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2016年2月

愛鷹山塊、黒岳、越前岳、そして駿河湾の落日。(前篇)

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真冬の幕営をすると云う動機が先にあった。其の次に行き先を考える。重いザックを担いで、山頂にテントを張って、黄昏の風景を眺める。どの山が相応しいのだろうか、漠然とそんなことを考えるが、具体的な結論には辿りつかない。前回の金時山から一ヶ月が経つ。此の間、都心にも大雪が降っているので、富士山の容姿も随分変わったのではないか、ぼんやりと、そんなことを考えた。正面にどんと聳える富士を眺める、其れだけが目的の山行でよい。丹沢から、箱根から、富士山の裾がゆっくりと広がった先に並ぶ愛鷹山塊を、何度も眺めたが訪れたこたが無い。初めての山に登ると云うのは気分を高揚させる。だから初めての愛鷹山に登り、富士山を眺めに行く。そう云うことに考えが落ち着いた。


2016/221
愛鷹山登山口バス停(9:00)---山神社---富士見峠---黒岳---富士見峠---鋸岳展望台---富士見台---越前岳(14:40)

愛鷹山は富士市、沼津市、裾野市に跨る連峰の総称で、凡そ南北に連なっている。富士山を至近で眺めるのであれば、北端に位置する越前岳が相応しく、お誂え向きなことに、此の山塊の最高地点でもある。越前岳から東北東に尾根が延びていて、黒岳に連なる途上には、富士見台とか富士見峠などの地点名称が並んでいる。此のルートが富岳絶景であろうことは想像に難くない。御殿場駅からのバス路線に、愛鷹登山口と云う停留所があり、其処から一時間も歩けば、黒岳に至る稜線の鞍部、富士見峠に到達できる。登山で御殿場に行くと云うのは、以前は全く想像できないことであったが、金時山に登る足柄駅を三度も経験したので、もうそんなに遠い処だとは考えていない。

日曜日の朝、小田急新松田駅に降り立つ。勝手知ったると云う足取りで、駅前に在る立食蕎麦屋で天麩羅蕎麦を素早く食してから、御殿場線の松田駅で切符を買って入場する。ICカードが使用できないのは、国府津から御殿場の区間がJR東日本と東海の境界域になっていることに関連がありそうだが、確実な事情は判らない。御殿場線の電車が間もなく到着しそうなのに、券売機に数人が並んでいたので少し慌てたが、プラットホームに出ると、丁度良く三島行きの電車が滑り込んできた。平日は高校生で一杯の時刻だが、今日は部活の生徒が少し多いくらいで、其れも隣の東山北で降りてしまうから、車内は閑散となった。谷峨を過ぎると、遠近感が可笑しいのではないかと思うくらいに大きな、真白い富士山が登場する。曾遊の足柄駅を発車して、里山に遮られ、隠れては現われる車窓の富士山を眺めた。そうして、電車はゆっくりと御殿場駅に到着した。

イエティ行きの富士急バスは、大変な混雑振りだった。車内は行楽客で一杯で、中国語や英語が飛び交っている。ぐりんぱと云う遊園地に行く人々かと思われる。ぐりんぱとは何ぞやと思ったが、後日調べてみると、以前は日本ランドと呼ばれていた施設で、そう云われてみると記憶がある。とにかく、車内にハイカーの姿は無く、しかも巨大ザックを抱えて座っている私は生きた心地がしない。暖房と人いきれで曇ったガラス窓を時折拭いて、茫漠とした枯芒の高原を眺める。電車の車窓では青空が広がっていたのに、窓外はいつしか鉛色の曇天になっていた。

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須山の町を過ぎて、国道469号は徐々に勾配を上げて、森林の中に突入していく。集落も何も無い処に在る愛鷹登山口のバス停に到着し、漸く満員の車内から脱出する。バスが去ってから、暫くは息を整えるのに苦労した。蛇行して登る舗装路の途上に在るバス停の横を、何台もの車が唸りを上げて通過していった。紫煙を、ゆっくりと吐き出す。樹林に覆われた国道の路面は濡れていた。昨夜に降ったであろう大雨を彷彿とさせる。私は、銜え煙草の儘、登山道の入口に向かって、林道を歩き出した。

