てきた、kz氏が息を弾ませながら叫ぶ。白樺と青空と、長閑な山上の風景の中で、我々は徐々に喘ぎながら鈍重に歩を進めていた。漸く傾斜が収まりそうな処に露岩が出現する。私はザックを置いて、其の傍らの岩礫に座り込んで休憩した。少し遅れて、周辺の状況を記録しながら、kz氏が登ってくる。

岩の細尾根になって暫くすると、一挙に視界が開けるようになる。巳ノ戸沢の対岸に、稲村岩尾根を見渡す良景に、思わず立ち止まった。こりゃあ素晴らしい、そうkz氏が声を上げる。稲村岩尾根の先を見上げると、ヒルメシクイノタワのピークを前衛に、鷹ノ巣山が端整な三角形で聳えている。重いザックを背負い、急勾配を登って来た身体には、其れは随分遠くに在るように見えた。

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標高は既に1200mに達しているので、八丁山は近い筈である。眺望が利き、巳ノ戸尾根が鷹ノ巣尾根に合流し、緩やかに左手にカーブしながら、ヒルメシクイノタワに向かっているのが判る。しかし、眼前には巨岩の折り重なる壁が立ち塞がっているので、直近に在る八丁山は見えない。やや左側に岩壁を移動し、慎重に足を掛けて、登っていく。背後からは、怖い怖いと、御馴染みであるkz氏の叫び声が聞こえてくる。そうして漸く、岩の上に乗った。

其処は、鞘越しに見ていた長沢背稜の連なりを一望する、大展望であった。顕著に美しい三角錐の山を見て、あれは蕎麦粒山だあ、と、教えて呉れたkz氏が、長沢背稜を、こんなにしっかりと眺めたことは無い、と云った。何度も登った本仁田山が、此処からは端整な独立峰のように感じられる程、明瞭に眺めることができる。其の、本仁田山の向こうに、首都圏の市街地が霞んで広がっている。事前の予測では、岩場の難所にばかり気を取られていたので、此れ程の展望を享受できるとは思わなかった。巳ノ戸尾根ルートの選択は、奥多摩登山詳細図西編の効用であった。

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岩尾根はいよいよ細くなり、足元を見ながら辿るが、歩を進めていくに連れて絶景がエスカレートしていく。立ち止まって振り返り、感嘆しながら、ゆっくりと巳ノ戸尾根を堪能して歩いた。そうして岩場が終わり、周囲の景観は冬木立の名残りのような雰囲気となって、やがてピークに達する。標高1280m、八丁山の頂上は樹林に囲まれた静かな場所で、廃れた石標の在る付近に、篤志家の製作した山名標が、木に打ち付けてあった。

クイズです、あの山は何でしょう。木立の途切れた箇所から、大振りな山容の、台形のような山が正面に在った。kz氏の問いに、私は眼前の茫洋として大きい山を眺める。もしかして、と云って口ごもっていると、そうです、雲取山です、と、kz氏が云った。其れで、奥多摩の、奥深い処に来たのだなと、実感することが出来た。

小休止の後、kz氏がビバークを目論む、西側の鞍部へと下っていった。山頂から直ぐに、其の全容が見渡せた。登山詳細図の破線の通りに、刻まれた踏路は大きく南側に迂回しながら続いている。降り立ってみると、幅広い鞍部の真ん中が擂鉢状になって、広がっている。鞍部らしく、南からの風が断続的に通っているので、私は八丁山の頂上の方が穏やかなのではないかと提案するが、kz氏は此処に張りたいと云うので、其れに従うことにした。結論としては、風は其れ程のことも無く、快適に一夜を過ごすことが出来たので、杞憂だったことになる。

