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2016年1月

初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。

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阿弥陀岳から眺めた黒雲は荒天に転ずることも無く、行者小屋での幕営は平和裏に終わった。することもないので十九時には寝入ってしまった。案の定、深夜に目覚めてしまい、テントから這い出て、小屋の前のベンチで紫煙を燻らせた。圧倒的な星空を、久しぶりに眺めたような気がする。真夏の夜の行者小屋は、適度な気温で快適であったから、スキットルに入れたウヰスキーを飲みながら、何時迄もぼんやりとして過ごした。其の所為かもしれないが、翌朝は寝坊してしまった。予定していた起床時刻から一時間過ぎてから覚醒した。周囲のテントは畳まれる気配は無いが、出立の準備をする人々で、幕営場はざわめいていた。行者小屋から赤岳に登る大抵の人々は空身で、ふたたびテントに戻ってくるようである。私は、此れから赤岳を越えて清里に下山するから、すべての荷物を背負わなければならない。合理的ではない計画のような気がするが、止むを得ない。珈琲とパンの朝食を摂って、大荷物とともに立ち上がった頃、阿弥陀岳の頭に朝陽が照らされた。其れで、八ヶ岳の二日目が始まった。

2015/8/16

行者小屋(6:00)---文三郎尾根---赤岳(8:00)---県界尾根---大天狗(10:00)---小天狗(11:05)---清里ハイランドパーク(12:30)

Map2

中岳と赤岳のコルを目指して、阿弥陀岳の分岐から、今度は左手の尾根に向かう。赤岳直下の崖印が散見する険しい文三郎尾根に、延々と階段が設えてある。だからジグザグに登る必要は無い。階段の直登である。此のようなルートは冗漫な気分に陥り、却って苦痛になりそうに思えるが、高度が上がるに連れて、朝陽に照らされた阿弥陀岳の美しい姿が披露されてゆく其の景観に心を奪われるから、退屈するようなことは無かった。御来光の為に早出する者が多いからなのか、中途半端な時刻の文三郎尾根は、其れ程混雑していない。私は、巨大ザックを背負いながらも、順調に階段を登っていった。

行者小屋を下方に望み、視線を北八ヶ岳の方に向けると、御猪口を逆さにしたような蓼科山が頭を出した。八ヶ岳のカテゴリに入る北端の山を具体的に見知って、いつか登ってみたいと云う希望が湧いてくる。其れは自分の裡に消えかけていた想念だったことに、ふと気づいた。意欲が磨滅しつつある自分に、少しだけ希望のようなものが湧いてきている。


延々と続く階段を登っていると、思惟が混濁して、理屈が組み立たない。自分の、どのような意欲が消えかかっていると云うのか。其れを追求することは、怖いので考えない。

稜線に夥しい登山者たちのシルエットが続いている。赤砂礫のコルに立つと、反対側の権現岳の彼方の雲の上に、南アルプスの山々が浮かんでいた。其の連なりの中で、顕著に佇立しているのが北岳であろう。富士山の次に高い山は、なんとなく同じ高みから眺めているようにも感じられる。八ヶ岳も、相当に高いのだなと、実感できるのである。阿弥陀南稜の彼方に、昨日の昼光では判らなかった威厳のある山容が窺える。木曽御嶽山が、何者も寄せ付けないで、雲に浮かんでいた。

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絶景の鞍部に腰を下ろして休んでいるうちに、多くの登山者が赤岳に向かって出発していった。殆どの人々が文三郎尾根から登ってくるが、中岳からも疎らだが人がやってくる。健脚なものだと思って女性ふたり組みに挨拶をすると、アジア系のツーリストだった。彼女等が去って、私も漸く腰を上げた。赤岳は、もう目と鼻の先である。しかし、急峻の岩場を実直に登っていくから、予断を許せない。登山地図のコースタイムは四十分となっている。

砂礫をジグザグに登り続け、登路はやがて岩襖の重なる壁に沿っていくようになる。キレット方面の稜線が近づいてきて、視界は徐々に狭まり、南アルプスの風景は額縁に囲まれているように見える。八ヶ岳の稜線に、霧が覆い被さるように蔓延し始めて、其れが私の行く手の先に漂い始めた。ロープを掴んで岩場を伝っていく道が続き、登山者たちの縦列は徐々に渋滞していった。此処迄来れば慌てる必要も無い。皆が、もう直ぐ出会う筈の絶景のピークに、期待を膨らませながら、先行者が安全に登っていくのを待っていた。