杉或いは桧の植林帯が右手に広がり、緩やかな傾斜の尾根が垣間見える。直截に登っていけば、やがて最初の目的地である黒岳に行き着くのは明白だが、登山道をめざして林道を直進する。山神社と呼ばれる登山道の入口に在る駐車場には、自家用車が十台程駐車してあった。鳥居をくぐると、登山道敷設の契機となった遭難者の碑が在り、木段を登ると小さな祠が在り、参拝してから谷筋の道を登り始める。天候は愈々悪化して、曇天は常態のようになっていたので、内心で溜息を付くような気分で歩を進めた。富士山の目の前迄来て、何も見えないと云う皮肉な事態が、間もなく到来するのであろうと云う想像が頭に纏わり付いてくる。

黙々と谷底の道を登っていると、踏跡はやがて尾根の東側をなぞるようになって、勾配を上げていった。迂闊なことに、山と高原地図の他に、1/25000地形図を用意しないで出掛けてきてしまったから、面食らった。1/50000の登山地図では登山道の赤線が真直ぐに鞍部迄引かれてあるので、尾根に登り始めると云う予測ができていなかった。今歩いている尾根の東側を辿っていくのかと思っていたら、突き当たって左に切り返す道が辿っている。其の儘尾根に乗るのかと思ったら、刻まれた踏跡はトラバースして尾根を乗り越していった。尾根の反対側に出ると、森林を眼下にして空が開けた。霧が流れるようにして周囲を覆っている。

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心細い程に狭いトラバース道で、下山の徒がやってきた。早朝に自家用車で到着した登山者だろうか。挨拶をすると、黙殺されてしまったから唖然となった。暫くして、またひとり、下山者と擦れ違った。ふたたび挨拶してみたが、また黙殺された。其れどころか、狭いトラバース道で、登りの人間に進路を譲る気配も無く、通り過ぎて行った。愛鷹山塊を歩く人々が、何故此のように無愛想なのか、事情は判然としないが、私の気分も、徐々に殺伐としてくるような気がした。山腹のトラバースが延々と続いて、途上には梯子段も現われつつ高度を上げて、やがて谷筋に差し掛かった地点に、避難小屋が建っていた。門扉が設えてあり、山荘兼避難小屋、無人、無料、と記してあった。門扉の鍵を外して敷地内に入り、小屋の前のベンチで休憩することにした。

「あしたか山荘」の看板が打ち付けてあるトタンで覆われた小屋の中を覗いてみると、存外に快適そうな室内だった。敷き詰められた絨毯は綺麗で、隅に布団と毛布がきちんと畳んで積んである。小さい土間には竈があり、火を熾せば十分に暖かい夜を過ごせそうであった。外に出て、深呼吸をする。背伸びをして、空を見上げたら、なんだか明るい。あれっと思い振り返ると、小屋の向こうに、枯木が並んだ稜線が見えていて、青空になっている。富士山の在る北面から、晴れてきている。弛緩していた身体に気力が漲ってくるような気がした。私は巨大ザックを背負い、足取りも軽く、出発した。

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小屋の裏手を登り始めて程なく、富士見峠の鞍部に乗った。正面には落葉樹の枯木越しに、富士山の姿が見えている。でかい。単純にそう思った。早く黒岳から、巨大な富士山の全容を眺めたい。そう思った。此処から越前岳とは反対方向に、黒岳が在るから、当初は此の富士見峠にザックを置いて、往復しようと考えていた。しかし、先ほど擦れ違った、挨拶を黙殺するハイカーたちを思い出して、なんとなく、ザックをデポしていくのが躊躇われるような気持ちになった。其れで、重いザックを背負った儘、黒岳方面に歩を進めた。

登山道は薄暗い植林帯になって、暫く登り一辺倒になった。やがて其れが落ち着いて、北面にぽっかりと眺望が開ける箇所に着いた。黒岳展望広場と云う場所で、ベンチが設えてある。富士見峠から歩いて十分も経っていないのに、雲の動きが早い。富士山は、既に雲に覆われていた。そして、先ほどから頻繁に聞こえている、自衛隊東富士演習場の砲撃音が、けたたましく断続的に、鳴り響いている。裾野に広がる眺めを見下ろすと、広大な駐車場と建物があり、獣の咆哮のような声が響いてくる。富士サファリパークに放たれている猛獣の声だろうか。砲撃音と咆哮が交錯して、地の底から響いてくるから、穏やかではない。

