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稚児落としから岩殿山(後篇)

トズラ峠に向かう分岐を右に曲がり、木段が続く樹林の尾根道を歩いていた。対向からふたり連れが登ってくる。先程稚児落としから見えた、対角線上の岩尾根を歩いていた人物は高齢の夫婦だった。擦れ違い様に挨拶をして話し掛ける。其れで岩殿山から此処迄の行程を話して呉れたのだが、妙齢カップルの男性と同様に彼等も、鎖場が厳しかったね、と云った。でも若いから大丈夫でしょう。婦人が笑顔で云った。稚児落としの威容に驚嘆して、此れ以上の驚くべきことなど、此の先には無いだろうと考えていた私は、少し気持ちを引き締めるようにして、歩き始めた。樹林帯が程なく途切れて、ふたたび稚児落としの大岩壁の光景が広がる。一段下がった高さで連なる岩尾根の上から、先程迄立っていた方角を見上げた。絶壁の高さは低い場所から眺めると、また違った趣の迫力が在った。と、ふたたび芥子粒のような大きさになった高齢夫妻の姿が現われた。ヤッホーと叫ぶ声に、私は大きく手を振って応えた。

Chigo_otoshi_a

2015/4/30

大月駅(8:50)-----浅利-----稚児落とし-----天神山-----カブト岩-----岩殿山(13:00)-----岩殿上バス停-----猿橋-----猿橋駅(16:00)

Photo

稚児落としから遠ざかり、登山道は尾根の東側に沿って続いていた。相変わらずの新緑に包まれた道の途上で、送電線が時折垣間見える。南下する天神山に向かう尾根に、送電鉄塔が点在しているのは大岩壁の上から眺めて判っていたので、順調に進路を踏破している実感が湧いてくる。勾配が急になってきたなと思ったら、左手に延びる尾根が見えてきた。そうして登りついた処に、小さな祠が在った。真直ぐに落ちていく尾根の先に、大月の街並みが一望できる処であった。花咲山の裾にゴルフ場が不自然なグリーンで纏わりついている。数時間前に歩いていた桂川の扇状地が広がっている。自分の歩いて来た場所が、箱庭のように、眼下に広がっている。本当に歩いてきたのだろうかと、自分のことが俄かに信じられなくなる。其れは、非現実的な、玩具のような風景だった。

祠の展望地から東に尾根が延びていて、少し傾斜を登った処に天神山の山名標が在った。其れを乗越して、中央本線と併行しながら、岩殿山に向かって尾根を歩く。電車の車窓から眺めることのできる、岩が露出した長大な尾根である。其の上を歩いている。踏路は岩の内側に沿って丹念に刻まれていた。少々の起伏を経て、樹木の合間を縫って歩き、唐突に眺望の広がる岩の突端に出る。其の繰り返しは、飽きることの無い道程だった。

Iwadono1

大月駅の向こう側に鎮座する菊花山の彼方に、道志の山々が朧気に連なっているのを眺める。青空の広がりの下で山なみは陽光を浴び、遠近感が無いフラットな絵画のように広がっている。そんな好天だが、富士山の姿は全く見えない。其れが不思議だった。そうして幾度か樹林帯と岩の淵の歩きを繰り返しているうちに、端整な岩塔が眼の前に出現した。尖った巨岩の滑らかな胴体が屹立している。背景の岩殿山は、苔に塗れたかのように、こんもりとした緑色で聳えている。尖塔はカブト岩と云う岩峰で、実直に辿る登山道を遮断していた。塔の背中に廻り込むようにして、トラバース道が日陰の樹林帯に向かって延びていた。

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登山地図では曖昧な表現でカブト岩を迂回しているかのように記されているが、捲道は途中から傾斜を増して、カブト岩の東側に向かって登るようにして続いていた。其の途中に、完全に岩峰を避けて歩くことのできる道が分岐している。森林コースの道標が立っている。私は、逡巡することなく、カブト岩の背中を強引に登っていく踏路に歩を進めた。砂礫状の急登を四つん這いになって、砂で靴が滑るのを堪えて登り続けて、ぽっかりと空が広がる岩の上に達した。カブト岩の東側から眺めると、岩殿山がいよいよ近づいてきているように感じられた。

