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本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社

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山間の小駅から、朝陽を浴びて赤く染まっている端整な本陣山を眺める。奥武蔵、西吾野駅に下り立つのは久しぶりだった。正式なアナウンスが待たれる処だが、奥武蔵の登山詳細図が目下作成進行中で、本格的な踏査をkz氏が敢行している最中である。其の手伝いも兼ねて、西吾野駅周縁の西側が殆ど未踏である私のリクエストを加味して貰って、ふたりで歩くことになった。伊豆ヶ岳東尾根の時に通過した森坂峠から、北に向かって西吾野駅前から眺めることのできる本陣山へと向かった。

2015/1/19

西吾野駅(7:10)-----森坂峠-----本陣山-----イモリ山-----天寺十二丁目石-----465mピーク-----子の権現-----小床峠-----吉田山-----秩父御岳神社-----吾野駅(16:10)

陽の当たらない麓も寒かったが、森坂峠では冷たい強風が吹きすさび、植林帯の勾配を登っていても、其の様相が続いている。やがて前方が明るくなっているのが見えて、自然林の入り混じる開けた斜面に出た。NHKのアンテナが立っている処で、遠く彼方には東京スカイツリーが見える。テレビのアンテナが立っている処からスカイツリーが見えると云うのは、考えてみれば当たり前のことだねとkz氏が云った。本陣山の途上で展望が開ける処が在ったと云うことに感嘆し、悦に入っている私とは対照的に、kz氏は沈着の態度を崩さない。

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山頂近くで勾配が急になるが、然程の距離も無く本陣山に登頂した。全方位が植林に囲まれて眺望は皆無である。想像通りのピークを確認し、森坂峠に引き返した。此処からは南下して尾根を辿っていく。所々に現われる瘤を東側に捲道が切って在る。風が遮られて人心地が付いた思いの儘歩き続けたが、やがて正面には巨岩の崖が立ち塞がる。其れを左に旋回して捲いていくと、412mピークとイモリ山の鞍部に到着した。ザックを置いて、取り敢えず412mに立ち寄るが、広い山頂は明瞭な踏跡が続いている途上、と云った感じの詰まらない処であった。其の先の踏路が気になるが、恐らく西吾野駅方面に続く道であろうと推察して引き返した。

鞍部から西に尾根を登り、緩やかに南側を捲いていくように登る踏路が続いた。小さな祠が現われて、山頂へと分岐する地点に達した。イモリ山は先程見上げた巨岩を含む断崖の山で、木立は並んでいるが、一挙に展望の広がる気持ちの良いピークだった。イモリ山、430mと書かれた手製山名標は丁寧に作られていて好感が持てるが、地形図に正式な標高は記されていないので、厳密には430m圏ピークである。イモリ山の頂から直ぐ其処に見える本陣山は、良い形状をしている端整な山だなと、改めて思った。

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南へと続く尾根は、断続的に痩せた箇所が現われて、子の権現に至る山なみが見渡せる道だった。やがて現われた送電鉄塔の下に立って、ふたたび強風に晒されるが、陽光を浴びながら休憩した。送電線は遥か信州から続き、奥武蔵の山々を辿る安曇幹線で、広がる光景の先の、顔振峠などの在る山腹を巡り辿っている。振り返って子の権現方面を眺めると、其の手前に在る500m圏ピークが綺麗な形状で立ち塞がっていた。

明るい送電鉄塔の在るピークから、引き続き尾根を辿り、樹林帯に入って鬱蒼とした雰囲気になったと思ったらハイカーたちの声が聞こえてきた。小床集落経由で子の権現に向かう登山道に合流した処が、昭文社登山地図に記載の天寺十二丁目石だった。天寺は子の権現の別名と云うか本名と云えばよいのか、天竜寺を略したものと思われる。大勢のグループが通過したのを見届けてから、ザックを置いて休憩した。此の地点から、登山道をクロスして続く尾根道が続いている。倒木の破片で通行止めを表現しているが、我々は構わずに踏み込む。昭文社登山地図では赤い破線で記されている。

枯木の藪が散見する踏跡が順調に勾配を上げていく。やがて前方からハイカーが下山してきた。挨拶を交わしながら、高齢の男女グループの方々が、此の先はとてもではないが登れないと云った。子の権現に向かう途上で引き返してきたようであった。でも、若い人なら大丈夫かもね、とひとりの女性が云った。我々は当然の如く直進を続けた。程無く、踏路が突き当たったように急斜面が聳えているのが見えた。

此れはおばあさんたちには無理だろう。木に摑まり、ロードメジャーを引き摺りながら登っている私の背後でkz氏が云った。斜面は手を使わなければ登れない程の急傾斜だった。子の権現から東北東に延びる尾根の途上の小ピークの側面を、無理矢理に攀じ登っている恰好だった。漸く登り詰めた処が、地形図に示されている465mピークで、帰途に辿る予定である、小床峠から吉田山に至る尾根の途上に在る場所だった。其の儘進路を西に転換して、先程の登山道と合流した。少しの登りで車道に合流した。舗装路の日陰の箇所は随所で凍結しているので、自転車で下降してくる人々が慌てて減速して立ち往生している。

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車道を少しだけ歩き、子の権現天龍寺の参道にショートカットする坂を登った。武州、子の山と呼ばれるピークは経ヶ峰とも呼ばれるようで、本堂の裏手に盛り上がっている山頂には奥ノ院釈迦堂と釣鐘が在る。訪れた観光客が自由に鐘を打つことができるので、子の権現からはひっきりなしに鐘の音が響いてくる。我々もご他聞に洩れず打ち鳴らすことにした。鐘の余韻が収まるまで、二分間の間隔を遵守して鳴らすべしと云う注意書きが貼って在った。

参詣を終えて、参道を戻る途中に瘤状のピークが在った。阿字山の案内板に導かれて、我々は其の上部に在る東屋で昼食を摂ることにした。広場の隅に隆起しているのが阿字山の頂上で、登ってみると岩に囲まれた狭い処に、大勢のグループが食事をしている最中だった。其れ等を跨ぐようにして、経ヶ峰の展望所と同じ方角の、眺望の広がる処に立ってみた。阿字山の阿字とは、子の聖を受胎した母親の名前に因んでいると思われる。阿字山は、子の権現の懐の控えめな位置に鎮座する、良景のピークであった。

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往路に辿ったルートを引き返して、静かな尾根道に入った。465mピークを越えて鞍部に下りると、微かに捲道のような踏跡が窺えた。あの急勾配を攀じ登るのは適当ではないから、其れも首肯出来る。踏査は、また後日にしようとkz氏が云った。西吾野駅から子の権現に到達し、下山の徒中であるが、既に六時間が経過していた。澱んだ疲労感が、我々を包んでいるようだった。

尾根は多岐に別れる複雑さを表現してきた。右に左に方角を変えながら、踏路を辿っていった。やがて広々とした鞍部に下りると、造成途上のような林道が併行してきて、やがて合流した。小床峠は鬱蒼とした南面と、林道造成に拠り伐採されている北面のコントラストを表出している。此れから辿るべき尾根が、削られて細々となって隆起している。浅見茶屋に向かう道が、南面方向に心細い捲道状で辿っているのが見えた。

其の儘、鉤状の形に広がる尾根を直進して、延々と歩き続けた。標高445mの吉田山に到達すると、車や鉄道の音が聞こえてきて、漸く麓の気配が漂い始めた。吉田山の北東に延びる尾根の途上には、城址と云う文字が昭文社登山地図に記してある。空身で其の方角を歩いて行くと、開削された堀切のような箇所が在り、こんな処にとは思うが、城址の面影を見出すことが出来る。其の先を歩いて、やがて引き返してきたkz氏が、直ぐに断崖になっていたよと云った。

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城山である吉田山一帯は、麓に向かって急峻の谷が広がっているので、尾根伝いは自然に迂回していくことになった。南東に向かって延びる細い尾根を辿り、やがて左に尾根が分岐する箇所から谷間を横目に下降していく。秩父御岳神社はもう直ぐ其処であるが、地図に記してある御岳山とは何処なのか。尾根の途上に道標が在り、北面にはふたたび造成途上の林道が近づいて来た。此処が御岳山じゃないかと、kz氏が云った。御岳山と云う壮麗な山名とは思えない、植林帯を辿る尾根の途上である。腑に落ちない儘下り続けて、想像以上に立派な神殿が現われた。秩父御岳神社は、東郷平八郎を祭った立派な神社だった。

ベンチの在る展望所から、西武鉄道の電車が山間をゆっくりと走っているのが見下ろせる。スカイツリーが見えますと云う看板も在るが、曇天に転じた風景の彼方は、何も見えない。漸く下山したと安堵したが、其処から境内に下りていく階段は、果てしなく延々と続いていた。石段は所々で歪に傾いており、予断を許せない心地で下り続けた。敬虔な参詣者も、此の階段を登り続けるのはひと苦労であろう。山腹の周囲を見渡すと、蛇行しながら登る参道も設えてあった。いずれにしても苦行であることは間違い無い。

降り立った処には、自らの神格化を嫌った東郷元帥本人が、唯一許可したと云われる銅像も立っていた。境内は東郷公園と名付けられ、飯能市内では唯一、神職常駐の神社であると云う。全く知らなかったことで、吾野に此のような由緒のある神社が在ると云うのは驚くべきことだった。

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本来なら悠然と散策を愉しめるような場所だが、疲れきった我々は、程無く吾野駅に至る車道に出た。地図を確認すると、思ったよりも長い距離を歩かなければならない。国道と高麗川が大きく迂回すべく遠ざかっていき、眼前には張り出した尾根が行く手を遮っている。其の尾根に向かって、吾野の切通しを山道が辿っている。鉄道とともに切通しを抜けて歩いていく。いにしえの道を辿る趣の深い行程だが、余りにも疲れていたので、其の情緒に浸ることができなかったのは残念だった。

吾野駅に到着して、時刻を確認する。朝の西吾野駅を出発してから、九時間が経過していた。子の権現の御利益なのだろうか、随分歩いたものだと思い、放心したようになって、私は紫煙を燻らせた。

別記

吾野駅から、幸運なことに池袋行きの急行電車に乗ることができた。ボックスシートで車窓を眺めながら、所沢迄乗車するのは初めてだった。入間市駅に到着する寸前の車窓は、奥武蔵、秩父の山々を遠くに見渡せる良景である。夕闇に包まれそうな入間の街の彼方の風景を写真に撮り、後日、HP「山からの眺望」の掲示板に投稿して山座同定をして戴いた。長らく愛でてきた風景の詳細を知ることができたのが嬉しいことだった。

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「山からの眺望」

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