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2017年3月

台ヶ岳「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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箱根山と云う大雑把な括りで、噴火警戒レベルが引き上げられ、箱根の中央火口丘、神山周辺の登山道が立入禁止となって久しい。仮に中央火口丘が御嶽山のように大爆発となれば、強羅や仙石原などの周辺に在る観光地は壊滅状態になり、最早登山道などという瑣末な問題では済まない訳で、憂慮せざるを得ない未来ではある。果たして大涌谷は本当に大噴火するのか。懸念は尽きないのだけれど、大涌谷は、相変わらずの噴煙を吐き出しているだけである。

矢倉岳、鷹落場の「箱根登山詳細図」踏査に行った翌週、またもやMD、KR両氏と小田原駅で合流した。本日の目的地は台ヶ岳である。箱根外輪山の金時山辺りから中央火口丘を眺めれば、其の手前に独立して盛り上がっている溶岩ドームが、妙に目立って鎮座しているのに気付くが、其れが台ヶ岳である。仙石原の高原を前庭にして、堂々たる姿の山であるが、登山道は整備されていないので、勿論既存の登山地図にもルートは記載されてはいない。「箱根登山詳細図」に、台ヶ岳ルートを記載させる為に、調査すると云うのが今日の主題である。

2017/2/4
国有林前バス停(9:45)---廃林道から取り付き(10:10)---台ヶ岳(10:50)---国有林バス停(11:35)

小田原駅のバスターミナルに特設された販売所で、事前にMD氏から教えて戴いた、伊豆箱根鉄道の発行する「箱根バスフリー」と云う一日乗車券を購入しようと思うが、中国人と思しき女性グループが、フリー切符に就いての質問を連発していて、買うのか買わないのか仲間で議論をしているから、順番が廻ってこない。湖尻経由箱根園行きのバスがアイドリングを開始して、どうなるかと思ったが、無事購入して乗車した。中国人女性たちも結局は購入して乗車した。

後になっての話になるが、「箱根バスフリー」は、競合する箱根登山バスに乗車できないから、我々は宮ノ下で、帰路のバスに乗車するまで、随分待たされた。其れで、中国人の彼女達の、其の後の行程でも、いろいろ遭ったのではないかと推察するが、勿論其れは知る由もない。

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乗車率が其れ程でも無かったバスが、小涌園を過ぎて、早雲山駅に達すると、乗客が随分増えた。箱根ロープウェイの早雲山から大涌谷の区間が工事の為に運休しているからね、と、MD氏が説明する。上湯バス停に近づく頃、人いきれの車中に、硫黄臭が漂うようになった。其れで、活動中の中央火口丘の域内に来ているのだなと実感する。

大涌谷の北に在る、国有林前と云うバス停で下車する。此のバス停は、私の所持している、古書店で買い求めた「山と高原地図29 箱根 2001年度版」には「台ヶ岳バス停」と記されているが、現在は名称が変更されているようである。空気は冷たいが風の無い朝で、箱根山は快晴だった。バス停から上湯方面に少し戻ると、車止めの在る、廃れた林道跡が現われる。此処から、台ヶ岳への取り付き迄、次第に倒木が増えて、藪状になっていく道を歩いていった。

左手に広がる、台ヶ岳の南面の尾根を見上げながら、取り付き点を探す。先行するふたりが、GPSの表示を確認しながら、引き返してきた。標高800mくらいの山裾から、1044.5mの台ヶ岳に登るのは簡単そうに思えるが、歩き易そうな踏跡を見つけるのが難しい。私も、ロードメジャーを逆走させて、廃林道を引き返す。やがて、古びた赤テープが木に括られている、薄い踏跡を発見したので、其処から侵入した。

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背丈程にもなる笹薮を掻き分けて、地形図上ではなだらかな斜面を歩いている。見上げると落葉樹の枯木が青空に向かって林立している。徐々に東側に延びる尾根を目指していくと、明るい茶色の樹皮の木が立っている平坦地に達した。ヒメシャラの広場ですね、とMD氏が云った。

進路は、いよいよ台ヶ岳の頂点を目指すようになり、勾配を登っていく。笹薮の足元は、ロードメジャーを転がすには厳しい道程で、私は徐々に引き離されていく。藪が激化していき、ふたりが逡巡するように停滞しているところに追い着いた。植林の方が歩きやすいかも、と云う理由で、我々は傾斜の途上で、更に東側にトラバース移動し、転進した。植林と自然林の境界に達して、踏路は比較的明瞭になった。

