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2015年5月

明神ヶ岳・大涌谷の眺望

外輪山から大涌谷を正面に眺めることのできる明神ヶ岳に登ろうと思い立った。箱根山が噴火しそうだ、と云う連日の報道の影響が多分に在るのは否定できない。中央火口丘からどのような噴煙が立ち昇っているのか、野次馬のようではあるけれども、箱根の外輪山に登って眺めてみようと云うことにした。金時山から巡っていくのは億劫なので、道了尊からの直登コースである。早朝の小田急線新松田駅前には、乗客の疎らな関本行きバスが佇んでいた。関本は伊豆箱根鉄道大雄山線の終点、大雄山駅の在る地名で、其処から道了尊行きのバスが出ている。バスを二本乗り継いで登山口に向かうと云う面倒なことになるが、小田原迄南下して、大雄山線に乗り換えてふたたび北上するのも迂遠である。そう云う訳で、ハイカーが見向きもしないバスに飄々と乗り込んだ。

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2015/5/10

道了尊バス停(8:00)-----明神ヶ岳-----明星ヶ岳-----堂ヶ島渓谷遊歩道-----宮ノ下駅(14:30)

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終点の関本で待ち合わせ時間が二十数分有り、唯一同乗していたハイカーの壮年氏とベンチに座って喋りながら休憩していると、タクシー運転手氏が千五百円で行くがどうかと誘いに来た。三人居れば考えるとこだがなあ、と壮年氏が云った。パンの朝食を摂っていたら、間もなく道了尊行きがやってきた。ふたりだけの乗客かと思っていたら、大雄山線の電車が到着して、登山客が大勢乗り込んできた。

大雄山駅から道了尊迄は、歩いて行けないこともないかなと考えていたが、道路は着実に勾配を上げて、森の中を蛇行して走るから、此れはバスで正解だった。下山ならば歩いてもいいけどね、と壮年氏が云った。厚木市からやってきた彼は、昨日も丹沢表尾根を歩いて塔ノ岳に登ったと云うから健脚である。意気投合して、一緒に登ろうかと云う雰囲気だったが、最乗寺から登山道に入ってからは、歩調が全く違うので、壮年氏を見送った私は、ゆっくりと初めての尾根道を歩いた。

新緑に覆われた尾根道は、緩やかに、実直に続いていた。冬の箱根外輪山を周回した時に眺めた、火口の中に在る箱根を思い浮かべる。広大な火山の淵に向かって延びる、北東の尾根を登っているのだと意識しながら歩き続けた。最初に横切る林道を越えて、同じような景色の樹林帯を登るが、周囲は自然林に覆われているので心地好く、時折左手に長大な尾根を樹間から窺う。矢佐芝に落ちていく尾根だろうか。冬の丸岳から眺めた明神ヶ岳は幅広い山容で、険しく尖った峰の集合体だった。幾つもの尾根が平地に向かって延びているのだろう。

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足柄林道が横断する箇所迄、随分後続の登山者に抜かれた。トレランの徒も多い。外輪山を駆け抜けるのはさぞかし気持ちがよいだろうと思う。私は地形図を見る為に、頻繁に立ち止まる。コースタイムを意識して、足早に登っていたのが遠い過去のことのような気がする。程無く廃屋と化した明神ヶ岳見晴小屋に到達した。酒匂川に沿って広がる市街地を一望できるが其れ程の良景ではない。此処で高齢の男女のグループに追いつかれる。女性ふたりがもの凄く喧しいので慌てて出発した。

標高が七百米を越えて、登山道は樹木が刈り払われたようになっていて明るくなった。登山地図に記されている神明水は、直射日光を浴びる乾いた砂礫の尾根の途上に在った。からからに乾いた路傍に、細いパイプが突き出ていて、水が滾々と流れている。口に含んで、其の冷たさに驚いた。其処から急な傾斜になり、ジグザグに刻まれた道を登って、尾根に乗り上げる。廃れた荷揚ケーブルの塔柱とワイヤーが併行する登山道は、何処迄も広い空の下に続いていた。

灼熱の中を歩き続けて、登山道はやがて尾根の側面を刻むようになった。明神ヶ岳に続く尾根から徐々に離れて、小さな谷筋が現われる。トラバースが続いて南の尾根に移動するのを繰り返して、泥濘の道行となる。神明水の次に記されている明神水はそんな途上の鬱蒼とした処に在った。明神ヶ岳から離れていくような道が続いてどうなるのかと思うが、やがて立派な尾根が行く手を遮る。其処に乗ってからは、稜線に向かって登山道が続いている。外輪山が近づき、雲が覆うようになった空は、不穏な灰色になっていった。

