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白馬岳(前篇)

2016年8月6日、土曜日。世間の諸事は、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックの開幕、そして71回目の広島原爆忌。其の深夜、私は新宿駅のプラットホームに降り立った。「ムーンライト信州」の最後尾車輌付近は、写真撮影をしている人々の塊のお陰で、其の先に進むことが出来ない。ホームの反対側の端を通って、自分の指定された号車を探す。今となっては古びた風情の特急用車輌に、郷愁のような感興と、旅立ちの緊張感を感じながら乗り込んだ。昨年の同じ頃に乗車した「ムーンライト信州」は、呆気にとられる程空席があったが、今日は殆どの座席が埋まっている。

漸く自分の座席を見つけると、隣席に妙齢の女性が座っている。ベテランの風情を醸し出している登山者だった。私はなんとなく安堵して、毎度御馴染みの巨大なクレッタルムーセンを網棚に載せた。僅かな空席を残した儘、ムーンライトは静かに新宿駅を発車した。篭もった音の車内アナウンスを聞きながら、見慣れた自分の街が闇に消えていくのを、車窓越しに眺めていた。日付の変わる立川を発車すると、座席が更に埋まって、車内検札がやってきた。私が提示した指定券を確認した若い車掌が、白馬迄行かれますか、と云った。私は、深く首肯した。

2016/8/7

猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)


Moonlightshinsyu

昨年同様、早めに確保しておいた「ムーンライト信州」の指定券を眺めながら、今年初めての北アルプス行きに就いて、思案の日々が続いていた。土曜日の深夜に出発して、翌日曜に登頂、幕営後、月曜日に帰京する。想定外の事態に備えて火曜日も休暇を取った。此の時点で、私は未だに成し遂げていない、槍ヶ岳の登頂を目指すことにしていた。早朝の上高地を出立し、定石に倣ってババ平のテント場で幕営し、翌日を軽装備で山頂迄往復して、帰途に就く。其の日のうちに上高地から帰京できれば其れに越したことは無いが、徳沢、或いは小梨平に幕営してから、火曜日の早い時刻に帰途に就いても構わない。勿論、出立する日曜早朝の上高地から、槍の肩迄歩くことができそうであれば、重い荷物を背負ってのことだが、月曜日は余禄を持って上高地に戻れるだろう。そんな考えであった。

其処に、不測の事態が起こった。不測の事態と云うと物騒に聞こえるが、其れ程深刻な問題では無い。夜行列車で出発する土曜日の、日中の用事が無くなってしまっただけのことである。土曜日が自動的に休暇になってしまった。此れでは夜行列車に乗る意味が判らなくなってくる。早朝に出発すれば、土曜日のうちにババ平に到着できる。余禄を持って下山しても、月曜日の早い時間帯に帰京できそうである。其れどころか、と、私の思惟は宙を彷徨い始める。

土曜日の早朝に出発するのならば、上高地からのルートに固執する必要が無くなる。昼近くの穂高駅から中房温泉経由の燕山荘迄。其れで常識的な時刻に到達し、テントを設営できることは過去の経験で判っている。表銀座縦走路を踏破して、日曜日の夕刻に槍の肩に到達し、幕営することも可能かもしれない。槍ヶ岳は憧れの山である。燕山荘から稜線を辿りながら、北アルプスの絶景を眺めながら、槍ヶ岳を目指す。其れは想像すればするほど魅力的な計画に思えてくる。

ではそうするか、と決断すればよいのに、なんだか気持ちの奥底に引っ掛かりが在る。せっかくのムーンライトの指定券を放棄することに抵抗感を覚える。こんなことならば金曜日の深夜に出発するのを予約すればよかった。しかし、もうどうにもならない。「ムーンライト信州」のチケットをキャンセル処理するために、最寄のJRの駅に行かなければ、と思うが、なかなか其の行動に移ることができない。時間だけが確実に過ぎていき、とうとう出発の三日前になってしまった。

ムーンライト信州の指定券を保持した儘、乗車しない輩のことを、今迄批判して書いてきた。乗るのか乗らないのか、乗らないのならば早くキャンセル処理をしなければならない。此の儘では世間に対して道義的にそして多義的に、迷惑を掛けてしまうではないかと、焦燥の儘に自問自答を繰り返した。そして、私の中の、ピンと張り詰めていた糸が、ふっと切れてしまった。