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もう二度と藪漕ぎはやらないと誓ってたんだけどなあ。今日もクラシックスタイルのKR氏が呟く。南東から頂上を目指す尾根は、笹薮に囲まれた急斜面だった。枯木の丈が高くなり、時折振り返ると、鞘越しに大涌谷の白い煙を、同じ高みで見る迄になった。東北東からの尾根が合流し、西南西に進路を変えて、最後の登りを続けると、程無く平坦になって、台ヶ岳の頂上部に立った。

冬の雑木が林立する、其の向こうに富士山が浮かんでいる。外輪山から見る、顕著なピークである台ヶ岳は、樹林に囲まれて、判然とした眺望は得られない。明神ヶ岳も、鞘越しに確認できる程度であった。草木の繁茂する季節には、到底登ることは出来ないだろうと推察できる山である。しかし、冬枯れの今、台ヶ岳は巨木の林相が美しい山でもある。

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三角点は、何故か西北に下った処に在るが、興味ありますかと、MD氏が云った。私が答えに窮していると、興味無いよねと、独り言のように呟いた。笹薮を掻き分けて、三角点を確認する気力は無かった。KR氏の感想も、無論云う迄も無いようであった。其れで、三人で記念写真を撮って、下山することにした。ヒメシャラ広場に戻り、取り付き点迄の踏跡を辿っていくと、出発時には気付かなかった、褪せたピンク色のリボンが、木立の枝に括られているのを発見した。其れは、台ヶ岳の秘境ぶりが実感せられる、象徴的な光景のようにも思えるのだった。

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追記

バスで早雲山駅に戻り、帰路を兼ねて、地形図に道了別院の記載の在る地点を踏査。早雲台と石柱に刻印の在る境内からの眺望は良かった。強羅温泉の坂をケーブルカーに併行して下る。途中で尋常ではない人だかりに驚く。警備員に尋ねると、世界救世教の信者たちとのことだった。

強羅駅で別行動となり、単独で宮城野橋、木賀温泉を経由して、国道を宮ノ下迄を踏査する。堂ヶ島渓谷の未踏査部分を調べに行ったふたりと合流し、帰路に就いた。前述の通り、やってくる路線バスは箱根登山バスばかりで、伊豆箱根バスに乗るまで、三十分くらい待たされた。バス会社共通のフリー切符に改善してほしい処だが、所謂「箱根山戦争」の余韻が残っている数少ない案件でもあるというから、其れも面白いと云えば面白い。

小田原で酒宴。当ても無く店を探して入った居酒屋が存外に居心地よく、四時間くらい長居をしてしまった。

矢倉岳・鷹落場・鳥手山「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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うたた寝から覚めて窓外を眺めると、電車は既に渋沢駅を過ぎて、山深い処を走っている。早朝に新宿駅を出発した小田急の電車に揺られて、一時間が経っていた。新松田駅には、待ち合わせ時刻の随分前に到着したので、駅前の箱根蕎麦をゆっくりと食す。地蔵堂行のバス乗り場に向かうと、既にKR氏とNZ氏が並んでいる。

前回初めて参加した「箱根登山詳細図」の踏査は、箱根外輪山の東端を歩いたが、本日の行程は更に周縁の外側を巡ることになっている。外輪山の北端である金時山から、静岡、神奈川の県境が寄り添う尾根が延びて、ハイキングコースは足柄峠迄続く。其の東側に、独立峰のように端整な山が唐突に在る。

標高870mの矢倉岳は、其の存在は認識していたが、此迄訪れたことは無い。小田急電車が新松田を発車して、小田原に向かって南下し始めた車窓右手の、箱根の山塊を眺めると、余りにも顕著な三角形の山が出現する。見事な山容は、一瞬、金時山か、と思うが然にあらず、此れが矢倉岳である。今日は其の山に登ることになっている。

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2017/1/29
矢倉沢バス停(9:00)---矢倉岳(10:55)---山伏平---鷹落場(12:40)---鳥手山(13:40)---(休憩)---立山(14:10)---酒水の滝(16:10)---山北駅(17:00)

