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宮地山・セーメーバン「甲斐郡内登山詳細図」踏査隊と歩く。

大菩薩、小金沢連嶺から派生して、中央本線大月駅向かって南下する尾根の途中に、セーメーバンと云う変わった名前の山が在るのは充分に承知している。セーメーバンは昭文社登山地図に、括弧の括りで晴明盤と記されている。陰陽道の安倍晴明が此の周辺で没したと云う伝説に拠るのだそうだが、伝説が荒唐無稽であることに異存は無い。無いのだけれど、此の地味な山中に陰陽師の伝説が出てくる唐突さに、違和感とともに興味が湧く。

インターネットで検索すると山行記録が多数出てくる。眺望の無い、ピークなのか判別し難い、そんな山のようである。三等三角点が設置されている処は、等高線の閉じた山頂の端に記されているから、さもありなんと思う。其れでも、名前に興味は惹かれて訪れる人は多いようである。私も同様の気持ちを抱いているが、交通アクセスが悪い所為か、億劫になって此れ迄訪れたことは無い。いつかは、などと思った儘、一向に訪れようと云う発想は出てこない。其の儘、一生訪れることの無い山になりそうな気もしていたが、今回は「甲斐郡内登山詳細図」の踏査で、セーメーバンに登ることになった。

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2016/12/12
林沢戸入口バス停(7:40)---用沢---宮地山(10:30)---ショウジ峠---セーメーバン(13:00)---サクラ沢峠---高ノ丸---遅能戸バス停(15:20)

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猿橋駅発奈良子行きのバスがやってきて、集合したばかりの踏査隊メンバーが騒然となって乗り込んだ。本日の踏査は「甲斐郡内登山詳細図」西編のエリアなので、先導者は久しぶりに御一緒するkz氏である。以下、メンバーは登山詳細図世話人氏、NZ氏、女性のHMさんと私の四人が追随する。NZ氏とHMさんと云う組み合わせは、奥多摩登山詳細図西編に於ける「ハンギョウ尾根から三ツドッケ」の踏査以来で、記録を調べてみると、其れはもう二年半も前のことであった。考えてみると、kz氏と一緒に歩くのも、奥武蔵登山詳細図の踏査で、子の権現の周辺を歩いて以来であり、其れも約二年前である。自分の感覚とは違う速さで、時が経っているような気がして、内心で慄然とする。

奈良子入口から国道を外れて、小俣川に沿ってバスが勾配を上げていく。山間の車窓に、滝子山から続く連嶺が遠くに聳えている。其の、山々の上部に、朝陽が照らされて、モノトーンの風景が、徐々に赤く、滲んでいった。夜が明けたばかりのような雰囲気だが、時刻は既に午前七時を越えている。山間部の朝の遅さを、轟音を立てて走るバスの中から、眺めている。茫然としていると程無く、降車する林沢戸入口に着いた。奈良子行きバスは無人となって、走り去って行った。未だ陽の射さない山麓は凍りつくように寒い。此れは、氷点下でしょうね。世話人氏が呟いた。

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踏査のルートは、全員で宮地山に登り、大垈(おおぬた)山の手前でセーメーバン経由のグループと、金山峠経由に別れて、遅能戸(おそのうと)バス停に下山して合流する。林沢戸入口バス停から七保町林の集落に入り、宮地山へのルートは二手に別れる。南東から延びる尾根を登るのが世話人氏とNZ氏、HMさんの三人。集落を西に、用沢川に沿って末端の用沢集落迄歩き、南西から伸びる尾根に取り付き、標高715mで三人と合流するのがkz氏と私のふたりである。

民家も疎らで、人の気配の無い車道は真新しい。久しぶりに歩くkz氏と、他愛の無い会話をしながら歩を進めていくうちに程無く、集落の尽きそうな処に着いた。車道は用沢川の方角と、用沢集落の中心部に向かって旋回していく道に分岐していた。kz氏は周囲を観察してから、分岐する舗道の合間に続く石畳の道に注目した。民家の敷地に入っていくような雰囲気だが、kz氏は構わずに進入していく。軒先の道は徐々に細くなって、暗い谷筋の道が続いている。民家の途切れた処に鹿柵があり、行く先を遮っていた。

登るべき尾根は谷の右手に、眼前に在る。鹿柵の先に続く道が、谷に背を向けて尾根に向かって旋回しているのが伺えたので、私は扉を開けて進入した。えっ、入っちゃうの、とkz氏が云うので意外な気がしたが、其の儘進入した。直ぐに渡渉して道が尾根を捲くように続く。鹿柵は其の後二箇所に渡って設置されていたが、構わずに開錠して通過する。勿論通過後は施錠する。