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テントを張った後で、八丁山にストックを忘れてきたことに気付き、山頂に引き返し回収して幕営地に戻ると、kz氏がテントに撥水剤を塗布していた。其れは購入してから久しい所為か、殆ど効果が見られないようだった。一体いつ頃買ったのかと聞くと、十年くらい前だと云うので唖然とする。また、久しぶりの幕営と云うことで、kz氏が迂闊にもヘッドランプを忘れてきたことも記しておく。念の為、自分のザックの中を確認してみると、驚いたことに予備のヘッドランプが入っていたので、其れをkz氏に貸与した。此れで今朝の遅刻は帳消しですね、と冗談を云うと、帳消しどころじゃないよお、と、kz氏が云った。

以上、様々な出来事を経て、幕営地は完成した。止むを得ないですよね。うん、止むを得ないね。ふたりでビバークの確認を云い合い、麦酒で乾杯する。フライパンに、タレに漬け込んできた牛カルビ肉と野菜を乗せ、蓋をして熱する。野菜にタレが染み入って、肉も蒸し焼きのような塩梅になり、なんだかジンギスカン料理のような風情となった。ふたりで貪るように食し、私は麦酒の後のウヰスキーを飲んでいる。

至福の時間を過ごして、山上の春の夕暮れは緩慢に進行していった。並列のふたつのテントが、夜の帳の気配に従順になって、夕餉の灯火に、薄っすらと浮かび上がった。

八丁山・お伊勢山・稲村岩(前篇)

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電車が減速して、終点の青梅を告げるアナウンスが流れる。私は固唾を飲んで、接続列車の案内に耳をそばだてる。幸いにも、奥多摩行きの電車は程無く接続するようなので安堵した。其の途端、携帯電話のメール着信音が鳴る。奥多摩駅前は人混みの坩堝で、トイレは大行列。kz氏からのメールには、そう記されていた。本来であれば、乗車していた筈の「ホリデー快速おくたま一号」が、奥多摩駅に到着する時刻である。私は再度、遅刻を詫びる返信を送った。


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2017/4/23
東日原バス停(10:10)---巳ノ戸橋---巳ノ戸尾根合流点(11:45)---991m---八丁山(15:00)---八丁山西側鞍部(15:20)

秩父鉄道沿線の低山逍遥が続いたが、今回のkz氏とのふたり山行は、久しぶりの幕営行と云うことになった。長年使用してきたテントだが、しばらく張っていないので、撥水剤を塗布したい。しかし、薬剤を自室で振り撒く訳にもいかないので、何処かでテントを張って、其れを実行したい。そう云うことをkz氏が呟き、其れならば、と、私は即座に、何処に行こうと云う想定の無い儘、幕営行の計画を持ちかけた。

昨年(2016年)の六月に、奥多摩、七ツ石尾根を登り、千本ツツジで幕営したが、帰宅後に発覚したマダニの惨禍に驚愕し、脱力した。其れ以来足が遠のいていた奥多摩であるが、未だ四月である。大丈夫であろうと考えた。そうして、今回は、のんびりとふたりでテントを張って、焼肉でも食しながら麦酒を飲もう、と云うくらいの主題とすることにして、目的地を鷹ノ巣山避難小屋の周囲にある平坦地に決めて、其処で幕営すると云うことになった。

鷹ノ巣山へのアプローチはkz氏との山行なので、浅間尾根や稲村岩尾根では詰まらない。そこで、かねてから歩いてみたかった、「奥多摩登山詳細図(西編)」に記載されている、「巳ノ戸尾根・鷹ノ巣尾根ルート」を踏破することにした。日帰りの距離である鷹ノ巣山近辺に泊まるのであれば、其れ程早立ちしなくても大丈夫だと想定し、私は集合場所の奥多摩駅に、「ホリデー快速おくたま一号」が到着する、午前八時二十一分を待ち合わせ時刻とすることを提案し、kz氏は勿論快諾した。

