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2016年9月

白馬岳(後篇其の弐・山頂で初めてのブロッケン現象に遭遇する)

夜行列車の睡眠不足と、想像していた以上に苛烈だった猿倉ルート経由の疲弊で、白馬岳頂上宿舎裏手のテント場に、ほうほうの態で到達した私は、結局三時間以上も午睡を続けて、我に返った。テントの外が未だ明るいのを確認してほっとする。隣のテントから、若者たちの会話が聞こえる。酒宴は続いているようで賑やかである。会話の内容は、職場の話題ばかりなので、学生では無いと云うことが判る。否応なしに聞こえてくるので聞いてしまうが、話題の端々から察すると、医療、福祉関連業界の集団のようである。女性が一名だけ居て、あとは全員男性である。同僚が一斉に休暇を取って登山に行けるような業種では無いような気もするが、まあどうでもよい。

私が午睡に入る前から、職場の話題で盛り上がっていた集団は、未だに同じような話を肴にして飲み続けている。明日は白馬岳で御来光を拝み、白馬鑓温泉経由で下山する、と云う計画のようである。其れにしても、と思う。此処迄登ってきて、酒宴は愉しかろうが、日常の由無し事を飽きもせずに喋り続けているのには、呆れつつも感心してしまう。私は珈琲を淹れて煙草に火を点ける。稜線の側に窪んだ小平地に広がるテント場から空を見上げると、陽は未だ中空に在って明るい。私は、七分丈のパンツにTシャツの姿で、薄手のウィンドブレーカーをサブザックに入れた。五月蝿いテント場から離れて、石塊の坂路を登り程無く、国境の稜線に立った。


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猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)

丸山から杓子岳への稜線が、未だ赤味の無い斜光に照らされ、其の陰影のコントラストが美しい。先程迄ごろごろしていたテント場を見おろす。日蔭になった窪地に、カラフルなテント群が寄り集まっている。稜線上の吹き抜ける風と眩い光に包まれて其れを眺めていると、なんとも薄ら寒い光景のように感じられる。正面には、立派な岩山が逆光のシルエットで、立ちはだかるようにして屹立している。机上の地図で眺めると、白馬岳の稜線から派生する、なんでもないような山に思える旭岳である。実際に対峙して眺める旭岳の姿を見て、やはり山は実際に登ってみないと判らない、そんなことを再認識する。

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写真で何度も見たことのある白馬山荘が聳え立っている。其れに向かって登り続けて、山荘前の展望所に大勢の人が佇んでいるのが目視できるようになったので、立ち止まり振り返った。雲海に浮かんでいる峻険で壮麗な山塊は、鋭利な三角形の剱岳と、立山連峰だった。唐松岳から眺めた、霧の中から忽然と現われた剱岳を思い出す。あの時の感動には遠く及ばないが、黄昏の雲海に名峰が静かに浮かんでいるのは、また格別の眺めである。

山荘の玄関と展望レストランの間を通り抜けると、いよいよ白馬岳の山頂が、直ぐ其処に在った。砂礫の登山道を登り続けて、振り返ると山荘も旭岳も、どんどん眼下に見るようになっていった。信州側から、目まぐるしく立ち昇る雲霧が杓子岳を覆っている。剱と立山は、陽炎のように霞んでいく。北西に傾いていく太陽の向こうに、朝日岳の稜線が曖昧に連なっているのを眺めながら、徐々に近づいてくる山頂に向かって、歩いた。

標高二九三二米、白馬岳山頂に到達した。黄昏の色の気配が忍び寄るピークには、人影が無かった。此れが、あの人が押し寄せる人気の山の頂なのかと思うと、少し意外な気がした。白い人工物が中空に立っている。新田次郎の「強力伝」に描かれた、壮絶な経緯で運ばれてきた風景指示盤が素気無く鎮座している。


昭和十六年と云う時代の価値観に思いを馳せながら、花崗岩の造形物に、そっと手を置く。眺望の出来る、石に刻まれた全方位の山々を記す文字は、風化の所為なのか、明瞭では無いのだけれど、其れは重要な問題では無い。自分が虫の息で登り詰めた大雪渓の猿倉ルートを、此れが背負われて来たのかと想像する。自分が体感してきた労苦を基準にして、「強力伝」の主人公が体感したであろう苛烈さに、思いを馳せてみる。冷気のような風が、白馬岳を通り抜けていく。私は茫然となって、断崖の淵のような形状の、白馬岳山頂に立ち尽くしていた。

