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愛鷹山塊、黒岳、越前岳、そして駿河湾の落日。(前篇)

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真冬の幕営をすると云う動機が先にあった。其の次に行き先を考える。重いザックを担いで、山頂にテントを張って、黄昏の風景を眺める。どの山が相応しいのだろうか、漠然とそんなことを考えるが、具体的な結論には辿りつかない。前回の金時山から一ヶ月が経つ。此の間、都心にも大雪が降っているので、富士山の容姿も随分変わったのではないか、ぼんやりと、そんなことを考えた。正面にどんと聳える富士を眺める、其れだけが目的の山行でよい。丹沢から、箱根から、富士山の裾がゆっくりと広がった先に並ぶ愛鷹山塊を、何度も眺めたが訪れたこたが無い。初めての山に登ると云うのは気分を高揚させる。だから初めての愛鷹山に登り、富士山を眺めに行く。そう云うことに考えが落ち着いた。


2016/221
愛鷹山登山口バス停(9:00)---山神社---富士見峠---黒岳---富士見峠---鋸岳展望台---富士見台---越前岳(14:40)

愛鷹山は富士市、沼津市、裾野市に跨る連峰の総称で、凡そ南北に連なっている。富士山を至近で眺めるのであれば、北端に位置する越前岳が相応しく、お誂え向きなことに、此の山塊の最高地点でもある。越前岳から東北東に尾根が延びていて、黒岳に連なる途上には、富士見台とか富士見峠などの地点名称が並んでいる。此のルートが富岳絶景であろうことは想像に難くない。御殿場駅からのバス路線に、愛鷹登山口と云う停留所があり、其処から一時間も歩けば、黒岳に至る稜線の鞍部、富士見峠に到達できる。登山で御殿場に行くと云うのは、以前は全く想像できないことであったが、金時山に登る足柄駅を三度も経験したので、もうそんなに遠い処だとは考えていない。

日曜日の朝、小田急新松田駅に降り立つ。勝手知ったると云う足取りで、駅前に在る立食蕎麦屋で天麩羅蕎麦を素早く食してから、御殿場線の松田駅で切符を買って入場する。ICカードが使用できないのは、国府津から御殿場の区間がJR東日本と東海の境界域になっていることに関連がありそうだが、確実な事情は判らない。御殿場線の電車が間もなく到着しそうなのに、券売機に数人が並んでいたので少し慌てたが、プラットホームに出ると、丁度良く三島行きの電車が滑り込んできた。平日は高校生で一杯の時刻だが、今日は部活の生徒が少し多いくらいで、其れも隣の東山北で降りてしまうから、車内は閑散となった。谷峨を過ぎると、遠近感が可笑しいのではないかと思うくらいに大きな、真白い富士山が登場する。曾遊の足柄駅を発車して、里山に遮られ、隠れては現われる車窓の富士山を眺めた。そうして、電車はゆっくりと御殿場駅に到着した。

イエティ行きの富士急バスは、大変な混雑振りだった。車内は行楽客で一杯で、中国語や英語が飛び交っている。ぐりんぱと云う遊園地に行く人々かと思われる。ぐりんぱとは何ぞやと思ったが、後日調べてみると、以前は日本ランドと呼ばれていた施設で、そう云われてみると記憶がある。とにかく、車内にハイカーの姿は無く、しかも巨大ザックを抱えて座っている私は生きた心地がしない。暖房と人いきれで曇ったガラス窓を時折拭いて、茫漠とした枯芒の高原を眺める。電車の車窓では青空が広がっていたのに、窓外はいつしか鉛色の曇天になっていた。

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須山の町を過ぎて、国道469号は徐々に勾配を上げて、森林の中に突入していく。集落も何も無い処に在る愛鷹登山口のバス停に到着し、漸く満員の車内から脱出する。バスが去ってから、暫くは息を整えるのに苦労した。蛇行して登る舗装路の途上に在るバス停の横を、何台もの車が唸りを上げて通過していった。紫煙を、ゆっくりと吐き出す。樹林に覆われた国道の路面は濡れていた。昨夜に降ったであろう大雨を彷彿とさせる。私は、銜え煙草の儘、登山道の入口に向かって、林道を歩き出した。

杉或いは桧の植林帯が右手に広がり、緩やかな傾斜の尾根が垣間見える。直截に登っていけば、やがて最初の目的地である黒岳に行き着くのは明白だが、登山道をめざして林道を直進する。山神社と呼ばれる登山道の入口に在る駐車場には、自家用車が十台程駐車してあった。鳥居をくぐると、登山道敷設の契機となった遭難者の碑が在り、木段を登ると小さな祠が在り、参拝してから谷筋の道を登り始める。天候は愈々悪化して、曇天は常態のようになっていたので、内心で溜息を付くような気分で歩を進めた。富士山の目の前迄来て、何も見えないと云う皮肉な事態が、間もなく到来するのであろうと云う想像が頭に纏わり付いてくる。

