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上高地から焼岳の往復

満席である筈の『ムーンライト信州』の車内は、新宿駅の発車時刻が近づいても、閑散としていた。取り敢えず指定券を購入して旅行を取り止めて、キャンセルの違約金を支払わないで切符を放擲する者が多いと云うのを、目の当たりにした恰好であった。由々しき問題ではあるが、隣席に人が居ないので乗り心地は良い。立川と八王子を過ぎて検札を済まして、静まり返った車内は旧式電車のモーター音が鈍く響き、線路の継ぎ目を刻む車輪の音が虚しい感じで繰り返されている。私は、何かに追われているような想念が消えない儘、いつしか眠りに落ちていた。

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2015/8/2

帝国ホテル前(6:25)---田代橋(7:00)---焼岳小屋(9:05)---中尾峠(9:35)---焼岳北峰 (10:45)---焼岳小屋---中ノ瀬園地---上高地バスターミナル(14:15)

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何処に行こうと云う目的もなく、入手困難である臨時夜行『ムーンライト信州』の指定券を確保しただけのことであった。乗車券は勿論、青春18切符である。誰と約束した訳でもないので、計画は自在に立てることができる。其れは登山の喜びに比肩するくらいに愉しい作業である筈なのだが、日常生活の疲労が苛烈で、深夜に多様な思索に耽ると云うことができないでいたから、何処に行こうかと考える愉しみが、何時の間にか、何処に行くのか決めなくてはいけないと云う、強迫的な想念に苛まれるような気分になっていった。

信州行きの切符を買おうと云うくらいだから、北アルプスの何処かに行こうと考えているのは明白である。日曜の早朝に上高地に着いて、月曜の夜中までに帰京すればよい。テントを担いで穂高を越えると云う、昨年のような行程も可能であるが、結局は登ったことのない活火山、焼岳に登って、其の日のうちに帰京すると云うことに決めた。月曜日を休養にしたいのと、日帰りであれば、18切符の一日分で松本迄往復できると云う吝嗇な計算もあった。日本全国の活火山が蠕動している。焼岳に何時登れなくなるかも知れないと云う想像も手伝って、今回の旅程は確定した。何かに追われているかのように落ち着かない、自己の内面を暴露されているような旅程であるな、と自分で思った。幕営をしないので、荷造りは簡単に済んだ。

岡谷に到着するあたりで覚醒した。臨時夜行は甲府辺りで終電を逃した人々に重宝にされているようで、指定券を持たない儘区間利用している人が多く居ることを知った。座席は随分空いているのに、彼らは律儀にもデッキに立っているのが不思議だった。長時間停車する塩尻のプラットホームで紫煙を燻らせる。旅に出ていると云う実感が希薄で、高揚感と云うものが無い。夜行列車のうらぶれた雰囲気が、其の儘自分の身の上を象徴しているような気がして、憂鬱になった。

上高地線の電車に乗り換えても乗客は疎らだった。夜明け前の松本盆地を走る電車は、臨時夜行に接続している所為か、殆どの駅を通過していく。新島々駅に到着して、上高地往復の割引切符を精算所で購入した。バスの案内係が荷物室を開けて待っていた。帝国ホテル前で降りる旨を伝えると、荷物は車内に持ち込むように指示された。バスが発車して、安曇支所を過ぎて、いよいよ山に分け入ると思えば心が躍るかと思ったが、私はずっと眠った儘であった。覚醒したら、丁度良いタイミングで、釜トンネルに突入するところだった。勾配を登り続ける隧道が終わると、肌が削り取られた尾根と薙の眺めが広がり、其の遠くに、焼岳の全容が現われた。今年も上高地に来たのだな、と云う思いが湧きあがり、私は漸く、躯の底に在った滓のような鬱屈が消えていくのを、感じていた。