思案の挙句に、私は本懐である槍ヶ岳登山を断念して、行く先を白馬岳に変更することにした。「ムーンライト信州」の指定券を放擲するのが惜しい、と云うことの他に、土曜日の朝に出発して、其の日に幕営すると云うことに一抹の危惧を覚えたのが理由である。槍ヶ岳の最短経路の途上に在る、ババ平のテント指定地の混雑を想像した。此れ迄も、北アルプスに赴く場合は、土日に跨る行程を、極力避けてきた。ババ平のテント場は狭小であると云うことが、インターネットの情報で窺い知れる。そして、表銀座縦走路経由の燕山荘幕営地の混雑ぶりは、既に経験済みであった。燕山荘に夕刻到着して、空いているテントスペースを探すのに、少々の手間が掛かった記憶を呼び戻してみる。あれは平日のことであった。土曜日の燕山荘に幕営すると云うことが、途端に嫌になった。

消極的な意味で、ムーンライト信州に乗って北アルプスに行くと云う、茫洋となっていった思案の行く先が、青春18きっぷの、距離を稼げば稼ぐ程得をすると云う、自分の品性を試されるような要素と要因によって推移していった。信濃大町で下車し、扇沢から未踏の鹿島槍ヶ岳を目指す、そんな計画が先ず浮かんだ。しかし、其れは、槍ヶ岳の代替品として鹿島槍に行くようにも見える。槍違いで安易に鹿島槍に登ることにしたようにも見える。鹿島槍ヶ岳を貶める行為である。そんな気がしてきた。なんだか気が咎める。私は違う目的地を思案し始めた。出発の日が近づいている。

其れから、白馬大雪渓を登って、白馬岳に登ると云う案に至る迄、然程の時間は掛からなかった。槍ヶ岳に比肩するスター性を、白馬岳は持っているように思えた。白馬岳も、自分が代替品とは思わないだろう。猿倉を訪れるのは、あの壮絶な経験であった、不帰キレットの行程以来である。あの時は登山者の群から外れて鑓温泉を目指したが、今度は、マジョリティの一員となって、名高い白馬大雪渓を初体験する。其れも妙案だと思い至った。云う迄も無く、白馬駅迄、ムーンライト信州に乗り続けることで、青春18きっぷの利幅が大きくなる。帰途も白馬から東京迄乗車するので、効用が倍増する。どうも、北アの計画に於いて、此の青春18きっぷに邪念を注ぎ込まれているような気がしないでもないが、止むを得ない。

隣席の女性が、安眠マスクと耳栓をして、順序良く睡眠に入った。手馴れたものだと感心しながら、私もいつしか眠ったようだった。浅い眠りは、塩山や甲府で途切れたが、はっきりと覚醒したのは、塩尻に着く直前だった。時間調整の為に長時間停車する塩尻駅のホームに出て、紫煙を燻らせる。全く同じ時刻に、此の駅で未明に煙草を一服した、昨年の夜行日帰りの焼岳のことを回想する。一年の時の流れが、此の時突然実感として湧き上がってきた。

今年は、昨年程自分が鬱屈していないのを感じる。単独行の夜行利用が厭で仕様が無かったが、今では其れ程でも無くなった。経験による感覚の麻痺なのか、物事をペシミスティックに受け入れることに慣れてしまったからなのか、其れとも齢を重ねた挙句の諦念なのか、判らないけれども、私は何とも云えない安穏とした気分だった。

松本、穂高で乗客が漸次下車して、車内は閑散としていく。隣席の女性が別席に移動したので、私はサンダル履きから登山靴に、山行きの準備を始める。信濃大町を発車して、何時も見惚れる海ノ口駅を通過すると、仁科三湖が車窓に現われて消えていく。そうして、二年ぶりの白馬駅に到着した。ゆっくりの足取りで、駅前のバス乗り場に向かうと、既に猿倉行きの長蛇の列が出来ていた。座れるだろうかと不安になりつつ列の最後尾に並んだ。

バス会社の係員は手馴れた風で、八方の人は向こうのバス停に、栂池には行きません、などと声を張り上げて、間違えて並んでいる人々をテキパキと炙りだして指示を与えている。行列は徐々に前に移動していき、程無く現われたバスに乗車すると、私はなんとか座ることが出来た。乗客は途切れることなく増えて、ザックと人間ですし詰め状態になった猿倉行きバスは、慌しく発車した。そうして、私の北アルプス行が、漸く始まった。

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