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白馬岳(後篇其の壱・冷風の白馬大雪渓)

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瓦礫の合間を縫うようにして、大雪渓の入口に近づき、巨岩の傍らで久しぶりの軽アイゼンを装着した。雪は泥の暗色に混濁し、点在するのはクレバスと呼んでよいのかどうか不明だが、細くて黒い裂け目と、歩行を誘導する赤いマーキングの筋が茫洋と続いている。白馬大雪渓は、夥しい登山者と下山の徒が交錯しながら、行列が停滞していると云う光景で始まった。砂礫と雪が混淆する斜面で、下山の若い男女のグループが、一歩を踏み出しては滑りそうになって、深刻な表情で歩を進ませることができないでいる。ねえこれ通れるの、と若い娘が険しい顔で云った。瀟洒なウェアを着た恰好のよい若者たちが、及び腰で転びそうになりながら通過するのを随分待ってから、漸く登りの順番が来た。水分がべたついた雪は見るからに滑りそうにも見えるが、アイゼンの刃を差し込んで行けば問題なく歩くことが出来た。土踏まずの部分に装着する軽アイゼンなので、足裏の全てを踏み込んで雪渓に刻みながら歩いて行く。暫くは一心不乱に登り続けたが、霧が深くなり、周囲が真っ白になったので立ち止まった。


Photo
2016/8/7

猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)

振り返ると、雪の斜面を白煙の渦がくるくると舞いながら、走り去っていく。大勢居た筈の登山者の姿が消え失せてしまった、と思った途端、白煙の醒めていく彼方からぽつぽつと出現する。白煙と霧の狭間に、遠ざかる白馬尻の底が窺える。吹き抜ける風は天然の冷房を浴びているように涼しい。つい先程迄、灼熱の日照りを小屋の前で浴びていたのが信じられない。酷暑の続く東京から逃れる先を白馬大雪渓に決めたことに、私は改めて満足しながら、黙々と歩いていた。

広大な雪渓を、一列になって続いている登山者の軌道に、スケールを拡大させたクレバスの裂け目が近づいてくる。踏路が左に寄っていくと、今度は反対側から細い裂け目が現われてはっとする。其れでも一列になって歩くのが厭で、少し列から逸れて登っていると、下山してきた精悍な風貌の単独行者に、クレバスが続くので右に寄ったほうがよいと声を掛けられた。私は首肯して其れに従う。気分を落ち着かせるために立ち止り、右上の尾根を見上げる。白馬岳の主稜から分岐する尾根と、三合尾根の谷が、純白の雪渓になっている。視線を歩いていく先に転じると、吹きすさぶ冷風が止んで、青空が広がった。大雪渓の彼方に、鋸歯状になった杓子岳が明瞭に姿を現わす。随分登ってきたのだな、と思って時刻を確認する。白馬尻を出発してから、一時間が経過していた。

岩塊の島が雪渓の途上に現われた。心地好い疲労感が染み渡り、其処に乗り上がって休憩を取った。岩に座って、紫煙を燻らせながら、続々と登ってくる人々を眺める。瓦礫が剥き出しの杓子尾根の山肌から、加羅加羅と云う音と共に落石が起こっているのが確認できる。雪渓を転がる落石は無音なので注意が必要、と云う情報がどの程度のことか、見当が付かなかった。石塊が転がってきて、そんなに危険なものなのだろうかと思っていた。しかし、大雪渓の途上から杓子尾根を眺めると、崩落は頻々に起こっているのが判る。巨岩が谷間に落ちて、雪の斜面を転がってくると云う事態の深刻さが、現場にやってきて、漸く想像することができるのだった。

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大雪渓は断続的に霧に包まれ、其れが晴れると眩い青空が広がった。陰影の無い晴天下では、杓子岳は直ぐ其処に立っているようにも見える。尾根に侵食されて左に方角を変えていく雪渓の向こうに、もう白馬岳が在るのではと錯覚してしまう。そんな気分で軽アイゼンを、べた足で踏みしめながら登り続けていくと、右手に現われた尾根の麓に、登山者たちが雪渓から脱出していくのが見えてきた。白馬大雪渓は更に上部へと続いているが、雪解けが進行してクレバスが頻出すると云う理由で、此処からは通称「秋の道」と呼ばれる迂回路を辿ることになっている。秋の道は尾根上の道ではないが、茫漠とした白煙の雪渓から取り付くと、久しぶりに地面を歩くと云う安堵感を与えて呉れる。

岩崖に刻まれた踏路を慎重に歩き、大雪渓が左手に遠ざかっていくのを眺める。幾つもの大きなクレバスが横に広がって大きな口を開けて居るから、通行不能が一目瞭然であった。標高が上がるに連れて、崩落した岩の所為なのか、雪塊状に盛り上がった箇所も散見されるようになって、雪渓は巨大な瘤の集合体のようにも見える。此れがモレーンと云うものなのかと思うが、正確なことは判らない。

