« 上高地から焼岳の往復 | トップページ | 初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。 »

行者小屋から阿弥陀岳

Yatsu1

人気のある山域なので、混雑するのだろうと思い、なんとなく敬遠していた八ヶ岳に向かうことにした。青春18切符を消化しなくてはならないと云う、期限付きの制約もある。前回同様、北アルプス方面に向かう積もりであったのが、出立の数日前に気が変わった。遠く迄出掛けるのは構わない。しかし、帰途の長いのが億劫に感じるようになってきた。美濃戸口に向かうバスは中央本線の茅野駅から発車する。茅野迄鈍行に揺られるのも長いが、往路の長いのは気にならないし、乗車区間が長くなるのは此の場合得策に適う。八ヶ岳初訪問で信州側から最高峰の赤岳に登り、其の儘山梨県側に下山して、小海線経由で小淵沢から中央本線の電車に乗れば、簡単に帰京することができると考えた。山に登るのに、億劫な感懐を既に覚えていると云うのが、随分倒錯した心理である。面倒ならば出掛けなければいいのにと思うが、八ヶ岳に登ると云う計画が浮かんでからは気持ちは幾分高揚してきた。そう云う訳で、始発電車に乗車し、茅野駅前からバスに揺られた。乗客は十人にも満たない程空いていた。

2015/8/15

美濃戸口(9:20)---美濃戸山荘(10:20)---行者小屋(13:00)---中岳のコル(14:30)---阿弥陀岳 (15:05)---行者小屋(16:50)


Map

高原野菜の畑が広がる風景の中を、バスが徐々に高度を上げていく。八ヶ岳の姿は随分遠くに連なっている。やがて原村の別荘地に入り、樹林帯に囲まれて何処に居るのか判らない儘バスが走るようになった。周囲が明るく開けた処が終点の美濃戸口で、八ヶ岳山荘の駐車場に自家用車の群れが広がっている。其れで路線バスの車中の閑散ぶりが首肯できた。そうして山荘の軒先で身支度を整え、落ち着かない気分の儘歩き出した。此処から柳川に沿って、林道を一時間程歩かなければならない。晴天の陽射しは木立に遮られ、涼しげな砂利道の森の中を歩き続けると、やがて柳川を渡って対岸の尾根に傾斜を上げていく。時折自家用車がゲートのある美濃戸山荘に向かって走り去るのを、忌々しい思いで見送る。歩いているハイカーは数える程である。一体、八ヶ岳に向かう皆は何処から湧き出てくるのか。そんなことをぼんやりと思いながら単調な林道を歩いていた。

強烈な日差しに照らされて、砂利道の先が白く眩しくなってきた。やまのこ村の建物の周辺には、夥しい数の自家用車が駐車していた。此処迄の林道を振り返ると、此れ程の車が通ってきたようには思えない静かな道だと思っていたが、大多数の観光客は、バスなどを使わずに美濃戸にやってきていると云うことを知った。テント装備のクレッタルムーセンHuginが、徐々に重量感を増して肩に食い込んでくるような気がした。私は、俯き加減になって重いザックを背負い、喧騒の中を通過していった。木立の中を少し歩いて、やがて美濃戸山荘に到着した。

ところで私は、八ヶ岳のことを漠然としか知ってはいない。南北に連なる高峰の、夏沢峠を境にして北八ヶ岳、南八ヶ岳と分けて呼ばれていること。天を突くような砂礫と岩稜の峻険な山々は、最高峰の赤岳を含めて南八ヶ岳に集まっていると云うこと。北八ヶ岳は対照的に、麦草峠は国道が横断し、北横岳の方にはロープウェイがあり、観光地然とした開発が為されていると云うこと。登山の八ヶ岳としての核心部は、昭文社の地図に拠ると、天狗岳から南端の編笠山に至る部分であると云うこと。そんな程度の認識である。美濃戸から赤岳鉱泉を経て硫黄岳に登り、赤岳を目指して縦走するのが定石のコースと思われるが、私は赤岳への最短ルートを登り、其の儘反対側の清里に下山する。十分な時間が無いことが絶対的な理由だが、初めての八ヶ岳で、核心部をひと通り歩いてしまうのも性急で情緒が乏しいような気がする。

赤岳鉱泉に向かう北沢と、行者小屋に向かう南沢の二股になっている美濃戸山荘で暫く休憩した。お盆休みの夏休みである。八ヶ岳に多数の人間が集まることは想像に難くない。沢沿いの整備された登山道を歩き続ければ、もう赤岳の裾に到達できるのである。その利便を、私もまた享受している。靄靄とした考えを振り払い、川瀬の音を聞きながら、私は紫煙を燻らせていた。

Yatsu2

南沢の右岸を、整備された登山道が辿り、緩やかに勾配を上げていった。美濃戸中山から落ちてくる尾根を、丹念にトラバースしながら、苔蒸した岩が点在する木漏れ日の山道を歩き続ける。眺望の無い谷筋の登りを繰り返しているうちに、瀬音は全く聞こえなくなった。時折下山者と擦れ違うので安堵するが、行者小屋の方角に向かって歩いている気がしない。漸く心細い程の谷を渡渉して、暫く尾根に沿って歩くと、道が唐突に砂礫状になって、青空が広がった。南沢の流れが見えない儘、川原の道を歩き続けていくと、正面の彼方に、奇怪な山容が屹立しているのが見えた。横岳が見えると記されている登山地図のポイントに到達したことを知って、私は漸く安堵した。

