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大菩薩嶺・小金沢連嶺(前篇)

大菩薩連嶺は北の黒川鶏冠山に端を発し、南の滝子山に至る、と書かれている場合が多いようだが、稜線は遥か北方から続く奥秩父山地に属している。大菩薩峠から南に位置する石丸峠より、湯ノ沢峠に至る稜線を小金沢連嶺と呼ぶから、連嶺の区分は曖昧に名称を付されているようにも感じられる。未踏の頂きである大菩薩嶺から、中央本線の笹子駅迄、途中でテントを張って一泊しながら、秀麗富岳を眺めながら、歩いてみようと思う。

2015年の山行は、此処数年の中で、著しく消極的な結果の儘、終焉を迎えようとしている。なによりも、北アルプスの幕営行が出来なかったことが、心の空虚を支配している。今年の北アルプスは、結局焼岳の夜行日帰りのみになってしまった。其れでも、何とかならないものかと云う気持ちで、10月の下旬に続けて休暇を取ったが、北アに脚を踏み入れるには、季節的に少し遅すぎるのではないか、と云う不安が纏わりついて離れなかった。其れで、山中で一泊する行程を考えて、大菩薩連嶺が浮上した。其処で個人的な懊悩が湧出する。

よもや「百名山完登を目指してます!」と云う程の輩が、深田久弥『日本百名山』を読んでいない、なんてことは無いでしょうね。屈託の無いハイカーに対して、私は内心で、皮肉を呟くのであるが、其れでは『大菩薩峠』はどうするのだ、と云われると、どうしようもない。読んだことがない。だから、大菩薩嶺に登ることに、少々の躊躇があって、其の儘になっていた。

「フリー百科事典ウィキペディア」の大菩薩峠を覗いてみる。其の解説によると、

「幕末が舞台で、虚無にとりつかれた剣士・机竜之助を主人公とし、甲州大菩薩峠に始まる彼の旅の遍歴と周囲の人々の様々な生き様を描く。連載は約30年にわたり、話は幕末から明治に入らずに架空の世界へと迷い込み、作者の死とともに未完に終わった」

と云う、幻想小説的なことが書いてある。続いて、あらすじの項を拾い読みしてみると、

「甲州裏街道(青梅街道)の大菩薩峠で、一人の老巡礼が武士机竜之助に意味もなく斬殺される」「与八にかどわかさせて、お浜の操を犯してしまう。あげくに竜之助は試合で文之丞を惨殺」「果し状を受け取った竜之助は、悪縁のお浜を諍いの末に切り捨て、兵馬との試合をすっぽかし、新選組に居場所を求めて京都へ向かう。しかし、竜之助は、近藤と芹沢の争いで揺れる新選組をよそに、遊郭の里島原で狂乱し、またも失踪する」

と、凡そ甲州の山で繰り広げられる朴訥とした物語、と云う訳では無さそうで、此れから出立する大菩薩嶺の山行に、格別の関連が在るとは思えない。だから此の問題は据え置いて、出掛けてみようと思う。大菩薩峠は本来、江戸と甲斐を結ぶ青梅街道の難所で、丹波山村から続く「丹波大菩薩道」の尾根を登り詰めた処に在る、妙見ノ頭の直下の箇所を指していたと云う。現在は賽の河原と呼ばれ、避難小屋が建っている処である。今、大菩薩峠と云うのは、くだんの丹波大菩薩道から、妙見ノ頭を捲いて、南の鞍部に辿り着いた処になっている。峠の実情としては適切な場所に設定されているように思う。其の大菩薩峠に「介山荘」が在るので、中里介山の小説『大菩薩峠』を読んでいないことが気に掛かってしまっていたが、もうどうでもよい。

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2015/10/18

大菩薩峠登山口バス停(8:20)---丸川峠(11:00)---大菩薩嶺(13:00)---大菩薩峠---石丸峠(14:50)---小金沢山(16:20)

早朝の中央本線普通電車に乗り続けて、塩山駅のプラットホームに降りると、夥しい数のハイカーが溢れんばかりで、面喰うと同時に、登山口に向かうバスに乗車できるのだろうかと、恐怖感を覚えた。其れは駅前広場に出ると、全くの杞憂に終わった。殆どの人が、乗り合いタクシーを予約しているようで、裂石に向かうバスに乗車したのは、五、六人程度であった。そうなると却って、身勝手な想念であるが、路線バスの命運が心配になってくる。裂石から、上日川峠行きのマイクロバスを接続させたら利用者が増えるのではないか、そんなことを思案しているうちに、勾配を上げた車窓から、山里の風景が広がった。私は漸く虚ろな気分から、山登りを始めるのだ、と云う高揚感に包まれていった。

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終点の大菩薩峠登山口バス停は、番屋茶屋の敷地内で、高齢のハイカーたちが中で談笑している。私は所在が無い気持ちの儘、車道を歩いた先の公衆トイレに立ち寄り、身支度を整える。出発して、舗装路の坂を歩いていると、自家用車が頻々に追い越していく。今日は「甲州フルーツマラソン大会」の当日で、参加者関係の車が上日川峠に向かっているものと思われた。私は幕営行のザック、クレッタルムーセンHuginに、今日も荷物を膨らませて背負い、歩いている。不快な自家用車の気配から逃れるために、早く丸川峠の分岐に到着したい。裂石止まりのバスは、やはり実情に添ってはいないと云う実感を、荷物とともに背負いながら、私は歩き続けた。

丸川峠分岐の駐車場に到着すると、車が溢れんばかりに並んでいる。大菩薩嶺に登るために、北東方向を巡って丸川峠経由のルートを辿ることにしたのは、上日川峠の喧騒を避けると云う漠然とした予感があったからで、其れは的を得た結果になったようであった。林道が心細いような感じでみそぎ沢に沿って辿っている。山間の、陽が当たらない、落葉が敷き詰められた道を、黙々と歩く。呼吸するたびに、冷たい空気で体内が満たされていく。徐々に勾配を上げた林道に、木漏れ日が差し込んでくる頃、右手の尾根に向かって、ジグザグに登り詰める踏路が分岐していた。

大菩薩連嶺に繋がる支尾根に漸く乗り上げて、自然林の立ち並ぶ登山道を歩く。紅葉は疎らに始まったばかりのようで、細尾根から谷を見渡せるような箇所で、時折赤く染まった木々が散見される。下山してくる人々は、小屋泊まりなのであろうか。ふた組と擦れ違った。眺望の利かない登りの果てに、少し疲労感を覚えた頃だった。周囲は黄葉の木々が陽光に映えて、明るさを増していった。尾根道が平坦になって、青空が広がる。切り拓かれた枯芒の道が辿っていく先に、丸川峠の山小屋が在った。

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尾根が緩衝し合って平坦になった場所に、赤く色づいた木々が点在している。晴天で風も無い。丸川荘の裏手に在る木製ベンチで、私は紫煙を燻らして休憩する。小学生くらいの子供を連れた家族が、のんびりと食事を摂っている。時の流れが判らなくなるような心地好い空間であったが、間もなく十人近い数のグループが到着して、雰囲気は台無しになった。尤も、大菩薩の日曜日であるから、此れも止むを得ない。私は、銜え煙草の儘、出発の準備を始める。大人数のグループの、禍々しい視線を感じたような気がした。

山の上の箱庭のような丸川峠を、時折振り返って眺めながら、大菩薩嶺に至る主稜線を登っていく。登山道は、支尾根が分岐する小ピークを丹念に捲いて辿っていた。トラバースは北面が多く、周囲の光景は一転して寒々しいものに変わっていく。針葉樹林帯に入り、眺望の無い儘、頂上直下の急勾配を避けるようにして、登山道がカーブを描きながら続いていた。相変わらずの樹林帯が周囲を覆う中を、登り詰めた処が大菩薩嶺の頂上であった。其の標柱の周りに、大勢の人々が屯している。唖然としながら其れを眺めつつ、歩を進めていった。

大菩薩嶺山頂は、想像以上に何の変哲も無い平坦地で、夥しい人々が食事の休憩を摂っている。団体旅行の旗を持ったガイドに連れられて登頂した人々が、順番待ちをして記念写真を撮影している。一刻も早く立ち去りたくなるような場所だったが、空腹に抗えず、山頂の片隅に座り込み、食事をすることにした。其処で重大な過失が判明した。

チタニウム製のカップに水を注ぎ、焜炉を組み立てようとして背筋が冷たくなった。カセットガスの缶は在るが、肝心のバーナー部分が無い。家庭用ガス缶を使用できるので重宝している、SOTO製ST-310を持ってきた積もりだったが忘れてきてしまった。湯を沸かせないので、握り飯だけを頬張る。足りないので非常食の菓子パンも食べてしまう。賑々しい周囲の人々に気を遣いながら、煙草に火を点ける。全身が弛緩していくのが判る。紫煙を吐き出しながら、樹林に囲まれた山頂の空を見上げようとするが、木々に遮られて、空は見えない。

現在時刻を確認する。午後一時を過ぎて間もない。此奴等は、そう思いながら周囲を見渡す。タクシーを雇って、あるいは甲斐大和駅行きのバスに乗って帰るのであろう。私は、裂石に戻って此の儘帰宅すると云う計画変更に、全く違和感を抱かなかった。携帯焜炉が無い儘、テント泊を敢行できる訳が無いと、瞬時に断定していた。日本百名山、大菩薩嶺。大荷物を背負って、丸川峠経由の長い道のりだった。歩荷の訓練とでも結論づけて、大菩薩、小金沢連嶺の縦走は幻と化し、此の儘下山する他に術は無し、其れも止むを得ない、そう考えた。

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相変わらずの喧騒が続く大菩薩嶺から南下して、間もなく広大な眺望が現われた。人造の大菩薩湖を手前に、甲州の市街地が、霞んだ儘地平線迄続いて広がっているのが見渡せる。雷岩の周囲には、先程とは比較にならない程に夥しい数のハイカーが蠢いていた。若い男女のグループが多い。嬌声が混淆して眺めのよい稜線を漂っている。ハイカーが押し寄せて止まない、良景の稜線が、介山荘迄続いているのであろう。岩場をパスしながら、立ち止まって風景を眺める意欲も無く、私は歩き続けていた。詰まらない処に来てしまった。そんな想念で、何かに圧迫されているような心持ちで、脚を繰り出していくばかりだった。

歩いているうちに、私の内面に異様な憤りが湧いてきた。今年は北アのテント泊が出来なかった。其れで思い切って連休を取得し、遂に槍ヶ岳に登ろう、などと考えていた挙句に、十月下旬の北アルプスの幕営に不安が募り、計画を断念した。仕様が無いから、大菩薩連嶺でも歩くか、と思い立ち、結局は怠惰の代償を支払うようにして日帰りで下山する。そんな自分に怒りが湧いてきた。私は歩きながら憤怒に駆られた末に、此の儘連嶺を歩き続けて、何処かに幕営して縦走を敢行する決断をしていた。食料は握り飯が二個、そしてインスタント麺が三個。湯を沸かす為の水は有り余る程に在る。飢えに苦しむことは無い。温かいラーメンと、温かい珈琲を断念すれば済むことなのだと思い直したのだった。

踏路が緩やかな下りになって、眼下に整地された広場が現われた。いにしえの大菩薩峠、現在は賽の河原となっている、大菩薩峠避難小屋が在る箇所だった。広場の中央に、ケルンなどとは呼べない程、堆(うずたか)く石の山が詰まれている。三途の川が虚空に向かって、直ぐ其処に漂っているかのように。其の畔に、私は腰を下ろした。避難小屋の前を、カラフルな衣装の若いハイカーたちが、おしゃべりに余念が無い風で、通り過ぎていく。避難小屋は、誰でも泊まっていいんだよね。若い男性が云う。でも、セキュリティが心配ね。若い娘が真面目な口調で云った。私は、茫然とした儘、紫煙を燻らせて休憩していた。

