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2015年1月

本陣山・イモリ山・子の権現・吉田山・秩父御岳神社

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山間の小駅から、朝陽を浴びて赤く染まっている端整な本陣山を眺める。奥武蔵、西吾野駅に下り立つのは久しぶりだった。正式なアナウンスが待たれる処だが、奥武蔵の登山詳細図が目下作成進行中で、本格的な踏査をkz氏が敢行している最中である。其の手伝いも兼ねて、西吾野駅周縁の西側が殆ど未踏である私のリクエストを加味して貰って、ふたりで歩くことになった。伊豆ヶ岳東尾根の時に通過した森坂峠から、北に向かって西吾野駅前から眺めることのできる本陣山へと向かった。

2015/1/19

西吾野駅(7:10)-----森坂峠-----本陣山-----イモリ山-----天寺十二丁目石-----465mピーク-----子の権現-----小床峠-----吉田山-----秩父御岳神社-----吾野駅(16:10)

陽の当たらない麓も寒かったが、森坂峠では冷たい強風が吹きすさび、植林帯の勾配を登っていても、其の様相が続いている。やがて前方が明るくなっているのが見えて、自然林の入り混じる開けた斜面に出た。NHKのアンテナが立っている処で、遠く彼方には東京スカイツリーが見える。テレビのアンテナが立っている処からスカイツリーが見えると云うのは、考えてみれば当たり前のことだねとkz氏が云った。本陣山の途上で展望が開ける処が在ったと云うことに感嘆し、悦に入っている私とは対照的に、kz氏は沈着の態度を崩さない。

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山頂近くで勾配が急になるが、然程の距離も無く本陣山に登頂した。全方位が植林に囲まれて眺望は皆無である。想像通りのピークを確認し、森坂峠に引き返した。此処からは南下して尾根を辿っていく。所々に現われる瘤を東側に捲道が切って在る。風が遮られて人心地が付いた思いの儘歩き続けたが、やがて正面には巨岩の崖が立ち塞がる。其れを左に旋回して捲いていくと、412mピークとイモリ山の鞍部に到着した。ザックを置いて、取り敢えず412mに立ち寄るが、広い山頂は明瞭な踏跡が続いている途上、と云った感じの詰まらない処であった。其の先の踏路が気になるが、恐らく西吾野駅方面に続く道であろうと推察して引き返した。

鞍部から西に尾根を登り、緩やかに南側を捲いていくように登る踏路が続いた。小さな祠が現われて、山頂へと分岐する地点に達した。イモリ山は先程見上げた巨岩を含む断崖の山で、木立は並んでいるが、一挙に展望の広がる気持ちの良いピークだった。イモリ山、430mと書かれた手製山名標は丁寧に作られていて好感が持てるが、地形図に正式な標高は記されていないので、厳密には430m圏ピークである。イモリ山の頂から直ぐ其処に見える本陣山は、良い形状をしている端整な山だなと、改めて思った。

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南へと続く尾根は、断続的に痩せた箇所が現われて、子の権現に至る山なみが見渡せる道だった。やがて現われた送電鉄塔の下に立って、ふたたび強風に晒されるが、陽光を浴びながら休憩した。送電線は遥か信州から続き、奥武蔵の山々を辿る安曇幹線で、広がる光景の先の、顔振峠などの在る山腹を巡り辿っている。振り返って子の権現方面を眺めると、其の手前に在る500m圏ピークが綺麗な形状で立ち塞がっていた。

明るい送電鉄塔の在るピークから、引き続き尾根を辿り、樹林帯に入って鬱蒼とした雰囲気になったと思ったらハイカーたちの声が聞こえてきた。小床集落経由で子の権現に向かう登山道に合流した処が、昭文社登山地図に記載の天寺十二丁目石だった。天寺は子の権現の別名と云うか本名と云えばよいのか、天竜寺を略したものと思われる。大勢のグループが通過したのを見届けてから、ザックを置いて休憩した。此の地点から、登山道をクロスして続く尾根道が続いている。倒木の破片で通行止めを表現しているが、我々は構わずに踏み込む。昭文社登山地図では赤い破線で記されている。

枯木の藪が散見する踏跡が順調に勾配を上げていく。やがて前方からハイカーが下山してきた。挨拶を交わしながら、高齢の男女グループの方々が、此の先はとてもではないが登れないと云った。子の権現に向かう途上で引き返してきたようであった。でも、若い人なら大丈夫かもね、とひとりの女性が云った。我々は当然の如く直進を続けた。程無く、踏路が突き当たったように急斜面が聳えているのが見えた。