地蔵堂行きバスが駅前に入ってくる頃、引率するMD氏が登場した。閑散とした車内に踏査隊が落ち着いた時、急遽参加することになっていたTMさんが、複雑な表情をしてバスに乗り込んできて、山スキーで負傷した箇所が痛むから、本日の踏査の参加は辞退するが、持参したロードメジャーを置いていくから、と云うようなことを云った。突然のことに皆が茫然としているので、私がロードメジャーを受け取った。前回の塔ノ峰踏査で、厳格に計測器の転がし方を指摘されたTMさんのロードメジャーを私が使うことになり、奇妙な因縁を感じざるを得ない。TMさんは要件を伝えるとバスの車内から去っていった。律儀なのか合理的思考なのか、TMさんがどのような人かは判らないが、とにかく本日の踏査隊四名を乗せた、箱根登山バスは、新松田駅前を発車した。

大雄山駅の関本で若干のハイカーを乗せたバスが、田園地帯を軽快に走っていく。矢倉岳が大きくなって正面に見えてくる頃、江戸幕府が関所を設置した矢倉沢の名が付いている割りには、何の特徴も無いバス停に到着した。下車後、少々の打ち合わせを終えて、県道御殿場大井線から離れていく。公民館を経て内川を渡ると程無く、静かな畑地の広がる集落を歩くようになった。矢倉岳方面の道標が在る処で二班に分かれた踏査隊は、別のルートを歩くことになる。初めて矢倉岳を訪れる私は、配慮を戴いた恰好で、KR氏と共に、矢倉岳へのメインルートを踏査することになった。MD氏とNZ氏は、矢倉沢林道を歩き、矢倉岳の裾野を迂回するようにして山伏平に向かった。後に合流して其のルートに関する旨を訊くと、距離が長く、面白味の無い行程で、昭文社登山地図に記されている「あしかりの郷」の地点には、何も見当たらなかった、とのことであった。

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ところで、登山詳細図の酒宴ではたびたび御一緒しながらも、一緒に歩くのは初めてのKR氏である。クラシックなニッカーボッカーとニッカーホースのスタイルが似合っているのは、山岳部出身のベテランである実質が加味されているからだろうか。一方の、碌な登山経験の無い私であるが、KR氏と御一緒すると云うことで、久しぶりにウール地のニッカーボッカーを穿いて来た。KR氏の好む、ザックやウェアなど、登山用具の話題で盛り上がりながら、矢倉岳に通じる登山道を歩いた。

植林帯のジグザグに続く登山道が、自然林の枯木が疎らになる景色に変わって、尾根に乗った。鞘越しの両側に、丹沢山塊や明神ヶ岳を見渡せる心地好い尾根歩きが続き、凡そ二時間を掛けて矢倉岳に登頂した。茅戸に覆われた広い山頂に立つと眼前に、箱根の山が在った。外輪山を衝立にして、大涌谷の白い噴煙と共に、中央火口丘の神山が聳える。そして、晴天の彼方に、富士山から続く愛鷹連峰が緩やかに連なっている。余りにも出来過ぎのような、雄大な景色である。

所要時間が余計に掛かるのは織り込み済みの、矢倉岳の裾を捲いて登ってくるMD氏とNZ氏がやってくる気配は無い。此の後の行程としては、山伏平で合流する方が合理的ではあるのだが、NZ氏にも矢倉岳に登って貰うと云うMD氏の配慮故であるから、我々はのんびりとふたりを待つことにする。風も無く暖かい山頂は余りにも心地好いので、待つことは苦にならない。珈琲を淹れて他愛の無い会話をしつつ、私は紫煙を燻らせて、KM氏は軽食を摂って休憩する。矢倉岳の頂上は、家族連れやグループ登山の徒が敷物を広げて、嬌声が飛び交う長閑な雰囲気であった。

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そんなところに、苦悶の表情と共に汗だくで登頂してくる男性がひとり。健脚のNZ氏であった。後方からMD氏が、淡々とした表情で登って来る。踏査隊が合流して、簡単な報告を行なったが、NZ氏の疲弊が明瞭なので、暫くの大休憩となった。計画に於けるオンタイムに固執するMD氏も、少し心配そうにNZ氏を窺っている。漸く回復したNZ氏は、長い登りの果てに、山頂直下の急勾配がきつかった、と云った。