そうして、あろうことか、私はホリデー快速に乗り遅れてしまった。焼肉の準備や、握り飯を作っているうちに出発が遅れ気味になり、足早で最寄り駅に向かった。そもそも私の最寄り駅に快速は停車しない。各停に乗り、途中駅でホリデー快速に乗り換えなければならない。駅に到着すると、ホリデー快速に接続する各停電車は既に発車してしまった直後であった。電光掲示板を見上げると、次の発車は十数分後となっている。落胆し、忸怩たる思いでkz氏にメールで経緯を送信した。間も無く、傍らの線路に轟音が響いてきて、無常にも「ホリデー快速おくたま一号」が、私の最寄り駅を軽快に通過していった。

そう云う訳で、まんじりともしない儘、私は青梅発普通列車奥多摩行きに揺られていた。御岳で多くのハイカーが下車して、車内は程よく空いている。白丸の隧道を通過して、電車は甲高いフランジ音を立てながら旋回し、ゆっくりと奥多摩駅に到着した。駅前に出て、直ぐ右側に、東日原行きのバス停が在る。ひとだかりが皆バスに吸い込まれて、出て行った後なのだろう。奥多摩駅前は閑散としていた。kz氏は、東日原行きバス停の傍らで、ザックに腰掛けていた。私は合掌して、平伏すようにして、陳謝を兼ねた挨拶をする。いいよお。よくあることだよう、と、kz氏に慰撫して貰い、ひとまず朝のドタバタ劇は一応の収束を見せたのであった。

ホリデー快速が到着した三十分前の、駅前の混雑は凄まじかったようで、東日原行きのバスは、乗れなかった人の為に、臨時便が二台も増発されたと云うことであった。西東京バスのフレキシブルな対応は相変わらずで頼もしいが、改めて日曜日の奥多摩駅の繁盛ぶりに驚いてしまう。次のバスは九時三十五分で、暫くのんびりと待っていたが、やがて「ホリデー快速おくたま三号」が到着すると、バス乗り場に長蛇の列が出来た。今度はバス一台で納まり、定刻に発車した。満員の乗客の約九割が、途中の川乗橋で下車したので驚いた。終点の東日原に降り立ったのは数人で、皆、足早に、それぞれの目的地に向かって歩き出したので、折り返しのバスが行ってしまうと、日原の集落に静寂が訪れた。

快晴の青空であった。車道を中日原バス停に向かって歩くと、端整な稲村岩が順光でのっぺりと屹立している。海坊主のような形をしているが、名前の由来は稲束を積み上げたような形をしているからだと云う。いなづか、を此の周辺では、イナボラ、イナブラなどと呼んでいたが、やがてイナブラを稲村と当て字にして、稲村岩になったのではないか、と云う説もある。それはそうとして、今日はあの稲村岩の背後に連なる、巳ノ戸尾根に登る。一時間の遅れで出発するが、私は予定通りに、鷹ノ巣山を経由して避難小屋迄歩けるだろうと楽観的に考えていた。其れを確認するかのように、私はkz氏に話し掛ける。kz氏は、其れはどうかなあ、と、少し嬉しそうな表情で云った。

日原川に下降して、釣り人が散見される急流の清流を眺めて、巳ノ戸橋を渡る。稲村岩尾根に向かう常套のコースを歩いて、巳ノ戸沢左岸の山肌に沿って勾配を登る。途中に在る道標に、巳ノ戸尾根に続く山道が分岐している筈で、其れを目指して歩いていく。其の距離は存外に長く感じた。漸く分岐点に達すると、巳ノ戸尾根に向かって、明瞭に道が刻まれていた。

九十九折の作業道を黙々と歩いていくと、鬱蒼とした植林帯が明るさを増してくる。竹林が現われて、左手に崩壊したような谷が広がり、見上げると石垣が積み上げられ、整地された平坦地が窺えた。巳ノ戸部落跡の広場周辺には、錆び付いた釜や、用途の判別が難しい鉄製品の残骸が転がっている。部落と云うよりも、一軒家が在った場所と云うような規模の、山腹に在る小平地であった。