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ぽつりぽつりと、登頂してくる人が近づいてくる。私は、頂上部から少し離れた処に移動して、紫煙を燻らせる。切れ落ちている信州側の断崖には、足首くらいの高さにロープが張ってあるが、踏み越えて落ちてしまったら一巻の終わりである。其の岩崖の底から、断続的に霧が吹き上げてくる。戸隠や妙高の山々の景色が霧の合間で見え隠れしている。不意に、目の前が真っ白になった。そして、唐突に、虹色に縁取られた人影が出現して驚いた。其れは徐々に彩度を失って、霧が晴れると消え失せた。視界が開けると、白馬村の麓に、巨大な山の影が現われた。成る程、影白馬、などと感心していると、ふたたび目の前が真っ白になって、不思議な虹の輪と、自分の影が浮かび上がる。

此れは何と云う名の現象だったかと、咄嗟に思い出せず、通りかかった若い男性に訊いてみた。ああ、ブロッケン、と、単独登山者は何事も無いと云う風に答えた。そう聞いて、ぽんと膝を叩きたくなるような気分になった。北アルプスに初めて足を踏み入れてから四年が経って、漸くブロッケン現象に遭遇したと云う訳であった。沈んでゆく陽の光は、灯滅前の蝋燭のように輝きを増していて、断続的に吹き上がる霧に輪光を照射する。其れは徐々に、勢いを失っていった。夢から醒めたような気分で、白馬山荘の向こうに広がる北アルプスの全景を眺める。杓子岳と鑓ヶ岳が、斜光によるコントラストで立体的に聳えている。

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何時迄も眺めていたい風景だったが、吹き曝しの山頂に留まるには、少し寒さを感じるようになっていった。薄着の儘登ってきた迂闊さで、止むを得ず、私は山荘に下りていった。落日の絶景が間もなく始まる。宿泊客が山荘の外に出てきて、後立山連峰の方角に向かって、思い思いに佇んでいる。私も其の群れに混じって、暮れていく山々を眺める。単独の壮年男性氏に話し掛けて、互いの山座同定を披瀝しているうちに会話が盛り上がってしまい、其れは愉しい時間だったのだけれども、薄着故の寒さが堪えてきた。会話を打ち切って、少し寂しそうな表情の壮年氏と別れ、私は頂上宿舎に向かって砂礫の道を下っていくことにした。

杓子岳の斜面がいよいよ赤く染まって、其れから、徐々に明度を下げていく。登山道が途端に薄暗くなっていくような気がした。夕陽は旭岳の向こうに隠れて、端整な山の容姿が、紅く縁取られたシルエットになった。遠くに浮かぶ立山連峰は、棚引く雲と一緒に朱色に染まって、静かに佇んでいる。私は、薄着で黄昏の山頂に登ってきたことを、何時迄も、後悔した。


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白馬岳(後篇其の壱・冷風の白馬大雪渓)

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瓦礫の合間を縫うようにして、大雪渓の入口に近づき、巨岩の傍らで久しぶりの軽アイゼンを装着した。雪は泥の暗色に混濁し、点在するのはクレバスと呼んでよいのかどうか不明だが、細くて黒い裂け目と、歩行を誘導する赤いマーキングの筋が茫洋と続いている。白馬大雪渓は、夥しい登山者と下山の徒が交錯しながら、行列が停滞していると云う光景で始まった。砂礫と雪が混淆する斜面で、下山の若い男女のグループが、一歩を踏み出しては滑りそうになって、深刻な表情で歩を進ませることができないでいる。ねえこれ通れるの、と若い娘が険しい顔で云った。瀟洒なウェアを着た恰好のよい若者たちが、及び腰で転びそうになりながら通過するのを随分待ってから、漸く登りの順番が来た。水分がべたついた雪は見るからに滑りそうにも見えるが、アイゼンの刃を差し込んで行けば問題なく歩くことが出来た。土踏まずの部分に装着する軽アイゼンなので、足裏の全てを踏み込んで雪渓に刻みながら歩いて行く。暫くは一心不乱に登り続けたが、霧が深くなり、周囲が真っ白になったので立ち止まった。