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黒岳展望広場は、眺望こそあるが鬱蒼とした樹林帯の中に在るので、あまり居心地がいいとは云えない。私は、ザックを下ろすことなく、先に歩を進める。杉の巨木を通過して、やがて尾根が二分する地点に道標があり、右折すると、彼方にこんもりと盛り上がる丘が見えた。一旦下降して、丘に向かって気持ちのよい道が続いていた。緩やかに登り詰めた処が、広々とした黒岳の頂上だった。姿は隠れているが、富士山が目の前に在り、視線を右に転じていくと、丹沢山塊が明瞭に見渡せた。振り返ると、正面に箱根外輪山が連なり、其の奥に、中央火口丘の上部が顔を出していて、大涌谷の白煙が確認できた。広々とした山頂は、自然林が疎らに立ち並んでいて、平坦であるから、此処で幕営するのも気分がよいだろうなと思った。事実、焚火の跡もあるから、黒岳でテントを張る人も少なくないのであろう。

時間は充分にあるので、黒岳山頂では暫くの間休憩した。其のうちに雲が晴れて、富士の全容が現われるかもしれないと期待して、待った。しかし、裾野の眺望は広がっているのに、肝心の富士山は、姿を見せて呉れない。其のうちに、ひとりのハイカーが登頂してきた。妙齢の女性は明朗だったので、漸くまともに挨拶ができて安堵した。越前岳から歩いてきたと云う彼女は、富士見台で富士山がくっきり見えて素晴らしかった、と云った。ひとりきりの山頂を彼女に譲るために、私は荷物を纏めてザックを背負い、黒岳を後にした。

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富士見峠に戻り、越前岳へと尾根登りに入った。地図のルートを眺めて想像した雰囲気とは違って、登山道は無味乾燥な植林帯の中を辿っている。夥しい数の人が歩いたであろう道は、深く抉れていて、雨上がりの所為か、泥濘になっているから、足元ばかり見て歩き続けた。森林だけでなく、隣の尾根に遮られて、富士山側の眺望は全く無くなってしまった。私は、背負っているザックの重さが身に染みてくるような気分になりながら、鈍重に歩いていた。

鋸岳展望台から、文字通りの鋸歯状の山並みを眺める。愛鷹山塊の、南東に併行する稜線を、初めて明瞭に確認する。鋸岳が行き着く先の位牌岳は、一際巨大な山容で、越前岳と対になって愛鷹山を表現している山である。山名には不気味で恐ろしいものが幾つかあるが、此の位牌岳には、怖いと云うのとは違って、虚無感に囚われそうな不気味さを覚える。鋸岳の禍々しい姿を連ねて聳える位牌岳は、中空の陽射しで逆光になり、黒ずんで見える。ひと息入れて休もうとしたが、なんだか落ち着かない気分になり、直ぐに歩き出した。

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標高1200mを越えて、踏路は相変わらず眺望の無い儘、そして人の気配が無い儘、傾斜を増して続いていた。時刻は午後一時を過ぎている。私は近づきつつある今夜の幕営地に就いて、思案を巡らせながら歩いていた。富士山と対峙しつつビバークすると云うことで、私は越前岳から十里木に下る途上の何処かでテントを張ろうと、漠然と考えていた。登山地図には、「平坦地」と記されたポイントが在る。平坦地か、更に下降して十里木高原に程近い、標高1098.9mと云うピークも在る。何れにしても真正面に富士山を眺めるには申し分の無い場所だと想定していた。此れから越前岳に登頂し、下山の途上に到達する時刻はどの程度のものか、私は疲労感を天秤に掛けて、何処迄歩けるか、と云うようなことを考え始めていた。

登山道は鬱蒼とした尾根道が続いたが、やがて視界が開けてきた。岩が混じった尾根上に、危険、の看板が立っている。恐る恐る、近づいて彼方を眺めると、眼下は切り立った崖になっていた。登山地図では、北白ガレンと記されている。ガレンとは何であろうか。瓦礫場の際立った状態だろうか、などと考えつつ、後日調べてみると、爆裂火口のことを示すらしい。越前岳、呼子岳、位牌岳、そして黒岳。頭の中で山々を繋ぎ合わせて、太古の昔の巨大火山を想像してみるが、北白ガレンの奥底を窺ってみても、其れは困難なことであった。

