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若御子山・大反山

西武秩父の駅前で、朝陽の斜光を浴びて聳える武甲山を眺めながら、紫煙を燻らせていた。気持ちのよい好天である。今日も秩父鉄道に乗車するために、西武線の果て迄やってきた。ハイキングの為に秩父鉄道に乗り換えるなど、今迄は思いつきもしなかった行程だが、前回の釜伏山で憑き物が落ちたような気分になり、もう何と云うことも無い。徒歩で移動した御花畑の駅に、立ち食い蕎麦屋が二軒も営業しているので少し驚く。乗り換え時間に余裕があるので、掛け蕎麦を食す。濃厚で少し甘い蕎麦つゆの味に、何故か、遠く迄来たのだと云うような感慨が湧いてくる。

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2017/3/19
武州中川駅(8:05)---若御子神社(8:25)---国見の広場(9:50)---若御子山(10:55)---大反山(11:35)---クタシノクビレ(11:50)---捲き道途上の伐採地で休憩---事上沢右岸尾根---昌福寺---武州日野駅(14:10)

ローカル線のイメージとは程遠い、ステンレス製の電車に揺られる。武甲山が右から左へと車窓を移動して、浦山口駅に停車すると、少なかったハイカーの徒が下車していった。武甲山に登るのは、こっちが楽だからなあ、と、kz氏が呟く。浦山ダムの壁を見上げながら、電車はゆっくりと右にカーブして、武州中川駅に停車した。我々は下車すると、島式ホームの先端から線路を横断して、人の気配の無い駅舎に向かって歩いていった。

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休暇中のkz氏を誘って、前回に続いて秩父の何処かに行こうと云うことになり、明確な目的地が浮かばない儘、私は秩父さくら湖の畔に在る尾根の、若御子山に行こうと思い立った。麓の若御子神社は、釜山神社同様、御眷属としてオオカミの狛犬が居ると云う。其れを見物して、昭文社の登山地図にはルートが記されていない若御子山に登る。kz氏も未訪の地と云うことなので、好都合である。

早春の田園地帯をのんびりと歩き、住宅が散見する小径で、高齢の男性に声を掛けられた。秩父札所巡りの途中で、道が判らなくなったと云う。力添えが出来なくて申し訳なかったが、改めて、秩父に居るのだな、と思う。程無く若御子神社に到着し、素朴な風貌の御眷属の像を眺め、境内に入った。

隣接する枝垂桜の名所である清雲寺に、若御子山遊歩道案内図と云う、官製の案内板が在った。若御子山に至る尾根の途上、国見の広場と名づけられた606mピーク迄、此の若御子神社から遊歩道が続くと示されていた。其れに従って、神社から始まる登山道を探した。此のルートが登山地図に載っていないのは何故なんだろう、そんなことを呟く。断層洞とか神社とか、記載するものが多くて、ルートを書くスペースが無かったんじゃないかなあ。kz氏が素朴な見解を述べた。

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境内の脇から木段が始まり、盆地を二分する断層で構成されていると云う山肌を、立派な手摺りと木段が、延々とジグザグに登るように続いている。途中の若御子断層洞を見物して、整備された歩道は終わるのかと思いきや、案内図の通りに、其の儘国見の広場迄続いていた。ふらりと訪れた観光客にとっては、過酷な傾斜と長さである。

標高606m、国見の広場には櫓の展望所迄設置されているが、樹林に阻まれて眺望は無い。何にも見えないじゃないかと、笑いながらkz氏が云った。植林の都合とは云え、国見の広場と命名しているのに此の有様は御粗末で、此処を目的に登って来た観光客は失望するだろう。小休止の後、我々は南へ続く尾根の上を歩き始めた。