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猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)

振り返ると、雪の斜面を白煙の渦がくるくると舞いながら、走り去っていく。大勢居た筈の登山者の姿が消え失せてしまった、と思った途端、白煙の醒めていく彼方からぽつぽつと出現する。白煙と霧の狭間に、遠ざかる白馬尻の底が窺える。吹き抜ける風は天然の冷房を浴びているように涼しい。つい先程迄、灼熱の日照りを小屋の前で浴びていたのが信じられない。酷暑の続く東京から逃れる先を白馬大雪渓に決めたことに、私は改めて満足しながら、黙々と歩いていた。

広大な雪渓を、一列になって続いている登山者の軌道に、スケールを拡大させたクレバスの裂け目が近づいてくる。踏路が左に寄っていくと、今度は反対側から細い裂け目が現われてはっとする。其れでも一列になって歩くのが厭で、少し列から逸れて登っていると、下山してきた精悍な風貌の単独行者に、クレバスが続くので右に寄ったほうがよいと声を掛けられた。私は首肯して其れに従う。気分を落ち着かせるために立ち止り、右上の尾根を見上げる。白馬岳の主稜から分岐する尾根と、三合尾根の谷が、純白の雪渓になっている。視線を歩いていく先に転じると、吹きすさぶ冷風が止んで、青空が広がった。大雪渓の彼方に、鋸歯状になった杓子岳が明瞭に姿を現わす。随分登ってきたのだな、と思って時刻を確認する。白馬尻を出発してから、一時間が経過していた。

岩塊の島が雪渓の途上に現われた。心地好い疲労感が染み渡り、其処に乗り上がって休憩を取った。岩に座って、紫煙を燻らせながら、続々と登ってくる人々を眺める。瓦礫が剥き出しの杓子尾根の山肌から、加羅加羅と云う音と共に落石が起こっているのが確認できる。雪渓を転がる落石は無音なので注意が必要、と云う情報がどの程度のことか、見当が付かなかった。石塊が転がってきて、そんなに危険なものなのだろうかと思っていた。しかし、大雪渓の途上から杓子尾根を眺めると、崩落は頻々に起こっているのが判る。巨岩が谷間に落ちて、雪の斜面を転がってくると云う事態の深刻さが、現場にやってきて、漸く想像することができるのだった。

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大雪渓は断続的に霧に包まれ、其れが晴れると眩い青空が広がった。陰影の無い晴天下では、杓子岳は直ぐ其処に立っているようにも見える。尾根に侵食されて左に方角を変えていく雪渓の向こうに、もう白馬岳が在るのではと錯覚してしまう。そんな気分で軽アイゼンを、べた足で踏みしめながら登り続けていくと、右手に現われた尾根の麓に、登山者たちが雪渓から脱出していくのが見えてきた。白馬大雪渓は更に上部へと続いているが、雪解けが進行してクレバスが頻出すると云う理由で、此処からは通称「秋の道」と呼ばれる迂回路を辿ることになっている。秋の道は尾根上の道ではないが、茫漠とした白煙の雪渓から取り付くと、久しぶりに地面を歩くと云う安堵感を与えて呉れる。

岩崖に刻まれた踏路を慎重に歩き、大雪渓が左手に遠ざかっていくのを眺める。幾つもの大きなクレバスが横に広がって大きな口を開けて居るから、通行不能が一目瞭然であった。標高が上がるに連れて、崩落した岩の所為なのか、雪塊状に盛り上がった箇所も散見されるようになって、雪渓は巨大な瘤の集合体のようにも見える。此れがモレーンと云うものなのかと思うが、正確なことは判らない。

