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2017年1月

甲東不老山・鶴島金剛山 「甲斐郡内登山詳細図」踏査隊と歩く。

奥武蔵から丹沢に至るエリアを網羅するまでになった「登山詳細図」シリーズ。今度はいよいよ山梨県の中央本線沿線を機軸とする周辺図を刊行予定とのことである。私は2016年の6月に、倉岳山の踏査に参加、7月には笛吹(うずしき)バス停から丸山に登る踏査に同行した。夏山シーズンになって御無沙汰していたが、秋口になってふたたび参加できるようになった。


Furosan_map

2016/10/7
不老下バス停(9:10)---甲東不老山---高指山---和見峠---甲東小学校跡((14:00)

不老下行きのバスに乗る為に、上野原駅北口のバス転回所に出た。富士急山梨バスは、此の上野原周辺のハイキングコースの普及に熱心で、ベテラン然とした職員は、ハイカーに何か訊かれると、バスの誘導をそっちのけで説明を始めるから、狭い駅前で転回するバスが建物やガードレールにぶつからないか心配になるほどである。

登山詳細図世話人氏は、踏査で何度も上野原に来ているので、ベテラン職員氏とは既知のようで、なにやら話をしている。そのうちにJR上野原駅の駅長がやってきて、周辺ハイキングの普及に就いての話題に加わった。鉄道会社とバス会社が結託して、ハイカー人口の加増に尽力しているのは結構なことである。

午前中には二便しか無い、不老下行きのバスは、案の定閑散としていた。私と世話人氏の他は一名の乗客が居るだけで、其れも途中で下車していった。不老下は、私が山登りを始めて間もない頃に訪れたことがある。其の時は、友人の先導に唯々諾々と従った結果、未明の四方津駅から延々と歩かされて、其の遠さに驚愕したことを記憶している。

一般コースは金比羅大権現の尾根登りであるが、今回の踏査は、不老山の東南から、桑久保と云う集落に落ちていく尾根を歩くことになった。地形図に拠ると、桑久保西区の集落から、谷筋から二本の登山道が不老山南東尾根に延びているが、現状は全く違う行程だった。尾根の東側の畑地から登り、尾根に乗って恩石標迄の直登が終わると、其処からは急激な勾配をジグザグに登っていった。周囲は植林帯で全く眺望が利かない。尾根の分岐する地点で、漸く自然林の立ち並ぶ雰囲気となった。ひと登りで甲東不老山に登頂する。頂上からは中央道の談合坂SAを直ぐ下に見て、其の向こうにコモアしおつの住宅地、更に背景となった高柄の稜線、そして遠くに丹沢の峰々が薄っすらと聳える良景が広がっていた。

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時刻は正午で、麓からチャイムの音が聞こえてきた。金比羅大権現経由で登っている世話人氏は、既に高指山、ゴウド山に向かっている筈で、私とは漠然と高指山で落ち合うことになっている。不老山で食事でもしてゆっくり休みたい気分だったが、此の儘では先方を待たせてしまうこと必至である。不老山を北に進んで、少しの勾配を下ってからは平坦な稜線になったので、私は足早にロードメジャーを転がしながら歩いた。

案の定、高指山に到達すると世話人氏が待っていた。手間取った経緯を説明しつつ軽い食事を摂り、今度は和見に向かって延びる東尾根を辿る。歩きやすいなだらかな道だったが、尾根の分岐する箇所は広くて、一見すると北東に迷い込んでしまいそうで要注意である。踏路は急激に南下して、抉れた登山道には倒木が目立つ。途中で尾根をトラバースしながら蛇行して下ると、林道に突き当たって、直ぐに和見峠に着いた。

瀬淵山に向かう世話人氏と別れて、あとは林道を下るだけの踏査となった私は、早々に桑久保集落に戻った。甲東小学校は廃校になって更地になっていた。校門跡の向かいにある雑貨店も、営業しているのかどうか定かではない。其の軒先のベンチで休憩して、インスタントラーメンを茹でて食べたりして時間を潰すが、世話人氏は一向に戻らないので、全身が冷えて辛くなってきた。メールで先に行くと伝えて、バスの走る県道30号を歩いた。和見入口バス手を越えた処で世話人氏から連絡が入り、少し先のバス停で待つ。世話人氏と再会して、間もなく上野原駅行きのバスが到着したのは僥倖だった。


Fujino_map

2016/11/17
藤野駅(8:50)---石楯尾神社---石楯山---葛原神社---名倉金剛山---鶴島金剛山---靏島古峯神社---湖南団地入口バス停---上野原駅(15:00)