途上に在る標高600m圏のピークを捲いて、最初の鞍部に踏路が交差していた。若御子峠と記されている場所である筈だが、道標がぽつんと立っているだけで、峠の表記は無い。此処から南へ直進する尾根上の道が、若御子山に向かうルートであるが、登山地図には記されていない。手製と思しき錆び掛かった鉄板が木に括られていて、矢印と、若みこ山、と書いてあり、小さい文字で落書きのように、行くな、と付け足してあった。kz氏が大袈裟に、何だ此れは、と声を上げた。

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尾根上を進んでいくと、平坦地に建物の基礎部分のような遺跡があり、此処が遷座される前の若御子神社ではないか、とkz氏が云った。西側に自然林が立ち並び、樹林越しに広がる谷間を眺めながら先に進むと、間も無く崩壊した木造の社が出現した。先程の基礎部分跡と程近いので、此の周辺が旧若御子神社だったと云える。

若御子神社の創始は神武天皇を祀ったとされ、若御子の名は、神武天皇の別呼称、「若御毛沼命」の若御毛に因むと説明されている。由来が伝説上の人物であるので信憑性に難は有るが、歴史が古いことは確かで、奈良時代の話である。そして、先程参詣した若御子神社の本殿は、大正五年に移転された場所であり、其の前は、山上の地に在ったと説明されている。若御子神社は戦勝と武運長久を、名のある武将たちが祈願したと云うことで霊験あらたかと云うことになったようで、其の反動で攻撃されることも多く、遷座の繰り返しを経て、若御子十二社権現宮と称され本宮を設置した場所が若御子山と呼ばれるようになった、と云う説明になっている。此れが室町時代のことである。

現在の登山地図に記されている若御子山に、未だ到達していない筈だが、社殿の残骸が在る此の場所が、若御子山と呼ばれていた箇所なのだろうか。尤も、今歩いている尾根は延々と南方に続き、標高を上げ続けている。若御子山、と云う実体が何処なのかと云うことにこだわること自体、少し無理があるのかもしれない。

遺跡の在る平坦地から、更に歩いていくと、人為的に造られたようにも見える掘割状の窪地が在り、其れを越えて、傾斜の途中に赤い鳥居が現われた。トタン屋根の下に、小さな木祠が三つ並んでいる。ささやかな風情だが鳥居は立派である。此処も若御子神社だったのだろうかと考え込んでしまうが、よく判らない。鳥居の先は険しい岩の山であるから、此処から若御子山と云う神域に入るのかな、などとも感じる。取り敢えず参拝して出発すると、いよいよ尾根は急勾配になっていった。

此の辺りの地形図を見ると、若御子山に延びる尾根の、秩父さくら湖側に、険悪な崖の印が在る。頂上直下はどのようになっているのかと、不安も感じていたが、其処に行き着く前に唐突に、行く手を遮るようにして、巨岩が鎮座しているように屹立していた。踏路は岩の右手に在るのだが、とにかく大きい岩である。

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ザックを下ろして休憩し、試しに巨岩の左手から空身で登ってみることにした。足掛かりが確保できて登れるのかと思ったら、あと少しの処で立ち行かなくなった。と、思ったら岩の向こうから、反対側から楽に登れるよ、と云うkz氏の声が聞こえてくる。首肯して引き返し、改めて巨岩の南側から登る。尖塔の上に立つと、地形図の示す通りの崩壊した岩尾根が東に向かって延びているのが伺えた。しかし、秩父さくら湖の湖面を望むことは出来なかった。

ふたりで巨岩の上で休憩し、爽快感に浸っていると、人の声が近づいてきたので驚いた。行くな、の警告は其れ程大袈裟とは思えない瓦礫場であった。近づいてくるのはベテランのハイカーなのかと思ったが、現われたのは軽装の男女ふたり組であったので更に驚いた。若御子山から下山の途上と思しきふたり組は、岩の上の我々を黙殺して去って行った。

