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2016年3月

三室山・通矢尾根・横沢入

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青梅駅を出発した電車が、いつものようにゆっくりと、山に向かって走っていく。昨日は関東でも山間部に雪が降ったと云うが、奥多摩はどうだったのだろう。日向和田を過ぎても、目の前に連なっている里山に降雪の余韻は窺えない。今日は、あの裏山を越えて、あきるの市迄歩いていくのだなと、心の裡で呟く。石神前駅で下車して、のどかな陽気の畑の中の道を歩いていく。多摩川の渓谷を見下ろす好文橋を渡り、奥多摩方面を遠く見上げると、白銀の山々が浮かんでいた。鷹ノ巣山や雲取山は、雪を纏った儘、春を迎えているのだろう。橋の真中で感慨に耽っている私の傍らを、中学生たちが次々に通り過ぎていく。橋を渡って直ぐに、青梅市立西中学校の通用門が在る。生徒たちは、予鈴が鳴り始めているのに、のんびりと歩いている。時計を見ると、八時二十五分。遅刻にならないのかと心配になるが、誰も慌てている様子が無い。私は、そんな光景を眺めながら歩き出す。中学校をなぞるように迂回して、吉野街道を渡り、何の変哲も無い里山の中に入っていった。


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2016/3/15

石神前駅(8:20)---琴平神社---三室山(9:40)---通矢尾根---肝要峠---細尾山---白山神社入口---大久野中学校---天竺山---横沢入---武蔵増戸駅(15:50)

御岳山、日ノ出山から続く尾根が東に延びて、三室山に達すると、通常の登山コースは、吉野梅郷方面に下る尾根に続いているが、長大な尾根は三室山から南東に向かって、延々と武蔵五日市駅の方迄続いている。通矢尾根と呼ばれる山の連なりは、標高四、五百メートルくらいの高さが続いて緩やかに南下している。以前、三室山から、此の通矢尾根に入ってみたことがある。当時は「奥多摩東部登山詳細図」が無かったので、地形図を頼りに、緩やかな稜線を歩いた。肝要峠で林道と合流した頃には疲れきって、梅ヶ谷峠に至る作業道を使って下山した。道半ばで中断した通矢尾根のルートが、奥多摩東部登山詳細図に記されてから、いつか完全踏破してみたいと思っていた。低山の長い尾根歩きである。草木が繁茂する季節の来る前に訪れなければならない。

吉野梅郷の集落を突き抜けた先の、ひっそりとした尾根道に入り、間もなく登山道に合流した。昨日の雨の所為か、赤茶けた土が湿っている緩やかな踏路を、黙々と登っていく。琴平神社の断崖に達して、赤ぼっこ方面の眺望から右手に視線を転ずると、通矢尾根が聳えている。青梅市側の吉野と、日ノ出町側の大久野を隔てる此の山々には、交易路、或いは御岳神社への参詣路として、古くからの峠道が辿っているようだが、現在は県道が通矢尾根を、ぐるりと迂回するようにして走っていて、通矢尾根の反対側に峠を越えて行く必要も無い。経済社会の物流ルートを俯瞰しながら、目的も無く山の上を歩いている。私は、自嘲的な心持ちで、三室山を目指していた。頂上に達する直前に、南へと伸びる通矢尾根の分岐が在り、狐が一匹、私を見下ろしている。近づくと、狐は、俊敏に通矢尾根の方に走り去っていった。

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三室山で暫しの休憩後、くだんの分岐迄戻り、改めて通矢尾根を下っていく。印象的な大木が佇立する546mピークを通過して、やがて送電鉄塔の在る地点に出る。西の方角に眺望が開けて、昨日の降雪で白く染まった御岳山が遠くに窺える。折角雪が降ったのだから、もう少し標高の高い山に行くべきだったか、と云う悔恨が脳裏をよぎるが、今更どうしようもない。ふたたび樹林帯に突入し、右手に林道が近づいてくるのが判る。平坦な踏路が、徐々に勾配を上げてくる。梅郷方面に大きな尾根が分岐する瘤に乗り上げると、其の儘直進してしまいたくなるが、此処は南南東に急降下していかなければならない。

緩やかな尾根上の道が藪状になり、構わず掻き分けて進んでいくと、林道に交差する。肝要峠は梅ヶ谷峠から肝要集落への交易路である。前回は、此処でお仕舞いにしたが、林道を渡って細い踏跡に沿って登っていく。初めて歩く道なので少し緊張するが、尾根上は明瞭な踏跡が続いており、蛇行する尾根に沿って歩き続ける。詳細図の等高線を確認しながら、もう少しで林道交差だと安堵しつつ小ピークを越えると、尾根をU字に捲いていく林道が見下ろせた。左手は擁壁が在って下降できないので右手に降りるが、踏路が見当たらない。黙考してから、意を決して急斜面を木に摑まって、最後は棘のある蔓草にしがみついて林道に飛び降りた。正規のルートは在るのかと、林道の反対側を辿っていくと、頼りないが登り口のようなものが在った。直前の小ピークで、左に辿る道が在ったのかは覚えていない。

