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皇鈴山・釜山神社・釜伏山(後篇)

A


埼玉県東秩父村と皆野町の境界線を、標高六百メートル程度の山々が縦断している。奥武蔵の山と同じように、此処北武蔵も山上に舗装路が整備されているので、自然の奥深い処に居ると云う感興は無い。皇鈴山から緩やかな起伏を繰り返して登山道を歩いていくと、県道361号が程無く合流した。尾根筋に盛り上がりが見えると、県道が左に、そして林道が右に、ふた手に別れて逸れていく。真ん中の道を登っていくと、左手に電波塔が現われて、程無く小高い山の頂上を判別できるような空が広がっていた。標高668mの登谷山である。

県道に沿ったハイキングコースを歩いてきて、通過点のひとつである此の山には、全く期待することなど無かったのだが、頂上広場に立つと、其の眺望は素晴らしかった。北東方面に広がる関東平野の彼方に、赤城山から日光連山が連なっている。北関東の風景を、文字通りに一望できる。自家用車で簡便に登ってこられる山だと侮っていたので、望外の景色に絶句した。

Kamayama_map

2017/2/26
打出バス停(8:40)---二本木峠(10:05)---愛宕山(10:30)---皇鈴山(11:00)---登谷山(12:10)---釜伏峠---釜山神社---釜伏山(14:15)---日本水---塞神峠---仙元峠---植平峠---金ヶ嶽(15:50)---野上駅(16:40)

登谷山から尾根伝いに歩いて、三角点の在る657.7m峰に向かうのも一興だが、登谷山から確認すると、其処は電波塔のようなものが立っているピークで、植林に囲まれ鬱蒼としているようにも見えた。其れで整備された木段を下り、境界の尾根から外れることにして、県道に合流した。廃業した登谷高原牧場の敷地には、ソーラーパネルが埋め尽くされている。其れを右手に見ながら車道を歩いていくと、左手に眺望が開けて、遠く彼方に、忽然と浅間山が浮かんでいる。突出して聳える銀嶺が出現し、kz氏と私は思わず立ち止まり、其れを眺めた。

さて、懸案の釜山神社に到達する迄、随分時間が掛かってしまった。登谷山からの絶景は見事であったが、此れは余禄に過ぎない。天候は安定しているが、徐々に薄曇に転じようとしている。ハイキングの気分が、徐々にミステリアスなオオカミ信仰の聖地を訪問する、という心境に変化していく。県道の舗装路を下っていくと、車道が交錯する地点に到達し、其処が釜山峠であった。神木に覆われた薄暗い処に参道が在り、奥へと続いている。

参道の途上に、狛犬のオオカミが、灯篭のように幾つも対峙するように配置されていた。岩に手を掛けて、睥睨する姿勢のオオカミ像は、何れも肋骨を表現する彫刻が施されている。顔付きは多様で、目が攣り上がったもの、驚いたように丸い目をしたもの、耳が折れている草臥れた犬のようなものも居る。ETV特集「見狼記 ~神獣ニホンオオカミ~」では、雨が降る山奥の社殿に、祝詞を唱える宮司の声が響き、オオカミ狛犬の顔が断続的に挿入されると云う、神秘的な雰囲気で映像化されていた釜山神社だが、実際に踏み入ってみると、其のような厳かな感じでは無い。テレビの演出と云えば其れ迄であるが、本殿の建物も想像していたよりも小さくて、こんなものか、と思ってしまったのも事実である。

C

御眷属と云う神の使いから転じて神格化されたオオカミは、お犬様、大口真神などと呼ばれる。其の信仰儀式が、御炊き上げである。お犬様に捧げる御飯の入った米櫃を、宮司が背負って奥宮に登る。奥宮は、釜伏山の山頂である。登山口は社殿の左手に在り、尾根の勾配に道が続いていた。私は気持ちを鎮めて、厳かに登り始める。直ぐに尾根が平坦になって、木立の向こうに、こんもりと丸い山が聳えている。名前の通り、御釜を伏せたような山容であった。

岩の急勾配も直ぐに終わり、釜伏山に呆気なく登りついた。山頂には石の祠が鎮座して、其の前に結界のしめ縄が渡っている。天然の苔蒸した岩に、オオカミ像が一対、祠の前に相対している。奥宮のオオカミは、丸みを帯びた体躯に、顔は平面に書かれたかのような、シンプルな造形であった。其れ故に、いろんな解釈が出来るような表情にも見える。

E

石祠の在る山頂からは、全く眺望が利かないが、参詣を終えて、釜伏山の北端に出ると、寄居方面の眺めが広がっていた。鬱蒼とした神域では、天候は崩れていくのかと思う程だったが、此処から眺める景色は、穏やかな青空の下に、風布(ふっぷ)地域を構成する里山が横たわっている。其れ等の山々自体が、現世を表現する市街地と、いにしえの風習を包容する釜山神社とを隔絶する、結界のようなものにも思えてくる。しかし、釜伏山の尾根は北東へ、緩やかに続いているが、興醒めなことに、此の尾根の下には、「秩父やまなみ街道」と云う有料道路がトンネルで貫かれており、尾根が落ちていく処には寄居風布と云うインターチェンジも在る。お世辞にも、ニホンオオカミが御炊き上げの御飯を食べに来る、と云うような雰囲気では無い。

我々は、北面を下降して、ふたたび釜伏山の山腹を捲いて、西側に在る隣の尾根に移る予定である。途中で、日本(やまと)水と云う湧水地を通る筈である。改めて、kz氏が退屈していないかと、少々気詰まりだったが、釜伏山北面の登山道は、急峻の岩場にロープが設置されていて、其れが楽しいと云って呉れた。

釜伏山周辺は、地形図や登山地図を眺めても、特に感興の湧かないような場所に見えたが、kz氏が愉しんで呉れたので安堵した。そして、念願の釜山神社に参詣できて満悦であった。岩場をジグザグに辿る急坂の途中で、釜伏山を振り返ると、こんな処であったかと思う程、険しい岩山であった。

F


追記

釜伏山の北面を降りて、鞍部に降りると、日本水の水源地への分岐点が在った。岩盤崩落の危険性を考慮し通行止め、と書いてある看板が立っている。目を見合わせてどうするかと逡巡する我々であったが、今降りてきた急崖を戻るのも億劫であるので、取り敢えず様子を見に行くことにした。道中は山腹のトラバース道で、特に踏路が崩壊している訳では無かった。程無く断崖の下に在る日本水の水源地に着いてしまった。岩盤を見上げると、成る程縦に大きな亀裂が入っていて、長居の出来ない恐怖を感じた。のんびりとペットボトルに日本水を入れている私を見て、焦燥気味の表情でkz氏が、早く行こう、と云った。

随分回り道をしてから県道361に戻り、塞神峠から寄居町と長瀞町の境界尾根の山道に入る。ピークを捲いて植平峠に至り、西に方向転換して尾根に沿って下っていく。途上に在る金ヶ嶽に春日神社の奥宮が在るのだが、想像以上に大きな建造物なのが意外だった。其の後の下山路は倒木が頻発し、沢を渡渉して難渋しながら歩いた。

下山した処には立派な春日神社の鳥居と、金ヶ嶽の謂れが記して在る看板が在った。秩父鉄道の野上駅に到達した頃は、既に夕刻の陽の傾きだった。野上駅から正面に金ヶ嶽が端整な姿で聳えているのが眺められる。武蔵七党のひとつ、丹党の根拠地であった可能性を、春日神社の看板に記してあったが、さもありなんと云える雄姿だった。



付記

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