切り立つ崖の東側をトラバースして登山道は続く。やがて抉れた赤土の登山道は、笹薮状の中で狭まり、足元は相変わらずの泥濘で勾配は急になっていった。日曜日の午後、もうハイカーは居なくなったのかと思いきや、三組の下山者と擦れ違った。越前岳には誰か居るだろうか。疲弊した心持ちの中で、私は何処で幕営するかを思案していて、越前岳の先まで歩いていくのが苦痛に思えてきたのであった。そして空腹を覚えて立ち止まった。行く先の方を見上げて、ひとつのピークが近いことを確信したので、朦朧とした儘登り続けた。

辿り着いた処が尾根の分岐する瘤状の平地で、脚立のような櫓の立つ富士見台であった。私はザックを下ろして、茫然と立ち尽くしていた。富士山の方向には青空が復活して、広大な裾野の光景が広がっている。しかし、肝心の富士山はと云うと、宝永火口の上に作為的にも見える程上手に雲が掛かっていて、なんとも締りの無い姿を晒している。其れを確認して、私は地面に座り込んだ。何か食べよう。そして此れからどうするかを考えよう。そう思いながらも、食事の支度をするのが億劫になって、煙草を取り出した。肝心の上部が見えない富士を眺めながら、紫煙を燻らせた。全身が、弛緩していくような感覚は、何故か心地が好く、私は、不思議な充足感に、包まれていた。

足柄駅・金時山・明神ヶ岳・道了尊

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2016/1/14
足柄駅(8:00)---浅間塚(8:50)---金時山(10:45)---矢倉沢峠---明神ヶ岳(13:30)---道了尊(15:30)

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元旦から高熱が出て病臥で過ごした。漸く回復してから、新年の初登りをどうしようかと漠然と考えて、金時山にした。体力も気力も萎んだ儘なので、冬の富士山を間近で眺める、と云うような目的を設定しないと、腰が重い気持ちを奮い起こすことができない。御殿場線足柄駅からの行程は三度目なので、地図を開かずに歩き出した。初めて登ったのは二年前の一月、外輪山幕営行だった。其の時の富士は宝永火口を埋めた積雪が盛り上がって見える程だったが、今年の富士山は薄化粧と云っても良い程の山容であった。好天が確実な木曜日に思い立って出掛けたので、裾迄広がる富士山を振り返りながらの登山は心地好かった。

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金時山の頂上からも、富士山が配置される良景が広がっていた。かつて幕営した丸岳も相変わらずの電波塔のお陰で明瞭である。噴火警戒が軽減された大涌谷は、昨年春に眺めた時よりも豪快に噴煙が上がっている。真冬の所以であろうと思うが、大涌谷の煙は昔から此のようなものである。

難なく登頂して、帰途をどうするか決めていなかった。外輪山から仙石原に下山して、公共温泉を訪れようかと思っていたが、調べてみると、木曜日は殆どの浴場が定休日なのだった。例外は宮ノ下の太閤湯と、塔ノ沢の上湯で、両方とも漬かったことのある湯場であった。今回は宮城野か大平台の共同浴場を訪れてみたかったのだが、止むを得ない。入湯すること自体に興味を失い、合理的に下山する行程を思案した。

交通費を節約する為に、足柄峠経由で足柄駅に戻ると云う行程も考えたが、折角の外輪山をもう少し堪能して歩きたい。そんな思惟が浮かんだので、取り敢えず矢倉沢峠に向かって歩き出した。赤茶けた土砂が広がると仙石原の景色が直下に広がるのを見渡せる。茅戸の中に入り込むと、陽の当たらない地面は薄い雪が覆っている。そんな繰り返しで、青空を見上げて、時折振り返ると、もう金時山は見上げるような恰好で聳えていて、遠ざかっていく。

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外輪山を縦走している積もりだったが、踏路は下降を続けている。やがて前方に広大な茅戸が広がる丘陵が一望される。火打石岳から広がる尾根を眺めて、其の背後に衝立のように聳える明神ヶ岳を仰ぎながら、遠いな、と改めて感じる。うぐいす茶屋の矢倉沢峠に到達して、改めてどうするかを思案した。此処から下山すれば仙石のバス停は直ぐ其処である。紫煙を燻らせて思案する。通り過ぎるハイカーの姿は無い。空は何処迄も青く、小さな雲は昼寝でもしているかのように浮かんだ儘動かない。其の茫洋としつつも安寧とした気分にさせる陽光に誘われたのだろうか。私は明神ヶ岳の方に足を向けた。ぐるりと小田原を経由して帰るのも、道了尊からバスを乗り継いで新松田駅に向かうのも大差はないであろうと考えた。

ふたたび背の高い茅戸の中を歩き、勾配を上げながら振り返ると、矢倉沢峠の鞍部の向こうに金時山は随分遠くに鎮座している。日当たりの良い丘陵を登り続けて、登山道はやがて左に旋回して尾根をトラバースしながら北面の谷を越えていった。暗い道を歩き続けて、尾根の南側に出た処が火打石岳への分岐点で、左手に漸く明神が間近に見えるようになった。両端が広い岩で構成された明神ヶ岳の北側から、徐々に傾斜が増していく。其の途上で、下肢に違和感が訪れた。大腿部が痺れるような痛みに包まれた。脹脛が攣るような感覚は珍しくないが、太腿が攣ると云う経験は無いので不安になった。立ち止まった儘両下肢の様子を窺いながら、水分をたくさん摂って休憩した。足柄駅から歩き出して五時間。登山は一ヶ月振りであり、病み上がりでもあるので、体内の何処かで無理が祟っているのかもしれない。そんな風に考えた。

エスケープルートは暫く無いし、明神ヶ岳の肌に辿り着いて、最後の登りに掛かっているので、恐る恐る登り続けるしか無かった。踏路がフラットになって、道の泥濘が激しくなった。不快な儘直進して、長い山頂部を歩き続け、漸く標柱の在る山頂に着いた。冬の陽は低くて、正面の大涌谷の直ぐ上から太陽の陽射しが照り付けている。だから折角の距離感なのに、明神ヶ岳からの中央火口丘の眺めは不明瞭でうすぼんやりとしていた。

数人居た登山者が姿を消して、陽光は眩しいのだが風の冷たさが堪えてきたので、南側の鞍部に向かって下降し、直ぐに現われる道了尊への分岐で、箱根の景色と別れる。尾根を直進して下降に掛かると、右手に相模湾の眺望が広がった。前回の登りの時には気づかなかったので、こんなに心地の良い登山道だったかと思った。やがて登山道は尾根から別れて左にトラバースしていく。隣の尾根に沿って本格的な下山となる。途中に現われる防火帯を慣性に任せて駈足になって下り続ける。一本道の先の彼方に三角錐の山が屹立している。相州大山は何処から眺めても直ぐに判る。

Kintoki4

見晴小屋跡で休憩してから、登山道は深い樹林の中に突入していった。足はなんとか回復したようだった。安堵していたら、林の向こうから鐘の音が響き渡った。最乗寺の鐘を確認して、少し歩調を速めた。関本行きのバス時刻を把握していないので、大丈夫だろうかと思い始めた。やがて石段が現われて、最乗寺を川の向こうに見ながら、お布施の記念碑が立ち並ぶ舗装路を下っていった。見覚えのあるロータリーに降り立つと、バスが乗客を満載してアイドリングを止めた儘停車していた。慌てて駆け出して、バスに乗り込んだら直ぐに発車したので、思わぬ僥倖に驚いた。

終点の関本からも、新松田行きのバスが直ぐに接続した。どのような恩寵なのだろうかと思いつつ、新松田の駅に着いて、まさかと思って電光掲示板を見ると、間髪を入れずに新宿行きの快速急行が到着するところだった。私は御不浄を済ますこともできずに、電車に乗った。