山伏平に向かう山頂直下の登山道は、木段が設置されていて、NZ氏の云う通りの急傾斜であり、登ってくるハイカーの足取りも重そうであった。右手に植林帯、左手は深い茅戸が広がる尾根である。其れを直截的に下り続けて、行き着いた処が山伏平だった。樹林に覆われた薄暗い峠は、名称の平と云うような風情ではない狭小な空間で、以前は清水越と云う表記で地図に載っていた処でもある。此処でふたたび踏査隊は二班になる。21世紀の森迄、尾根伝いに歩く「浜居場城ハイキングコース」と、北東の山北町方面に向かって延びていく尾根歩きに分かれる。私は志願して後者のルートを歩くことになった。コンビを組むのは此処迄同様、KR氏である。

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北東方面はバリエーションルートなので、と、MD氏が真剣な面持ちで云う。そして、コンパスを頻々に確認して進んでください、と続けた。コンパスを取り出して眺めている私に突然、(進むべきは)どの方向ですか、とMD氏が尋ねてくる。動揺した私は、赤い針が差す方角を眺めて、あっちかな、などと曖昧に云う。其れが足柄峠方面に向かう登山道だったので、MD氏が怪訝な顔をした。落ち着いて眺めると、北東の尾根が明瞭に続いているのは直ぐに判明した。急に訊かれて慌てただけのことである。だが、そんな弁明を行なうのも変なので、何事も無い風を装って、KR氏とふたりで登山地図の破線ルートである、鷹落場、鳥手山方面に歩き出した。

平坦な尾根道を進み、小さな瘤を越えると、次第に人の気配が無くなり、周囲が静まり返った。東に支尾根が分岐するピークをパスして、進路は右に旋回していく。右手に併行する浜居場城ハイキングコースの尾根の向こうに、午後の陽光が逆光になって、こんもりと丸い矢倉岳が、暗色になって聳えている。左手には採石場の荒野が広がり、人工的な重機の音が微かに聞こえてくる。誰も居ない静かな尾根道を順調に歩いて、前方に幅広いピークが現われる。緩やかに登り、頂上部の端に立つ。鷹落場の山名標は、頂上部を南東に百メートル程歩いた処に在った。

鷹落場とは山名としては異様だが、近隣の鳥手山や、浜居場城址跡の名称をひと括りに考えると、戦国時代、此の山域が砦であった頃の名残を感じることができる。尤も、万葉集に於ける、足柄の八重山、と云うような山域でもあるから、古代から中世の鷹狩りに関する名残である可能性も、在るのかもしれない。

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それはそうとして、鷹落場の山頂は、自然林が疎らに林立する、静かな場所だった。南東に、丁度浜居場城址と対峙する谷に向かって、緩やかな尾根道が続いている。ハマイバと古道、そんな言葉が脳裏に浮遊して、此の静かな尾根を通り過ぎた、いにしえの人々を想像する。そんな、情緒的な感覚に浸っているうちに、遠くから人の声がしてきた。其れで、我々は頂上の端に在る分岐点に戻った。

ロードメジャーを転がして歩く我々を見て、三名の中年男性グループが声を掛けてきた。登山詳細図を愛用している方々で、踏査隊との遭遇を喜んでいる風であった。暫く談笑して、我々は先に出発する。鷹落場を北に下って、間も無く尾根が分岐して、コースは右に旋回していく。昭文社地図に記されている、押立山の位置は、更に東に分岐する尾根の、小ピークを越えた処に記されているので、怪訝に思いながら歩いていくが、其のような印は無い。ピークに戻ると、樹木に巻かれたテープに乱雑に、776m、押立山、と記されているだけであった。微細に標高が記されているが、俄かには信じ難いような気分である。

小ピークから少し戻って、押立山を北面に捲くようにして、心細いトラバース道を北に進んでいく。其の先は、細尾根が複雑に分岐して広がるような、曖昧な地形になってくるが、眼前には杉、桧の植林を纏った鳥手山(とでやま)が立ち塞がっているから、其れに向かって歩き続ける。踏路は山腹を左側にトラバースして続いているが、鳥手山に登らない訳にもいかない。我々は植林帯の急登を、喘ぎながら登り続けた。漸く山頂に達するかと云う頃に、下方から話し声が聞こえてくる。くだんの中年氏グループも、鳥手山に登ってくるようであった。

植林に囲まれて鬱蒼とした山頂に、特筆すべきものは無く、手製の山名板が括りつけられている杉の木の傍らで、我々は計測の記録作業を行なう。そのうちに、後続が登って来た。三人はいずれも山に慣れた感じの風貌で、近野山にも行きますか、と我々に訊いてきた。鳥手山から北に延びる尾根は、急激に東側に旋回して続いていて、昭文社地図には、登山ルートの破線から離れた尾根上に、ふたつの山名が記されている。此処、鳥手山から程近い位置に在る、等高線の閉じた小ピークが立山で、旋回した後には、21世紀の森の北方のピークが在り、其れが近野山である。我々は登山道だけを計測するので、立ち寄る予定は無い。