此れはおばあさんたちには無理だろう。木に摑まり、ロードメジャーを引き摺りながら登っている私の背後でkz氏が云った。斜面は手を使わなければ登れない程の急傾斜だった。子の権現から東北東に延びる尾根の途上の小ピークの側面を、無理矢理に攀じ登っている恰好だった。漸く登り詰めた処が、地形図に示されている465mピークで、帰途に辿る予定である、小床峠から吉田山に至る尾根の途上に在る場所だった。其の儘進路を西に転換して、先程の登山道と合流した。少しの登りで車道に合流した。舗装路の日陰の箇所は随所で凍結しているので、自転車で下降してくる人々が慌てて減速して立ち往生している。

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車道を少しだけ歩き、子の権現天龍寺の参道にショートカットする坂を登った。武州、子の山と呼ばれるピークは経ヶ峰とも呼ばれるようで、本堂の裏手に盛り上がっている山頂には奥ノ院釈迦堂と釣鐘が在る。訪れた観光客が自由に鐘を打つことができるので、子の権現からはひっきりなしに鐘の音が響いてくる。我々もご他聞に洩れず打ち鳴らすことにした。鐘の余韻が収まるまで、二分間の間隔を遵守して鳴らすべしと云う注意書きが貼って在った。

参詣を終えて、参道を戻る途中に瘤状のピークが在った。阿字山の案内板に導かれて、我々は其の上部に在る東屋で昼食を摂ることにした。広場の隅に隆起しているのが阿字山の頂上で、登ってみると岩に囲まれた狭い処に、大勢のグループが食事をしている最中だった。其れ等を跨ぐようにして、経ヶ峰の展望所と同じ方角の、眺望の広がる処に立ってみた。阿字山の阿字とは、子の聖を受胎した母親の名前に因んでいると思われる。阿字山は、子の権現の懐の控えめな位置に鎮座する、良景のピークであった。

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往路に辿ったルートを引き返して、静かな尾根道に入った。465mピークを越えて鞍部に下りると、微かに捲道のような踏跡が窺えた。あの急勾配を攀じ登るのは適当ではないから、其れも首肯出来る。踏査は、また後日にしようとkz氏が云った。西吾野駅から子の権現に到達し、下山の徒中であるが、既に六時間が経過していた。澱んだ疲労感が、我々を包んでいるようだった。

尾根は多岐に別れる複雑さを表現してきた。右に左に方角を変えながら、踏路を辿っていった。やがて広々とした鞍部に下りると、造成途上のような林道が併行してきて、やがて合流した。小床峠は鬱蒼とした南面と、林道造成に拠り伐採されている北面のコントラストを表出している。此れから辿るべき尾根が、削られて細々となって隆起している。浅見茶屋に向かう道が、南面方向に心細い捲道状で辿っているのが見えた。

其の儘、鉤状の形に広がる尾根を直進して、延々と歩き続けた。標高445mの吉田山に到達すると、車や鉄道の音が聞こえてきて、漸く麓の気配が漂い始めた。吉田山の北東に延びる尾根の途上には、城址と云う文字が昭文社登山地図に記してある。空身で其の方角を歩いて行くと、開削された堀切のような箇所が在り、こんな処にとは思うが、城址の面影を見出すことが出来る。其の先を歩いて、やがて引き返してきたkz氏が、直ぐに断崖になっていたよと云った。

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城山である吉田山一帯は、麓に向かって急峻の谷が広がっているので、尾根伝いは自然に迂回していくことになった。南東に向かって延びる細い尾根を辿り、やがて左に尾根が分岐する箇所から谷間を横目に下降していく。秩父御岳神社はもう直ぐ其処であるが、地図に記してある御岳山とは何処なのか。尾根の途上に道標が在り、北面にはふたたび造成途上の林道が近づいて来た。此処が御岳山じゃないかと、kz氏が云った。御岳山と云う壮麗な山名とは思えない、植林帯を辿る尾根の途上である。腑に落ちない儘下り続けて、想像以上に立派な神殿が現われた。秩父御岳神社は、東郷平八郎を祭った立派な神社だった。

ベンチの在る展望所から、西武鉄道の電車が山間をゆっくりと走っているのが見下ろせる。スカイツリーが見えますと云う看板も在るが、曇天に転じた風景の彼方は、何も見えない。漸く下山したと安堵したが、其処から境内に下りていく階段は、果てしなく延々と続いていた。石段は所々で歪に傾いており、予断を許せない心地で下り続けた。敬虔な参詣者も、此の階段を登り続けるのはひと苦労であろう。山腹の周囲を見渡すと、蛇行しながら登る参道も設えてあった。いずれにしても苦行であることは間違い無い。

降り立った処には、自らの神格化を嫌った東郷元帥本人が、唯一許可したと云われる銅像も立っていた。境内は東郷公園と名付けられ、飯能市内では唯一、神職常駐の神社であると云う。全く知らなかったことで、吾野に此のような由緒のある神社が在ると云うのは驚くべきことだった。

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本来なら悠然と散策を愉しめるような場所だが、疲れきった我々は、程無く吾野駅に至る車道に出た。地図を確認すると、思ったよりも長い距離を歩かなければならない。国道と高麗川が大きく迂回すべく遠ざかっていき、眼前には張り出した尾根が行く手を遮っている。其の尾根に向かって、吾野の切通しを山道が辿っている。鉄道とともに切通しを抜けて歩いていく。いにしえの道を辿る趣の深い行程だが、余りにも疲れていたので、其の情緒に浸ることができなかったのは残念だった。

吾野駅に到着して、時刻を確認する。朝の西吾野駅を出発してから、九時間が経過していた。子の権現の御利益なのだろうか、随分歩いたものだと思い、放心したようになって、私は紫煙を燻らせた。

別記

吾野駅から、幸運なことに池袋行きの急行電車に乗ることができた。ボックスシートで車窓を眺めながら、所沢迄乗車するのは初めてだった。入間市駅に到着する寸前の車窓は、奥武蔵、秩父の山々を遠くに見渡せる良景である。夕闇に包まれそうな入間の街の彼方の風景を写真に撮り、後日、HP「山からの眺望」の掲示板に投稿して山座同定をして戴いた。長らく愛でてきた風景の詳細を知ることができたのが嬉しいことだった。

View

「山からの眺望」

諸戸尾根から梅ノ木尾根。相州大山を踏査隊有志と登る。

Photo

「登山詳細図」踏査隊有志による山登りで丹沢の大山詣をすることになった。企図の段階からいろいろなルートが提案されていたが、最終的に決まったのが、諸戸山林事務所から大山へと連なる諸戸尾根を辿ると云うもので、登山詳細図独自の記載ルートでもある。ヤビツ峠迄バスで運ばれてから、敢えて涸れた沢に沿って門戸口迄下山して、諸戸山林事務所の登山口に向かうと云う奇天烈なコース設定である。丹沢山系に造詣が深く、現在進行中の東丹沢登山詳細図改訂版にも深く関与しているMD氏の先導で、総勢七名の大所帯が、好天のヤビツ峠から駐車場の裏手に廻り込んで始まる、日陰の薄暗い「ヤビツ旧道コース」を下り始めたのであった。


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2015/1/11

ヤビツ峠バス停(9:00)-----門戸口-----諸戸山林事務所(9:40)-----諸戸尾根ルート-----大山(11:20)-----不動尻分岐-----989mピーク(12:10)-----梅ノ木尾根-----大沢分岐-----二ノ沢ノ頭-----日向薬師バス停(15:20)


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蛇行する県道70号をショートカットする形で二十数分歩いて門戸口に到達し、漸く青空の下に出た。車道を其の儘下って、諸戸山林事務所が現われる。奥に神社が在り、其の儘カンスコロバシ沢の左岸を辿ると、やがて右手に迫る尾根群の方向に踏跡が分岐している。手製の道標が大山を記しているが、薄汚れた小さい木片なので注意していないと気付かないかもしれない。此処から西尾根(MD氏は詳細図に記載の諸戸尾根ではなく、西尾根と呼ぶので当稿は混淆して記載する)の末端である細長い尾根の側面を攀じ登る。送電線巡視路は、ジグザグに踏路が切られている。其れ程の高低差では無いが、厳しい勾配を実直に登り続けた。

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尾根上に出ると、心地好い陽射しが降り注いでいた。小休止の後、大山に向かってひたすら続く尾根を登り続ける。送電新多摩線の下を通過する頃、木立の合間から、周辺の尾根が見渡せるようになり、やがて北西方面に遠くの山々が見える。端整な三つの峰が並んでいる。丹沢三峰が綺麗に並んでいるのを眺めるのは初めてかもしれない。

標高が850mに近づく頃、周囲は落葉したブナ林が立ち並ぶ尾根道となった。登り一辺倒の縦隊列は次第に間隔が空いてきてしまい、時折MD氏は最後尾の私が通過するまで待っていて呉れて、また先頭の方に戻っていくと云うような動きをしている。顔を合わせると其の都度、周辺の山座同定の解説をして呉れたりする。パーティのリーダーかくあるべきと云う態度であり、感心してしまう。指し示す先を振り返ると、三ノ塔の向こうから、真っ白い富士山の頭が顔を出していて、隊列が皆立ち止まって歓声を上げた。

