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2017年2月

明星ヶ岳・塔ノ峰「箱根登山詳細図」踏査隊と歩く。

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「諸戸尾根から梅ノ木尾根。相州大山を踏査隊有志と登る」の時以来、約二年ぶりにMD氏率いる「登山詳細図」踏査隊に参加した。粛々と進捗している箱根図の踏査エリアの、残存部分を消化していく計画である。そのような訳で、折角箱根迄やってきたが、登る目的地は明星ヶ岳であり、其処から早くも外輪山を下山して塔ノ峰を目指すと云う行程である。枝葉末節と云っては失礼になるかもしれないが、そんな区間を歩くことになった。塔ノ峰は立派そうな山名だが、箱根湯本駅、塔ノ沢温泉の北方に立つ標高566.3メートルの里山である。余りにも地味で、此れ迄訪れようと考えたこともない。そのような山に登ることができるのも、踏査の必然性あればこそであり、僥倖に感謝しなければならない。

2016/12/25
宮城野橋バス停(9:10)---大文字(10:05)---明神ヶ岳手前の鞍部(11:00)---明星ヶ岳(11:30)---塔ノ峰(14:35)---風祭駅(16:25)

A

小田原駅からバスに揺られ、私とNZ氏、そしてYMさんの三人が宮城野橋で下車した。宮城野と仙石原の境に在る碓氷峠周辺を踏査するために、MD氏、HSさんのふたりが乗った儘のバスを見送り、我々は冬枯れの別荘地の舗道を登り始めた。

明星ヶ岳は「明神ヶ岳・大涌谷の眺望」の時に立ち寄ったので、広い山頂域の東端に在る、眺望の無い古びた鳥居の山名標地点を記憶している。詰まらない山頂だったが、下山に掛かって直ぐに到達する大文字からの眺望が素晴らしかった。其の景色の御褒美を目当てに、別荘地を通る舗道が閑散としてくる辺りに在る登山口から、実直なジグザグの山道を辿り始めた。

御馴染みのNZ氏を真ん中に、私は最後尾に付いて歩いていく。一緒に本格的な登山道を歩くのは初めてのような気がする先頭のYMさんは健脚で、休むことなく登り続けている。次第にNZ氏と私の呼吸が荒くなり、YMさんに引き離されないように、少し無理をして歩くようになった。石橋を叩いて渡るタイプ(と私が勝手に推察している)のNZ氏は、今回もザックが重そうであった。

B

ハイペースに引っ張られて、周囲は次第に雑木の枯木が目立ち始める。其の鞘越しに風景が広がり、富士山の白い頭が遠くに望めて、呆気なく大文字に登りついた。強羅の坂をケーブルカーの軌道が一直線に続いていて、其の先には早雲地獄がぱっくりと亀裂を広げているのを正面に眺める。夥しい数の建造物が密集して、山腹を形成している。ハイキングコースが規制されて立入禁止の早雲山を含めた中央火口丘だが、ひとたび大噴火が起こったらとんでもないことになるであろうと云うことが一目瞭然である。

そんな圧倒的な風景を堪能して、紫煙を燻らせている私だったが、YMさんは直ぐに登山を開始しそうな気配だった。休憩しないのかと訊くと、休むと身体が冷えるから、と云い、先に行っている旨を告げて去っていった。NZ氏も後を追っていったので、私も仕方なく出発することにする。ザックを背負って大文字の上のトラバース道を進んで、切り返すともう景色とはお別れであるから、何度も振り返ってしまう。文字通り、後ろ髪を引かれながらの再スタートであった。

C

程無く箱根外輪山の稜線に乗って、踏査の予定は明神ヶ岳手前の鞍部、標高913m地点迄を往復して明星ヶ岳に戻る。穏やかな冬空で、富士山は静かに姿を大きくしていく。途中で会ったのは、子供をひとり連れた若い夫婦だけであった。クリスマスに冬の低山歩きとは風情のある親子だが、子供は既に疲れた顔をしていて、明神ヶ岳迄行けるのかと思うが、復路にふたたび擦れ違った頃は、母親の方が子供を担いで歩いていた。屈強な妻の後ろから、小柄な夫が付いて歩いていく不思議な光景を見送り、我々は来た道を戻って、明星ヶ岳に着いても未だ誰も居ない。

三人でそれぞれが食事を摂っているところに、MD氏とHSさんが到着して、後は小田原駅で別れ、和留沢行きバスに乗ったIH氏とTMさんを待つばかりだが、予定の時刻を過ぎても到着しないので、暫く待つことになった。ベテランのふたりは三十分以上遅れて到着したが、疲労の色は無かった。「奥和留沢みはらしコース」に就いて、見晴らしなんて全然無かったわよ、とTMさんが呆れたように云った。途中で食事を済ませたと云うので、其の儘総勢七名で塔ノ峰を目指して歩く。

箱根外輪山の東端の道は次第に高度を下げて、周囲の風景は徐々に植林の目立つ里山の風情になる。大勢居るので、ロードメジャーを転がすのはTMさんだが、バックアップの意義で私も転がして歩いている。其れで、計測ポイントで距離を相互に確認するのだが、私の計測した数値が、TMさんのよりも数十メートル以上も多い。しっかりと地面に着けて、段差で空転しないようにしなきゃ駄目よ、と、TMさんに叱られる。以後、ロードメジャーの空転が気になって、碌に周囲を眺めながら歩くことができなくなった。標高700メートルを通過して、登山道が急激に南下して支尾根に入る頃には誤差が僅少になって、とうとう五メートル以下になった。TMさんが、まあいいだろう、と云うような顔で首肯している。

D

支尾根の登山道に、足柄幹線林道が交差して、暫く立派な舗装路を歩く。MD氏が、国道一号を迂回してくる車が飛ばしてくるので注意するように、と云った。IHさんと喋りながら歩いていると、後方から轟音を立ててポルシェが走ってきたので道端に避けて見送った。すると、見通しの無いカーブの先からタクシーが現われて、IHさんがうわっと声を上げた。ポルシェは急ブレーキを掛けて停まった。MD氏の忠告通りの、危険極まりない林道歩きであった。

舗装路が大きく右に旋回して、左手から尾根が合流してくる。足柄幹線林道は其の尾根を乗り越えて、小田原方面に去っていく。明星ヶ岳から続いている尾根を外れて、高速林道を迂回してきたが、ふたたび合流して、此処から最後の塔ノ峰に続く登りが始まる。整備された木段を登り、緩やかな傾斜を歩いていくと、存外に素晴らしい眺望が北面に広がった。全員が足を止めて休憩する。枯れ芒に黄昏色の陽光が当たっている先に、顕著な三角錐の大山を目印に、丹沢山塊が青空の下で連なっているのを見渡す。年の瀬の陽が落ちるのは早いだろう。皆さん申し訳ないですが、とMD氏が予定時刻を遵守するための出発を提案した。

E

良景の地点から直ぐに、樹林に囲まれた平坦地に到着した。暮色の漂う地味な塔ノ峰山頂に、踏査隊が大挙して登頂したので、賑やかになった。皆が距離を記したり、GPS機器を操作したりして忙しい。此処から二手に分かれて、踏査隊は登山鉄道沿いに下山して計測する。私を含む出発時の三人は、東北東の尾根を歩いて、風祭駅を目指すことになっている。MD氏のグループは、阿弥陀寺を経由して塔ノ沢温泉に向かう。

女性の数が多い所為か、皆が最後の山頂でお喋りに興じているから、MDさんは少し焦った感じで、時計を確認している。暫くの間合いで、皆さん申し訳ありませんが、と云う声。其れで皆が整然とMD氏に注目した。そして、二手に分かれた踏査隊が、塔ノ峰から下山を開始した。


追記

風祭駅に到達してやってきた電車に、丁度良くMD氏一行が乗り合わせていた。其の儘本日の忘年会の会場である町田に向かった。翌日が早立ちのIH氏が欠席すると云うので、皆で麦酒一杯だけでも、と誘うと、IHさんはかなり逡巡していたようであった。町田の居酒屋に、本日の踏査隊と、世話人氏以下、御馴染みのメンバーが集合して、酒宴が開催された。呑み放題コースに地酒が無いことが判明して一部隊員が騒然となるが、YMさんが見事な交渉を行ない、地元の銘酒「相模灘」を堪能することができて、満悦の夜が更けていった

宮地山・セーメーバン「甲斐郡内登山詳細図」踏査隊と歩く。

大菩薩、小金沢連嶺から派生して、中央本線大月駅向かって南下する尾根の途中に、セーメーバンと云う変わった名前の山が在るのは充分に承知している。セーメーバンは昭文社登山地図に、括弧の括りで晴明盤と記されている。陰陽道の安倍晴明が此の周辺で没したと云う伝説に拠るのだそうだが、伝説が荒唐無稽であることに異存は無い。無いのだけれど、此の地味な山中に陰陽師の伝説が出てくる唐突さに、違和感とともに興味が湧く。

インターネットで検索すると山行記録が多数出てくる。眺望の無い、ピークなのか判別し難い、そんな山のようである。三等三角点が設置されている処は、等高線の閉じた山頂の端に記されているから、さもありなんと思う。其れでも、名前に興味は惹かれて訪れる人は多いようである。私も同様の気持ちを抱いているが、交通アクセスが悪い所為か、億劫になって此れ迄訪れたことは無い。いつかは、などと思った儘、一向に訪れようと云う発想は出てこない。其の儘、一生訪れることの無い山になりそうな気もしていたが、今回は「甲斐郡内登山詳細図」の踏査で、セーメーバンに登ることになった。

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2016/12/12
林沢戸入口バス停(7:40)---用沢---宮地山(10:30)---ショウジ峠---セーメーバン(13:00)---サクラ沢峠---高ノ丸---遅能戸バス停(15:20)

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猿橋駅発奈良子行きのバスがやってきて、集合したばかりの踏査隊メンバーが騒然となって乗り込んだ。本日の踏査は「甲斐郡内登山詳細図」西編のエリアなので、先導者は久しぶりに御一緒するkz氏である。以下、メンバーは登山詳細図世話人氏、NZ氏、女性のHMさんと私の四人が追随する。NZ氏とHMさんと云う組み合わせは、奥多摩登山詳細図西編に於ける「ハンギョウ尾根から三ツドッケ」の踏査以来で、記録を調べてみると、其れはもう二年半も前のことであった。考えてみると、kz氏と一緒に歩くのも、奥武蔵登山詳細図の踏査で、子の権現の周辺を歩いて以来であり、其れも約二年前である。自分の感覚とは違う速さで、時が経っているような気がして、内心で慄然とする。

奈良子入口から国道を外れて、小俣川に沿ってバスが勾配を上げていく。山間の車窓に、滝子山から続く連嶺が遠くに聳えている。其の、山々の上部に、朝陽が照らされて、モノトーンの風景が、徐々に赤く、滲んでいった。夜が明けたばかりのような雰囲気だが、時刻は既に午前七時を越えている。山間部の朝の遅さを、轟音を立てて走るバスの中から、眺めている。茫然としていると程無く、降車する林沢戸入口に着いた。奈良子行きバスは無人となって、走り去って行った。未だ陽の射さない山麓は凍りつくように寒い。此れは、氷点下でしょうね。世話人氏が呟いた。

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踏査のルートは、全員で宮地山に登り、大垈(おおぬた)山の手前でセーメーバン経由のグループと、金山峠経由に別れて、遅能戸(おそのうと)バス停に下山して合流する。林沢戸入口バス停から七保町林の集落に入り、宮地山へのルートは二手に別れる。南東から延びる尾根を登るのが世話人氏とNZ氏、HMさんの三人。集落を西に、用沢川に沿って末端の用沢集落迄歩き、南西から伸びる尾根に取り付き、標高715mで三人と合流するのがkz氏と私のふたりである。

民家も疎らで、人の気配の無い車道は真新しい。久しぶりに歩くkz氏と、他愛の無い会話をしながら歩を進めていくうちに程無く、集落の尽きそうな処に着いた。車道は用沢川の方角と、用沢集落の中心部に向かって旋回していく道に分岐していた。kz氏は周囲を観察してから、分岐する舗道の合間に続く石畳の道に注目した。民家の敷地に入っていくような雰囲気だが、kz氏は構わずに進入していく。軒先の道は徐々に細くなって、暗い谷筋の道が続いている。民家の途切れた処に鹿柵があり、行く先を遮っていた。

登るべき尾根は谷の右手に、眼前に在る。鹿柵の先に続く道が、谷に背を向けて尾根に向かって旋回しているのが伺えたので、私は扉を開けて進入した。えっ、入っちゃうの、とkz氏が云うので意外な気がしたが、其の儘進入した。直ぐに渡渉して道が尾根を捲くように続く。鹿柵は其の後二箇所に渡って設置されていたが、構わずに開錠して通過する。勿論通過後は施錠する。

里山の裾を捲くようにして勾配を上げると、周囲は一面の竹林となった。凍てついた冬の朝が、陽光を浴びて、徐々に穏やかな空気になってくる。地形図では起点の判然としない地点から破線が記されている此の尾根は、東側から回り込んで登ると云う形を取っていた。麓を伺える地点に墓地が在り、其処を過ぎると、徐々に道が細くなり、唐突に石を積んだ炭焼き窯の遺跡が現われて、kz氏が驚嘆の声を上げる。

窯跡がひとつのポイントとなって、其処から踏跡は切り返して西北に進路を変える。薙ぎ倒されたような竹の倒木が頻出して、踏み越えたり潜り抜けるようになり、少し難渋して歩を進めていくと、明るい尾根の上に出た。緩やかに左にカーブしながら明瞭な尾根道を上がり、林地区からの尾根が近づいてくるのが見える。時折人の声が聞こえてくるから、世話人氏のグループのものだと察せられた。尾根と登山道が合流して、ひと登りで標高715m点に到達し、世話人氏の率いる踏査隊が休憩して待っていた。

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尾根を忠実に登り続ける宮地山への道は、枯葉の敷き詰められた急勾配だった。kz氏を先頭に、HMさん、世話人氏と続き、NZ氏と私は徐々に引き離されていった。NZ氏の名誉の為に云うと、其れは決して体力不足に拠る足取りの遅れではなく、何時も慎重派である彼の背負う、過重なザックの影響であることを記しておく。其れはそうとして、此の情景は何時か見たことがある。ハンギョウ尾根から三ツドッケに登る途上で、やはり我々ふたりがHMさんと世話人氏に引き離され、よろよろとモノレール軌道に縋って、鈍重に歩き続けた。そんな記憶が甦ってくる。

屈強なクライマーであるHMさんと世話人氏、そんな彼等を引き連れて、kz氏はどんどん登っていく。其の体力を、唖然としながら、私は後方から見上げていた。しかし、其れはそう見えただけのことであったらしく、HMさんが背後に迫ってくるので、女性に負けるわけにはいかないと云う焦燥感で必死で登っていたのだと、下山後の打ち上げの席でkz氏が述懐していたのも一応記しておく。

標高850mを越えて、東からの尾根が合流すると、坂路は愈々急傾斜になった。枯葉の絨毯を踏みしめて歩く、冬ざれの尾根道に差す陽が暖かい。疎らになっていく鞘越しに、富士山の姿が現われる。手前に横切っている、セーメーバン東尾根の垣根越しに見る、富嶽風景の趣だった。

前方の空の青さが間近になって、漸く急登が終わる。左方に明瞭なピークが視界に入る。宮地山の東端に延びる尾根が分岐する、広い瘤の上に達すると、馬の置物が配置されている古びた石碑が鎮座していた。馬頭観音かと早合点しそうになるが、刻印は山神大権現である。皆で其の石碑を囲んで立ち止まり、長かった登りの終焉を味わった。

眼前の宮地山に向かって、平坦な道を西に向かって歩く。視界が開けた尾根の上は心地好く、踏査隊は疎らに間隔を空けて、ぶらぶらと歩いている。最後の勾配を登りきって、標高1112.7mの宮地山に達した。大月市製の道標には「宮路山」とあり、古びた手製道標には「宮路(地)山」と記されていた。私が携行する、2009年版の昭文社登山地図には「宮地山」とだけ記載されている。宮地山か宮路山なのか、其のどちらも正しいのか。そうなのだろうとは思うが、此の山名の所以を、先程見た山神大権現の石碑に絡めたkz氏の調べた処を、下記に引用しておく。

「この山神大権現は、宮地山の由来に深く関わっていて、山麓一帯が神社領であったことから宮(神社)の土地になっている山という意味で、宮地山と名付けられたようです。ですから宮路山の方は当て字のようです」(奥武蔵・甲斐郡内西編 登山詳細図踏査日記より)


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長い休憩をとってから、全員で稜線を西へと歩いていく。東西に広がる宮地山のピークが終わると、緩やかに下り始めて、鞍部には手製の「ショウジ峠」と記された木片が枝にぶらさがっていた。地形図にも記されている、用沢集落へと続く山道が分岐している。其処からは、大垈山、金山峠に向かって、広い尾根が続いていくが、地形図の破線は曖昧に記されて、途中で消滅している謎のルートである。破線は尾根上の顕著な小ピーク、1060m圏を北面から捲いているように記されているが、実情は南側から回り込んでピークを越えていく。徐々に広がっていく尾根道は茫洋とした風景になった。