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通矢尾根は其の儘南東に延びている。併行する林道の左手に踏跡があり、小ピークを丹念に越えて、此の尾根で唯一、山名が記されている457mピークに近づいた。細尾山と呼ばれるピークを、登山道は捲いているが、ピークへの踏跡も微かに辿っていたので、傾斜を登り詰めた。山頂は鬱蒼とした樹林に囲まれていて、古びた祠が祀られていた。眺望の無い山頂に、細尾山の山名票は確認することができなかった。

一面に広がる植林帯の尾根は、明瞭な踏路が続いていて、私は弛緩したような心持ちで、足早に歩き続けた。歩きやすくなった道の勾配が急になり、私は其れに疑問を抱くことなく駆け下りていた。随分下り続けて、やがて木漏れ陽に照らされて光る竹林に出た。其の美しさに見入った後、漸く、何かおかしい、と云うことに気づいた。竹林の中を、もう少し進むと、案の定、人家が現われた。コンパスを竹林に向けると南西を指している。そして、遠くに目を凝らすと、黒い尾根が聳えているのに気がついた。

細尾山を下ると、直ぐに長井集落方面に尾根が分岐していて、私は其の尾根を軽快に下ってきてしまったと云うことを知った。心が挫けて其の儘下山してしまおうと云う気持ちも、無いことは無かったが、県道青梅日の出線の真ん中に降り立ったところで、帰る術は無い。私は、来た道を登り返していった。疲弊感は在るが、何処で道が分岐していたのかと云うのも気になる。淡々と脚を繰り出して、登り返しながら、左手から尾根が徐々に近づいてくる。合流地点には、確かに通矢尾根の踏路が南下している。分岐点を、下山方向に向き直って眺めると、長井方面への尾根道は明瞭で、コンパスで方向を確認せずに、躊躇無く真直ぐに進んでしまった自分の愚行を再認識した。通矢尾根は標高が400m近く迄下がっていて、夥しく分岐する尾根は、緩やかな感じで麓まで続いている。現在位置と方角の確認をしながら歩かないと、直ぐに何処かの尾根に誘導されてしまうだろう。

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通矢尾根に復帰し、間もなく平坦な道になって、詳細図に記されている、道標、の地点に辿り着いた。道標の左手には日の出山荘と書かれていて、緩やかな尾根に沿って道が続いていた。先ほど迷い込んだ竹林が「ロン・ヤス会談」の、日の出山荘なのかは定かでは無い。此処迄道標の類は全く無かったのに、此処にはベンチ迄設置されている。道迷いから復帰して、動揺していた私は、暫くベンチに座り込んだ儘、紫煙を燻らせて休憩した。道標は新しく、右手方向は台沢林道の名が記されている。細尾方面への交易路に、新しい林道が交錯しているものと察せられた。

ふたたび歩き出し、次の目標である、林道交差、と詳細図に記されている地点に向かうが、其の直前も東に延びる尾根が在り、漠然と歩いていると誘導されてしまいそうな道が続いていた。コンパスを確認しながら、左手の急傾斜を下っていく。間もなく交差する林道に降り立った。347.8mの三角点は林道の路傍に在った。其処からふたたび林道右手の尾根に乗り、369mピークを目指す。地図を見ると、東に向かって尾根が次々に分岐している。戦々恐々の心持ちで、コンパスを握り締めた儘、歩き続けた。

行程の後半に入って、通矢尾根は地形の複雑さを増してきていた。次の目標は、勝峰神社と長井方面を結ぶ道と交差する峠だが、其の直前には右手の勝峰神社方面に分岐する尾根が立派で、迷い込みそうになる。南東への指針を信じて、鬱蒼とした樹林帯に入っていく。時折伐採中の所為で、陽当たりのよい場所が現われる。明るい斜面に白い靄が掛かっている。スギ花粉が舞っている踏路を、口と鼻を押さえながら通過した。薄暗い窪んだ谷筋が現われて、唐突に崖状になっている箇所を降りていく。峠道は此れ迄通ってきたものと比べると、明瞭に交差していて、いにしえの道と云う雰囲気だった。詳細図では記されていない林道は、既に此の峠の北面に併行して通じていた。