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右手に見えるイタツミ尾根が徐々に近づいてくる。標高1000mに達して、振り返るたびに富士山の容姿が大胆になってくる。高度を上げるに連れて、見渡せる山々が広がっていく。相模湾の彼方に、伊豆大島が朧気に浮かんでいるのが見える。天城山脈の聳える伊豆半島が、大陸のように広がっている。休日の大山登山で此のような眺望を味わいながら、誰にも会わずに居ると云うのは考えてみると凄いことのように思える。箱根の中央火口丘を指し示しながら、あの白くなっている処は大涌谷の煙ですとMD氏が云い、皆が驚いている。

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自然林が疎らに並ぶ明るい踏路が、徐々に勾配を上げていき、鹿柵の側を歩くようになって、大山表参道に合流した。山頂直下の鳥居が在り、我々は西側を捲きながら歩いて登頂した。此処で10分程度の小休止にしましょう、MD氏が宣言した。晴天の山頂で眺望が広がっているのに、計画のラップタイムを遵守せんとするMD氏の透徹な態度に、皆はどう思っているのかは判らないが、私は軽い驚きを禁じ得なかった。ちなみに此処で軽くメンバー紹介であるが、奥多摩で数回踏査で一緒に歩いたNZ氏、西丹沢踏査や水根沢、鷹ノ巣沢の沢登りを共に敢行したC氏とT子さん、蛭から逃げ惑いながら日向山近辺を一緒に踏査したMNさん、昨年暮れに小仏峠の宴会で初めて会ったKMさん、そしてMD氏と私の七人である。

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山頂の東側に廻って横浜から東京に至る平野を見渡す。スカイツリーが見えない、とKMさんが叫ぶ。見事な眺望だが、地平線の先は靄が掛かったように曖昧になっている。奥多摩や奥武蔵からも案外簡単に眺められる東京スカイツリーが、此処から見えないと云うのは確かに不思議だった。そろそろいいですか、MD氏が皆に出発を促す。隊列は陽射しで明るい東の尾根を下り始めた。

次々に登ってくる人々と擦れ違う賑やかな登山道は泥濘で、木段で滑らないようにと神経を遣った。下山の徒も後ろから続々とやってきて落ち着かない。漸く不動尻分岐で北東に別れて、静かな踏路となった。雷ノ峰尾根が右手に遠ざかり、登山道は急勾配を木段が一気に下降していく。梅ノ木尾根から始めたら此処を登らなきゃいけないんだよ、MD氏が私に云った。今回の山行を企図した当初に私が提案したのが、日向薬師から梅ノ木尾根経由で大山に登ると云うものだった。梅ノ木尾根の末端を歩いた記憶のあるMNさんは構わないと云ったが、梅ノ木尾根を登るのは辛いので下りに使いたい、と云う及び腰の案をMD氏が提示して、現在、下っている最中なのである。確かに此れを登るのは大変ですね。とりあえず恭順の態度をMD氏に示しながら、私は関東平野を一望する木段を下っていった。


視線の先には尾根が平坦になっていて、緩やかに盛り上がっている広場が見えた。
尾根が右にカーブして、眺望の広がる台地に到達した。地形図上の標高989m地点だった。電線が渡され、資材を運ぶモノレール軌道の行き着く先となっている場所で、建造物の土台が痕跡となって残っている。自然と休憩になったが、此処でC氏が空腹を訴えたのを機に昼食となった。MD氏の計画では二ノ沢ノ頭で食事と云うことになっていたが、時刻としてはもうお昼時であるから、此の変更は適宜だったと云える。

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唐沢峠、不動尻方面に北へと延びる尾根は、大山の東側を旋回するようにして続いている。枯木が疎らに立ち並ぶ登山道から、相変わらず関東平野が広がっているのが見渡せる。其れは余りにも良景が続く尾根だった。登ってきた諸戸尾根の風景を思い返して、ハイカーで混雑する大山と云う今迄のイメージは、全く一義的なことであったのだなと痛感する。尾根が鞍部を迎えて、其処は斜面が崩落して痩せた稜線になっていた。鎖が渡された鞍部を越えて、愈々梅ノ木尾根に分岐する地点に到達した。

不動尻方面を歩くハイカーは殆ど見受けられなかったが、我々が梅ノ木尾根分岐点で滞留している間に、四人組が追いついてきた。彼等も同じ進路に向かうようであった。慌しい雰囲気になって、我々が先行して梅ノ木尾根を下ることになった。しかし、最後尾を歩く私の後方で、間隔を開けずに四人組が迫ってくるので落ち着かない。梅ノ木尾根は、大山の東面に日向川の谷が激烈に喰い込んでいる山肌の上を辿っている。痩せ尾根が急勾配になって構成されている。岩混じりの踏路に木の根が張り巡らされている。恐る恐る歩を進めざるを得ないが、くだんの四人組は背後迄近づいてきて、仲間同士で大声で喋っている。神経に障るので先に行って貰うことにして立ち止まった。