黙々と谷底の道を登っていると、踏跡はやがて尾根の東側をなぞるようになって、勾配を上げていった。迂闊なことに、山と高原地図の他に、1/25000地形図を用意しないで出掛けてきてしまったから、面食らった。1/50000の登山地図では登山道の赤線が真直ぐに鞍部迄引かれてあるので、尾根に登り始めると云う予測ができていなかった。今歩いている尾根の東側を辿っていくのかと思っていたら、突き当たって左に切り返す道が辿っている。其の儘尾根に乗るのかと思ったら、刻まれた踏跡はトラバースして尾根を乗り越していった。尾根の反対側に出ると、森林を眼下にして空が開けた。霧が流れるようにして周囲を覆っている。

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心細い程に狭いトラバース道で、下山の徒がやってきた。早朝に自家用車で到着した登山者だろうか。挨拶をすると、黙殺されてしまったから唖然となった。暫くして、またひとり、下山者と擦れ違った。ふたたび挨拶してみたが、また黙殺された。其れどころか、狭いトラバース道で、登りの人間に進路を譲る気配も無く、通り過ぎて行った。愛鷹山塊を歩く人々が、何故此のように無愛想なのか、事情は判然としないが、私の気分も、徐々に殺伐としてくるような気がした。山腹のトラバースが延々と続いて、途上には梯子段も現われつつ高度を上げて、やがて谷筋に差し掛かった地点に、避難小屋が建っていた。門扉が設えてあり、山荘兼避難小屋、無人、無料、と記してあった。門扉の鍵を外して敷地内に入り、小屋の前のベンチで休憩することにした。

「あしたか山荘」の看板が打ち付けてあるトタンで覆われた小屋の中を覗いてみると、存外に快適そうな室内だった。敷き詰められた絨毯は綺麗で、隅に布団と毛布がきちんと畳んで積んである。小さい土間には竈があり、火を熾せば十分に暖かい夜を過ごせそうであった。外に出て、深呼吸をする。背伸びをして、空を見上げたら、なんだか明るい。あれっと思い振り返ると、小屋の向こうに、枯木が並んだ稜線が見えていて、青空になっている。富士山の在る北面から、晴れてきている。弛緩していた身体に気力が漲ってくるような気がした。私は巨大ザックを背負い、足取りも軽く、出発した。

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小屋の裏手を登り始めて程なく、富士見峠の鞍部に乗った。正面には落葉樹の枯木越しに、富士山の姿が見えている。でかい。単純にそう思った。早く黒岳から、巨大な富士山の全容を眺めたい。そう思った。此処から越前岳とは反対方向に、黒岳が在るから、当初は此の富士見峠にザックを置いて、往復しようと考えていた。しかし、先ほど擦れ違った、挨拶を黙殺するハイカーたちを思い出して、なんとなく、ザックをデポしていくのが躊躇われるような気持ちになった。其れで、重いザックを背負った儘、黒岳方面に歩を進めた。

登山道は薄暗い植林帯になって、暫く登り一辺倒になった。やがて其れが落ち着いて、北面にぽっかりと眺望が開ける箇所に着いた。黒岳展望広場と云う場所で、ベンチが設えてある。富士見峠から歩いて十分も経っていないのに、雲の動きが早い。富士山は、既に雲に覆われていた。そして、先ほどから頻繁に聞こえている、自衛隊東富士演習場の砲撃音が、けたたましく断続的に、鳴り響いている。裾野に広がる眺めを見下ろすと、広大な駐車場と建物があり、獣の咆哮のような声が響いてくる。富士サファリパークに放たれている猛獣の声だろうか。砲撃音と咆哮が交錯して、地の底から響いてくるから、穏やかではない。

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黒岳展望広場は、眺望こそあるが鬱蒼とした樹林帯の中に在るので、あまり居心地がいいとは云えない。私は、ザックを下ろすことなく、先に歩を進める。杉の巨木を通過して、やがて尾根が二分する地点に道標があり、右折すると、彼方にこんもりと盛り上がる丘が見えた。一旦下降して、丘に向かって気持ちのよい道が続いていた。緩やかに登り詰めた処が、広々とした黒岳の頂上だった。姿は隠れているが、富士山が目の前に在り、視線を右に転じていくと、丹沢山塊が明瞭に見渡せた。振り返ると、正面に箱根外輪山が連なり、其の奥に、中央火口丘の上部が顔を出していて、大涌谷の白煙が確認できた。広々とした山頂は、自然林が疎らに立ち並んでいて、平坦であるから、此処で幕営するのも気分がよいだろうなと思った。事実、焚火の跡もあるから、黒岳でテントを張る人も少なくないのであろう。