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真夏の朝の六時半に、帝国ホテル前バス停に降り立った。所在の無い儘、田代橋方面の道標に従って歩いた。上高地帝国ホテルの従業員宿舎から、ひとりの男性が現われたので挨拶を交わした。帝国ホテルの従業員は、姿勢がすっとして凛々しく、格調の高さが自然の趣の儘にアレンジされたような爽快さで、挨拶をした。自然林の佇まいですら、帝国ホテルの周囲だけかしこまっているように見える。違和感は心地好さとなって自分の心の裡に染み込んでいった。そうして、木道をふわふわと歩き続けて、中ノ瀬園地に着いた。公衆トイレで登山の服装に着替えて、田代橋を渡ると、上高地温泉に滞在している観光客の大勢が散策していた。西穂高登山口の前を左に曲がって、私は足早に観光客の群れから遠ざかっていった。

砂利道を緩やかに下っていく途中に、焼岳登山口が現われた。西穂から焼岳に至る山稜から支尾根が幾つも落ちてきて、谷が扇状に広がっている処に樹林帯が広がっている。其れを横断するように登山道が辿っていた。徐々に勾配となって、尾根の末端を乗り越える。其の繰り返しの果てに、砂礫の薙となって抉れた峠沢が現われて、視界は真っ白になった。正面には、もう焼岳の姿が間近に見える。此処から、樹林に覆われた尾根を実直に登り続けた。蛇行する道は時折薙の淵に出て、霞沢岳が快晴の青空を背にして、重量感を表現するかのように聳え立っているのが見渡せた。

眩い陽光が、断崖の瓦礫を白く光らせている。登山道は断崖の淵を丁寧になぞって、隣の尾根に移動しながら、梯子で作られた橋や、削られた崖に立てかけられた梯子が断続的に登場していく様相になった。高度を随分稼いで、焼岳はもう直ぐ其処のようにも見えるが、登山道の尾根と焼岳の間には、絶望的な程に深い、瓦礫の谷底が広がっている。向かう先である山稜の新中尾峠から落ちてくる尾根も、断崖となって切れ落ちている。登山道の行き場はどうなっているのかと思った処で、其れしか方法は無い、と云う風情で、梯子が三重に繋がって垂直になって、崖に立て掛けてあった。

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焼岳の登山道に就いて、何事も無いと思い込んでいたが、此の梯子を見たときは、冷や水を掛けられたような気持ちになった。梯子は十数メートルの高さで、剥き出しの断崖に張り付くようにして打ち付けられている。岳沢からの重太郎新道に掛けられた梯子よりも、高度感がありそうに思えた。一瞬躊躇したが、俺は不帰瞼の鎖場を登った男なのだと自分に言い聞かせ、此の恐怖は想定していないものに突発的に出会った所為に違いないと自己暗示を掛けながら、何事も無いかのような素振りで、一心不乱に登っていった。

岩崖を越えて、愈々焼岳の全容が目の前に広がった。火砕流に抉られ、干からびた儘崩壊している山肌の、細長い尾根の上に樹木が苔のように貼り付いている。登山道は焼岳には向かわず、稜線の北東に舵を切って続いている。植生が変わり、笹原が足元に広がる中を歩いていった。快晴の好天だが、陽射しを遮るものが無い斜面をジグザグに登っていると、次第に意識が茫洋としてくるような気がした。西穂から続く山稜の直ぐ下に居るのに、登山道は焼岳に背を向けて辿っている。そうして漸く、緑色のトタン屋根が視界に入ってきた。軽い眩暈を感じたので、焼岳小屋の軒先に座って休憩した。

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稜線を南南西に切り返して登り、瞬く間に天空の眺めが広がった。奥飛騨側に笠ヶ岳が、巨大な衝立のように聳えている。漸く、随分登ってきたのだなと云う実感が湧いてきた。振り返ると、穂高連峰が稜線の彼方にぽっかりと連なっている。快晴で陰影の無い風景だった。目の前の焼岳は、赤茶色の山肌を剥き出しにして、頭部に幾つもの溶岩ドームがでこぼこに瘤のように生えている。

