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稚児落としから岩殿山(前篇)

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中央本線の電車が猿橋駅を発車して、岩の要塞のような山が右手に現われる。駅から直ぐに登ることができると云うので、何時でも訪れることができると思って軽視していた岩殿山である。人工的な迄に露出している岩肌に、岩殿城址の看板が設えてある。未だ四月だが、真夏のような最高気温を記録する連日の晴天が続いている。展望の山に登るには絶好の時期かも知れない。そう思い立って久しぶりに電車に揺られ続けている。電車はやがて、厳粛さを表現するかのように、速度を落としていく。其れは富士急が分岐する大月駅が、交通の要衝であることを改めて感じさせて呉れる。

2015/4/30

大月駅(8:50)-----浅利-----稚児落とし-----天神山-----カブト岩-----岩殿山(13:00)-----岩殿上バス停-----猿橋-----猿橋駅(16:00)

河口湖方面に向かう電車に乗り換える人も少なく、閑散としていた大月駅だが、駅前に出ると観光客の姿が散見できて、少し遠く迄来たのだな、と云う実感が湧いてくる。今年になってから、碌に山行が出来ていない。相州大山のグループ登山に参加した迄はよかったが、その後に著しく体調を崩してしまった。復調となってからも、奥武蔵や奥多摩の低山を逍遥するばかりだったので、大月迄行くと云うのが、遠く迄旅をしている気分にさせて呉れる。

尤も、距離が遠いと云うのは人によって感覚が違うかもしれない。大月を遠いと感じるのは、其の観光地然とした雰囲気に起因している。富士五湖の玄関口であることもあるが、駅の周辺を歩くと、古びた商店が廃れているのが散見できる。大月駅前から右手に入り、払い下げの車輌に厚化粧したフジサン特急が待避線に停まっているのを横目で見ながら歩き、裏通りに入ると快晴なのに建物の陰で周囲は薄暗く静まり返っている。錆びたシャッターが閉じた儘の廃業したと思しき店に、ミルクホールと云う看板が掛かっている。昔から観光地として栄えてきた街並みが静まり返っている風情が、何とも云えない旅愁を誘う。此れと似たような感興を覚える駅が在る。小田原や熱海、京浜急行の浦賀なども似たような旅愁を覚える。何れも観光地的に歴史の在る土地である。ウチはそんなに寂れてないぞと、小田原あたりは憤激しそうだけれど、近代的な駅から離れて小路に入ると、栄枯盛衰を思わせる古い商店が並んでいて、存外に飽きない。

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それはそうとして、平日の午前九時を廻った時刻の、静かな大月駅界隈を歩いているが、岩殿山からどんどん遠ざかっている恰好である。直截的に登山をするならば、大月駅から猿橋駅方面に戻って線路を渡り、城址の山腹の正面に向かえばいいのだが、其れでは詰まらない。セーメーバンから連なる尾根の途中から、時計回りの恰好で大月駅から岩殿山を目指そうと思う。岩殿城落城に纏わる悲劇の伝説地、稚児落としを経由して、峻険な岩尾根を歩いて岩殿山を目指すのである。

歩行者用の跨線橋を渡り、駅の裏側に出た。甲州街道から分岐した県道を歩くと、二又に分岐している箇所に着く。通り掛かった高齢のおじいさんに、浅利の方向を尋ねると、左を下って行けと教えて呉れた。おじいさんは山歩きの徒に慣れているのか、向こうからの登りは急だから気をつけて行くように、と云った。左手に入ると、大月駅周辺の住宅地の裏に廻り込むような形になった。桂川を挟んで、岩殿山の山塊と大月の市街地が対峙している。市街地は崖っぷちのギリギリの処で尽きていて、私は其の崖の下に沿って歩いていた。其処から、河岸段丘が落ち込んで広い扇状地になっているのが見渡せた。青空を背景に、花咲山と天神山が作り物のように佇んでいて、中央高速道の橋梁がふたつの山を繋いでいる。思わぬ良景だったので、暫く立ち止まって其の風景を眺めていた。

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県道は大きくカーブしながら、扇状地の中央に向かって続いていた。崖に張り付くように賎家が点在していて、川岸側には畑地が広がっている。先程眺めた遠景の中を歩いている自分が、客観的な視点となって脳裡に浮かぶ。蟻のように小さい生き物が、とぼとぼと高速道路の下に向かって歩いている。灼熱の陽射しを浴びて、私は茫然とした儘、歩き続けていた。

漸く中央道の下を通過して、浅利の集落入った。浅利川に沿って、バイパス線と合流した県道512号を歩いて行く。手にしている昭文社の地図には、花咲山への分岐である廿三夜塔と浅利公民館のポイントが記されている。広域の1/50000地図では距離感が測れないので、思ったよりも随分歩いているような気がする。稚児落としへの分岐である「吊橋」は、依然として現われない。しかし、山峡の細い道路は日陰が多いので、心地好く歩くことが出来た。花咲山側の尾根に沿って蛇行する舗装路を歩き続けて、吊橋にはお目に掛かれない儘、稚児落としの分岐を示す道標が現われた。

浅利川を渡ってからは、山腹に点在する民家を見上げながら、歩いて来た方角に引き返すような感じで、南東に山道が続いていた。小さい沢を幾つか越えて、次第に尾根に向かって勾配が上がってくる。やがて唐突に道標が現われ、設えてあった階段を登って尾根を急登していく。登山道は初っ端から急勾配が続いたので、道を訊いたおじいさんの言葉が思い返されて、思わず内心で首肯した。

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傾斜を登りきって、支尾根の上に乗ると、対面に広がる谷が鬱蒼として広がっていた。見渡す限りの自然林で嬉しくなる。小楢や橅の合間に、ホオノキの白い樹皮が映えている。ライトグリーンに反射した陽光に包まれて、尾根道が続いていた。次に合流する尾根で、ふたり組の下山者と擦れ違う。トレランの恰好をした男女が、足早に遠ざかっていくのを見おろしながら、疲労ではなく、心地好さに浸りながら、私は緩慢に歩き続けた。

稚児落としの大岩壁に向かって喰い込む谷が、どのようにして現われるのだろうかと地形図を凝視してみるが、殆ど把握が出来ない儘、東南に向かって延びる尾根を登り続けた。唐突に空が開けて、尾根が断崖になって落ちている箇所に到達した。南西に眺望が一挙に開けた処で、花咲山とサス平が緑のお椀のようにして立ち並んでいる。岩の淵には妙齢の男女が風景を眺めていた。既に下山の途中である彼等に、稚児落としは未だ先ですね、と話し掛けた。凄い眺めでしたよ、と女性の方が云った。

私は、駅から直ぐに登ることができるから、何時でも行けると思っていた儘になっていたので、稚児落としは初めて訪れるのだと云うことを話した。すると、私たちもおんなじなんです、暑くならないうちに行っておこうと思って、と女性が嬉しそうに云った。其れで、大岩壁の上はどのようにして歩いていくのか、怖くは無いのかと云う、心の隅に少しだけ在った不安を打ち明けた。其れは大丈夫です。其れより後の鎖場の方が怖いかな、と男性が云った。爽やかに挨拶を交わして別れたふたりの満悦の様子が窺えて、私は、もうすぐ到達するであろう稚児落としの情景が、非常に楽しみに思えてきた。

断崖の上から尾根はふたたび北東に進路を変えて、岩礫の急斜面が現われた。鎖が垂らしてあるが、其れに頼らないでも登ることができた。岩の斜面の途上から、トズラ峠方面の良景が広がる。途中で停まって眺めていたら砂礫で足が滑った。咄嗟に木の枝を掴んで難を逃れた。ふと気付くと、周囲にはシロダモの明るい樹肌が立ち並んでいた。徐々に樹林が疎らになった登山道の先に、滑らかな岩の曲線が在って、其の向こうに、空が広がっている。最後の支尾根を登りきった処に、此処から稚児落とし、危険、の指標が立っていた。

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薄茶色の岩の上に立ち、断崖に広がる谷底を見渡した。写真で幾度も見た稚児落としだが、其の上から実際に眺めると、圧倒的な力が全身に押し寄せてくるような感覚に囚われた。対角線上には、直角に連なる大岩壁が聳えている。其れを眼下に見る恰好である。落ちたら、最期である。こんな処が登山道で大丈夫なのかと、信じられないような気持ちになった。勿論、絶壁の上に連なる岩の内側を歩くので大丈夫なのは判っている。しかし、景色を眺めない訳にはいかないので岩の上に立つのは必然である。そうして眺めていると、陳腐な表現しか出来ないが、吸い込まれそうになる。対角線上の岩壁の上を、誰かが登って来るのが見えた。大岩壁の上に、芥子粒のような大きさで、人間が歩いていた。

鼓動が早まっていくのを感じながら眺望を堪能して、稚児落としの上を及び腰で歩いて行く。断崖の向こうを想像して、千鳥姫の伝説が脳裡に浮かんでくる。武田勝頼を見切り、小山田氏は織田信長に加担しようとするが、其の不忠を逆に織田勢に咎められ、岩殿城は攻め込まれた。小山田信茂の側室、千鳥姫は、信茂の次男と、実子の万生丸を連れて、護衛の兵と共に岩殿城から西の尾根を伝って逃げ延びようとして、此の断崖の上に辿り着いた。一行は無事に落ち延びたことに安堵し、喜びの声を上げた。声は大岩壁に反響して、思いも拠らぬ方角から返ってきた。追手の声だと勘違いした一行が騒然となり、其れを切っ掛けにして未だ赤子であった万生丸が泣き出した。此の大岩壁は、反響する声の所為で、呼ばわり谷、と云う名が付いていた。護衛の小幡太郎は、赤子の泣声により追手に捕らえられる危険を避ける為に、万生丸を千鳥姫から奪い、断崖から谷底へ投げ落とした、と云う伝説である。

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現代人の価値観で、或る時代の事象を判じることは出来ない。伝説に対し、其の真偽に就いて考えるのも愚行である。確かなのは、稚児落としと呼ばれる此の大岩壁が確かに存在していると云うことで、其れを実際に眺めていると、さもありなん、そんな確信が心の底から湧き上がってくる。褐色の岩壁は何処までも深く落ち込んでいた。其の壁に貼り付く様にして、樹木が点在して生えている。若葉の緑が、残酷な伝承など大した問題ではないと云わんばかりに、懸命に生きている。煩悩に左右されて生きる人間が、如何にも詰まらない、些少な存在であると云うような気持ちになってくる。

現在時刻の稚児落としに於いて、瑣末な存在の代表である私は、心臓に早鐘を打たせながら、木々が繁る安全地帯に向かって、腰を低くして、歩いて行くのだった。樹林帯に入って、我に返ったかのように振り返る。何たる小心かと自分を憐れみながら、平穏になった登山道をゆっくりと歩き続けた。噎せ返るような若葉の息吹きが、周囲を包み込んでいった。

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