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中年氏グループは、澱みのない足取りで、立山の方に下っていった。尾根伝いに歩いていく彼等は、黄色いガムテープを手にして、所々に目印として其れを捲き付けて歩いていた。恣意的な行為であり、其れが道義的に正しいのかは疑問である。先程の会話で、彼等が谷峨に在住していると聞いた。地元の山に登りに来るハイカーの為に、山中をマーキングして歩いていると云うことであった。そう云われると、余所者の身分では何も云えない。

山頂の北側に、陽差しの在る箇所を見つけた。私は空腹を覚えたので、KR氏に食事休憩を提案する。暫くの休憩を終えてから、登山道に復帰する前に、直ぐ其処に在る立山迄は歩いてみようと云うことになった。鳥手山の北面は緩やかな傾斜が続き、自然林の枯木が立ち並んでいて、陽当たりがよい。直ぐに鞍部となり、瘤を登り返すと、太くて黄色いガムテープが枯木に捲き付けてあるのが見える。近づいて確認すると、樹皮に直接に、立山、640、と乱雑な文字が記されている。文字は薄く、以前に書かれたものであろうが、黄色いガムテープは、余りにも捲き方が粗雑だった。

立山の在るピークから、尾根は広がって北面に落ちている。茫洋とした様相で、凡そのところ、進路を左に取って行けば、やがて登山道に合流するだろう、そんな意識で下っていった。しかし、黄色テープは尾根の端に沿って所々に貼ってあるので、其の儘行けば、谷に向かってしまうようにも見える。首を捻るような気持ちで、北西に進路を取ると、やがて緩やかに盛り上がった尾根に寄り添うような踏路になった。すると、其処にも黄色テープが捲かれている木が在ったので、訳が判らない。

鳥手山から尾根伝いに下りてきたので、捲道を計測するために、ふたたび先程の、鳥手山を直登した地点迄歩いた。鳥手山に登る経路は、果たして登山詳細図に記載されるべきなのかどうか、そんなことを話しながら、私とKR氏は、破線ルートに忠実に、山北町方面に向かって、実直に計測して歩いた。旋回して東に向かう登山道を歩いていると、陽光が徐々に傾いていくのが感じられる。山歩きは、終盤に差し掛かっていた。

御殿場線の下り電車に乗って、山北駅を発車すると、トンネルが断続的に現われて通過していく。蛇行する酒匂川は渓谷の底を流れて、車窓は山深い景色になる。御殿場線が東海道本線だった頃、国府津からやってきた列車は、勾配の厳しくなる山北駅で必ず停車し、蒸気機関車を増結して箱根を越えたと云う。昭和初期の話である。今も御殿場線に乗ると、山に入ってきたな、と感じさせる車窓の風景である。我々は今、其の風景の、山の上を歩いている訳であるが、強く想像しないと実感は湧いてこない。

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尾根を東端迄歩いて、やがて廃れた舗装路に変わった踏路は急降下していく。北東に尾根が尽きてクイック状にターンをして、住宅街に降り立つ。急峻だった尾根の下は、平穏な市街地であった。先程迄脳裏に描いていた、御殿場線の車窓風景の幻影は、雲散霧消していった。そして、長かった歩行距離を反芻する。15キロ程は歩いただろうか。随分長かったような気がする。

陽は山陰に消えて、薄暗い川沿いの舗装路に合流する。其処が、浜居場城址方面に向かったMD、NZ両氏との待ち合わせである、酒水(しゃすい)の滝の入口だった。人の気配の無い観光地のゲートを潜って、暮れていく渓流に沿った遊歩道に入った。疲労感が徐々に湧きあがってきて、少し肌寒くなってきた。酒水の滝は想像した以上に落差のある濠瀑で、見応えがある。市街地に程近いのに、唐突に山深くなる、なんとも不思議な場所であった。紫煙を燻らせて滝を眺めているうちに、MD氏の踏査隊が到着して、長い一日が終わった。

追記

全員で山北駅迄歩き、気になっていた店である「ポッポ駅前屋 」にて酒宴。店主、従業員ともに良い雰囲気だった。山の談義に引っ張られ、鉄道模型をゆっくり鑑賞できなかったので少し悔いが残った。