小ピークと焼岳の鞍部が中尾峠で、新穂高温泉方面の分岐を見ながら、瓦礫場の焼岳に登り始めた。こんな処に噴気孔があるよ、年配の夫婦がそんな会話をしている。雲ひとつ無い快晴の下で、山肌から噴霧されている白い煙に近づくと、硫黄の匂いが漂っている。赤茶けた、と云うよりは白茶けている砂礫の道を斜行しながら登り、時折振り返ると、上高地から穂高連峰の姿が、愈々明瞭に見渡せるようになっていった。

上高地から此処迄、登山者は疎らだったが、北峰に近づくにつれて、夥しいハイカーが視界に入ってきた。新中の湯ルートから登ってくる者が、やはり多数のようであった。若い人、そしてグループ登山が殆どのようで、賑やかである。茫洋とした気分の儘、歩き続けてきたが、漸く登頂と云う直前で、忌々しい喧騒に出喰わして、最早全身に疲労感が染み渡っていくようであった。前回の日光白根山と同じで、土曜日曜を利用して人気の山に登ると、此のような憂き目に遭う。

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辟易した儘、山頂付近の稜線に乗り上げると、火口淵に突き出た尖峰が現われる。此れが2455.5mの最高点の南峰で、右側に登山道が北峰の方角に分岐していた。登攀禁止の南峰に至る登路の途上の鞍部から、中の湯への道が分かれているようであった。焼岳の登頂、其の最後は噴気孔から蒸気が湧き出る岩の合間を縫って登っていく。噴気孔の白い巨岩は脈を打つような感じで薄緑色に染まっている。子供の頃に観た怪獣映画のセットのようで、マグマが噴火したら、其の下から出てきそうな雰囲気であった。南峰の方を眺めると、噴気の気配は判らない。溶岩ドームに灰色の巨岩が折り重なっているようである。脈打つような北峰に、大勢のハイカーが呑気に登っているのが不思議な光景のように思えた。

標高2444.3mの北峰に登頂した。南峰と対峙する位置に立って眺めると、足元から水蒸気が湧き上がっている。眼下の火口底に、不思議な群青色の正賀池が在った。殺伐とした活火山の火口は、美しさを感じる余裕を与えない。息苦しいような気持ちになって、北面に広がる北アルプスの山々を眺めた。ジオラマのように並ぶ穂高、笠ヶ岳、そして霞沢岳。陰影の無い快晴の眺望は現実感が希薄だった。何かが足りない、そんな心持ちで立ち尽くしている。其れは精神の奥底にあるものの何かであろうと推察できる。我思う、故に鬱鬱とした何かが在る。私は賑やかな山頂から早速下山することにした。愛すべき穂高の山々が、他人事のように見える。もう、出直すしかないと思った。

焼岳小屋から躊躇無く来た道を下山した。足腰は疲弊していたようで、這松の登路で斜面に踏み抜いて、転ばなかったが方膝を付いた。痛苦よりも滑落の恐怖で我に返った。白日夢の中を歩いているような気分になっていた自分に愕然とした。崖の梯子を息を殺して降りて、焼岳に背を向けて歩き続けた。登山口に出たのが十三時を過ぎた頃で、ぐったりとした足取りで田代橋を渡る。中ノ瀬園地でふたたび着替えを済まして、梓川の畔に沿った遊歩道で上高地バスターミナルに向かう。他人事のようだった穂高連峰が、本来の神々しさを湛えた風情で屹立していた。其れで何故か、安堵した気持ちに落ち着いた。梓川の澄んだ川面が、眩しすぎる程、美しかった。


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追記

上高地バスターミナルから、新島々駅行きのバスは二台の運行で出発した。帰途もバスで居眠りを続けた。夜行日帰りの所以だろうか。気持ちが鬱々とした山の行程を思い返して、寝不足の疲労の要因も考えるに至った。松本駅で、昨年kz氏と一緒に入った饂飩屋で麦酒を飲んでから、鈍行を乗り継いで帰京した。18切符で往復できたので安上がりの遠出だったが、北アルプスの日帰りは、やはり精神衛生上よくないのではないかと感じた。

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