崖状の道を、設置されたトラロープに助けられながら、通矢尾根に復帰する。随分歩いて、もう食傷気味になっているが、尾根が続いているのでひたすらに南東を目指す。次の目印は351mのピークだが、其の手前に在る320m圏ピークが伐採されていて、座りやすい切り株が並んでいる。陽差しが暖かく、此処で昼食を摂って休憩した。

長大な通矢尾根も、漸く終わりに近づいている。登山詳細図のルート案内は、尾根の末端迄を歩くように記されているが、私は白山神社で車道と交わる処から、地形図の破線で記されている道を下山することにした。石段の道が竹林の中に続いている。白山神社への、古くから在る参道なのだろうと察せられる。小ぶりな送電鉄塔が立っている集落に降り立ち、県道184号に出た処に、白山神社入口の、立派な道標が在った。

通矢尾根末端を前にして西南に逸れて下山したのは、五日市線の武蔵増戸駅迄、横沢入を歩いていくのに好都合だと云う理由でもあった。大久野中学校の裏から、横沢入を囲む尾根に乗る。天竺山と云うピークから眺める秋川丘陵の景色は良好だったが、東京の郊外に在ると云う意味で貴重な環境づくりをしているのは承知の上で、里山の在る日本の原風景、などと云う表現で賞賛される横沢入に、格別の感興は無かった。線路際の舗装路に出て、武蔵増戸駅迄の道のりは、随分遠かった。

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別記

2016/2/29
川井駅(8:40)---沼沢尾根---馬仏山(10:00)---岩茸石山---常福院---永栗ノ峰---榎峠---軍畑駅(12:30)

駅の裏手の、送電鉄塔巡視路から登る沼沢尾根。早めに下山したいと云う前提で、いきなりの急登で始まる。登り甲斐のある傾斜を楽しんだ後は、緩やかに馬仏山迄。平日の午前中、岩茸石山は誰も居ない。心地好い食事休憩。常福院からは初めて歩く永栗ノ峰を経由する、青梅高水トレイルランのコースで下山した。

愛鷹山塊、黒岳、越前岳、そして駿河湾の落日。(後篇)

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空が近い、樹木の密度が薄くなってきている。いつも通りの登頂の予感である。バスを降りて歩き出してから五時間近くが経過しているが、然程の距離を歩いてきた訳ではない。しかし、全身に疲労感と虚脱感のようなものが染み渡っているように、足取りが重い。富士見台で食事を済ませてから長らく休憩して、気持ちは早くテントを張って横になりたい、と云うようなものになってきていた。富士見台は程よい平坦さで、樹木が疎らに立ち並ぶ静かな場所だった。幕営には不足の無い環境であったが、肝心の富士山が雲に隠れて見えないので、単純に面白くない気分になり、取り敢えず越前岳に登ってしまおう、そんな意識だけで歩き続けた。枯木が立ち並ぶ先に、木製のベンチが散見している。其の合間を縫って明るさが広がる。越前岳の頂上であった。


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2016/2/22
越前岳(7:00)---勢子辻分岐---平坦地---馬の背---十里木高原展望台---十里木バス停(8:50)


予備知識としては持っていたが、越前岳は富士山と云うよりも、駿河湾の眺めを一望できる山であった。午後の陽は未だ高いが、二月の寒空の午後三時である。今日は此処迄で充分だろう、内心で呟きながら、改めて伊豆半島西側の付け根から三保の松原の在る半島を囲む、茫洋とした駿河湾を眺めた。頂上広場には若い男女の三人組が居て、他愛の無い会話が耳に障る。彼等にも挨拶をするが、ひとりだけ曖昧な表情で会釈をするだけで、こちらを目障りのような風に見ているのが判る。構わずに巨大ザックをベンチに置いて、地図を広げて山座同定をして、長々と展望地に立っていたら、無礼な若者たちは下山して行ったので、漸く安穏とした心持ちになった。

どうしよう。テントを張るか。そう思うが、余り進んでいない時計を見て、もう暫く様子を見ることにした。風も無く、陽光が心地好いので、じっと座っていても、苦痛では無い。そのうちに飽きてきて、ザックを置いたまま、十里木方面の様子を見てこようかと思いついた。例の平坦地迄行けるかどうかは時刻次第で、一時間以内に戻って来れば、テントを張っても差し支えない頃合になるだろう。私は、サブザックに貴重品だけを詰めて、十里木方面に下り始めた。