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其処から先は、踏み跡が少し心細くなり、尾根上を目指して登り続けていくと、やがて周囲が明るくなった。広葉樹の自然林が周辺を支配していて、足元を見ると、桃色の花弁が散りばめてあり、思わず頭上を見ると、山桜が葉陰の向こうに咲いている。桜花の向こうは、抜けるような青空だったので、いよいよ尾根の上に近づいてきたのが判る。踏み跡は殆ど不明瞭になって、私はkz氏に判断を仰ぐ為に立ち止まった。

登山詳細図に記載の、尾根上への分岐点である「白テープ」が発見できない儘、微かな踏み跡は山腹を辿り続けていた。直進を続けていけば、其のポイントに辿り着く可能性は大きいが、見上げると尾根の上は近い。曖昧な雰囲気で踏み跡が分岐しているように見える箇所から、我々は山肌を登り始めた。自然林に囲まれて佇立している山桜を、徐々に見下ろすようになって、やがて尾根の上に到達した。

北面には鞘越しの展望が開けて、長沢背稜が青空を背景に連なり、遠近感が曖昧になる尾根の重なりを順に眺めていくと、眼前には峻険な岩崖の燕岩が聳えている。稲村岩尾根と対峙して延びる巳ノ戸尾根は、日原川周辺の奥多摩を俯瞰して眺めながら歩くことが出来る。其れは新鮮な感覚であった。我々は、ひと区切りをつけたような気分で、昼食の休憩を取ることにした。時刻は間も無く、正午になるところであった。

C

心地好い気分の儘、漠然と考える。東日原を出発して二時間弱が経過していた。仮に、稲村岩尾根経由で鷹ノ巣山に登っていれば、今頃は道中の半ばに達しようかと云う頃合である。顧みると、我々の現在位置は、漸く目的である巳ノ戸尾根に乗ったばかりで、此れから鷹ノ巣尾根に合流する八丁山を目指して登り始めるところである。

どうやら前途は厳しいようで、と云う感想をkz氏に伝える。すると、実は、と云ってkz氏が笑う。今朝、奥多摩駅で集合が遅れると聞いて、此れは最後迄は無理だろうと思ったんだよねえ。と、なんだか楽しそうに云う。其れでは、今夜の寝床は何処になるのか。私は現実的になった、進行途上でのビバークに就いて、彼の見解を伺う。予定は未定であり、其れもkz氏との山行での楽しさであり、また愉しからずや、と云うひとときでもある。

八丁山を越えて下った処に、幕営適地がありそうだ、とkz氏が云った。其の箇所を、改めて登山詳細図で確認すると、八丁山とお伊勢山との鞍部を辿る破線のルートが、不自然に迂回している。鞍部を、踏路が何故大きく迂回しているのかは、地形図上では窺い知ることは出来ない。迂回出来る程に広いと云うことは想像できるが、実際に見てみないと判る筈が無い。kz氏は、どうやら数多の資料を調べ、目途を立てていた様であった。

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時間を気にするのは止めて、我々は爽快な気分で、巳ノ戸尾根を登り始める。緩やかな傾斜を辿り、間も無く左手に併行している稲村岩尾根が視界に入ってきた。視線を其の左に、尾根の落ちていく先に転じると、新緑に包まれたイナブラの稲村岩が、こんもりと立っているのが見下ろせる。其れで、我々の立っている場所が、山登りの序盤に在ると云うことに、改めて気付かされるのだった。

弟富士山、明ヶ指の卵水、清雲寺の枝垂桜。(後篇)

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荒川に注ぐ立派な支流である安谷(あんや)川が、山深い渓谷を縫うようにして流れている。我々は弟富士山から車道を歩き続け、十二天神社から分岐した山道を下り、存外に立派な木橋が架かっていたので、無難に安谷川を渡った。

対岸の斜面を登ると、集落の集会所のような建物の側を通り、日野渓谷キャンプ場に至る林道に合流した。周囲は多彩な花が咲き乱れ、陽光に光り輝いている。長閑さを画に描いたような風景で、ぼんやりとした空気に包まれた儘、自分が何故こんな処を歩いているのか、だんだん判らなくなる。