断章的に。霧ケ峰・松ノ木沢ノ頭・社山・2015年迄の山行記録

昨年(2015)の夏に八ヶ岳を初めて訪問した。赤岳からの眺望、久しぶりのテント泊、順調な行程で予定通り下山した。其れで初秋に差し掛かった頃、次の山行に向けて、意気揚々と計画を練る積もりだったが、日常の諸事情に阻まれて、思い通りにならない。とうとう北アに行くことが出来なかった。其れでどうしたかと云うと、全く山に登らなかった訳でもなかった。此れ迄考えてはいたものの未訪問だった白毛門や、大菩薩の連嶺を縦断した経緯などは、個人的には特筆に価するもののように思えるが、何かに打ちひしがれたように書けなくなっていた。思い返すと、白毛門に到達できず、手前の松ノ木沢ノ頭で引き返した時から意欲の減退が起こったようにも思える。18切符の残りを消化しようとして中途半端に遠くへ出掛けていて、出掛けると云う動機の根幹が曖昧になっていったような気もする。そしていつの間にか一年が終わっていった。だから情緒的な感懐は記すことができないのだけれども、自分の足跡は記録しておかねば、さらに曖昧になってしまうので、断片的に記す。



Kirigamine

2015/8/23
コロボックルヒュッテ(10:30)---車山乗越---山彦谷南の耳---山彦谷北の耳---ゼブラ山(12:00)---奥霧小屋---蝶々深山(13:30)---車山---コロボックルヒュッテ(15:00)

八ヶ岳から戻って一週間後に、ふたたび茅野駅に降り立った。白樺湖、霧ケ峰に向かうバスは、全く持って観光客しか乗っていない。其の数も疎らで、ビーナスラインには自家用車で行く輩が圧倒的多数なのだと実感する。車山高原から最初に車山を目指すか、蝶々深山の方から巡って最後に車山に登るか。どちらでもよいのだけれど後者に決めた。
バスをコロボックルヒュッテ直下の車山バス停で下車して、比較的人気の少ない車山湿原の方角に下っていく。茅野駅からバスに乗って走り出した頃は真夏の陽射しが照りつける晴天だったが、白樺湖を半周する頃には、周囲は霧に包まれていた。文字通りの霧ケ峰の木道を歩き、車山乗越からゼブラ山方面に入ると、人影は消えた。蝶々深山が東側に尾根を伸ばす先にある山彦谷をなぞるようにして歩く。殆ど人と擦れ違わなかったのに、ゼブラ山の広場には大勢の人が昼食を摂って休憩していて少し驚いた。 霧に包まれた高原は幽玄の趣もあったが、長く続くと退屈した。
八島ヶ原湿原の手前で折り返すようにして、蝶々深山に歩を進め、時折霧が途切れて晴れそうになるが其れも束の間だった。車山乗越に戻って、今度は車山に向かって階段が整備された踏路を登った。八の字にコースを描いて、霧ケ峰の最高峰、車山に到着した頃は鉛色の霧に包まれていた。晴れていれば、歩いてきた山彦谷の両耳から蝶々深山を見渡す良景であろうと思われたが、何も見えない。溜息混じりに下山する途中で、ビーナスラインを見下ろすようになって、霧が嘘のように晴れた。素晴らしい高原の眺望は、何処か人工的で余所余所しい。帰りのバスの時刻迄、ドライブインの食堂で生麦酒を飲んで過ごした。



Shiragamon

2015/9/6
土合駅(9:00)---土合橋---桧のウロ---松ノ木沢ノ頭---撤退---土合駅(14:50)

未明の出立で水上に到達し、上越線の電車に乗り換えたら車内は人いきれのするくらいに混んでいた。発車して湯檜曽を過ぎて、清水トンネルに入って直ぐに土合駅に到着した。登山の客は皆無で、多くの人は土合駅を見物する為に下車しているようだった。天候が悪いのは承知の上で、18切符の期限切れが近づいていたので強引に来てしまった。白毛門は山登りに興味を抱いた時から気になっていた山で、山と渓谷社刊の分県登山ガイドを眺めては、何時登ろうかと考えていたが、漸く機会を設定したことになった。