里山の裾を捲くようにして勾配を上げると、周囲は一面の竹林となった。凍てついた冬の朝が、陽光を浴びて、徐々に穏やかな空気になってくる。地形図では起点の判然としない地点から破線が記されている此の尾根は、東側から回り込んで登ると云う形を取っていた。麓を伺える地点に墓地が在り、其処を過ぎると、徐々に道が細くなり、唐突に石を積んだ炭焼き窯の遺跡が現われて、kz氏が驚嘆の声を上げる。

窯跡がひとつのポイントとなって、其処から踏跡は切り返して西北に進路を変える。薙ぎ倒されたような竹の倒木が頻出して、踏み越えたり潜り抜けるようになり、少し難渋して歩を進めていくと、明るい尾根の上に出た。緩やかに左にカーブしながら明瞭な尾根道を上がり、林地区からの尾根が近づいてくるのが見える。時折人の声が聞こえてくるから、世話人氏のグループのものだと察せられた。尾根と登山道が合流して、ひと登りで標高715m点に到達し、世話人氏の率いる踏査隊が休憩して待っていた。

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尾根を忠実に登り続ける宮地山への道は、枯葉の敷き詰められた急勾配だった。kz氏を先頭に、HMさん、世話人氏と続き、NZ氏と私は徐々に引き離されていった。NZ氏の名誉の為に云うと、其れは決して体力不足に拠る足取りの遅れではなく、何時も慎重派である彼の背負う、過重なザックの影響であることを記しておく。其れはそうとして、此の情景は何時か見たことがある。ハンギョウ尾根から三ツドッケに登る途上で、やはり我々ふたりがHMさんと世話人氏に引き離され、よろよろとモノレール軌道に縋って、鈍重に歩き続けた。そんな記憶が甦ってくる。

屈強なクライマーであるHMさんと世話人氏、そんな彼等を引き連れて、kz氏はどんどん登っていく。其の体力を、唖然としながら、私は後方から見上げていた。しかし、其れはそう見えただけのことであったらしく、HMさんが背後に迫ってくるので、女性に負けるわけにはいかないと云う焦燥感で必死で登っていたのだと、下山後の打ち上げの席でkz氏が述懐していたのも一応記しておく。

標高850mを越えて、東からの尾根が合流すると、坂路は愈々急傾斜になった。枯葉の絨毯を踏みしめて歩く、冬ざれの尾根道に差す陽が暖かい。疎らになっていく鞘越しに、富士山の姿が現われる。手前に横切っている、セーメーバン東尾根の垣根越しに見る、富嶽風景の趣だった。

前方の空の青さが間近になって、漸く急登が終わる。左方に明瞭なピークが視界に入る。宮地山の東端に延びる尾根が分岐する、広い瘤の上に達すると、馬の置物が配置されている古びた石碑が鎮座していた。馬頭観音かと早合点しそうになるが、刻印は山神大権現である。皆で其の石碑を囲んで立ち止まり、長かった登りの終焉を味わった。

眼前の宮地山に向かって、平坦な道を西に向かって歩く。視界が開けた尾根の上は心地好く、踏査隊は疎らに間隔を空けて、ぶらぶらと歩いている。最後の勾配を登りきって、標高1112.7mの宮地山に達した。大月市製の道標には「宮路山」とあり、古びた手製道標には「宮路(地)山」と記されていた。私が携行する、2009年版の昭文社登山地図には「宮地山」とだけ記載されている。宮地山か宮路山なのか、其のどちらも正しいのか。そうなのだろうとは思うが、此の山名の所以を、先程見た山神大権現の石碑に絡めたkz氏の調べた処を、下記に引用しておく。

「この山神大権現は、宮地山の由来に深く関わっていて、山麓一帯が神社領であったことから宮(神社)の土地になっている山という意味で、宮地山と名付けられたようです。ですから宮路山の方は当て字のようです」(奥武蔵・甲斐郡内西編 登山詳細図踏査日記より)


