« 本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社 | トップページ | 石神入林道から青梅丘陵 »

「子の権現からスルギ」「堂平山から浅見茶屋」

Photo


2015/1/25

西吾野駅(7:20)-----小床-----天寺十二丁目石-----子の権現-----スルギ-----六ツ石ノ頭(540m圏峰)-----高反(タカソリ)山(532mピーク)-----522.1mピーク-----前坂-----419mピーク-----りゅうがい山-----吾野駅(15:20)


Agano1

一週間前に訪れた子の権現に、今度は西吾野駅から順当な登山コースで登っていった。kz氏が奮闘する登山詳細図踏査の御供であるので、同じ目的地に向かって、幾多のルートを歩かなければならない。小床の集落が尽きて、其の先の登山道は谷筋を巡りながら徐々に勾配を稼いでいく。子の権現天龍寺に到達したのは二時間後だったので、寄り道をしなくても随分時間が掛かっている。今日は奥ノ院には登らず、天目指峠方面に少し歩くと、南面は奥多摩の山々を、北面には伊豆ヶ岳方面の眺望が広がっている場所が在り、其処で朝食とも昼食とも云えない食事を摂って休憩した。

Surugi

行程の目指す処は、昭文社地図では赤い破線になっているコースである。途中に在る分岐点、スルギと云う片仮名の地名が謎めいている。早くも下山の徒に就く恰好である。眺望の利く子の権現の駐車場から直ぐに山道が分岐している。吾野駅に向かって続くコースの実情は、飯能迄連綿と続く尾根を辿っていくのだが、地形図を見ると支尾根が複雑に分岐しているのが判る。鞍部に差し掛かり、小さなピークが現われる。其れを丁寧に繰り返して踏破していく。疎らな自然林に囲まれて明るいピークである、540m圏峰には手製の山名標が掛かっていて、六ツ石ノ頭と記してあったが、同様のものが其の先に通過する532mピークにも在り、高反山と記してあった。高反山のピークは植林帯で、眺めの無い無味乾燥なものだった。

縦横に広がる支尾根が複雑に絡むコースは、南に向かったと思ったら反転して北上する。其の行き着く先が、最も印象的だった522.1mピークで、北面に広大な石灰石採掘場が見渡せる場所に在った。此処にも手製の道標に栃谷ノ頭と記してあったが、六ツ石ノ頭、高反山の筆跡とは全く違うものだった。付近に栃谷と云う沢が窺えないので、此れはアテにはならないな、とkz氏が云った。其処から先は、岩崖の稜線が急角度で勾配を下げていく箇所を歩いた。採掘場の都合で削られたのだろうか、登山道は痩せた尾根のエッジを辿っていく恰好になり、緊張を強いられるが、やがて樹林帯に入り込むと古びた墓地に到達した。

Agano4

林道に出てからふたたび山道に入り、前坂から左に曲がって正規の登山道は其の儘吾野駅に降りていくが、我々は途中で尾根に分け入り、登山地図には山名だけ記してありコースが記されていない「りゅうがい山」に立ち寄ることにした。高麗川に程近く延びて居る尾根のピークは、其の名前から窺えるように要害の地だった場所で、頂上直下には巨岩が積み重なっている。百代を経た現在の頂上は、樹林に覆われているので、麓を見下ろすと云う風情では無い。

北面を吾野駅に向かって急勾配を下っていった。等高線が混んでいるのでどうなることかと思ったが、尾根から外れて徐々に左へと下っていくと、ぽっかりと風景が広がった。眼下に西武鉄道と国道が高麗川に沿って蛇行しているのが見える。張り出した対岸の尾根の麓に、街道沿いの街並みが構成されているのが、箱庭のように眺めることができる良景だった。

線路際に向かって谷筋を下って、資材置場に降り立つと、吾野駅のプラットホームが目の前に在るのだが、駅舎に辿り着く為には大きく迂回して、反対側に回り込まなければならなかった。



Photo_2

2015/2/2

中沢バス停(7:50)-----権五郎神社-----堂平山-----六ツ石ノ頭(540m圏峰)-----スルギ-----浅見茶屋-----小床峠-----小床-----西吾野駅(14:20)


Hanno1a

スルギから小床峠に、今日は南側から踏破していく。飯能駅からバスに乗って中沢に向かうのだが、待ち合わせよりも随分早い時刻に到着してしまったので、凍てつくような寒風に吹かれて飯能の街を散策した。古びた消防署に遅い朝陽が差し込んで、漸く朝が来たと云う風情だった。着膨れたkz氏と合流して、新寺経由、中藤、中沢方面バスに乗り込んだ。一日八本の運行と云うローカルバスだが、若い娘がひとり乗っていて、何処迄行くのかと気になるが、久須美の小学校前で降りていった。新寺から中藤川に沿った山間の道に入り、朝の山村風景を眺めながらバスに揺られていると、随分遠くに来て旅をしているような気分になる。