谷川岳を真正面に、対峙するように聳える白毛門に登るが、眺望は諦めている。国道を傘を差して歩き、土合橋の手前で右折、駐車場の彼方に登山口が在った。東黒沢を渡って、唐突に急斜面に削って設えた登山道を登っていった。尾根は実直に延びていて、登り続けるだけである。ブナ林の中を歩いていると、降雨の感触が無いので、黙々と、其れでも清涼な空気を呼吸するのが心地好い思いで歩き続けた。
桧のウロを過ぎて、行程の順調さに安堵するが、やがて雨脚が強くなってきた。そんな頃に視界が開けて、岩襖の折り重なる鎖場が現われる。慎重に登りきったら、松ノ木沢ノ頭に到達した。此処で私は唐突に意欲が減退していった。松ノ木沢ノ頭は岩が盛り上がっていて、樹林が遮ることのない開けたピークであった。勿論目の前に聳える谷川岳は霧の向こうであり、反対側の山並みは薄っすらと見えるだけであった。岩の上に座って紫煙を燻らせながら、あの向こうには宝川温泉か、などと考えて、もう帰って風呂にでも入りたい、そんな気持ちになった。
ずっと前から愉しみにしていた白毛門に、こんな天候の中、登頂することが、とても詰まらないことのように思えてきた。私は随分松ノ木沢ノ頭で茫然としていたようだった。馬蹄形に縦走してきたパーティが現われ、挨拶する私に、皆が怪訝そうな声色で挨拶を返してきた。詰まらないな、無意識に声を出していた。私の気分はどんどん沈み込んでいった。其れで其の儘下山してしまった。
此の結果は想像以上に自分の意識の底に、滓のように沈殿していったようで、暫く山に出掛けることが無くなった。やはり無理をしてでも白毛門に立つべきだったのだろうか。そんなことを後日、考えたが、自分の気持ちの整理は付いていない。
土合からの帰途に高崎で下車して、評判のパスタ屋に入って食べたが、スパゲッティは所詮スパゲッティで、ひとりでワインも飲まずに食べても、何の面白味もなかった。




Koganesawa

2015/10/18
裂石(8:20)---丸川峠(11:00)---大菩薩嶺(13:00)---大菩薩峠---石丸峠(14:50)---小金沢山(16:20)

2015/10/19
小金沢山(7:10)---牛奥ノ雁ヶ腹摺山(7:40)---黒岳(9:20)---湯ノ沢峠---大蔵高丸(11:15)---ハマイバ丸(11:45)---大谷ヶ丸(13:15)---鎮西ヶ池(14:30)---道証地蔵---笹子駅(17:10)

本当は北アルプスに行きたかったのに、愚図愚図しているうちに十月が半ばを過ぎていた。体力と気力も儘ならないのに、初冬に等しい北アに足を踏み入れるのに躊躇した。其れで、自分に鞭を打つような気分で、幕営しながら大菩薩、小金沢連嶺を縦断した。断章的に綴るにはいろいろあった山行で、そのうちに落ち着いて記してみたいと考えている。



Hangetu

2015/11/7
中禅寺湖道路第二駐車場(7:30)---半月山展望台(7:50)---半月峠(8:15)---阿世潟峠---社山(10:30)---半月山展望台---中禅寺湖道路第二駐車場(13:30)


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友人間戸胃君と性懲りも無く奥日光へ行った。間戸胃君は奥白根の経験で本格的に山登りに慎重になっており、女峰山に登りたいと云う私の意見を拒み、できれば湯元には午後三時くらいに着いてのんびりしたいと云う。仕様が無いので中禅寺湖の南面にある半月山、社山に登ってみることにした。まったく期待していなかったのが功を奏して、延々と男体山を背景に広がる中禅寺湖を眺めながらの山歩きは愉しかった。尤も、天候は次第に崩れて、社山の頂上に立った頃は濃霧の中で、強風にも煽られて、早々に退散した。
湯元迄車を走らせ、奥日光高原ホテルの露天風呂で寛いでから帰途に着いた。陽が落ちる頃に差し掛かったいろは坂で、豪雨になった。


その後の山行。

2015/11/16
梁川駅(10:50)---立野峠(12:20)---倉岳山(12:50)---立野峠---梁川駅(15:10)

2015/11/24
沢井駅(9:00)---光仙橋(9:40)---日ノ出山(11:15)---築瀬尾根---沢井駅(13:30)

2015/12/18
大倉(8:40)---堀山の家---花立山荘(11:10)---塔ノ岳(12:00)---大倉尾根---大倉(15:30)

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