親不知ノ頭、と記された道標の瘤を越えて、介山荘を見おろす地点に立った。崖地は草に覆われ、背後に熊沢山のピークが盛り上がっている。遠目に眺めると、まさに峠の茶屋と云う風情だった。大菩薩峠、の古びた標柱が立つ介山荘に到達する。先程迄の情景から転じて、鞍部は霧に覆われていた。多くの人が行き交う光景は、現在はハイカーたちなのだが、昔日の交易路の要衝を想像させる風情も併せ持っていた。尤も、私は云い様の無い寂寥感の儘、足早に大菩薩峠を背にして、ひと気の無い山道に向かって歩き始めたのだった。

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鬱蒼とした大菩薩峠南側の小ピークへと登り続ける。誰も来ないと思っていたが、数人と擦れ違った。樹林帯が途切れて南面の眺望が開き始めた頃、熊沢山と記された道標が現われる。笹薮に挟まれた登山道を斜めに下って、一挙に眺望が広がる。熊笹の高原が広がる石丸峠の、其の奥に山々が連なっている。小金沢連嶺は、裾から湧きあがる霧を纏いながら、傾きかけた緋色の陽射しを浴びて佇立していた。

石丸沢の詰め上げた峠から、無機質にさえ感じる静けさの人造湖を眺めつつ、小金沢連嶺の稜線を歩いていく。直ぐに乗り上げる瘤のピークから、徐々に奥多摩方面に連なる尾根が見えてくる。牛ノ寝通の分岐を越え、1957mピークで小休止する。時刻は午後三時を過ぎていた。今夜の寝床をどうするか。考え始めるべき時刻だった。漠然と、今回の行程を考えて、小金沢山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、或いは其のふたつの山の中間に、平坦地が在れば、テントを張ろうと考えていた。しかし、気分としては、もう適地が在れば張ってもよいだろうと、思い始めていた。石丸峠を過ぎてからは、誰とも出会っていない。私は、漸く孤独感を愉悦のように、感じ始めていた。

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小ピークを下りきって、広々とした笹原に到達した。地図上に記されている、狼平であった。作業道が分かれている地点に道標が立っている。其の傍らに、テントを張ったような跡が在った。私は、暫し其の場に立ち尽くして黙考した。幕営に申し分の無い場所であった。空を見上げる。青空が広がる草地に佇んでいると、静寂の中から風の音が徐々に、聞こえ始める。私の心裡が、何故だか不安に転じてくるのを感じた。狼平と云うネーミングの所為かな、などとも考えたが、だだっ広い処にひとりで幕営するのが、なんとも心細いように思えてきたのであった。

其れで、ふたたび歩き始めた。脚は既に疲れきっていて、緩やかな尾根登りが、やるせなさの気分が入り混じって辛く思えてくる。縦に細長い尾根を登り詰めて、樹林帯に突入していく。周囲は薄暗く、此の儘陽が暮れてしまうのではないかと思っていたら、唐突に小金沢山の頂上に辿り着いた。山頂は南と東の方角に眺望が開けていた。黄昏の陽差しが山名板を照らしていたが、其の明るさは、間もなく山裾に沈んでいった。

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狭い山頂だったが、標柱の横になんとかテントを張った。全ての荷を下ろして、ウヰスキーの入ったスキットルを手にして、落日とは反対側の、奥多摩方面の黄昏を眺める。雲海が徐々に広がり、長峰の連なりや、雁ヶ腹摺山が、絶海の孤島のように浮かんでいる。薄暮に地平線が紅く染まっていく。雲海が激しく移動して、南の空の向こうに、富士山が現われた。小金沢山からの眺望は、夜の境界に近づいていくほどに、明媚となっていくようであった。

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