「ポッポ駅前屋 」に関する好blog

倉岳山北東尾根

倉岳山に登る時は、いつも決まって梁川駅からであり、時計廻りに周回して、鳥沢駅に下りる。月尾根沢に沿って続く登山道が心地好い、と云うのが理由である。逆廻りで下山路にしても構わないのだが、都会の喧騒から離れて山に入る朝、最初に出会う風景が月尾根沢、と云うのが個人的に重要なのである。日常の中で、気持ちが落ち着かなかったり、深く沈んでしまう時、月尾根沢沿いの登山道を歩く為に、電車を乗り継いで、なんとなく無為に出掛けてしまうことが儘ある。倉岳山と云うよりも、月尾根沢が目的の山歩きは、私にとって馴染みの深い行為である。

一月の中旬に、そんな気分で相変わらずの倉岳山に行った。沢を詰める頃に現われる水場付近から、登山道は薄い積雪で凍結していた。油断していて、軽アイゼンを忘れてきたのだが、滑らないように及び腰で、なんとか立野峠に登った。しかし、其処で精魂尽き果て、倉岳山に登る気力が失せてしまった。仕方が無いので、付近に在る細野山に登り、頂上部を東に下った処から、雪に埋もれた秋山郷を眺めて帰ってきた。中央本線沿線は長閑な冬の風景だったが、山ひとつ隔てた秋山郷は、まるで新潟県の山奥のような感じの、暗い雪国を見ているようだった。

中途半端な気持ちが溜まっているようで気分が悪く、翌週に、ふたたび梁川駅に降り立った。好きな月尾根沢を歩くのも吝かでは無いのだが、先週の今週では、幾ら何でも飽きてしまう。其処で唐突に、倉岳山から北方に延びる尾根を登ってみようと云う気持ちになった。月尾根沢登山口に入って直ぐ右手に、尾根に向かう踏跡が在るのは判っている。単独で地形図だけを頼りに尾根を登るのは少し心細いが、緊張感を抱いて歩くと云うことが、最近少なくなっているような気もする。我が身を奮い立たせるような積もりで、敢行することにした。

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2017/1/22
梁川駅(8:30)---倉岳山登山口(8:50)---貯水槽(9:00)---747mピーク(10:30)---倉岳山(11:30)---穴路峠---天神山(12:05)---穴路峠---鳥沢駅(14:20)

冬晴れの陽が木立の隙間から差し込んでくる。登山道から外れて、少しの藪を掻き分けながら歩くと、コンクリートの貯水槽が出現し、其処が尾根の上であった。尾根はトタン沢橋の方角に落ちていく筈だが、貯水槽の裏手に廻って眺めても、藪状になっていて視界は遮られている。私は踵を返すと、早速の尾根登りに掛かった。

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小さな祠の在る雑木林を抜けると、緩やかに傾斜が始まる。恩賜林の石柱が現われ、少し急勾配になるが、陽当たりの良い自然林の細尾根になり、北西の風景が鞘越しに見渡せるようになった。枯葉の敷き詰められた尾根上の道が、傾斜を厳しくさせていく。露岩を縦横に擦り抜けるようにして通過すると、緩やかな尾根の肩に乗る。そんな平坦地が断続的に現われて、そのたびに、振り返って北面の景色を俯瞰して眺める。標高500mを越えると、周囲の山々を、同じようなレベルで対峙し、眺めるようになった。

見上げると、青空が立木の背景となって広がっている。月尾根沢の直ぐ傍に在る尾根道は、存外に心地好かった。ひと登りで、最初のピークである、580m圏に立つ。倉岳山の容姿が明瞭に聳えているのを見上げる。此処で梁川町立野の集落に落ちていく尾根と合流した。実質的に、倉岳山北東尾根が始まった恰好であった。紫煙を燻らせて休憩してから、急激に鞍部へと下っていく。左手に延びる尾根を見て、月尾根沢の、どの辺りに落ちていくのかと思いながら、岩礫の坂を慎重に下った。