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隊列から分離されて、ひとりで歩いているような気分になって、急傾斜を下り続けた。斜面の途上から視線の先の鞍部を見下ろすと、四人組が我が隊列と入り乱れて通過していくのが見えた。癇に障る喋り声が未だ聞こえてくるので、悄然となった私の歩調は徐々に遅くなっていった。やがて登山詳細図に記してある、落書道標、のポイントに到達した。瘤状になっていて、大きく尾根が二股に分かれている処だった。道標は手製だが、落書と云う程乱雑なものでは無かった。木片が朽ち果て、文字が判別し難いから、老朽化しただけのことのようであった。標高778mピークに向かう広い尾根は、地形図を辿れば「ふれあいの森日向キャンプ場」方面に降りていくようである。梅ノ木尾根、大沢分岐に向かうのは、日陰になった急傾斜の左の尾根道である。手製道標は、微かにキャンプ場と日向山の文字が窺えるから、地形図を読めない場合には重要な指標となっている。四人組が日向キャンプ場方面に去っていった。其れを見てMD氏が、よかったあ、と呟いた。思う処は同じようなものだったと推察して、私は内心で首肯した。

北北東に進路が向いて不安になるが、尾根は右に舵を切るようにして続いている。周囲は植林が増えてきて陰鬱な雰囲気になっていった。左手に広がる清川村方面の景色が、羨ましい程に明るい。コルを通過して、唐突に現われる岩混じりの斜面を登りきると、其処が大沢分岐だった。大沢川は日向山北面を流れ、七沢方面に注いでいる立派な川であり、分岐点の名前になっている大沢とは広沢寺温泉一帯の地名のようである。

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大沢分岐を東南方向に下っていく。樹林帯が途切れて、日向川、二ノ沢の深い谷が右手に広がっているのが見渡せた。其の山懐を見上げると、大山の威容が逆光の影になって聳えている。緩やかな傾斜の一本道は時折極端にか細いリッジとなり、強風をまともに受けるとバランスが危うくなる程であった。前を歩くC氏が振り返って、面白い尾根ですね、と云った。其の儘粛々と歩き続けると、やがて瘤状の盛り上がりが前方に見える。踏路は左側に捲いていくように続いている。東方に大きな尾根が分岐する地点で、注意を怠ると誘い込まれてしまいそうになる箇所であった。

梅ノ木尾根ルートが南下して、其の突端に在る670m圏峰が、二ノ沢ノ頭だった。強風の吹きすさぶ狭いピークからは、樹幹の合間に厚木市方面の眺望が広がっている。此れで景色は見納めですからと、MD氏が云った。当初は此処が食事休憩の予定だったが、冷たい風の通り抜けるピークでの大休止は適切では無さそうに思われた。早く降りて飲みたいね。朗らかにKMさんが云った。

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ふたたび東方に延びる尾根を下り、浄発願寺奥ノ院への分岐に達し、其処からは平坦な尾根道を辿るだけである。植林帯に囲まれた緩やかな勾配を下っていく。小さな瘤を丁寧に登り返して、要所にはベンチも散見できるようになり、日向山に続いているハイキングコースを歩いているのだな、と認識できる。七沢弁天の森キャンプ場に下る登山道の分岐点に達して、登山詳細図の踏査で歩いた記憶を呼び起こそうとするが、猛暑の季節のじめじめして鬱蒼としていた情景が、眼前の風景と合致させることが、なかなかできなかった。

標高400m圏峰を越えて、細い尾根が東方に延びていく。其の途上で、北面の風景が開けた箇所が在って、皆が立ち止まって眺めていた。MNさんが麓を指して、見えてますよ、と云った。何のことかと視線を転じたら、大沢川のほとりに建っている東屋が見下ろせた。植林帯とは云っても、冬になると随分視界が開けるもので、踏査の計測中に蛭の大群に襲われ、駆け下りた先に達したのが、今見下ろしている東屋のようだった。登山詳細図の踏査に参加したばかりの頃の思い出であり、踏査仲間とふたたび歩いていると云う実感は、時の流れを感じさせて呉れて感慨深いものがあった。