中央本線藤野駅に下車すると云えば、陣場山に向かうことが必定であったが、此のたび初めて南側の低山を歩くことになった。藤野町(相模原市緑区)は、芸術振興の名目で山に巨大オブジェを設置したりしているが、個人的には美観を損ねているだけのように思っていて、此れ迄足を踏み入れたことがない。登山詳細図に於いては、「芸術の道エリア」と銘打っている。踏査の機会が無ければおそらく足が向かない地域だな、などと思いながら参加した。

相模川に架かる弁天橋を渡って、世話人氏、UDさんと別れ、ひとり車道を歩いていく。周辺は芸術の道の手製道標が充実していて、気軽にハイキングできる環境が整備されている。境川橋に向かう車道から分岐して、静まり返った舗装路を辿り、石楯尾神社の先から登山道が始まっていた。木段を登り始めて十数分で、呆気なく小高い山頂に着く。標高270mの石楯山は展望台にベンチが多数設置されていて、眺望も優れていた。

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周縁の尾根を踏査して、東に延びる尾根を下りきると車道に突き当たり、其の儘シュタイナー教育の学校を経て南進する。登山地図では、此の周辺でひときわ目立って記載されている、高倉山、天神峠、金剛山の山稜を目指す。今回の私が受け持ったコースは、実線ルートではない、葛原(とづらはら)の集落から名倉金剛山を目指す尾根であった。地形図の破線に沿って登り口の見当を付けて、山に入ったのだが、やがて谷筋に突き当たり踏み跡が消えた。後戻りするには随分奥深い処迄来てしまったので、無理やりに尾根を攀じ登って、稜線の鞍部に到達した。低山ならではの強行突破であった。

鞍部には公的な道標が在り、私が登って来た方角への指針も示されているが、「私有地」と記されている。立派な道標の行く先が私有地では、地図に載せていいものか判断がつきかねるが、しっかりした登山道が在るので下っていった。送電鉄塔の目印も判りやすい登山道の降りついた先は、一面の畑地であった。私有地とはよく云ったものである。畑の区画された道を其の儘歩いていくと農家の入口の前を通って舗装路に出た。葛原の車道に出た処でふたたび引き返して、山道を登った。此れも踏査ならではの山歩きである。

稜線の鞍部に戻り、西に向かって登ると、呆気なく名倉金剛山に登頂する。祠と山名標の在る処は、狭い岩場の道の途上のような処だった。南側の眺望があり、眼下にふじの温泉病院が建っている。此れから西に連なる尾根を辿るが、其の行き着く先にも顕著なピークがある。地元で呼称されているのかどうか定かではないが、其処も金剛山と呼ばれている。名倉金剛山に対して、鶴島金剛山と云うことになっている。標高491mなので、名倉金剛山よりも高い。

細長い山頂域から、葛原神社方面の道標を越えて、稜線を西に歩いていく。程無く神奈川と山梨の県境を越えた筈である。心地好い細尾根歩きの果てに、急勾配が現われる。鶴島金剛山直下は、激しい傾斜だったが、真新しいトラロープが張ってあった。既存の登山地図では記載されていない山であるが、実際は整備されたコースが存在していたことになる。

疎らに林立する樹木は程よく紅葉していた。其の鞘越しに、相模川の向こうに、山並みが広がって、遠くに顕著な三角錐の峯が浮かんでいる。奥多摩の御前山だろうか。鶴島金剛山は、対になった石の傍らに祠の在る、静かな山頂だった。此処で随分長い休憩を取り、カップ麺を作って食した。登山地図に無い山は、麓の風景を直ぐ其処に望めるのに、何処までも静寂の儘であった。

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西北の方角に見当を付けて、急降下するロープの張られた斜面を下った。こちらも、比較的新しいトラロープである。距離は大したことは無いが、鶴島金剛山の直下は、何処からも厳しい登りを強いられるようであった。緩やかな傾斜になって軽快に下っていくと、尾根の分岐点がどちらでもどうぞと云っているような感じで道になっている。右に、右にと念じながら下り、やがて薄暗い尾根のトラバース道になり、古色蒼然とした靏島古峯神社に降り立った。

眼前に在る住宅地から踵を返すようにして、舗装路を歩いていく。蛇行する道は鶴島金剛山から延びる尾根の裾を舐めるようにして続き、やがてトラックが疾駆する県道35号に合流した。此処が湖南団地入口と云うバス停であった。無生野から上野原駅に向かうバスがある筈も無く、其の儘車道を延々と歩いた。上野原駅南口の階段が、疲れた身体に随分堪えた。

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