« 大菩薩嶺・小金沢連嶺(後篇) | トップページ | 飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(前篇) »

山上の白霧・毛無山の往復

Kenashi_0


毛無山に登ってきたことを記す。そうは云っても何処の毛無山かと問われる場合も、あるかもしれない。同名の山が日本国中、幾つ在るのかは知らないが、随分沢山在りそうである。富士五湖のひとつ、本栖湖の南面から、静岡、山梨の県境をなぞるようにして、天子山塊が連なっている。竜ヶ岳、雨ヶ岳から天子ヶ岳迄、富士山の西側を縦断している山並みの最高峰が毛無山で、毛無山と名の付く山では最高峰とのことである。其れに登った。標高1964mの最高点ではなく、一等三角点の在る1645.5mが登頂点とされていて、其処に立っただけである。
河口湖からバスで一時間近く掛かって辿り着く朝霧高原が毛無山の登山口であるが、公共交通機関を利用して、わざわざこんな処には来ない。今回は友人の間戸井君との、久しぶりの山行である。わが友人が自家用車を導入してから、此れ迄行く気にもならなかった山に、登ることが出来るようになったのは非常に有難いことではある。しかし、彼の登山への情熱とでも云うものは、衰微の一途を辿り、とどまることを知らない。今回の友人の主題は、焚火台を購入したので薪を持ち込んでキャンプ場に自家用車を乗り入れ、焚火をしたいと云うことである。其れで朝霧高原迄、遥々やってきたのである。毛無山登山は謂わば其のついでのようなもので、我が登山隊の目的は、言葉にするだけで堕落してしまいそうな気分になる、所謂オートキャンプなのであった。登山がオプショナル・ツアーのような恰好になり、甚だ面白くないが、止むを得ない。

Kenashi

2016/4/9

麓(9:30)---不動の滝見晴台(10:10)---富士山展望台(12:25)---毛無山(13:00)---麓(16:10)

河口湖インターで高速道路を下りて、国道139号を延々と走る。富士山は曇天にも係わらず、全容を表出していた。常識的な時刻にキャンプ場入りする為に、毛無山の往復時間を逆算して出発する筈であったが、間戸井君は寝坊をした関係で、一時間以上も遅れて私をピックアップして呉れた。週末の中央道を都心から出発するには危険な事態で、案の定小仏トンネル付近で渋滞に巻き込まれた。果たして毛無山に登る時間はあるのかと内心で苛立っていたが、其の後は順調に移動できたので、毛無山の山麓にある、其の名もずばり「麓」と云う集落に在る、登山口の駐車場に到着したのは、午前九時を過ぎた頃であった。山頂迄、メインの登山道を往復してきても、午後三時には戻ってこれる時間である。有料駐車場は、無人の料金箱に駐車料金と車輌情報を記した封筒を入れておくと、追って自動車のワイパーに領収書を挟んで呉れると云うシステムのようであった。何はともあれ、登山口に此処迄簡単に到達できるのは、自動車の恩恵である。素直に感謝して、登ってこようと思う。

林道のゲートを越えて歩き出す。神社と金山の採掘場跡を通過して、間もなく、雪見岳と金山の鞍部へと詰める沢からの瀬音が聞こえてくる。谷が広がって林道が尽きようかと云う地点で、水の無い沢を渡渉して、尾根に登り始める。地蔵峠に向かう道と分岐する堰堤から、漸く登山道らしくなった。樹林帯の尾根道は、つづら折になって登り、迂回を繰り返す割には急登であった。何度目かの折り返しで、先程自家用車で走ってきた、ふもとっぱらと云う名の、整備されたキャンプ場を見おろす景色が広がった。靄靄とした空に、富士の姿はすっぽりと隠されていた。尾根に乗ってからは、自然林の中を明るい陽光を浴びながら登っていく。随分歩いた処で、一合目、の標識が現われたので、未だ先が長いことを知る。

Kenashi_1

徐々に巨岩が折り重なるようになって、ロープが垂らされている箇所も現われ、登山道の風景は一変した。細尾根の脇を辿るように登り、徐々に濠音が聞こえてくる。尾根上に出ると、錆びた鉄板に「朝霧高原から下部温泉コース・不動滝」と記された道標が、朽ちた儘捨てられていた。此処が登山地図に記された「不動の滝見晴台」で、岩の上に立ち、此処迄登ってきた尾根の反対側の断崖の先を眺めると、山腹に抉られた岩壁に見事な滝が落ちている。落差二百米の不動滝は二段になって落ちていく形状で、雨天続きの所為か、充分な水量で瀑音を響かせている。歩いて登ってこなければ見ることができないと思うと、堪えられない名瀑のようにも見える。