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長い休憩をとってから、全員で稜線を西へと歩いていく。東西に広がる宮地山のピークが終わると、緩やかに下り始めて、鞍部には手製の「ショウジ峠」と記された木片が枝にぶらさがっていた。地形図にも記されている、用沢集落へと続く山道が分岐している。其処からは、大垈山、金山峠に向かって、広い尾根が続いていくが、地形図の破線は曖昧に記されて、途中で消滅している謎のルートである。破線は尾根上の顕著な小ピーク、1060m圏を北面から捲いているように記されているが、実情は南側から回り込んでピークを越えていく。徐々に広がっていく尾根道は茫洋とした風景になった。

稜線が寸断された鞍部に送電鉄塔が出現して、其れを越えて急勾配を登りきった処に道標が立っていた。大垈山から南東に延びる尾根の端で、此処から南下して、いよいよセーメーバンに向かう。金山峠方面に向かうHMさん、世話人氏と別れたので、三人になった踏査隊が細長い痩せた尾根の上を、快調に歩いていく。左方に、先程迄歩いていた宮地山の稜線の全容が判然としてくる。前方には相変わらずの鞘越しだが、富士山の上半身がこちらを覗いているように、遠くに聳えているのが見える。

岩が剥き出しになった細尾根に、何時の間にか送電線が併行するようにして続いている。先程通過した鉄塔から延びてきたもので、セーメーバンを経て、稚児落としに至るまで、寄り添うようにして辿る送電線である。踏査の過程で、送電鉄塔が頻々に現われるから、其の都度kz氏とNZ氏が記録に忙しい。

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緩やかに下降して、少し登り返して樹林の覆う道を行くと、程無く平坦な広がりに達した。噂のセーメーバン山頂である。下馬評通りの、眺望の利かない頂上であった。等高線が広範囲に閉じているピークの南端に設置された三角点の位置は、下山の途上と云う所為もあり、登頂したと云う実感が余り湧かない。大月から登ってくると、また違う感興を覚えるのかもしれない。

其れでも、不思議な山名のセーメーバンに到達したと云うことで、私は少し高揚した気分で大休憩をふたりに要求した。遅い昼食を摂り、山名板の前で記念写真を撮って貰った。大月市製の「セーメーバン山頂」の他に、手製のものがふたつ、針金で括られている。ひとつは茶色の木板に「セーメーバン」で、其の下に青い鉄板で「セイメイバン 1006M」などと書いてある。出自の判然としない名前の山名標が、音引きの是非を問うような風情で、二種類が綺麗に並んで括られているから、訳が判らない。

もう気が済んだか、と云うような感じでkz氏が私を見ているので、小さく頷いた。そうして踏査が再開された。セーメーバンを立ち去り、足取りはもう下山の徒になっている。サクラ沢峠で、NZ氏が下山ルートの踏査で捲き道に向かう。なんだか心細いなあ、と云いながら脆弱なトラバース道に足を踏み入れたNZ氏が、何度か我々の方に振り返った。転ぶなよう、と、kz氏が心配そうに叫んだ。

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サクラ沢峠からふたたび登り返して標高780m圏の高ノ丸に、そして尾根を忠実に下ると、やがて林道が交差するトズラ峠に到達した。此処で私も浅利川の方に下山する道を踏査するので、尾根から外れることになる。kz氏は此の儘尾根を歩き続けて、稚児落とし迄歩いてから下山するロングコースである。トズラ峠から南方を眺めると、立ち塞がるようにして標高713.5mの笹平が横たわっている。

あれを越えるのはきついよお。久しぶりに聞くkz氏のぼやき声に可笑しくなって、じゃあ一緒に下山しますか、と、わざと云ってみる。此処で帰ったら、また来なくちゃいけないよお、と云って、笑いながら、kz氏は林道から山に分け入っていった。そんな彼の後ろ姿を暫く眺めてから、私は煙草に火を点ける。そうして、トズラ峠を、静寂が支配していった。

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追記

トズラ峠から林道を下り、ヘアピンカーブする箇所から支尾根に乗った。踏跡は途中で消えたので、尾根上の藪を掻き分けながら下っていくと、廃れた林道に降り立った。其の儘倒木の散乱する道をジグザグに下って谷筋に至り、朽ちた木橋を渡って沢沿いに歩いて、浅利川に併行する県道512号に出た。遅能戸バス停は直ぐ其処で、NZ氏が手を振っている。金山鉱泉経由のふたりも既に到着していて、予定のバス時刻迄、ほんの数分前に到着したことを知った。大月駅前の飲食店で打ち上げをする。kz氏は、我々よりも一時間以上時間を掛けて下山して合流し、久しぶりの愉しい酒宴を過ごした。

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