Nakazawa

終点の中沢から舗装路が二手に分岐していて、古びた石碑には、竹寺と子の権現が記されている。我々は子の権現方面に歩を進めて、程無く権五郎神社が現われる。神社の裏山を登って、ひたすら北に向かって行けば、先週歩いたスルギの登山道に行き着く筈である。境内の横に広場が在って、凡その見当で斜面に侵入するが、明瞭な踏跡に辿り着く迄は随分時間が掛かった。中腹で漸く尾根に乗れそうな箇所に辿り着いた。kz氏が、踏跡を辿って麓迄往復するから待っていて呉れと云うので、煙草を燻らせて休憩していたが、何時迄経っても戻ってこない。様子を窺いながら探しに行くと、谷筋の藪を徘徊しているのを見つけたので、大声で呼び戻した。

明瞭な尾根道に入ると、存外に自然林の巨木が立ち並ぶ気持ちのよい雰囲気が続いた。細長い434mのピークを越えると、緩やかな踏路になり、右手には雄大な山塊を見上げるようになった。あれは大高山だな。名前の通りで大きいね、とkz氏が云ったが、地形図を照らし合わせたら直ぐに間違いが判明する。顕著な盛り上がりの山容は、先週通過した532mピークの高反山であった。樹林に囲まれて判然としない山のように思えたが、麓から眺めると立派な形状である。高く反り上がる山、と云う所以なのだろう。

尾根を伝って鞍部を越えて、登りが直截的になり、やがて堂平山に着いた。手製の山名標がふたつも掛かっている。奥武蔵のマイナーな山に、足跡を残したいと考えているのだろうが、ひとつあれば充分だろう。堂平山は西に向かって広がりの在る尾根が延びているので誘い込まれそうになるから、北北東方面の指示を書いた道標でも作って設置すれば、意義も深まるのではないかと思われる。

Minami

高反山から六ツ石ノ頭に至る登山道に向けて、北北東に歩いて行く。やがて鞍部に差し掛かり、目的の尾根を捲く道が横切る箇所にぶつかった。地形図に記されている、南、と云う集落が近くに在るので、寄り道をすることにした。奥深い山懐に在る南の集落は既に廃村になっており、石垣や建造物の残骸が斜面に放棄されて、不気味な様相を呈していた。

先週辿った登山道を、逆方向に歩いて行く。スルギに到達して、滝不動の在る車道に向かって北面を下って行く。林道の工事が進展している状況で、地形図の破線は殆ど参考にならない。青葉戸の集落には、江戸末期から饂飩屋を営んでいると云う浅見茶屋が在り、kz氏と私は、珍しいことに昼食を此処で摂ることを決めていた。古民家風の建物に入ると、ストーブを囲んだ食卓が配置してあって、人心地が付いた気分になる。冬季限定の鍋焼き饂飩を食したので、饂飩自体の味がどうなのかは語れない。夏に再訪することがあれば、笊饂飩を食してみたいものである。

Asami

鍋焼き饂飩で温まり、満腹になって、車道が吾野に向かって下りているので、もう帰りたくなるが、此処から更に北上して小床に抜けなければならない。踏査部分を残すと虫食い状になって、再訪問しなければならないからで、止むを得ない。浅見茶屋から少し舗道を登り、子の権現方面の道から外れて、鬱蒼とした沢筋に侵入する。露岩が屹立する尾根に乗る為に、踏跡を探して藪を漕ぐ。明瞭とは云えない道筋の果て、漸く小床峠、吉田山、秩父御岳神社に向かう尾根道に合流した。派手な色彩の道標が浅見茶屋のもので、手打ち饂飩迄五分などと記されているが、気軽に下りて行ったら遭難でもしかねないような踏路である。

先々週に歩いた植林帯の複雑な地形を、踏跡に沿って歩いて行く。二週間で小床峠の林道工事は目に見えて進展している様子であった。いにしえの地形図破線に忠実に、林道から離れて小床の集落に下りていく道を辿る。苔むした樹木の並ぶ道は次第に谷筋に沿っていくようになって、前方に明るさが滲んできたなと思ったら、小床の集落に合流した。

« 本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社 | トップページ | 石神入林道から青梅丘陵 »

奥武蔵」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1243257/59275641

この記事へのトラックバック一覧です: 「子の権現からスルギ」「堂平山から浅見茶屋」:

« 本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社 | トップページ | 石神入林道から青梅丘陵 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

today

  • one day

twitter

  • naname's twitter
無料ブログはココログ

最近のトラックバック