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白毛門

暗がりの中を延々と続く階段を登り続ける。背後にざわめきを感じながら、逸る心を抑えながら、淡々と歩を進める。三番手をキープして登っていたが、終盤にトレラン然とした恰好の若者に追い越され、続いて単独行の女性ハイカーに追いつかれる。昨年の同じ頃に訪れた時は、上越線の電車から降り立って、久しぶりのトンネル駅が懐かしくてうろうろしたが、今日は一目散に階段に取り付いた。五番手で462段の階段を登り終え、地上の改札口に到達すると、人が随分居るので少し驚いた。自家用車でやってきた観光客が、駅を見物するために立ち寄っているのだろうか。快晴の空を見上げながら、一年前の曇天だった駅前の風景を思い出す。途中で降雨に遭い、登頂することなく引き返した白毛門。去年の秋は、其の挫折感で気持ちが沈んだ儘、山に行く気力が逓減していった。そう云う訳で、落し物を拾いに行くような気持ちで、ふたたび土合駅にやってきた。

2016/9/10
土合駅(10:20)---松ノ木沢ノ頭(12:20)---白毛門(13:10)---土合駅(15:30)


Shiragamon

思い返すと、途中で挫折した動機には、上越線の電車に間に合うかどうか、と云う焦燥感も大きく作用していた。東京から普通電車で土合駅に到達できるのが午前十時。帰途に就く為の午後に発車する電車の時刻は午後三時台と六時台の二本だけである。併行する国道に、路線バスが走っているのは承知しているけれど、午後三時過ぎに戻ってきたいと云う気持ちが逸り、去年は途中の松ノ木沢ノ頭で引き返してきてしまった。

今日はなんとしても白毛門に登頂して、予定通りの電車で帰る。其れが至上の命題のような気持ちになっている。降車して直ぐに、土合駅の階段を一心不乱に登り続けたのも、其のような気持ちに端を発していた。上厠を無事に済ませ、身支度えを整えて、軽快に歩き出した。国道が線路を跨いで下り勾配になり、程無く土合橋のバス停に着く。砂利の駐車場の奥から登山道になる。大多数の人が谷川岳に向かうので、白毛門への山道は程よく空いている。ふた組のハイカーを追い越し、東黒沢を渡渉し、登攀の速度を速めること脱兎のごとしで、少し喘ぐような息遣いで、其れでも意欲的に登り続けた。白毛門に登頂しないと、心の奥底に在る澱のようなものが払拭できない。私は、そんな想念だけで脚を繰り出していた。

南北を一直線に貫く尾根、地図の上では、土合から白毛門への道は単純に其れを辿っている。登山口から尾根登りを始めて、暫くは樹林帯の急登が続く。其れも前回の記憶に留まっている。急傾斜が極端になると折り返しの道になり、或る地点で唐突に眺望が開ける。直ぐ眼の前に、沢の詰まった断崖の壁が、凄惨な表情をしている谷川岳の威容が聳えている。昨年訪れた時には一度も見ることの出来なかった光景に、私の溜飲が、いよいよ下がっていく。首肯しながら尾根の直登を続けて、朽ち果てそうな桧のウロを過ぎると、漸く尾根の分岐する平坦地に立った。

標高1154m地点を通過して、東側の眺望が開けてくる。広がる谷を、森林の尾根が取り囲んでいる。微かに聞こえてくる瀬音は、白毛門沢のものだろうか。行く先に向かって延びている東の尾根は、目指す白毛門に収斂されている。其れだけを確認して、私は休憩することもなく歩き続ける。

下山の徒が少しずつ増えてきた。自家用車で早朝に登山を開始した人々であろうと思われる。単独行の白髪の男性と擦れ違い、挨拶を交わした。白毛門ですか、と訊いてみる。
「齢をとると、段々遠くなるよ。頂上がね」精悍な顔付きの白髪氏が云った。
彼が松ノ木沢ノ頭で折り返したと知って、私は云いようの無い安堵感を覚えた。

直截的に尾根を辿り、相変わらずの樹林帯が続いて、遂に彼方が明るくなる。岩襖の折り重なる鎖場を越えると、前回の終点、松ノ木沢ノ頭であった。眼前の谷川岳が明瞭に全貌を表出している。一ノ倉沢と幽ノ沢の断崖と、青空の背景が、奇妙なコントラストになっている。私は、漸く人心地が着いた気分になり、ザックを下ろして紫煙を燻らせた。続いて登って来た壮年夫妻の旦那の方が、もう此処で諦めるか、と妻に云っている。私は内心で首肯している。

白毛門は、尾根の続く先に在るのだが、此処から眺めると、別個に在る山のようである。私も、未だあんなに遠いのか、と思う。繰り返してばかりいるが、昨年の苦い思い出を反芻する。あの時は、霧で白毛門は見えなかった。此処で引き返したのは、全く合理的な判断であったのだと思った。自己肯定の言葉を刻んで、私は自身を鼓舞していく。

標高1484mの松ノ木沢ノ頭は、等高線の閉じたピークであった。必然的に鞍部に下降していく。一旦姿を消した、ふたつの突起を持つ山容が、ふたたび全容を現わした。白毛門の東面には、出来物のような奇岩が固着している。ジジ岩とババ岩と呼ばれる其の形状に就いて、此の時点では合点がいかなかったが、登頂の直前に横顔を見て首肯できた。踏路は岩場に変わり、山腹から急激に攀じ登る形で尾根上に辿り着く。細い稜線の上に出ると、最後の鎖場が現われ、いよいよ白毛門の上に乗る。ひとつ目の突起を越えて、少し歩くと、銀色の山名標が在る狭いピークだった。云いようの無い達成感が、身体に染み渡っていくような気持ちだった。

土合から直截的に登ってきて、白毛門の頂上に立って、ひと回り大きいようにも見える笠ヶ岳の姿を眺める。湯檜曽川を挟んで対峙する谷川岳から、三国峠の国境稜線を経由して、朝日岳、笠ヶ岳とUターンして白毛門に至る、所謂馬蹄形の縦走路が続いている。いつか、テントを担いで馬蹄形縦走を、此の半時計回りで実行してみたいと考えていたが、実際の笠ヶ岳を眼の前にすると、一体何処迄大荷物を背負って歩けるのか、そんな気持ちになった。

ひと足先に登頂していた中年男性と、土合から此処迄の厳しい道程に就いて話をする。此の男性も、前回登った時は、松ノ木沢ノ頭で敗退したと云った。私の、心の奥底に在った澱のようなものは、其れを聞いて霧消していった。自己弁護の為の登山を行なっているような、不思議な気分なのだが、其れは実際の心裡のことなので、止むを得ない。

中年氏は先に下山して行った。私も、帰りの電車の時刻を逆算して、山頂でのんびりしてはいられないことを薄々感じている。対岸の谷川岳を眺めながら、未練がましく、新しい煙草に火を点けた。いつの間にか谷川岳に、灰色の霧が湧き出して、山頂部を覆い始めた。周囲の全ての山々が陽光に照らされて泰然としているのに、断崖で険悪な容貌の谷川岳は、ひとりだけ薄暗いヴェールを纏って、独立した人格を持った山のようになった。魔の山と呼ばれる所以には、此のようなヴィジョンの要素もあるのだろうか。其の姿は、特別としか、云いようの無いものであった。

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