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尾根を下り、四辻になっている日向山との鞍部に下り立つ。予定は此処から更に日向山を経て、七沢温泉迄を踏破すると云うものだったが、私とC氏とT子さんが疲労を訴え、KMさんがもう飲みに行きたいと主張するに至り、此処で尾根から外れて日向薬師に下山と云うことになった。NZ氏が、俺はナイトウォーク好きだけどねと云ったが、皆聞こえない振りをしていた。

登山道は日向山の裾を捲きながら下っていく。日向薬師の手前に在る林道に到達すると、陽が傾き始めた空の向こうに、歩いて来た梅ノ木尾根の山々を見上げるようになった。其れ等の更に奥の方で、大山の頭部が少しだけ覗いている。

あんなに遠いよ。そう云いながら、ふたたびMD氏が私を見て、梅ノ木尾根から大山に、まだ登ってみたいか、と云った。一度は登ってみたいですね。そう思わないでも無いのでそう応えたら、信じられない、と云うような身振りでMD氏が笑った。


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赤ぼっこを送電鉄塔巡視路から直登する。

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青梅市と日の出町の境界に連なる尾根の途上に在る、三等三角点が設置された小ピーク。赤ぼっこは麓から見て燦然と聳える山と云う訳では無いが、其の山頂からの眺めは雄大で、青梅市街から二俣尾迄、青梅丘陵を衝立にして多摩川が流れる風景を一望することができる。JR青梅線の宮ノ平駅から徒歩で一時間強にて到達できる場所とは思えない程の眺望である。和田橋を渡り、梅ヶ谷峠入口信号から側道に入り、要害山を経てから天狗岩に立ち寄り、赤ぼっこに至る、或いは秋川街道の天祖神社から旧二ツ塚峠を経て赤ぼっこに到達する、と云うのがコースとしては一般的と思われる。しかし、何度か訪れて顧みると、馬引沢林道をのんびりと歩いて、馬引沢峠経由で簡便に赤ぼっこへと至るコースが最も心地好いと云う気がして、気に入っている。

2015/1/6

宮ノ平駅(7:20)-----和田町一丁目-----馬引沢林道-----送電鉄塔青梅線31号巡視路-----赤ぼっこ-----四等三角点-----和田スポーツ広場方面道標-----馬引沢林道-----畑中-----青梅駅(13:00)


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風邪を引いて出掛けるのが億劫になってしまって随分経っていた。其れで一念発起して散歩がてらの山歩きをしようと思い立った昨年12月。既に時刻が正午に近いので、思い浮かんだ行く先が赤ぼっこだった。都心から青梅迄一時間半、其処から登り始めたので、赤ぼっこに立ったのは午後3時を過ぎていたが、冬の陽が傾き始める頃の眺望は何とも云えない趣があった。其の時歩いた馬引沢林道で、登山地図には記されない杣道のような踏路が幾つか分かれているのが目に付いた。其の中で、綺麗な道標がひとつ立っていたのだが、木片には何も記されていないのが気になった。林道から北西に向かって、低い尾根が蔓延するように隆起しているが、其の何処かの谷筋を無記名の道標が指している。いにしえの道が廃れたと推察するには、其の道標は随分新しいように見える。気になること夥しいが、罹患を逃れて間もない身に探訪を実行する気力は無い。新年を迎えてから改めて出直そうと思った。当然のことながらkz氏に誘いを掛けてみると、膝を打つような感じで興味を示して呉れた。

平日の朝の通勤ラッシュを避ける為、赤ぼっこに登るだけなのに宮ノ平駅に到着したのは午前7時だった。青梅街道から外れて和田橋に掛かった処で、山なみを眺める。あの目立つ山が赤ぼっこなのかな、とkz氏が呟く。あれは要害山、赤ぼっこは向こうです。此の山域に初めて訪れると云う彼に、私は珍しく教示の態度を取る。赤ぼっこのシンボルとも云える一本杉が、此の橋の上からはよく見える。勿論赤ぼっこからも明瞭に和田橋を見下ろすことができる。

和田橋を渡り終えて直ぐの信号を左折して住宅地の中を歩き、暫く経ってから現われる細い道を右折して吉野街道に合流する。横断歩道を渡ると馬引沢に沿って山道が分岐して、馬引沢峠と赤ぼっこを記した青梅市の道標が立っている。立派な門構えの旧家が在り、其れを過ぎると程無く伐採された丘陵が広がっている。其の上に神社がぽつんと建っているので立ち寄って参詣した。小さな社には八幡宮と書かれている。

「こんな掘立小屋然とした社に八幡宮とは大仰ですね」罰当たりなことを私が云うと、
「俺は初詣になるので丁度よかったよ」大雑把なことを善意に解釈したようにkz氏が云うのが可笑しかった。