小休止を終えて、次は登山地図に記されているポイントの、五合目を目指す訳だが、其の途上では二合目、三合目と、丹念に道標が立っていた。岩塊の合間を登っていく箇所も増えて、随分歩いたのに、漸く現われたのが三合目の手製道標だと思うと、却って疲弊が誘発されてくる。間戸井君は岩場が頻発してくるようになって動きが鈍重になっている。此れはいつも通りのことであるから、然程どうしようと云う想念も湧かない。途中でレスキューポイントの看板が立つ平坦地が現われ、其処で後発のハイカーに追いつかれる。中年の夫婦は、ふたりとも苦悶の表情で通り過ぎて行った。

五合目に到着すると、朝霧高原から下部温泉コース、の鉄製看板が、今度はきちんと樹間に設置されていた。五合目であるから道半ばに達したことになるが、標高は未だ千四百米で、あと五百米以上も登ることになる。高度が上がるに連れて、自然林の枝は疎らな感じになり、春の雰囲気が逓減していく。天子山塊の南方面に連なる山々が見渡せるようになってきた。登山道の尾根は等高線の幅を見ると首肯できるが、存外に急峻である。天子山塊の姿を、右側が開けたり左側になったり、道筋が右往左往するので交互に眺めながら登っている。右側が開けると対岸に、毛無山最高点からの支尾根が峻険な形状で麓集落の方に落ちていくのが見渡せる。其の一角が鋭利な小ピークになっているのだが、友人は其れを見るたびに、あれが毛無山の頂上ではないかと云うので、私は其のたびに説明して否定する。延々と続く急登に、間戸井君が飽きてきているのは薄々判っている。今日も途中で足の痛みを訴えられるのかもしれないと警戒したが、特に其のようなことは無い儘登り続けた。オートキャンプで焚き火、其の愉しみが在るので、なんとか持ち堪えているのかもしれない。

Kenashi_2

忘れた頃に現われる、六合目、七合目の道標を通過して、一時間が経過しようとしていた。先頭を行く間戸井君が下山の徒に話し掛けられて立ち止まった。壮年の男性は、自分は毛無山の管理を任されていること、三千回の登頂を目指していること、此の辺りでは名物おじさんと呼ばれていること、何合目、と云う標柱は自分が設置したこと、などを披瀝した。三千回を目指すと云うからには二千回以上登っていることになるのだろうが本当か、と其の時は疑念を抱いた。名物、を自称されると、其の信憑性は愈々薄まってくるようにも思えるので、後日、インターネットで検索を掛けてみた。其の結果、多くのハイカーが毛無山登山に於いて、季節を問わず名物おじさんと遭遇しており、五年前くらいの記述では、登頂千八百回と公言している記事も発見した。五年間が経っていることを考えると、名物氏の現在の登頂回数が、二千回を越えていても不思議ではない。疑ってすみません。と、今更ながら思う。名物氏の、毛無山への称賛の言辞は止むことがなかった。二週間前には田中君も来たからね、と云うので、一瞬何のことかと思ったが、どうやら田中陽希氏のことのようであった。

名物氏は、もう直ぐ展望台で、九合目が稜線だから登りは其処で終わりと云った。其れで友人は非常に上機嫌となり、凄い人と出会えたな、などと云っている。しかし、もう直ぐ、と云われた展望台はおろか、八合目の標柱もなかなか現われないので、間戸井君はふたたび寡黙になってしまった。瓦礫混じりの斜面の、何でもないような処に漸く八合目の票が立っており、此の時点では名物氏に疑念を抱いていた私は、此のポイントの根拠は何なんだろうね、などと悪態をついた。友人は、其れでも名物おじさんを擁護するように、何度も登っているから距離を算出したんじゃないか、と云った。

直ぐに到達すると云われてなかなか辿り着けず、無言になって勾配を登り続けているうちに、ふと見上げると、ひと際巨大な露岩が突き出るように行く手を遮っている。其れを右側から回り込んで登っていくと、其の巨岩の上が富士山展望台なのであった。先着していた、先程追い越していった夫婦が記念撮影をして寛いでいる。我々を確認して、ふたりは場所を譲るように出発して呉れた。