人の気配の無いキャンプ場の敷地を通過すると、建造物の群れが、樹林の奥に窺えるようになって、明ヶ指の卵水が在る筈の、別荘地の敷地内に入った。

Tamagomizu

2017/4/13
武州日野駅(8:20)---虚空蔵岩---弟富士山(9:00)---浅間神社---明ヶ指の卵水(10:10)---事上沢左岸尾根上の新秩父線72号送電鉄塔(10:50)---事上沢左岸尾根の極細尾根往復---事上沢---事上沢右岸尾根上の新秩父線71号送電鉄塔直下伐採地(12:25)---事上沢右岸尾根---千手観音堂(14:35)---清雲寺---武州中川駅(16:20)

舗装の尽きた林道になり、奥に進んでいくと、私有地につき迷惑にならないように、と云う注意書きの看板が現われる。卵水の湧水は、山林所有者に釘を刺されながら見物に訪れなければならないようで、途端に興味が逓減していくような気分になった。

高揚しない気持ちの儘に歩いていくと、ふたたび安谷川の畔に行き着いた。古びた標柱に、明ヶ指の卵水、の文字が寂れている。周囲を見渡しても、単なる渓谷の川岸の風景で、何のことか判らない。

ふと下方を見る。円柱形の小さなドラム缶に、パイプから水が注がれている。なるほどと思い、見た目にも判然とする透明な水を掬って口に含んだ。含んでから、猛烈な硫黄の匂いに驚く。卵水の名の所以であり、鉱泉の湯治場でも在れば風情も出そうだが、其れも昔の話のようであった。

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来た道を引き返し、別荘地を通過して進路を東に取り、やがて沢沿いの作業道に出る。此の沢は矢岳から流れ出る持小屋沢で、先程の安谷川に至る。

さて、此処からの道中を、文章で表現するのが難しい、と云うよりも面倒で煩雑である。眼前の持小屋沢を渡渉して対岸の尾根に登りつめ、更に其れを下降して、もうひとつの沢を渡渉し、更に向こうの尾根に登っていく。顕著な山に向かって登っていくと云う趣向では無い。

対岸の尾根上に、送電鉄塔が在り、付近に572mと云う標高点のピークが在る。其の辺りを目指すのだが、地形図の等高線を眺めても、私にはどうやって登っていけばいいのか判らない。此の先の進行はkz氏の独壇場となり、作業道の尽きる処で朽ち掛けた木橋を渡渉する。

なあんだ、巡視路が在るじゃないか。kz氏が云った。黄色の送電鉄塔巡視路を示す標柱が立っている。其れに準じて、明瞭な踏路がジグザグに、尾根上に向かって続いていた。首肯して感心しながら、私は嬉嬉として登り始める。漠然とした儘歩き続けてきた、落ち着かない気持ちが、明確な進路を指し示されて、能動的になっていく。

植林帯の九十九折の道を一心不乱に登り続けて、見上げると明るさが増してきている。尾根上に間も無く到達しようかと云う頃、後方を振り返る。踏路が折り返す度に、其の都度メモ帖に歩行状況を記録しているkz氏が、随分遅れて登ってくるのが窺えた。

送電鉄塔新秩父線72号に到達したkz氏が、息の上がった声で、随分引き離されたから焦って登ってきたよ、と云った。そして、鉄塔の向こうに開けた眺望を見て、おお、と歓声を上げる。送電線が連なる向こうに、両神山が明瞭に浮かんでいる良景であった。

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標高560m圏の送電鉄塔から、572mピークに続く尾根は、明瞭に歩き易そうな道が続いている。いつか再訪することがあるだろうかと考え、先ず無いだろうと思いながら後ろ髪を引かれつつ、我々は南南東に向かって尾根を一旦下り始めた。此処から、更に谷へ降りて隣の尾根に向かうことになる。尾根を横断して越えて、目的地に向かうと云うのは、凡そ道楽の山登りと云う雰囲気では無いが、誰に頼まれた訳でも無い物好きな道中である。

程無く鞍部に立ち、相変わらずの巡視路標柱が左方を示している。送電線の作業道は実直に、そして合理的に次の鉄塔に向かって設えてあった。尾根を降りる前に、我々はザックをデポして、此処から空身で、尾根の行き着く先を視察することにした。

現在我々が立っている尾根は、大反山から矢岳に至る尾根に収斂されていくが、地形図で表現される其の形態は、極端にか細い。尾根が上昇するに連れて、其の幅は広がっていくのが自然なのに、此の尾根は左の事上沢、右の持小屋沢から派生する沢の両方に侵食されるようにして、狭まっていく。奇異な形状の尾根の上はどんな光景なのか、其れはkz氏と私の共通する興味であった。

鞍部から登り返すと、程無く平坦な踏路が続いて、尾根が分かれる瘤の上は樹林に囲まれ、鬱蒼としている。右手を窺うと、植林帯の向こうに支尾根が下っている。巡視路が無ければ、恐らく此の尾根を登っていた筈だが、藪を掻き分けて此処に達したとすれば、随分疲弊したのではないかと思われた。

B4

いよいよ尾根が痩せていき、kz氏は右側の踏路を進んでいく。枯葉の敷き詰められた尾根の端の下は断崖である。私は崖淵を歩くのが怖いので、岩稜の上を難渋しながら歩くことにした。やがて、kz氏の嬌声のような叫び声が聞こえてきた。何事かと岩の上から覗くと、祠の残骸だ、とkz氏が云う。恐る恐る尾根のエッジに降りていくと、なるほど小さな祠の屋根と思しき建材が打ち捨てられている。

此の、険阻な細尾根の上にも、いにしえの人々に拠る足跡が在ったと云うことで、kz氏は興奮気味であった。修験道は、こんなにも厳しい処迄やってくるのかと思うと、感慨を禁じ得ない。

やがて、尺取虫が屈伸しているような、細長い尾根が極まる地点に近づいてきた。崖下を流れる沢が、尾根の両側に纏わりつくようにして接近してくる。右手の持小屋沢支流と、左手の事上沢の瀬音が、それぞれ違う響きで聞こえてくる。渓流の形状が異なるので、せせらぎのトーンも違うのであろうか。両側から異なる急流の音が聞こえてくるので、ステレオのようだと云うと、kz氏が尤もだと共感して呉れた。

括れた尾根は、標高600m地点の手前で落ち着き、急勾配の山肌を眼前にする。事上沢の側に小平地が広がっているので、其処に足を踏み入れた。事上沢の流れが垣間見えるのを確認して、今度は尾根の反対側を見下ろすと、持小屋沢の支流は、直ぐ其処を流れている。此処にテントを張って、沢音を聴いたら楽しいだろうな。kz氏が云った。

此の儘、尾根が極限に括れた箇所が崩落してしまうと、どうなるのであろうかと想像してみる。送電鉄塔付近の572mピークを中心にした、独立した島のような峰になるのだろうか、などと考えたが、尾根は尾根で、変わることは無いのだろうと思惟を着地させた。

ザックを回収し、巡視路の標柱に従って、鞍部から急斜面を蛇行しながら下った。事上沢に近づき、踏路は徐々に不明瞭になる。人為的に造られた、朽ち果てそうな木橋を渡渉すると、荒々しく切れ込んだ谷間が在り、両側に尾根が在る。どちらを進んでいくべきか迷うが、頼りの黄色標柱の姿が無い。と、思って周囲を見渡すと、倒れて埋没しそうな送電線巡視路の標柱を発見した。

進路の目途は判然としたが、何処を登ってよいのか、踏み跡が見当たらない。先行する私は、傾斜の加減を見て登り始めたが、kz氏は違う角度から登ってきて、其れが微かに残存する腐った木段の設置された巡視路だった。kz氏にルートファインディング能力を誇示されて、私はどっと疲れを感じつつ、ふたたび合理的に辿る巡視路の、ジグザグ道を登り続けた。