秋の道は岩の淵を丹念にトラバースしながら、唐突に高度を上げていった。岩崖の所々に、紫や黄色の花が咲いている。紫がイワキキョウ、黄色いのはミヤマキオン。花の名前は判らないから、後日写真を眺めて記している。大雪渓から細い登山道になったので、最初は渋滞していたが、勾配が激しさを増していくと、ハイカーたちは疎らになっていった。尤も、高山植物の咲き乱れる道で、皆が其れ等を眺めながら休憩している所為でもある。花に興味の無い私ですら、険しく続く岩礫の道の先に、花の咲き乱れる平坦地が広がると、思わず立ち止まってしまう。薄桃色に見える白い花を至近になって眺める。蕾が膨らんでいる途中のような花が房状になっている。どのような必要があって、此のような造形が生まれるのか。イワオウギの群落でそんなことを思った。

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対面に谷を見下ろすと、独立した巨岩が現われる。其の下に、廃材と鉄網が打ち捨てられている。葱平(ねぶかっぴら)の岩小屋跡を過ぎて、勾配を登り続ける。次第に疲労が押し寄せてくる。夜行列車明けの疲れが、徐々に身体に染み渡ってくる。高度が上がるに従って霧が深くなり、踏路の両側に広がるお花畑を眺めることで、なんとか気は紛れるが、次第に、想念の欠片も霧消してきて、重いザックの苦痛に喘ぐだけの状態の儘、終わらない岩塊の踏路を歩き続けた。

脚の動きはますます緩慢になり、何度も休憩したので、葱平で次々に追い越していったグループ登山の徒に追い越され、其れを見送った。ひと息つけそうな避難小屋前には大勢の登山者が屯しているので、其の儘歩き続ける。次第に彼方に見える空が白く開けてきて、周囲は草地のお花畑になった。其の傾斜地に、奇岩が点在している。大雪渓を脱して、白馬岳頂上宿舎迄、登山地図に拠れば凡そ二時間のコースタイム設定だった。其の二時間が経過したが、霧に包まれたお花畑の勾配は、何時迄も続いた。人だかりがしている場所に近づいてみると、グリーンパトロール隊の女性が、現在咲いている花についての説明を行なっている。其れを遠巻きに拝聴しながら、頂上宿舎迄あとどれくらい登るのかと思うが、もちろんそんな無様なことは訊けない。

稜線は、直ぐ其処に在った。お花畑に点在する奇岩の向こうに、青空が広がる。糸魚川静岡構造線の上に向かって歩いている。唐突にそんなことを思う。一昨年に発生した、白馬の大震災のことを思い出す。長い年月の地殻変動で崩壊の歴史を重ねた、白馬岳の信州側の、険しい斜面を歩いているのだと、必要以上に自分に云い聞かせながら、苦悶と格闘して歩き続けた。其れから無心になって、国境の稜線が近づいてくるのを感じながら、俯いて脚を繰り出しているうちに、ふたたび周囲が霧に包まれてきた。何処迄続く泥濘ぞ、そんな言葉が脳裡に浮かぶ。絶望的な気持ちで顔を上げると、霧の中に薄ぼんやりと、白馬岳頂上宿舎の建造物が現われた。

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宿舎を大きく迂回して裏側に在る小屋に辿り着き、テント場の受付を済ませる。丸山の直下に在る窪地のような処に広がる幕場は広々としていて、未だ午後になったばかりだが、既に入口付近から十張りくらいのテントが設営されている。其の合間を通過して、周囲に誰も張っていないスペースを吟味して選び、荷を下ろした。疲労は、極限に達していた。一刻も早く眠りたい、その欲求で迅速にアライテントの設営を開始した。テントは直ぐに出来上がり、荷を広げて就寝の環境を整えてから、やっぱり麦酒を飲んでから昼寝しようと思い直し、ふたたび宿舎を迂回して表に在る自販機に買いに行った。

冷えた缶麦酒を堪能しつつ、紫煙を燻らせていると、頭の中が混濁してきた。もう何も考えずに眠ろうと思っていると、八名くらいの若者がやってきて、私のテントを囲むようにして三張り、テントを設置し始めた。愕然としながら其れを眺めていたが、もう止むを得ない。もっと奥が空いているから隣に張るな、などと、云える訳も無い。テントの中に潜り込み、思いの他暑いので半裸になって銀マットに倒れこんだ。間もなく睡魔が訪れようとしたが、否応無しに聞こえてくる若者たちの会話が気になる。暫く耳をそばだてると、大量の酒と食材を担いできたようで、此の儘宴会に突入するものと察せられた。思わぬ事態に暗然とするが、もうどうでもよい。眠りは、不意に訪れたようだった。