秋の道は岩の淵を丹念にトラバースしながら、唐突に高度を上げていった。岩崖の所々に、紫や黄色の花が咲いている。紫がイワキキョウ、黄色いのはミヤマキオン。花の名前は判らないから、後日写真を眺めて記している。大雪渓から細い登山道になったので、最初は渋滞していたが、勾配が激しさを増していくと、ハイカーたちは疎らになっていった。尤も、高山植物の咲き乱れる道で、皆が其れ等を眺めながら休憩している所為でもある。花に興味の無い私ですら、険しく続く岩礫の道の先に、花の咲き乱れる平坦地が広がると、思わず立ち止まってしまう。薄桃色に見える白い花を至近になって眺める。蕾が膨らんでいる途中のような花が房状になっている。どのような必要があって、此のような造形が生まれるのか。イワオウギの群落でそんなことを思った。

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対面に谷を見下ろすと、独立した巨岩が現われる。其の下に、廃材と鉄網が打ち捨てられている。葱平(ねぶかっぴら)の岩小屋跡を過ぎて、勾配を登り続ける。次第に疲労が押し寄せてくる。夜行列車明けの疲れが、徐々に身体に染み渡ってくる。高度が上がるに従って霧が深くなり、踏路の両側に広がるお花畑を眺めることで、なんとか気は紛れるが、次第に、想念の欠片も霧消してきて、重いザックの苦痛に喘ぐだけの状態の儘、終わらない岩塊の踏路を歩き続けた。

脚の動きはますます緩慢になり、何度も休憩したので、葱平で次々に追い越していったグループ登山の徒に追い越され、其れを見送った。ひと息つけそうな避難小屋前には大勢の登山者が屯しているので、其の儘歩き続ける。次第に彼方に見える空が白く開けてきて、周囲は草地のお花畑になった。其の傾斜地に、奇岩が点在している。大雪渓を脱して、白馬岳頂上宿舎迄、登山地図に拠れば凡そ二時間のコースタイム設定だった。其の二時間が経過したが、霧に包まれたお花畑の勾配は、何時迄も続いた。人だかりがしている場所に近づいてみると、グリーンパトロール隊の女性が、現在咲いている花についての説明を行なっている。其れを遠巻きに拝聴しながら、頂上宿舎迄あとどれくらい登るのかと思うが、もちろんそんな無様なことは訊けない。

稜線は、直ぐ其処に在った。お花畑に点在する奇岩の向こうに、青空が広がる。糸魚川静岡構造線の上に向かって歩いている。唐突にそんなことを思う。一昨年に発生した、白馬の大震災のことを思い出す。長い年月の地殻変動で崩壊の歴史を重ねた、白馬岳の信州側の、険しい斜面を歩いているのだと、必要以上に自分に云い聞かせながら、苦悶と格闘して歩き続けた。其れから無心になって、国境の稜線が近づいてくるのを感じながら、俯いて脚を繰り出しているうちに、ふたたび周囲が霧に包まれてきた。何処迄続く泥濘ぞ、そんな言葉が脳裡に浮かぶ。絶望的な気持ちで顔を上げると、霧の中に薄ぼんやりと、白馬岳頂上宿舎の建造物が現われた。

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宿舎を大きく迂回して裏側に在る小屋に辿り着き、テント場の受付を済ませる。丸山の直下に在る窪地のような処に広がる幕場は広々としていて、未だ午後になったばかりだが、既に入口付近から十張りくらいのテントが設営されている。其の合間を通過して、周囲に誰も張っていないスペースを吟味して選び、荷を下ろした。疲労は、極限に達していた。一刻も早く眠りたい、その欲求で迅速にアライテントの設営を開始した。テントは直ぐに出来上がり、荷を広げて就寝の環境を整えてから、やっぱり麦酒を飲んでから昼寝しようと思い直し、ふたたび宿舎を迂回して表に在る自販機に買いに行った。

冷えた缶麦酒を堪能しつつ、紫煙を燻らせていると、頭の中が混濁してきた。もう何も考えずに眠ろうと思っていると、八名くらいの若者がやってきて、私のテントを囲むようにして三張り、テントを設置し始めた。愕然としながら其れを眺めていたが、もう止むを得ない。もっと奥が空いているから隣に張るな、などと、云える訳も無い。テントの中に潜り込み、思いの他暑いので半裸になって銀マットに倒れこんだ。間もなく睡魔が訪れようとしたが、否応無しに聞こえてくる若者たちの会話が気になる。暫く耳をそばだてると、大量の酒と食材を担いできたようで、此の儘宴会に突入するものと察せられた。思わぬ事態に暗然とするが、もうどうでもよい。眠りは、不意に訪れたようだった。

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