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明神と明星の双方向に道が分かれて居る処を右に、傾斜の砂礫が白くなっていく。上空には複数のヘリコプターが飛び交っている。やがて稜線に立つと、直ぐ目の前に中央火口丘が聳えていた。曇天が、其処の上にだけを覆ってているように見えた。雲間からひと筋の光が、丁度よく大涌谷の亀裂に差し込んでいて、白煙がスポットライトを浴びて吹き上がっていた。

火口に向かって湾曲して連なる明神ヶ岳の頂上には、多くのハイカーが佇んでいて、正面の箱根山を眺めている。巨大な壁画を皆で見ているような気持ちになった。

「ちょっと多い様な気もするけどなァ」ベテラン風のおじさんが呟いた。大涌谷の煙は、ずっと前から眺めていたものと大差は無いように思えた。地下マグマが膨張していて、地殻の裂目から兆候が現われていると云う感じではないが、勿論何が起ころうとしているのかは判らない。大勢の人々が頂上に居るのに、奇妙な静寂が周囲を支配していた。噴火するのを待ち望んでいるかのようなヘリコプターの音だけが、周囲に響き渡っていた。

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別記

外輪山東側を初めて歩き、眺望の無い明星ヶ岳に立ち寄り、宮城野方面に下山。大文字焼の開けた箇所から強羅を見下ろす。なかなかの絶景であった。早川の渓谷まで降り立ち、宮ノ下に登り返した。町営公衆浴場に立ち寄ったが客はひとりも居なかった。テレビの所為でお客が半分以下に減ってしまった。管理人のおばさんは、憤りを隠さなかった。

補記

箱根山(箱根町)の大涌谷周辺で続く活発な火山活動で、県温泉地学研究所がこれまでに捉えた微小な火山性地震の総数は24日、2001年の活動で記録された4230回を超え、観測史上最多となった。約5カ月に及んだ01年の地震数を1カ月足らずで上回り、5~6倍のペースで増え続けている。激しい噴気や地殻変動も継続しており、地下のマグマが活発になっているとみて、活動の長期化と小規模な噴火を警戒している。(中略)温地研が箱根山の地震監視を始めた1960年代も目立ったが、現在とは観測態勢が異なるため比較が難しく、01年の後に発生した4回の活動はいずれも地震の総数が千~2千回程度で終息。11年も群発地震はあったものの、東日本大震災に誘発された活動で、火山性ではないと判断されている。(中略)01年以降の群発地震を比較分析した原田昌武主任研究員は、今回の活動について「衛星利用測位システム(GPS)の観測データに山全体が膨らむ傾向が表れていることから、深い所のマグマが膨張している可能性が高い」とみる。一方で「地震の規模や発生する場所は01年の活動に似ている」と指摘している。(後略)

〈神奈川新聞 2015.5.25〉

稚児落としから岩殿山(後篇)

トズラ峠に向かう分岐を右に曲がり、木段が続く樹林の尾根道を歩いていた。対向からふたり連れが登ってくる。先程稚児落としから見えた、対角線上の岩尾根を歩いていた人物は高齢の夫婦だった。擦れ違い様に挨拶をして話し掛ける。其れで岩殿山から此処迄の行程を話して呉れたのだが、妙齢カップルの男性と同様に彼等も、鎖場が厳しかったね、と云った。でも若いから大丈夫でしょう。婦人が笑顔で云った。稚児落としの威容に驚嘆して、此れ以上の驚くべきことなど、此の先には無いだろうと考えていた私は、少し気持ちを引き締めるようにして、歩き始めた。樹林帯が程なく途切れて、ふたたび稚児落としの大岩壁の光景が広がる。一段下がった高さで連なる岩尾根の上から、先程迄立っていた方角を見上げた。絶壁の高さは低い場所から眺めると、また違った趣の迫力が在った。と、ふたたび芥子粒のような大きさになった高齢夫妻の姿が現われた。ヤッホーと叫ぶ声に、私は大きく手を振って応えた。

Chigo_otoshi_a

2015/4/30

大月駅(8:50)-----浅利-----稚児落とし-----天神山-----カブト岩-----岩殿山(13:00)-----岩殿上バス停-----猿橋-----猿橋駅(16:00)

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稚児落としから遠ざかり、登山道は尾根の東側に沿って続いていた。相変わらずの新緑に包まれた道の途上で、送電線が時折垣間見える。南下する天神山に向かう尾根に、送電鉄塔が点在しているのは大岩壁の上から眺めて判っていたので、順調に進路を踏破している実感が湧いてくる。勾配が急になってきたなと思ったら、左手に延びる尾根が見えてきた。そうして登りついた処に、小さな祠が在った。真直ぐに落ちていく尾根の先に、大月の街並みが一望できる処であった。花咲山の裾にゴルフ場が不自然なグリーンで纏わりついている。数時間前に歩いていた桂川の扇状地が広がっている。自分の歩いて来た場所が、箱庭のように、眼下に広がっている。本当に歩いてきたのだろうかと、自分のことが俄かに信じられなくなる。其れは、非現実的な、玩具のような風景だった。

祠の展望地から東に尾根が延びていて、少し傾斜を登った処に天神山の山名標が在った。其れを乗越して、中央本線と併行しながら、岩殿山に向かって尾根を歩く。電車の車窓から眺めることのできる、岩が露出した長大な尾根である。其の上を歩いている。踏路は岩の内側に沿って丹念に刻まれていた。少々の起伏を経て、樹木の合間を縫って歩き、唐突に眺望の広がる岩の突端に出る。其の繰り返しは、飽きることの無い道程だった。

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大月駅の向こう側に鎮座する菊花山の彼方に、道志の山々が朧気に連なっているのを眺める。青空の広がりの下で山なみは陽光を浴び、遠近感が無いフラットな絵画のように広がっている。そんな好天だが、富士山の姿は全く見えない。其れが不思議だった。そうして幾度か樹林帯と岩の淵の歩きを繰り返しているうちに、端整な岩塔が眼の前に出現した。尖った巨岩の滑らかな胴体が屹立している。背景の岩殿山は、苔に塗れたかのように、こんもりとした緑色で聳えている。尖塔はカブト岩と云う岩峰で、実直に辿る登山道を遮断していた。塔の背中に廻り込むようにして、トラバース道が日陰の樹林帯に向かって延びていた。

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登山地図では曖昧な表現でカブト岩を迂回しているかのように記されているが、捲道は途中から傾斜を増して、カブト岩の東側に向かって登るようにして続いていた。其の途中に、完全に岩峰を避けて歩くことのできる道が分岐している。森林コースの道標が立っている。私は、逡巡することなく、カブト岩の背中を強引に登っていく踏路に歩を進めた。砂礫状の急登を四つん這いになって、砂で靴が滑るのを堪えて登り続けて、ぽっかりと空が広がる岩の上に達した。カブト岩の東側から眺めると、岩殿山がいよいよ近づいてきているように感じられた。

広場の隅に、鎖場の指標が在った。下方から、もう直ぐです、と云う声が聞こえる。程無く、大丈夫でえす、と下方に向かって叫びながら、若い女性がひとり登ってきた。どうやら複数の人々が登ってきているようであった。鎖の彼方を見下ろすが、せり出した岩に隠れていて全容を見ることはできない。緊張感が抜けないのか、登りきって休憩している女性の表情は硬かった。挨拶して、何人くらい登ってくるのかと訊いてみる。彼女は茫然とした表情の儘、二、三人くらいだと思うんですが、と云った。そして、此処を下るんですか、と心配そうな顔で私を見た。

心優しい単独女性が立ち去っても、後続の登攀者は未だ姿を見せない。待つしかないな、そう思い、暫く休憩することにした。紫煙を燻らせて相変わらずの良景を見渡す。東京方面を眺めると、御馴染みの倉岳山と高畑山が連なっている。遠望の視線を転じても、富士山は相変わらず見えない。高川山が、小さい丘のように、控え目に盛り上がっている。

幾ら待っても、鎖の下から物音は聞こえてこなかった。怪訝に感じて、取り敢えず鎖を掴んで、狭い岩の間を下降していくことにした。視界を遮る岩の処迄降りて、漸く岩場の全景を見下ろすことができた。崖の淵に、人影は無かった。後続の人々は、諦めて森林コースに迂回したのだろう。其れで、本格的に垂直の鎖場を下ることにした。頑丈な鎖の他に、鉄製の鉤状取っ手が岩に打ち込んである。確保に問題は無いが、直下を見ると遥か谷底に森林が蠢いているのが判る。其の高度感は緊張を強いるものが有った。