稜線が寸断された鞍部に送電鉄塔が出現して、其れを越えて急勾配を登りきった処に道標が立っていた。大垈山から南東に延びる尾根の端で、此処から南下して、いよいよセーメーバンに向かう。金山峠方面に向かうHMさん、世話人氏と別れたので、三人になった踏査隊が細長い痩せた尾根の上を、快調に歩いていく。左方に、先程迄歩いていた宮地山の稜線の全容が判然としてくる。前方には相変わらずの鞘越しだが、富士山の上半身がこちらを覗いているように、遠くに聳えているのが見える。

岩が剥き出しになった細尾根に、何時の間にか送電線が併行するようにして続いている。先程通過した鉄塔から延びてきたもので、セーメーバンを経て、稚児落としに至るまで、寄り添うようにして辿る送電線である。踏査の過程で、送電鉄塔が頻々に現われるから、其の都度kz氏とNZ氏が記録に忙しい。

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緩やかに下降して、少し登り返して樹林の覆う道を行くと、程無く平坦な広がりに達した。噂のセーメーバン山頂である。下馬評通りの、眺望の利かない頂上であった。等高線が広範囲に閉じているピークの南端に設置された三角点の位置は、下山の途上と云う所為もあり、登頂したと云う実感が余り湧かない。大月から登ってくると、また違う感興を覚えるのかもしれない。

其れでも、不思議な山名のセーメーバンに到達したと云うことで、私は少し高揚した気分で大休憩をふたりに要求した。遅い昼食を摂り、山名板の前で記念写真を撮って貰った。大月市製の「セーメーバン山頂」の他に、手製のものがふたつ、針金で括られている。ひとつは茶色の木板に「セーメーバン」で、其の下に青い鉄板で「セイメイバン 1006M」などと書いてある。出自の判然としない名前の山名標が、音引きの是非を問うような風情で、二種類が綺麗に並んで括られているから、訳が判らない。

もう気が済んだか、と云うような感じでkz氏が私を見ているので、小さく頷いた。そうして踏査が再開された。セーメーバンを立ち去り、足取りはもう下山の徒になっている。サクラ沢峠で、NZ氏が下山ルートの踏査で捲き道に向かう。なんだか心細いなあ、と云いながら脆弱なトラバース道に足を踏み入れたNZ氏が、何度か我々の方に振り返った。転ぶなよう、と、kz氏が心配そうに叫んだ。

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サクラ沢峠からふたたび登り返して標高780m圏の高ノ丸に、そして尾根を忠実に下ると、やがて林道が交差するトズラ峠に到達した。此処で私も浅利川の方に下山する道を踏査するので、尾根から外れることになる。kz氏は此の儘尾根を歩き続けて、稚児落とし迄歩いてから下山するロングコースである。トズラ峠から南方を眺めると、立ち塞がるようにして標高713.5mの笹平が横たわっている。

あれを越えるのはきついよお。久しぶりに聞くkz氏のぼやき声に可笑しくなって、じゃあ一緒に下山しますか、と、わざと云ってみる。此処で帰ったら、また来なくちゃいけないよお、と云って、笑いながら、kz氏は林道から山に分け入っていった。そんな彼の後ろ姿を暫く眺めてから、私は煙草に火を点ける。そうして、トズラ峠を、静寂が支配していった。

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追記

トズラ峠から林道を下り、ヘアピンカーブする箇所から支尾根に乗った。踏跡は途中で消えたので、尾根上の藪を掻き分けながら下っていくと、廃れた林道に降り立った。其の儘倒木の散乱する道をジグザグに下って谷筋に至り、朽ちた木橋を渡って沢沿いに歩いて、浅利川に併行する県道512号に出た。遅能戸バス停は直ぐ其処で、NZ氏が手を振っている。金山鉱泉経由のふたりも既に到着していて、予定のバス時刻迄、ほんの数分前に到着したことを知った。大月駅前の飲食店で打ち上げをする。kz氏は、我々よりも一時間以上時間を掛けて下山して合流し、久しぶりの愉しい酒宴を過ごした。

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