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キレット分岐に合流して、最後の岩壁を伝って登りきり、山梨県側の空が広がった。八ヶ岳の東側は、白い雲が足元まで到達しそうなくらいに湧きあがってきていた。雲海から霧が立ち上り、少しだけ上部を見せていた富士山が、アッと云う間に姿を消した。茫然としながら其れを見届けて、赤岳の頂上の方に視線を移すと、眩しいほどの青空であった。三角点のピーク、赤岳の南峰の祠には、大勢の登山者が纏わりつくように集まっている。私は、一瞬だけ三角点に触れてから、頂上小屋のある北峰を見下ろす処に移動してザックを下ろした。

八ヶ岳の最高峰に、呆気なく登頂してしまったと云う感懐。なんだか達成感が薄いような気もするが、阿弥陀岳を少し見下ろす角度で眺めると、やはり最上のピークに立ったのだと云う実感が湧いてきた。地平線の彼方に、すべてのアルプスが浮かんでいるのが見渡せる。自分が、唐突に天空に担ぎ上げられたような、そんな気分だった。赤岳の南北の峰を繋ぐ途上で紫煙を燻らせていたら、昨日擦れ違った山岳部の青年たちが現われて会釈した。

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北峰に移動して、横岳に至る急峻断崖の稜線を眺める。鞍部に建っている赤岳展望荘は存外に大きな建物だった。硫黄額、横岳、いつか縦走する時が来るのだろう。北アルプスに傾倒していた自分の心裡に、八ヶ岳が余禄を持ちながら楔を打ちこんでいく。そんな想像をした。心地好く圧倒された気持ちの儘、断崖の淵にやっと建っているような、赤岳頂上小屋の脇を通って、県界尾根を下ることにした。横岳に連なる縦走路の賑わいとは裏腹に、誰も居ない急峻の岩崖を、及び腰になりながら降下していった。

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這松の覆う急峻に、ひと筋の踏路が刻まれている。其の勾配は徐々に尋常ではない角度になって、やがて鎖が延々と連なる箇所に行き着いた。展望荘からの道に合流する迄、息つく暇も無い鎖場が連続していた。漸く分岐に達して、北面の稜線を見る。赤岳展望荘は、もう見上げるような位置に在った。赤岳の頂上の方を見返すと、緑に覆われた尖峰が削り取られたように天を衝くように聳えている。甲州側の急峻の途上は霧に包まれてしまいそうであるが、相変わらず、信州側の空だけが青い。県界尾根は南北に国境を分けているが、八ヶ岳、其れ自体が、風土を分化して、あるいは遮断しているかのように存在していた。

険しい鎖場は尚も続き、其れが漸く落ち着いて樅や松の樹林帯に入り込んだ。東に向かって、ひたすらに伸びている尾根を下り続けた。重いザックのことは、全く顧みることができないくらいの険しい行程で、尾根が緩やかになった頃、漸く隣の真境寺尾根を眺めながら歩き続けた。登ってくる単独行の人と擦れ違うようになり、苔むした巨岩の在る瘤が大天狗で、ふたつの尾根が分岐する地点であった。此処で壮年夫妻が休憩していた。其の隣で、私も大荷物を下ろした。

此の夫妻は麓に自家用車を置いて、県界尾根から赤岳に登頂後、真境寺尾根を下ると云う。甲州側から日帰りの赤岳である。其れはハードな行程ですね、と云ったら、まあ、そうね、と夫人が満更でも無い口調で応えた。主人の方が学生時代の山岳部時代に、何度も縦走した話を聞かせて呉れた。私は初めての八ヶ岳であるから、いちいち首肯して拝聴する。そして私も自分の山行歴などを話す訳だが、婦人が怪訝そうに、東京に住んでいて八ヶ岳が初めてとはどういうことか、と云った。北アに傾倒していた自分の説明を云うと、夫人は、近いんだから八ヶ岳をしっかり登らなきゃ駄目よ、と、冗談では無さそうな表情で云った。私は別段悪い気分にもならず、夫人の云うことを受け入れた。夫人は、もっと昔の話を続けたそうな主人を急き立てて、ふたりは出発していった。

県界尾根は徐々に進路を東南に向きを変えて、緩やかに続いていた。高度が下がるに連れて、清里の穏やかな丘陵地帯が見渡せるようになっていく。天候はすっかり好転して、陽光が眩しい。下界に戻ったのだな、と思った。小天狗を過ぎて少し先に、県界から外れて下山する道が分岐している。其れに沿って進路を南に九十度変更した。無理矢理下降する登山道は直ぐに終わって、堰堤の在る大門川の上流に到達した。川に沿って延々と歩き続けて、やがて車道になってからは、清里高原らしい白樺林の中を徒歩で移動していく。

遠くからレジャー施設のアナウンスの声が、風に運ばれて聞こえてくる。時刻は正午を過ぎる頃だった。今朝眺めた赤岳からの絶景のことが、白日夢のように現実感と乖離していく。長い車道歩きの所為だろうか。私は、虚ろな気分で、舗装路を歩き続けていた。

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