等高線の間隔が広がっている地図の通りに、其処からは広い河原のそぞろ歩きとなった。視界は徐々に広がって、硫黄岳から連なる南八ヶ岳の衝立が聳えている。右手に樹林帯が遠ざかっていって、彼方に阿弥陀岳の頭部が覗いている。黙々と渓を歩いて、知らぬ間に八ヶ岳の懐深い処に辿り着いていたと云う感覚であった。河原の道が右に進路を変えて、遠くの森の向こうに喧騒の様子が窺えた。美濃戸山荘から二時間半を歩いて、行者小屋に到着したのだった。小屋の前のテーブルに、幾多の登山者たちが寛いで騒いでいる。幕場は広いが、既にたくさんのテントが張られていた。

Yatsu3

愛想の無い小屋の従業員に手続きをして貰い、小高い位置にある場所にテントを張った。周囲の賑わいを他所に、黙々と作業をする。今年初めての幕営である。前回のテント泊は何時だったか。昨年九月の至仏山以来、およそ一年ぶりの幕営なのだと云うことを回想しながら、粛然とした心裡でテントを張った。時計を確認して、改めて眼前に聳える阿弥陀岳を見上げる。標高2800mを超える八ヶ岳の高峰のひとつに、行者小屋から一時間強で登頂できるのである。午後一時を記す時計を再度確認して、私は軽装になって出発した。

Yatsu4

南沢が行き着く先に沿って、樹林帯の道に入る。喧騒が遠のいていくのに安堵した頃に、阿弥陀岳と赤岳の分岐点に到達した。両雄の狭間に立つ中岳の西側に向かって進路を変えていく。勾配が急激に厳しくなって、登山道はジグザグに登るようになっていった。中岳沢を越えて阿弥陀の尾根に張り付くと、岳樺の森を見下ろすようにして眺望が広がった。八ヶ岳の稜線上に、建造物と人影が見える。赤岳展望荘から視線を転じると、最高峰の赤岳が直ぐ眼の前に聳えている。

携行用ザックの身軽さで、足取りは軽い。足元が岩礫になってロープの垂れる箇所をパスして、背後を振り返ると、硫黄岳迄見渡せる眺望になっている。中岳と阿弥陀岳の鞍部には、数人のハイカーが佇んでいたが、私が到達すると、散り散りに去っていった。阿弥陀岳の頂点に向かって、稜線は急激な傾斜となって続いていた。先行者は軽装だがヘルメットを装着していた。其の先を見上げると、巨岩が折り重なっている。私は其れを見て怖気づいたが、此処迄着てしまっては仕方が無い。暫く休憩してから、無為な心裡の儘、急峻に向かって足を踏み出した。

Yatsu5

鎖場が現われて直ぐに、大勢の下山者が降りてきた。若い男女が十名程で、女性の一部が随分梃子摺りながら降りている。其の間隙を衝いて登ることにした。彼奴等のような集団が登っていけるのならば、まあ大丈夫だろう。そんな感懐を抱きながら、其れでも気の抜けない三点支持で、岩礫の登路を登り続けた。阿弥陀の岩礫の途上から、南に広がる連嶺を眺める。赤岳から南下していくキレットの向こう側から、霧が湧き出している。稜線の彼方に、権現岳と編笠山が綺麗に並んでいる。

阿弥陀南稜の奇怪な岩尾根が見渡せるようになった頃、大学の山岳部名が記されたシャツを揃いで着ている、三名の若者が下山するのと擦れ違った。嫌な雲が出てきました。リーダー然としたひとりが云った。振り返ると、赤岳の背景は黒い雲で覆われ始めていた。中岳の稜線が、斑になった陽射しと陰の模様になっている。不気味な色彩に変わっていく周囲を眺めながら、其れでも仕方が無い、私は誰彼ともなく呟いて、山岳部諸君と別れた。

Yatsu6

這松に覆われた巨岩の淵を、赤茶けた岩礫がレンガのように折り重なっている。其れを慎重に踏んで、最後の砂礫を登りきって、阿弥陀岳に登頂した。山頂は広くも狭くもないが、赤岳以外に遮るものが無い全方位の眺望だった。赤岳は薄暗い雲を背景にして不気味に佇んでいるが、反対側には遥か遠くに諏訪湖を囲むようにして盆地が広がり、真夏の陽射しが照りつけている。もうひとり居た登山者が去り、山頂は私ひとりになった。明るい南稜を見下ろす場所に座って、茫洋とした気分の儘、紫煙を燻らせた。八月十五日。真夏の午後三時。静かな阿弥陀岳の頂上で、私は何時までも、風景を眺めていた。霧ケ峰の車山が、徐々に雲に覆われて、見えなくなっていった。

« 上高地から焼岳の往復 | トップページ | 初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。 »

八ヶ岳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/62977990

この記事へのトラックバック一覧です: 行者小屋から阿弥陀岳:

« 上高地から焼岳の往復 | トップページ | 初めての八ヶ岳。最高峰の赤岳に登頂する。 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック