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2016年11月

武尊神社から武尊山(前篇)

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上州の武尊山を初めて意識したのは、尾瀬の至仏山に登り、小至仏山に向かう途上の、心地好い稜線を歩いた時だった。笠ヶ岳に連なる山々の向こうに、ひと際目立つ鋸歯状の巨大な山塊が聳え立っている。 燧ケ岳を背景とする尾瀬の風景に傾倒していた意識が、唐突に現われた嶮岨な八ツ峰に惹きつけられた。八と云うのは多数を想起させる誇大表現ではない。最高峰の沖武尊を筆頭に、本当に八つの尖った峰が連なって屹立している塊りである。武尊と書いて、ほたか、と読ませる。武尊山は日本武尊伝説を恣意的に敷衍させようとしている、プロパガンダのような山名のように思われ、私にとっては余り好い印象を受けない山であった。其れが眼前に遠く聳える実物を眺めて、其の陰翳に満ちた峻険な姿に、見惚れた。

其れが二年前のことで、そんなに感嘆したのならば登ろうと思いそうなものだが、其の儘になって現在に至っている。スキーシーズンに活況を呈する川場村、片品村、共に武尊山登山への表玄関ではあるが、シーズンオフの公共交通機関でのアクセスは存外に不便で、裏口である、みなかみ町に分け入るのは殊更に困難である。其のうちに武尊山のことは徐々に忘却していった。

其れが突如、望外の山行となった。友人、磨都井君の登場である。自家用車を駆って遠出をしたいだけの彼の希望は、二年ぶりの尾瀬周遊であった。尾瀬沼にテントを張って酒盛りをしたいと云う彼の要望に渋々と応え、尾瀬沼ヒュッテの幕場に予約を入れようとしたら(尾瀬沼ヒュッテのテント場は完全予約制である)、九月の週末は全て満員の札止めとなっていた。尾瀬の木道に沿って散策するだけでは詰まらない。そう思っていた私は内心ほっとした。初秋の尾瀬は随分混んでいるようだと磨都井君に伝え、代替案を待つが明確な返事が無い。

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其の過程で、私は漸く上州武尊山のことを思い出した。尾瀬に行ったような気分になって、鳩待峠の分岐から県道水上片品線、別名奥利根湯けむり街道をドライブすれば、秘湯の湯ノ小屋温泉に入って近隣のキャンプ場で酒宴を開催できる。翌日は早朝から、みなかみ町側の武尊神社から、武尊山登山を敢行できるではないか。私は毎度御馴染みの深謀遠慮で、友人に代替案を伝えた。奥利根湯けむり街道、ドライブ、秘湯、のキーワードは存外に効力を発揮して、呆気なく武尊山登山実行の運びとなった。

2016/9/25
武尊神社(7:10)---林道終点駐車場(7:35)---武尊沢渡渉地点(8:50)---剣ヶ峰山(10:55)---武尊山(12:25)---手小屋沢避難小屋分岐(15:05)---林道終点駐車場(16:20)---武尊神社(16:55)

宝台樹のキャンプ場はお誂え向きのロケーションで、登山口に程近い武尊神社迄は車で数分であった。神社の先は幅の狭い砂利道の林道になっていて、車で進入すれば歩行時間を随分短縮できる筈であるが、愛車をダートに入れたくない友人は、其れを決然と拒否した。しかし、其れもまあ止むを得ない。雨上がりの晴天で清々しい武尊神社で参拝を済ませて、我々は林道を歩き始めた。

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武尊山藤原口のコースは、武尊川の源頭、沖武尊迄を遡るように続く谷筋を歩いていく。剣ヶ峰山から獅子ヶ鼻山に続く尾根と、沖武尊から西北に延びる須原尾根に挟まれた沢沿いのコースを、途中で渡渉して、厳しい勾配を剣ヶ峰山迄登り続ける。剣ヶ峰山からは稜線上を歩いて頂点の沖武尊に達する。帰途は須原尾根を下り、手小屋沢避難小屋の分岐点から尾根を外れて元の谷筋に、武尊神社に程近い位置に下山する。

合理的な周回コースである。其れを、時計回りにするか反時計回りにするか。昨晩のキャンプ場で、ほろ酔い加減で友人に伝えると、どういうわけだか冴えない顔色で、剣ヶ峰山から沖武尊のピストンだろうと云う。呆気に取られて何故かと訊くと、登山地図に記された、須原尾根の沖武尊直下の鎖、梯子の危険印が怖いと云う。厄介な問題が発生したな、と、私は内心で呟く。しかし、言下に其れを否定する愚は避けて、其の儘問題は棚上げにすることにした。渓沿いコースの往復は、途方も無い時間が掛かると云う認識の無い磨都井君も、実際に剣ヶ峰山迄歩けば実感も湧くだろう。

自家用車がたくさん駐車してある最奥の駐車場に、三十分の林道歩きで到達した。踏路が少し傾斜になって、程無く剣ヶ峰山と手小屋沢避難小屋方面の分岐点に着いた。少し休憩をしているうちに、後続の若者グループが到着し、我々と同じ沢沿いコースに向かっていった。其れから高齢者グループがやってきて、手小屋沢避難小屋、詰まり須原尾根の危険印方面に進路を取って去っていった。注目すべきは、続いてやってきた西欧諸国からと思しき外国人の夫婦と、おそらく小学生にもならない子供の三人連れであった。彼等は迷うことなく危険印方面に向かった。子供はヘルメットを被っていて、何事もないように淡々と歩いていった。私は磨都井君の表情を窺ったが、彼は無言の儘であった。