広場の隅に、鎖場の指標が在った。下方から、もう直ぐです、と云う声が聞こえる。程無く、大丈夫でえす、と下方に向かって叫びながら、若い女性がひとり登ってきた。どうやら複数の人々が登ってきているようであった。鎖の彼方を見下ろすが、せり出した岩に隠れていて全容を見ることはできない。緊張感が抜けないのか、登りきって休憩している女性の表情は硬かった。挨拶して、何人くらい登ってくるのかと訊いてみる。彼女は茫然とした表情の儘、二、三人くらいだと思うんですが、と云った。そして、此処を下るんですか、と心配そうな顔で私を見た。

心優しい単独女性が立ち去っても、後続の登攀者は未だ姿を見せない。待つしかないな、そう思い、暫く休憩することにした。紫煙を燻らせて相変わらずの良景を見渡す。東京方面を眺めると、御馴染みの倉岳山と高畑山が連なっている。遠望の視線を転じても、富士山は相変わらず見えない。高川山が、小さい丘のように、控え目に盛り上がっている。

幾ら待っても、鎖の下から物音は聞こえてこなかった。怪訝に感じて、取り敢えず鎖を掴んで、狭い岩の間を下降していくことにした。視界を遮る岩の処迄降りて、漸く岩場の全景を見下ろすことができた。崖の淵に、人影は無かった。後続の人々は、諦めて森林コースに迂回したのだろう。其れで、本格的に垂直の鎖場を下ることにした。頑丈な鎖の他に、鉄製の鉤状取っ手が岩に打ち込んである。確保に問題は無いが、直下を見ると遥か谷底に森林が蠢いているのが判る。其の高度感は緊張を強いるものが有った。

私は、不帰險北峰のことを思い出していた。峻険な岩肌に貼りついて、黒部側の谷を俯瞰して眺めた光景を思い浮かべた。そうなのだ。俺は不帰キレットを越えた男なのだ。こんな鎖場は、淡々と通過しなければならない。そんなことを考えると、非常に気分が落ち着いてくるのだった。其れで乾いた砂礫に着地したが、其処からは岩尾根の側面に無理矢理刻んだトラバース道であった。ロープを掴み、横這いになって、心細くなる程狭い足場を移動した。無事に渡り終えた処で、深呼吸した。心裡としては、やはり切迫した心持ちになっていたのだった。こんなことで、剱岳に登ることができるんだろうか。そんなことを思った。

カブト岩を過ぎれば、後は鞍部に向かって降りていくだけなのだが、鎖場はもう一箇所在って、弛緩して歩き続けると云う訳にはいかなかった。躑躅の花の彩りを添えて、踏路は徐々に高度を下げていく。鞍部の筑坂峠に差し掛かり、城砦の雰囲気を漂わせながら、登山道は山腹をループしながら勾配を上げていった。階段状のメインルートに合流して、一投足で岩殿山の頂きの広場に到達した。

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岩殿山の頂上は、厳密に云えば電波塔の在るピークだが、其の手前の展望地になっている箇所に山名標が在る。随分大月駅方面の眺望を愉しんできたが、岩殿城はさすがに一等地と云った趣で、桂川の流れを真下に、そして全方位が見渡せる絶景だった。遠くから甲高い汽笛が聴こえる。やがて、山峡の合間から貨物列車が現われた。よく出来た鉄道模型のジオラマを眺めているような錯覚に陥りそうになった。

貨物列車は、大月駅を何の用も無いと云った態で、淡々と通過していった。桂川が蛇行するのに付き合うように、鉄路はゆっくりとカーブを繰り返して東へと続いている。機関車の汽笛が短く鳴って、貨物列車はトンネルの中に消えていく。私は、茫洋とした気持ちで、いつまでも其れを眺めていた。

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