富士山展望台からの眺望。此れは見事であった。ゴルフ場などの整備された人工的な緑地が広がる朝霧高原、其れを前景に、富士山を中心とした箱庭のような風景が一望できる。纏わり付いていた雲が徐々に流れ、やがて富士山の五合目辺りから上部が姿を現わす。頭を雲の上に出し、と云う唱歌の通りの富士山だった。程よい標高から対峙して眺める富士山は、北斎の画のような遠近感で、麓から仰ぎ見る富士とは趣を異にする。苦労して登ってこなければ味わうことができない。我々は昂然として、暫く巨岩の展望台に佇んでいた。

息を吹き返したような気分で、最後の尾根登りを開始した。名物氏の距離感と我々の其れとは、著しく乖離していると云う認識を新たにして、稜線上の九合目を目指す。欲を捨て、ゆっくりと登り続けるうちに、天子山塊の稜線の上に乗った。下部町観光協会製の道標が在る分岐点の周囲は、潅木で眺望は無いが、毛無山方向に少し歩くと、西側に突き出た巨岩が在り、明らかに名物氏の筆跡で、北アルプス展望台、と記した票柱が立っていた。岩の上に立つと、前衛の身延山の向こうに、銀嶺が並んでいるのが見渡せる。南アルプスの上部を見渡している訳だが、北アルプスの眺望が可能なのかは定かではない。

緩やかな傾斜の踏路を辿ってくうちに、霧が深くなってきた。樹木が途切れ、明るさの広がった処が毛無山の頂上広場で、食事休憩をしているグループなどが賑やかであった。富士山が正面に見える筈の、南東に開けた先は、一面のガス状の霧である。其の方角から、強い風が吹いてきて寒い。山名票の前で握手をして、我々は風を遮る潅木の中に避難して、食事を摂った。

麓の穏やかな気候が遠い彼方の出来事のように、毛無山の頂上は冷え切っている。インスタントラーメンを食べるにはお誂え向きの寒さですな、と、私は湯を沸かす準備をしながら友人に云った。間戸井君は複雑そうな表情で、持参した握り飯を頬張っている。のんびりとラーメンを作り始めている私を、落ち着かない様子で眺めている。どうやら、一刻も早く下山して、キャンプ場に行きたいような様子に見える。敢えて其れは黙殺し、私は食事の支度に取り掛かる。寒い山頂から、ハイカー達がひとり減り、ふたり減り、喧しいグループも消え失せた。毛無山の頂上広場は、徐々に霧が深くなっていくようであった。


Kenashi_fuji

付記

毛無山からの下山は、急勾配に加えて岩塊が多く、思った以上に時間が掛かった。ストックを使用して、其の有難味を再認識した。帰京して二日間程、激烈な筋肉痛が続いたから、改めて厳しい勾配だったのだと思った。

オートキャンプ場にテントを設営して、一旦車で国道139を南下し、公共温泉に出向いた。温泉に浸かった後、キャンプ場に戻った頃は真っ暗で、ヘッドランプを頼りに焚火台の設置と、薪に着火する作業をした。キャンプが始まってからの友人は精力的に働き、無事焚火台が作用した。焚火はただ燃えているだけで、其れで調理する訳ではなく、別途持参のカセット焜炉で肉を焼いて食し、麦酒で乾杯した。湯上がりに焚火の傍の麦酒なので、快適だったのは間違いない。しかし、キャンプでの贅沢な晩餐と云うのが、過剰なエネルギーを消費して行なわれているような気がして、なんとも落ち着かない。周囲を見渡すと、本格的にタープを張って、椅子とテーブルを設置して。焚火の前で茫然としているソロキャンパーが少なくない、と云うことを知って驚いた。其れはともかく、今年は友人と出掛ける場合、オートキャンプに絡めて登山する機会が増えそうで、気分は複雑である。自動車によって行動範囲が広がるかと思っていたが、焚火台使用可のオートキャンプ場が在る場所に目的地が限定されてしまいそうな気配である。便利なものが増えていくに従って、自然との距離が遠ざかっていくような気がするが、勿論友人に、そんなことは云わない。と云うか、云えない。

« 大菩薩嶺・小金沢連嶺(後篇) | トップページ | 飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(前篇) »

富士山・御坂・愛鷹・箱根」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/65046903

この記事へのトラックバック一覧です: 山上の白霧・毛無山の往復:

« 大菩薩嶺・小金沢連嶺(後篇) | トップページ | 飯縄山・瑪瑙山・戸隠神社の逍遥(前篇) »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック