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重太郎新道から前穂高岳ふたたび(後篇)

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息子の罫君にダウンのシュラフを貸与しているので、私はシュラフカバーの中に、インナーシュラフを重ねて包まっている。暦表では十月になった北アルプス、岳沢小屋のテント場は、其れ程の寒さでは無いので、快適に眠ることが出来た。何よりも、いつもひとりで過ごすテント内に、ふたりで居るというだけで暖かい。

深夜に目覚め、テントの外に出ると、小粒の雨が降っていた。どうなることやらと、半ば諦めたような気持ちになって、ふたたび眠りに就いた。出発予定時刻の一時間前、午前四時のアラームで目が覚めると、テントを打つ雨音が激しい。駄目だったかと、私は観念して、雨が止むまで待機することを罫君に告げた。することもないので、シュラフカバーに戻った。止むを得ない、そう内心で呟いて、また眠り込んだ。

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2016/10/2
岳沢小屋(6:30)---カモシカ立場(7:20)---雷鳥広場(8:40)---紀美子平(9:05)---前穂高岳(9:50)---重太郎新道---岳沢小屋(13:00)---上高地(15:10)

茫洋とした意識に、鳥の囀る声が聞こえてくる。鳥が鳴いている。其の意味が脳に伝わる迄、、一瞬の間があった。そして、私は唐突に覚醒した。半身を寝具に入れた儘、テントの外に顔を出してみる。夜が明けたばかりのテント場に立ち込める霧が視界に入り、私は、慌てて現在時刻を確認した。一時間以上も眠ったようであった。雨が止んで、どのくらい経ったのだろうか。其れは判らないけれども、此れで、取り敢えず、重太郎新道を登ることができそうである。焦って行動することは、出来ない。私は、既に登頂は諦めることに決めて、ゆっくりと、登山の準備を始めた。

携帯式のサブザックと、クレッタルムーセンGungner40に、雨具と飲料と昼食用のカップ麺、そしてジェットボイルを詰めて、準備は終わりである。焦っていないことを確認するかのように、私は罫君と連れ立って、岳沢小屋のトイレ迄歩いた。上厠を済ませて、ふたたび瓦礫場の道をテント迄登った。其れだけで、起きぬけの身体に気怠さが染み渡ってくる。予定の出発時刻を一時間半も過ぎて、何処迄登っていけるのか、そんなことを思いながら、少し曖昧な気分で、私は出発を告げた。罫君は、満を持して、と云う感じでヘルメットを被り、其の表情に気怠い様子は窺えない。事前に説明している、重太郎新道の梯子と鎖場を想像して、緊張の面持ちのようであった。

雨上がりの朝靄の中を、無言で登り続けると、程無く岳沢小屋の赤い屋根を眼下にするようになる。全身の気怠さは、登り続けていくうちに消えて、ソフトシェルの上着に包まれた肌が熱気を帯びてくる。身体中が、漸く目を覚ましたような気分である。踏路は傾斜の度を増していき、木々の色彩は未だ、どんよりとした周囲の空気に寄り添うように、モノトーンの儘だった。楽では無い筈の勾配だが、私の前を、淡々と歩き続ける罫君の動きに逡巡は無いようである。

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紅葉の木々が岩壁に貼りつくようになって、鉛色の風景が少しだけ明るさを表出させる。巨岩の折り重なる踏路が始まり、やがて其の隙間を攀じ登る、と云う展開になる。私は罫君の前に出て、三点支持と、適切な岩の手掛かりの位置を示しながら、先に登る。攀じ登っていく先は、身体がやっと擦り抜けられる程度の幅であった。其れを少々の手間を掛けながら、罫君が登ってくる。其の、真剣な面持ちに、思わず笑ってしまう。

最初の岩場を終えると、直ぐに長い梯子が現われた。罫君に拠ると、最も恐れていた場所だと云う。摑まっていれば確実に安全な人工物なのだが、其れは必然的に垂直の儘高い処に登っていくと云うことで、其れが怖いと云う。理屈は判るけれども、此れを登らなければ先に進めない。怖いのならば、後からついて来るかと訊くと、ひとり残ると心細いから先に登る、と云った。恐怖感を秤にかけているようで、其の緊張感は充分に伝わってくる。そうして、ひとつひとつ、梯子段に足を掛けて登っていった。其の姿を下から見ながら、まさかとは思うが、落ちてきた場合に受け止められるような体勢に、私の身体にも力が入る。