登山道は、此れ迄に無い程深く抉れていて、十里木からの登山者が圧倒的に多いと云うのが窺い知れる。泥濘の状態は酷く、登山道を避けて草地の上に立ち並ぶ樹木の合間を選んで歩を進めているうちに、傾斜が徐々に急になっていく。縦横に抉れた道が交錯して、やがて草地が途切れていくなと思った途端、崩れかかった斜面に足を取られて身体が仰向けになり、私は泥濘に向かって滑り落ちた。

したたかに打った臀部と、庇って衝いた両方の掌が黒ずんだ泥に塗れている。泥水が尻に染みてきて冷たいのと、目を覆わんばかりに汚れた自分の下半身の醜さに、情けなくて全身が脱力していくようだった。越前岳北面の偵察などと云う気持ちの余禄はすっかり無くなってしまい、私は山頂に向かって登り返すことにした。平穏の裡に目的地へと辿り着いた一日の終わりが、気分としては一挙に暗転した心持ちになった。疲労の果ての足腰の脆弱さなのか、荷を下ろして神経が弛緩して油断した所為なのか、泥濘の登山道を避けて草地を踏んだ不埒な行為に対する代償だったのか、どうでもよいことを思い悔やみながら、頂上直下の急勾配を登り続けていた。

暖かな陽光に照らされた頂上から、茫漠として靄のかかった南アルプスの山並み、そして午後の陽光に海面が光る駿河湾を眺めていた。私は泥だらけの登山パンツと、外套のソフトシェルを脱いでベンチに広げた。陽は未だ沈みそうに無い。陽に当てて乾かせば、泥は落とせるだろう。私は滞留のためのダウンのジャケットとパンツに履き替えて、スキットルのボトルに入れてきたウイスキーを飲みながら、いじけたように背を丸めてベンチに座り、越前岳からの絶景を虚ろな気分で眺めていた。その後の登頂者は単独行の男性が二名で、それぞれ無言で佇んでから、長居をせずに去っていった。巨大ザックを立て掛け、衣類を広げて日干しして、酒を飲みながら煙草を銜えている謎の男に、少し困ったような顔をして、彼等は挨拶をして、去っていった。

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午後四時半を過ぎて、私はザックの中から荷を取り出して広げた。いつの間にか日の入りが遅くなっているのだなと思いながら、なかなか沈みそうに無い太陽の光を浴びて、幕営の準備を始めた。テントを組み立てる作業に没頭していると、気分が徐々に落ち着いてくる。出来上がった今夜の寝室に全ての荷物を仕舞うと、私の気分はすっかり安寧に戻っていた。そうして、漸く黄昏の色彩を帯びてきた山頂から、展望所のような柵に凭れ掛かって、赤く染まっていく水平線と雲の境界、そして七面山から連なる、富士川の衝立の山並み、特徴的な鉤状の三保半島を眺めた。夕陽は駿河湾に沈むのだろうと思い込んでいたが、遥か遠くの南アルプス南部の稜線に、其の姿を隠していった。富士市の街並みに、ぽつりぽつりと、夜の灯が燈っていった。

真冬の幕営。其の緊張感は然程では無かった。二年前の箱根外輪山の時のような、積雪が全く無いことに加えて、風の無い穏やかな気候の所為かもしれない。薄暮が宵になり、雲間から時折覗く月光が、驚くほど明るい。手順とすれば、食事を摂ってから寝袋に入るのだが、昼食が遅かったので食欲が無いので、ウイスキーを飲みながら本を読んでいた。其のうちに漸く睡魔が襲ってきたので、眠ることにした。爪先が冷えないように、今回も使い捨て懐炉を靴下二重履きの間に挟んでいる。靴下に貼るタイプの懐炉は小さいので、踵が冷えてくるのが辛くなったので此れは失策だった。爪先と踵にそれぞれ貼って漸く落ち着いたが、夜半に目覚めた時は既に効力を失っていたので、反省材料となった。冬のテントで使用する懐炉は、足裏用ではなく通常の大きさのものがよい。そして、登山パンツが汚れてしまったので、下半身はウールのインナーにダウンパンツのみで横になったが、此れはさすがに薄着だったようで、腰が冷えて困った。通常の使い捨て懐炉があればよかったのにと、また後悔した。