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白馬岳(中篇)

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北股入の流れに沿って、砂利の林道が緩やかに蛇行しながら続いていた。生い茂る樹林帯の下を歩き続けて、唐突に視界が開ける。白馬岳の主稜と、小蓮華尾根、其の合間に分岐して落ちてくる支尾根が、続々と合流している谷間に、真夏の陽光が降り注いでいる。猿倉荘から黙々と歩き続けているが、バスを降りた時の夥しい人の姿も随分減ってきて、私の気分は徐々に落ち着いていった。順調に西へと辿る道の先に、岩塊の尾根が行く手を遮るように、眼前に現われた。大きく左に旋回し、岩尾根を迂回するようにして続く道が先細り、御殿場と呼ばれる広場から登山道が始まる。白馬登山の徒は、傍らの植物を愛でながらゆっくりと歩いているから、登山道は断続的に渋滞が発生した。先を急ぐ訳でも無いので穏健に留まって待ってはいるが、後続の徒が近づいているのに道を塞いで花の観賞をしている人たちの神経は判らない。リーダーと思しき人物は年季の入ったベテランの風情だが、できれば、そのような熟達した人程、専横的な態度にならないように自重してほしいと思う。


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猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)

木道が設えられたトレッキングコースが尽きる頃、遠くに広がる雪渓の谷間を背景に白馬尻の小屋が出現した。小屋の前に在る広場は大勢の人々で賑わっている。北アルプスの代表的なルートである、白馬大雪渓を直前に控えて、私は荷を降ろして休憩に入った。強い陽射しを遮るものが無い広場で、私は手拭いを頭に被って、ひとり紫煙を燻らせる。真夏の灼熱の太陽と、大雪渓のコントラストは、考えてみると非日常的な光景である。

出掛けてくる前に煩悶した、行く先に就いての逡巡が脳裡に蘇ってくる。北アルプスを登りたい、其の衝動の中に、此の有名な、一度は歩かなければならないとでも云うべき、白馬大雪渓が、今迄なかなか思い浮かんでこなかったのは何故だろうかと思った。同じように登山者で賑わう槍ヶ岳と比較して、何故だか白馬岳に、奥深い高山、と云うイメージが湧いてこなかった。スキー場やゴンドラが整備、開発されている白馬村の喧騒が、白馬岳に対する秘境のロマンティシズムを逓減させている。其れとは別に、私には白馬岳に対して、なんだか得体の知れない居心地の悪さを感じる理由がある。

白馬岳を「しろうまだけ」と呼ぶのは判っているが、頭の中で、どうしても「はくばだけ」と読んでしまうので困っている。長野県北安曇郡白馬村は「ながのけんきたあづみぐんはくばむら」である。地名や施設名などでは、白馬の正式名称は「はくば」なのに、白馬岳だけは「しろうまだけ」なのが、自分の中では非常に気分が落ち着かない。山登りに傾倒し始めた頃、登山に関する書物を濫読していたが、此の、白馬岳の読みに関することは頻々に出ていた。教えを乞いにきた初心者に、此れ迄の登山歴を訊ねると、はくば岳です、と云われて愕然とした、或いは苦笑した、と云うような著名な登山家の随筆を読んで、ひとり背筋に冷たい汗が流れたのを思い出す。白馬岳をはくばだけ、と呼ぶのは素人の証、てんでお話にならない、と云うのが、登山界に於ける常識なのかと思うと、其の傲然さに私は身構えてしまう。

「この立派な山に、以前は信州側にはこれという名が無く、単に西山と呼ばれていた。それがいつ頃からか代馬(しろうま)岳と名づけられ、それが現在の白馬岳と変わった。代馬よりは白馬の方が字面(じづら)がよいから、この変化は当然かもしれないが、それによってハクバという発音が生じ、今では大半の人がハクバ山と誤って呼ぶようになっている。この誤称は防ぎ難い(後略)」