馬引沢を渡って道なりに進んで、林道に合流する処にゲートが在った。なだらかな傾斜の林道を歩き続けていくと、吉野街道の騒音が遠ざかり、すっかり静かな道行きとなった。途中に出会った柴犬を連れたおじさんが、赤ぼっこへの道順を丁寧に教えて呉れる。林道を外れて謎の踏路を行く積もりである我々は、地元の人に不審の徒であることを覚られてはならない。おとなしくおじさんの説明を聞く振りをする。おじさんは、赤ぼっこの眺めは凄いんだ。360度じゃないが270度くらいの展望だ、と具体的に云って自慢した。我々は、ほほうと感心しながら御説を拝聴する。尾を振る犬は叩かれず、である。そんなことを考えながら足元を見ると、柴犬が不思議そうな顔で私を眺めている。

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林道が幾つかの橋を渡り、馬引沢が左手に流れてから少し経った頃、右手に青梅市製の道標が現われた。其の奥に、気になっていた無記名道標が在った。早速kz氏に検証して貰う。何も記されていないと思った木片には、文字が書かれていたのが剥げ落ちたのか、凹状の痕跡が在った。

「鳥岩か黒岩だな」kz氏が云う。
「なぜ」
「此の点々は黒か鳥しか無いよ!」

凝視してみると、確かに、よつてん或いは烈火と思われる部首、点々の痕跡が在ったが、黒か鳥と断定する根拠は無いようである。もうひとつの痕跡は更に手掛かりが判別し難いものだったが、岩ではないかと云うのがkz氏の推理であった。

地形図の赤ぼっこ周縁には、崖の印が散在している。岩の文字を拠り処とするならば、何れ急峻の崖に突き当たるのかもしれない。兎に角、謎の道標に従って、馬引沢林道の途中から右に逸れていくことになった。踏跡は谷沿いに続いており、枯枝の藪が随所に立ち塞がるので、安穏と歩き続けることはできない。馬引沢に合流する涸れた支流の右岸を歩いているが、やがて踏跡は曖昧になり、此れ以上谷筋を歩くことは困難な状況になっていった。左上には緩やかな尾根が在るのだが、藪状の様子は激化しているように見える。kz氏と私は立ち止まった儘顔を見合わせた。

尾根の上を歩くと云う気持ちは、お互いに湧いてこないようであった。尾根が収斂していく先は明らかに赤ぼっこの尾根である。どんな崖にぶつかるのかは判らないが、厳しい局面に晒されるのは明白のような気がした。確かなことは、謎の道標が形骸化したものであったと云うことだけである。我々は引き返すことにした。林道に戻り、道迷いを誘発しそうな無記名道標を引き抜いてしまいたい欲求に駆られたが止した。不審の徒らしき振舞いは自重せねばならない。

馬引沢峠に向かって歩を進めていくと、送電鉄塔への巡視路を示す黄色の杭が現われた。左手は標高365mピークの尾根に向かう道のようである。右手の杭の先には苔蒸した木橋が馬引沢に掛かっていた。此れは歩けるね。kz氏が安堵の声を漏らした。私は手にした奥多摩東部登山詳細図を広げた。等高線を確認したかったのだが、残念ながら詳細図の端に記載された赤ぼっこエリアは、馬引沢林道の途中で切れている。あと二センチ程度載っていれば、此れから歩く巡視路の尾根が判る筈なのだが、止むを得ない。

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踏跡は明瞭だった。縦横に広がっている尾根と沢筋の合間を縫うようにして、送電線への巡視路は続いていた。緩やかに谷筋の近くを登り、やがて大きな山肌に突き当たる。踏路は其の尾根をスイッチバックのようにジグザグに登っていく様相に転じていた。馬引沢林道の安穏とした歩きが常態となっていたので、貪欲に高度を稼いでいくジグザグの道が新鮮に感じる。植林帯を眼下に見るようになってきた頃、kz氏が感嘆の声を上げた。

陽陰になっている所為なのか、黒ずんで見える巨大な岩が正面に聳えていた。黒岩、と云う二文字が脳裡をよぎるが、勿論関係は無いのだろう。巨岩の裾を枯葉が敷きつめられていて、其れに忠実に急傾斜の進路が窺えた。岩を捲いて登りきると、木立の向こうに景色が広がった。赤ぼっこから送電鉄塔に延びる東尾根の上に乗ったことが判った。365mピークが既に見下ろせる位置に登りついていた。尾根が落ちていく先は激しい傾斜になっていて、踏み入るのは不可能かと察せられた。馬引沢林道が終点近くで大きく蛇行しているのは、今居る此の尾根の所為かもしれない。其の、馬引沢峠の方向には、明瞭に二ツ塚廃棄物処分場の塔が見える。興醒めてしまうところだが、此れも人間社会の所以であると考えれば、粛々と直視せざるを得ない。