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ふたつ目の尾根の上に乗ると、其処は伐採された傾斜地で、送電鉄塔は尾根の先を見上げるような地点に立っている。切り株に事欠かないので、適当な処に腰を落ち着けて、昼食の休憩にする。恒例のカップ麺を作るが、何の気なしに購入してきた唐辛子の粉末で辛味を調節する激辛麺は、辛すぎて難渋した。

山と谷をふたつずつ越えて、此の山行も終盤に入りたい。そんな気持ちがお互いに湧出したか、見上げる勾配の先の送電新秩父線71号鉄塔迄、登るのが億劫になり、其の儘標高700mくらいの地点から、山肌をトラバースして、隣の尾根に移動することになった。

辿り着いた尾根は、前回も下山に使った事上沢右岸尾根である。勝手知ったる要領で、快速で下り続け、標高550m付近で顕著に分岐する尾根を、今回は右に進路を取った。最後の目的地、枝垂桜の清雲寺の方角に舵を切った積もりであった。

麓の気配を間近に感じる標高430m地点で、唐突に急傾斜となり、右手の様子を窺うと、露岩が突き出る崖になっている。ふたりで逡巡した後、意を決して、岩場では無い方の急勾配を、下ることにした。腐葉土のような柔らかい土で、踏み出した足が意に反してずぶずぶに埋もれていく。難渋して勾配の落ち着いた地点に右往左往しながら下るうちに、とうとう両足の制御が利かなくなって、私は四つん這いになりながら土砂に流されて数メートル下降した。

見上げるとkz氏の姿は無い。振り返って下方を見れば、もう直ぐ傾斜は緩くなることが窺えたので、私は足首迄埋もれた下肢に気力を集中させ、ジグザグに進路を取りながら、徐々に下降していった。踏路の無い急傾斜を、登ることは儘有るが、下るのは滅多に無いことであった。薄氷を踏むような気持ちで下り続けて、漸く麓の沢の畔に辿り着いた。kz氏も、随分時間を掛けて、降りてきた。

尾根と沢を横断する、不思議な山歩きが漸く終わった。下山した場所には、鹿柵が延々と張り巡らされて、車道に復帰するのに難渋した。微かに下方に隙間の在る箇所を発見し、ザックを柵の上から放り投げ、人体は腹這いになって、匍匐前進しながら柵の下に潜らせていく。文字通りの、ほうほうの態になって、漸く脱出した。

長閑な田園地帯に帰還して、強い陽差しを浴びながら、車道を辿る。千手観音堂で休憩し、約一ヶ月ぶりの若御子神社に到着すると、今日は観光客で賑わっている。清雲寺の枝垂桜は絶頂かと思いきや、少し盛りを過ぎたか、若芽混じりの満開だった。しかし、枯木の境内を眺めた先月のことを回想すると、目を見張るような見事な光景である。樹齢六百年のエドヒガンザクラは、老木らしく突っ支い棒に支えられながら、独特の形状で花を咲かせていた。

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心地好い疲労感の儘、花見を終えて、武州中川駅迄歩いていく。秩父鉄道の電車は先程出てしまったばかりなので、駅付近の酒屋で私は缶麦酒を買い求め、kz氏は珍しく缶チューハイを購入して、駅に戻った。

武州中川駅前の自転車置場にも桜並木が在り、ソメイヨシノは見事な満開であった。御誂え向きに設置されたベンチに座って、ささやかな乾杯をする。陽光が逆光になり、見上げる桜の花が眩しい。都心に居ても、こんな花見は味わうことが出来ない。長閑さに浸って、其の儘沈み込んでしまうような、弛緩した気分で、私は至福の紫煙を燻らせる。程よい待ち時間が過ぎて、遠くで踏切の音が聞こえる。やがて、ローカル線が茫洋とした雰囲気で到着し、今日の山歩きが、ゆっくりと終わった。

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