深田久弥著「日本百名山」の、白馬岳の項からの抜粋である。やんわりとではあるが、「しろうま」「はくば」の呼び方に就いて、批判の色の濃い文章である。ベテラン登山者の知ったかぶりの態度を担保しているのが、此の名著の一節であるように思えてならない。代馬岳の字面の所以に就いては敷衍して諸所に書かれてあるので、其のことに関しては納得して受け入れることができるのだが、当て字とされる白馬に対しての、しろうまと云う発音の脳内変換が難しい。

此処、白馬尻小屋は百年以上の長い歴史を持つけれど、読み方は「はくばじりごや」の筈である。頂上直下の白馬山荘も「はくばさんそう」でよい。しかし、白馬岳が「しろうまだけ」なので、「白馬槍ヶ岳」はどうなるのかと思うが、此れは「しろうまやりがたけ」である。では、一昨年入湯した「白馬鑓温泉小屋」はどうなるのかと云うと、「はくばやりおんせんごや」である。施設名とは違って山の名は「しろうま」なのかと合点すればいいのだが、では此れから登る、施設名では無い「白馬大雪渓」はどうなるのか。そして明日訪れる筈の「白馬大池」はどうなるのか。どうなるのか、が繰り返されるばかりで埒が明かない。

多くの山の名前が年月を掛けて当て字を付され、変遷してきたのは事実である。かつて越後側からは大蓮華山と呼ばれていた山が、信州側から眺めることのできる代馬の雪形に纏わる名で統一され、更に当て字の白馬になって国土地理院の地図に記載されている。振り仮名は無いけれども、山名に時代に拠って読み方が変遷していくのが必然であるのならば、「はくばだけ」でもよいのではないかと個人的には思っている。

白馬岳から帰京して、話はずっと後のことになってしまうが、「登山詳細図」の踏査隊の会合が、八月の下旬に行なわれた。会合とは云っても内容は暑気払い、単なる飲み会である。私は酒の饒舌で、此の「しろうま・はくば問題」を滔々と披瀝した。山の諸先輩方は、嬉しそうな赤ら顔で、「しろうま」の根拠を語りだしたが、話せば話すほどあちこちから横槍が入り、論旨は藪道に入り込んでいった。中には、白馬山荘が「はくばさんそう」と読むことを初めて知り、衝撃を受けている人も居て、暑気払いの場は騒然となって、議論は過熱していった。

Hakubashiri

話を戻さなければならない。誰もが此れから始まる大雪渓の登りに昂揚して、人々の活気に溢れている白馬尻小屋前に戻る。傍らの老夫婦に乞われ、記念写真のシャッターを押してあげる。其の老夫婦の奥方が、其れではお先に、と云ってから、直ぐに追い越されるのにお先に、なんて変ね、と笑って、去っていった。私は、思いの他長い休憩になってしまったことに気付いた。大雪渓の直前に装着する筈の軽アイゼンをザックの外側に括りつけて、荷物を整え、出発しようかと思ったが、老夫婦に余り簡単に追いついてしまわないように、私はもう一本、煙草に火を点けた。

大いなる自然の造形に、自分の脚だけで挑んでいく。其の、何とも云えない緊張感と爽快感に立ち返ろうとして、私は紫煙を燻らせていた。はくばだいせっけい、否、しろうまだいせっけい……私は、脳裡に漂う些事にかぶりを振りながら、重いザックを担ぎ上げた。

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白馬岳(前篇)

2016年8月6日、土曜日。世間の諸事は、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックの開幕、そして71回目の広島原爆忌。其の深夜、私は新宿駅のプラットホームに降り立った。「ムーンライト信州」の最後尾車輌付近は、写真撮影をしている人々の塊のお陰で、其の先に進むことが出来ない。ホームの反対側の端を通って、自分の指定された号車を探す。今となっては古びた風情の特急用車輌に、郷愁のような感興と、旅立ちの緊張感を感じながら乗り込んだ。昨年の同じ頃に乗車した「ムーンライト信州」は、呆気にとられる程空席があったが、今日は殆どの座席が埋まっている。

漸く自分の座席を見つけると、隣席に妙齢の女性が座っている。ベテランの風情を醸し出している登山者だった。私はなんとなく安堵して、毎度御馴染みの巨大なクレッタルムーセンを網棚に載せた。僅かな空席を残した儘、ムーンライトは静かに新宿駅を発車した。篭もった音の車内アナウンスを聞きながら、見慣れた自分の街が闇に消えていくのを、車窓越しに眺めていた。日付の変わる立川を発車すると、座席が更に埋まって、車内検札がやってきた。私が提示した指定券を確認した若い車掌が、白馬迄行かれますか、と云った。私は、深く首肯した。

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猿倉(6:50)---白馬尻小屋(7:50)---大雪渓起点(8:30)---大雪渓終点(10:20)---葱平岩小屋跡(10:40)---避難小屋(11:40)---白馬岳頂上宿舎(13:00)---テント設営後休憩---白馬岳頂上宿舎(16:50)---白馬岳(17:20)


Moonlightshinsyu

昨年同様、早めに確保しておいた「ムーンライト信州」の指定券を眺めながら、今年初めての北アルプス行きに就いて、思案の日々が続いていた。土曜日の深夜に出発して、翌日曜に登頂、幕営後、月曜日に帰京する。想定外の事態に備えて火曜日も休暇を取った。此の時点で、私は未だに成し遂げていない、槍ヶ岳の登頂を目指すことにしていた。早朝の上高地を出立し、定石に倣ってババ平のテント場で幕営し、翌日を軽装備で山頂迄往復して、帰途に就く。其の日のうちに上高地から帰京できれば其れに越したことは無いが、徳沢、或いは小梨平に幕営してから、火曜日の早い時刻に帰途に就いても構わない。勿論、出立する日曜早朝の上高地から、槍の肩迄歩くことができそうであれば、重い荷物を背負ってのことだが、月曜日は余禄を持って上高地に戻れるだろう。そんな考えであった。

其処に、不測の事態が起こった。不測の事態と云うと物騒に聞こえるが、其れ程深刻な問題では無い。夜行列車で出発する土曜日の、日中の用事が無くなってしまっただけのことである。土曜日が自動的に休暇になってしまった。此れでは夜行列車に乗る意味が判らなくなってくる。早朝に出発すれば、土曜日のうちにババ平に到着できる。余禄を持って下山しても、月曜日の早い時間帯に帰京できそうである。其れどころか、と、私の思惟は宙を彷徨い始める。

土曜日の早朝に出発するのならば、上高地からのルートに固執する必要が無くなる。昼近くの穂高駅から中房温泉経由の燕山荘迄。其れで常識的な時刻に到達し、テントを設営できることは過去の経験で判っている。表銀座縦走路を踏破して、日曜日の夕刻に槍の肩に到達し、幕営することも可能かもしれない。槍ヶ岳は憧れの山である。燕山荘から稜線を辿りながら、北アルプスの絶景を眺めながら、槍ヶ岳を目指す。其れは想像すればするほど魅力的な計画に思えてくる。

ではそうするか、と決断すればよいのに、なんだか気持ちの奥底に引っ掛かりが在る。せっかくのムーンライトの指定券を放棄することに抵抗感を覚える。こんなことならば金曜日の深夜に出発するのを予約すればよかった。しかし、もうどうにもならない。「ムーンライト信州」のチケットをキャンセル処理するために、最寄のJRの駅に行かなければ、と思うが、なかなか其の行動に移ることができない。時間だけが確実に過ぎていき、とうとう出発の三日前になってしまった。

ムーンライト信州の指定券を保持した儘、乗車しない輩のことを、今迄批判して書いてきた。乗るのか乗らないのか、乗らないのならば早くキャンセル処理をしなければならない。此の儘では世間に対して道義的にそして多義的に、迷惑を掛けてしまうではないかと、焦燥の儘に自問自答を繰り返した。そして、私の中の、ピンと張り詰めていた糸が、ふっと切れてしまった。