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武尊川に沿って山腹に刻まれた登山道は平穏で、アップダウンも無いので順調に歩を進めていく。雨降りが続いていた所為で、細い沢の抉れたところからも、勢いよく水が流れている。本流の武尊沢の渡渉を待つことなく、二箇所の渡渉があったが、踏路自体は淡々と続いている。地形図を眺めながら歩いていると、本来の渡渉点が近づいてくるのが判る。登山道は徐々に下り勾配になって、濠音が大きくなっていった。

分岐点から一時間で、武尊沢を渡渉した。疲労感も無く、あとは実直に尾根を登るだけである。そんな風に思いながら、取り付きからの急登も気にせずに、ひたすらに登り続けた。雨後の所為か、岩混じりの道は苔むしている。陽当たりの無い北尾根の底に、鬱蒼とした樹林帯が、山腹の傾斜に張り付くように展開していた。腐った倒木に苔が纏わりついている。其れ等が縦横に、踏路を塞ぐようにして倒れていた。気が付くと磨都井君が蹲って呻き声を上げている。どうしたのかと訊くと、倒木から突き出た細枝が、頭部に突き刺さったと云った。帽子の庇で、倒木が視界に入らなかったようである。其れを契機に、友人は不機嫌になった。

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湿った急勾配の道が続き、唐突に視界が開ける地点に到達した。青空を背景に、断崖の尾根を従えた沖武尊の、北側の尾根が屹立していた。武尊沢を挟んで、其れは直ぐ眼の前に聳えている。渡渉してから一時間弱のことであったので、急勾配を登り続けた成果だと云えた。眺望を得て、気分は爽快になったが、其れからが大変だった。登山道は崩壊した薙ぎを縫うように、岩場をトラバースしては登り返す、と云うような様相になった。抉れた泥濘の崖に、湿った木の根が剥き出しになっている。其れを掴んで、無理矢理に攀じ登っていく。

徐々に、時計回りコースで周回してきた、下山の徒が現われるようになった。殆どが単独行者で、精悍な顔付きの男性である。其のうちのひとりに、挨拶の序でに此の先の状況を尋ねた。精悍氏は、同じような難所が続いている、此のルートは登りが正解ですね、と云った。私は、須原尾根の鎖場のことを尋ねた。鎖はしっかりしていて問題無い。其の答えに、私は内心で、友人への説得のタイミングを図ることにした。

剥き出しの岩や、木の根に足の置き所を探りながら、不快な登攀が続いた。崖状の尾根を回り込むように辿る状況の中で、此れは下りでは危険ではないか、鎖のような人工物が在る方が却って安全ではないか、などと、私は磨都井君に話し掛ける。友人は、聞こえない振りでもしているかのように、無言だった。頭に枝が刺さっても懲りてないのかな、などと思いながら、私も仕方なく無言の登攀に戻った。

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初めて視界が開けた地点から、一時間近くが経過した。ふたたび明るい場所に達すると、武尊川を挟んで連なる尾根を見おろすように景色が広がっていた。地平線に、越後の山々が浮かんでいる。視線を左に転じると、険しい山腹の陰惨な山塊が見える。谷川岳だ、と、磨都井君が声を上げる。前回、白毛門から至近距離で対峙した険阻な姿は、遠目に眺めても、やはり異彩を放っていた。

岳樺の白い幹と、紅葉が点在するようになって、稜線が直ぐ其処に窺える。沖武尊に背を向けて、稜線に近づいていくと、やがて剣ヶ峰山に至る分岐点に達した。麓への指標は武尊神社ではなく、何故か宝台樹キャンプ場となっている。尖峰のような姿の剣ヶ峰山迄、あと僅かだが、既に頂上直下に居るので、全容が判らない。其の儘、痩せたリッジの上を登っていくと、呆気なく頂上の標柱が立っているのが見える。標高2020m、剣ヶ峰山のピークは、踏路の途中のような場所に在った。円盤を縦にして突き立てたような山である。這松の生垣から、全方位の眺望を享受する。赤城山の広い裾野から、沼田市街と、人工的なグリーンが広がっている。カルデラを取り囲む山々がひとつの集合体になって、其の向こうには空が広がるばかりであった。

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武尊山の八ツ峰、其のひとつの山頂から、鋸歯状に見えた山の連なりを眺める。沖武尊は壁のように立ちはだかり聳えていて、其処から右手に特徴的なピークが連なる。中ノ岳、家ノ串、そしてもうひとつの剣ヶ峰。前武尊は黒ずんでいて、トップが鑿の歯のような形をしている。そう思うと、此の武尊山の全体が、尖った瘤を幾つも隆起させた刃物のようにも見える。

苦難の登攀を終えて、磨都井君と健闘を称え合う。友人の素振りから、此れから更に高峰を登ると云うことに就いての思惟は読み取れない。沖武尊は泰然として、静かに、目前に聳えている。目的地迄の道程で、ラウンド・トリップを敢行する道筋を付けるにはどうしたらいいのか。私は内心で、そんなことばかりを、考えていた。

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