時間は充分にあるので、黒岳山頂では暫くの間休憩した。其のうちに雲が晴れて、富士の全容が現われるかもしれないと期待して、待った。しかし、裾野の眺望は広がっているのに、肝心の富士山は、姿を見せて呉れない。其のうちに、ひとりのハイカーが登頂してきた。妙齢の女性は明朗だったので、漸くまともに挨拶ができて安堵した。越前岳から歩いてきたと云う彼女は、富士見台で富士山がくっきり見えて素晴らしかった、と云った。ひとりきりの山頂を彼女に譲るために、私は荷物を纏めてザックを背負い、黒岳を後にした。

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富士見峠に戻り、越前岳へと尾根登りに入った。地図のルートを眺めて想像した雰囲気とは違って、登山道は無味乾燥な植林帯の中を辿っている。夥しい数の人が歩いたであろう道は、深く抉れていて、雨上がりの所為か、泥濘になっているから、足元ばかり見て歩き続けた。森林だけでなく、隣の尾根に遮られて、富士山側の眺望は全く無くなってしまった。私は、背負っているザックの重さが身に染みてくるような気分になりながら、鈍重に歩いていた。

鋸岳展望台から、文字通りの鋸歯状の山並みを眺める。愛鷹山塊の、南東に併行する稜線を、初めて明瞭に確認する。鋸岳が行き着く先の位牌岳は、一際巨大な山容で、越前岳と対になって愛鷹山を表現している山である。山名には不気味で恐ろしいものが幾つかあるが、此の位牌岳には、怖いと云うのとは違って、虚無感に囚われそうな不気味さを覚える。鋸岳の禍々しい姿を連ねて聳える位牌岳は、中空の陽射しで逆光になり、黒ずんで見える。ひと息入れて休もうとしたが、なんだか落ち着かない気分になり、直ぐに歩き出した。

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標高1200mを越えて、踏路は相変わらず眺望の無い儘、そして人の気配が無い儘、傾斜を増して続いていた。時刻は午後一時を過ぎている。私は近づきつつある今夜の幕営地に就いて、思案を巡らせながら歩いていた。富士山と対峙しつつビバークすると云うことで、私は越前岳から十里木に下る途上の何処かでテントを張ろうと、漠然と考えていた。登山地図には、「平坦地」と記されたポイントが在る。平坦地か、更に下降して十里木高原に程近い、標高1098.9mと云うピークも在る。何れにしても真正面に富士山を眺めるには申し分の無い場所だと想定していた。此れから越前岳に登頂し、下山の途上に到達する時刻はどの程度のものか、私は疲労感を天秤に掛けて、何処迄歩けるか、と云うようなことを考え始めていた。

登山道は鬱蒼とした尾根道が続いたが、やがて視界が開けてきた。岩が混じった尾根上に、危険、の看板が立っている。恐る恐る、近づいて彼方を眺めると、眼下は切り立った崖になっていた。登山地図では、北白ガレンと記されている。ガレンとは何であろうか。瓦礫場の際立った状態だろうか、などと考えつつ、後日調べてみると、爆裂火口のことを示すらしい。越前岳、呼子岳、位牌岳、そして黒岳。頭の中で山々を繋ぎ合わせて、太古の昔の巨大火山を想像してみるが、北白ガレンの奥底を窺ってみても、其れは困難なことであった。

切り立つ崖の東側をトラバースして登山道は続く。やがて抉れた赤土の登山道は、笹薮状の中で狭まり、足元は相変わらずの泥濘で勾配は急になっていった。日曜日の午後、もうハイカーは居なくなったのかと思いきや、三組の下山者と擦れ違った。越前岳には誰か居るだろうか。疲弊した心持ちの中で、私は何処で幕営するかを思案していて、越前岳の先まで歩いていくのが苦痛に思えてきたのであった。そして空腹を覚えて立ち止まった。行く先の方を見上げて、ひとつのピークが近いことを確信したので、朦朧とした儘登り続けた。

辿り着いた処が尾根の分岐する瘤状の平地で、脚立のような櫓の立つ富士見台であった。私はザックを下ろして、茫然と立ち尽くしていた。富士山の方向には青空が復活して、広大な裾野の光景が広がっている。しかし、肝心の富士山はと云うと、宝永火口の上に作為的にも見える程上手に雲が掛かっていて、なんとも締りの無い姿を晒している。其れを確認して、私は地面に座り込んだ。何か食べよう。そして此れからどうするかを考えよう。そう思いながらも、食事の支度をするのが億劫になって、煙草を取り出した。肝心の上部が見えない富士を眺めながら、紫煙を燻らせた。全身が、弛緩していくような感覚は、何故か心地が好く、私は、不思議な充足感に、包まれていた。

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