思案の挙句に、私は本懐である槍ヶ岳登山を断念して、行く先を白馬岳に変更することにした。「ムーンライト信州」の指定券を放擲するのが惜しい、と云うことの他に、土曜日の朝に出発して、其の日に幕営すると云うことに一抹の危惧を覚えたのが理由である。槍ヶ岳の最短経路の途上に在る、ババ平のテント指定地の混雑を想像した。此れ迄も、北アルプスに赴く場合は、土日に跨る行程を、極力避けてきた。ババ平のテント場は狭小であると云うことが、インターネットの情報で窺い知れる。そして、表銀座縦走路経由の燕山荘幕営地の混雑ぶりは、既に経験済みであった。燕山荘に夕刻到着して、空いているテントスペースを探すのに、少々の手間が掛かった記憶を呼び戻してみる。あれは平日のことであった。土曜日の燕山荘に幕営すると云うことが、途端に嫌になった。

消極的な意味で、ムーンライト信州に乗って北アルプスに行くと云う、茫洋となっていった思案の行く先が、青春18きっぷの、距離を稼げば稼ぐ程得をすると云う、自分の品性を試されるような要素と要因によって推移していった。信濃大町で下車し、扇沢から未踏の鹿島槍ヶ岳を目指す、そんな計画が先ず浮かんだ。しかし、其れは、槍ヶ岳の代替品として鹿島槍に行くようにも見える。槍違いで安易に鹿島槍に登ることにしたようにも見える。鹿島槍ヶ岳を貶める行為である。そんな気がしてきた。なんだか気が咎める。私は違う目的地を思案し始めた。出発の日が近づいている。

其れから、白馬大雪渓を登って、白馬岳に登ると云う案に至る迄、然程の時間は掛からなかった。槍ヶ岳に比肩するスター性を、白馬岳は持っているように思えた。白馬岳も、自分が代替品とは思わないだろう。猿倉を訪れるのは、あの壮絶な経験であった、不帰キレットの行程以来である。あの時は登山者の群から外れて鑓温泉を目指したが、今度は、マジョリティの一員となって、名高い白馬大雪渓を初体験する。其れも妙案だと思い至った。云う迄も無く、白馬駅迄、ムーンライト信州に乗り続けることで、青春18きっぷの利幅が大きくなる。帰途も白馬から東京迄乗車するので、効用が倍増する。どうも、北アの計画に於いて、此の青春18きっぷに邪念を注ぎ込まれているような気がしないでもないが、止むを得ない。

隣席の女性が、安眠マスクと耳栓をして、順序良く睡眠に入った。手馴れたものだと感心しながら、私もいつしか眠ったようだった。浅い眠りは、塩山や甲府で途切れたが、はっきりと覚醒したのは、塩尻に着く直前だった。時間調整の為に長時間停車する塩尻駅のホームに出て、紫煙を燻らせる。全く同じ時刻に、此の駅で未明に煙草を一服した、昨年の夜行日帰りの焼岳のことを回想する。一年の時の流れが、此の時突然実感として湧き上がってきた。

今年は、昨年程自分が鬱屈していないのを感じる。単独行の夜行利用が厭で仕様が無かったが、今では其れ程でも無くなった。経験による感覚の麻痺なのか、物事をペシミスティックに受け入れることに慣れてしまったからなのか、其れとも齢を重ねた挙句の諦念なのか、判らないけれども、私は何とも云えない安穏とした気分だった。

松本、穂高で乗客が漸次下車して、車内は閑散としていく。隣席の女性が別席に移動したので、私はサンダル履きから登山靴に、山行きの準備を始める。信濃大町を発車して、何時も見惚れる海ノ口駅を通過すると、仁科三湖が車窓に現われて消えていく。そうして、二年ぶりの白馬駅に到着した。ゆっくりの足取りで、駅前のバス乗り場に向かうと、既に猿倉行きの長蛇の列が出来ていた。座れるだろうかと不安になりつつ列の最後尾に並んだ。

バス会社の係員は手馴れた風で、八方の人は向こうのバス停に、栂池には行きません、などと声を張り上げて、間違えて並んでいる人々をテキパキと炙りだして指示を与えている。行列は徐々に前に移動していき、程無く現われたバスに乗車すると、私はなんとか座ることが出来た。乗客は途切れることなく増えて、ザックと人間ですし詰め状態になった猿倉行きバスは、慌しく発車した。そうして、私の北アルプス行が、漸く始まった。

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