瓦礫場はピンク色のテープが散見されて、踏路を誘っているが、足元は砂礫で滑りやすく、やや難渋するが、私は忠実にテープの方角を目指して登っていった。振り返ってkz氏を確認すると、瓦礫場を直登せずに右手にトラバースしていくのが伺えた。岩の連続から急傾斜の直登になり、ロープが渡されている手前でkz氏と合流し、あとは斜面をひたすらに登り続けた。急勾配の厳しい登りだった。そして、登りきった処が標高730m圏、山名標に記載されているのは735mの、若御子山であった。

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山頂は植林に囲まれた薄暗い処だったが、北面に開けた箇所が在り、秩父さくら湖と、武甲山の姿を眺望できる。其の前景には、地形図の崖印の通り、見事に崩壊した岩尾根が横たわっていた。若御子山が何処であったのか、諸説あるようだが、此の山名標の在る、尾根の肩のような地点に立ってみると、遥か昔は、周囲を睥睨するかのように、見晴らしの利く、要害の山だったのではないかとも想像できる。

主題であった若御子山に達したが、植林に覆われた薄暗い尾根筋を歩き始める。麓から延びる尾根が合流していく先に在る大反山を目指してから、帰途に就く予定である。麓の千手観音堂付近から続いている、登山地図に記載されたルートは、標高684m点を経て尾根を登っていく。我々の歩いている、若御子山からの尾根が、徐々に其れに合流しようとする頃、急勾配の様相になってきた踏路が、次第に尾根の左側を捲いていくようになった。捲きながらも苦しい登りが暫く続いて、漸く尾根上に乗ると視界が開ける。尾根の合流点は茫洋として広く、登山道が合流するような道標も無かった。

其処から緩やかに登っていくと、全方位を植林で囲まれた、何の変哲も無いピークに達して、其処が大反山であった。何の眺望も無いのは事前に確認済みなので承知していたが、標高853.7mの、三角点が在るピークである。測量されていた頃は自然林に囲まれて、見晴らしの良い山だったのだろうか。麓から眺めると、武甲山から連なる山々の中に、顕著なピークとして大反山を確認できる。其の頂点に立ったことに満足することにして、我々は下山の徒に就く。

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大反山から南側に下った鞍部が、クタシノクビレ、と云う奇妙な名前が付いているので、其れを確認しようと云うことになった。「動詞クタツ(降・斜)の連用形でクタシとなったものと思われ、意味は傾斜地」(kz氏のブログより)と云うことのようだが、鞍部は傾斜している訳でも無く、何処がクビレているのかも不明であった。

大反山の西側に在るトラバース道を経由し、唐突に広大な伐採地が現われて、送電鉄塔が立っていた。麓の方から微かに、正午を知らせるメロディが聞こえてくる。お誂え向きの休憩場所に、丁度良いお昼時であったので、其処で大休憩となった。

春浅い山懐の風は、未だ冷たさを残しているが、遮るものの無い伐採地に居ると、降り注ぐ陽光を浴びているので暖かい。食事を摂りながら、今日の行程を反芻して、kz氏と語り合う。そしていつしか四方山話になって、のんびりとした儘、心地好い時間が過ぎていった。

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追記

下山ルートは登山地図記載の尾根と云う漠然とした予定だったが、大反山西側を捲いて、其の儘分岐する事上沢右岸の尾根を下っていくことになった。登山道や道標の無いバリエーションルートである。西北西に延びる顕著な尾根は、右手に自然林が立ち並ぶ好展望の道で、存外に快適な山歩きとなった。次第に支尾根が派生するが、正確に進路を取り、下降地点の昌福寺に至る。墓地との境界には鹿柵が在り、結局境内には入れず、其の儘鹿柵に沿って、最後は林道に飛び降りた。のどかな田園地帯の舗装路を歩き、武州日野駅迄歩く。駅に着いた時、重厚な汽笛が聞こえて、丁度「SLパレオエクスプレス」のC58が通過する処だったので僥倖だった。



付記

若御子山について。
kz氏のルポ。若御子山、若御子峠に就いての考察。

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