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個人的に最大の難所と位置付けていた梯子を登りきって、罫君の動きも軽快になってきたようであった。カモシカ立場で漸く視界が開ける筈だったが、西穂の断崖は、幽谷の趣で霧に包まれている。重太郎新道は、此処からが岩礫の踏路が延々と続いていく。時折現われる鎖の付いた傾斜を、罫君が渾身の表情で登ってくる。其れを見て、鎖を両手で握り締めると、三点支持にならない、と云うようなことを伝える。息の荒い罫君が、無言で頷く。明神の岩崖が、黄葉の向こうに現われた。霧は未だ穂高に纏わり付いて、離れていく様子が無い。

瓦礫の岩肌に、白いペンキマークが点在している。其れに縋るようにして、罫君は四つん這いになって登り続ける。先行する私は、其れを上から眺めている。岳沢の底が、時折霧の合間に覗く。後方に、登山者のグループが現われた。追い着かれるかなと思うが、罫君は休むことなく登り続けている。今迄登ってきた山は何だったんだ。鎖を握り締めた罫君が、唐突に、感極まったように叫ぶ。私は、我が意を得たり、と云う気持ちであった。

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我々が雷鳥広場に到達したのは、テント場を出発して二時間が経過した八時四十分で、其れは驚くべき事実だった。前穂高岳に登頂できるのが、午前十時台であれば、其の実現は可能であると、私は考えていたので、此処迄の所要時間は、予想外の出来である。罫君が、辿り着いた途端に巨岩の上に仰臥している。精根尽き果てた、と云った様子にも見える。

駄目かなと思ったが、頂上迄行けそうな時刻だけど。そんな声を掛けてみると、其れなら行こうか、と無表情で云った。此処迄の途上で、申し分の無いペースで登っていると、彼を励まし続けてきたが、芳しい反応は無かった。登頂してやるぞ、と云う気負いも見受けられないし、仕方ないから登るか、と云うような、義務を課せられた虚無感を漂わせている訳でも無い。要するに、何を考えているのか判らない。確かなことは、此処迄、通常よりも早い所要時間で歩き続けて来たと云うことだけである。岩の上に大の字になっている罫君が起き上がったので、其れなら登るか、と、私は鸚鵡返しのような曖昧な返事をする。後続のパーティが登ってきたのを機に、我々はふたたび登りに掛かった。

二度目に登った重太郎新道の時に、吊尾根から見下ろした雷鳥広場を脳裏に描いた。楕円形の岩が突き刺さったような瓦礫の尾根は、恐竜の背鰭のようだった。今、其の上を歩いている。霧が晴れていれば、紀美子平は直ぐ間近に在る筈だが、相変わらず視界は開けない。踏路は、ふたたび巨岩の折り重なる勾配になり、いよいよ最後の長い鎖場に差し掛かった。濡れた岩に刻まれた裂け目に、慎重に爪先を引っ掛け、鎖にしがみつく様にして罫君が登攀している。鎖の無い箇所に掛かると、我罵っと四つん這いになって登り続けている。前を行く私に追い着いて、とうちゃん余裕だね、と罫君が云う。二本足で登っている私は、ふたたび、我が意を得た気分になっている。

雷鳥広場から僅か二十分程が経ったばかりの、険しい鎖場の途上で、背後が明るさを増してきた。頭上は厚い雲に覆われているが、遥か遠くの岳沢が、眩い緑色の山肌に変わっていた。晴れる。何と云う僥倖なのかと、私の意識が高揚してくる。罫君は、必死の形相で、登り続けている。巨岩の上に、僅かに抉られたクラックに手足を確保して、登っている。此の穴は、誰かが作ったのかな。丁度いい場所に刻んである。そう罫君が云った。

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長い鎖場の果てに、最後の梯子を経て、紀美子平に到達した。出発から約二時間半が経っていた。標準コースタイムよりも随分早く、此処迄来ることが出来た。滑らかな表面の巨岩に囲まれた紀美子平には、デポされたザックが散乱するように置かれている。其れは考えてみると奇妙な光景なのだが、罫君は到達の充足感で満たされているのか、特に感想は云わない。そして間もなく、周囲を覆っていた白い霧が、照明器具のディフューザーのような、柔らかな明るさになっていった。そして、明神岳と前穂に掛かる雲が流れて、青空が表出した。陽差しに包まれて、暖かくなった紀美子平で、我々は何時迄も空を見上げていた。