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冷えと尿意を催して覚醒したのが午後十時頃で、仕方なく外に出た。富士市の夜景は絶頂の域に達していた。三保半島をなぞる駿河湾の曲線が、ネオンの洪水を図案化しているかのように構成されていた。暗い海に、何隻もの船の灯火が浮かんでいる。夜景を見下ろしながら放尿して、紫煙を燻らせていると、細い光の帯がゆっくりと移動していくのが見えた。光る毛虫が這っているようにも見える。夜更けに走っている岳南鉄道の電車である。ずっと前に所用で訪れたことのある、岳南江尾(えのお)駅のことを思い出した。工業地帯吉原の周囲を走るローカル線の光景は、自然美とは違う一幅の絵で、いつか再訪してみたいと思う場所である。沿線の須津(すど)駅から、須津川に沿って愛鷹山塊に登ることも出来る。そんな山行もやってみたいが、何時のことになるだろうか。
テントに戻り、消灯してふたたび眠りに入ろうとする。腰が冷えて中々眠れない。日常生活の、当然のようなベッドの温もりが得がたいもののように思えてくる。其れも、真冬の幕営の醍醐味なのかもしれない。風が強くなってきた。フライシートが、テント本体を押してきて揺らめく。少し心細いような気持ちになって、ふたたびヘッドランプを点灯する。暫く眠れそうにも無いから、ウイスキーを飲みながら文庫本を読み始める。宮本常一著作の「家郷の訓」と云う本が読みかけだったので何の気無しに持ってきた。深夜の山頂で読む民俗学の書物は、不思議に没頭することができた。

はっと気がついて目を覚ました。テントの外側は未だ暗い。眠りは深かったのか浅かったのか判らない。時計を見ると午前五時だったので、勢いよく寝袋から這い出た。其れが寝心地のよくなかったことを物語っているような気がする。支度をしているうちに、夜が明けるだろう。私は煙草に火を点けるために外に出た。暗いので最初は何のことか判らなかったが、足を踏む音がざらついていて、泥濘の感触では無かった。ヘッドランプで足元を照らすと、周囲は真白になっている。辺り一面に、霜が降りていた。夜景は微かに窺えたが、やがて霧の中に消えた。寝具を畳み、のんびりとザックに収納する作業を行ない、テント類を残した時点で珈琲を淹れた。天気予報は単なる曇りの筈だったが、越前岳の頂上はガスに包まれて、風の音が不気味に響いている。私は、早く下山してしまおうと云う身持ちが逸り、食事をする意欲も無いので、其の儘テントを解体してザックに仕舞った。

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昨夕の失策が身に染みて、私は勢子辻の分岐迄、抉れた登山道を忠実に下山していった。泥濘は霜で凍っているので、存外に歩きやすい。樹林帯の中は風が少なかったので、山頂ビバークの独特さを、改めて感じ入った。分岐から北へ転換して、実直に尾根の登山道が続いている。途中でぽっかりと北西に開けた場所があり、相変わらず霧が渦巻いているのが見渡せたが、徐々に下方の建造物や道路が見えるようになった。足早に下り続けて、唐突に広場が現われる。此処が例の「平坦地」で、其の名称の道標も在った。テントが張れそうな場所であり、少しずつ広がる十里木の景色を眺めると、好天であれば富士山が充分に堪能できる展望地であると確認できた。

登山道は標高千メートル迄下降した辺りから、急激に勾配が変化して、ロープの手摺りが続くようになった。其れ等をパスして、やがて緩やかな鞍部を通過して、少し登り始めると、もう周囲は行楽地の遊歩道然としてくる。ひとつのピークに達すると、木製のベンチとテーブルが幾つか設置してあった。標高1098.9mの三角点が存在する、馬の背或いは笹峰の別称のある山頂である。

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目の前には、ゴルフコースや別荘地が整然と配置された、十里木の人工的な風景が広がっている。分厚い雲が低く覆われていて、直ぐ其処に在る筈の富士山の姿は無い。ベンチに座って、終わろうとしている山歩きの感慨に耽っていると、雲が少しだけ流れるようになって、空の真ん中から、富士山頂の白い台形が現われた。其れはまるで、雲の壁の隙間から、富士山がこちらを覗いているように思われた。そんな倒錯した構図の中に、自分が居るような気がして、私はごく自然に、頬を緩ませて、笑った。



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2016 2月迄の山行。

2016/1/20
古里駅(10:20)---丹三郎尾根---大塚山分岐---御岳神社(13:20)---表参道---御岳渓谷遊歩道---沢井駅(15:40)

2016/1/25
高尾山口駅(11:20)---琵琶滝---霞台園地---薬王院---一号路---高尾山口駅(13:20)

2016/1/31
宮ノ平駅(12:00)---神明神社---要害山---赤ぼっこ(13:20)---馬引沢峠---宮ノ平駅(14:30)

2016/2/10(登山詳細図踏査)
青梅駅(8:30)---梅岩寺---叢雨橋---栃谷橋---こぶしの森---青梅丘陵ハイキングコース「黒仁田方面」道標(11:20)---こぶしの森---仏塔---久平稲荷神社---梅岩寺---青梅駅(14:10)

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