私は、不帰險北峰のことを思い出していた。峻険な岩肌に貼りついて、黒部側の谷を俯瞰して眺めた光景を思い浮かべた。そうなのだ。俺は不帰キレットを越えた男なのだ。こんな鎖場は、淡々と通過しなければならない。そんなことを考えると、非常に気分が落ち着いてくるのだった。其れで乾いた砂礫に着地したが、其処からは岩尾根の側面に無理矢理刻んだトラバース道であった。ロープを掴み、横這いになって、心細くなる程狭い足場を移動した。無事に渡り終えた処で、深呼吸した。心裡としては、やはり切迫した心持ちになっていたのだった。こんなことで、剱岳に登ることができるんだろうか。そんなことを思った。

カブト岩を過ぎれば、後は鞍部に向かって降りていくだけなのだが、鎖場はもう一箇所在って、弛緩して歩き続けると云う訳にはいかなかった。躑躅の花の彩りを添えて、踏路は徐々に高度を下げていく。鞍部の筑坂峠に差し掛かり、城砦の雰囲気を漂わせながら、登山道は山腹をループしながら勾配を上げていった。階段状のメインルートに合流して、一投足で岩殿山の頂きの広場に到達した。

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岩殿山の頂上は、厳密に云えば電波塔の在るピークだが、其の手前の展望地になっている箇所に山名標が在る。随分大月駅方面の眺望を愉しんできたが、岩殿城はさすがに一等地と云った趣で、桂川の流れを真下に、そして全方位が見渡せる絶景だった。遠くから甲高い汽笛が聴こえる。やがて、山峡の合間から貨物列車が現われた。よく出来た鉄道模型のジオラマを眺めているような錯覚に陥りそうになった。

貨物列車は、大月駅を何の用も無いと云った態で、淡々と通過していった。桂川が蛇行するのに付き合うように、鉄路はゆっくりとカーブを繰り返して東へと続いている。機関車の汽笛が短く鳴って、貨物列車はトンネルの中に消えていく。私は、茫洋とした気持ちで、いつまでも其れを眺めていた。

稚児落としから岩殿山(前篇)

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中央本線の電車が猿橋駅を発車して、岩の要塞のような山が右手に現われる。駅から直ぐに登ることができると云うので、何時でも訪れることができると思って軽視していた岩殿山である。人工的な迄に露出している岩肌に、岩殿城址の看板が設えてある。未だ四月だが、真夏のような最高気温を記録する連日の晴天が続いている。展望の山に登るには絶好の時期かも知れない。そう思い立って久しぶりに電車に揺られ続けている。電車はやがて、厳粛さを表現するかのように、速度を落としていく。其れは富士急が分岐する大月駅が、交通の要衝であることを改めて感じさせて呉れる。

2015/4/30

大月駅(8:50)-----浅利-----稚児落とし-----天神山-----カブト岩-----岩殿山(13:00)-----岩殿上バス停-----猿橋-----猿橋駅(16:00)

河口湖方面に向かう電車に乗り換える人も少なく、閑散としていた大月駅だが、駅前に出ると観光客の姿が散見できて、少し遠く迄来たのだな、と云う実感が湧いてくる。今年になってから、碌に山行が出来ていない。相州大山のグループ登山に参加した迄はよかったが、その後に著しく体調を崩してしまった。復調となってからも、奥武蔵や奥多摩の低山を逍遥するばかりだったので、大月迄行くと云うのが、遠く迄旅をしている気分にさせて呉れる。

尤も、距離が遠いと云うのは人によって感覚が違うかもしれない。大月を遠いと感じるのは、其の観光地然とした雰囲気に起因している。富士五湖の玄関口であることもあるが、駅の周辺を歩くと、古びた商店が廃れているのが散見できる。大月駅前から右手に入り、払い下げの車輌に厚化粧したフジサン特急が待避線に停まっているのを横目で見ながら歩き、裏通りに入ると快晴なのに建物の陰で周囲は薄暗く静まり返っている。錆びたシャッターが閉じた儘の廃業したと思しき店に、ミルクホールと云う看板が掛かっている。昔から観光地として栄えてきた街並みが静まり返っている風情が、何とも云えない旅愁を誘う。此れと似たような感興を覚える駅が在る。小田原や熱海、京浜急行の浦賀なども似たような旅愁を覚える。何れも観光地的に歴史の在る土地である。ウチはそんなに寂れてないぞと、小田原あたりは憤激しそうだけれど、近代的な駅から離れて小路に入ると、栄枯盛衰を思わせる古い商店が並んでいて、存外に飽きない。

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それはそうとして、平日の午前九時を廻った時刻の、静かな大月駅界隈を歩いているが、岩殿山からどんどん遠ざかっている恰好である。直截的に登山をするならば、大月駅から猿橋駅方面に戻って線路を渡り、城址の山腹の正面に向かえばいいのだが、其れでは詰まらない。セーメーバンから連なる尾根の途中から、時計回りの恰好で大月駅から岩殿山を目指そうと思う。岩殿城落城に纏わる悲劇の伝説地、稚児落としを経由して、峻険な岩尾根を歩いて岩殿山を目指すのである。

歩行者用の跨線橋を渡り、駅の裏側に出た。甲州街道から分岐した県道を歩くと、二又に分岐している箇所に着く。通り掛かった高齢のおじいさんに、浅利の方向を尋ねると、左を下って行けと教えて呉れた。おじいさんは山歩きの徒に慣れているのか、向こうからの登りは急だから気をつけて行くように、と云った。左手に入ると、大月駅周辺の住宅地の裏に廻り込むような形になった。桂川を挟んで、岩殿山の山塊と大月の市街地が対峙している。市街地は崖っぷちのギリギリの処で尽きていて、私は其の崖の下に沿って歩いていた。其処から、河岸段丘が落ち込んで広い扇状地になっているのが見渡せた。青空を背景に、花咲山と天神山が作り物のように佇んでいて、中央高速道の橋梁がふたつの山を繋いでいる。思わぬ良景だったので、暫く立ち止まって其の風景を眺めていた。

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県道は大きくカーブしながら、扇状地の中央に向かって続いていた。崖に張り付くように賎家が点在していて、川岸側には畑地が広がっている。先程眺めた遠景の中を歩いている自分が、客観的な視点となって脳裡に浮かぶ。蟻のように小さい生き物が、とぼとぼと高速道路の下に向かって歩いている。灼熱の陽射しを浴びて、私は茫然とした儘、歩き続けていた。

漸く中央道の下を通過して、浅利の集落入った。浅利川に沿って、バイパス線と合流した県道512号を歩いて行く。手にしている昭文社の地図には、花咲山への分岐である廿三夜塔と浅利公民館のポイントが記されている。広域の1/50000地図では距離感が測れないので、思ったよりも随分歩いているような気がする。稚児落としへの分岐である「吊橋」は、依然として現われない。しかし、山峡の細い道路は日陰が多いので、心地好く歩くことが出来た。花咲山側の尾根に沿って蛇行する舗装路を歩き続けて、吊橋にはお目に掛かれない儘、稚児落としの分岐を示す道標が現われた。

浅利川を渡ってからは、山腹に点在する民家を見上げながら、歩いて来た方角に引き返すような感じで、南東に山道が続いていた。小さい沢を幾つか越えて、次第に尾根に向かって勾配が上がってくる。やがて唐突に道標が現われ、設えてあった階段を登って尾根を急登していく。登山道は初っ端から急勾配が続いたので、道を訊いたおじいさんの言葉が思い返されて、思わず内心で首肯した。

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傾斜を登りきって、支尾根の上に乗ると、対面に広がる谷が鬱蒼として広がっていた。見渡す限りの自然林で嬉しくなる。小楢や橅の合間に、ホオノキの白い樹皮が映えている。ライトグリーンに反射した陽光に包まれて、尾根道が続いていた。次に合流する尾根で、ふたり組の下山者と擦れ違う。トレランの恰好をした男女が、足早に遠ざかっていくのを見おろしながら、疲労ではなく、心地好さに浸りながら、私は緩慢に歩き続けた。

稚児落としの大岩壁に向かって喰い込む谷が、どのようにして現われるのだろうかと地形図を凝視してみるが、殆ど把握が出来ない儘、東南に向かって延びる尾根を登り続けた。唐突に空が開けて、尾根が断崖になって落ちている箇所に到達した。南西に眺望が一挙に開けた処で、花咲山とサス平が緑のお椀のようにして立ち並んでいる。岩の淵には妙齢の男女が風景を眺めていた。既に下山の途中である彼等に、稚児落としは未だ先ですね、と話し掛けた。凄い眺めでしたよ、と女性の方が云った。

私は、駅から直ぐに登ることができるから、何時でも行けると思っていた儘になっていたので、稚児落としは初めて訪れるのだと云うことを話した。すると、私たちもおんなじなんです、暑くならないうちに行っておこうと思って、と女性が嬉しそうに云った。其れで、大岩壁の上はどのようにして歩いていくのか、怖くは無いのかと云う、心の隅に少しだけ在った不安を打ち明けた。其れは大丈夫です。其れより後の鎖場の方が怖いかな、と男性が云った。爽やかに挨拶を交わして別れたふたりの満悦の様子が窺えて、私は、もうすぐ到達するであろう稚児落としの情景が、非常に楽しみに思えてきた。

断崖の上から尾根はふたたび北東に進路を変えて、岩礫の急斜面が現われた。鎖が垂らしてあるが、其れに頼らないでも登ることができた。岩の斜面の途上から、トズラ峠方面の良景が広がる。途中で停まって眺めていたら砂礫で足が滑った。咄嗟に木の枝を掴んで難を逃れた。ふと気付くと、周囲にはシロダモの明るい樹肌が立ち並んでいた。徐々に樹林が疎らになった登山道の先に、滑らかな岩の曲線が在って、其の向こうに、空が広がっている。最後の支尾根を登りきった処に、此処から稚児落とし、危険、の指標が立っていた。

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薄茶色の岩の上に立ち、断崖に広がる谷底を見渡した。写真で幾度も見た稚児落としだが、其の上から実際に眺めると、圧倒的な力が全身に押し寄せてくるような感覚に囚われた。対角線上には、直角に連なる大岩壁が聳えている。其れを眼下に見る恰好である。落ちたら、最期である。こんな処が登山道で大丈夫なのかと、信じられないような気持ちになった。勿論、絶壁の上に連なる岩の内側を歩くので大丈夫なのは判っている。しかし、景色を眺めない訳にはいかないので岩の上に立つのは必然である。そうして眺めていると、陳腐な表現しか出来ないが、吸い込まれそうになる。対角線上の岩壁の上を、誰かが登って来るのが見えた。大岩壁の上に、芥子粒のような大きさで、人間が歩いていた。

鼓動が早まっていくのを感じながら眺望を堪能して、稚児落としの上を及び腰で歩いて行く。断崖の向こうを想像して、千鳥姫の伝説が脳裡に浮かんでくる。武田勝頼を見切り、小山田氏は織田信長に加担しようとするが、其の不忠を逆に織田勢に咎められ、岩殿城は攻め込まれた。小山田信茂の側室、千鳥姫は、信茂の次男と、実子の万生丸を連れて、護衛の兵と共に岩殿城から西の尾根を伝って逃げ延びようとして、此の断崖の上に辿り着いた。一行は無事に落ち延びたことに安堵し、喜びの声を上げた。声は大岩壁に反響して、思いも拠らぬ方角から返ってきた。追手の声だと勘違いした一行が騒然となり、其れを切っ掛けにして未だ赤子であった万生丸が泣き出した。此の大岩壁は、反響する声の所為で、呼ばわり谷、と云う名が付いていた。護衛の小幡太郎は、赤子の泣声により追手に捕らえられる危険を避ける為に、万生丸を千鳥姫から奪い、断崖から谷底へ投げ落とした、と云う伝説である。

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現代人の価値観で、或る時代の事象を判じることは出来ない。伝説に対し、其の真偽に就いて考えるのも愚行である。確かなのは、稚児落としと呼ばれる此の大岩壁が確かに存在していると云うことで、其れを実際に眺めていると、さもありなん、そんな確信が心の底から湧き上がってくる。褐色の岩壁は何処までも深く落ち込んでいた。其の壁に貼り付く様にして、樹木が点在して生えている。若葉の緑が、残酷な伝承など大した問題ではないと云わんばかりに、懸命に生きている。煩悩に左右されて生きる人間が、如何にも詰まらない、些少な存在であると云うような気持ちになってくる。

現在時刻の稚児落としに於いて、瑣末な存在の代表である私は、心臓に早鐘を打たせながら、木々が繁る安全地帯に向かって、腰を低くして、歩いて行くのだった。樹林帯に入って、我に返ったかのように振り返る。何たる小心かと自分を憐れみながら、平穏になった登山道をゆっくりと歩き続けた。噎せ返るような若葉の息吹きが、周囲を包み込んでいった。

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