Akbk4

尾根道は巨岩の上に続いていた。休憩したばかりなので其の儘歩き続けて、間もなく送電鉄塔青梅線31号に到達した。昨年春に成木の都県境尾根を歩いた時、電線が外され、鉄塔だけが屹立している不思議な光景に出くわしたが、其れが廃止された送電線の青梅線だった。赤ぼっこ直下の鉄塔も、役目を終えた儘無為に屹立しているばかりである。其の南方面を眺めると、馬引沢峠からの登山道の途上に立つ鉄塔が覗ける。彼方の山なみは丹沢山塊迄見渡せるようだが、強い陽射しが逆光になっているので、霞んでいて何が何だか判然としない。鉄塔の周りを仔細に観察しているkz氏をぼんやり眺めながら、私は紫煙を燻らせて休憩した。

送電鉄塔に至り、漸く登山詳細図のエリアに戻ってきた。等高線を見ると、あとは緩やかな勾配を20mも登れば終点である。平坦な踏跡を辿り、間もなく一本杉が青空を背景に聳えているのが見えた。今日の天気予報は、午前中の曇りからやがて雨になると云うものだったが、嬉しい誤算である。標高409.5mの三等三角点、赤ぼっこは厳密には山頂とは云えない位置に在るが、相変わらずの絶景である。先程通過してきた鉄塔を眺める。電線の無い鉄塔が、ぽつりぽつりと青梅市街に向かって点在している。無用の長物が存在感を示してランドマークになっている。其れが却って不思議な趣を醸し出しているような気がした。

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追記

帰途は登山道を要害山方面に歩き、此れも気になっていた手製道標「平道入を経て和田スポーツ広場」の分岐を下る。殆ど消滅しかけている斜面のトラバース道を歩くと、四等三角点の在るピークから延びる北東の尾根に乗り上げた。其の儘尾根上を軽快に下り、途中の標高300m付近で北西に分岐するトラバース道に入るが、踏路は途中で消滅していた。尾根上に戻り、実直に下り続けて、標高250m付近で崖状になった。東側の緩やかな斜面を無理矢理下り、取水装置が設置された沢に降り立った。其の儘作業道が整備されているのを辿り、馬引沢林道に合流した。

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別記

2014年12月の山歩き。

2014/12/9
宮ノ平駅(13:20)-----和田町一丁目-----馬引沢林道-----馬引沢峠-----赤ぼっこ-----天狗岩-----要害山-----神明神社-----宮ノ平駅(16:00)

2014/12/15
梁川駅(8:40)-----月尾根沢-----立野峠-----倉岳山-----高畑山-----鳥沢駅(14:50)

2014年の寫眞帖

写真と云うのは頗る便利で判り易い。だから安直な表現手段であると思っているので、極力其れに凭れ掛からないようにしようと考えている。際限なくべたべたと貼り付けるのは品性の問題に係わると思っている。写真は想起の契機になるくらいの情報量が望ましい。昨年の山行で印象的な光景を断片的に貼り付けてみた。二月は記録的な大雪で殆ど出かけていない。五月、六月は登山詳細図の踏査が多く、写真を殆ど撮っていない。十月は存外に天候が不順でしかも体調を崩し、殆ど出かけていないのが今となってみると甚だ勿体無いと云う気がする。


1_hakone
箱根外輪山、丸岳から眺めた中央火口丘の黄昏。一月。


2_fuji_from_airplane
南九州行きの窓から。一月。


3_nagasakibana_from_kaimon
開聞岳五合目から眺めた長崎鼻。海霧の紗幕越しの朝陽。一月。


4_tsustsuji_in_ome
都県境成木尾根の果て。安楽寺の躑躅。
三月から四月に掛けて、間野黒指バス停の周縁を頻繁に訪れた。


5_rainbow_in_ebino
硫黄山の手前から眺めた、えびの高原に掛かる虹。四月。


6_takachiho
御鉢の馬の背から高千穂峰の山腹を眺める。七月。


7_fuji_gotemba_trail_2
御殿場ルートから初めての富士登山。太郎坊を六合目手前から眺める。八月。


8_kaerazu
不帰嶮II峰をI峰から眺める。八月。


9_dakesawa_route_raicho_square
岳沢から紀美子平への途上、雷鳥広場を吊尾根から眺める。九月。


10_mihara_mountain
山頂口展望台、御神火茶屋付近から眺めた三原山。九月。


11_kamitashiro_oze
上田代、尾瀬。九月。


Akabokko
赤ぼっこの一本杉。十二月。

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