充足感に包まれていたが、陽が差し込んできた頃合に此処に居る状況に、逸るような気持ちになって、我々は前穂に向かって登攀を開始した。サブザックに飲料を入れて、Gungner40はデポした。最後の登攀は険しいが、三十分で登頂することができる。岩塊の頂点に向かって、夥しい空身の登山者たちと擦れ違いながら登った。南側に回り込んで明るくなった処で、罫君が少し苦しそうな顔をしている。どうしたのかと訊くと、なんだか腕が痛いと云う。疲れたのではなく、両腕が肩の辺り迄痺れるように痛いと云った。

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峻険の岩塊、重太郎新道を、罫君はなりふり構わず四つん這いで登ってきた。其の疲労が集積しているのかもしれない。腰掛けて休憩して、水を飲むように云った。後続の徒が、我々の傍らを通り過ぎていく。無理しないで引き返すか、と云うと、罫君はかぶりを振った。おかしいなあ。そんな呟きで腕をぐるぐる回しながらも、罫君は、ふたたび頂上直下の登りに掛かる。白い雲が流れて陽が差し込んで、程無く別の雲が流れてきて頭上を覆った。空が近い。もう直ぐ頂上に着きそうな処で、ふたたび罫君が立ち止まって、少し苦しそうに腕を回す。頂上から降りてきた若い女性が、もう、直ぐ其処だから、と罫君に云った。

瓦礫の地に白い霧が覆われている。前穂高岳の頂上に立ち、罫君は山名標を背もたれにして座り込んだ。四年前に初めて登った此の山頂を思い出して、また霧だけを見るのかと、私は感慨深い気分だった。今日の霧は明るくて、息子とふたりで登頂した満足感もあるので、悲壮感は微塵も無い。私は罫君を立たせて、山頂の北端に向かって歩いていった。歳月を感じさせるケルンが点在している。其の瓦礫の地を踏みしめ、やがて頂上部のエッジに着いた。涸沢カールの広がっている筈の方角を眺めていると、やがて雲が切れて、奥穂の山肌が姿を現わした。ほら、あれ、などと、慌てて罫君に云うが、疲れきった高校生は岩に腰掛けた儘立とうとはしなかった。

山頂に居て、陽が差したのはほんの僅かな時間であったが、其の儚さも、また趣深いものであった。常念岳方面に、雲海が広がっている。其れを眺めて、本当に登頂できたんだなと、私は改めて感慨に耽った。

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腹が減った。ラーメンを此処迄持ってくるんだったあ。罫君が云った。私も、首肯した。早く紀美子平に戻って、ラーメンを喰おうか。そう云うと、罫君は元気よく立ち上がった。

山名標に戻り、ふたりで並んで、写真を撮った。シャッターを押して呉れた壮年氏が、其れを持てばいいと、足元に置いてある、前穂高岳、標高3090mと書いてある板切れを指した。其れをふたりで持って、写真を撮って貰った。帰宅してから、其の写真をプリントして、食卓の壁に貼って、何時も眺めている。写っている親子は、なんとも曖昧な表情をしていた。其れは、嬉しさと安堵感と、疲労感の混淆した、曖昧な笑顔だった。

追記

紀美子平でカップ麺を食し、重太郎新道を引き返した。岳沢パノラマ付近で二十名近い下山パーティに追い着いて、渋滞に巻き込まれながらも、なんとかパスして岩塊の道を下った。岳沢小屋に帰還して、罫君は漸く笑顔になり、着込んでいた服を脱いだ。岳沢の登山道を軽快に踏破し、河童橋で、最後の記念写真を撮って貰った。岳沢の上方に聳えている筈の穂高連峰は、やはり雲に覆われて見えなかった。

帰途のバスで新島々駅迄。其処から電車で松本駅に着き、予約済みの高速バスの発車時刻迄、松電バスターミナルビルの地下で食事をしたりして時間を潰した。今回はアルピコ交通発行の、「上高地ゆうゆうきっぷ」を利用した。直通の「さわやか信州号」に比べると、往復で四千二百円安い。松本乗り換えの上高地迄の運賃と比較しても三千円くらいの差があるので、ふたりで使用するとかなりの節約だった。チケットは独立した一枚ではなく、乗車する区間の紙片がそれぞれ束になっているだけなので、失くさないように注意が必要である。

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