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鞍部を通過して、ふたたびの勾配に掛かる。倉岳山北尾根の途上に在る747mピークの横腹に向かって、攀じ登っていく。傾斜は激化して、疎らに林立する樹木が傾き出す。枯葉の足元は滑りやすく、前傾姿勢になって、喘ぎながら登り続けた。勾配に抗えなくなる頃に、お誂え向きのトラロープが張られていた。其れに摑まり、何処迄も続く急登を、一歩ずつ、踏み進んでいく。標高650mを越えて、空が近づいてくる。足元が疎らな残雪を踏むようになり、巨大なサルノコシカケを根元に生やした樹木が傾斜に抗うようにして、斜めになって踏ん張っている。右手から尾根の合流点が視界に入ってくると、傾斜は徐々に緩んでいった。

倉岳山北東尾根は、北尾根と合流した。目前に在る747mピークに向かう尾根は、積雪で真白である。倉岳山の陰になって、明るい尾根は途端に寒々しい色彩に変わった。真冬なのに心地好かった微風が、凍るように冷たい。747mピークは、特徴の無い瘤だった。寒さから逃れるようにして、碌に滞留せずに出発する。其処からは、黙々と薄暗い積雪の道を歩き続けた。

最近は軽登山靴を履くのも億劫になり、今日もコロンビア製のローカットの靴を履き、ストレッチゲイターで足首をカバーしているだけである。深い雪を踏み抜くと浸水してくる恐れがあるので、積雪の薄そうな処を選んで、歩を進める。頂上が近いので、ふたたび傾斜は急になっているのに、足元に神経を遣いながら登っている。疲労感は徐々に増してきていた。

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標高940m付近の、平坦になっている処に辿り着くと、前方に青空が眩い。月尾根沢から競り上がってくる最後の尾根が合流する地点である。此処迄幾つもの尾根が左方から合流したが、其の都度気になって其の先を覗きに行った。心の何処かで、月尾根沢と北西尾根を両方愉しみたい、月尾根沢から登ることのできる尾根はあるだろうか、そんなことを思い続けていた。此の、最後の尾根は、お誂え向きの位置に落ちているようだが、地形図の等高線を確認すると、随分厳しそうに見える。

緩やかになった勾配を歩いて間も無く、曖昧に広がる山頂直下の処で、右側の樹木が朱色でマーキングされていた。北西尾根、ヘソ水の方向に誘う分岐点である。其れを見送ると、やがて人々の話し声が上から聞こえてきた。見覚えのある立入規制の看板の裏側が近づいてきて、倉岳山の頂上に、呆気なく到着した。真ん中のベンチに若い女性がひとりで食事を摂っているので、邪魔にならないようにして山名標の向こうに移動する。日曜日の正午近くである。南面の方で、数組のハイカーが腰を下ろして休憩している。富士山は、雲ひとつ無い青空の彼方に、ぽっかりと浮かんでいた。

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登山口から間も無く尾根に入って、およそ二時間半で登頂したことになるので、月尾根沢コースから比べると、随分所要時間が掛かった計算になる。しかし、倉岳山へのアプローチの選択肢が増えたのは有意義なことであった。ふと思い立って出掛けることのできる、登り甲斐のある登山コースであり、眺望もよい。未だ幾つも、倉岳山北面の尾根が残っているので、少しずつ踏破していけるだろう。

誰にも会わなかった静かな尾根歩きから、喧騒の山頂に立ち尽くしていると、続々とハイカーがやってきた。辟易とした気分で、私は穴路峠の方向に歩き出した。月尾根沢とは逆の方面に向かったのは、どういう心境に拠るものだったのか、其れは覚えていない。惰性の儘、時計廻りの鳥沢駅に足が向かったのだろうか。其の後は、空腹を覚えたので、穴路峠から直ぐに登った処に在る、天神山で休憩の食事を摂った。此の山頂も、北面の眺望が好くて、密かに気に入っている小ピークである。

桂川を渡る中央本線の鉄橋を正面にして、背後に百蔵山と扇山がジオラマのように並んでいる。標高は向こうの方が高い筈なのに、何故か見下ろしているように眺めている感覚であった。天神山のアカマツが、青空と対照的なコントラストを醸し出しながら屹立して、風景にアクセントを与えている。昨年の暮れに登ったセーメーバンから、銀嶺の大菩薩迄、果てしなく続いていく山々を眺めた。

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誰も居ない山頂で景色を満喫していると、何の前触れも無く、誰かが登って来た。其れは先程、倉岳山で食事をしていた女性のようだった。単独で歩く若い娘は、少し驚いたような顔をして、挨拶を交わし、逃げるように高畑山の方に、去って行った。私は、抑揚の無い気持ちの儘、煙草に火を点けた。

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